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2013年9月 2日 (月)

5年前の自分

130902sky_02

先日、個展に伺って5年ぶりに再会した彩さんからコメント欄にメッセージを

いただいて、「5年のあいだにすっかりきれいになられて名乗られなければ

気づかないところでした」といわれて、ぼんやり驚いてしまった。

自分からするとつい年齢のことに思いが及んでしまうから、5年前といったら

当然いまより5歳若いわけで、そのぶんいまより多少は何もかもよかったん

じゃないかと思うのに。

それで逆に、5年前の自分ってどうだったんだろうと考えて、ああ、もしかし

たらそのころって、あることが原因でひどく自己評価を落としていたころだっ

たかもしれない、と思った。

たとえば肩幅が小さくて窮屈な服を着ていたり、肩に痛みがあったりしたら

動きに制限ができて美しい泳ぎができないのとおなじように、いつも何かに

縛られたり緊張したり、人から否定されたり、こころに痛みがあったりしたら

やっぱりそれは見た目にも影を落とすことになるだろう。

もし本当に5年前よりいまの私のほうがいいとしたら、あのころより私は過

去の痛みや苦しみから解放されたのかもしれないな。そして、そういったも

のさえいまの自分をつくる要素になったのだとしたら、そのおおもとの原因

になった(私にとってはあまりありがたくない)できごとにさえ、何かしら意味

があるのかもしれない。

と、そんなことを息子にいったら、そこには諦めもあるけどね、とぐっさりやら

れた。いつだってこの人は鋭い。鋭すぎるくらいだ。それって生きていくうえ

ではあんまりいいことではないかもしれない。

で、もちろん、息子のいうとおりではある。

でも、自分ひとりじゃどうにもならない、相手のあることについては、諦めも

必要だと思うようになった。この年になって。たぶん、経験的に。

そして人からの評価ということでは、このあいだライブの休憩のときに話して

いて、「人から評価されるときというのは、かならずしも自分が一生懸命やっ

ているときとは一致しない」といった竹内直さんの言葉を思い出す。その言葉

を聞きながら、直さんもすごく客観的で冷静な人だなと思った。人から褒めら

たからって簡単に木に登ったりしない。そういう部分では自分と同じタイプの

人だと思った。そのとき聞いた「生きていたいから」という言葉。続けざまに男

友達の口からもでてきてちょっと驚いた。それを私なりに補足するなら、それ

はただ漫然と生きるのではなく、いま一瞬をヴィヴィッドに生きていたいから、

ということになるんだろう。

あるときから私は仕事でも恋愛でも日常的な人づきあいでも、自分の波動が

濁るようなことはしない、と決めてそうしてきたけれど、もし5年前よりいまが

いいとしたら、それがよかったのかもしれない、と思う。

それにはどうしたって夏目漱石いうところの非人情というのが必要で、それ

は私の場合、しばしば他人より自分に向けられる。

でもこの先もしあわせに生きていくためには、自分に非人情なところを持ち

ながら、憂鬱にならず、現実的になりすぎずに、夢を見続けることだと思う

のだけれど、それには高度な技術が必要そうだ。

それを身につけるのが大人になるっていうことなのかな。

写真は今日の私と今日の空。


─ こころは雲のようにかたちを変える ─


昔くるしかったこの歌詞も、いまではあたりまえのことと思えるよ。



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コメント

さらっと背筋を伸ばして、
飄々と生きていけたらいいなあと思っています。

投稿: elm | 2013年9月 3日 (火) 02:31

elmさん、
いいね!(^-^)

私は人からいつもあなたは淡々と飄々として・・・といわれるけれど
案外中身は熱血ポンちゃんです

私は茶目っ気たっぷりに軽妙洒脱に生きていきたいです。
空に浮かぶ雲のように。

投稿: soukichi | 2013年9月 3日 (火) 21:27

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