« 夏空 | トップページ | 桃!桃!桃!! »

2012年8月 1日 (水)

フィナーレ

Saba_2


 フィナーレ


人間のいのちは暗く痛みに満ちていて、

なにひとつ、じっとしているものはない。


「時間」の歩みだけが変ることがない。

愛は一年を短い一日に似させ、

倦みはてたこころは、何年も何年もを

たった一日にとじこめる。それでも、その歩みは

停止することを知らず、変わることなく。キアレッタは、

少女だったが、いまは若い女で、

あすは女になるだろう。こんなふうに考えていると、

胸のまんなかにどすんと、

ひびくものがある。それを考えないためには、

技をみがかねばならない。わたしのなかの、多くの

ばらばらなことどもを、ひとつの美しいものにまとめる。どれほど

ひどい病気も、よい一行の詩なら癒してくれる。ああ、幾度、

── そして、これも入れて ── もう、だれも知らない、解らなく

なった、詩の一行のために、恥と障りにめげることなく、


わたしは深い悲しみから出発して、

道の途中で着いたのが大きな歓び。


(みすず書房刊 須賀敦子訳『ウンベルト・サバ詩集』より『フィナーレ』)

****************************************************************

8月になった。

つい数日前までずっと白っぽかった空はやっと夏らしく、青空になった。

陽で温められたプールの匂い、こどもたちの遊ぶ声、逆光に輝く夏草、ノースリーブ

の腕を灼く真夏の太陽。懐かしい季節の到来。

真夏って暑いから集中することや考えることに適しているとは思わないのだけれど、

なぜなんだろうな、毎年この時期、本が読みたくなる。私は言葉がほしい。

インターネット上にあふれているような、すぐに消えるfast food ならぬfast wordみた

いな言葉じゃなくて、人の中からゆっくり生まれた言葉、紙に印刷された言葉。それも

できるだけイマジネーティブで、五感を揺さぶってくれるような様々なインプレッション

に満ちた、日常的に耳にするのとは違う美しい言葉だ。

夏が終わった後にやってくるのはいつも現実的な季節で、それは先々のことを考えた

り、計算したり、計画したりするにふさわしい季節だから、そしてそれは私にとっては

苦手な分野のことだから、いまのうちにたっぷり身内に夢を蓄えておきたいのかもし

れない。まるで冬眠前の動物が身内にたっぷり栄養を蓄えておくように。

折しも今月の第3週の数日は夏休みだそうだ。

お金も時間もたっぷりあればボラボラ島にバカンスにでも行ってしまいたいところだけ

れど、あいにく貧乏暇なしくんとしてはそうもいかない。夏はいつもよりたくさん泳ぎた

いと思ってもその時期クラブもお休みしてるし、市民プールは営業していたとしても夏

休みの親子連れで混雑していて、バタフライの練習もできなければ背泳もできない。

となれば、読書三昧っていうのもありかもしれないな、と思う。

さいわい読む本はたくさんある。

いままで敷居が高くてなかなか手を出せずにいて先日ついに買ってしまった須賀敦子

の本や、須賀敦子が翻訳したサバの詩集、それからずいぶん前にまとめて買った川

田絢音の詩集が数冊にアントニオ・タブッキ特集のユリイカ、そのほかにも読んでない

本が数冊 ・・・・・・。本を読むのに飽きたら泳ぎに行ってもいいし、泳ぐかわりにバスル

ームに行ってアロマを焚きながら半身浴したり、どこかにお茶を飲みに行ってもいい。

わずか数日のお休みなんてあっという間に過ぎてしまうだろう。

トートバッグに冷たいお茶を入れた水筒と、紙とエンピツ、本と相棒のデジタルカメラ。

それに、ときどきおいしい珈琲を1杯。おっと忘れちゃいけない、いい音楽。

それくらいで事足りる。なんて安上がりな休日。

今日、友達と話していたら、見た目には全然そんな風には見えないのに、いままでに

ないくらい精神的には落ちているという。だから疲れていても考える暇もなく働いてい

たほうがかえっていいくらいで、休みをとりたくないのだそうだ。時間ができるとつい、

よくないことをいろいろ考えてしまうから。

最近よく身近な人と、人と人をとりまく環境がいつの頃からか激しくズレてしまったこと

を話すけれど、彼女のそれも、やっぱり去年の3.11で何もかもがすっかり変わって

しまったことと関係しているのだろうか。

私は落ちたりはしていない。ハイでもローでもない。いってみれば普通。

でも谷川俊太郎にいわせれば、普通って、真綿みたいな絶望の大量と、鉛みたいな

希望の微量とが釣り合ってる状態だそうだけれども。(いい得て妙とはこのこと。)

今日、とりあげたのはウンベルト・サバの『フィナーレ』という詩。

ちなみにこの本の中にあったモノクロの写真を見ると、サバってこんな優しそうな目を

した雰囲気のいいおじさんです。トレードマークのパイプとピーコートが似合ってる。

Saba_01_2 

人生がいかに苦渋に満ちたものであるとしても、最後くらいは歓びに満ちたフィナーレ

といきたいね。

|

« 夏空 | トップページ | 桃!桃!桃!! »

日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

こちらにははじめてコメントさせていただきます、稲村です。
いつも幸福王子がお世話になってます(^^)
ウンベルト・サバ、ちっとも知らずにいたのですが、何か心に響きました。
機会があれば読んでみたいと思います☆

投稿: mitsuo inamura | 2012年8月14日 (火) 21:17

稲村さん、こんばんは!
コメントありがとうございます(^-^)
お引っ越しされたそうで、前より近くなってコトリさんでお会いする機会も増えるかもしれませんね。
新しい人生のスタートが明るいものでありますように♪
何より仲間もいるし1人じゃないし(^-^)

幸福王子は不思議な人形で、自分のインナーチャイルドを映しだす鏡のようなんです。
だから幸福王子をケアすることは自分をケアすることと一緒で、自分をないがしろにしないためにもありがたい存在なのだと思います。
なんで彼女はこんな不思議な人形を生み出せたんでしょうね?

サバは私もまだ出会ったばかりで読みこんでいないのです。
言葉も音楽も、自分の血となり肉となるまでには時間がかかる。
で、そうなるものかどうかはつきあってみないとわからない。
だから私も稲村さんと同じで、何か心に響いた、というまだ曖昧模糊とした感じです。
でももし何かが心に響いたとしたら、それは『出会った』ということですよね。
縁があればいつかどこかで手に取ることになるだろうと思います。

投稿: soukichi | 2012年8月16日 (木) 00:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 夏空 | トップページ | 桃!桃!桃!! »