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2013年4月22日 (月)

ボスの死

130416boss

いつのころからかずっと、私は意識のどこかでこの日がくるのを怖れていたのだと思う。その怖れがいったい、自分の何と繋がっているのかはわからないけれど、ただそれが自分にとって受け入れ難いものだということだけは知っていて。
ボスが死んだ。
知ったのは18日。
亡くなったのは16日というから、私が知る1日前ということになる。
知った直後にYちゃんに知らせたら、「誰から知らせがきたの?」と訊かれたけれど、どこからも知らせなんてこない。
17日の夕方、三宅島で震度5強の地震があって、周囲への影響がそれほどないことはニュースを見てすぐにわかったけれど、それでもなんだか気になってボスの自宅に電話すると、出なかった。携帯に電話しても出ない。娘にそれをいうと「ボスだって出かけることくらいあるんじゃない?」といわれたけれど、足腰が弱ってわずか20分足らずのところを歩いて行って帰って来られない、と嘆いていたボスが夕方暗くなってから家にいないとは思えなかった。夜の10時半ころ、ふたたび自宅に電話してみてボスの不在が確実になった。
もしかしたら入院してしまったんだろうか、それとも青森に帰ってるんだろうか、それにしても携帯にも出てこないしメールの返事もこないのは何故なんだろう。その日はそんなふうに思いながら寝た。

明けて翌日も、朝から何度かボスの自宅と携帯に電話をした。
昨日から微かに感じていた心配と不安が私のなかで徐々に大きくなりつつあった。
折しも昨日から息子は泊まりがけで外出していて、娘が午後から学校に行ってしまうと私は部屋のなかで1人になった。滅多にない自分だけの貴重な時間で、いつもなら一気にリラックスしてしまうところがその日はそうならなかった。外は晴れて暖かかったけれど相変わらず風が強くて、風の音と連動するように心がざわざわして落ち着かなかった。
不安がピークに達したのは遅い昼ごはんを食べはじめたときだ。
それは一気に膨張して破裂寸前の風船みたいに私を圧迫し、食事が喉を通らなくなった。不安と同時に私に押し寄せてきたのは激しい後悔の感情だった。
私はなぜもっと早くボスに連絡しなかったんだろう。去年からそのタイミングはいくらでもあったはずなのに、家でもよくボスのことを話していたのに、思いだすこともしばしばあったのに、なぜ気にしながらも連絡せずにいたんだろう、なぜなぜなぜ ・・・・・・
考えると息ができなくなりそうだった。
最初その異常なまでの不安はここ数日、自分の体調がよくないせいかと思ったけれど途中ではっきりそうじゃないとわかった。自分がこれほど気になるということは、これはもうふつうのことじゃない。
それで誰に連絡したらいいかと考えて、以前ボスの詩をずっと掲載していた島の新聞社を思いだした。ボスが公営住宅に入居するにあたり保証人になってくれたのも昔からつきあいの新聞社の人だと聞いていたから、きっとそこに電話したら何かわかるだろう。
行儀悪く片手にパンを持ったままコンピュータの前まで行って片手で検索すると、新聞社のホームページはすぐに見つかった。電話番号も載っている。
ふぅ、と息をついた。
それを見た瞬間、私の頭に閃いたのは、ここに電話するならその前に覚悟することが必要だ、ということだった。食事をちゃんとすませてしまおう、珈琲を飲んで気持ちを少し落ち着かせよう。電話には女性ではなく男性が出てきてくれますように。

覚悟を決めて電話をすると、はたして最初に電話に出た人から引き継がれて出てきたのは男の人だった。
去年、ボスから聞いていた人だ。
彼は私の話を聞くと、穏やかな声で静かに「平山さんは亡くなりました」といった。
それを聞いた途端、私はがっくり膝が折れたような気持ちになった。
ああ、やっぱりそうだったか、という思いと、ショックで。
「それはいつですか?」と聞くと、男性は「16日です」といった。
「16日? それはいつの16日ですか?」「今月のです。つまりおとといですね。昨日荼毘に付されて、今日はたぶんご遺族の方が部屋を片づけているはずです。住宅供給公社の人からそう電話がありましたから」
男性の声はどこまでも落ち着いていて、穏やかだった。

亡くなった原因を聞くと、ボスはがんだったそうだ。
がん?! 
それもまったくボスの口からは聞いたこともないことで、いままでボスの不調は筋骨系のことだけだと思っていた。でももう今年の3月には入院していて、月の後半は薬で意識がないことも多かったというから、入院したとき、すでにボスは末期がんだったんだろう。
去年の暮れ、声を聞いた瞬間に不安に感じたあのくぐもったようなおかしな声と異常な憔悴感も、末期がんだったと思えば合点がいく。
秋から暮れにかけて何度かやりとりしたときに、長く歩けなくなったから電動自転車のことを調べてくれといわれたことも、珈琲豆を手動のミルで挽くのもキツくなったから電動ミルを買おうと思う、といったことも、もう早苗に短い手紙を書くことすら疲れてできないんだといったことも、ぜんぶぜんぶ合点がいく。あのときボスはすでにどれだけ辛かったんだろうか。でもいったい、いつからボスは ・・・・・・。

私が無言でそんなことを考えていたら、「平山さんは幾つだったんでしょうか」と初めてその男性が私に聞いた。
「長いつきあいなのに、実は私も昔からボスの実年齢は知らないんです。ボスに聞くと、オレはもう200年も生きてるからな、とかいって、じゃあ化けものだな! なんてよく言い合いました」
私がそういうと、彼は何やらパラパラと紙を繰るような音を立てて、「ああ、ありました」といった。どうやら公営住宅の書類を見つけたらしかった。
「生年月日は昭和11年の7月22日とあるから ・・・・」
「77歳か」と私が近くにあった電卓を叩きながら呟いた。
ボスとは長年のつきあいなのに、そのときはじめて実年齢を知ったのだった。
とすると、はじめて会ったときすでにボスは白髪ざんばらで年齢不詳の人だったけど、あのときはまだ50だったのか。それにいつまでも昔のタフで元気な印象のままでいたけど、82歳の自分の父とくらべてもたった5歳しか違わなかったとは。
すごい驚きだった。
それからその男性は、平山さんはこの春、青森に行こうとしていたのだけれど、弟さんと喧嘩して結局は行けなくなってしまったようだと教えてくれた。
親しい間柄ではすごく短気で、ちょっとしたことで感情的になりやすい、実にボスらしい話ではあったけれど、いまとなってはなんだかそれもとてもかわいそうで切なかった。

彼の知っていることはそれほど多くなく、おおかたのことを聞いてしまったらもうそれ以上話すこともなかったけれど、電話を切ってしまったらもうこの人とは終わりだという気持ちから、私は必要以上に電話を引きのばした。
ボスに関して一言でも私の知らない手がかりを引き出したくて。
それでも話していたのは、そう長い時間ではなかった。

その男性にお礼をいって電話を切ったら、次に激しく気になったのは(私の物書き根性とでもいうべきか)ボスの原稿のことだった。もう何年か前に話したとき、ボスはもう一冊、詩集を出そうと思うんだ、といっていた。それについて私が突っ込んで聞くと、もう何度めかの推敲も終わって、ほぼ原稿もできあがっていて出版元にも話した、ということだった。
あとは金の工面だけだけど、長いつきあいの気心知れた出版社だから、それも相談してみるよ、といっていたのだ。今日、ご遺族が遺品の整理をされているということだけど、いったいあの原稿は!!

それで私は矢も盾もたまらずボスがこれまで自費出版した2冊の詩集を本棚から引っぱりだし、本の奥付に書いてあった出版社の名前を確認してインターネットで調べてすぐに電話した。新聞社のときと同じように「わたくし、かつて平山昭一さんの編集室で働いていた者ですが、そちらに平山さんをよくご存知の方がいらっしゃると思うのですが、その方にお取り次ぎいただけないでしょうか」というと、出てきた男性は「平山さん ・・・・・・。ああ、うちから本を出された方ですか? その平山さんの何がお知りになりたいんでしょうか」といった。「知りたいことがあるわけではなくて、平山さんが亡くなられたのでそれを親しかった方にお伝えしたいんです」というと、男性の後ろで物音がして、男性が何か小さい声でいうのが聞こえ、「ああ、いま詳しい者が来ましたから代わります」といって代わってくれた。
電話に出てきた女性はとても落ち着いた鷹揚で知的な感じの声で「知念でございます」といった。ホームページで見た代表取締役の方だった。
ボスが亡くなったことを私が告げると、彼女は「そうですか」といったん静かに受けてから「平山さんには大変お世話になりました」といった。
それから昔(たぶん若かったころ)、ボスに仕事を紹介してもらって出版社で働くことになったことや、七月企画編集室でばったり高校時代の旧友に再会して驚いたことなどを懐かしそうに話してくれた。
今年、いつものようにボスに年賀状を出したら返事がこなかったので、何かあったんだろうかと気になっていたという。

ひとしきり話してもう話も終わろうかというころ、「お電話さしあげたのはボスが亡くなったことをお伝えしたかっただけではなくて、ひとつお伺いしたいことがあったからなんです」と切り出した。そして私がボスから聞いた詩集のことを話すと彼女は「たしかにそういうお話はありました。でもまだ原稿はお預かりしていません」といった。
私が落胆した声を出して「ちょうど今日、ご遺族がボスの部屋を片づけてらっしゃるというのでもしその原稿が捨てられたり四散してしまうようなことがあったら困ると思ったものですから」といったら、さすがにふだん作家の原稿を扱っている方だけあってすぐに私の気持ちを察してくれたようで、「ご家族の連絡先は知ってますか」と聞かれた。
いえ、わからないんです。でも青森と東京にきょうだいがいます。それとボスと同郷で同じ弘前高校を出た親友の詩人さんがいて、その方は最後までボスと交友があったようだから、その方ならご家族の連絡先も知っているはずなんですが、なんというお名前だったか・・・ と私が答えると、彼女も、ああ、その詩人さんなら確か私も詩集をいただいたのでわかると思うんですが、ええと ・・・ としばらく考えてから、「Yさんだ!」といった。
そうそう、Yさん!
わかりました、と彼女はきっぱりした声でいうと、「これから私の携帯番号をいいますから、あなたのも教えてください」といい、私たちは互いの電話番号を登録しあった。
彼女は「何かわかったら連絡します」といってくださった。
それは大げさじゃなく闇のなかで一筋の光明を見たみたいに心強かったし、ありがたかった。なんていい人なんだろう ・・・・・・
ボスはこういうい人のもとからいつも詩集を出版していたのだ。

ふたつの電話を切ったあとは何かをやり終えた感でどっと疲労が襲ってきたけど、まだある種の興奮状態は続いていて、ボスの原稿の次に私の頭に降ってきたのは自分の原稿のことだった。わずかに書きあげた詩の原稿や書きかけの断片をまとめたたった一握りの紙の束。いまとなってはもう屑みたいなものかもしれないけれど、でもいまでも私にとっては大事なものだ。それから母が亡くなる前だったか後だったかにボスからもらって、いつかこれだけは額装してとっておこうと思った私にとっては宝物のようなボス手書きの1枚の手紙! あれはどこにしまったんだっけか ・・・・・・。
それから机の引き出しから何から必死で探したけれど、どっちもみつからなかった。
ふたたび激しい後悔と焦燥と様々な感情が襲ってくるなか呆然自失となってしまって、いまでは唯一、私の身近でボスを知るYちゃんに電話したけれど、彼女はそれほど強く感情を揺さぶられた様子はなかった。ほんとのところはわからない。でも、そうだとしてもしかたがない。彼女は私のようにずっとボスとつきあってきたわけではないのだから。

それから気を取り直して仕事の電話を1本してから、ふたたび探しはじめた。
気づくともう娘が学校から帰ってくる時間で、娘が部屋に入ってきたのは、いくら探しても見つからないので私が泣きそうになっていたときだった。比較的どうでもいいような手紙はちゃんととってあるのに肝心のあの手紙が見つからない。人の書いたものをおよそ捨てられない私だから捨てるはずはないのだけれど、そんな私が去年の暮れに大量の古い手紙をシュレッダーにかけたのだった。もしかしたらあのとき間違ってシュレッドしてしまったのかもしれない、と私がいうと、娘はいたってノンシャランな口調で、「探しものって、探してないときに思いもよらないところから出てきたりするからね」と笑顔でいった。
私と息子はセンシティブなところがとっても似ていて、2人は互いに共振する弦のようなものだからしんどいときには本当にしんどいのだけれど、この人はまったくもって別物で、ショート寸前のコンセントを易々と引っこ抜くようなところがある。
それは私にとってはとてもありがたいことだ。ありがたい子供。
それで私もいったんあきらめて夕食の準備にとりかかった。
こんな日に息子がいなかったのは息子にとってもよかったかもしれない。

夕飯の後、もう遅かったけれどこのまま家にいては息が詰まって苦しかったので娘を連れて夜の散歩に出かけた。月は炯炯と光り、夜気は冷えていた。
歩き出すと様々な思いとともに次々と思い出が去来して話は尽きなかった。グレン・グールドは名前のイニシャルどおり、GG(ゴールドベルク変奏曲)ではじまりGGで終わった人だけど、7月生まれのボスは七月企画編集室を作り七月堂から詩集を出し77歳で亡くなったから、よっぽど7に縁があった人なんだね、どうしてその7月まで生きられなかったか、と私がいったら、娘は「いっそのこと7月7日だったらよかったのにね」といった。
喪失感は大きかったけれど、同時にボスがこの世からいなくなったことが(しかももう灰になってしまったことが)、なんだか全然、信じられなかった。
家に帰ったら「おまえ、何しけた声だしてるんだ。ボスはこのとおりまだピンピンしてるぞ!」と電話がかかってきそうだった。

家に帰るころにはもう心身ともにくたくたで眠かったけど、このままでは気が済まなかったからしつこく探しものをはじめたら、息子がいつになく晴れ晴れとした顔で帰ってきた。
私の顔を見るなり何かを察したようだったから、私は今日一日をショートカットして話した。当然のことながら息子もショックを受けていた。
そしてふと弾かれたように「今日はもうこれで最後」と思って駄目もとで見た押し入れの中から、娘がいったように思いがけなく私の紙束もボスの手紙も出てきた。
ものすごくホッとして「これで今日は眠れる」と思ったけれど、人間ておかしなもので、ものすごくショックだったり悲しかったりすると涙って全然でてこないもので、そのときになって漸く涙があふれてきて、その日はじめて泣いた。
ボスの手紙の書き文字はいつになく丁寧で美しく、本当に気心を許したものだけに書かれた文体で、それは詩のようでもありラブレターのようでもあって、もらったときにも『これは宝もの』と思ったことは違いないけど、当時はもっと作品のように突き放して見ていたのが、いま読み返すと自分が思っていた以上に自分が愛されていたことがわかって、泣けた。
私は数少ない自分の理解者、支援者、精神的な後ろ盾、屈託なく話せる友人をひとり失くしてしまったのだ。

それが18日に起こったことのほとんど全てで、以来4日経つけれど私は自分の気持ちを整理できないままでいる。
家族で温かい食卓を囲んで夕飯を口にはこぶとき、一日の終わりに温かい湯船に浸かってほっと溜息を漏らすとき、きまってボスのことが頭に浮かんで、いったいボスには最近そんなときがあったのだろうかと思って、また昔のようにパニックになりそうでこわくなる。
でも一方で、まだ肝心な何かが終わってない気がして、ボスまだ終わってない、まだ終わらせない、いまはこんなへなちょこの私だってやるときはやるから、というような思いがある。まだ何か、自分にやれることがあるような気がしている。

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日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

soukichiさんがどんなお仕事をされているのか
かなり気になっていたんだけど、なんか聞き出せないままで
いました。
ブログを読みながら、ボスって方とお仕事をしていたんだろうかって
思っていましたが。

数年前、私も子供の頃からとてもかわいがってもらっていた
おばさんが亡くなりました。
母が若い時にその方のお店で働いていて、母はそこからのお付き合いで
年に何回かは実家に泊まりに来ていて、私の子供が生まれる時も
運動会も、ゴールデンウィークに一緒にでかけたことも料理が上手で
いつもおいしい料理を作ってくれて、身内以上のお付き合いでした。

おばさんは、孤独死っていうんだろうか、誰にも看取られずに
小さなアパートで亡くなっていました。
あちこちで歩く人だったので、普段なら電話に出ないことも
気にも留めない母が、なんだか気になると言って警察に
電話して亡くなっていることがわかりました。

soukichiさんのブログを読んでこのおばさんのことを
思い出しました。
何か出来ることがあるというsoukichiさんの言葉が
とても力強く感じました。
大きな使命を残してくださったんでしょうか。

ご冥福をお祈りします。

投稿: ノブタ | 2013年4月23日 (火) 07:00

soukichiさんの予感の鋭さに比べたら
足元にもおよびませんが
今日はどうしてもこのページを
訪れなくてはならない「予感」がしました。

ご冥福をお祈りします。

これ以上
あたしに言えることは何もないけど
読ませていただきました、の
足跡として残させていただきます。

投稿: あたしベイベー | 2013年4月23日 (火) 13:31

ノブタさん、こんばんは!

あれ、そうなの?
聞けばいいのに(^-^)
でもいつか表参道で会ったとき、ちょこっと話した気もするけどなあ・・・
でもボスの編集室で働いていたのは結婚する前の昔のことです。
いまはお医者さんの友人と働いています。

よく虫の知らせというけれど、人間の勘とか直感、シックスセンスってすごいですね。
私も電話をする前に、あ、これはもうだめだ・・・ってわかりましたから。
ボスも孤独死だったみたいです。
1人暮らしだと必然的にそうなってしまうのだろうけど。

それで私はとても感覚的な人間で、ボスが具体的に何か私に使命を残したというわけではないんです。
ただ何かがまだ終わってない気がするの。
そしてそれを理解して遂行しようと思うのは私くらいなんじゃないかと思うんです。
とても漠然とですけど。

そしてノブタさん、こんな記事にメッセージ書いてくれて本当にありがとう。
書きにくかったと思うのだけれど、そうやって何かを伝えてくれるのがとてもありがたいし、そういうのが人間関係にとても大切なんじゃないかと思います。
感謝。

投稿: soukichi | 2013年4月26日 (金) 00:01

あたしベイベーさん、ありがとう。
私も毎日見てるわけじゃないのに、ときどきふっと気になってベイベーさんのブログ見ると、きまって「おおっ!」と思うことが書いてあるから、ベイベーさんと私もどこか呼び合うものがあるのかもね。

私もボスが亡くなったのを知った日にはいちおうご冥福はお祈りしたのだけれど、でも私はまだやっぱり冥福を祈るのはやめました。
49日まではまだ魂はあの世に行ってないそうですから、そのあいだにもし何か現世でやり残して心残りなことがあるなら、どんな手使ってでも知らせてくれ! と毎日ボスにいってます。

どんなに煩わしくても面倒かけられても
人間、生きてるうちが花ですね。

投稿: soukichi | 2013年4月26日 (金) 00:13

たしかに。
49日って大事な期間ですよね。

メッセージ届くかもしれないですね。
コーヒーとか飲んでる時間に。

投稿: あたしベイベー | 2013年4月26日 (金) 15:50

そうそう、いつだったかいい製品があると教えて下さいましたね。
そこで、ネットショップをやっているんだろうか、HPを
触っておられるんだろうかとか想像していて、そんなことが聞けずにいました(笑)

投稿: ノブタ | 2013年4月26日 (金) 20:30

ベイベーさん、
うん、実はきました。
本人からではなかったけれど、弟さんから電話がきました。
兄の携帯電話に最後まで着信と心配しているメールがあったから、と。
それでボスが死に至るまでの大まかな経緯を聞くことができました。
またそれについては気持ちの整理ができたら何かしら書こうと思ってますけれども。
なんだかいまは次々にやらなきゃならないことがあって、頭もビジーで、落ち着いて文章を書いてる時間がないんです。
ひとつひとつ片づけてる感じ。
先週以来、一気に白髪が増えた!

投稿: soukichi | 2013年4月27日 (土) 23:26

ノブタさん、
去年の秋にやっと会社のオンラインショップができました。
それでいまは整備も完全に終わって、一度ここでもご案内させていただこうと思いつつ、なんだかタイミングを逸しています。
機会を見つけて披露しますので、よかったらそのときは覗いてみてくださいね♪
私はWEBのことはできないのでそれはWEB制作会社にやってもらってますけど、私はHPに載っているテキストやキャッチのほとんどを書いてます。

投稿: soukichi | 2013年4月27日 (土) 23:33

私も昔、七月企画で働いていた者です。
昨日、ボスの死を知り(弟さんからのはがきが実家に届いていましたが、母が私の住んでいるオーストラリアに2ヶ月滞在していたためにこんなに遅くなりました)、
弘前の社長さんにお電話をしてもいいかどうか、その前になんらかの情報が知りたくて、早苗さんのこのページにたどり着きました。
ブログを読みながら、私も自分の気持ちを抑えきれず、大泣きしました。
自分の気持ちとあまりにも同じように感じていらっしゃったので、驚きました。
私もいつかくるこの日をずっと恐れていたのに、連絡を怠っていたことを
とても後悔しています。

投稿: れいこ | 2013年7月 6日 (土) 19:04

れいこさん、
おはようございます。
昨日はここにメッセージを残してくださってありがとう。
弟さんからの葉書きを見て、きっとびっくりされたことでしょうね。
日本に帰って来たばかりで・・・

私としてはれいこさんのコメント通知を見て「やっときたか」という感じでした。
私は自分のためにこの日あったことを感情が生なうちにできるだけリアルに書いておく必要があったのだけれど、それと同時に、ボスと関係のあった人にもどうにかして伝えたかったし、またそういう人から何がしかのコンタクトがあることを望んでいました。
私が伝えたかった、話したかっためいこさんやしんごさんにしても、私にはもう伝える術がないから。

れいこさんとは七月企画で一度くらいお会いしたことなかったかなあ?
ボスの事務所に最後までいたのが誰だったか、いまとなってはもう記憶が定かじゃないのだけれど、れいこさんのことはよくボスから聞いてました。
私がいくらいってもPCをインターネットにつながないボスに、れいこさんが私がここでボスについて書いた記事をプリントアウトして送ってくれたという話も。
もしよかったら、このページの右下から私に直接メールいただけないでしょうか?
できることなら直接会って話したいです。
れいこさんが私の頭の中にあるれいこさんなら、私たちはそう離れたところにはいないと思うから。
できればボスの弟さんにお電話される前に。
お願いします。


投稿: soukichi | 2013年7月 7日 (日) 08:14

お返事ありがとうございます。
私はブログにコメントを書いたことが人生で初めてのため、このページの右下から直接メールを送るというのが出来ず(どこから入っていいのかが分かりませんでした!)、またこちらから失礼します。
私も実は直接やり取りが出来たらと思っていたのですが・・・。右下と思われる’’メール送信’’というのをクリックしても、Outlookの設定から抜け出せませんでした。

私も早苗さんのお名前はよくボスから聞いていましたよ。
私は大学時代に1年間、その後一度就職してからまた七月企画に舞い戻って3年半くらい働いていました。私が辞めてまもなく、ボスが七月企画をたたむことになったと記憶していますが、なぜか15年くらい前の話でなんだかはっきりしません。

弘前のボスの弟さんの家や、八丈島の家、かっちゃんママの家、ボスの新宿三丁目の家など、どこにでも一緒に行き、ボスからの手紙もいっぱいもらいました。
オーストラリアにも一度フリージアの球根を送ってくれたのですが、税関が厳しいため、私の手には渡ることなく没収されました。日本語の本が手に入りにくいだろうと、小説や詩集などもまめに送ってもらっていました。
ただ、私に子供が産まれ、この3年間はバタバタと忙しく、最後にメールでやり取りをしたのが2年前になります。

前回の書き込みではうまく伝わりませんでしたが、母が日本に帰り、弟さんからのはがきをスカイプで読み上げてもらい私はボスのことを知りました。
そして今、住所と名前を頼りに電話番号を調べ、弟さんにお電話をしようかと思ったときに、念のためこちらを開きましたらお返事が来ていた!という状況です。
それなので、直接お会いすることは距離的に難しいです。

社長さんにもお世話になったので、お電話をしたいと思ったのですが、「できればボスの弟さんにお電話される前に。」と書かれてあったので、電話を控えています。

このコメントの上に’’メールアドレス:(任意)’’と書かれてあるところに記載しましたが、それを早苗さんがみることはできないシステムなのでしょうか?


投稿: れいこ | 2013年7月 7日 (日) 10:16

れいこさん、ありがとう!
諸々、了解です。
メールアドレスわかりました。
私もスカイプユーザーだから、スカイプでお話しできそうですね。
今日中に一度メールさしあげます。
そしてお互いの都合のいいときにお話ししましょう。
れいこさんがメッセージくださってほんとによかった!


投稿: soukichi | 2013年7月 7日 (日) 11:00

今日、昔働いていた住所を思い出さねばならず、ネットで情報を探していました。ボスはまだ、島で暮らしているのだろうか?と思いつつ、すでにこの世にはいないかもしれないと、思っていたとき、7月堂発刊のボスの最後の詩集を発見して、”あ、3年前に他界してたんだ”と。。。
かれこれ40年前に、7月企画で2年ほど働き、私も八丈島に何度も連れて行ってもらい、その後フリーランスになり。。。八丈島に恋をし、移住し、10年暮らし。たまたま、この2年ほどはアメリカに居るのですが、ゆくゆくは島に帰ろうかなと思うことが良くあります。そんな時に、ボスの最後のことを書かれたこちらのHPを拝見し、お礼を言いたくて、メールしました。3年過ぎていますが、ありがとうございます。おけい。

投稿: おけい | 2016年7月 9日 (土) 18:04

おけいさん、

昨日はびっくりしました。
いまになってもこういうことがあるなんて。
インターネットはパワフルですね。
でも3年前にわたしがネットを探したときには何も手がかりがなかった。
だからこれを書いた、というのもあるんですが、下手な文章でも書いといてよかった。
昨日もそう思いました。

あらためて昨日は、いま読み返すとひどい、おまけに長い文章を読んでくださって、
そしてメッセージを残してくださってありがとうございました。
おけいさんのことは、昔ボスから聞いたことがあるような気がします。
でも、おけいさんもご存知のように、七月企画をやっている間は常にボスのまわりにはたくさんの女の人がいて、みんな名前で呼ばれていたから、もうどなたがどなたか判別つかないんですけど・・・(^-^;

どんなに強い感情も、月日によって浸食されて薄れてしまう。
ボスについても書きたいことがいっぱいあったはずなのに、書かないまま時間だけが過ぎていました。
また自分の個人的な記憶を文章にすること自体、意味があるのかと気持ちが萎えることも多々あって。
折しも今月はボスが生まれた7月だから、なおさら昨日は「おいおい、早々に忘れてくれるなよ」といわれたような気がしました。
わたしはわたしで、詩人のYさんからいただいたボスの遺影となった写真を複製して、わたしが知り合った女性2人に渡そうと思っていたところでもあったのでした。

もしおけいさんがボスの最期となった詩集をご入り用であれば、弟さんのところにまだあると思うので、ご連絡されてはどうでしょう。
右のバーにある『メール送信』からわたしにメールいただければ、ご連絡先をお教えします。
必要なければ忘れてくださいませ。
ただ写真は、ボスが40代から50代ころの写真で、見たら思わず笑ってしまうような、懐かしさを感じる写真だと思います。
ほんとうに月日が過ぎ去るのは早いですね。

投稿: soukichi | 2016年7月10日 (日) 12:35

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