
今朝も朝6時に起きてから娘が帰ってくる時間までよく働いた。
建物の構造上の不備なのだそうだけれど冬ともなるといつも真っ黒にカビてしま
う北側の壁をシャワーキャップにゴーグルにマスクにゴム手袋というけったいな
格好でクリーニングしたり、お風呂掃除をしたりトイレ掃除をしたりキッチンの棚
の整理をしたり、昨日に引き続いて布団カバーやシーツなどの大物を洗濯したり。
ほんとうに日本の暮れというのは忙しい。
同じ忙しいんなら、いっそ『ホーム・アローン』の一家みたいにあたふたとスーツ
ケースに荷物まとめて空港に向かうクルマに乗り込み、ボラボラ島にバカンスに
でも行ってしまいたい。
娘が帰って来るころにはもうお疲れモードだったし大掃除も気になったけれど、
でもそれよりもっと気になるものがあって遅い昼食もそこそこに娘と日本橋に向
かった。本日6時で終わってしまうカイユボット展を観るために。
終了時間1時間半前にブリヂストン美術館に着くと入り口前には長蛇の列がで
きていたからどうなることかと思ったけれど、なんとか見ることができた。
そして結果から先にいうと、無理してでも行った甲斐があった。
思った以上によかった。
カイユボットについては前から知っていた。
例によって『美の巨人たち』で見て。
最初にとりあげられた一枚は『床削り』、2回めは『ヨーロッパ橋』。
『床削り』は当時としてはめずらしかった労働者を描いた絵として、また『ヨーロ
ッパ橋』はくっきりした線と極端にデフォルメされた遠近法で描かれた都市風景
画として、どちらも印象派の範疇からは外れるものだった。なのになぜカイユボ
ットが印象派の重要人物といわれるまでになったかということ、多くの印象派の
画家たちが屋外の自然光のなかで光そのものをとらえようとしたのに対して、
カイユボットは明瞭な線で都市生活者の明暗と孤独を描いた、という2つのこと
に焦点が当てられていたように思う。パリという、華やかな同じ街の風景のなか
にあって光と影のようなブルジョア階級と労働者。同じ室内の中にいて親密な
関係であってさえ、見えない壁や入り込めない領域で隔てられている人の心の
孤独 ・・・・・・
つい先日『日曜美術館』でとりあげられたときもそのあたりのことが話題になっ
ていた。それはちょうどやはり先日、暮れの街で見た、ブランドネームのついた
買い物袋をたくさん抱えて意気揚々と歩く若者の姿と交錯するようにその背後
をまるで淡い影法師のように、破けた一切合財袋を引きずりながら今このとき
の空腹をしのぐためだけに食べものを探し求めていたホームレスの光景とも
あいまって、胸に迫るものがあった。それでその番組でカイユボット展がいま
東京で開かれていることを知って、これは見に行かずにはいられないと思った
のだった。
そして『なぜ思った以上によかった』のかというと、2つの番組でとりあげられて
いた初期の代表作ももちろんよかったのだけれど、それとは違う後年の、より
印象派的な風景画がまたとてもよかったのだった。
後年(といっても彼は45歳の若さで亡くなっているけれど)、カイユボットは都会
の喧騒を離れるように、かつてモネが制作の拠点としたセーヌ下流のアルジャ
ントゥイユの対岸プティ・ジュヌヴィリエに移住し、舟遊びやガーデニングに興じ
るとともに、そこで目にした自然の風景を初期とは違う、明るい色彩と勢いのあ
る粗いタッチで繊細に、かつ生き生きと描いている。
この一連の絵を見ているとき、私の頭のなかで不思議なことが起きた。
カイユボット展を見に行った日、外はとても寒かったのだけれど美術館のなかは
暑いくらい暖房されていて、時間がなくてコートにマフラーをしたままの私は途中
で頭がのぼせてきて、おまけに喉が渇いて酸欠状態になってきた。
そのときだ。
目の前の絵は単に静止した風景画でなくなり、まるで映画の映像のように生き
生きとリアルに動き出した。明るい陽光の下で樹木は風に揺れ、川のせせらぎ
はあたりに眩しく光を放ちながら水音とともに流れ、いまにも誰かの呼び声が
聞こえてきそうで、その場の空気感までも伝わってくるようだった。驚いた。
私は一瞬、自分の頭がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。
絵を見ていてそんな経験をしたのは初めてのことだった。
それはまさしくスーラの点描画なんかよりずっとリアルに「う・ご・い・て・い・た」。
少なくとも私の眼の中では。
私の眼の中でそんなことが起きたのは、まるでカメラのファインダーを覗いてい
るように絵の中に引きずりこまれずにはいられない、見事な遠近法による構図
と、移ろいゆく一瞬の光を速いタッチで写すことのできた画家の画力にほかな
らなかった。
そこには初期の作品に見られる静謐さや孤独感とは違う、明らかに生きる歓び
うつくしい自然のなかで人生の愉しみを謳歌する画家の視点、心があった。
それが素晴らしかったのだった。
それを見た後に最初のほうのコーナーにあった、カイユボットの年代別の自画
像を思うとき、そこにあった『最初の自画像が若々しく、希望に満ちた絵描きの
肖像であるのに対し、年をとるごとにその顔は暗く陰鬱になり、また老けていて
それはレンブラントの晩年の肖像画を思わせる」というような説明は、単に描か
れ方だけを見ればそうかもしれないが、はたしてほんとにそうなのだろうか、と
思った。レンブラントは多分に自らの浪費癖が招いたことだから自業自得といえ
るだろうけれども、晩年は文字通り何もかも失くしてほんとうに孤独な老人だっ
た。彼が失くさなかったのは『絵を描く』ということだけだ。晩年のレンブラントは
もうモデルを雇うお金さえなくなって鏡に映った自分を描くしかなかった。その自
画像には醜く老いた自分を揶揄して笑う、老画家のリアルな凄みがある。
それにくらべて裕福な事業家の息子に生まれたカイユボットは(たぶん)生まれ
てこのかた一生お金に困ることはなかったろうし、労働に身をやつすこともなか
った。人間の苦悩や苦痛がお金のある・なしだけではないのはもちろんのことと
して、でもその一点における苦悩や苦痛がないだけでもずいぶんと人生は(また
人生観は)違うのではないだろうか。
とくにゴッホなんかとくらべてしまうとつい、そんなふうに思ってしまう。
だからカイユボットの晩年の自画像の暗さや深みは、絵描きというセンシティブ
な生きものが年をとって当然のようにたどり着いた境地なのであって、レンブラ
ントとくらべる由もないのではないかと思うのだ。なんたってカイユボットは舟遊
びに興じるあまり、自分の造船所まで持ってしまうというくらいの桁外れの金持
ちなのだから。彼が長いこと画家として評価されなかった理由は、印象派の画
家たちの擁護者としての側面が強かったのと、カイユボット自身も、また遺され
た遺族たちも金に困っていなかったので作品を売る必要がなかったため、その
絵が人目にさらされることがなかったから、ということなのだから。貧苦にあえぎ
ながら生涯一枚の絵も売れなかったゴッホとはわけが違うのだ。
もちろん、あくまで私見にすぎないことを付け加えておく。
カイユボットの絵の素晴らしさは、先ほども書いたけれどまるでカメラのファイ
ンダーを覗いたときのように絵が目の中に飛び込んでくることだ。その視覚、
大胆な構図は極めて写真的。一見、とても自然な構図に見えながら、ひとつ
の絵の中に複数の視点を組み合わせて現実にはありえない美を描いてみせ
たのはもっぱらセザンヌだといわれているけれど、それはカイユボットの絵の
なかにもあった。恐るべし、どこまでも美を追及する画家のまなざし。
・・・・・・ そんなわけで、まだまだ知られざるこの絵描きの魅力をじゅうぶんに
感じることのできたカイユボット展。
惜しむらくはなんといっても時間がなかったこと!
混雑する美術館のなかを駆け足で見ていて、閉館30分前を告げるアナウンス
がはじまったとき、きちんと見られなかったところはあとで図録で補おうと思って
いたから、入館時同様ミュージアムも長蛇の列なんじゃないかと思ってあわてて
しまった。さいわい、思ったほど混んでなかったからよかったけれど。
図録と息子に頼まれたポストカードを買って外に出たときにはもう、やっと金魚
鉢に戻された金魚のようでした。外の冷たい大気が気持ちよかった!
すっかり喉が渇ききった娘と私はちょうど通りを渡ったところにあったサンマルク
カフェで冷たいイタリアン・カフェラテなるものを飲みながら、興奮冷めやらぬ私
は絵の印象をダーッと語ったのでした。
そしてそのあとは休む暇なくデパートの地下街へお正月食品の買い出しに。
ほんとに日本の暮れって、なんて疲れるんでしょう!

最近のコメント