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2012年1月29日 (日)

家族のバランス

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今日、父が帰った。

正直言ってホッとしている。

もうこれで毎朝ジャッ! と、まいど金具が外れるほど激しくカーテンを引く音で目覚め

ることもないし、父と息子の間で気を遣うこともないし、三食先まで考えて買い物に行

くこともない。何より四六時中ストーブの前でイヤホンをして、どうでもいいようなテレビ

に相槌を打っているジイサンを見なくてすむし、かと思えば仕事をしている私の部屋で

わずかばかりの自分の荷物を年じゅうガサガサやりだす父にイライラすることもない。

夜だって父に合わせて9時半に消灯することもない。

これでやっと集中して仕事ができる。好きな音楽が聴ける。珈琲がゆっくり味わえる。

息ができる ・・・・・・


父がいるあいだ、何がいちばん嫌だったかって、食事の時間。

父はもともと食べ方がきれいじゃないうえに食事のマナーもない人なのだけれど、そ

れより何より、食事のあいだもずっとテレビのことしか頭にないのだ。料理をする人な

らわかってもらえると思うけれど、プロの料理人であれ主婦であれ、温かいものを作っ

たら温かいうちに食べてほしいと思うのが心情だろう。実際、そういいながらテーブル

に並べるのだけれど、父はイヤホンをしてテレビのリモコンを持ったまま、見たいチャ

ンネル探しに夢中でなかなか席に着かない。やっと席に着いたと思ったらこんどはテ

レビに釘付けだ。

うちは4人がけのまるテーブルだから、4人が座ると円卓を囲んでみんなが向きあうか

たちになるのが、父だけテレビと向かい合うように椅子を横にして座っているので誰と

も目線が合わない。それからテレビを見たまま(つまり、行儀悪くよそ見をしながら)、

人がからだによいから、とか、父の好物だから、と考えて作ったものを何もいわずに

無機質に口に運び続けるのだ。床にぼろぼろと食べものをこぼしながら ・・・・・・ 

最悪。

その食事の時間が何よりストレスで苦痛だった。

テレビなぞ家に帰れば嫌でもひとりで見ることになるのに、せっかく食卓を囲む家族が

いるときくらい、テレビを消してみんなと会話しながら味わってごはんを食べればいい

のに。それに毎日ごはんを作る人をいったいなんだと思ってるんだ!

私が頑固おやじだったらとっくにお膳をひっくり返してるところだ。

・・・・・・ そんなことを思いながら黙々と食べて早々に食卓を引き上げる毎日。


それに、一日じゅう眠っていた数日が過ぎてちょっと元気になってきたら、雪の翌日に

人が止めるのも聞かずに出かけて行くし、その翌日も翌々日もどこに行くとも何時に

帰るともいわぬまま、出かけたまま帰ってこない。うちの息子ですら帰りの時間を聞い

たら大まかな時間をいって行くのに、父ときたら「いちいちそんなこといえるか。小学

生じゃあるまいし。お昼はいらない。お父さんのことは心配してくれなくていいから!」

だ。なんたってもともとヨタヨタ歩いてるこころもとない老人なのに、そのうえ病み上が

りときたら心配しない家族がどこにいるだろう。しかも外は厳寒の真冬なのだ。それで

お昼を用意しておけば、帰ってきて食べてみたり、減塩だというのに外でラーメンなん

か食べて帰ってきたり。人のいうことはまったく聞かないし、好き放題、勝手放題でま

るで話にならない。これまでずっと、口うるさい母に文句ばかりいわれる父に同情して

きたけれど、あの神経質な母がこういう父と暮らすのもどれだけ大変だっただろうと

あらためて思った。かなしいこともいっぱいあったろうし。これじゃ、がんにもなるよ。


父がこれほど人の気持ちがわからない人だったというのは私にはショックだったし父

には心底がっかりさせられることが多かったこの2週間だけれど、それでももちろん、

いいこともあった。

もともと今まで何をいってもうちに来ることのなかった父が家に来るとしたら、それは

それで天の意思なんだろうと思うところがあったけれど、もう80歳の老人ともなれば

こんなことでもない限り、この先こんなに長く別所帯である我々と一緒にすごすことも

なかっただろう。たぶん、もっと先にいったら、今度のことも貴重な思い出になるんだ

ろうと思う。だからこそ限られたその時間を大切にしようという気持ちがこちらにはあ

ったのだけれど、どうやらたいがいそれは私の幻想に終わったようだ。むしろそれが

もう幻想であって、これがいまの父の現実だ、というところを嫌というほど見せられる

ことになった。父がよくいう口癖として、「幼稚園じゃあるまいし、小学生じゃあるまい

し」というのがあったけれど、いったい老人とは小学生の子どもより頼りない存在だと

つくづく思う。まるで糸の切れた凧、だ。小学生の子どものほうがある部分ではもっと

ずっとしっかりしていると思う。でも、そんな風でありながら、頭は過去の経験に基づ

いた堅固なる自分の考えとやり方で凝り固まっていて、そこには臨機応変も柔軟性も

素直さもまるでない。そのガチガチの頭がいうことをきかないからだの上についてる

んだから。やっかいなものだ。うちの息子をして父は『学習しない子ども』だそうだ。

父が外出しているときに息子が私にしみじみといったことがあった。

「今回のことで病人がいかに厄介なものかってことがわかったよ」と。

すかさず、君もまさしくずっとそれだったんだよ! と言ってしまったけれど。

いわく自分の父親とは違った意味で反面教師になったそうだ。

それから、血のつながった家族とはいえども、いつも一緒に暮らしてない人間とひとつ

屋根の下で暮らすということ。その我慢や忍耐。気持ちの切り替え方を学習した。

娘は相変わらずあんまり何もいわずによく祖父をケアしていたし、たまに切れて私に

八つ当たりするというストレス解消をしつつもいちばん我慢強く祖父の話を聞いていた

のは息子だった。私がいないあいだに父は、ふつう、そういうことは祖父が孫にいう

べきことじゃないだろうというようなことまで息子にいってしまっていて、後でそれを聞

いた私は腹が立ったけれど、息子は逆にそれをいってしまう祖父の心情に思いを及

ばせたようだ。つまりいままで私がいっていたことがやっと理解できたという。


私がこの2週間でつくづく思ったのは、その家庭それぞれに家族のバランスがある、

ということだ。たいていの場合、長い時間かけて苦労して培われた家族の微妙なバラ

ンスが。それはうちにもあるし、父と妹の暮らしにもある。妹は長年の父との攻防の果

てに、もうたいがいのことはあきらめてしまったそうだ。そのほうが、自分は嫌でも父と

のあいだは平和だから。妹もほんとに大変だなあ ・・・・・・

でもそうやって、日頃なんだかんだいいながら、でこぼこしながらも、これまでなんとか

やってきたし、やっているし、この先もどうにかやっていくのだと思う。それは一緒に暮

らしている当人たちにのみわかることで、一緒に暮らしていない人間にはわからない。

だから、私に妹の代わりはやれないし、妹に私の代わりはやれないということだ。

家族はバランスがとれてやっとやすらぎが生まれる。


私の住んでいるここはエレベーターのない1階で足腰の弱った父には大変だけれど、

実家は1階なので冬はここよりとても寒いのだという。

今日は朝から北風の強い寒い日で、夕方、妹と2人で手分けして荷物を持って駅まで

歩くあいだに父の顔を見たらまるで雪中行軍でもしている兵隊みたいに凄い顔をして

いて、妹が迎えに来るといった日より1週間延ばしたもののこんな日に帰すのは罪悪

感を覚えるほどだったけれど、家に帰ったとたんに表情が和らいだ父を見たら何がど

うあれ、やっぱり自分の居場所にいるのがいちばん落ち着くのだろうと思った。

父がうちにいるあいだはいつも私が座る席に父が座っていたので私は自分の居場所

がなくてぜんぜん落ち着かなかったけれど、これで私の居場所も戻ってきた。

8時過ぎに家に帰って食事の支度をして夕飯をすませたら、考えるところが多すぎて

頭が錯綜するのとすっかり気が抜けて疲れたのとで、深夜まで何をするともなくボー

っとしてしまった。

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コメント

お疲れ様でした。

家族のバランスは構成員のあり方によっても変わってきますよね。
新しい生活の仕方をみなで作っていくっていうか。
我が家は4月から、居候のめいっ子が社会人になり、
父が要介護3の状態になり、という事で、
いろいろ生活の仕方を変えねばなりません。
役割も変化して、バランスも変わります。

投稿: elm | 2012年1月30日 (月) 20:53

私も年をとったらわがままなばあさんになっていくのかしら(笑)

母も父との生活にほとほと苦労しているらしく、それはもう
どうにも譲れないことから、些細なことまであって、人が一緒に暮らすってこんなに
大変なんだと聞いていて思います。

とにかく母には、父一人を置いて先に逝ってしまうことのないようにと
言ってます(笑)
我が家もそのうち、主人と私は別々の部屋で寝ているかもしれません。

今日でやっと仕事が終わりになります。
結局約束は守られなかったけど、私の予想したとおりというか私がそういう
予想を立てたものだからそうなったのか、今日の夜がくれば、全てのメルアドも
メールもお気に入りに入れていたサイトも使っていたソフトも全部削除です。
個人情報を守らないといけないですし。
2月はすっきりした気分で再スタートです。

投稿: ノブタ | 2012年1月31日 (火) 07:36

 私ももうすぐそんな風になりそう
気をつけなければ、でも無理かな(笑)
 今でも母親のことは毎日のように思い出します
もっと沢山話をしておけば、一緒に出かければ
そばにいてあげれば・・・・。
 何か話したそうにしていた母の顔思い出す
でも 中野の駅から紅葉山公園へ向かう道
 毎日歩いているけど
ここは 母と歩いた思い出の道
ここを歩くとき母が隣にいるような気がしてくる
   楽しみの道
 天国とかあの世とかあったらいいな
そして会えたら あの時のこと謝りたい
あんなに大きな声で怒ったこと
その時の悲しそうな顔
身内だから怒ったのかな
でも未熟なのは私だったのに

そうきちさんのお父さんの話読んでいたら
 母に孝行したくなってきた
  いないのにね

投稿: jose | 2012年1月31日 (火) 21:39

elmさん、
elmさんのところもいろいろ大変なのね。
要介護3っていうのがどういうレベルのことなのか見ました。
ふぅ・・・って感じです。
つくづく長寿社会がいいのか悪いのか考えさせられます。
努力して、それがどれだけ実を結ぶかわからないけど、やっぱりからだがちゃんと動くうちからそれを維持する努力をしなければと思います。
家族みんながそれぞれ自覚して、elmさんに協力してくれるといいですね。
そうなるように祈ってます。
elmさんもからだ壊さないようにしてくださいね。

投稿: soukichi | 2012年2月 5日 (日) 21:50

ノブタさん、
そおねえ。。。
意外と自分の先のことはわからなかったりしてね
でも私、昔から思ってたの。
見るからにかわいそうな、かなしくなっちゃうようなおばあさんになるよりは、少々いじわるでも活力があって面白いいじわるばあさんのほうがいいよなあって。
こどものときに近所で青島幸男の『いじわるばあさん』のロケをやってて、そのイメージの影響が大ですけどね。

父がいた2週間、いろいろなことを考えさせられました。
私の母は自分の母親の介護をしていて、自分はあんな風になってまで長生きはしたくないといい続けた人で、だから67歳というのも母にとっては妥当な死だったかもしれないと後になって思ったんですが、もしいま生きていたら、やっぱりこの父とやっていくのはかなりキツかったんじゃないかと思います。同様に、母がいたら父の精神的プレッシャーも今より大きかったんじゃないかと思います。
何が良かったか悪かったかなんてことはたぶんどこまでもわからないままなのだろうと思うけど、物事はやっぱりなるべくしてなっているんじゃないかって気がします。

ついに辰年の今年がスタートしましたね。
いろんな意味で始まりね。
お互い、良い旅をしましょう♪

投稿: soukichi | 2012年2月 5日 (日) 22:08

Joseさん、
ほんとに、『親孝行、したいときには親はなし』とは、よくいったものですよね。
かなしいかな、まさにそのとおり。

私が住んでる町は、やたらにオバサマ・ブティックが多い町で、いつも通る道に比較的センスのいいブティックがあって、いつもそこのショー・ウィンドーの前通るたびに、「ああ、こんなの母に似合いそうだな」とか「こんなの買ってあげたら喜んだだろうな」なんて思いながら眺めるんです。
母が亡くなった直後から数ヶ月はそこの前通るたびにすごく悲しい気持ちになったな。
といって、もし母がいま生きてたとしてもポイポイ服買ってあげられるような身分でもないんですけど。
それも悲しいか。
がんばろ。

投稿: soukichi | 2012年2月 5日 (日) 22:18

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