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2012年11月20日 (火)

父、退院

12neko_nyan

駅から病院まで、私の足で歩いたら15分もかからないところを、父と歩いていると果

てしなく遠く感じる。とくに重い荷物を持って歩いてたりするとなおさら。

でも今日は真冬日だった昨日とは打って変わって晴天になり、とても暖かい。

いままで父の入退院のときはかならずといっていいほど悪天候だったから、それが何

よりありがたかった。昨日、病院の窓から寒そうな外を眺めて今日はすっかり真冬の

重装備をするつもりだった父の顔も、外を歩きはじめたらほころんだ。

そして、天気よりも何よりも、もっとありがたいのは1月のときとは違って父がとても元

気なことだ。今回は入院中もそれほど泣きごとや愚痴をいわなかったし、オペが終わ

った直後から、今回は自分の家に帰ってなんでもできそうだといっていたし、暖かくな

ったらバスを乗りついで都内をバスツアーして回るんだといっていた。今日は今日で、

明日からもう近所に散歩に行くという。実際のところはどうあれ、そんな気力があるっ

てことはいいことだと思う。

病院のある駅から家の最寄り駅へは急行に乗るとあっという間に着いてしまう。

駅のホームで時計を見ると、お昼を食べるにはまだ少し早いけど、でも実家に行って

も何もないから、駅前のお蕎麦屋さんにでも入ってお昼を食べていこうといってみるけ

れど案の定、父は「お父さんはまだお腹空かないから、あなただけ食べてきなさい」と

いう。しかたなく電車の踏切りのところで父を待たせて、すぐ近くでお寿司を買って実

家に行く。この人はお寿司ならお腹が空いてなくても食べるという人なのだ。

12時きっかりにお昼を食べ始めて、「ごはんを食べながらなんだけど、夕飯は何が食

べたいとか、ある?」と聞いたら、父はもうこの時間にお昼を食べたら今日はもう何も

いらない、という。自分はもう年だから一日二食でいい、というのが父の口癖だけど、

お腹減らしの私は、でもこの時間に食べてそれはないでしょう、と思う。

狭いキッチンの前には段ボールに入った野菜が置かれていて、ああ、これを使ってっ

てことなのね、と思った。一服してから、もはや勝手知らない実家のキッチンに何があ

るかをチェックして、持参したエコバックを肩にスーパーに買い物に行った。

実家の界隈で夕飯の買い物をするなんていったい何十年ぶりだろう。

私が見ないあいだにこの町もすっかり変わった。

それでも久しぶりに近所を歩く懐かしさに、そうだ、子どものころ休日の朝によくパンを

買いにやらされたあのちょっと高級なパン屋さんはいまでもあるかな、思ってちょっと

行ってみたけれど、もうとうになくなったみたいだった。小学生のころ『アタリヤ』と呼ん

で学校帰りによく行った駄菓子屋ももうとっくにないし、さんざんお世話になった小児

科の先生も高齢でリタイアしてしまったらしい。もうとくに私が見て懐かしいものはなさ

そうだった。路地裏で日向ぼっこしている貫禄じゅうぶんな猫にであったくらいだ。

スーパー・マルエツはこの辺にはなかった大型スーパーで、まだできて新しい。

私がいつも買い物に行っているスーパーとは品揃えが違って新鮮だったから、ここで

もウロウロしてしまった。切り花コーナーにはお仏壇用でも比較的悪くない花束があっ

て、買おうかと思ったけれど父の散歩の目的をとったら悪いのでやめた。

実家のキッチンはとても狭く、どこに何があるかもわからず、調理器具は母の代から

使っている古いものばかりで、何もかも勝手が違って苦労した。とくに包丁がぜんぜん

切れなくて、自分の手を切らないように注意しなけりゃならなかったし、熱湯をかけて

油抜きした油揚げを切ろうとしたらスパッと切れずに豆腐がぐしゃぐしゃになって出て

きたのには驚いた。それを見たら(仕事で忙しいからしかたないけど)、いかに妹がふ

だん料理をしていないかがよくわかった。

けっきょく、大根と油揚げの味噌汁、肉じゃが、ゴマのいっぱいかかった金平ごぼう、

ほうれん草のゴマ和え、という『基本のき』みたいな地味な夕飯を作って帰って来た。

それだけ作るのが精いっぱいだった。実家の炊飯器はガス釜で、勝手がわからない

のでいつも飯炊き担当の父がお米をといでセットした。父は久しぶりに水を触ったら

しく、「やっぱり病院とは違うね。病院はどこで水を使っても温かかったけど、ずいぶ

ん水が冷たくなった」といった。私は料理の途中でガス湯沸かし器が点かなくなってし

まったからほとんど水で洗いものをしたけど、自分の家の水道と違ってぜんぜん平気

だった。やっぱり都内と都下では水の温度もこれだけ違うんだと思ったのに、やっぱ

り父は体力が衰えていて、からだが冷えているんだろうなと思った。

7時過ぎに自宅に帰って、なんだかすっかり疲れて自分の家のご飯を作る気がしなか

ったから、息子が出かけてていないのをいいことに近所のカレー屋に夕飯を食べに行

った。店の外ではシェフがチラシを配っていて、相変わらず店内には1人も客がいなか

った。ここにはつい先日も来たけれど、このあいだと同じように昭和歌謡のインド語バ

ージョンのような変な音楽がかかっていた。

食後に、もう何度か行っているので顔見知りのオーナーがやってきて、また「だいじょ

うぶ? 辛くなかった?」と聞いた。私はまた「ぜんぜん辛くない。だいじょうぶ」と答え

た。今日は疲れたからここでカレーを食べたらさっさと帰って家でのんびりしようと思

っていたのに、そんなカレーの話から始まって今後の店の構想を延々と熱く語られて

しまった。私が内心この店の行く末を心配していたのがバレたのかもしれない。

コトリさんからインド人だと聞いていた彼らはなんと、インド人ではなくてほんとはネパ

ール人だった。オーナーとシェフはともかく、若い女の子は典型的なインド美人だと思

っていたのに。それでチベット・モモやチベット焼きそばメニューにあったのか。

レジでお金を払うときに「いまかかっているのはどこのポップス?」と聞いたら「インド」

という答えが返ってきた。「でも、あなたたちはネパール人だからインド人みたいに踊

ったりしないのね?」と聞いたら、「踊らない。ネパール人、日本人とほとんど同じ」とい

うから「でも日本人は踊るよ、盆踊りのときとか」と身ぶりをつけながらいったら、ネパ

ール人もお祭りのときは踊るのだそうだ。私は彼を面白いネパール人だと思ったけれ

ど、彼もまた私のことを面白い(変な?)日本人だと思ったに違いない。

家に帰ってしばらくしたら、妹からご馳走さまメールがきた。

あんな地味なご飯でも喜んでもらえたらしい。

父の体力が完全に戻るまでは、しばらくはときどき夕飯を作りに行くようだろうな、と思

う。ともあれ、今日無事に父、退院。

神さまに感謝。

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