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2014年1月 2日 (木)

毎年恒例

14hatsumoude

毎年、新年2日には実家に行くことになっている。

家族の初顔合わせ、ということだけれど、去年から息子はついて来ない。

私の母はそういうことにうるさい人だったけれど私は母ほどうるさくないし、息子

ももう25だからいちいち干渉しないことにしている。男というのは大きくても小さ

くてもとかく人に気を遣わせる生きものだから、正月早々、お互い気をつかって

面倒なのも嫌だから、というのもある。

実家に行ったからといって、これまた何をするわけでもない。

お正月の挨拶をして母の仏壇にお線香をあげて、出されたおせちをいただきな

がら、2日に行くと毎年かならずついているテレビで駅伝を見る。それが終わっ

たあともみんなで何やかやと話しながら見るともなく延々とテレビを見る。内心、

しかしテレビってどうしてこうもどうでもいいことばかりやってるんだろう、と思い

ながら。

家ではテレビというものをほとんど見なくなって久しい。

毎日見るのは8時45分から9時までの15分間だけやっているNHKの今日の

ニュースと気象情報。それに週に数回ピンポイントで決まった番組を見るだけ。

そんな風だから、たまにテレビをつけると一気にあふれ出てくる騒音のごとき

音と色の洪水にやられてしまって、すぐに『ハイ、終了』となってしまう。いまの

テレビってほとんど暴力に等しいと家族とは話しあっている。無駄に賑やかで

ウルサイだけ。それで今日も、3時間くらい経ったところでついに「悪いけど少し

音ちいさくしてもらってもいい?」と聞いたのだった。

テレビがわんわんなっている中での会話ほど疲れるものはない。

おまけにうちの娘はぼそぼそ小さい声で話すから何をいってるかよくわからな

いし、父は耳が遠いときてるのだ。そのうち、父は座ったまま居眠りをしだす。

お屠蘇をいちばん飲んだ妹はいつの間にかごろっと横になって爆睡してしまう。

私は何もすることがなくてしかたなく近くにあった新聞を読みはじめる。

毎年、繰り返されるデジャヴュ。

これだから息子につきあえというのは無理だろうなと思ってしまうのだ。

いかに年のはじめの家族の顔合わせが大事だとしても。

息子も、母がいたらまだ来ているかもしれない。

母は息子を溺愛していたし、息子もおばあちゃんっ子だったから。

思うのは、いつも一家の主婦が家族の接着剤だということ。

接着剤だった人がいなくなると家族は途端にバラバラになってしまう。

私の祖母の家も、祖母が元気なあいだは常に家族の集まる賑やかな家だった

けれど、祖母が亡くなってからは集まる場そのものが消滅したかのように誰とも

顔をあわせることがなくなった。よく来たねえ、といって、おもてなしをしてくれる

人がいなくなったからだ。叔父夫婦は共働きで、一家の主婦である叔母は子供

の教育に熱心なかわりにあまり社交的な人ではないから。

祖父、祖母、3番めの叔父についで母が亡くなってからは、残った叔父たちと従

妹がどんな暮らしをしているのかはまるでわからない。父はたまに会うと年じゅう

そのことばかりいうけれど、「そんなに気になるなら電話してみれば?」といっても

自分から電話をすることはない。女の誰か(娘である私たちか従妹の誰か)がお

膳立てでもしない限り、冠婚葬祭の場で顔をあわせることくらいしかないだろう。

とくに後者の場で。

いまの毎年恒例の2日の顔合わせも父がいるあいだだけのことだろうな、と思う。

妹も自分ひとりかせいぜい夫婦二人になればそうそうおせちの用意もしないだろ

うし、私たち姉妹だけのことなら外で会ったっていいのだ。

そのほうが面倒がなくていいかもしれない。

帰りに夜道を娘と歩きながら、世話の焼ける年寄りや我儘な子供と一緒に暮らす

のは手間もお金もかかる厄介なことではあるけれど、でも何かしてあげられる人

がいるうちがたぶん、しあわせなのね、と話した。

行きに娘が駅前の八幡様でおみくじをしたいといったけど長い行列ができていて

あきらめたので、帰りにお参りをしておみくじを引いた。

娘は末吉で私は大吉だった。

実質これが初詣ということになるけれど、毎年わたしの初詣は立春の明治神宮

参拝ときめている。



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