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2013年6月 8日 (土)

もし人生に偶然はないとしたら。

13tarte_framboise

Bunkamuraザ・ミュージアムに行くのに降りたことのない神泉から行こうと思ったのは

渋谷の駅前の喧騒を避けてのことだった。開館と同時に入る予定が家事をしていて

家を出るのが40分遅れた。神泉の駅で降りるのは初めてだったから渋谷のどこに

出たのかさっぱりわからず道に迷ってそこでも20分ほど時間をロスした。途中、同じ

ように道に迷ってるおじさんに道を聞かれて一緒に連れて入った展覧会はとても素晴

らしくて、自分ひとりだったし美術館はそれほど混んでなかったからこころゆくまで眺め

られた。出口のところまでくるとアントニオ・ロペスのフィルムを流していて、誰かといる

いつもだったらスルーしそうなところを流れている映像に惹かれて途中から空いた席

に座って眺め、フィルムが頭に巻き戻されたのでもう一回熟視した。それでじゅうぶん

満足してエントランス脇のショップでいつもは買わない図録を買って、外に出て時計を

見たら12時半だった。これなら娘がアルバイトから帰ってくる時間までには帰れる。

ひどく喉が渇いてお腹も空いていてミュージアムの前のカフェで珈琲が飲みたかった

けれどスルーして、外に出ると天気予報はすっかり外れて外は暑いくらいに晴れてい

た。いっそこのあいだのガレットリアに入って珈琲に絶品のガレットでも食べてしまお

うかと思ったけれど、それはこのつぎ家族で来るときのお楽しみにとっておくことにし

て円山町の坂を上った。irodoriya.さんに行くのも今日最初から決めていたことだった。

吉川裕子さんの展示が日曜までだったからもう一回ちょこっと見たかったのと、ギャラ

リーから神泉の駅まではたしかすぐだったと思うから、お店の人に駅までの道を教え

てもらおうと思ったのだった。2時過ぎには家に着いていたかったから、すぐに帰るつ

もりだった。でもそこであろうことか思わぬ人に会ってしまった。引っ越したきり何年も

音信不通だった友人夫婦。窓からこっちを覗いてる人がいるなと気づいたら彼らで

ぎょっとした。少なからず向こうもびっくりしているようだった。それからドアを開けての

女友達の第一声が「えー! なんでそうきちさんがここにいるの~?!」だった。女っ

てすぐこういうことをいう。「こんどのライブに行こうと思うんだ」といえば、「え、あなた

が? なんで?」とか。まるで自分だけがそれを好きなのだとでも思ってるみたいに。

久しぶりに顔をあわせるなりそんなことをいわれてすっかり不愉快になった私は返す

言葉もなく、さっさと帰ろうと奥にいた店の人に駅までの道を聞きに行った。でもそこ

に彼らと会う約束だったらしい作家さんまでやってきて入口の前の部屋で話し始めた

からますます帰れなくなってしまった。しかたなく奈良美智が描くみたいな猫の木彫り

の人形をじっと見ていたら、最初に話しかけてきたのはNだった。彼は注意深く「そう

きちさん、久しぶり」といった。もともと細くて色の白い人だったけど、久しぶりに見る

Nはがたいがよくなって日焼けして以前よりずっと健康そうだった。そういったらNは

「引っ越してからずっと薪を割ったりしてるから」というので、そうだった、新しいマイホ

ームは暖炉つきの素敵なおうちでしたっけね、と思った。私の影響でバラをはじめた

Mはその家の庭をバラで埋め尽くしているらしい。そこでNから家族の近況を聞いた。

よかったのはずっと気になっていた息子のことを聞けたことだった。いま息子は大学

で映研を作って楽しくやっているというので、私も思わずいま見てきたアントニオ・ロ

ペス展の話をして観に行くことを強くすすめた。そして、Nはこんなふうに映画や音楽

や文学の話ができる人だったと思いだした。彼の表情や話し方からはかつてのピリ

ピリしたところがなくなって、精神的にもひと山越えて、いまは穏やかに安定している

みたいだな、と思った。それとは対照的に女友達のほうは数年ぶりに会ったことで以

前より彼女の本質が際立って見えるようだった。彼女には私の友達に共通してある

ものが著しく欠けていた。カウンターには作家さんお手製のおいしそうなケーキが出

されて、店主がいまいれてきてくれた紅茶をすすめられていたのだけれど、いささか

時間をオーバーしていたし、そこにはどうやっても嘘やごまかしを見て見ぬふりして場

を取り繕わなきゃいけない、私にとってもっとも苦手な空気が漂っていたから、お茶だ

けいただいて退散することにした。ドアを開けて出ていこうとしたとき、背後から追いか

けるようにNが「そうきちさん、また!」といった。たぶんきっと社交辞令でいっただけな

のだと思うけど、またはないね、と私は思った。またとオバケは出たことないって相場

が決まってるんだもの。ただただ、あきらかに気を遣ってくれている様子の作家さんに

は申し訳ないと思いながら。

外に出たらやっと陸から水に戻された金魚みたいに心底解放された気分になった。

駅までの道をいつも以上に早足で歩いて、来た電車に乗った。電車に乗るなり文庫

本を開いて目を落とした。京王井の頭線はそれほど混んでなく車内はのどかで明る

い午後の光で満たされていて、線路脇のブルーの紫陽花がきれいだった。私は本の

頁から目をあげてそれを見るともなく眺めながら、もし今朝、予定通りに家を出ていた

らあそこで彼らに会うこともなかったと今日これまでの時間を回想した。まるで深夜の

観覧車でひとり取り残されたミュウが理由のつかない自分の行動と偶然のちょっとし

たズレで身に起きたことを後悔したように。でも、もしほんとうに人生に偶然はないと

したら今日のこのことにも意味があるのだろうか。だとしたらどんな意味が?

それからまた本に目を落として物語のなかにもぐりこんだ。アントニオ・ロペスの絵を

かなり集中して見たせいもあるかもしれないけれどむしろその後の1時間にひどく疲

れてしまった。吉祥寺に着いてから子供に電話して先にお昼を食べてくれるようにい

った。そして疲れてるのにアトレの食品街を歩きまわってまたもやチェリータルトを探

したけれどここにもなかった。けっきょくまた国分寺でケーキ屋をぐるぐるまわった。

写真はア・ラ・カンパーニュのフランボワーズのタルト。これはフィリングがプディング

みたいですごくおいしかった。タルトの芳ばしい焼き加減も好み。これでフルーツがチ

ェリーだったら完璧なのに! と思うけれど、なかなか本命のチェリータルトにたどり

つかない。でも甘いものを買って食べるのもこれくらいにしよう。もうじゅうぶんだわ。



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