« 木曜の猫 | トップページ | クスノキ »

2012年7月20日 (金)

ひまわりの病室

12himawari_01_3   

連日の猛暑から解放されて、これなら出がけに自転車でお花をうけとりに行っても汗

をかかずに帰ってこられる、と思っていたのに、家を出ようとした直前に激しい雨が

降ってきた。人生なかなか予定通りにはいかない。あるいは、なかなか予定通りにい

かないのが人生だ、ということもできる。(それはすでに自分で実証済み。)

でも、新月パワーがあるうちに医者の友人が作ったサプリメントを試してもらいたくて

雨のなか家を出る。今日は友達を介して知り合った、もうすぐ退院間近の絵描きさん

のところへお見舞い方々はじめて会いに行く日。

その人は「窓辺にヒマワリがある右のベッドです」とメールに書いていた。

慣れない京浜急行にちょっと緊張しながら乗って、私が住んでいる辺りとはまったく雰

囲気の違う長い駅前商店街を抜けるとその病院はあった。5つの棟に分かれた高度

医療もやっていそうな大きな大学病院。あんまり大きいから病院嫌いの私は一瞬ひる

んだけれど、教えてもらった棟に入ってエレベーターを上がると彼女の病室はすぐに

わかった。大きな窓のある、明るい窓際のベッド。窓辺に様々なガラスの花瓶に入っ

た黄色いヒマワリが飾られている。ワゴンのついたサイドテーブルの上にはところ狭し

と彼女の絵の道具やお気に入りのものが並べられている。文字通りそこは彼女の病

室でアトリエだった。私が病室に入ると彼女はベッドの上で身をかがめて絵を描いて

いるところだった。「こんにちは」と声をかけると彼女は「今日は雨のなか、どうもありが

とう」といった。それから「私が想像してたのとはちょっとイメージが違うわ」といった。

どう違ったのか、私の書いている文章とか電話の声から人が私についてどんな印象

を持つのかわからないから私には本当のところはわからないけれど、私も彼女に対

してなんとなく抱いていたイメージとは違っていた。電話の声だと酸素吸入器をつけて

いるせいでどうしても弱々しさばかりが感じられてしまうのだけれど、実際にお会いし

た彼女は繊細ながらももっと凜として強さを感じる方だった。それは彼女が描く子ども

のようにピュアでふんわりした絵の印象とも違って、はるかに厳しいものを感じた。

それは本当に美しいものをジャッジする目とか、自分に向けた視線にも投影されてい

るのだと思う。つまり彼女はこれまでアーティストとして生きてきたし、今も、これから

もアーティストとして生きていく、ということなのだと思う。

彼女とはたくさん話したけれど、印象的だったのは「自分のからだや顔の見た目がど

んどん変わっていってしまうのがとても怖かったし鏡を見るのもすごく嫌だったけど、

もうその段階も乗り越えた」という言葉だった。それはどれほど過酷なことだろう。

それは私が年々歳をとって若さも容色も落ちるいっぽう、と嘆くのとはまったくわけが

違うのだ。いくらこの三次元空間では人は個々の違いがわかるように便宜的に本質

(スピリット)の上に人間のかたちをした皮をかぶっているだけ、といったところでいま

私たちが生きているのがこの三次元空間である以上、たいていの人が気にし、たい

ていの人の目に触れているのはその上っ面の皮のほうなのだから。

そして、そんな状況に置かれた彼女にはどんなに体裁のいい皮をかぶっていようとも

風呂屋の番台から裸の人を見るように、人の本質がはっきり見えてしまうのではない

かと思う。これは私の勝手な想像だけど。

こんな風に文章にすると私たちがシリアスな話ばかりしていたかと思われるだろうけ

どそんなことはなくて、他愛ない楽しいお喋りもしたのです。手相を観てもらうのが好

きで、手相ってけっこう当たるので信じてる、という彼女は「わたし、右手のひらに2つ

星を持ってるの」という私の手をとってみてくれた。その手は華奢な私の手よりももっと

華奢でひんやりしていて、いったいこのか細い手からどうやってあれだけの絵やお菓

子や制作物が生まれるのかな、と思ったほどだけど、とても自然でやさしかった。

どんな人生にも光はあるし、あってほしいと思うけれど、彼女にとっての光は彼女自身

が自分がいつか治ることを信じていること。そして病床にあってさえ自分を駆り立てる

想像力が脈々と脈打っていること。それって明日への希望そのものだ。

先日、小学生の娘にバレエとダンスを習わせている友達と会ったとき、いま娘が夢中

でやっていることが将来何になるかお金(職業)になるかなんてぜんぜん関係ない、

一生のうちで夢中になれるものがひとつみつかっただけでじゅうぶんだと思う、といっ

ていたけれど、私もそう思う。

彼女に聞いたところによると、いろいろな条件がカチっと重なって人は突然、難病を

発症したりしてしまうのだけれど、逆に何かがきっかけでカチっとスイッチが入って治

ってしまうこともあるのだそうだ。たしかにアンドルー・ワイルも、私は医学的・科学的

には理論上どうやっても説明のつかない治り方で病気が治ってしまった人をたくさん

知っている、と書いている。

私もそういうことはいくらでもあるだろうと思うし、彼女の身にそれが起きることをこころ

から願ってやまない。そして、微力でもそのスイッチが入るためのなんらかの力になれ

たらいいなと思う。今日は彼女にサプリメントを渡すためだけではなくて、友人の個人

的なプロジェクトのための絵の制作依頼のためにも伺った。それについては、ちゃんと

かたちになったらまたここでもお知らせできたらと思う。

|

« 木曜の猫 | トップページ | クスノキ »

ある日のこと」カテゴリの記事

コメント

早苗さんどうもありがとう
詠ませていただいて自分のことを客観視、というか
ダイアモンドの多面体のひとつを見させていただいたような
早苗さんが見て感じて下さった私をここで見つけました
とっても不思議な感じです

そうして読んで行くと私にとって病気は
当然治るものであるとしか思っていない事や
あくまでも付属品でしかないように感じていることを知りました

今描いている絵に自分自身が癒されている
この感覚は初めての経験でもしかするとこの意識の転換や感覚こそ、
ケロリと病を治してしまえるのかも知れないなぁ、なんて思ったの

きっかけをくださってどうもありがとう
また次はもっと元気にお会いできること楽しみにしています

投稿: 山口めぐみ | 2012年7月25日 (水) 20:48

めぐみさん、
こちらこそどうもありがとう。
そうね、人から自分がどう見えてるかって自分にはなかなかわからないことだし、それを聞かされて「はぁ、なるほどね」って思えるときや全然ピンとこないときや時々すごくショックを受けることもあるけど、いずれにしても、その人から見て輝くプリズムみたいな多面体の、光が当たって見えたところだけのことなんだと思います。
際立って印象に残った部分だけ。

長くつきあってる友達でさえ、もっとわかってるつもりだったけど実は全然わかっていなかったと気づいたり、自分のことも本当は何もわかってもらえてなかったんだと思うことがよくあるこのごろです。
人間って難しいネ。

>今描いている絵に自分自身が癒されている

めぐみさんにそういっていただけるだけでこのプロジェクトの半分くらいは成功だと思えてきました。どれだけの人が共感して参加してくれるかわからないけど、少なくとも立案者はそれだけでずいぶん癒されるんじゃないかと思います。
そしてそれがめぐみさんにとってのきっかけとしてもらえるなら、私にとってもきっかけにしたいなと思います。

私ね、先日からずっといい忘れているんですけど、あのリボンはまず最初に父にあげようと思います。
私が子どものころからとっても優しい父で、天使みたいな人なんですよ。
だいぶボケた天使ですけど。

それからめぐみさん、めぐみさんにとっては付属品でしかない病気としても、私も理夏さんもやっぱりそれがとてもとても心配です。
先日お会いしていて思ったのは、めぐみさんはたぶん無意識にからだを冷やしてしまっているんじゃないかということ。
このくそ暑いときにからだを温めろとはいいにくいけど、からだを冷やさないように、からだの内側から温まるようなことをしてください。

この感じだとまた近日中にお会いできるような気がしています。
入院生活もあと少し。
外は猛烈な暑さなので心配ですが、
どうかご無事で退院されますように。

投稿: soukichi | 2012年7月27日 (金) 13:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 木曜の猫 | トップページ | クスノキ »