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2012年2月16日 (木)

ハーフ・アンド・ハーフ

12winter_sky

ねむることによって毎日死を経験しているのに

不眠症にかかるなんて

なんと非人間的な苦しみだろう

毎日死を経験しないために

ほんとうに死にたいと思うのは

ごく自然ななりゆきだが

でも

死なないでくれきみがひとつかみの骨になるなんて


よくそんな勝手なことがいえるわね

よけいなお世話よ死ぬって

眠りだけど永遠のおやすみなの

わたしの目を吊り上がらせ

わたしのまんなかに鉛を入れたのは

あなたじゃない

わたしの暖かい骨は

きっと鉛まぶしよ


鉛まぶしで

永遠にやすめるならさめた白湯だって

おいしくなるよ

永遠なんて信じてないくせに

木の葉みたいにことばをつかうな

たしかに自殺ってこのうえなく論理的な死だけど

論理なんてたたみ鰯で

すきまだらけなんだ


こんどはお説教ね

あなたはわたしが死ぬのが恐ろしいのね

しんしんと降りつづく雪って

一瞬ごとに表情が変わっている

だからあなたが

われは昔のわれならずって顔をしても

わたしちっとも驚きはしないただ

あなたのロマンチシズムってとってもいや


きらうなら好きなだけきらうがいいでも

死ぬな

きみが死んだってちっともこわくないけど

永遠を信じていない者の死に

意味をつけるのがとてもつらいのだ

ぼくは少なくとも「半分の永遠」を信じてる

死は死んだのかと冬の林に

大声で叫びたい


叫べるの

ほんとうは叫びたくないのでしょう偽善者め

あなたが取り乱すの初めて見たわ

あなたは

狡猾で残忍で冷酷よ

さんざわたしを楽しんだりして

わたしがわたしの生をどう始末しても

あなたの知ったことじゃないでしょう


光り

夕方の海に見たひとすじの光りが

雨戸をあけた朝

同じところにあった

ぼくは失神しそうになって

「半分の永遠」を信じたというわけだ

きみはぼくを理解しているらしい

「半分の死」の地点から


わたしはくたびれてるのに

からだじゅうの毛がみんな立ってるの

もう口をききたくない

ことばを覚えてよかったのは

ただ悪罵を自由にいえるからなんて

気がくるいそう

勝手に海の光りを大事になさい

わたしは一晩じゅう降る雪を見てるわ

*

死は死んだのか死なないのか

死なない死って何だろう

鳥たちゃ鳥のなかで死ぬ

猫たちゃ猫のなかで死ぬ

ひとはいつでもひとのそと

生まれるときも死ぬときも

だからいのちをたいせつに?

だから死ぬのもたいせつに?


( 北村太郎詩集『あかつき闇』から『ハーフ・アンド・ハーフ』 )

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「こないだ、夢にあなたが出てきた」といったら、「そりゃ光栄だね、ありがたいね」とR

がいった。「ありがたい? なんで?」と私がきくと、「だって、思い出してもらえたって

ことでしょ。ありがたいさ」とRはいった。それで私は、へえー、そんなふうに思うんだ、

と思ったのだった。一見すると男っぽくて豪放磊落に見えるRがそんなことをいうなん

て、意外と繊細なところがあるんだな、と思った。

以来、Rのことを考えるときはいつもそのときのことを思い出す。

もう昔のことなのに。

そんなRの家では去年、NHKの大河ドラマに出てくる若い女優が私にそっくりだと、テ

レビに出てくるたびにRと息子で騒いでたらしい。Tちゃんが話してた。私はその大河

ドラマは見てないからどんな女優かは知らないのだけれど、若い女優だなんてそれこ

そ光栄ってものだ。私の知らないところでそんなふうに自分のことを思い出してくれて

いる人たちもいたんだ、と思った暮れ。


今朝は明け方にしんどい夢を見てうっかり寝過ごした。

夢の中でも夢とわかる夢で、しんどい夢なのに私はなぜかそこにとどまろうとした。

なぜなら、もう現実ではありえないシチュエイションだったから。失われた人がごくごく

近くにいて、私は彼の手を握りたかった。でもできなかった。彼は彼で私に何かいいた

そうにしていたけれど、けっきょく何もいわなかった。いままでどおり何もいわないなら

いつまでもしんどい思いでここにこうしていてもしかたがない、と思ったら目が覚めた。

彼がせっせと私の家(一軒家)を掃除していたのは、どうやら去年見たTVドラマ『愛・

命 新宿歌舞伎町駆け込み寺』の渡辺謙からの反映らしい。つまり彼はもう二度と来

ることのない私の家を掃除していたのだった。

少し前までの私だったら、明け方にこんな夢を見た朝はキッチンで泣いたり1日ブル

ーになったりするところだけれど、もうそんなことはなかった。こんな夢は現実じゃない

とわかっているから。現実は私の夢ほどシリアスじゃないし、彼はもうとっくに昔の彼

ではないのだ。

もう星占いなんていうものにもすっかり興味がなくなってしまったけれど、昨日Kさんと

話していたら、1012年は水瓶座にとって『トンネルを抜ける年』なのだそうだ。過去

10年以上にわたって包まれていた靄の中から、ついに脱出できるときだという。

最近の自分のなかの感覚とぴったり符合する感じがあって、なんだかすっかり納得

してしまった。それ以上に彼女が自分と同じ水瓶座だったことを知って、私が彼女に

惹かれるわけがわかった、と思った。

今日ふいにこの詩を思い出したのは、昨夜がハーフムーンだったから。(月は見え

なかったけれど。)私にとっての女ことばの遣い手の名手はなんといっても太宰治

だけれど、北村太郎もなかなかだと思う。これは男と女の修羅場なんだけど、文学

的修羅場とでもいいたい甘さがあって、それが独特の色っぽさを醸し出している。

私がこの詩を初めて読んだのは15歳のとき。

そのころは、この女ことばを話してるのが田村隆一の妻、明子で、北村太郎の見てい

る海が稲村ケ崎の海だなどとは知りもしなかった。

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