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2012年9月 7日 (金)

十六行と六十行

12hagi

白露  1


雨ははげしいが

こおろぎと鈴虫は正確な間隔で鳴く

やがて雨の音が遠のくと

かれらの声は闇を深める

ふたたび雨繁くやがて轟々ととどろき

恐ろしい水のわめきが

小さな家をかこむ

まもなく最も急に雨上がり

虫たちの声

いっそうに澄んで四畳半を満たし

悠然と正確な間隔

軒の滴り

青いタバコの煙り

ランプを消す手

音の絶え間の

白露  2


空はくもっていたが庭のふようが三十も咲いて

朝のあいさつはさわやかで子どもたちはきげんよく学校へ行った

わたくしはこうもり傘をたずさえバスで駅へ向かった

通勤電車は冷房がしてあって吊革をにぎりながら碁の本を読む

出馬表に赤鉛筆でしるしをつけている老人や中年男たちも

わたくしと同じようにゲームの快感を予想しているわるい目つきで

彼らはサンダルを突っかけ半そでシャツのボタンを外してやくざっぽいが

わたくしだってかろうじて自制しているにすぎない

習慣と見えとで武装していまいましいネクタイで首を絞め上げている

会社に着くとわたくしはまじめになり冗談をいい咳ばらいをし

電話で答えたり委員会で沈黙したり表を作ったり

かどの喫茶店でコーヒーをすすったりメモをつけたり

ひとの心理をいぶかしく思ったり計算したり怒りを感じたりする

怒りは回転する独楽でおのれに目がくらみ

かすかに中心の意識はあるがまもなく倒れることを予期し

声を限りに叫ぼうとするがしかしかぼそく唸るだけで

最後にひと揺れふた揺れしてけっきょくぶざまなものすなわち形が残る

だからわたくしはヤバい思いで平静をよそおい眉をひそめているのだ

昼の食堂でもう晴れてきた遠くの高層ビルのうえの空に庭のふようがしだいにくれな

いの色を深めて大きく開くさまを思いえがく

会釈したり片手を揺らして歩いたりエレベーターを待ったり

ちかちかする電光灯の階段をかけのぼったり洗面所で自分の顔を見たりする

外へ出ると強い日光でわたくしは声を出して「これはすげえ」と呟き

本屋に寄って雑誌「終末から」をぱらぱらめくったのだ腕時計をのぞいて次の会合の

ために赤信号に舌打ちしたのだ

夕方事務室にくばられた新聞で平均寿命のびるという記事を読み

あとおれは何年生きると考えいくつかのドラマを不感無覚でイメージしたのだ

ときどきわたくしの耳に時間のおそろしいとどろきが聞こえてきて

目のまえの会社の内部が急速に遠ざかり気づくとわたくしはデスクに座っている

そんな経験を何十回していまだにわたくしは労働して倦まない

むかしギリシャ神話にこったのはきっと時間がおそろしかったのだな

ヘーリオスとかデーメーテールとかアテーネーとか金銀のよろい

岩をくだく力や牡牛たちの目は魅惑だったし海はシャンパンのようだった

わたくしは戦争の夏を肉体を動かして過ごしたのだった汗とスコップと土はこびの日

ざかりと食欲と暗号解読と熟睡だったいまはいまいましいネクタイの絹だ

もう遅いのに帰りの電車は満員でことしの秋はなかなか来ないで若者の議論だ

トピックスはマンガとゴルフと賞金といんちき進歩派のインフレ論と

近づきつつある奇禍と破壊される森や都市への陳腐なのろいだ

夜のバスにこうもり傘をつかんで外を見るとボーリング場があって

そのおおきなガラス窓に食事をする人たちの黒い影がフォークを操っていた

本通りから小さな道に曲がって郊外の坂をのぼるバスは大きなエンジンをふかして

だるそうにあえぎ運転手のひたいは光っていた

わたくしは切り通しをぬけつつ夏草が寂しくなりかかっているのを見た

むこうから影がやってきてとき折り立ち止まったのが怪しかった

近づくと彼は犬を散歩させているのだったことしはいつまでも暑かったが

やがて夜の道になつかしくよくとおる人声がきこえるようになろう

たどり着いたわが家でわたくしはシャワーを浴びへちまに石鹸をぬった

いま来た狭い路の両側には小さい家々が小さな灯をともしていて

小びんのビールを飲んだり喜びの小さなささやきを交わしたりしていよう

わたくしは半ズボンをはいて読み残しの朝刊をひろげると過激派学生の記事だ

うじ虫に鉄杭を! 裏切りのプチブルを殺せ! くたばれ卑怯な豚やろう!

わたくしはむかし罵詈雑言をたくさん収集しようさらに植物 虫 機械 魚 気象 

人体器官 鳥 料理 つまり

物たちの呼び名 けいとう なめくじ ジグ中ぐり盤 皮はぎ

フェーン 僧帽弁 あおばずく うさぎの白ぶどう酒煮 などの実在を

しっかり記憶しようと思ったことがあったがすっかり疲れはてて

ごろ寝してカラーテレビで文楽を見て人形の女の目の大きさにうっとりする

二匹の猫を眺めたり撫でたりして午前一時だあしたがあるから

眠らなければならん夢をみるのはいやだなと雨戸を繰ると庭先がぼうっと明るく

けさのふようの花のいくつかが落ちたくさんのつぼみの緑があった


 ( 思潮社刊 現代詩文庫『北村太郎詩集』未刊詩篇より『十六行と六十行』 )

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いったいこんな長い詩を引用したところで誰が最後まで読むだろう、そんな酔狂な人

は自分くらいじゃないかと思いながら延々キーボードを叩き続けた。

でも白露といって私の頭にすぐに思い浮かぶのは毎年、この詩だ。

北村太郎は定年間近までの25年間を朝日新聞に勤めていた人だから、これを読む

と勤め人の日常が手にとるようにわかるし、また1970年代のいまごろの時期もやっ

ぱりいまと同じように「これはすげえ」と呟いてしまうほど暑かったのだとわかる。

北村太郎はこの詩を書いた当時はまだ人生を狂わす恋にも出会ってなければ、筆一

本で生きる決意もしていなかった。ここには社会の一員である勤め人と、安寧な家庭

生活をいとなむ家庭人として日常のなかに、ささやかなしあわせと同時に倦怠を抱い

ているカメレオンのような詩人の顔が垣間見える。この詩を未刊としたのはとくに後半

が饒舌過ぎて意図するところの焦点がぼやけたことにあるのだろうか。

今日、白露。

そして明日は母が生きていれば80歳の日だ。

母は67で亡くなってまだおばあさんという感じではなかったから、80になった母はど

んな感じだろうと想像してみるけれど、うまく想像できない。

今年のまだ寒かったころ、父の通院に付き添った帰りに西新宿の街を歩きながら父

が、もし、いまお母さんが生きていたら収入がなくなったお父さんにやいのやいのとい

ってうるさかっただろうなあ、というようなことをいうから、心底呆れて、80過ぎていま

でも仕事がないことを気にしているのは父のほうで(というか父だけで)、母はそんな

ことでうるさくいう人じゃないでしょう、とたしなめた。でもそれを妹に話すと、どうかな

いまの父と毎日ひとつ屋根の下にいたらやっぱりいろいろなことでうるさくいって大変

だったんじゃないかなあ、というから、やれやれ、みんな亡くなった後まで母のことを

そんな風に思っているんだ、と悲しい気持ちになったのだった。

晩年、母は病気をしたこともあって年々まるくなっていったように思っていたから、80

ともなればそれはもう若いころとは違うだろうと私は思うのだけれど、それもやっぱり

亡くなった者への幻想に過ぎないのだろうか。

でも収入のあるなしはともかく、いつ会っても壊れたテープレコーダーみたいに同じこ

としかいわない、食事のしかたがきたない、たかが10分のところを倍以上もかかって

やっと歩いているいまの父では、あの神経質でせっかちな母は耐えられなかっただろ

うと思う。それに一見、気が強くてからだも強そうに見えて、実は若いころに甲状腺や

肺を患ったりして本質的には強くなかった母だから、いまの世の中、とくに3.11以降

のいまを生きていくのは大変だったに違いない。母は3.11に遭わずによかった。父

のぽかんと口をあけた顔を見ながら暮らすことにならなくてよかった。もともと長生き

する気はぜんぜんなかった人なのだから。実によくできてる。

父がいかにボケたジイサンであろうと私にとってかけがえのない人であることには違

いないが、一緒にいるだけでしんどい人であることも残念ながらまた事実なのだ。

私も母同様、長生きする気はぜんぜんない。だからときどき自分の残りの人生をあと

どれくらいかと見積もってみて、もうぼやぼやしてる暇はないかもしれないと思うが、

でもその一方で、人なのか事なのかわからないけれど、○○のためにもっと生きよう

もっと生きたいと思えるなら、それってすごくしあわせなことだなと思う。

蝉は今日も朝からがんばってる。

せっかく生まれてきたんだから力のかぎり鳴け! と蝉にいう。

そしてこの詩のなかでは晩夏の花として芙蓉がうたわれているけれど、私自身は芙

蓉の花はきれいだけれどちょっとこわい。花の大きなところも苦手だ。

それにくらべて私の好きな萩の花は鳥のように軽やか。

萩は私の住んでいる町の名前でもある。

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