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2012年1月 4日 (水)

アンドルー・ワイルの『癒す心、治る力』

Andrew_weil

今日は暗いうちから起きて支度して、1人で簡単な朝食をとって病院に向かった。

今朝、ついに父が入院した。

初めて行く病院は、西新宿にある大きな大学病院。

なんたって極端な医者嫌い病院嫌いで、自身はなるたけ医者には行かないようにして

いる私だから、正月早々こんなマンモス病院に行かなきゃならないなんて、やれやれ

といった気分なのだけれど、いちばん憂鬱なのは当の本人なのだろうから、そんなこ

と言ったところでしかたがない。いつものように飄々と明るい顔で出かける。

父の病棟は17階。

高層ビルに囲まれた病院は迷子になりそうなほど大きかったけれど、天気だったこと

もあってか思ったより明るい雰囲気で無機質な感じがしなかった。担当の看護師も若

くて明るい。いくつかの予備検査の順番を待つあいだ、番号のついたドアの前で父と

並んで椅子に座って、壁のレーンをガタゴト運ばれてゆくカルテを眺めた。ご多分に

漏れずこの病院も正月早々病人であふれていたけれど、患者はIDカードでシステマ

ティックに管理され、検査を受けるしても以前の病院ほど待たされない。よくできてる

と思う。検査の後はパジャマに着替えた父が『肝臓食』という札の付いた、見るからに

減塩食のお昼を意外とおいしそうに食べるのを眺めつつ、妹と暮らしてるといっても

妹の休日と朝と晩のわずかな時間をぬかせばほぼ一人で暮らしてるも同然の父は、

病院にいたほうが栄養的にはいいくらいかもしれないなと思った。

今日が仕事始めで先に帰った妹の代わりにそのあと私が担当医の話を聴くことにな

っていたのだけれど、4人いる担当医のうち上の医者が今日はいないというので、明

日また私が病院に行くことになった。あさってはオペ当日だし、術後は術後で行かな

きゃならないだろうし、予想はしていたけれどとうぶん病院通いになりそうだ。いまま

でずっと切符を使っていたアナログな私だけれど、こりゃついにSuicaか? なんて思

っている。そして今朝、私が家を出るとき持って出たのがこの本、アンドルー・ワイル

の『癒す心、治る力』だ。

アンドルー・ワイルのことはよく知らないけれど、デパートのオリジンズのコーナーで何

やらひげもじゃらの仙人みたいなおじさんの顔は見たことある、という人もいるかもし

れない。私がアンドルー・ワイルの本を初めて読んだのはかれこれ二十数年前。

『耳で聞き、こころとからだに効く薬』というサブタイトルが帯につけられた『ナチュラル

メディスン』というCDブックで、それで私はアンドルー・ワイルがとても好きになった。

聞くだけで自己治癒力が上がるといわれるCDは、欧米では実際、手術を受けながら

聞く人もいるというくらいだ。それでこの本がとても気に入った私は、友達の妹が若くし

て皮膚がんになってオペをすることになったと聞いたとき、いてもたってもいられずこの

CDブックと高塚光さんからもらった当時最先端の高価なキノコのサプリメントを持って

彼のところに行った。純粋に、少しでも役に立てればという気持ちからだったのだけれ

ど彼は案の定、嫌な顔をした。彼は典型的な『閉じたこころ』の持ち主だった。それで

その顔を見て「嫌なものを無理に置いてゆく気はさらさらないから持って帰る」という私

に、彼はいちおう預かる、といって荷物を受け取った。けっきょく、その本は私のもとへ

は返ってこなかった。本人にも渡ってないと思う。信じられないけれど失くしてしまった

のだそうだ。大事にしていた本だけにすごくがっかりした。もう過ぎたことだけれど、こ

れってとても残念なことだ。

そんな思い出があるアンドルー・ワイルの本だけれど、その本を買ったきっかけは母

のがん発病だった。誰だって自分自身や近親者がそんなシリアスな事態にでもならな

いかぎり、そうそう病気や健康のこと、食について真面目に考えようなどとは思わない

んじゃなかろうか。とくにまだ若くて、病気と無縁だったら。

今日、久しぶりに手にしたアンドルー・ワイルの本は、適当にどこを開いて読んでも面

白かった。初版は1995年だけれど、17年経ったいま読んでもちっとも古くない。むし

ろ当時すでにこういう本が出ていたにもかかわらず、相変わらず大きな病院が西洋医

学一辺倒なのは何故なんだろう。いまの日本の医療はどこまでこの本に近づいたの

か。大いに疑問だ。

アンドルー・ワイルの本は比較的厚いのが多いけれど、ではそこに書いてあることは

難解かといったらそんなことはない。ワイル博士の文章はとてもわかりやすく、ユーモ

アにあふれている。彼が頭の固い人間じゃないことはその文章をちょっと読めば誰に

でもわかると思う。たとえば私が一緒に仕事をしている友人は耳鼻咽喉科医なのでと

うぜん喫煙に対しては厳しいけれど、いつか「喫煙は、百害あって一利なし」と言うの

で私が即座に「一利はあるよ!」と言ったら、「どんな?」と聞くので「リラックスできる」

と答えた。喫煙者はストレスフルな人が多いので、したがって呼吸が浅い。それを煙

草の煙をゆっくり吸ってゆっくり吐くことで、深呼吸同様にホッと落ち着くことができる

のだと。それは経験があるから私にもわかる。もちろん、それは錯覚に過ぎないし、

からだの中ではリラックスとはまったく反対の作用が起きているわけだけれど。

そして、その喫煙と飲酒について『くすり・化粧品・その他の有害物質』というところで

アンドルー・ワイルはこんな風に書いている。

 わが国で使われている慰安薬のうち、アルコールとタバコはもっとも毒性が強いも

 のである。アルコールは肝臓と神経細胞に直接害をあたえ、上部消化管に強い刺

 激をあたえる。しかし、アルコールには気分をリラックスさせ(人間関係を円滑にし)

 心臓血管系を強化させ、HDL(善玉)コレステロールの産生を助けると言う利点もあ

 る。両面性があるのだ。したがって、健康にたいするアルコールの影響は個人の使

 用パターンによって大きく変わってくる。肝臓と胃と神経系がじょうぶな人なら、適度

 のアルコールは健康と治癒に役立つ。内臓が弱い人は、少量でも害がある。大量

 摂取は、どんな人でも健康を損なう恐れがある。

 煙草の場合はその両面性が少ない。集中を高め、リラクセーションを深めるという

 効果もあるが、ニコチンは、とくに深く吸いこんだ場合、きわめて毒性が強いもので

 ある。また、全身の動脈を収縮させて血液循環を阻害し、治癒を妨げるという欠点

 もある。さらに喫煙によるニコチン嗜癖は、多種の発がん物質をふくむ有害物質の

 長期にわたる摂取という問題をもたらす。喫煙は治癒系の主要構成システムのひと

 つである呼吸器系に負担をかけることにもなる。嗜癖にならない少数の幸運な愛煙

 家にたいしては、わたしのすぐそばでプカプカやらないかぎり、やめろというつもりは

 ない。だが、それ以外の喫煙者にはできるかぎりやめるようにすすめたい。

また別のところで、喫煙がストレス解消法になっている病人が喫煙をやめたらさらに病

気が悪化してしまった症例では、

 その患者へのわたしのアドバイスは、ストレスマネジメントの技法を身につけるまで

 はタバコをやめるなということだった。

と書いている。

これは私の友人の耳鼻咽喉科医よりはずいぶんと鷹揚な言い方だと思う。

何故この本から喫煙のことを取りあげたかといったら、すでに自身に不調があるにも

かかわらず喫煙し続ける人が多いから。そして喫煙者が自分をだまくらかすために間

違ったことを言うから。はっきり言っておくけれど、喫煙で喉の粘膜が鍛えられて強くな

るなんていうことはありえない。喫煙者は自分ががんになるかもしれないというリスク

を覚悟したうえで(気分よく、おいしく)吸えばいいと思う。こころになんらかの後ろめた

さを抱えながらしていることが一番からだに悪いから。

さらに、この本がどういう本であるかを端的に示すために『がん患者がするべきこと

というなかから最初の項目だけを引用すると、『がんは、たとえ初期で限局性のもの

でも、治癒系の衰弱の表現であり、全身病である。したがって、患者は身体的・精神

的・感情的・霊的なすべてのレベルで改善を行い、全身の健康状態と抵抗力を向上

させるようにこころがけねばならない』とある。問題は『身体的・精神的・感情的・霊的』

の部分。この本では西洋医学が得意とする『身体的』な治療だけでは治らなかった病

気がいかにして治癒の方向に向かったかを、具体例をあげて読み手にわかりやすく

書いている。そして、その具体例を読みながら、治癒に本当に必要なものが何である

のかが見えてくるようになっている。極端に縮めて言ってしまえば、病は自分の中から

生まれ、そして治る力もまた自分の中にある、ということなのだけれど。

そして、治るための方法を、精神論だけじゃなく、ありとあらゆるアプローチから具体

的に示唆してくれている。ワイル博士がこの本で最も言いたかったことは、『だから、

たとえ西洋医学から見放されてしまったとしても、治る道はまだほかにもあるんだよ』

ということなのだと思う。

最後に本の帯に書いてあるワイル博士の読者へのメッセージを引用しておこう。

私がこの本を書いたのは薬学と医学の考え方を変えるためです。医療現場で働く

人や自分の体に問題を抱えている人は、いまの治療法に限界を感じている場合が

多い。そういう人達に、世界にはまだ広く知られてはいないが、有効な治療法がある

ということを知ってもらいたかった。この本は誰にでも読める本です。自分の体や癒

しに興味がある人、知識はないけれども知りたいと思っている人はもちろん、医学や

薬学を専攻している学生さんや専門家にも読んで欲しいと考えています。』

家にいると仕事と家事を途切れ目なくやっているので読書に割ける時間はほとんど

ないけれど、しばらくのあいだは父の病院に通わなければならないから、行き帰りの

電車の中では読書ができる。とうめん私はこの手の本を読みあさることになりそうだ。

いま、病気はなってから治す時代ではなく、予防する時代。

それには賢さが必要だ。

知識ではなく、深いスピリットに到達すること。

この本は、病気になりたくない人、すでになんらかの気になる症状を抱えている人(私

も含まれる)、とくに深刻な症状を抱えている人にはぜひ一読してもらいたい本。

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コメント

去年から在宅医療の手伝いの仕事をしているんですけど
年末にまた一人の患者さんが亡くなりました。
大好きだったおばあちゃんだっただけにすごく寂しい。
去年だけでも7人の患者さんが亡くなっています。
患者さんは高齢の人が多くみんないろいろな病気を持っていて
どうやって最後を迎えるか ということなのかもしれません。
家族が看病疲れなどで入院、施設に入れたりすると
すぐにボケが始まり、最後を迎えるということになりやすいようです。
病院では家族ほど看病してくれませんし 良い看護士ばかりとは限りません。
それに病院では利益を出さなければいけません。
今の医療って そんなものかもしれません。
そんな中で私のところの先生は良くやっていると思います。
(真夜中、早朝にでも往診に駆けつけるのを何度も見ました)
数少ないまともな医者だと思います。

今年の正月に私の従兄弟会がありまして
1年ぶりで医者をやっている従兄弟のKさんに会いました。
Kさんはポツリと「30年も医者をやっているけど、何人の人を殺したか」
「みんな、治ると思ってくるんだよな」
「少しだけ寿命を延ばすことしか出来ないんだよ」
と 自分の30年の意味はなんだったんだろうというような感じで
話していました。

いつか迎える死というもの
今の医学では身体的なところしかサポートしてくれないようです。
精神的な部分という意味ではその人によって違うと思いますが 
そのために私たちは いろいろなことに感動したりしているんだと思います。
(私の場合は特に音楽ですが)
「アンドルー・ワイル」、面白そうですね。
読んでみたいと思います。

投稿: jose | 2012年1月 6日 (金) 02:44

<知識ではなく、深いスピリットに到達すること。

うん、これに尽きるよね。

投稿: ゆふり | 2012年1月 8日 (日) 16:48

Joseさん、
Joseさんのコメントを読んでいたら『風のガーデン』というドラマを思い出しました。
緒形拳の最期の出演作となったドラマ。
めずらしくビデオに録ってまで見ていたの。

生きることも難しいし死ぬことも難しいし、本当の医療とは何かということも難しいけれど、Joseさんが手伝っているお医者さんがそんなにいいお医者さんでよかった。
私の友人もアンドルー・ワイルとほぼ同じような考えのお医者さんです。
それで、こういう本を読んで面白いと思ってしまう私だから、医者嫌いにもかかわらず彼と仕事をしてるのかもしれません。

お医者さんなんて、なるまでに大変な勉強をしてやっとなれるのに、それで心身ともにものすごくハードな仕事なのに、医者を続けてJoseさんのいとこの方のようにしか思えないとしたら、なんだかとても虚しいし、可哀相な気がします。
たとえ助からなくても患者がこころからお医者さんにありがとうと言えて、それを聞いて医者もこころから癒されるような関係性を望みたいね。ぜんぶは無理でも。
それに必要なものは何か。
アンドルー・ワイル、ぜひ読んでみてください。

それから病人相手の仕事だと、常に自分自身の浄化をしてないと自分も病気にやられちゃうので気をつけて。
こころもからだも傷めないようにしてください。
お嬢さんとコンガ叩いて笑う時間を大切に

投稿: soukichi | 2012年1月 9日 (月) 00:14

ゆふりさん、
そう、ぜんぜん簡単じゃないけどね。
いつか、死ぬまでには到達したいです。

投稿: soukichi | 2012年1月 9日 (月) 00:15

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