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2014年3月31日 (月)

3時のおやつ

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昨日、たすカフェさんで買ったkusa さんの深煎り珈琲豆と、kibi CAFEさんの

きなこのほろほろクッキー。

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たった100円のクッキーふたつ買っただけなのに手縫いの袋に入れてくれて、

ありえない。

すごくきれいに縫ってある、と友達。

袋つくるの手伝ってあげたいくらいだ、と暇でもないのにすぐ思う酔狂な私。

うっすら写真ではよく見えないけれど一羽の飛ぶ鳥がkibi cafeさんのマークらしい。

それに食いしん坊を自称する食通の友達からもらったスペシャルなガトーショコラ。

というわけで今日の3時のおやつはkusa coffeeとガトーショコラとクッキー。

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ああ、なんてわくわくする新月らしい3時のおやつでしょう!

ぼぉ~ん、ぼぉ~ん、ぼぉ~ん 。。。。。。。

昔、実家にあった古い振り子時計の鳴る音が懐かしい。

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自分でしっかりいれたkusaさんの珈琲は、熱く、濃く、深い味わいだけれど確かに

嫌な苦みはぜんぜんなくてクリーミーな味わい。とっても飲みやすい。

これなら珈琲のめないという人でも飲めそうな。

我が家は365日、土居珈琲さんのスペシャルティコーヒーをかなり濃くいれて飲

んでいるのでみんな珈琲にはかなりうるさいのだけれど、kusaさんの珈琲はとて

もおいしかったです。とくに深煎りなのに苦くないところがすごい。

そしてこのガトーショコラ!

さすがグルメさんのセレクトだけあってめちゃめちゃおいしかった。

ガトーショコラといいつつ、ダークチョコレートそのもの。

口の中でとろける濃厚なチョコレートの味わい。

それはそうです。中に入ってたリーフレット読んだら小麦粉もココアも一切加えずに

焼き上げてるだもの。

このケンズカフェ東京さんのガトーショコラ、私は冷やして食べたけれど、常温でも

温めてフォンダンショコラのようにとろっとさせて食べてもおいしいそうです。

濃い珈琲にチョコレートって最高のマリアージュですね。

新月の至福のおやつタイムでした。

ごちそうさま!

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2014年3月30日 (日)

3月の食卓 *

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花のある食卓。

常には無理でもときどきはほしい。

食卓に小さな花があるだけでいつもの朝食もとくべつになる。

休日の朝、散歩がてら焼き立てのパンを買いに行って、ついでに小さな花束も

買ってきてくれる。そんなパートナーがほしいな。

花なんかいらない、という無機質な人とは暮らせない。

気温が20度以上の日が続くとラナンキュラスもそろそろ終わりだっていうから、

こんな食卓が見られるのもあとわずかかな。

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今日は昨晩から続いた暴風、ゲリラ豪雨、地震に雷。

なんでもござれの春の嵐。

けっきょく、三月のライオンは最初から最後まで暴れ通しだった。

それも明日で終わり。

明日は今月2度め、おひつじ座の新月。

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2014年3月29日 (土)

西荻散歩♪

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いつだったか、検索バーに『kusaさん』と入れて検索すると、私が探しているkusa

さんとは違うkusaさんのホームページがヒットした。

そこいらへんにあった紙に適当にボールペンで落書きしたみたいな家の絵に、

妙に白い余白ばかりが目立つようなそのトップページには小さな字で、

KUSA.喫茶 自家焙煎 coffee+pan. = flower, white air, a cup of coffeeee,

no music,ph.,tender foods, and "love words"花、白の空気、自家焙煎珈琲

音楽の鳴らない場所、インスピレーション、粉の味のするフード、そして「愛の気配」

とあったから、なんかいいなあ、と思って、ここにぜひ行ってみたい、と思ったけ

れど、どうやらその喫茶店は千葉の海の近くにあって、おいそれとすぐには行け

そうになかった。それでそのホームページをブックマークして、ときどきブログを

覗くようになって、先週の木曜の夜にたまたま見たら、『西荻窪の秘密スペース

「+cafe」さんにて一日kibicafeオープン』とあって、kusaさんの珈琲がそこで飲め

るとある。いつもだったら土曜日のその時間はプールで泳いでいる時間だけれ

ど、今週は第5週でプールはない。しかもPomme de terre さんのカフェはこの日

が最後だというから、これはもう行くしかない、と思った。いつものように1人で身

軽に行ってもよいのだけれど、しばらく会ってなくて気になっていた友達にメール

で連絡したら、即『行く!』と返事が返ってきた。やったね、ラッキー! 持つべき

ものは腰の軽い友達。

というわけで今日のランチは『たすカフェ』さんで。

それは西荻窪北口駅降りてすぐのビルの3階。

kusaさんが『秘密スペース』と書いてらっしゃる通り、知らなかったらこんなところ

にカフェがあるなんてきっとわからないと思う。そして駅前のビルの中だというの

に、一歩なかに入ると意外に広い空間。事前に奥が建築事務所だということは

調べて行ったのだけれど、なんだかちょっと不思議なリラックス空間です。

私たちが行ったのは午後1で、そのときは二組くらいのお客さんがいるだけで

いたって静か。おっとりした感じのいい女の子がオーダーをとりにきてくれました。

まずは友達が頼んだの。

はじめてなのでここのシステムがよくわからないのだれど、これはkibi cafeさんの

ランチプレートなのかな。

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そして私のはこれ。

いつもだと、ごはん好きの私が上のランチを選びそうなところだけれど今日は

ミニベーグルがのったポムさんのプレート。

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アラビアのお皿にのってるところもいいな。

こういう小さなアンティパストがいろいろのってるみたいなプレート、大好きです。

これを家でやろうと思ったら大変。どれもとってもおいしかった。

そして意外にも(?)お腹いっぱいになった。

食後は待望のkusaさんの珈琲を。

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でもね、見た瞬間に思ったけれど、この珈琲は私には薄すぎた。

たぶん私のいれた珈琲は少なくともこの3倍は濃いし、ガラスのカップに入れても

こんなには透けないんじゃないかなあ?

でも友達はこの薄い珈琲に砂糖とミルクを入れてたから、私の濃ゆい珈琲は飲め

ないかもしれない。おいしい・おいしくないというより紅茶みたいに薄くて私にはな

んだかよくわからなかった。香りはとてもよかったけれど。残念。

でも、はじめて来たとは思えないほど非常に居心地がよかったのと久しぶりに会う

友達だったのとで話が尽きなくてすごーく長居をしてしまいました。

ハッと気づくと店内には私たちだけ?

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ここ、西荻窪の駅前の雑多な場所にあるカフェの割にはすごく静かなのです。

たしか音楽もかかってなかったような。

私は西荻で仕事の待ち合わせをすることはないけれど、ここは仕事でも使えそう。

帰りにお土産にkusaさんの深入り珈琲豆と、kibiさんのきなこのほろほろクッキー

を買いました。

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そして+CAFEさんを出て、散歩でもしようと歩いていて面白い花屋を見つけました。

ブルー・ウォーター・フラワーズ。

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このお花屋さんはいままで見たことないほどユニークで、かなり個性的なお花屋さ

んだった! とにかく植物を使ったアイディアがすごくて、店の中にも外にも植物で

作ったペンダントライトがたくさんぶら下がって、中はもうジャングルみたい。

そして、やっぱりここも精油を焚いているのか、店の中に入るといい匂い。

店頭で、小さなポット苗を買おうとしていたお客さんの相談にすごく親身にのって

いた店員さんの雰囲気も好感度大。

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珈琲がおいしくて居心地のいいカフェに、品揃えに知性を感じるいい本屋、おいし

い焼き立てパンが売ってる店にセンスのいい花屋、それだけでも文化のある町だ

と思うけど、西荻はそれ以上に楽しい町だと思う。花屋だけでもなんだかいろいろ

ありそうなので、もう少し歩いてほかにも探してみることに。そして次に見つけたの

は一軒家をそのまま花屋にしたような、外観からして素敵なエルスール。

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店の白い窓枠を覆うばかりの緑、店頭で屋根からしだれるように咲いた大きな

ミモザの木も素敵。そして店の中には『わがままなほどのこだわりで選び抜かれ

た花たちが息づいている』というだけあって、ふつうの花屋にはないような繊細な

花たちがたくさんセレクトしてありました。

ここで友達は淡いピンクが素敵なジャスミンのポット苗を購入。

実は私は今月も来月もプアなのだけれど、考えた末に小さなブーケを買いました。

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休日に久しぶりの友達と会ってのんびりランチに珈琲。

わずかばかりのお土産と花束を持って夕暮れの街を歩くのは、ささやかだけど贅

沢な気分。この歳になると何年も会ってない友達に会うのは「会っていない間に

一気に老けこんで元気がなくなっていたらどうしよう」という気持ちと、その反対に

自分が相手にそう思わせてしまったらどうしよう、という気持ちで会うまではなんだ

かちょっと心配なのだけれど、今日会った友達は昔と変わりなくキレイで元気で、

相変わらず食いしん坊でよかった。今年スイミングを始めたのは私の影響もあっ

た、という彼女。久しぶりに会っても以前となんら変わりなく会った瞬間から屈託

なく話せて、いくらでも話題が尽きない楽しい友達ってほんとにホッとするし、あり

がたい。またすぐに会おうよ、ということになって、次は彼女の近所の遅咲きの桜

を見る約束をして別れたのでした。

午後6時半。

ほんとに日が長くなりました。

今日、エルスールさんで買った花束。

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色違いの覆輪のラナンキュラス2輪と薄紫色のパンジーと白のスゥイトピー。

エルスールさんはお店の雰囲気もお花のセレクトもよかったけれど、お店の人は

無機質、とまではいわないまでも、あまりいい感じではなかったような。でもなぜか

街の花屋さんって、そういう現実的な雰囲気した人、多いね。

花屋がどれだけ大変な仕事かはわかってるけれど、日用品のタワシを売ってる

わけじゃないのだから、できれば花屋はロマンチストであってほしい。その点、家

の近所の老舗の花屋の年配の女性オーナーはいつも物腰がやわらかく優しげ

で、ただそれだけでロマンチックに見えるし、(言外に、何も買わなくてもいいから)

前を通りかかったら僕に声をかけてください、という花屋の彼はロマンチストだ。

それほど素敵とはいえないロケーションにあって、小さいスペースながらも唯一

無二のロマンチックな空間を作りだし、丁寧な接客をしているコトリ花店さんは

いい仕事をしていると思う。

たいていの場合、私が花屋にオーダーするのは高価なギフト・フワラーではなく

食卓に飾るわずかな花なのだから、私が花屋に求めているのはアーティスティッ

クな花をつくるアーティスト然としたフラワーデザイナーではなくて、やさしい花で

日々気持ちのこもった接客をしてくれるふつうの花屋なのだけれど。

それを毎日やれている花屋はたぶん、そんなにはいなさそうだと思う。

花屋ひとつとってもフィットする店ってなかなかない。

それだけに気の合う友達ってほんとうに大事。

久しぶりに思いきり喋って思いきり笑った楽しい休日。

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2014年3月27日 (木)

春はタンゴ

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何かが生まれそうで生まれない、徐々に充溢していくエネルギー、不穏で、

じっとしていられない空気、風が強く、こころがざわざわして落ち着かない、

埃っぽく、目は霞んで、膨張してだるいようでいながら神経過敏で、と思うと

ふいに研ぎ澄まされ、それまで隠れていた本質が浮き上がって見えるような、

汚いものの底から、透明でキラキラした水が湧きあがってくるような ・・・・・・

そんな予感を孕んだ危ういこの季節はいつもタンゴだ。

なぜか春はタンゴが聴きたくなる。

愛しのピアソラ。

愛も哀しみも、光も闇も、究極まで極まると反転する陰陽の法則で、白と黒の

タイトな升目の間を縫うように上がったり、下がったり。

激しさと静けさ、緊張と弛緩、そして哀しみの果てに射しこむ至福の光。

彼は何が人の心を沸き立たせるかよくご存じなのだ。その身を以て。

まさに退屈とは間反対の音楽。

ピアソラに魅せられる人は多い。

このCDもそんなピアソラに魅せられた一人のギタリスト、フェデリコ・ヴァジェホス

のアルバム。先日のイチベレ・ツヴァルキのアルバムと合わせてこれも息子にリ

クエストして誕生日にもらったものだけれど、あいにく販売元の『 大洋レコード

で完売していて、ついおととい届いたばかり。

昨日の朝はじめて聴いて、まず1曲めの『リベルタンゴ』で驚いた。

ギター1本で完璧にピアソラのアンサンブル!

もうこれってピアソラおたく、ギターおたくとしかいいようがない。

(なんでも極めようとしたら一度はオタクになるしかないだろうと私は思う。)

そして大洋レコードの説明に『タンゴのギターというと弦を打ち付けるように弾

く歯切れのよいものを想像しがちですが、何でしょう、この包み込むように滑ら

かで柔らかいトーンは。』とあるように、これはいつも聴いている厳しくも激しい

ピアソラと違って、静かな情熱を内包しつつも、抑制され、細部にまで神経が

ゆきとどいた繊細でやわらかなピアソラ。

いつもピアソラを聴いていると、音楽の底からふつふつと湧きあがってくるピア

ソラの情熱、哀しみの果て、艱難辛苦を乗り越えて立ち上がってくるピアソラの

強い愛を感じてそこに打たれ、まるでからだの中心にぼっと火を灯されたように

力をもらうのだけど、フェデリコ・ヴァジェホスの弾くピアソラにもそれがある。

素晴らしい。

アルバムタイトルに『ガルデルからピアソラへ』とあるように、曲の構成は全14

曲中、6曲がピアソラ、3曲がカルロス・ガルデル、2曲がフェデリコ・ヴァジェホ

スによる自作、その他3曲となっている。

クレイジーな三月のライオンが荒れ狂った今月もあとわずか。

三月は私にとってはあまりいい月ではなかった。

自分の危うさ、欠点が嫌というほど自身のなかで露呈して見えたのと同時に、

他人の嫌な面がはっきり見えた月でもあった。全ては先月から続く激しい浄化

作用の過程なのだと思うけれど、でもそれもずいぶんすっきりしてきたようだ。

今日は朝から静かな雨。

こんな春のあたたかい雨の日に聴くのに、このアルバムはぴったりだ。

春はタンゴ。

今朝、ずっと西の壁に掛けていて、すっかり黒っぽく変色してしまったミモザの

リースをはずして捨てた。

三月は別れの季節でもある。

桜も咲いて、じきに季節は春爛漫の四月へ。

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DE GARDEL A PIAZZOLLA / FEDERICO VALLEJOS

最初このアルバムをパッと見たとき、イラストと中身の音楽の雰囲気があまりに

違うので「なんで?」と思ったのだけれど、左がC.ガルデルで右がピアソラ、とも

に天使の羽が付いていることから、いまは亡き二人のタンゴの巨匠へのオマー

ジュってことなのね、とわかった(^-^)

それにしてもタンゴを聴いていると思わず踊りたくなってしまう。

つくづく踊るとか歌うとか打楽器を叩くとかって人間の本能なのじゃないかと思う。

映画『セント・オブ・ウーマン』の中で盲目の退役軍人を演じたアル・パチーノが、

たまたまカフェで出会った若くて美しい女とフロアでタンゴを踊るシーンがあった

けれど、すごく素敵だったなあ!

とくべつ上手くなくてもいいの。

タンゴが踊れたらどんなに素敵でしょう!

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2014年3月26日 (水)

ユーカリ

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昨日セルリアとユーカリを植え替えたあとたっぷり水をやって夕方見たら、ユーカ

リの根っこの一部分が露出してしまっていたから、こりゃもうちょっと土がいるなと

近所のホームセンターに買いに行って見つけてしまったのが

このユーカリ。

ホームセンターの園芸売り場でユーカリの苗なんて初めて見た。

これも小さな丸葉がすごくかわいい。

なんと390円。

ビニールポットに付いてたタグの名前は『ユーカリ グニー』

『花粉症や風邪予防に! 心をすっきりとさせる癒しの樹』とあって、ユーカリの

効力として、『水はけをよくし、感染症が発生しない環境を作り、あたりの土地を

浄化する力を持っています。アフリカではマラリアの防止に役立っています。ま

た葉から水蒸気法で抽出した精油は、花粉症や風邪予防に効きます。抗ウイ

ルス作用、炎症を鎮静する作用があります。またヒーリング効果のある癒しの

植物です。』と書いてある。

こんな小さな苗ひとつベランダにあったところでそこまでの効果はないでしょう

けど、見ているだけで癒されるのはたしか。それに葉っぱに触るといい香り。

この春、私の花粉症がそれほどひどくならなくてすんでいるのはマスク着用の

おかげと毎朝焚いている精油にくわえて、夜寝るときに小さなタオルにユーカリ

の精油を滲ませてそれを嗅ぎながら寝ているせいだと思う。

ユーカリ、たしかに花粉症に効きます。

困っている人はお試しあれ!

セルリアも昨日よりさらにひらいた。

花の中心のふわふわしたところはまるで羽毛のよう。

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いつか、セルリアやユーカリがわさわさ自生しているところを見てみたい。



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2014年3月25日 (火)

緑の仲間入り

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朝から一気に春を通り越して初夏みたいに暖かくなった今日、待っていたセルリ

アとユーカリ・ポポラスが届いた。もうずいぶん前にコトリ花店さんで見てお願い

してあったのだけれど、寒かったり強風だったりして預かってもらっていたもの。

このポポラスは緑の指を持つ彼女の家族が冬から大事に育てたものだそうだ。

まるい葉っぱがなんともかわいいポポラス。

この軽やかさが好き。

さっそく家にあった鉢に植え替えた。

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まだこんなにちっちゃいけれど、いつかは大きくなるのかな。

私はどうも無意識に植物を大きくしたい願望があるようで、植物が大きくなって

いま住んでるところで手に負えなくなったらもっと広いところに引っ越せるかも、

とか、あらぬ幻想を抱いたりする。友達が猫がいるせいで一軒家にしか住めない

みたいに。

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セルリアはこのあいだ店先に出ているのを見たら根元に私の嫌いなゼニゴケが

びっしり生えてて、うわっ! と思ったのだけれど、今朝届いたのを見たらカラッ

カラに乾いた状態で根鉢の縁がめくれ上がっていたから、バケツの上で小さな

シャベルでぜんぶコケをこそげ落とし、これも余ってた鉢に植え替えた。乾いて

スポンジみたいになってた根鉢は簡単にすぽんと抜けた。暮れに家のセルリア

を鉢増ししたときに使った赤玉土が残っていたからちょうどよかった。

セルリアは肥料をあまり必要としない植物で、とくにリンの入っている培養土など

を使うとたちまち枯れてしまうというから注意が必要。日本では切り花から認知

度が上がったものの、まだ栽培方法がよくわかっていないところから育てるのは

チャレンジャーレベルだとかいわれている。いわゆるマニア向けのレア植物。

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前に何十年も何も食べずに生きている人間のことが話題になって、医者の友人

とこれは来るべき地球規模の食糧危機における光明か? なんてことを話した

けれど、そのメカニズムはというと、食べずにいる間にその人の身体が太陽に

当たるだけで体内で様々な酵素を大量に合成し、生命維持に必要なエネルギ

ーに転換できるように進化したからじゃないか、みたいなことだったと思う。

(正確にはもうよく覚えてないけれど。)

このセルリアも太陽が大好きな植物だから、やっぱり光合成によって必要な栄

養素を固体内で合成してるのかもしれない。(考えると面白い。)

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ブラッシング・ブライド(頬を染める花嫁)という名前のとおり、白く透明感のある

花びらはシフォンのウェディングドレスのように可憐で繊細。

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私が去年買ったセルリアはこれとは違う品種で、ピンクの花が咲く『カルメン』。

育てるのが難しい植物といわれたけれど、酷暑だった去年の夏を乗り越え、酷寒

だった冬を越して、いま花芽がいっぱい。

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それにしても今日はシャツ1枚でいられるほど暖かかった。

今年もあっという間に暑い夏が来るのかな。

夕方ふたたびベランダに出たら、朝はしな垂れていたセルリアがすっかり元気に

なっていた。

よかった。

今日入った緑のあたらしい仲間。

枯らさないように大事に育てよう。

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2014年3月24日 (月)

久々の『今日のランチ』

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久々のランチ・フォトは豆とチキンのカレー。

ひよっこりひょうたん島の歌を陽気に歌いながらライスを盛る変な店主。

朝食に大きな皿いっぱいの山盛りサラダを食べたから昼はサラダはないけど、

食後にパプアニューギニア、シグリ農園のスペシャルティコーヒー付き。

カフェ・フローリアンのチョコレートがついて、800円。

ちと安すぎるか(^-^)

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2014年3月23日 (日)

お彼岸

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月曜日にめずらしく朝1で父から電話がきて、いつにする、って。

お彼岸のことはもちろんとうに頭にあったけど、相変わらずせっかちな人だ。

そのとき、いつも以上に滑舌がはっきりしなくて何をいってるかわからないと思った

ら、歯を抜いたせいだと今日会ってわかった。

しかも「歯を抜いたその日に転んだのよ!」と妹。

ふつう歯を抜いたりした日は今日は安静にしていようと思うものなのに、まだ麻酔

も切れてなくて頭がぼぉっとしてるようなときにわざわざ行かなくてもいい買い物に

行って、しかも両手荷物で重たいものをたくさん買って、よろよろ歩いているうちに

転んだらしい。

どこでどう転んでそんなにまでしてしまったのか、見た瞬間、妹が思わず目をそむ

けたくなったほど右手の甲が見るも無残にぐちゃぐちゃになっていたという。そこま

でなるまで転んだらどれほど痛かったろうと思うのに、それを妹に隠していた父。

子どものころ、車に轢かれそうになったり怪我をしたりするたびにその恐怖と痛み

もさることながら、すぐさま母にしこたま怒られることのほうが頭に浮かんで私がそ

れを黙って隠し続けようとしたように、父もまた妹に叱られるのが嫌で我慢したん

だなあと思ったら、なんだか哀れなような情けないような気持ちになってしまった。

けっきょく翌朝、妹が仕事に行くのを遅らせて父を外科に連れて行ったらしい。

ふだん筋骨系の患者しか見ていない看護婦たちも、父の手を見るなり、うげっ!

とばかりに目をそむけたというから、いったいどれだけ酷かったんだろうと思う。

私だったら寿命が縮まったところかも。

それが一体いつのことだったのか、「でも意外に早く治った」と父が飄々とした顔

で自分の手の甲を見ながらいう。基本、この人はいつも飄々と淡々としている。

転んだとき顎も打ったらしくてアザになっていたからレントゲンも撮ってもらったけ

ど、骨に異常はなかった、と妹がいうので、数年前「いま転んだら全身どこの骨が

折れてもおかしくないくらいの骨粗鬆症!」と医師にいわれた父としては、まだ不

幸中の幸いだったかもしれない。

彼らふたりと駅で待ち合わせた今日は朝から青空、陽射しはぽかぽか気温も上

がって風もなく、絶好のお墓参り日和。のどかに鳥の囀る声を聞きながらお墓を

掃除して墓石を水で洗い流し、花とお線香をたむけた。

小さな父は律義に帽子を脱いで神妙に手を合わせてから、せっかく持ってきたお

数珠を使い忘れたことに気づき、「いいじゃない、急いでるわけじゃなし。ごゆっく

りどうぞ」というと、ふたたび手を合わせて何事かぶつぶついっていた。

父の父、私の祖父もほんとうに律義な人だったけれど、そういうところは同じなん

だな、と思う。祖父が昔、私が小学5年生くらいだったときに突然わたしの誕生日

に大きなイチゴのデコレーションケーキとプレゼントを持ってやってきたことをいま

でもおぼえてる。プレゼントは祖母が選んだのか白いコットンのワンピースで、母

には着せてもらったことのないような女の子っぽいしろものだったからちょっと嬉し

かった。あのときの祖父は小5の私にはじゅうぶんおじいさんだったけれど、でも

実際はいまの父よりずっと若かったのだ、といまさらながらに思う。

若くて、お金はなかったけれど野心も希望もあって、夜になると小さな娘を前に、

後ろに重い母を乗っけて自転車で銭湯まで走ってゆけるほど元気だった父が、

こんなよぼよぼな老人になるなんて、自分でも思わなかっただろうなあ。それに

誰があの強そうな母より、この弱そうな父が長生きすると思っただろう。

人生って不思議だ。

そしてそこにはきっと意味があるんだろうな。

帰りはまたバスに揺られ、電車で4つ先の小手指に行って、いつか入ったことの

ある『お茶カフェ利休』でランチをして帰った。

父は何をするにもいろいろ不自由で、それにいちいち小言をいわずにはいられな

い妹も相変わらずだったけど、穏やかに晴れたことが何よりありがたかった平和

な春の日。

束の間たゆたって虚空に消えていく線香の煙のように、いつか今日の日も思い出

になる。


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2014年3月22日 (土)

雲の行方

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Sky, so vast is the sky

With faraway clouds just wandering by

Where do they go?

Oh, I don’t know, don’t know


(『Dindi』バースより。曲:トム・ジョビン/英語歌詞:レイ・ギルバート)

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彼女をはじめて見たときのことはよくおぼえてる。

泳ぎ終わった後のジャグジーで、見慣れない顔だなと思って「今日はじめて来た

んですか?」と尋ねると、彼女は今日で2回めだといった。腰が痛くて一日じゅう

ベッドから起き上がれないので、医者に行ったら水泳をすすめられたので来たと

いうことだった。その話しぶりからして私は彼女は腰が悪いだけじゃなくてちょっ

とウツも入ってるんじゃないかな、と思った。細い身体に子どもみたいに小さな頭

ベリーショートの髪の彼女はエミューみたいな愛くるしい顔をした女性だった。

次に会ったのがそれからどれくらい後のことだったかおぼえてないけど、彼女の

変わりようといったらもう劇的を通り越してまるで別人だった。気がつくと更衣室

にはいつも輝くばかりの笑顔で誰彼かまわず話しかけては賑やかに喋る彼女の

姿があった。そこにははじめて会ったときの、憂鬱そうな顔でうつむいてジャグジ

ーに入っていた彼女の面影は微塵もなかった。

つくづくスポーツの力って、スイミングの力ってすごい、と思った。

大げさじゃなく、寝たきりだった彼女の人生を180度変えてしまったんだから。

身体の調子がよくなったことで見事にスイミングにハマった彼女はそれから週

に6日、どれだけ通っても定額制の『ALL』というコースに編入して毎日のように

プールに通い、あっという間に私を追い越して最上級クラスに行ってしまった。

いま、60代半ばの彼女はいう。

「どう考えても、いまみたいにやれるのはあと5年だと思うのよ。だから、できる

うちに行けるとこまで行っときたいの。いずれ、どうやったっていまみたいには

できなくなるときが来るんだから」と。

彼女のいうことは正しい。

いまの自分の気力と体力あっての立ち位置で5年先10年先のことを考えてい

たら、いつかとんでもなく想定外の未来を迎えることになる。先にいって「あのと

きもっとやっておけばよかった」と後悔しないようにいま思いきりやっておきたい

というのはすごくコンシャスな考え方だと思うから。

クラブに来ている人たち(とくに女性たち)は老いも若きも泳ぎがうまくなることに

対してすごく熱心で飽くなき探求心を持っているけれど、そんなわけで泳ぎ終わ

った後のジャグジーは彼女たちのお喋りでかまびすしい。クラブにいる間じゅう、

彼女たちは泳ぎについて喧々諤々の会話を続ける。(まあ、私も含めて。)

掻き手の入水ポイントだとかキャッチのときの手の角度とかキックのタイミング

だとか目線の位置だとか etc,etc ・・・・・・

泳ぎがうまくなるということにはどうやらきりがないみたいで、私よりはるかに泳

げる人でさえ自分の泳ぎのまずさをいつも嘆いてるけど、今日のジャグジーで

ミセス・エミューがおもむろにいった。

「でも、やめたら絶対にだめよ。やめてしまったら私たち、もう絶対に競泳水着なん

て着ないわよ!」

私たち、ね。

 I think so.

それから家に帰って、やっぱり相変わらずスイミングにハマっている友達とメール

のやりとりをしていて、返ってきた返事を読みながらふと空に浮かぶ雲を見ていて

口の端に上ってきたのがこの歌、『Dindi』だった。

若くて、才能もあって、チャーミングで、彼女と話してるだけで楽しくて、それなりに

男の子にもモテたお転婆な女の子が、人生いろいろあって、気づいたらいつの間

にか人生の終幕を考えるような歳になってる。もちろん、それがあっという間だった

なんていわないけれど、でもそのことに素直に驚いてしまう。

いったい、いつの間に?!

そしてこれもやっぱりもちろん、ミセス・エミューのように何も考えないより考えたほ

うがいいに決まってるんだけど、でも年齢や一般論で自分に制限をつけないほうが

いいんじゃない? とも思う。

何はともかく、深刻になりすぎないこと。

ゆううつにならないことよ。

どうせどこに飛んでゆくかわからない雲なら、陽気に飛んでいよう。

いまがどうでも明日がどうでも3日間はサンバを踊り狂うブラジル人みたいにね。


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3月の食卓

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ゆっくりほどけてゆくラナンキュラスとフェチダス。

Spring ephemeral な3月の食卓。


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2014年3月21日 (金)

ハルノオトズレ

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立春。

朝は青空が広がって、今日は暖かくて穏やかな日になるのかなと思っていたら、

あっという間に曇ってきて、またもや三月のライオンが荒れ狂いだした。

そしてクレイジーな北風とともに寒気がやってきて、いったんは薄いコートで家を

出たものの、また冬物に逆戻り。

春の天気はほんとに気まぐれ。

そんな風のなか休日の今日は自転車飛ばして春の花屋へ。

久しぶりに行ったコトリ花店で最初に迎えてくれたのは、恐竜みたいにあちこち

クネクネと首をもたげた大きなセルリア、ブラッシング・ブライド。

今朝の市場の戦利品らしい。

会うなり大きな大きなセルリアを花屋の屋根から枝垂れさせる夢(妄想?)を滔

々と語りだす店主。すぐに言葉が頭の中で絵になってしまう私。(私は昔からジ

ャングルみたいな部屋で暮らすのが夢です。カラフルなインコを肩にのせて。)

さながら小鳥の囀りのように話す彼女を見ているといつも思い出すのはグラン

ブルーのジョアンナで、映画の中でジャック・マイヨールが「イルカに似てる」と

いったあの彼女ね。きっと何か、決定的に似てるところがあると思うんだけど。

外は春の嵐にもかかわらず、三連休に誘われて次々とお客さんがやってきて、

私は今日は淡いグリーンのフェチダスと、蕾の中からおやゆび姫がでてきそうな

ピーチいろのラナンキュラスを買って帰った。

そのうち私のところにもセルリアとポポラスがやってくる。

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あと1日になってしまったけれど、コトリ花店さんで先週の土曜日からはじまった

小さなフェア『ハルノオトズレ』は、明日22日土曜の7時までです。

お近くの方はぜひお散歩がてらお出かけください*

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2014年3月20日 (木)

芽吹きのとき

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雨の木曜。

花粉の季節の雨はかえって心地よいくらいだ。

大気が澄む。

先日の雨以来、数日ぶりに窓を開け放って掃除した。

おかげですっきり。

ベランダのバラも弾かれたように次々と芽吹きはじめた。

毎年、この季節に元気な緑の葉っぱを見るのは何よりうれしいことだけど、でも

どうやら一株枯らしてしまったみたいだ。

小さい苗からせっかく大きく育てたボトルパームもかなりあやしい。

なんたって今年の冬は寒すぎた。

あとは春のお陽さまの力に一縷の望みを託すだけ。

朝起きてすぐに精油を焚くのは日課だけれど、花粉が飛びはじめてから毎日焚い

ているのは、ユーカリ、ローズマリー、ティートリー、ペパーミント。

おかげで今年はそんなに悪くならなくていいみたい。

私の机の横の窓から見える樹木はまだまだ裸木がほとんどだけど、きっとすぐに

またわさわさと緑が繁茂してゆくんだろう。

私のベランダもあっという間にジャングルに。

こんな灰色の雨の日はこころもからだも緑を求める。

my jungle を想像しながら、マーケットに行って春野菜をたっぷり買ってこよう。

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2014年3月18日 (火)

春いちばん

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朝からまたしても三月のライオンが暴れまくってると思ったら、春いちばんだって。

春って凶暴だなぁ。

最近の日本を見てると何もかもが壊れちゃってる気がするけど、つくづく浅い知識

や浅い見方でものをいうのは慎んだほうがよさそうだなって思う。実際に起きてる

事は、メディアが見せる表層的なことよりずっと複雑で根が深そうだよ。

私が見たいのは、ノイズがおさまった後に浮かび上がってくる、クリアーな本質。

そんなものがあるとして。

世界がもっとシンプルだった時代のことを、なんだか大昔の古き佳き時代のように

思いだしてる。

春いちばんが吹いて河津桜も満開。

夕方、近所の知り合いのところにお届けものをして帰り道に桜の下に立ったら、次

々にたくさんの鳥がやってきた。

花が咲いて鳥が来る。

ここだけは変わらずにシンプル。

みるみる桜の木が枝から枝へ飛び回る鳥でいっぱいになって、賑やかな鳥たちの

かわいいお喋りがはじまる。

賑やかなのは鳥の声のほうがいいな。

人間の声より。

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2014年3月16日 (日)

桜と満月

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一気に気温が上がって昼間はコートなしでもいいくらい暖かくなった今日。

遊歩道わきの河津桜も咲きはじめた。

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空は青空、陽射しは暖かくて、これで花粉さえ飛んでなかったら最高なんだけど、

私はちょっと散歩にでたくらいで鼻水だーだー、顔はぺけぺけ、髪はバアバアで

最悪です。こうなると正直、もうどこにも行きたくありません。

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夜。

北風がまた騒ぎはじめた。

一気に冷えはじめる大気。

これだから春は油断がならない。

満月間近の今夜の月。

桜と満月で激しい浄化がはじまる ・・・・・・

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2014年3月15日 (土)

One day I'll fly away

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朝の食卓のひどくナーヴァスな空気は私の筋肉を硬くして頭痛と首と肩の痛みを

増幅させたけれど、自転車の前かごにプールバッグを入れて走り出せば、私の

時間がまわりはじめる。滅多にない貴重な自分だけの時間。

たとえ自分の泳ぎがいっこうにうまくならなくても落ち込まないこと。

そして投げ出さないこと。

水泳を始めたころと違うのは年齢に反比例して筋肉も柔軟性も落ちたことだと思う。

でも、あのころにくらべたら私をとりまく環境は何もかも良くなってる、たぶん。

プールから帰るとすぐにトニーニョ・オルタの『A Tribute to Tom Jobin』をかけた。

peace of mind なファンタジーに逃げ込むために。

いつだって誰にだって安全な居場所は必要だ、のら猫と同じように。

ひとたび音楽に耳が集中すると、この3曲めのトニーニョ・オルタのオリジナル曲

『From Tom to Tom』ってジョビンの曲かと思うくらいジョビン的、とか、このアルバ

ムのトニーニョの歌声ってほとんどジョビンそのものだ、とか、『Agua de Beber』の

ギター・ソロがすごくいい! なんて具合にたちまち意識は別のところにシフトして

しまうから。

でも、そうやって作った遅いお昼を食べはじめたら朝の続きがやってきた。

さらに最悪な展開になって。

やれやれ、いつまで私はここにいるんだろう。

いつだったか、近所のクリーニング屋に行ったら、いつもカウンターに出てくる80

過ぎの老店主のかわりに彼女の娘の若奥さんが出てきた。彼女は明るい笑顔の

感じのいい溌剌とした女性で、年齢は私と同じくらい。とても働き者でたくましい感

じのひとだったけれど、その日はどういう話の流れか子どもの自立の話になった。

彼女は(自分には)3人の子どもがいるけれど、長男には奥さんも子どももいて別

所帯だからもう関係ないの、とサバサバした口調でいった。

それで息子さんの年齢を聞いたら私の息子とそう変わらないまだ若い男の子だっ

たから「それは早かったね」といったら、長男は家族のなかでは何かと問題児で、

年じゅう母親である彼女とぶつかっていたのだという。それである日大喧嘩になっ

て、売り言葉に買い言葉で「おまえなんか出ていけ!」といったら、息子も負けじと

「おお! 出てってやるよ!」とばかりにほんとうに家を出て行ってしまったらしい。

それでどうしたかというと、息子は学生のときから宅配のアルバイトだけは真面目

にやっていたから、そこで社員にしてもらって社員寮に入って働き、収入が安定し

たころ寮を出て結婚して所帯を持ったのだという。

それを聞いて私は「それはすごい。お母さんに似て息子も根性ある人なんだね」と

いった。「息子が出て行った当初はあなたもすごく心配しただろうし、母親としては

きっと心中穏やかじゃなかっただろうと思うけど、でも結果的にはよかったね」と。

すると彼女は私の顔をまっすぐに見て「ほんとうにそう思う?」と聞くから、「思うよ。

だって私のまわりだっていい年になった子どもの自立に悩む親ばかりだから。崖か

ら子どもを突き落すライオンの親の話じゃないけど、人間の親だって心を鬼にしな

きゃならないときもあると思うし、そうでもしなかったらいまだ家にいて年じゅう親子

喧嘩してなきゃならなかったかもしれないじゃない?」

私がそういうと、なんだか彼女は心底ほっとしたような顔をして「いま、あなたにそう

いってもらったおかげで私、やっと救われた気分だわ」というから、こちらのほうが

びっくりしてしまった。「もしかして、自分が息子を追い出したと思ってずっと重荷に

思っていたとか?」といったら彼女が頷いたから、まあ旦那さんやら自分の親やら

相手の親やらに何かいわれたのかもしれないけれど、母親ってつくづくこういうもの

だよなあ、と思ってカウンター挟んで2人してうるうるしてしまった。

ちゃんと二親揃っていてもそれなんだもの、片親となったらなおさらだ。

私のこの20年近くに渡る苦労は子どもを育てる義務と責任の100%が私ひとりに

課せられてたということだ。いつかそれがすべてちゃらになる日は来るんだろうか。

私は自分をいたってアホだと思うけれど、この性格ゆえに救われていると思う。

もう夜7時半をまわろうとするころ、夕飯を作ろうとしてキース・ジャレットとチャーリ

ー・ヘイデンの『JASMIN』をかけた。このアルバムを聴くのはもう10回めくらいだけ

れど、いままでで一番、沁みた。

(このアルバムのことをレビューで『平凡な演奏』とかいってる人がいるけど、かわり

にいわせてもらえば、はっきりいってあなたには聴く耳がない。そういうことはちゃん

と聴いてからいえ! )

とくに『One Day I'll Fly Away』がよかった。

この曲のタイトルを見るなりピンとくるものがあったのだけれど、それはキース・ジャ

レットが考えたことと同じじゃないかな。

それからふいに、いつか出したいと思ってた自分の本のタイトルのことを思い出し

た。私にはもう憧れの人も師もいないけど、そこに私が持てる限りのものを詰めん

で、遺言代わりにするのもいいかもしれない。願わくは、私に関わった誰が読んで

も気が楽になるようなものになったら、どんなにいいだろう。

私より年上の人たちが聞いたら「そんなことを考えるにはまだ早すぎる」というだろ

うけど、人間、いつどうなるかわからないからね。

夕飯ができないので先にお風呂に入った息子が出てきて「このCD、ぜんぶいい」

といった。昼間トニーニョ・オルタのCDもそういってたけれど。

つまり君には聴く耳はあるってことだ。

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トニーニョ・オルタ A Tribute to Tom Jobin

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キース・ジャレット/チャーリー・ヘイデン JASMIN

 

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2014年3月13日 (木)

Follow me

Rendez

昔は、人に頼るのはいけないことだと思ってた。

私の母はスパルタで、甘い育てられなどされてなかったし。

とくに男が女に頼るなんて、かっこ悪いと思ってた。

でもいまは、頼れてよかった。

頼る人がいてよかったね、と思う。

むしろ「人には頼れない」という人を危うく思う。

その心の壁の強固さ、頑なさに。

もしそれが、生きることそのものにかかわるようなことだとしたら、なおさら。

頼ればいい、と思う。

自分一人じゃ非力なことをあっさり認めて

あたたかさに触れたらいい。

押し黙ったまま重く垂れこめた灰色の空から

耐えきれず透明な滴が落ちてくるとき

固い凍土は熱く解かれ

眠っていた種子は目覚める

詰まっていた苦しい喉と胸の窓がひらいて

いまよりもっとあたたかく

色彩豊かでうつくしい音楽があふれだす

それを想像する

夢のように

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2014年3月12日 (水)

虹の袂/GIRL AT HER VOLCANO

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虹の袂


毎晩あなたは行ったこともないところに

  出かけていく夢を見ていたもの

あなたが密かに囁く願いでできた翼に乗って

あの頃は毎晩 月もあなたも

決して悲しみがないとわかっているところへ

突き進んでいけた


いまや夢のひとつひとつを運ぶ翼をくれるのは

  ウィスキー

それに月はあなたのものじゃない

だけどあなたの心はいまでも夢を持ち続けてると

  私は信じてる

そうよ私はいわれてきたの

老けないようにしろって

いったん壊された心は

持ち直したらもっと強くなるものよ


悲しみのせいで歌うのをやめてはだめ

ダーリン あなたには折れた翼があるだけ

さあ 私の虹につかまるのよ

私の虹につかまった

私の虹に頼るのよ


(RAINBOW SLEEVES/Song by Tom Waits/対訳 沼崎敦子)

****************************************************************

キッチンで洗いものをしていると、脈絡なく次々といろんな曲が口をついて出て

それを次から次へと口笛で吹くのが私の日常。ときどき憶えている歌詞の部分

を歌ったり、わからないところはいいかげんにスキャットしたり、たまにリズムに

あわせて手近なものを叩いたりして。そうやってるうちにたまに無性にその元の

音源が聴きたくなって、エプロンで手を拭いてCDラックに駆け寄る。

今日は昼間に是安則克さんの『Lush Life』を試聴したりしたせいかな。

突然これが聴きたくなった。

1曲目にラッシュ・ライフが入ってるリッキー・リーの古いアルバム。

大好きなの。

リッキー・リー・ジョーンズも、ときどき聴きたくなる人だなあ。

ちょっと鼻にかかったルーズな英語の発音。

ラフにくだけた不良っぽさと胸に迫ってくる痛いほど切実な歌が微妙なブレンドで

すごくユニークな彼女だけの音楽を作ってる。で、泣ける。(私がこういう場合たい

てい、ほんとに泣いてる。)

ピアノもすごい。まるで歌ってる本人が弾いてるみたいにぴたっと歌に寄り添って。

まるでリッキー・リーの感情の機微、ニュアンスまでも知り尽くしているように。

これが歌伴ってもんだよと私は思う。

そして時を越えてなんど聴いてもやっぱりこれは私の宝物だと思うのです。

それから何気なく歌詞カードを読んで驚いた。(たぶん毎回驚かされてる。)

訳詩のあまりのすごさに。

それで今日は英語の歌詞じゃなくて訳詩。

聴きたかったラッシュ・ライフもいいんだけど、でも今夜はこれにしよう。

なぜって私の知らないあいだに小さな小鳥が音も立てずに玄関の前に置いてった

オレンジ色したハチミツからの連想がこれだから。

リッキー・リーの歌を聴くならだんぜん夜だね。

とくにこのアルバムはね。

そして、こんな夜は私は自分が酒飲みじゃなくてよかったってつくづく思うのよ。

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GIRL AT HER VOLCANO/RICKIE LEE JONES

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2014年3月11日 (火)

あれから三年

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3月11日。天気、晴れ。やや風つよし。

大気は相変わらず冷たいけれど陽射しは暖かい。

仕事部屋で仕事をしていても午後2時40分が近づくと、あ、あの時間だ、と自然

に時計を見てしまう。

あれから三年。

年をとるごとに年々、時間の経ちかたは早くなるように感じているけれど、かとい

ってこの三年が短かったのか長かったのかはよくわからない。一見、何もかもが

元通りになったかのように見えて実際には停滞感も閉塞感のようなものもずっと

続いたままだし、少なくとも意識の上では3.11以前にはもうどうやっても戻れな

いのを感じている。明らかに欠損した何かは元通りにはならない。

オリンピックの東京招致には人それぞれ賛否両論あるだろうけど、そこにかかる

莫大な費用と、震災から三年経ったいまでも住むところさえ不自由している人々

が多くいることを考えると、もうオリンピックなんて返上してしまって、そこにかける

予定のお金をぜんぶ復興に回したらいいのに、と思ってしまう。狭い島国である

日本列島をひとりの人間の身体として見るなら、どこかが激しく痛んでいるのに、

そのさなかにそれを治さず無視して楽しむことなんかできるだろうか?

先週、そんなことを息子と話していたら、日曜日のラジオ番組でクリス・ペプラー

が同じようなことをいっていて、やっぱりそうだよね、と思った。

もちろん、これが東京のスタンダードではないかもしれないけれど、少なくとも私

のまわりはそうだ。個人でコツコツ自分にできることをやり続けることはとても大

事なことだし、やり続けられている人たちのことをとても尊敬はしているけれど、

でももっと大きなところで、国自体がはっきり方向を変えてくれないことには大きく

は変わっていかない。

これまで、こんなにも何もかもが見えてしまう時代があったろうか、と友達と話す。

嘘も不誠実もご都合主義も拝金主義も自分の無知もみんなバレてしまった。

こういう時代を生きるいまの若い人たちは、もう私たちの若いころみたいにふわ

ふわした夢は見られない。でもバレてしまった以上、ここから先は国も企業もほ

んとうに人のためになることをしようよ、自分の家族には食べさせられない、使

わせられないような、はじめから人の身体に悪いとわかっているものをお金のた

めに作ったり売ったり、それで儲けたりするのはもうやめようよ、それで個人は

玉石混交、真偽の入り混じった大量の情報の中からほんとうのものだけを探し

とる自分の眼を磨いて、まずは自分の身近な愛する人を大事にすることから、

地球に宇宙に喜ばれるようなことをはじめようよ、なんて思うのだけれどそうは

いかないのだろうか。

そして個人的にはどんな時代にあっても夢見ることを忘れてはいけない、と思う。

自分の年齢からいっても時代からいっても、これからは地に足つけたままどうや

ってぶっ飛ぶかが課題。だって理論や計算、現実的思考だけじゃどうやっても超

えられないところを超えていけるのはそういう一種バカみたいな力だと思うから。

私はそれを信じる。

今日、私がもらったメッセージをあなたにも届けよう。

May God bless you !

and I hope you are always in LOVE

それからもうひとつあった。今日、私がもらったオラクル。

恐れは今のものではなく、今ではない過去と未来のものです。(B.アダムス)

自分に照らして、これってほんとうにそうだな、と思う。

恐れを捨てて、いまに生きよう。

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放射線量が高かったときもそんなこと何も知らずに地面に近いところで生きてきた

のら猫たち。この先、彼らにも影響が出ないことを祈るばかり。

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2014年3月 8日 (土)

さくら咲く。

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快晴。

空は青く、風もなく、陽射しは暖かい。

絶好のプール日和。

でも、そうなると今度はたくさん花粉が飛んでるからマスク必須。

いったい、いつから日本の春はこんな面倒なことになったんだろう。

行きに水道道路の脇を通りすぎるとき左を向いたら、うわあっとピンクのかたまり

が目に入って、ああ、もう早咲き桜が咲きはじめた、と思った。

プール帰りに、望遠レンズで写真を撮っているおじさんの自転車の横に私も自転

車をとめて桜の木を見上げると、ヒヨドリやメジロがさかんに花の中にくちばしを突

っこんでいる。ハチドリ以外の鳥でも花の蜜なんて吸うんだ、と思いながら見た。

でも、この桜の木は背が高くて私のコンデジのズームじゃはっきり写らない。

それこそ望遠レンズでもなけりゃ。

こんな早咲き桜たちを皮切りに、これから東京はどこに行っても桜・桜・桜の狂想

曲がはじまる。



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2014年3月 7日 (金)

今年のお味噌の材料と今日の雪

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今年のお味噌の材料は塩以外ぜんぶそら屋さん で調達しました。

『平譯さんの畑からの大豆』 1.3キロ。

小野崎糀店さんの玄米糀 2キロ

大和川酒造店さんの酒粕 500グラム。

それに、いつものヒマラヤブレンドソルト。

塩の分量はまだちゃんと計算してないけど、ヒマラヤソルトはふつうの塩より控え

めでいいはずなので、ふつう塩を800グラムのところを600~700くらいとして、

できあがりは6キロくらいかな。

また今年もやります。お味噌の寒仕込み。

でも、その前に去年作ったのを開けてみなきゃです。

はたして今年はどんなお味噌になってるでしょう。

毎年のことだけど、たのしみのような、ちょっとこわいような?

それにしても今日はほんとうにびっくりしました。

午前中、陽射しがぽかぽか射してるうちは今日は少しは暖かいのかと思っていた

のに、それも束の間。午後になってそら屋さんに行こうと自転車に乗ったら外はす

ごく寒い。駐輪していた地面にも霜がびっしり。

そら屋さんで「なんだか今日もすごく寒いね」といいあって、お味噌の材料をうけと

って帰るころには俄かに雲行きがあやしくなってきてポツリポツリ。

大気の冷え方が半端じゃなかったので自転車で走りながら「もしかしてこれは雪に

なるかも」と思いながら、家に帰って遅いお昼をとりながら家族にそういったところで

パタパタと雨が降り出した。あわてて洗濯物をとりこむ間に雨は雪に変わり、そこか

らが早かった。雪が降り出したと思ったとたんに凄い勢いで猛吹雪!!

あまりの急な天気の変化に窓の前で狐につままれたみたいにしばしボー然。

写真を撮ろうにもすごい勢いで四方八方から雪が飛んでくるので窓も開けられず。

このままの勢いで3時間も降り続けたらまたこの前と同じだ、と思ったけれど、わず

か15分で小やみになったのでした。

まるで舞台装置みたいだった。

紅白歌合戦でサブちゃんが出てくるときみたいな猛烈な紙吹雪。

まるで一瞬、ひっくり返したスノードームの中にいるみたいな。

はーーー! いったい今年の天気はどうなってるんでしょう。

久々に天気で興奮しました。

これだけ寒いと味噌の寒仕込みにはいいかもしれないけれど ・・・・・・

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2014年3月 6日 (木)

お雛様をしまう日

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このあいだ知ったのだけれど、お雛様は二月の雨水の日に出して、三月の啓蟄

の日にしまうのがいいそうだ。それで今日、しまうことにする。

なんといっても一年にたった一度、わずか数日しか出さないものだから、雛人形

を見ているといろいろなことを思う。

私のお雛様はたぶん、祖母がくれたお祝いで、母が見に行って買ってきた。

人形のお顔立ちにしても着物にしてもお道具にしても、私の後から生まれた従妹

たちが買ってもらった現代風でどこか大味な感じのするお雛様とは違う、古式ゆか

しい品のあるお雛様。祖母が買ってきたらこうはいかなかったかもしれなかった。

祖母はもともとは宮城の生まれで、結婚したあと夫の赴任先の樺太に渡ってそこ

で6人の子どもを産み、一番下の次女を引き揚げ船の中で亡くした。本土に引き

揚げてしばらくはどこかの親類の世話になったようだけれど、それからどうやって

東京に来たものか。祖母は東京で何十年暮らしても、いつまでもズーズー弁が抜

けなかった。とくに娘や息子との会話になると地が出てしまうらしく、母はときどき

おばあちゃんはいまだに「ほっだらこといったって~」だの「なすてだべや」だから、

といったりした。母は6番めの弟(つまり私の叔父)のことも私のことも『貴族乞食』

といっていたけれど、そういう母自体ひどく美意識の高い人で、祖母が器に煮物

をてんこ盛りにして食卓に出したりすると「山出しだから」といって嫌がったりした。

そんな母が選んだ雛人形だから、私だけああいうお雛様だったのだろうと思う。

でも、たいして裕福でもない借り住まいの狭い部屋には、七段飾りのお雛様は立

派すぎるくらいだった。そのころ母はよく仲のよい女友達と漫才よろしく「食う寝る

ところに住むところ」なんていって笑っていたけれど、まさしくそのままだったから

お雛様の時期にはごはんを食べるところも寝るところも窮屈になるのだった。

それに毎年、七段飾りのお雛様を出すのは木の段を組むところからはじまり、人

形に細かい持ちものを間違いなく持たせるのも大変で、なんたって一年に一度だ

から忘れちゃう、といいながら母が天袋から引きずり出した一式を畳の上に広げ

て虎の巻片手に苦心惨憺して飾る姿をいまでも憶えている。どうしてそんなにまで

してお雛様を飾らなくちゃならないのか子ども心にはよくわからなかったけれど、

母はお雛様は一年にたった一度だしてもらうのをいまかいまかと一日千秋の思い

で待っているのだから、出してあげないと血の涙を流して悲しむ、といった。

その言葉を聞いた瞬間に私の頭にはそれがそのまま映像となって浮かび、以来

その言葉は私の胸ふかく刻まれてしまった。

赤ん坊のころはよく泣く赤ん坊でそれはまだ若くて未熟な母にとってはヒステリー

の種だったようだけれど、小さいころの私はからだがとても弱く、誕生日の前後に

なるときまって熱をだしていたらしい。それもいつも医者が休みの日に限って。

でも、なぜかお雛様を飾ると具合がよくなってしまう。それでよく、これはあなたの

身代わり人形なのだから、ともいわれた。血の涙にしても身代わり人形にしても、

子どもの私にはこわい言葉でしかなかったけれど。

小学校から誰もいない家に鍵をあけて入って、しんとした部屋の中でお雛様と自

分だけになると、いつもちょっとこわかった。お雛様に供えた雛あられをつまみ食

いしても、人形にじっと見られているような気がして。

それでいつか、何を思ったのか、軽く爪を立てて三人官女のいちばん左端の人

形の鼻筋をなぞったところ、思いのほか人形の肌はやわらかくてうっすら白く削

れてしまい、後でひどく親に叱られるのじゃないかとあわてたことがある。幸い、

バレることも咎められることもなかったけれど、もう十数年(あるいはそれ以上)

も飾られないまま天袋の古い箱にしまわれたままの雛人形の白い鼻筋のことを

思い出す。

私の娘のお雛様は、母の小学校時代の親友が作ってくれたもの。

お雛様なんて置くとこないからいい、という私に、内裏雛だけなら置けるでしょう、と

母はいい、この女雛のお顔があの子によく似てるから、といった。

母は病院で危篤の床にあるとき、もう声を出すことすらつらかったのに、親友がお

見舞いにきてベッドの脇に立ったら「ありがとう」とまわりにもはっきりとわかる声で

いったから驚いた。もう14年も前の二月のこと。

そして木彫り作家のあらいみえこさんが亡くなってから早一年。

この木彫りの小さな雛人形を見るたびに、人の儚さと、凛とした生き方をされた方

に見事な身仕舞いの仕方を見せられたことを思い出す。そしていつまでもそれを

忘れないようにしようと思う。

春はいろいろなことを思い出す。

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2014年3月 5日 (水)

Spring rain

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ついに髪がどうにもならなくなってヘアゴムでひとつにまとめる。

すると子どもたちが「似合うね。髪をまとめてるほうがいい」というから、私は昔

誰かさんにいわれたような言葉だな、と思いながら聞く。

 「君は顔が小さいんだから、顔が出てるほうがいいよ」

でも髪をまとめると首回りが寒いから、スヌードをしてニットキャップをかぶる。

外はけぶるような雨。

春の雨にしては冷たい。

ところによってはまたしても雪になったようだ。

近所を歩いていても2月の大雪で倒れた木がそのままになって枯れているかわい

そうな姿をよく見かける。早く駄目になったところを切って片づけてあげればいいの

に、と思う。

春は苦手だ。

とくに桜が咲く前のこの時期、地中深く蓄えられた一年分のエネルギーがいまか

いまかと充溢して臨界値を超えそうで超えないこの時期、肌が泡立ってくるような

奇妙な感覚がある。生まれいずる生きものの気配。

春はグロテスク。

ひとたび桜が満開になってしまえばそれらは一気に解放され、浄化され、天によ

って祝福される。つづく緑の季節はどこまでも晴れやかで爽やかで穏やかだ。

すべて緑になるまで。

いまはしばし、我慢のとき。

同じように私も我慢のときだ。

3月はひたすら家ですべきことをする。仕事に家事にインプット。

気になっている人に手紙を書きたい。

会いたい人もなくはないけど、いまはそんな間接的なコンタクトのほうがいいよう

な気がする。

とりあえず雨がやんだら髪を切りに行く、かな。



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2014年3月 4日 (火)

TOMATO RICE SOUP

14tomato_rice_soup

日曜日の朝ごはん。

いつものトマトスープを作るとき、気まぐれに玄米をひとつかみ入れて作ったら、

できあがったスープはポタージュみたいにとろっとして、まろやかな口あたり。

花が咲いたようにやわらかく煮えた玄米もお腹にやさしそうだ。

これを食べてアンディ・ウォーホル展に行ったら、一連のキャンベルスープ缶の

絵の中に『TOMATO RICE OUP』と書かれた缶を発見!

はー、アメリカに、もともとそんなのがあったんだ、と思って面白かった。

ウォーホルが14歳だったときに父親が亡くなり、母子家庭になったウォーホルの

家は貧しく、年じゅうキャンベルスープが食卓に上っていたという。ふつう、貧しか

ったときにさんざん食べさせられたものって嫌になりそうなものなのに、ウォーホ

ルはそれを好んで描いた。もっともキャンベルスープの缶を絵にする、っていうの

は、友達から50ドルで買ったアイディアだったらしいけど。でも、それで見事に成

功したんだから、人生ってのはどこに宝物が隠れてるかわからない。

思うさま、面白いようにお金が入ってくるようになって、いくらでもおいしいものが食

べられるようになった後で食べるキャンベルスープの味って、ウォーホルにとって

いったいどんなものだったんだろう。

幼いころの切ない思い出の味?

それとも、そんな甘いものじゃなくて、浮かれ気分を冷まして彼を現実に引きずり

降ろす、目覚まし時計のようなもの?

そういえば、昔よんだサリンジャーの小説の中にもママのチキンスープの話が出

てきたっけ。いま突然、思い出したけど。

内向的で容貌コンプレックスの男の子は死ぬまでウォーホルの中で健在だったん

だろう。

ウォーホルは敬虔なクリスチャンだった。

彼が最後に手掛けていた宗教シリーズの続きが見たかったな。

ちなみに今朝の私のささやかなしあわせは、トラノイさんで買ったメープルバター。

14maple_butter

バターといってもメープルシロップをじっくり煮詰めただけで動物性脂肪はまったく

入っていない100%メープル。

自然な甘さで濃厚なメープルの味。

これを焼いたバゲットやカンパーニュにつけて食べたらすごくおいしかった!

メープルの国、カナダ産。

でもこのラベルのデザイン、「韓国製みたい」と息子はいい、私は「シリアとかイラン

とかので、文字もなんだかシリア語みたいに見えるよ」といった。

パッケージデザインっていうのも、つくづく大事。



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2014年3月 3日 (月)

ウォーホル・グッズ

14andy_warhol_02

展覧会のお楽しみのひとつに帰りにミュージアムショップに行ってグッズを物色

する、っていうのがあるけど、なんたって行くまではアンディ・ウォーホルにもア

メリカン・ポップアートにもとくべつ興味がなかった私だからそんなものぜんぜん

期待していなかった、というか、きっと何も買うものなんてないだろうと思ってい

たのだけれど、ところが。

ミュージアム・ショップに行ったら見るものどれもこれもセンスがよくてびっくり!

いままで見た展覧会のなかでもこれはかなりいいほうなんじゃないかと思う。

そりゃそうだよね。もともとの作品自体がポップでコマーシャルで完璧にデザイン

された作品なんだから、よっぽど変なことしない限りかっこいいものができるって

わけです。難をいえば少々、価格がお高めなことくらい。

それでショップの中であれもこれも欲しくなるなか、でもそんなこといってるとキリ

がないので、今回は思いっきり我慢して、娘は図禄とフィロソフィー・ペンシル、

私はマウスパッドとファイル2枚だけ買って帰ってきました。

どれもカラフルでデザインがよくてとってもいい出来。

ますます娘と、も一回行こうか、なんていってます。

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それにしてもミュージアム・グッズってどうしてこんなに欲しくなっちゃうんでしょう

ねえ。欲しいのはそのときだけのような気もするんだけど・・・・・・

でも日常の身近なとこに何気なくこんなものがあったら楽しいだろうなあ、という

心理を見事に突いてる気がします。

たとえば、このアンディ・ウォーホルの哲学えんぴつ。

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先っぽにカラフルな消しゴムが付いて、えんぴつ1本1本にアンディ・ウォーホルの

哲学ともいえる名語録が刻印されてる。

たとえば、『うまくいっているビジネスは最も魅力的なアートである』といった具合。

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これは買っちゃうよねえ。

でも学生さんは試験のときにはこれは持って行かないほうがいいね。

英語のテストだったらカンニングと間違われるかもしれないし、数学のテストだった

ら私なんか暇つぶしに答案用紙の空いたところに書き写してしまうかもしれない。

買った娘はこのえんぴつが何Bか気にしてたけど、どこにも書いてないからわから

ない。アートペンシルならBか2Bあたりであってほしいところですけど。



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2014年3月 2日 (日)

アンディ・ウォーホル展:永遠の15分

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娘に誘われて、いま六本木ヒルズ・森美術館でやっているアンディ・ウォーホル展

に行ってきました。

実は私、これまでアンディ・ウォーホルにとくべつ興味を持ったことがなくて、今回

も娘のほうから「格安チケット手に入れたから、これ行こう」と誘われて、そんなこと

これまでなかったことだからそっちのほうが面白くて「いいよ。行こう」と即答したの

だけれど、結果からいうと行ってよかった。すごく面白かったです。

アンディ・ウォーホル展の詳細な内容については公式HPその他に書かれていると

思うので何が面白かったかというごく個人的な感想を書くと、とにかくカラフルでわ

かりやすくて明確な主題、一言でいって誰が見てもカッコイイ作品。作品に迷いが

なければウォーホルが放つ言葉にも迷いがない。迷いがないから見てるほうは気

持ちがいい。その言葉にはあっという間に成功した人間特有の勢いとともにシニカ

ルさも感じられるけど、内省的な暗さはない。とにかくアウトプットの人だし、外交的

で社交的。アナログ時代にあってすごくデジタル。思考法すらも。

ただし、表面的にはそのように見える、というだけであって、それがほんとうのアン

ディ・ォーホルなのかどうかはわからない。謎。

一気に書くとこんなところ。

美術館に入ってすぐに面白い言葉が聞こえた。

見ると60代後半くらいの夫婦で来ている人たちで、気難しそうな顔をした旦那さん

が奥さんに「なんだ、これはみんな写真じゃないか」といってる。

つまり、これは絵画じゃないじゃないか、と。

そういう人は同じ森美術館でも別の場所でやってる『ラファエル前派展』に行った

ほうがよかったんじゃないかな、と思いつつ、えーと、ここでちょっと計算すると、

1928年生まれのアンディ・ウォーホルがまだ生きているとすれば89歳だから、

つまりいまの日本の60代のおじさんとくらべただけでも彼がどれだけ時代の先

駆者だったかがわかろうというもの。

アメリカのピッツバークで生まれた本名アンドリュー・ウォーホラは大学で広告芸

術を学んだあとニューヨークに移住し、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』など

の雑誌の広告やイラストで有名になり、またたく間に商業デザイナーとして成功

する。当時ウォーホルが描いていたイラストは、ペンでイメージを描き、別の紙を

押しあててインクを転写する『ブロッテド・ライン(しみつきの線)』という自ら考案

した技法を多用したもので、さらにそこに自家製ゴム印を押すことでアクセントを

つけたユニークかつ美しい作品。転写する、とかゴム印を押す、というところにす

でに簡単に複製できて大量生産できる作品への志向がうかがわれる。

(とはいえ初期のデッサンを見る限りウォーホルのデッサン力は緻密でリアル。)

そして商業デザインの世界からアーティストへと転身してからは、それまでの絵

画とはまったく違う、つまり既存のイメージ(キャンベルのスープ缶やドル札)や

写真をそのままシルクスクリーンでキャンバスに転写してデコレーションを施す、

というやり方で独自のポップアートを確立し、実際にシルバー・ファクトリーでの

大量生産時代に入るわけだけど、では先のおじさんのいうようにウォーホルの

作るものがただの写真で誰にでもできる作品かといったらそれはぜんぜん違う。

ただ逆にいうとウォーホル自身は他人にそういわれてしまうことも辞さなかった、

というか、そういわれることになんの抵抗も示さないばかりかむしろそう思わせよ

うとしていたところすらあるくらいだ。

年代別に展示された作品の横にはその当時ウォーホルが放った語録が壁にプリ

ントされているのだけれど、そこにあった『アンディ・ウォーホルについてすべてを

知りたいなら、僕の絵と映画、僕の表面を見るだけでいい。裏には何もない』、

『みんなどうしてアーティストが特別な仕事だなんて思うんだろう。ほかの仕事の

作業と同じですよ』なんて言葉にもそれがよく表れている。

そして、『ぼくは絵について考えた時点で、何かが間違っているのだと思う。 絵の

大きさというのは考え方のひとつであって、 色もそうだ。ぼくの絵に対する本能は

「考えないのが正しい」というもの。 決めたり選んだりしなければならなくなると、

もう間違っているんだ』なんてもいっていて、上映されているビデオの中でもまる

で何も考えてないかのように迷いなく絵を描いていくウォーホルが映し出されてい

るのだけれど、そうやってできあがった作品を見せられているこちら側としては、

その完璧性に驚くばかりなのである。補色の関係と形の組み合わせを知り尽くし

ているとしか思えない大胆な色使いや構図の切りとりかた。とにかく色彩感覚が

すごいし、ウォーホル自身が撮った写真についてはポラロイド写真といった簡単

なものまで実によく撮れている。そういったことを瞬時にやれるのがもしウォーホ

ルがいうようにただの『本能』でしかないとしたら、それこそがまさに『天才』の本

能だろうと思う。いまさら私がここでいうようなことでもないけれど。

この日、アンディ・ウォーホル語録のなかで最も私の印象に残ったのは、

But why should I be original? 

なぜオリジナルである必要があるのだろうか?

Why can't be non-original? 

人と同じじゃいけないのかい?

という言葉。

これは現代にあってもすごくインパクトのある問い、アンチテーゼだと思う。

『自分が唯一のオリジナルでありたい』というのは表現者、ものを作る人なら誰

しも思うところだと思うけど、『オリジナルであらねばならない』と思うその気持ち

がいったいどこからきているものなのか、主体なのか客体なのかを一度じっくり

考えてみるのもいいと思うし、逆に意味や価値、理屈でがんじがらめになってア

ウトプットすらできなくなっている人には自由になれる機会になるかもしれない。

あ、もっとも何も考えずに、ただ表面だけを見てもじゅうぶんにカッコよくて楽しめ

ます。私は森タワー53階から見えるビューを背後に銀のまくら、もとい銀の雲で

ふわふわ遊べて楽しかった。

帰りに娘と、超デジタル時代で、いまやコンピュータにインプットした画像を3Dで

出力できる時代だから、現代にウォーホルが生きていたら作品作りはもっと高速

かつ快適に大量生産できたのにね、と話したけれど、あっという間にコピーされて

真贋わからなくなっちゃったかもしれないし、だいいち本人があっという間に飽きて

しまったかもしれない、とも思う。

時代の寵児としてアメリカの資本主義社会、大量消費社会を手玉にとってリッチな

セレブリティやグラマラスなスターたちと遊ぶだけ遊んで、いま見ても刺激的で美し

くさえあるポップアートを確立したアンディ・ウォーホルの過去最大級の回顧展は、

六本木ヒルズ、森タワー53階の森美術館で5月6日まで。

会期が長いので、できることなら私ももういちど遊び心のある友人とでも遊びに行

けたら、と思う。

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2014年3月 1日 (土)

雨の三月

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雨ではじまった三月。

雨の日のプール。

こんな日に限って行きも帰りも荷物が多い。

でもいつもの土曜日と違うのは、今日は帰ると家に誰もいないってこと。

私にとっては滅多にない、貴重な1人になれる時間。

たとえ血のつながった家族といってもそれぞれ違った個性を持った別人格である

以上、ひとつ屋根の下にいればその個々に違ったバイブレーションが常に行き交

ってるわけで、それがときどきひどくうっとおしい。たまには自分以外のバイブレー

ションがまったく感じられないところにいたい、ときどき心底1人になりたい、と思う。

大体において近頃の子どもはどうしてこんなに家にいるんだ、私たちがあのくらい

の年頃のときには家になんかまったくいなかったのに、というのが同じ年頃の子ど

もを持つ同年代の女友達とのいつもの会話。どうやらこれも時代らしいけど。

今日は帰りにクラブのロビーでやっとあやこさんに会えた。

私と誕生日が一緒で母が生きていればおなじ年頃のあやこさん。

久しぶりにお喋りしながら毎年恒例の誕生日プレゼントを交換して、彼女がクラブ

のフロントに頼んでおいてくれた水(電解還元水)をもらって帰って来た。

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あやこさんが、これでごはんを炊くとおいしいんだって、というから、やってみる、と

いったら、珈琲をいれてもおいしいらしいよ、というから、帰ってさっそくもらった水を

沸かして珈琲をいれた。買ってきたサンドイッチでめずらしく1人ごはん。

外は雨で部屋の中は暗いけど、電気は点けずにキャンドルだけ灯して。

昨日とどいたばかりのCDをかけて。

ふー、なんだか1人だとのんびりするなあ~

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テンポのいい曲になったらにわかに興が乗ってきて、「そうだ!」と食べてる途中で

ウッドブロックをとりだして音楽にあわせてコンコン!カカコン!と鳴らしたりして。

行儀悪いったらありゃしないけど、これぞ1人だからできること。

ああ、自由ってサイコー。

珈琲だっていつもよりのんびり味わえる気がする。

今日、あやこさんからもらったチョコレート。

さすが、私がチョコホリックだってわかったのかな。

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そしてのんびり珈琲を飲みつつ頭のなかをよぎるのは、今晩はいかに買い物に行

かずに夕飯を作るかってこと。帰りも荷物が多くて雨のなか傘さしての自転車じゃ、

さすがにスーパーマーケットまでは寄れなかった。雨のなか、また出かけて行く気

にはなれないし、といって何も買い置きはないし。

・・・・・・ でも人間、思いきり考えたらなんとかなるもんですね。

ありあわせで玄米リゾット。

これも息子がいないからできること。

私の一日から三食の食事の支度がなくなったらどれだけ時間ができるかなあ?

夕方、洗った水着を干そうとベランダに出たらバラの新芽がいっせいに出ているの

をみつけて、ああ、今年もまたこの季節がやってきたな、と思った。

今年は石灰硫黄合剤の散布もできなかったけれど、バラはこれから切り戻しと芽

掻きの季節です。

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