« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月31日 (火)

凍雲

12january

一月は、へんな月

それまでの十一の月が

ほんとうに過ぎ去ったのを

きっぱりと感じさせながら、みずからは

足踏みをし

遠くの湖を見るように

未来に目を向けつづけているような月

ぜったい

過去になんかならないぞ、と

がんばっている顔つきの月


その一月早々

ある科学者の文章が新聞に出ていた

生物の種は、すべて

二千六百万年ほどの周期で

かならず絶滅するのだから、ヒトも

いずれは消えてしまうのだという

繁殖しすぎて

資源を食いつぶしたから

決まった周期よりも早く無になるかもしれないという


白いサザンカの花

もうほとんど散ってしまった

残っているいくつかが

冷たい風に

まだ未来をふくんでいる現在を主張し

こまかく、こまかく震えている

冬至のころ

色を変えて行き来していた人たちの

のんびりした足音が、垣根のむこうに ──

一月は、へんな月


( 思潮社刊・北村太郎詩集『すてきな人生』より、『凍雲』 )

*****************************************************************

数日前の日曜、詩集をパラパラやっていて見つけた詩。

今年の一月はほんとに変な月だった。

毎年、暮れからお正月にかけて、どんどん浄化されてゆくような空のいろ、ひかりの

ありようは通常のそれとはまったくちがう、ハイオクターブの天上的な世界になるのが

不思議なくらいだけれど、今年はそれがもの凄かった。あきらかに何かが終わって何

かが始まろうとしているのを感じさせるような。

それが良いことなのか悪いことなのか、この先にあるのが光にあふれた明るい未来

なのか闇に向けてまっしぐらなのか、ほんとのところはわからないけれど、現実に起

こり続けている事象、予想されうる事態、毎日のように報道されている様々な悲観的

なニュース、つまりこの三次元空間で目に見えているもの、世間で解釈されていること

と、見えないところで本当に起きようとしていることはまったく違うような気がしている。

少なくとも私が感じるのはそういうことだ。そのギャップはどんどん広がっている。

もちろん、私はサイキックじゃないからあてにはならないけれど、『自分の直感を信じ

よ』というのに従うなら、日々どんどん自然の脅威が増してきて、これだけ次々と大き

な災害が起きてたくさんの人が死んでいるのに、大きな全体としてはどうやっても悪い

方向に行ってるとは思えないんだよなあ、と思う。

こう書くと、何やらスーパー楽天主義のように思われるかもしれないけれど、何も起こ

らないといっているのではなくて、むしろ起こることは必然的に起こるだろうけど、その

とき人は、両手をこうパーにして、全てを手放して(失って)、この三次元空間の重たい

重力からついに解放されるときがくるんじゃないかなあ、などと ・・・・・・

そうでも思わないと、どこを切っても金太郎、ならぬ、どこを切ってもいまパツパツの限

界状態で、どう考えてもこの世界がこのまま持続可能とは思えない。というのもあるの

だけれどね。

いずれにしてもいま、凄いところで生きてるなあ、と思う。

これより以前に亡くなってしまったひとには、いまのこの感じも、この先のことにも、た

ぶん耐えられなかったのじゃないかという気もしている。

一月は変な月だった。

二月の節分を過ぎてそれがどう変わるのか。

光を選ぶのも、闇を選ぶのも、自分しだい。

と、自分にいう。

| | コメント (0)

やっと会えた。

12megusan

もう久しく食卓に花のない日が続いているし、今月なんどかコトリさんのところに行きた

いタイミングがあったのだけれど、日々のことに追われてそれどころじゃなかった。

今日やっと会えた。

コトリさんにも、めぐみさんの絵にも。

青い鳥のものがたり。パティシエンナの翼。

めぐみさんの絵は冬を感じさせるものが多い。

折しも庭の池はバリバリに凍って、コトリさんが乗っても割れないほど。

2人でそんなことをやってたら、集配に来た宅配便の男の人に笑われた。

ガラスにいろいろなものが映りこんでうまく撮れなかったけれど、娘に頼まれていたか

ら絵の写真を撮らせてもらった。すでにもう1枚は売れてしまったそうだ。

12megusan_01

12megusan_03

やっぱりこれじゃなんだかわからないな。

やっぱり絵は実物を見ないとね。

12megusan_02

買って行ったカプチーノを飲みながら話してたら、次々とお客さんがやってきてあっと

いう間に人口密度が高くなったからおいとまして外に出ると、去年の暮れに65歳で退

職したばかりだという女性に話しかけられた。まだ仕事をやっているといっても通りそ

うなひとで、いままでどんな仕事をされてたのかちょっと興味があったけれど、彼女自

身はこれまでずっとはたらいてきて、急にできた時間をまだどうしていいかわからない

でいるみたいだった。ご主人と2人暮らしのようだったけれど、ふと気がつくと一日誰と

も話さなかった、と思うのだそうだ。このままじゃいけない、何かを始めるとかして誰か

話し相手を見つけないとと思うのだけれど、賑やかなのは苦手だし、人と話すほうも器

用じゃないから、などとおっしゃる。私に話しかけてきた時点でちっともそんなことはな

いと思うし、私にはずいぶん人懐こい方に見えたのだけれど。

65歳か。

そのころ私はどうしてるかな。

きっと思った以上にすぐなんだろうけど、まだ想像もつかないや。

12kotori_hanaten

今日もコトリ花店は素敵なお花でいっぱいだった。

今日はココリのクッキーを買って、コトリさんには明日のブーケをお願いして帰った。

1月も今日で終わり。

明日は娘の二十歳の誕生日。

12kotori_hanaten_01_2

| | コメント (0)

2012年1月29日 (日)

家族のバランス

12kordana_rose_01

今日、父が帰った。

正直言ってホッとしている。

もうこれで毎朝ジャッ! と、まいど金具が外れるほど激しくカーテンを引く音で目覚め

ることもないし、父と息子の間で気を遣うこともないし、三食先まで考えて買い物に行

くこともない。何より四六時中ストーブの前でイヤホンをして、どうでもいいようなテレビ

に相槌を打っているジイサンを見なくてすむし、かと思えば仕事をしている私の部屋で

わずかばかりの自分の荷物を年じゅうガサガサやりだす父にイライラすることもない。

夜だって父に合わせて9時半に消灯することもない。

これでやっと集中して仕事ができる。好きな音楽が聴ける。珈琲がゆっくり味わえる。

息ができる ・・・・・・


父がいるあいだ、何がいちばん嫌だったかって、食事の時間。

父はもともと食べ方がきれいじゃないうえに食事のマナーもない人なのだけれど、そ

れより何より、食事のあいだもずっとテレビのことしか頭にないのだ。料理をする人な

らわかってもらえると思うけれど、プロの料理人であれ主婦であれ、温かいものを作っ

たら温かいうちに食べてほしいと思うのが心情だろう。実際、そういいながらテーブル

に並べるのだけれど、父はイヤホンをしてテレビのリモコンを持ったまま、見たいチャ

ンネル探しに夢中でなかなか席に着かない。やっと席に着いたと思ったらこんどはテ

レビに釘付けだ。

うちは4人がけのまるテーブルだから、4人が座ると円卓を囲んでみんなが向きあうか

たちになるのが、父だけテレビと向かい合うように椅子を横にして座っているので誰と

も目線が合わない。それからテレビを見たまま(つまり、行儀悪くよそ見をしながら)、

人がからだによいから、とか、父の好物だから、と考えて作ったものを何もいわずに

無機質に口に運び続けるのだ。床にぼろぼろと食べものをこぼしながら ・・・・・・ 

最悪。

その食事の時間が何よりストレスで苦痛だった。

テレビなぞ家に帰れば嫌でもひとりで見ることになるのに、せっかく食卓を囲む家族が

いるときくらい、テレビを消してみんなと会話しながら味わってごはんを食べればいい

のに。それに毎日ごはんを作る人をいったいなんだと思ってるんだ!

私が頑固おやじだったらとっくにお膳をひっくり返してるところだ。

・・・・・・ そんなことを思いながら黙々と食べて早々に食卓を引き上げる毎日。


それに、一日じゅう眠っていた数日が過ぎてちょっと元気になってきたら、雪の翌日に

人が止めるのも聞かずに出かけて行くし、その翌日も翌々日もどこに行くとも何時に

帰るともいわぬまま、出かけたまま帰ってこない。うちの息子ですら帰りの時間を聞い

たら大まかな時間をいって行くのに、父ときたら「いちいちそんなこといえるか。小学

生じゃあるまいし。お昼はいらない。お父さんのことは心配してくれなくていいから!」

だ。なんたってもともとヨタヨタ歩いてるこころもとない老人なのに、そのうえ病み上が

りときたら心配しない家族がどこにいるだろう。しかも外は厳寒の真冬なのだ。それで

お昼を用意しておけば、帰ってきて食べてみたり、減塩だというのに外でラーメンなん

か食べて帰ってきたり。人のいうことはまったく聞かないし、好き放題、勝手放題でま

るで話にならない。これまでずっと、口うるさい母に文句ばかりいわれる父に同情して

きたけれど、あの神経質な母がこういう父と暮らすのもどれだけ大変だっただろうと

あらためて思った。かなしいこともいっぱいあったろうし。これじゃ、がんにもなるよ。


父がこれほど人の気持ちがわからない人だったというのは私にはショックだったし父

には心底がっかりさせられることが多かったこの2週間だけれど、それでももちろん、

いいこともあった。

もともと今まで何をいってもうちに来ることのなかった父が家に来るとしたら、それは

それで天の意思なんだろうと思うところがあったけれど、もう80歳の老人ともなれば

こんなことでもない限り、この先こんなに長く別所帯である我々と一緒にすごすことも

なかっただろう。たぶん、もっと先にいったら、今度のことも貴重な思い出になるんだ

ろうと思う。だからこそ限られたその時間を大切にしようという気持ちがこちらにはあ

ったのだけれど、どうやらたいがいそれは私の幻想に終わったようだ。むしろそれが

もう幻想であって、これがいまの父の現実だ、というところを嫌というほど見せられる

ことになった。父がよくいう口癖として、「幼稚園じゃあるまいし、小学生じゃあるまい

し」というのがあったけれど、いったい老人とは小学生の子どもより頼りない存在だと

つくづく思う。まるで糸の切れた凧、だ。小学生の子どものほうがある部分ではもっと

ずっとしっかりしていると思う。でも、そんな風でありながら、頭は過去の経験に基づ

いた堅固なる自分の考えとやり方で凝り固まっていて、そこには臨機応変も柔軟性も

素直さもまるでない。そのガチガチの頭がいうことをきかないからだの上についてる

んだから。やっかいなものだ。うちの息子をして父は『学習しない子ども』だそうだ。

父が外出しているときに息子が私にしみじみといったことがあった。

「今回のことで病人がいかに厄介なものかってことがわかったよ」と。

すかさず、君もまさしくずっとそれだったんだよ! と言ってしまったけれど。

いわく自分の父親とは違った意味で反面教師になったそうだ。

それから、血のつながった家族とはいえども、いつも一緒に暮らしてない人間とひとつ

屋根の下で暮らすということ。その我慢や忍耐。気持ちの切り替え方を学習した。

娘は相変わらずあんまり何もいわずによく祖父をケアしていたし、たまに切れて私に

八つ当たりするというストレス解消をしつつもいちばん我慢強く祖父の話を聞いていた

のは息子だった。私がいないあいだに父は、ふつう、そういうことは祖父が孫にいう

べきことじゃないだろうというようなことまで息子にいってしまっていて、後でそれを聞

いた私は腹が立ったけれど、息子は逆にそれをいってしまう祖父の心情に思いを及

ばせたようだ。つまりいままで私がいっていたことがやっと理解できたという。


私がこの2週間でつくづく思ったのは、その家庭それぞれに家族のバランスがある、

ということだ。たいていの場合、長い時間かけて苦労して培われた家族の微妙なバラ

ンスが。それはうちにもあるし、父と妹の暮らしにもある。妹は長年の父との攻防の果

てに、もうたいがいのことはあきらめてしまったそうだ。そのほうが、自分は嫌でも父と

のあいだは平和だから。妹もほんとに大変だなあ ・・・・・・

でもそうやって、日頃なんだかんだいいながら、でこぼこしながらも、これまでなんとか

やってきたし、やっているし、この先もどうにかやっていくのだと思う。それは一緒に暮

らしている当人たちにのみわかることで、一緒に暮らしていない人間にはわからない。

だから、私に妹の代わりはやれないし、妹に私の代わりはやれないということだ。

家族はバランスがとれてやっとやすらぎが生まれる。


私の住んでいるここはエレベーターのない1階で足腰の弱った父には大変だけれど、

実家は1階なので冬はここよりとても寒いのだという。

今日は朝から北風の強い寒い日で、夕方、妹と2人で手分けして荷物を持って駅まで

歩くあいだに父の顔を見たらまるで雪中行軍でもしている兵隊みたいに凄い顔をして

いて、妹が迎えに来るといった日より1週間延ばしたもののこんな日に帰すのは罪悪

感を覚えるほどだったけれど、家に帰ったとたんに表情が和らいだ父を見たら何がど

うあれ、やっぱり自分の居場所にいるのがいちばん落ち着くのだろうと思った。

父がうちにいるあいだはいつも私が座る席に父が座っていたので私は自分の居場所

がなくてぜんぜん落ち着かなかったけれど、これで私の居場所も戻ってきた。

8時過ぎに家に帰って食事の支度をして夕飯をすませたら、考えるところが多すぎて

頭が錯綜するのとすっかり気が抜けて疲れたのとで、深夜まで何をするともなくボー

っとしてしまった。

| | コメント (6)

テレビなしの甘い生活

Kitamura_taro_2

読点がやたら多かったり、打ち方が

でたらめだったりする新聞を、毎朝

二時間、すみからすみまで読み

くたびれてしまうが、そうしないと気が休まらず

おまけに旧国電の駅まで、私鉄で行って

べつの新聞を二、三紙買いこむと

昼すぎまで、ひとり喫茶店にねばり

ゆっくり第一面から、ていねいにページをめくるが

いつものように、似たような内容の記事にうんざりし

それでも倦まずに、せっせと目を走らせ

たちまち午後が通り雨みたいに過ぎてしまう


どうしてこう新聞を読みたがるのか、ふしぎで

夕方には借りている部屋に戻り、庭の

ユキヤナギの陰にひそんでいるニヒルという名の猫を、ちっちっと呼び寄せ

暗くなってから、また読点だらけの夕刊に視線を上下させ

十分ほど歩いて、マーケット近くの喫茶店で

そこがとっている夕刊と、朝のスポーツ新聞をひろげ

芸能欄まで、目の舌でつぶさに味わうころには

さすがに裸眼の目、ふちが赤くなって

うっすら涙が浮かび、家に帰ってベッドに入ると

犬にまぎらわしいところがあるので、ファジーと名づけた猫が

毛布にもぐりこんでこようとして、こちらの鼻をなめ


そこでやっと、枕もとのランプをつけ

ラジオで定時ニュースと、FENのデイヴィッド・ボウイを聴いたあと

十年ほど前に出た『狂王ルートヴィヒ』を、いまごろ読み始めている


( 北村太郎詩集『すてきな人生』より、『テレビなしの甘い生活』 )

*****************************************************************

今朝は風が強い。

各部屋についた通風口から、北風がぴゅうぴゅう入ってくる。

風が強いと陽射しがあっても体感気温は下がる。

ジイサンがストーブをひとり占めしているのでしかたなく窓際で太陽の光で背中をあっ

ためていると、冬の陽に照らされたこの本のタイトル、『すてきな人生』というのが目に

飛び込んできた。思わず手にとってパッと開いたページにあったのがこの詩だ。

神さまの啓示かと思って可笑しくなっちゃった。近くにいた息子に見せて笑った。

今日も朝からジイサンはテレビにしがみついている。

テレビを見ながらごはんを食べるとものの味がいくぶんわからなくなるんじゃないかと

思うのだけれど、どうなのかな?

でも、いまジイサンがいま見ているNHKの将棋・囲碁トーナメントはまだ許せる。

垂れ流しの情報をただただ口をポカンと開けて眺めているのと違って、まだ頭を使う

余地があるからね。

| | コメント (2)

2012年1月27日 (金)

もう一度、『歌の力』を信じるために。

Love_we_make

インターFMを聴いていた友達がとっさにチケット・プレゼントに応募して、見事に当選

してくれたおかげでついに見ることができました。

ポール・マッカートニーの『THE LOVE WE MAKE』。

友達はあいにく行けなかったのだけれど、娘と行ってきました。

映画のサブタイトルに『もう一度、「歌の力」を信じるために』とあるように、のっけから

『I'm Down』を歌うポールのグルーヴにやられましたね。往年にひけをとらないすごい

シャウト。すごい迫力。いきなり火を点けられた感じ。ルックスこそさすがに老けたけど

これが当時59歳のグルーヴ、シャウトとは。シンガーの底力。さすがとしか言いようが

ない。『LET IT BE』を歌い出したらもう涙、涙 ・・・・・・ そしてそれを皮切りに、全編通

して文字通り、『歌の力』を思い知らされる93分間となった。

サイモン&ガーファンクルの『アメリカ』を切々と歌い、老いてなお異次元の美しさを見

せたデヴィッド・ボウイ。そしていまや老賢者のようなルックスになってしまったビリー・

ジョエルが歌う突き刺すような『New York State Of Mind』もエルトン・ジョンの『Your

Song』もザ・フーの迫力のパフォーマンスも、こちらのハートにストレートに伝わってくる

歌のパワーに泣けた泣けた ・・・・・・

そんな風に泣けたのは私が年をとったからなのか。いや、そうではないと思う。

私が思わず泣いてしまったのは、かつて若いころに聴いた歌へのノスタルジーとかそ

んな甘ったるいものではなくて、彼らの歌にそれが作られたときと同じようなリアルな

情熱が凄みさえ感じさせるほどあって、年とってなお聴き手に強くはたらきかける力を

持っているからなのだと思う。それは私自身についていえば一部のミュージシャンを除

いては最近の音楽にはもうあまり感じなくなってしまったものでもある。

そして何よりすごいのは、これだけのコンサートが9.11からたったひと月後に行われ

たということだ。

そのとき、ポールはたまたまニューヨーク空港にいて、アメリカからイギリスに帰る飛

行機の中だった。目の前にツインタワーが見えて、最初の飛行機が突っ込んで煙が

上がったときはてっきり事故だと思った。しかし2機めが突っ込んだときにはテロだと

わかり、ペンタゴンが襲撃されたことを聞いてアメリカがとんでもないダメージを受けた

と認識した。そして、そのときとっさにポールの頭に浮かんだのは、「自分に何ができ

る?」という問いだったという。そのあと、プロデューサーからこの『The Concert For

New York City』の話を持ちかけられた。ポールは最初、「金儲けをする気なのか?」

と思ったといっている。リアルな話だ。

私の友達にもいろいろなタイプの人がいて(たとえば私はハーゲンダッツのアイスが

大好きだけれどユダヤ資本だから私は食べないという友達とか)、その置かれた立

場や思想や思考の寄って立つところによって9.11に対する見方も考えもそれぞれ

違うけれど、これ(このコンサート)に関するポールの考え方はもっとシンプルでごくご

く人間的なことだ。目の前で自分の大切な人を一瞬のうちに失って、誰だって平気で

いられるはずがない。自分は平気でいられなかった。だから自分は自分にできること

をする。という、きわめて情動に由来した行動。ロジカルな思想ではなく、感情、情動。

そして、こうもいっている。

「あるとき頭痛がして街にでたんだ。でも友達の家に行ってエルヴィスを聴いたらいつ

のまにか治っていた。音楽には間違いなくそういう力がある」、と ・・・・・・

それは私も何度も経験があるので大いに賛同するところだ。

そして、かつて世界中のミュージシャンがアメリカに憧れた(古き佳き)時代があった。

エルヴィスに憧れていたビートルズ。シナトラに憧れていたトム・ジョビン。

ビートルズ時代にアメリカに来るのは本当に夢だった、とポール・マッカートニーはい

った。その自分たちを歓迎してくれたアメリカが大変なことになっているのだ、なんとか

しなきゃ、というのはポールにとってはきわめて自然なことだったのかもしれない。

私自身についていえば今のアメリカが好きかといわれたらそんなことはないし、このド

キュメンタリー映画のなかでも招待されたファイヤーマンの代表がオサマ・ビン・ラディ

ンに向けて発したメッセージなんて日本人から見たらきわめてアメリカ的でまったく好

きになれないのだけれど、かくいう私だって子どものころはアメリカのアニメーションと

ディズニー映画とルーシー・カーマイケル・ショーで育ち、ニューヨーク・パパに憧れた。

『雨に濡れても』のフレッド・アステアにも、『上流社会』のビング・クロスビーとフランク・

シナトラにも魅了され、何より豊かな国アメリカそのものに魅了されていた。

ポールがいま(というか2001年当時)『自由の国アメリカ』といういささか陳腐にも聞

こえるスローガンを掲げて歌いたかった気持ちもわかるってものだ。

なんたって9.11からたったひとつき、まだ街には煙が上がり続け、死の匂いがたち

こめていた真っ只中に行われたコンサートなのだから。

今なおずっと現役であり、かつてキラ星のようなスターであった往年のミュージシャン

たちの音楽の底力を思い知らされる93分!

音楽をやっている人はもちろん、全ての音楽好きに見てほしい映画。

観終わったあと、そのパワーが自分にも着火したのを感じるでしょう。

Sちゃん、どうもありがとう! 感謝!!!

12uplink

渋谷アップリンク。

ここ、2階は椅子も前列2列目まではリラックスチェアが置いてあったりしてラクチンで

暖房もしっかり効いていて暖かいのだけれど、1階は長く座ってるとお尻が痛くなるよ

うな椅子で、何より寒い!! 1階と2階とでは雲泥の差!

これ、もうちょっとなんとかならないのかね。

| | コメント (0)

2012年1月24日 (火)

雪の花

12yuki_no_hana

雪だった昨夜から一夜明けた今朝は、素晴らしい青空になった。

新月の気に満ち満ちた清々しい大気。きよらかな光。

木々の枝にとけ残った雪が、光を浴びてきらきら。

雪の花みたいできれい。

| | コメント (0)

2012年1月23日 (月)

お聴き初め♪

12naosan_05

『いい音楽聴いてりゃ病気にならない』ってことで、今夜はともにそれを健康法とする友

人と久しぶりのサムタイム。

今年のお聴き初めはやっぱり直さんでした(^-^)

折しも今夜は今年最初の新月。

その始まりの気で満ち満ちた夜にスピリチュアルな直さんを聴けるとは最高じゃない

ですか。ちなみに今日、新月が入ったのは水瓶座。新月が水瓶座にあるときに願う

と実現しやすいことは、『ユニークな解決法、予知、人道的姿勢、啓示、ユーモア、友

情、冷淡・無関心』だそうです。最後のふたつがなんだかわかんないけどね。でも、

なるほど水瓶座の自分にぴったりなキーワードじゃないかと思う。

今夜のメンバーは以下のとおり。


 竹内直カルテット

  竹内 直    sax

  片倉 真由子 piano

  井上 陽介   bass

  江藤 良人   drums

 

ライブっていうのも行けるときは立て続けに行けるのに、いざ行けないとなるとなぜか

とことん行けないもので、このメンバーで聴くのもほんとに久しぶり。

前回聴いたときはたしかまだ片倉真由子さんが入って半年もたたないころで、そのプ

レイにはまだどこか借りてきた猫みたいな遠慮のようなものを感じたのだけれど、いま

やすっかりパーマネントメンバーみたいに馴染んで音が熟成した感じ。

そして今夜は雨の月曜日だというのに客席は満員御礼。素晴らしい!

さて、ファーストステージの1曲めに何をやるかというのはオーディエンスの密かな楽

しみだったりするのだけれど、今日は直さんオリジナルの『カーネリアン』でした。

(しかし直さんてほんと石好きですね。カーネリアンっていうのはオレンジ色の鉱物で

芸術家の石、表現の石といわれる石。うちの娘も持ってます。)

この曲がめちゃめちゃいい曲で、直さん1曲めからパワー全開。相変わらず絶好調を

思わせた。オーディエンスもよかった。オープニング・ナンバーから拍手喝さい、年じゅ

う掛け声はかかるわの大盛り上がり。

いままで直さんのライブに行ってよくなかったことってほとんどなくて、ほんとに毎回い

いので私は何か書こうとするともう水野春郎みたいになっちゃうのだけれど、とくに井

上陽介さんが入ってるときが好きだなあ!

12naosan_01_2

12naosan_04 

このお二人、見た目の雰囲気もプレイも対照的ながら、その二人が丁々発止にやりあ

うのがいいんですよね。今夜は白熱した陽介さんがうっかり弓で直さんの脇腹を突い

ちゃうことがあって、演奏後に陽介さんが直さんに「さっきは突いてごめんね。痛かっ

たでしょ。別に恨みはないんだけどね」なんていうシーンがあってみんなで爆笑した。

さらにいうと、竹内直×井上陽介×江藤良人のコンビネーションが最高で、この3人に

ハズレなし! と思います。

そしてファーストステージも最後の曲となったころ、ついに臨界点を超えたのか、片倉

真由子さんが歌いだした。あたまのなかを高速のらせんのように彼女の音符が埋め

尽くしてゆく。いつか、プレイヤー全員の音が最高に絡み合って白熱した瞬間、あたま

が真空になったような、空間が浮いたような感覚を秋山一将さんのライブで経験したこ

とがあるのだけれど、それってプレイヤー自身のあたまのなかでも起こっていることな

のかな。重力から解放されて、限りなく自由な ・・・・・

ファーストステージから文句なく最高のライブでした。

12naosan_03_2

いやあ~、よかったねー! と、終わるなり友達といいあって、トイレに行こうと入口の

ほうに行くと、店の人がドアの向こうの誰かと話してる。

「雪ですか?」と店の人に聞くと、「降ってきましたよ。すごいぼたん雪」どうぞ、といっ

てドアを開けてくれたので階段の上を見上げると、そこには長身の陽介さんが立って

いて、その背後にぼたん雪がはらはら舞っていて。すごく絵になっていたので写真を

1枚撮らせてもらいたいくらいだったのだけれど、あいにくそのときはカメラを持ってい

なかったのでした。

今夜はそんな天候のこともあってか、竹内直4にしてはめずらしく2ステージだった。

私が個人的に今夜、何が1番よかったかというと選曲。2ステージとも選曲がとてもよ

かった。CDでいうところの全曲捨て曲ナシ、みたいな。

私にしてはめずらしくセットリストをメモしていたので(一部曲名が聞こえなかったところ

もあるけれど)、ここに書いておこうと思う。

12naosan_02_3

 1stage

   1.カーネリアン

  2.ルイーザ

  3.I've Never Been In Love Before

  4.ロータス・ブラッサム

  5.Oblivion

  6.ペリドット

 2stage

  1.曲名は聞こえず。カルトーラの曲

  2.You are my everything

  3.モーニング・ブルース

  4.7th Life

  5.曲名聞こえず。ピアニスト作曲による曲

  6.コキリコ

 アンコール

  *  In A Sentimental Mood

 

*****************************************************************

何度も聴き慣れた曲でも毎回ちがうアプローチで新鮮に聴けるのがライブのよさで、

私としてはたぶん初めて聴くカーネリアン、いつもよりワイルドな直さん節が光った

ルイーザ、それからいつ聴いても好きな曲ロータス・ブラッサム、今夜はグッとタンゴ

調のオブリビオン、曲名がわからなかった2曲あたりが聴けたのがすごくよかった。

ラストはこの寒い時期のライブにはもう必須といってもいいくらいの定番、コキリコで

全員にぎやかに手拍子のうちに締め。そしてアンコールはガラッと雰囲気を変えての

In A Sentimental Mood で終わり。最初から最後まで最高にホットなライブで、

いに直さんに期待してサムタイムを後にしたのでした。

あー、楽しかった!!

おかげで久々にパワーもらいました。

外に出るとさっきぼたん雪だった雪は粉雪になっていて、なんだか積もりそうな気配。

かなり冷えてるはずなんだけど、ホットなライブの余韻で寒さすら感じず。

音楽友達と楽しくお喋りしながら帰ってきました。

地元に帰り着くころにはもう雪はやんでいたけれど、案の定この積りかた!

12yuki_01

誰も踏んでない雪をザックザクと踏んで歩きながら、いっそ雪だるまでも作ろうかと思

ったけれど、もうすでに深夜だったのでやめました(^-^)

12yuki

| | コメント (0)

2012年1月22日 (日)

ゆふりさんからお味噌が届いた!

12yufuri_san

先週の木曜日、九州に住む味噌部員2号のゆふりさんから、彼女が作った試食用の

お味噌が届いた。

なんでも、いまお住まいのお宅がカビが生えやすい環境だということで、できあがった

お味噌もカビ臭いんじゃないかと気にされていたのだけれど、送られてきたタッパを開

けると全然そんなことはなかった。もともとお味噌の表面に生えたカビは、カビの部分

だけはがしてしまえばなんの問題もないってことだから、全然だいじょうぶだと思う。

さっそく、そうメールした。

手作りみそ特有の色と匂い。

それは自分の作ったのと似ているようでもあり、やっぱりちょっと違うようでもある。

材料は大豆と塩と麹、とシンプルながら、たとえば10人が同じような材料で作ったとし

てもたぶん、それぞれに独自の違った味がするのではないかと思う。

私のは麹に玄米麹を使っているのと、酒粕で蓋をしたのと、それにヒマラヤ岩塩を使

ったせいで、風味が多少ちがう感じかもしれない。

ゆふりさんのお味噌、味見をするのが楽しみです(^-^)♪

そして、お味噌と一緒に入っていたのは、珈琲好きの私を思い出して買ってくださった

というコーヒーかりんとうと、福岡県産のレモン。

12yufuri_san_01

このかりんとうのリスの絵がかわいいこともさることながら、このレモンがまた大きくて

大らかなフォルムできれいなの。ちょっと食べるのがもったいないくらい。何に使おうか

なって考え中です。

私のほうが先にゆふりさんにお味噌を送るといっておきながら、父のことですっかりバ

タバタしていて、いまだ送れずじまい(^-^;

どこかで時間を作ってさっさと送らねばです。

| | コメント (0)

2012年1月20日 (金)

冬の鳥

12fuyu_no_tori

無残にへこんだキッチンのゴミペール。

こういうの、ほんと嫌だなあ。

うちにあるものは、みんな私がはたらいて選んで買って大事に使っているものなのに

いつまでたってもこういうことをされ続けると息子には本当にさっさと自立して家から出

て行って、といいたくなる。そして、こんなときこそ自分の育て方が間違っていたんじゃ

ないかという思いでいっぱいになる。

今日、息子が切れた。

朝からピリピリした顔をしているのには気づいていたけれど、娘と昼の買い物に行って

帰ってきたら家の様子がちょっとおかしくなっていた。何かあったのではないかと心配

になったけれど息子は何もいわない。父は昼ごはんは食べたくないからいらない、と

いったまま寝ている。

息子とのやりとりのあと、最悪の気分で無言のまま食事をすませた。

それから、こういうときはいつもなのだけれど酷い疲労感に襲われて眠気が襲ってき

た。こういうときはいつもこうだ。脳の(あるいはこころの?)防御本能なのかもしれな

いと思う。

夕方、買い忘れた物を買いに外に出たら、灰色の空にかかる電線に鳥がいっぱいと

まっていて、冷たい雨が降っているのに元気に鳴きあっていた。

鳥はいつでも元気だなあ!

焼き鳥になって空から堕ちてきそうな灼熱地獄の真夏でも、こんな真冬の寒さのなか

冷たい雨に打たれていても。羨ましいよ。こんど生まれ変わるときは私は鳥になりた

い。あのピーピーヒョイと鳴く鳥は1年じゅう近くにいて、どんなときでもあのとぼけた

鳴き声を聞くと思わず笑ってしまうんだ。

12fuyu_no_tori_01

昼に買い物に出たときには横殴りの雪が降っていて吹雪のようだったけれど、雪から

雨に変わった夕方はもっと寒くなっていた。からだもこころもすっかり冷え切ってしまい

やりきれない気持ちでわずか30分でもひとりになりたくて、滅多に行かない近所のカ

フェに入った。ホットチョコレートなんて家でもいつでも飲めるけど、誰かがいれてくれ

たショコラオレは温かかった。コートも脱がずマフラーもしたままでショコラオレを1杯飲

んでそこを出た。

結婚以来、なんどこういう思いをしただろう。

一家の主婦になった女はほとんど一日じゅう誰かのためのことをしているのだから、

男の人はそこのところをもう少しわかってほしいと思う。

からだはガチガチだけれど明日はひとりになる時間がある。

泳いで水に流すこと。

12cafe

| | コメント (2)

ついに雪

120120snow

今朝は暗くてうっかり寝過ごした。

うちの父はからだが小さい割にはすごく物音をたてる人なのだけれど、朝カーテンを引

くすごい音で目覚めて時計を見たらもう7時半をまわっていた。

ああ、そういうことね、と思いながら起きる。

ここ数日いつもにくらべたら早寝をしているのに私の肩こりはちっとも治らない。

父はうちに来た最初の3日間は、ごはんを食べているときとTVを見ているとき以外は

昼も夜も爆睡していた。ほんとに、よくそんなに眠れると感心するくらいで、娘と、あん

なに眠って脳みそがとけるんじゃないかと心配したくらいだ。

それだけ術後のからだが消耗しているということもあるのだろうけど、けっきょくこれな

らあと数日入院していたほうがよかったんじゃないかと思わずにはいられない。病院

側は患者の回復を早めるために早期離床を励行しているということだったけれど、そ

れはベッドの回転を良くするための方便に過ぎなかったのではないか。それというのも

痛み止めのロキソニンを6時間ごとに服用しながらも父がみぞおちの痛みを訴え続け

たことで、とくに夕飯を食べていると決まって「イタタタタタ! 痛い!痛い!」とくの字

になってゴホゴホ・ガハガハ・グエグエやり出すので最初はものすごくびっくりしたのと

目の前でいま食べたものを出されるんじゃないかという恐怖で毎度の夕飯はものすご

く気の滅入るものになった。親友の父親が、彼女が小さい頃からずっと病気で働けず

に家で寝ている人で、病気の人間が発するなんともいえないマイナスオーラと、いつも

不機嫌で横柄な態度が嫌で嫌でたまらなかったといっていたけれど、その気持ちが少

しわかった気がした。父も最初の2日間は横柄そのものだった。

ここにきてからの父を見ていて思うのは、父は実は『真正かまってちゃん』なのではな

いかってことだ。私がコンピュータのキーボードをたたいているとき部屋を横切るから

何気に見ると、目が合ったとたん、やおらみぞおちに手をあてて顔をしかめ、からだを

曲げて歩く。こうなるともうポーズなのかほんとに痛いのかよくわからない。

父のイタイイタイが続いてたまりかねて3日めの朝に消化器内科の担当医に連絡をし

た。予想通り術後の生理的な痛みということで痛み止めを飲むしか方法がなかった。

それでどうしても痛みが治まらなければ受診して検査をすることもできる、ということだ

ったけれど、いまの父の状態で寒いなか病院に行くくらいだったらまだ家で寝ている

ほうがいいと思う。肝臓がんの人が日常生活で気をつけなければならないことがあっ

たら教えてほしいといったら、「何もない」といわれた。そのくせ減塩食について話すと

「減塩は退院後もできるかぎり続けてほしい」という。悪くするとお腹に腹水が溜まる

のだそうだ。何もなくないじゃないか、と思った。このあたりもアンドルー・ワイルが書

いているとおり。患者が治るためのノウハウを何も持ってないのが現代医学なのだ。

父が来てから私は3度の食事に毎日追い立てられる日々だけれど、2日眠り続けた

あとの昼前、そろそろお昼にしようと思っていたら父が突然、「風呂に入る」といいだ

した。もう何日ぶりかというときですぐに用意をしたけれど、二言めには「わかってる」

「自分でなんでもできる」という人が、着替えを出してあげないと風呂にも入れないし、

コップに水を用意して「ハイ、飲んで」と目の前に出さなければ薬も飲まないのだ。

非常に手がかかる。

それでも4日めとなる昨日の朝は、「やっと少しよくなってきた」といって近所にひとりで

散歩に出かけた。息子のフリースのパンツに買っておいたフリースのフードパーカを

着て、私のベビーアルパカのマフラーをぐるぐる巻きにして家を出した。毛糸の帽子も

かぶっていけばといったら断られたけど、帰ってきたとき父はパーカのフードを頭から

すっぽりかぶり、まるで冬のジイサン小人のようであった。

うちに来ればといったとき、「あの家のどこで休んでいたらいいかわからない」といわ

れて、「そりゃ、病院のように静かで至れり尽くせりじゃないかもしれないけど」といっ

たけれど、父は病院にいたときより(もしかしたら自分の家にいるときより)快適でよく

眠れているんじゃないかと思う。私たちはあまり物音をたてない静かな人たちで、父の

することにうるさく干渉もしないし、部屋も食事もあたたかい。何より誰もいない自分の

家でひとりで寝ているよりはずっと安心なのだと思う。

私たちはとくべつつきあいのいいほうじゃないけど、子どもたちもずいぶん我慢して父

にあわせていると思う。この数日で小さないさかいもあった。それも父があまりに自分

勝手だからで、いくら病人だからって父も少しは考えてくれといった。父のほうでも思う

ようにならないことはあるのかもしれないけれど、私が見る限りマイペースだ。

ゆうべ息子に「おじいちゃんはいつまでいるの?」と訊かれた。

さてね。

外は雪がゴンゴン降っている。

今日はお昼に夕飯の買い物まですませてしまわなきゃ。

| | コメント (2)

2012年1月19日 (木)

いい音楽聴いてりゃ病気にならない

Shimizu_midori_2 

いつか仕事で遅くなって入った深夜のスーパーで、レジに並んだ自分の前の太った若

い男性のカゴの中を見て、「終わってるな」と思った。時間はすでに今日の日付けを越

えようとしているのに、これから彼が食べようとしているのはハンバーグ弁当に唐揚げ

弁当、菓子パン2つにポテトチップにビール3本だったからだ。彼の未来はこのままた

だのデブでいられたらまだラッキーなほうで、行く末は糖尿病か高脂血症か高血圧の

どれか。悪くすればそのぜんぶ、プラス成人病だ。どうやってもこの先、彼がまっとうに

健康に生きていけるとは思えない。

こういった光景は老若男女関係なく、いつでもどこでもよく目にする光景だけれど、肥

満症の害、食べものの害に関する情報がこれほどあふれている現在にあって、どうし

てわざわざ病気の道を選ぶかね、と思う。彼らだってそれを耳にする機会がまったくな

いわけじゃなかろうに。

いつも書いていることかもしれないけれど、人は食べたものによってできている。

からだはもちろん、こころも。

たとえばそんな風に、人の買い物かごの中を見るだけでもその人の食習慣から意識

レベルまでわかってしまうように、いままでどんなものをどれだけ見て、聴いて、読ん

できたかで、ずいぶんいろいろなこと(その人がどんな人か、そのメンタリティや精神

性や人柄など)が推測できるんじゃないかと思う。

そして健康の面でいえば、喫煙する人はしない人より、甘いものを好んで食べる人は

食べない人より病気になる確率は高いそうだけれど、私の場合もっぱら『いい音楽聴

いてりゃ病気にならない』が持論だ。

このあいだ、父を家に迎える前日、病院に行く前に家じゅうの窓を開け放って掃除を

しながら、ファイブ・コーナーズ・クインテットの"CHASIN' THE JAZZ GONE BY"を聴い

てたら、すっかりご機嫌になってしまった。とくに好きなのが8曲めの『LIGHT HOUSE』

から9曲め、マーク・マーフィーの歌う『BEFORE WE SAY GOODBYE』の並びで、マーク

マーフィーの歌い方はまるで輝ける夏の光そのもので、一気に気分がハイになった。

生きる歓びにあふれた歌っていうのはいつだって細胞を活性化する。

私がほしいのはこれなんだ! と思った瞬間。

ライブへはそんな瞬間がほしくて行っているのだから思うさま魅了してほしい、と思う。

そんなことを思った翌日、友人から「こんなときになんですが」とメールがきた。

なんといま、インターFMを聴いてたら私が見たいといっていたポール・マッカートニーの

映画のチケットをプレゼントしていたからとりあえず応募した、というメール。

即座に「それは嬉しい♪」の後に私が書いたのは、「こんなときになんですがついでに

いうと、23日の夜ライブに行きませんか?」のお誘い。

世間じゃ親が病気で寝ているときにライブに行くなぞ不謹慎なのかもしれないけれど、

私は不謹慎と思われたってぜんぜん平気。そんなこと気にしてたらシングルマザーは

やれない。むしろ私にとっては『こんなときだからこそ』音楽が必要なのだ。

自分にパワー・チャージしなきゃ。

取られる一方じゃやってられない。

いま、家では父が寝ているので好きな音楽を聴くこともほとんどできないけれど、父が

布団のなかで覚醒状態にある夕方など、ときおり耳障りでない程度の静かな音楽を

かけたりしている。いまではその片鱗さえないけれど、かつてはこの父も仕事帰りに

駅前の新星堂に寄って試聴させてもらってレコードを買ってくるような人だった。映画

が何より大好きで、買ってくるのはたいてい映画のサウンドトラック・アルバム。ときに

は『映画音楽大全』なんていう豪華ボックスセットを買ってくることもあった。フランシス

レイ、ミシェル・ルグラン、ニーノ・ロータ、ヘンリー・マンシーニ・オーケストラ、グレン・

ミラー楽団etc; 私もどれだけ好きでそのレコードを聴いたかわからない。あきらかに

それは私の音楽体験の一部になっていると思う。(なんたって20歳のとき、アルバイ

ト先の上司に連れて行かれたピアノバーで「記念にリクエスト曲を」、といわれて私の

口から出てきたのは映画『いそしぎ』のテーマ『THE SHADOW OF YOUR SMILE 』で

すから。)

でも、そんなことすらもう、父のなかでは忘却の彼方かもしれないな。

できれば思い出してほしいという思いもあって(たぶん)私は音楽をかけている。

今日、黄昏どきにかけていたのは清水翠のRemains

| | コメント (0)

2012年1月18日 (水)

冬の陽を浴びて

12kordana_rose_2

冬の陽を浴びて目覚めたようにバラがひらきはじめる。

季節は厳寒へ向かって加速しつつも、日に日に1日の長さは伸びていて。

| | コメント (0)

私のフェアビアンカ

12fairbianca_01

これだけ寒くなるとさすがにバラのつぼみも開かない。

長くつぼみのまま萎れてしまいそうだったファエビアンカを昨日切って小さな花瓶に挿

しておいたら、今朝咲いていた。やわらかなその香り。

たぶん、今季最後のフェアビアンカ。

香りといえば、安西清香さんのアロマテラピー講座を受けてからずっと自分で作った手

作り化粧水を使っているのだけれど、きのう作ったネロリの化粧水はすごくいい香り!

爽やかだけれど深い、甘すぎない大人のフローラル。

健康で、泳げる限り死ぬまで続けようスイミング!

花のある暮らし。香りのある暮らし。

そして、音楽のある暮らし。

12snowdrop_03_2

おっと、いちばん大事なことを忘れるところだった。

詩のある日常 ・・・・・・

スノウドロップのふたつめの花も咲きはじめた。

| | コメント (4)

2012年1月17日 (火)

TVが嫌い

100masu_3 

子どものころから私は算数が苦手で、反対に父は算数が得意だった。

それで小学生のころは父に算数を教えてもらっていた。

難しい応用問題の宿題なんかたくさん出されたひには私はもうお手上げで、放り出し

てさっさと寝てしまいたいくらいだったけれど、父はどんなに夜遅くなっても私を解放し

てくれなかった。集合の宿題が出たときなど、自分の時代にはなかったその理論にす

っかりハマってしまって、わざわざ本屋で『集合のわかる本』なんていう本を買ってきて

しばらくひとりで勉強していたくらいだ。面白い、面白いと言っていた。そのころから私

は、数学ができる人と自分の頭の構造はどこかが根本的に違うんだと思っていた。

そんな昔のことを思い出して、父が病院で退屈しのぎにテレビばかり見ているのを見

てもう少し元気になったらやれるようにと『大人の10ます計算ミニドリル』というのを買

ってみた。父ならきっと面白がってくれるんじゃないかと思ったのと、ただただ受動的

にTVを見ているより、少しはこんなことでもやっていたほうがボケの進行を遅らせられ

るんじゃないかと思ったのだった。

でも驚いたことに、昨日この本を父に渡しながらその話をしたら、父はすっかり忘れて

しまっていた。自分が小学生の子どもに算数を教えていたことすら忘れてしまっていた

のだ。信じられない。私は脳の話が大好きなのだけれど、いったい年をとった人間の

脳というのはどうなっているんだろう。

父には、「そんな大事なこと忘れちゃだめだよ」と言った。

自分が何が得意だったかも忘れてしまうなんて。

その得意なものをこそ人生において大事に磨くべきだったのに。

逆にいうと、そんな自分の美点さえ忘れてこの人は自分の人生を生きてきたってこと

なのだ。なんだかなあ、と思う。

子どものころから母はよく私に、「おまえはうちの子のようじゃない」と言った。

母が私につけた『貴族乞食』というニックネーム通り、私が贅沢だということが理由らし

かったけれど、ときどき母は「あなたは本当はうちの子じゃないのよ。本当は橋の下か

ら拾ってきたの」なんて言った。それも当時の親の常套句で、いったいそんなことを言

われてショックな子どもが当時にだっていたのかどうか不明だけれど、この私といえば

そう言われて「そうだろう、そうだろう。私はもっとお金持ちの家の子どもで、何か事情

があって捨てられたのに違いない」なんて思っていた。

父が家に来てまだ2日めだけれど、今ますますそう思う。

私はやっぱりあの家の子どものようじゃなかった。

父は朝おきたらテレビ、昼までテレビ、夕方もテレビ、夜は食事が終わればテレビだ。

自分ではテレビはほとんど見ないとか言っていたのに。しかも我々に少しは遠慮して

これらしい。とにかくテレビテレビテレビ ・・・・・・

私があの家にいたくなかった理由のひとつがこれだったってことを今日はっきり思い

出した。いつもテレビがついている家。

別に高尚とかそんなんじゃない。私は年をとっても敬愛するドナルド・キーンみたいで

ありたい。そのためには脳トレだってする。

こうやって文章を書いているあいだもTVからはうるさい嬌声が聞こえてくる。

この環境じゃ、私は友人のメールに返事を書く気にも本を読む気にもなれない。

まいったな。

| | コメント (2)

2012年1月16日 (月)

通院日記③

20110116

久しぶりに陽のない朝。

外に出ると風もあってとても寒い。

冷たい向かい風に向かって歩いていると、目が弱いせいなのか自然に涙がぽろぽろ

出てきてしまう。

今日、父、退院。

荷物は昨日すでに娘に手伝ってもらって運び出してあるから、身一つで駅までタクシ

ーを拾う。病院というところは患者本人の感情とは裏腹に、病人にとってはやっぱり

すごく守られた安心できる場所なのだと思う。退院が決まった後あたりから急に父の

態度が緊張度を増してきた。それにつれてこころの硬度も増して妙にとげとげしい。

もう充分、人の世話になっているのに、『自分はなんでもできるから人の世話にはな

らない』というこの人の頑なな態度は、いったいどこからきてるんだろう。

やっぱり6歳で母親を亡くしたことに起因してるのだろうか。

つまりインナーチャイルドの問題は、自分自身で意識してどこかでしっかり解決しない

限り、いくつになっても(たとえ80になっても)解決されないまま引きずるってことなん

だろう。私はそこに父の病の源泉を見る思いがする。

家に連れて帰ってくる道中のやりとりだけでもほとほとげんなりした。

人はこころが固くてもからだが固くても病気になる。両方ならその可能性はもっと高く

なる。こころもからだもしなやかでエネルギーが滞りなく循環していれば人はたいてい

の場合、健康でいられる。それにつけても私はもっとからだを柔軟にしないとな。

父が退院したからってこの通院日記が終わるわけではないのがつらいところ。

この先も延々、検査と経過観察のための通院が続くのだ。

その最初の検査がよりにもよって私の誕生日とは。

母が乳がんで入院したのも私の誕生日だった。

いったいどこまで ・・・・・・ と思う。

私の2月は父の病とともに過ぎていきそうだ。

| | コメント (0)

2012年1月14日 (土)

寒桜

12kanzakura_2

おとといの晩、妹から「しばらく父をお宅に泊まらせてもらえないでしょうか」とメールが

きた。私もそれについては考えないわけではなかったけれど、いままで妹が海外旅行

で数日家をあけるときとか事あるごとに父にそう言ってみても、父は頑として来ること

はなかったから、今回も言うだけ無駄だろうと思っていた。もう20年以上も別々に暮

らしているんだし、こちらにももう小さな子どもがいるわけじゃない、大人が3人暮らし

ているようなものだから、父とは食べるものも違えばライフスタイルもまるで違う。少々

何がどうあれ、やっぱり父は自分の家に帰るのがいちばん自由で落ち着くんだろうな

と思っていた。妹のメールを受けて、きのう病院でそれとなく「退院後しばらくはうちに

来てたらいいんじゃないの」と言ったら、父は「へ?」と思うような心外なことを言った。

それで日頃、息子に「年寄りの言うことにいちいち腹を立てるな」と言っている私のほ

うがちょっとムッとしてしまった。表情にこそださなかったものの、顔が熱くなるのがわ

かった。まったく妹といい父といい、どうしてこうものの言い方が下手なんだろうか。

父はその後もしのごの言っていたけれど、けっきょく、「考える」と言った。

考えるといったって退院はもうあさっての朝なのだ。

受け入れ側の準備だってあるのにな。

なんたって我が家に泊まりがけでくる客はいないから客用布団の用意はないし、2度

の引っ越でいらないものを処分してきたミニマムの3人暮らしなのだ。

それで昨夜は考えた末、気まぐれなジイサンが来ると言ったときに備えて朝1でネット

ショップであったかそうな毛布を買った。それから押入れの奥から使ってなかった埃

のかぶった敷き布団を引っぱりだして、バラの鉢をベランダの端に押しやって布団を

干した。薄掛けの羽毛布団を2枚みつけて布団乾燥機にかけた。バラに水をやったら

もうプールに行く時間だ。ふう。やれやれ。疲れる。

めげそうになりながら、それでもプールに行った。

4週間ぶりのプール。

最初から泳げるわけはないとわかってるから、からだをほぐす程度の気持ちで行く。

コーチも年頭は間が空いてるのがわかっているのでそれほどキツイことは言わない。

久しぶりの水はすごく気持ちよかった。

プールの底に沈んでしばらく上がってきたくなかった。

どんなにバタバタ出かけて行っても、水に入ってさえしまえばあとはもう泳ぎのことし

か考えないからそれがいい。私にとっては何にも代え難い時間。

昔、初めて映画『グランブルー』を見たとき、エンゾの台詞「おまえの言ったことは本当

だった。陸にいるより、海の中にいるほうがずっといい」というのは豪放磊落で人生を

謳歌しているように見えるエンゾの言葉としてはショックだったというか、哀しすぎると

思ったけれど、いまならそれもわかる気がする。

水泳を始めて11年めの今年はなんとか週1から週2にするか。

水曜の夜をライトミールにすれば ・・・・・・

などなど泳ぎながら考える。

プールの後はいつもならリラックスタイムのところを今日は夜から国分寺の無印良品

まで行って、敷布団カバーや枕カバーやらいろいろ買って大きな袋をさげて帰ってき

た。家族にひとり病人がでるとほんとに大変。

写真はこの時期、近所でいつも咲いている寒桜。

東京中が桜の花で彩られる頃には、いまより少しは何もかも楽になっていますように。

| | コメント (0)

2012年1月13日 (金)

春を告げる花

12snowdrop

スノウドロップの苗を備前のコーヒーカップに植えつけた。

備前は素焼きだから植物にとっても居心地がいい。

陶器自体の保水力が高いから水やりが少なくてすむ。

こんなアイディアを授けてくれたのは『ギャラリーせい』の生万里さん。

生さんの本は飽きるほど眺めたからもう自分の感性の一部になっている。

スノウドロップは春を告げる花だそうだ。

冬に咲く花は小さくて可憐でも強さがある、と思う。

元気をだそう。

今日も虹でいっぱいのあさ。

12snowdrop_01 

| | コメント (2)

2012年1月12日 (木)

祝い菓子

12kagizen_yoshifusa

このところいただきものが続いている我が家だけれど、今日は京都の鍵善良房のお

菓子が届いた。

はんなりした色あいの包装紙をあけると、中からはさらに紅白の水引のかかったこん

な包みが。さすが京都ですよね。手のかかりかたが違う。

12kagizen_yoshifusa_01_2

さらにあけると、こんな風。

12kagizen_yoshifusa_02   

『おちょま』という名前の干菓子。

『可愛らしいが取り柄の釣鐘型の和三盆糖製の干菓子』だそうです。

この木のパッケージ、入れもののほうの真ん中あたりがゆるくアールを描いてふくらん

でいて、まっすぐじゃないところがすごい。こんなところにも日本の職人芸を感じます。

こんな小さなお包みひとつ作るにも、たくさんの人の手がかかっているのでしょうね。

日本ならではの和のこころいき。なくなってほしくないもののひとつです。

12kagizen_yoshifusa_03

ひとつひとつ和紙に包まれた小さな包みをあけると、指先ほどのお菓子の上にちょこ

っとついた赤いのはエクボだそうです。ほんとにかわいらしい。

生前、母はこの和三盆の干菓子が大好きで、旅先でみつけるとよく買ってきたもので

した。お茶はやらないけど私も大好き。

送ってくれたのは会社の同僚で、実は娘の成人式に手配してくれたのだそうですが、

御菓子司の都合で間に合わなかったのだそう。彼女は息子の成人のときにも鶴と亀

のかたちをしたおめでたい干菓子を送ってくれたのでしたっけ。

ここのところずっとですが、本当にありがたいですね。

人は生まれてから死ぬまで、そんな風にたくさんの人の心遣いや愛情をずっと受け続

けていくんだということ、そんななかで時を過ごしたのだということ、子どもにも忘れて

ほしくないし、私も忘れないようにしようと思います。

Hさん、ありがとう!

| | コメント (0)

2012年1月11日 (水)

無病息災

12okumotsu

今日、お昼に買い忘れた物を娘に買いに行ってもらったら、「なんだかいっぱい届いて

たよ~」とポストの郵便物を持ってきてくれた。ひとつはAmazonマーケットプレイスで

買った本、そしてもうひとつは請求書、そしてもうひとつの封書はと見覚えある書き文

字で、親友から。あ、この時期、彼女からくるものは ・・・・・

と思ったら、やっぱりこれでした! 神社でもらう今年のお供物。

いつからかなあ。ほとんど毎年もらってるような。

いつもは成田山だったけど今年は光福山。

ん? こうふく? こいつぁ、なんだかまたもや春から縁起がいい。

さっそく包みを開けると打ち出の小槌が出てきて、思わず「わあ。打ち出の小槌だ!」

と言ってしまった。子どもの頃から好きですね、このかたち。

なんたって、『打ち出の小槌をふると、中から小判がざっくざく』ですからね(^-^)

12okumotsu_01

そして、昔からこれを食べると一年無病息災といわれる。

大きくてきれいな干菓子。こんなの初めて見ました。

さっそくお礼を言いつつ、ピンクのを3人で分けてありがたくいただきました。

残りの白い松を持って父の病院へ。

いつものように病室に行くと、今日はカーテンが端まで閉まっていて、父はぐうぐういび

きをかいて眠ってた。もしかすると昨夜はよく眠れなかったのかもしれない。しばらくす

ると私に気づいて目を覚ましたけれど、先日の調子のよさそうなときとは打って変わっ

て何やら少し機嫌がよろしくない。私にとってはあまり楽しくない、過ぎた昔のことを持

ちだしたりして。先日も妹と話したばかりだけれど、年寄りは日々の気分も言動もころ

ころ変わる。それだけ体調も感情も不安定なのだと思うけれど。男親の場合、もともと

言葉や感情表現がうまくないうえに老人になると表情も乏しくなるから、その本当のこ

ころのありようは、娘の私にもわからない。それでも持って行った温かい玄米茶を飲み

ながら、2人でお供物を食べた。今日は私がいるあいだに看護師と管理栄養士と担当

医がきた。肝臓食はもっとも塩の制限が厳しく、1日5グラムだそうだ。家で調べてい

たら肝臓は体温を上げる臓器とあって、父の手が異常に冷たいのは肝機能が悪くな

っているせいだとわかった。私としてはその悪くなった肝機能を少しでも改善すること

を考えたいところだけれど、自分が一緒に暮らしているわけでもなし、忙しい妹にも、

またこの父にも、食事療法などできるわけもなく。友人の医者はもう80なんだから好

きなものを食べたらいいよ、というけれど、何をどう考えてどの方法を選択するかは難

しいところ。

そして、最初に医師からは入院から最低2週間の入院が必要と言われていたのに、

それより早く、父の退院する日が決まった。父の経過が良好なこともあるけれど、2週

間必要と言われながら最初から10日間しかベッドがとれず、残りは空きしだい、どうし

てもベッドが空かなかったときは転院、などと言われていたことを考えると、早々に追

い出されるのかな、という気がしないでもない。退院が決まってもさほど嬉しそうじゃな

い父の顔を後に、寒気の強まったビル風に吹き飛ばされそうになりながら帰った。

私は速読法をマスターしたいな。

私は読むのも書くのも遅くて時間が足りな過ぎる。体力も足りない。

家には続々と私が注文した健康本が届く。

誰に健康オタクと言われたって、私は健康について考える。

| | コメント (0)

ゆっくりひらく

12spring_bouquet_02

おとといコトリさんが持ってきてくれたときはほとんどつぼみだったブーケが、ゆっくり

ひらきはじめました。

これだけ花がたくさんあると、テーブルの雰囲気はいつもとはぜんぜん違う。

そこだけ花の生気で明るいような。

それで花が大事だから、少しでも長くきれいなまま咲いていてもらいたくて、少々寒く

ても暖房をつけないでいたりね。真冬でもいつも最小限の暖しかとらないコトリさんの

気持ちがあたらめてよーくわかったりするのです。

12spring_bouquet

このブーケを抱いたとき、ふわっといい匂いがしたのはヒヤシンスのせいかと思ったら

それ以上に香っていたのはフェアビアンカでした。

なかにこんな変わった花が混じっていたり。

12spring_bouquet_01

それがまたコトリさんの面白いとこ。

| | コメント (0)

2012年1月10日 (火)

スノウドロップと伊勢神宮のお守り*

12anniversary_03

昨日コトリさんが「これ、おまけ!」といって玄関で渡してくれた小さな包み。

包みの上には金平糖みたいなかわいいミモザがついていて。

持ったら意外と重いので、「なに?」と訊くと、「春の花。スノウドロップ」とコトリさん。

あけたら小さな花の苗がでてきた。

12anniversary_04

これがスノウドロップ。

たしかに春の雫みたいな花。

これはヒビが入ってしまって今は使ってない娘の備前の珈琲カップに植えよう。

たぶん入ると思う。備前、っていうのがちょっとコトリさんぽくないけど。

それから伊勢神宮のお守りをいただいた。

コトリさんがお正月に伊勢神宮に行くというので思わず「縁結びのお守り買ってきて」

なんて変なこと頼んじゃったけど、コトリさんたら「伊勢神宮には縁結びのはなくって、

厄除けと開運とふたつあったから開運ならすべて含まれるからいいかなと思って」

なんて生真面目にいうものだから、こちらのほうが照れてしまったです(^-^;

そして、こちらも包みをあけてびっくり。

12ise_jingu

わたし、いままで親以外からお守りをもらったことはないけれど、こんな清らかな気を

まとったお守りを見るのは初めてです。この品のいい色といい生地の模様といいかた

ちといい、ついている鈴といい、これが伊勢神宮なのね、と思いました。

この鈴がまたころころといい音で鳴るの。これはきっと破邪と浄化の音ですね。

このお守りを見た瞬間、遠い伊勢神宮の気が目の前にふわっと広がったみたいで、

なんだかとっても大事なものをいただいた気持ちになりました。

このお守りは2月4日の立春がきて、今年が本当に今年の気になってから大事に持

たせていただこうと思います。

コトリさんからもらった春の気ふたつ。

それはほのかにしあわせの兆し。

| | コメント (0)

2012年1月 9日 (月)

祝 ♡ 成人

12chirashi

透明な冬の光でいっぱいの、美しい一日の始まり。

今日は朝からお赤飯でも炊こうと思っていたのだけれど、娘がチラシ寿司が食べたい

と言っていたことを思い出して、チラシ寿司を作った。

チラシ寿司を作るのなんて何年ぶりだろう。

子どもが小さかったころは雛祭りのときにはかならず作っていたような気がするけれど

久しぶりに作るとなんて手間のかかること。そして私のなんと手順の悪いこと。

いいかげん時間がかかってしまった。まだまだですね、と思う。まだまだ母のようには

いかない。

そして寒い季節になると、毛糸のカーディガンの上によだれかけをして絨毯の上にぺ

たりと座って、小さな両の手になんだかすごく大きく見える大判焼きを大事そうに持っ

て、まるで小動物のように食べていた小さなこどものことを思い出す。その小さかった

女の子がもう20歳になるとは驚きだ。チラシ寿司を作りながらそんなことを思った。

成人式自体は本人の意思で行かないことになったから、本当は早めに振り袖を着せ

て写真撮影をすませるつもりでいたのが、父の入院のこともあってそれも春先まで延

期することにした。この歳になると私もいろいろなこだわりがはずれてきて、世間一般

の流れより、自分や家族それぞれのペースを優先できるようになった。人に何かを強

制するのも、またさせられるのも、もういいという感じがある。物事の規範はあるにして

も、そのなかでみんなそれぞれ自由にやればいいと思う。

3年前の息子の成人のときには自分のときとはあまりに違って、身内の誰からも電話

1本こず、私は誰とも何ひとつ共有することができなくて、そのあと3日間くらい具合が

悪くなるほど落ち込んだから、自分はもとより娘にはそういうさみしい思いはさせたくな

いなと思った。なんたって一生に一度の成人の日だから。

娘には「今日はいろいろいいものが届くよ」と言っていたら、ちょうど玄関のチャイムが

鳴って、最初に来てくれたのはコトリさん。

12anniversary_2 

初々しい春のイメージで、とオーダーしていたブーケ。

ほんとに春のやさしさいっぱい、かわいらしさ満載のブーケでした。

うちの娘は巷で見かけるギャル系女子とはおよそ違い、まだ15歳、中学生といっても

じゅうぶん通りそうな、初々しさ通りこして幼い感じの子なのだけれど、自分が二十歳

のときに「七五三みたい」とからかわれたことを思えばさもありなんか、とも思う。

コトリさんの作るブーケはいつものながらとても素敵です。

12anniversary_01_2

天使の羽がついていて。

12anniversary_02

そして、次にピンポーン! とやってきたのは宅配便。

お花の次にはスイーツでしょ、ということで、パティスリー・サダハル・アオキ・パリ

のガレット・デ・ロワ。

12galette_des_rois

これいつかNHKの『チャレンジホビー』という番組で、片岡鶴太郎がパティシエの青木

貞治に師事してお菓子作りに挑戦したときに最後の課題となったケーキで、青木さん

が「これはフランスを代表するお菓子で、僕にとってはケーキの王さまみたいなもの」

と言っていて、いちど食べてみたかったもの。なんたって番組で見た青木さんの作りだ

すお菓子はもちろん、その明るくて気さくで楽しい性格にすっかりまいってしまったもの

だから、以来、何かと目が離せない存在になった。去年、青木さんがフランスでチョコ

レートではもっとも権威のあるクラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラで最高位のアワード

を獲り、さらに2011年の最優秀パティシエに選ばれたときは、個人的に祝電を打ち

たくなったくらい(^-^) その王さまのケーキだもの、スペシャルです♪

12galette_des_rois_01

さて、このガレット、フランスでは新年を祝うこの時期だけの伝統的なお菓子で、この

ホールのなかにひとつだけフェーヴと呼ばれる様々な形をした陶製のモチーフが入っ

ていて、それが当たった人は王さま、王女さまになれて一日みんなをいいなりにでき

る、という、かわいくも楽しいお菓子です。 

お昼にチラシ寿司を食べたあと、デザートタイムに切り分けました。

12galette_des_rois_02

右端に、うっすら何かがあるのが見えるでしょうか。

ガレットの中には実際にはフェーヴじゃなくてアーモンドが1粒入っていて、見えるのは

そのアーモンドの影。よかった。めでたくも予定通りにこのピースは娘が選びました。

なんたって今日は娘が主役なんだし、もともと王さま気質の息子が選んだひにゃ大変

です。何を言われるかわからない (>_<)

そしてこのガレット、さすがサダハル・アオキのだけあってすごーーーくおいしかった!

中の甘すぎない濃厚なクレームアマンドの味もさることながら、パイのおいしさ!

甘いものは嫌いじゃないけど毎日食べたいってほどじゃない、って感じの私たちも、こ

の塩味がほどよく効いたサクサクした繊細なパイの食感にはやられました。息子なん

か、これなら3個(ホールを3個)でも食べられる、と言ったほどだし、私はこのパイだけ

でも食べたいと思った。(もしミルフィーユもあるならそれも食べたいcake

というわけで、おいしいお菓子のお陰でハッピーに盛り上がり。

来年はぜひこれの抹茶・小豆にしよう! などと早々にもくろむのでした。

これは娘がゲットしたフェーヴ。黄色い水玉のショコロンですって。

(ショコロンて、マカロンをチョコでコーティングしたものなのね。それも食べたし。)

12galette_des_rois_03

とりあえずこれでカッコついたかな、というところで夕方、私はまた父の病院へ。

いつものように病室に行くといないので隣りの食堂に行くと、父は椅子に座ってTVの

番組表を見ているところだった。なんだかやけに今日は血色もよく、さっぱりした元気

な顔をしているなあ! と思ったら、今日は医師の許可が出てお風呂に入ってきたと

ころだとか。自分の家より大きなバスタブで、久々に身体をのばしてお湯に浸かった

という。なんだかやっと人心地ついたみたいで、父の元気な顔見たらますますこれでも

うだいじょうぶだと思えてホッとした。そうかと思っていたらすぐに食事の時間がきて、

私は帰るわけにもいかず、父が食事するのにつきあった。

隣りのテーブルでは4人の患者が賑やかにお喋りしながらごはんを食べていて、「私

は膵臓」、「私は胃がん」などといってそれぞれ出される食事の内容が違う。声だけ聞

いてるぶんにはみんなすごく健康そうなのに、抱えている病の内容はかなり深刻。

そのなかで膵臓が悪いと言った人は私より若いくらいの女性で3人お子さんがいて、

長男がやっぱり今日、成人式だったという。母親の自分が病院にいて何もしてやれな

いから、さっき息子にメールした、なんて話していて、なんだかここは社会の縮図、人

生の縮図みたいなところだなあ、と思った。

先日、オペの前に父がしみじみ「病気になるのは嫌だなあ」とつぶやいていたけれど、

隣りのテーブルで「健康が1番!」と何度も繰り返していた見るからに体育会系の威

勢のいいおじさんの声が、病院を出てからも頭のなかでこだました。

空を見上げると大きな満月。

人々の切なる願いをのせて。

| | コメント (4)

2012年1月 7日 (土)

新年最初の逢瀬はTetosioで。

12tetosio

昨日、電車に乗っているときに電話をくれたのはTeruちゃんだった。

去年の暮れに私に送ってくれると言っていたものがあるのだけれど、彼女がやっぱり

直接会って渡したいと思って、と言うので、だったら会おうよ、ということになった。

なんたっていつでも忙しい人なので、こんなに立て続けに彼女に会えるのはめずらし

いこと。こいつぁ、春から縁起がいい♪

場所は彼女の最近のお気に入り、ルミネのTetoshioで。

ここ、前からTeruちゃんから聞いていて一度来たいと思っていたのだけれど、店の雰

囲気はおよそデパートの中とは思えない、落ち着いた高級和食店のようなムード。

といって、堅苦しさはまるでなくていたってカジュアルな雰囲気だ。

Teruちゃんの希望で通されたのは、奥の靴を脱いで上がる座敷のコーナー。

黒塗りの板座敷、それに4人掛けの四角いローテーブルに座椅子、というスタイリッシ

ュな空間。またこの座椅子が、背もたれの傾斜のし具合とか、すごく座り心地がいい

んですね。一気にくつろいでしまった。

前に『美の壺』の『昭和のモダン家具』で、和室、畳の部屋に合う椅子のことをやって

いてとても素敵だったのだけれど、年をとって足腰が弱くなったら畳に正座、よりも洋

室に椅子、よりもこの低い座椅子がいちばん楽ちんでいいんじゃないかなあ、なんて

思った。これは父にもいいかもしれない。

そして今日、私たちが頼んだのは海鮮丼のランチ。

12tetosio_01_2

何を食べても上品な薄味でとてもおいしかったけれど、中でもおいしかったのが、お膳

の右上にある小鉢で、これ、ゆでて裏ごししたカボチャにクリームチーズとマカデミアナ

ッツが入っていて、すごく新鮮な味。これはちょっと自分でもやってみたいなあ、と思っ

た。それから、その隣りの小鉢はデザートで、お豆腐のブラマンジェ、黒蜜がけ。

この和のスイーツも甘すぎず淡白過ぎず、コーヒーに合う味。

これに食後の飲み物がついて1260円。

量的にも味のバランス的にもちょうどいい、充実のランチでした。

このところ友達とする食事にまったくハズレがなくて、毎回おいしいのが嬉しい。それ

も志向と嗜好が合った友達ならではと思う。いつもひとりで出かけるとたいてい私はか

なりの早足で息つく間もなく目的から目的へ移動するだけで、お一人様どころかお茶

もしないで帰ってきてしまうから、友達とのこんな時間ほどありがたいものはない。とく

にこのTeruちゃんはまったく人目を気にするタイプじゃないので、私が今日はいつも以

上に首こり・肩こりが酷いと言ったら、首・肩を指圧してくれるわヘッド・マッサージをや

ってくれるわ、お座敷をいいことに立ちあがって体操を教えてくれるわですごかった。

私も少々髪がめちゃくちゃになろうが気にせずやってもらった。最後にしばらく手を揉

んでくれたのだけれど、そういえばこの人は母の危篤のときにも病院にやってきて母

の足揉みをしてくれたんだよなぁ、と思いだした。自分だって疲れて目が充血してたり

するのにね。なんというか、すごい人です。

今年は彼女との仕事が成ることを祈る!

・・・・・ というわけで、しばしてるてるパワーを充電したあと、寒風吹きすさぶなか副都

心のビルの間を歩いて私はまた病院へ。

今日は父はTVをつけて片耳にイヤホンをしたまま眠っていた。

私が行くとすぐに気がついて目を覚ましたけれど、なんだかまだ眠そうであった。

今日は朝からちゃんとごはんも食べられたらしい。

ごはんがちゃんと食べられたらひとまず安心だ。

私が行ってほどなくしたら妹が来たので、Teruちゃんからもらった『めでたし玄米麺』を

渡した。父が早く家に帰っておいしいごはんを食べられますように!

| | コメント (2)

2012年1月 6日 (金)

通院日記②

12nishi_shinjyuku_02

今日は朝からずっと時計を気にしながら過ごした。

今日のオペは9時からで、8時50分には病室を出なければならないから朝はちょっと

忙しいかもしれませんね、と昨日の看護師さんは言っていた。病室に戻ってくるまでに

はかなり時間があるから、面会は通常の午後からでいいですよ、医師からは言われ

たけれど、本当にそれでよかったんだろうか。とりあえず午前中に私の携帯が鳴るこ

とはなかったから、オペは無事に終わったんだと思う。

午後、病院に向かう電車の中で携帯が鳴ったけれど、それは友人からだった。

駅前の花屋で小さな花を買って病院に行くと、端までカーテンが閉められたベッドの中

で、父は少し赤い顔をして眠っていた。オペ後は数日、熱が出るかもしれないと言って

いたからそのせいかもしれないと思ったけれど、息が荒いとかいうことはなかった。

洗面所に行って持参した小さな花瓶に花を生け、『一日禁食』という札が置かれたベッ

ドのテーブルに置いてしばらくしたころ、父が薄眼を開けて目を覚ました。私はちょっと

昨日の反省もあって今日は父にはできるだけ優しくしようと思っていた。「今日は大変

だったね。だいじょうぶ? どこか痛いとこない?」と聞くと、父は掠れた声だったけれ

ど「だいじょうぶだ。どこも痛くない」としっかり答えた。それを聞いたら少しホッとした。

父に行われたオペは開腹してガンを切除するようなオペではないとはいえ、脚の付け

根の動脈からカテーテルを刺しこむのだから、局部麻酔が切れた後はやっぱりそれ

なりに痛むのではないかと思っていたから。

ただ、カテーテルを入れたときの傷から出血しないように重しをのせて動けないように

片脚が拘束されていたので、父は「身動きできないのがつらい」と言った。でも、それ

も夜までのことだから、それまでの我慢だね、と言った。それより、暑いほど暖房して

いるせいで病室内の空気が異常に乾燥していて、咽喉が渇いてしかたがないのが気

になった。父の唇はガサガサに剥け、「口の中がバサバサだ」と訴えたけれど、どうや

ら水を飲ませるのも駄目らしかった。それから、父は蚊の鳴くような細い声で今日あっ

たことを話し始めた。声がガラガラで聞きとりずらいことを抜かせば意識もしっかりし

ていたし、記憶も確かだった。なんたって大きな病院でオペを受けるのなんて初めて

なものだから父としてはいろいろショックなこともあったようだけれど、昨日あれだけ

弱音を吐いていたことにくらべたら、今日はずいぶん気丈夫なことも言っていた。

よかった。ともあれ無事にオペは終わった。いまのところ感染症や合併症の疑いもな

い。私は父に、今日のオペはガンだけを兵糧攻めにして弱らせるためのもので、肝臓

自体へのダメージは少ないことをもういちど簡単に説明して、今日は動けなくてちょっ

とつらいけど、あとは一日、また一日と良くなっていくから、と言った。父はぼんやりと

中を見ながら「そうだね」と答えた。

看護師さんが点滴を見に来たので「口の中が渇いてバサバサになってるみたいなん

ですけど」と言ったら、「うがいくらいならできますよ」と言ったのでお願いした。看護師

さんがふたたび来るまでにはちょっと時間がかかったけれど、来たのを見届けて父の

唇にリップクリームを塗り、ずれた枕を直して帰ってきた。父はふだんは思わず出た

人の介助の手を振り払うようなところのある人だけれど、この日はされるがままになっ

ていた。病の根源とか、全ての経験(病気や事故なども含めて)は良いことなのか?

ということについて私はいつも考える。この日も考えた。

病院を出ると何かがついてきちゃったみたいに左肩が重くて痛かった。

私は家から病院に行くのに大江戸線を使って3度も乗り替えて行くのに疲れて、今日

は新宿から外を歩いて行ったのだけれど、家に帰ると息子が「1日の震度4の地震で

福島原発に異変があったらしく、福島から関東一帯セシウムの降下量が急激に増え

ているようだから、明日も出かけるならマスクをして行ったほうがいいよ」と言った。

元旦早々の地震にも心底震撼としたけれど、こんどは放射能か。

この国はまだまだ不穏らしい。

| | コメント (0)

2012年1月 5日 (木)

個人的な記録・通院日記①

12nishi_shinjyuku

昨日不在だった主治医と話すために約束の時間に病院に行くと、父は待ち構えるよう

に病室の前で立っていた。私の顔を見るなり、昨日は同じ病室の人のいびきがひどく

てよく眠れなかったとか朝から何度も血をとられたとか手に刺した針がすごく痛いとか

病院の食事は味がなくて不味いとか、いろいろ泣き言を言う。まだオペの前だというの

にこれじゃ先が思いやられるなと思いながら、うんうんと話を聴く。それにくらべると母

はとても我慢強かった。オペの内容はもちろん、それ以前の度重なる生検もかなりの

苦痛をともなう過酷なものだったのに、こちらの心配をよそにほとんど泣き言を言うこ

ともなかった。よく女は男と違って子どもを出産する痛みに耐えられるようにできている

んだとか、そんな言い方で何でも片づけられてしまうけれど、本当にそれだけなんだろ

うか。女性は社会や家庭における男性とのつきあいのなかで、言ったってしかたのな

いことは言わないようになってしまうんだと思う。少なくとも私の場合はそうだ。

主治医である消化器内科の先生の説明はとてもわかりやすかった。

肝臓がんの治療にはいま主に3つの方法があり、そのそれぞれの具体的な方法と効

果、リスクと治癒率のパーセンテージ、そのなかでなぜ今回この方法を選んだかとい

う先生の考えを、小冊子の絵と図、父の肝臓のCT画像を使って理路整然とわかりや

すく、易しい言葉で説明してくれた。いままでにも何度か母の主治医である大病院の

外科医と話したことがあるけれど、その中でもダントツにわかりやすかった。それで私

はますますこの病院に好感を持った。逆に他人を介して話したことで、私はいままで

自分が思っていた以上に父がボケてしまっていたことを思い知らされた。

哀しいかな、年をとると人はボケる!

でも、それは私の友人の医者が言うように、哀しいことばかりじゃない。

こういう場合、多少なりとも本人の痛みを軽減してくれる。

医師の言うことがよく理解できなかったせいなのか、今回のオペをしてもガンが完全に

治るわけじゃないということに落胆したのか、あるいは私に何か腹を立てているのか、

わからなかったけれど病室に戻った父は少々不機嫌になり、冷淡な口調で私にさっさ

と帰るように言った。もちろん、そんなことは私は平気だったけれど。

私がもうずいぶん前からとても気になっているのは、父の手が異常に冷たいことだ。

からだが芯から、内臓からすっかり冷え切ってしまっているのではないか。

病院を出ると一気に疲れが襲ってきた。

昔ほどではないにしても、やっぱり医者と話をするのは緊張する。

それにしても病院というのはどうしてあんなに疲れるところなんだろうか。

短時間いるだけでもエネルギーを吸い取られる感じがする。

昨日も今日もお昼を食べ損ねて空腹だったけれどひとりでレストランに入る気にもな

れず、デパートの地下で子どもに甘いものでも買って帰ろうと伊勢丹に寄った帰りの

ことだ。いきなりけたたましいサイレンの音がして救急車が走ってきたと思ったら目の

前で止まった。すぐ前に人垣ができている。あ、このままだと通行止めされて直進でき

なくなるかも、と思ったら交通整理の人に前に通された。行きすぎる瞬間に見えたの

は石畳の路上に倒れた人。ほんの一瞬だったのに人間の感覚ってすごいもので、白

いシャツに黒のスーツを着た身なりのよい老紳士が横向きに目のあたりを押さえるよ

うにして倒れているのが見えた。その白髪の、髪のない頭頂部からは流れるほどでは

ないけれど血が出ていた。それはまるで、路を歩いていたら頭上から何か重たい物が

落ちてきて頭にぶつかり、脳震盪を起こして倒れたように見えたけれど、あたりには落

下物のようなものは見当たらなかった。まるで映画のワンシーンのようだった。瞬時に

私は「なんて可哀相に!」と思ったけれど立ち止まることはできなかった。

倒れていたのが老人だったせいもあって、電車に乗ってからもその光景をしばらく頭

の中で反芻した。正月早々、入院している自分の父。正月早々、路上で倒れて病院

に運ばれる老人。運が悪ければ彼はICU行きだ。

家に帰って珈琲をいれて伊勢丹で買ってきたカヌレを食べたら、一気に劇的睡魔が

襲ってきて、それから1時間ばかし眠ってしまった。カフェインはいつもこういう場合、

私にはまったく効力をなさない。

| | コメント (2)

2012年1月 4日 (水)

アンドルー・ワイルの『癒す心、治る力』

Andrew_weil

今日は暗いうちから起きて支度して、1人で簡単な朝食をとって病院に向かった。

今朝、ついに父が入院した。

初めて行く病院は、西新宿にある大きな大学病院。

なんたって極端な医者嫌い病院嫌いで、自身はなるたけ医者には行かないようにして

いる私だから、正月早々こんなマンモス病院に行かなきゃならないなんて、やれやれ

といった気分なのだけれど、いちばん憂鬱なのは当の本人なのだろうから、そんなこ

と言ったところでしかたがない。いつものように飄々と明るい顔で出かける。

父の病棟は17階。

高層ビルに囲まれた病院は迷子になりそうなほど大きかったけれど、天気だったこと

もあってか思ったより明るい雰囲気で無機質な感じがしなかった。担当の看護師も若

くて明るい。いくつかの予備検査の順番を待つあいだ、番号のついたドアの前で父と

並んで椅子に座って、壁のレーンをガタゴト運ばれてゆくカルテを眺めた。ご多分に

漏れずこの病院も正月早々病人であふれていたけれど、患者はIDカードでシステマ

ティックに管理され、検査を受けるしても以前の病院ほど待たされない。よくできてる

と思う。検査の後はパジャマに着替えた父が『肝臓食』という札の付いた、見るからに

減塩食のお昼を意外とおいしそうに食べるのを眺めつつ、妹と暮らしてるといっても

妹の休日と朝と晩のわずかな時間をぬかせばほぼ一人で暮らしてるも同然の父は、

病院にいたほうが栄養的にはいいくらいかもしれないなと思った。

今日が仕事始めで先に帰った妹の代わりにそのあと私が担当医の話を聴くことにな

っていたのだけれど、4人いる担当医のうち上の医者が今日はいないというので、明

日また私が病院に行くことになった。あさってはオペ当日だし、術後は術後で行かな

きゃならないだろうし、予想はしていたけれどとうぶん病院通いになりそうだ。いまま

でずっと切符を使っていたアナログな私だけれど、こりゃついにSuicaか? なんて思

っている。そして今朝、私が家を出るとき持って出たのがこの本、アンドルー・ワイル

の『癒す心、治る力』だ。

アンドルー・ワイルのことはよく知らないけれど、デパートのオリジンズのコーナーで何

やらひげもじゃらの仙人みたいなおじさんの顔は見たことある、という人もいるかもし

れない。私がアンドルー・ワイルの本を初めて読んだのはかれこれ二十数年前。

『耳で聞き、こころとからだに効く薬』というサブタイトルが帯につけられた『ナチュラル

メディスン』というCDブックで、それで私はアンドルー・ワイルがとても好きになった。

聞くだけで自己治癒力が上がるといわれるCDは、欧米では実際、手術を受けながら

聞く人もいるというくらいだ。それでこの本がとても気に入った私は、友達の妹が若くし

て皮膚がんになってオペをすることになったと聞いたとき、いてもたってもいられずこの

CDブックと高塚光さんからもらった当時最先端の高価なキノコのサプリメントを持って

彼のところに行った。純粋に、少しでも役に立てればという気持ちからだったのだけれ

ど彼は案の定、嫌な顔をした。彼は典型的な『閉じたこころ』の持ち主だった。それで

その顔を見て「嫌なものを無理に置いてゆく気はさらさらないから持って帰る」という私

に、彼はいちおう預かる、といって荷物を受け取った。けっきょく、その本は私のもとへ

は返ってこなかった。本人にも渡ってないと思う。信じられないけれど失くしてしまった

のだそうだ。大事にしていた本だけにすごくがっかりした。もう過ぎたことだけれど、こ

れってとても残念なことだ。

そんな思い出があるアンドルー・ワイルの本だけれど、その本を買ったきっかけは母

のがん発病だった。誰だって自分自身や近親者がそんなシリアスな事態にでもならな

いかぎり、そうそう病気や健康のこと、食について真面目に考えようなどとは思わない

んじゃなかろうか。とくにまだ若くて、病気と無縁だったら。

今日、久しぶりに手にしたアンドルー・ワイルの本は、適当にどこを開いて読んでも面

白かった。初版は1995年だけれど、17年経ったいま読んでもちっとも古くない。むし

ろ当時すでにこういう本が出ていたにもかかわらず、相変わらず大きな病院が西洋医

学一辺倒なのは何故なんだろう。いまの日本の医療はどこまでこの本に近づいたの

か。大いに疑問だ。

アンドルー・ワイルの本は比較的厚いのが多いけれど、ではそこに書いてあることは

難解かといったらそんなことはない。ワイル博士の文章はとてもわかりやすく、ユーモ

アにあふれている。彼が頭の固い人間じゃないことはその文章をちょっと読めば誰に

でもわかると思う。たとえば私が一緒に仕事をしている友人は耳鼻咽喉科医なのでと

うぜん喫煙に対しては厳しいけれど、いつか「喫煙は、百害あって一利なし」と言うの

で私が即座に「一利はあるよ!」と言ったら、「どんな?」と聞くので「リラックスできる」

と答えた。喫煙者はストレスフルな人が多いので、したがって呼吸が浅い。それを煙

草の煙をゆっくり吸ってゆっくり吐くことで、深呼吸同様にホッと落ち着くことができる

のだと。それは経験があるから私にもわかる。もちろん、それは錯覚に過ぎないし、

からだの中ではリラックスとはまったく反対の作用が起きているわけだけれど。

そして、その喫煙と飲酒について『くすり・化粧品・その他の有害物質』というところで

アンドルー・ワイルはこんな風に書いている。

 わが国で使われている慰安薬のうち、アルコールとタバコはもっとも毒性が強いも

 のである。アルコールは肝臓と神経細胞に直接害をあたえ、上部消化管に強い刺

 激をあたえる。しかし、アルコールには気分をリラックスさせ(人間関係を円滑にし)

 心臓血管系を強化させ、HDL(善玉)コレステロールの産生を助けると言う利点もあ

 る。両面性があるのだ。したがって、健康にたいするアルコールの影響は個人の使

 用パターンによって大きく変わってくる。肝臓と胃と神経系がじょうぶな人なら、適度

 のアルコールは健康と治癒に役立つ。内臓が弱い人は、少量でも害がある。大量

 摂取は、どんな人でも健康を損なう恐れがある。

 煙草の場合はその両面性が少ない。集中を高め、リラクセーションを深めるという

 効果もあるが、ニコチンは、とくに深く吸いこんだ場合、きわめて毒性が強いもので

 ある。また、全身の動脈を収縮させて血液循環を阻害し、治癒を妨げるという欠点

 もある。さらに喫煙によるニコチン嗜癖は、多種の発がん物質をふくむ有害物質の

 長期にわたる摂取という問題をもたらす。喫煙は治癒系の主要構成システムのひと

 つである呼吸器系に負担をかけることにもなる。嗜癖にならない少数の幸運な愛煙

 家にたいしては、わたしのすぐそばでプカプカやらないかぎり、やめろというつもりは

 ない。だが、それ以外の喫煙者にはできるかぎりやめるようにすすめたい。

また別のところで、喫煙がストレス解消法になっている病人が喫煙をやめたらさらに病

気が悪化してしまった症例では、

 その患者へのわたしのアドバイスは、ストレスマネジメントの技法を身につけるまで

 はタバコをやめるなということだった。

と書いている。

これは私の友人の耳鼻咽喉科医よりはずいぶんと鷹揚な言い方だと思う。

何故この本から喫煙のことを取りあげたかといったら、すでに自身に不調があるにも

かかわらず喫煙し続ける人が多いから。そして喫煙者が自分をだまくらかすために間

違ったことを言うから。はっきり言っておくけれど、喫煙で喉の粘膜が鍛えられて強くな

るなんていうことはありえない。喫煙者は自分ががんになるかもしれないというリスク

を覚悟したうえで(気分よく、おいしく)吸えばいいと思う。こころになんらかの後ろめた

さを抱えながらしていることが一番からだに悪いから。

さらに、この本がどういう本であるかを端的に示すために『がん患者がするべきこと

というなかから最初の項目だけを引用すると、『がんは、たとえ初期で限局性のもの

でも、治癒系の衰弱の表現であり、全身病である。したがって、患者は身体的・精神

的・感情的・霊的なすべてのレベルで改善を行い、全身の健康状態と抵抗力を向上

させるようにこころがけねばならない』とある。問題は『身体的・精神的・感情的・霊的』

の部分。この本では西洋医学が得意とする『身体的』な治療だけでは治らなかった病

気がいかにして治癒の方向に向かったかを、具体例をあげて読み手にわかりやすく

書いている。そして、その具体例を読みながら、治癒に本当に必要なものが何である

のかが見えてくるようになっている。極端に縮めて言ってしまえば、病は自分の中から

生まれ、そして治る力もまた自分の中にある、ということなのだけれど。

そして、治るための方法を、精神論だけじゃなく、ありとあらゆるアプローチから具体

的に示唆してくれている。ワイル博士がこの本で最も言いたかったことは、『だから、

たとえ西洋医学から見放されてしまったとしても、治る道はまだほかにもあるんだよ』

ということなのだと思う。

最後に本の帯に書いてあるワイル博士の読者へのメッセージを引用しておこう。

私がこの本を書いたのは薬学と医学の考え方を変えるためです。医療現場で働く

人や自分の体に問題を抱えている人は、いまの治療法に限界を感じている場合が

多い。そういう人達に、世界にはまだ広く知られてはいないが、有効な治療法がある

ということを知ってもらいたかった。この本は誰にでも読める本です。自分の体や癒

しに興味がある人、知識はないけれども知りたいと思っている人はもちろん、医学や

薬学を専攻している学生さんや専門家にも読んで欲しいと考えています。』

家にいると仕事と家事を途切れ目なくやっているので読書に割ける時間はほとんど

ないけれど、しばらくのあいだは父の病院に通わなければならないから、行き帰りの

電車の中では読書ができる。とうめん私はこの手の本を読みあさることになりそうだ。

いま、病気はなってから治す時代ではなく、予防する時代。

それには賢さが必要だ。

知識ではなく、深いスピリットに到達すること。

この本は、病気になりたくない人、すでになんらかの気になる症状を抱えている人(私

も含まれる)、とくに深刻な症状を抱えている人にはぜひ一読してもらいたい本。

| | コメント (4)

2012年1月 3日 (火)

めでたし玄米麺と発芽玄米もち

11genmaimen_01

去年の暮れに10年ぶりに家に来てくれたTeruちゃんが、レインボータルとともに持っ

て来てくれたのは『めでたし玄米麺』。

一見、太い輪ゴムみたいに見えるけれど、栄養豊富な玄米を使った米麺で、小麦粉

をぜんぜん使用していないので小麦アレルギーの人にも食べられて、ふつうの玄米

が食べられないという人にもおいしく食べられるという。

特徴は、同じ米麺のビーフンやフォーと違ってコシが強くてもちもちした食感があるの

と、ゆで伸びしないこと。半生麺なので調理時間が短いこと、などなど。ただ、玄米独

特の風味があるため、人によってはそれが駄目だということもあるから、とりあえず試

しに食べてみて、ということだった。

さっそくいただいた日の夜に2食をおかめ蕎麦にして食べたところ、ふつうのお蕎麦と

違ってすごく弾力があってもちもち・つるつるしている。たしかに時間が経ってもぜんぜ

ん伸びない。麺自体にはちょっと珈琲のような、ほうじ茶のような独特な風味があって

私はそれもおいしいと思った。ただ、Teruちゃんは玄米を食べない私の父にいいんじ

ゃないかと言って持ってきてくれたのだけれど、麺の袋にゆで時間が書いてなかった

ので適当にゆでたら私のゆでかたはお蕎麦としては気持ちアルデンテ過ぎて、80の

父が食べるにはちょっと固いかな、という感じだった。翌日、こんどは余った1食で蕎

麦のペペロンチーノを作ってみたら、これはすごくおいしかった! 

ペペロンチーノはゆで汁を入れてソースを作るから麺の風味が生きるし、昨日より麺が

やわらかくて食べやすい。もしかしたらこれはパスタで作るよりおいしいかも。

麺のやわらかさは微妙なゆで時間しだいなのだと思う。

11genmaimen

この玄米麺、原料の玄米には福島県いわき産の玄米を使っている。

先日のレインボータオルはコストと手間がかかりすぎるため再生産は不可能でほとん

ど利益の出ない仕事ということだったけれど、これはこれで商売というよりは福島の支

援のためにやっていることらしい。おいしくてからだに良くて、食べて支援になるとすれ

ば、そんなにいいことはない。私がもらったのはビニール袋に入った実用的なものだっ

たけれど、実際のめでたし玄米麺はきれいにラッピングされたギフトに最適なもの。

Teruちゃんによれば、「MEDETASHI」(めでたしとは、不安な気持ちを明るくハッピ

ーにさせてくれる「めでたし」という音の響きとともに、めでたい気持ちになってほしい

という想いがこもったブランド名、とのこと。

今の日本で、新しい年が明けたからといってノー天気に「めでたい」という人もそうそう

いないだろうし、先行き不安が何もないという人のほうが少ないだろうけど、でもいま

無事にあることを心から感謝して、新年くらい素直にそのことを寿ぐのもいいのではな

いかと私は思う。

・・・・・ というわけで、そんな新年のささやかなお福分けに、この『めでたし玄米麺』は

いかがでしょう?

そして、下はいつか国連大学前のファーマーズ・マーケットで買った発芽玄米もち。

11genmai_mochi

2回前を通ってどうしても気になって買ったのだけれど、「フライパンで、オリーブオイル

で焼いて天然塩をかけて食べるとおいしいよ!」という店のおばさんの言葉どおりにや

ってみたら、これまたすごくおいしかった!

なんていうか、和食を超えた味。

これは、おもちピザにもいいかもしれない。

11genmai_mochi_01

| | コメント (0)

Julia

11julia

Harf of what I say is meaningless

But I say it just to reach you, Julia


Julia,Julia,oceanchild,calls me

So I sing a song of love,Julia

Julia,seashell eyes ,windy smile,calls me

So I sing a song of love,Julia


Her hair of floating sky is simmering,glimmering,

In the sun


Julia,Julia,morning moon,touch me

So I sing a song of love,Julia

When I cannot sing my heart

I can only speak my mind,Julia


Julia,sleeping sand,silent cloud,touch me

So I sing a song of love,Julia

・・・・・・・・ calls me

So I sing a song of lve for Julia,Julia,Julia


( Music & Lyrics By John Lennon )

*****************************************************************

昨日、夜遅く家に帰ってきたら、30日に買ったジュリアが萎れてしまっていた。

Julia。

ジュリアっていうとすぐに思いだすのはジョン・レノンの『Julia』で、私はこの歌の最初

の『ぼくの言うことの半分は意味がないけど、でも君に伝えたいんだ。ジュリア』って

いう歌詞が大好きで、これって誰にとっても表現の発露の基本なんじゃないかと思う。

マスがあって何かを作るんじゃなくて、とっても個人的なたった1人の相手に向けた。

少なくとも昔のシンガー・ソング・ライターはそんな風だったよ。

・・・・・・ そんなことを娘に話しながら、これを買った日は午後遅くなってから始めた大

掃除の区切りがなかなかつかなくて、すっかり遅くなってしまった夕飯の買いだしに行

く夜道、Juliaを口笛で吹きながら歩いた。

私の母は私が口笛を吹くのをすごく嫌がった。

たぶん女の子が口笛を吹くのはみっともないと思っていたからで、夕方に口笛を吹くと

蛇が出る、とか、夜に口笛を吹くのは不吉だとか言ってなんとかやめさせようとしたけ

れど、なんど注意されてもやめなかったので私は口笛が上手くなった。

買いものの帰りは『Mother Nature's Son』を吹きながら帰った。

そういえば高校生のとき、ビートルズ狂の親友に借りたホワイト・アルバムを聴いてい

て、私はこの2つをなんていい曲なんだろうと思いながら聴いていたのだけれど、母は

「お経みたい」と一蹴した。それって私がいま単調なラップを聴いていて「お経みたい」

と思うのと同じなんだろうか。

2枚組のシリアルナンバー付きのレコードはもうとうに手放してしまって、いまうちにあ

るホワイトアルバムのCDは、やっぱりかなりビートルズ狂の年下の男の子にもらった

もの。これは返しちゃわなくてよかった。

私自身はもう久しくこの歌の心境にはないけれど、もうそろそろ現れてもいいころなん

じゃないかな、と思う。もう十数年もひとりでがんばってきたんだしね。

そう思って、このお正月にお伊勢さんに行くという友達に縁結びのお守りを頼んだ。

娘には大いに人の悪い笑いかたをされたけど。

| | コメント (2)

2012年1月 2日 (月)

正月二日

12zenzai

今朝の朝ごはんは昨日煮ておいた小豆に焼いた発芽玄米もちを入れたぜんざいに、

紅白なますを添えて。小豆はまだサラサラのうちに火を止めて、甘味はてんさい糖と

天光糖で甘さ控えめに。今年、意外にも息子に好評だったのが玄米もち。

もちをこんなにうまいと思ったのは初めて!

だそうで、それは玄米そのものが持つ芳ばしさとか、もちもちした弾力とか食感もそう

だけれど、やっぱりスーパーで一年中買える切りもちと違って、人が杵でついたもちだ

からってことが大きいんじゃないかなあ、と思う。私もだんぜん白い切りもちより玄米も

ちのほうがおいしくて好きになった。これは見つけたらまた買ってこよう。

お正月二日は毎年、実家にお年始に行く日。

母が亡くなって以来そこでは毎年デジャヴュみたいに同じ光景が繰り広げられるのだ

けれど、今年は何もかもがうまくいった。つまり、円満に。妹もいつもの年より頑張った

し、息子も少しは大人になった。今年は正月三が日が明けた途端に父の入院で、翌

一日空けて6日はオペだ。外科医にとっては大したオペではないとしても、受ける側に

とってはリスクをともなったオペ。私は現場にいなかったけれど、医者からはあらかじ

めそのことについても言われたらしい。そんなこと80の老人の前で直接言うことじゃな

かろうに、と私は思うけれど、父は父で「それで死んでしまったらそのときはそのとき」

なんて言っている。いずれにしても父のオペの結果、経過いかんで今年の先行きが変

わってくることはたしかで、今年はあんまりお正月気分という感じではないけれど、とり

あえずお正月二日は平穏に過ぎた。これを幸先いいスタートとしよう。

| | コメント (0)

2012年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます。

2012dragon_year

2012年がつつがなく明けました。

ドラゴンイヤーの始まり。

2012dragon_year_01

毎年変わり映えのしない我が家のお雑煮です。

いつもと違うのは入っているお餅が玄米餅なことくらい。

でも、新しい年の気持ちには変わりありません。

12ozouni_01_5    

神さま、ありがとう!

私は天の采配を信じます。

今年は龍が空を駆けるがごとく、勇壮な年になりますように!

皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

12hatsuhi

| | コメント (10)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »