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2012年1月 6日 (金)

通院日記②

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今日は朝からずっと時計を気にしながら過ごした。

今日のオペは9時からで、8時50分には病室を出なければならないから朝はちょっと

忙しいかもしれませんね、と昨日の看護師さんは言っていた。病室に戻ってくるまでに

はかなり時間があるから、面会は通常の午後からでいいですよ、医師からは言われ

たけれど、本当にそれでよかったんだろうか。とりあえず午前中に私の携帯が鳴るこ

とはなかったから、オペは無事に終わったんだと思う。

午後、病院に向かう電車の中で携帯が鳴ったけれど、それは友人からだった。

駅前の花屋で小さな花を買って病院に行くと、端までカーテンが閉められたベッドの中

で、父は少し赤い顔をして眠っていた。オペ後は数日、熱が出るかもしれないと言って

いたからそのせいかもしれないと思ったけれど、息が荒いとかいうことはなかった。

洗面所に行って持参した小さな花瓶に花を生け、『一日禁食』という札が置かれたベッ

ドのテーブルに置いてしばらくしたころ、父が薄眼を開けて目を覚ました。私はちょっと

昨日の反省もあって今日は父にはできるだけ優しくしようと思っていた。「今日は大変

だったね。だいじょうぶ? どこか痛いとこない?」と聞くと、父は掠れた声だったけれ

ど「だいじょうぶだ。どこも痛くない」としっかり答えた。それを聞いたら少しホッとした。

父に行われたオペは開腹してガンを切除するようなオペではないとはいえ、脚の付け

根の動脈からカテーテルを刺しこむのだから、局部麻酔が切れた後はやっぱりそれ

なりに痛むのではないかと思っていたから。

ただ、カテーテルを入れたときの傷から出血しないように重しをのせて動けないように

片脚が拘束されていたので、父は「身動きできないのがつらい」と言った。でも、それ

も夜までのことだから、それまでの我慢だね、と言った。それより、暑いほど暖房して

いるせいで病室内の空気が異常に乾燥していて、咽喉が渇いてしかたがないのが気

になった。父の唇はガサガサに剥け、「口の中がバサバサだ」と訴えたけれど、どうや

ら水を飲ませるのも駄目らしかった。それから、父は蚊の鳴くような細い声で今日あっ

たことを話し始めた。声がガラガラで聞きとりずらいことを抜かせば意識もしっかりし

ていたし、記憶も確かだった。なんたって大きな病院でオペを受けるのなんて初めて

なものだから父としてはいろいろショックなこともあったようだけれど、昨日あれだけ

弱音を吐いていたことにくらべたら、今日はずいぶん気丈夫なことも言っていた。

よかった。ともあれ無事にオペは終わった。いまのところ感染症や合併症の疑いもな

い。私は父に、今日のオペはガンだけを兵糧攻めにして弱らせるためのもので、肝臓

自体へのダメージは少ないことをもういちど簡単に説明して、今日は動けなくてちょっ

とつらいけど、あとは一日、また一日と良くなっていくから、と言った。父はぼんやりと

中を見ながら「そうだね」と答えた。

看護師さんが点滴を見に来たので「口の中が渇いてバサバサになってるみたいなん

ですけど」と言ったら、「うがいくらいならできますよ」と言ったのでお願いした。看護師

さんがふたたび来るまでにはちょっと時間がかかったけれど、来たのを見届けて父の

唇にリップクリームを塗り、ずれた枕を直して帰ってきた。父はふだんは思わず出た

人の介助の手を振り払うようなところのある人だけれど、この日はされるがままになっ

ていた。病の根源とか、全ての経験(病気や事故なども含めて)は良いことなのか?

ということについて私はいつも考える。この日も考えた。

病院を出ると何かがついてきちゃったみたいに左肩が重くて痛かった。

私は家から病院に行くのに大江戸線を使って3度も乗り替えて行くのに疲れて、今日

は新宿から外を歩いて行ったのだけれど、家に帰ると息子が「1日の震度4の地震で

福島原発に異変があったらしく、福島から関東一帯セシウムの降下量が急激に増え

ているようだから、明日も出かけるならマスクをして行ったほうがいいよ」と言った。

元旦早々の地震にも心底震撼としたけれど、こんどは放射能か。

この国はまだまだ不穏らしい。

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