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2011年8月11日 (木)

北村太郎のふたつの詩/『死の死**』『秋のうた』

20110811sky

 死の死**


まだ夏が始まらないのに

季節が終わったなと実感するのは

夏だけだと思いながら

梅雨の夜を過ごしている

時は直線ではなく

円を描きながら動いていて

それがもはや五十個以上の円になってしまった

どの円も互いに縺れて

とぐろを巻いている

それらはたぶん

死のときにするするっと一直線に伸びるのだろう

それまでは

まるい時間がたってゆく

貯まってゆく

蛇のようではあるが

それがグロテスクというのでもない

むろん高貴でもないが

なんだか悲しく懐かしく

また笑うべきもののようでもある

時が一直線になるとき

一瞬でも

輝くかと思ってみたりする


字を書いてみようと

墨をする

墨はいい匂いだが

ときに唾のように臭い

「もう形而下だ

こうなったら毒だみの茂みだ

みみずの耳は

何を聴く」と

丁寧に書く

闇の雨に

紫陽花のはなびらが

刻々と色を変えてゆくのも

まるい時のへりでだろう

かみなりがはたたけば

梅雨は終わりという

筆を置いて轟音をおもう


(北村太郎詩集『おわりの雪』から、『死の死**』)

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 秋のうた


ねむれないからねむらない

真夏はたちまち過ぎて

鋸歯状の

ムクゲの葉は

日ざかりの光をやけどするほど浴びたものだから

いちまいいちまいひからびて落ちて

湿った土のうえ

がまんできない暑さの長さはたしかにあったのに

蟻とともに

いつもの年のように

去った季節

さよならといえる季節はいつも夏だけだなと思いながら

涼しい夜の闇をみる

ねむれないからねむらずに

まだ秋の初めなのに

ボードレール的な冬をおそれている

健忘症?

タバコをふかして煙のゆくえをみている

季節の移り変わりなんて

暑さや

寒さと関係ないのだと思おうとする

心頭滅却スレバもへちまもなく

気がかりは

日没の

時刻だけなのだと考えながら

ねむれないからねむらずに

ウィスキーの水割りをのんでいる

がまんできない暑さの長さってほんとうにあったのかしら?

さよならといえる季節はたしかに夏だけなのだ

それが証拠に

ただいま、といって現れるのは

いつも秋

ねむれないからねむらずに

コオロギの繊細な澄んだ音と

遠くの救急車のピーポーピーポーとを

同時に聴いていて

ごく静かに降りつのってくる

雨足を見る


(北村太郎詩集『ピアノ線の夢』から『秋のうた』)

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毎年いつも同じことをしているような気がする。

私には季節ごとにきまって思い出す音楽や詩のフレーズや映画や小説のなかのワン

シーンなどがあって、頭に浮かぶのはごく一部なので、その出自がどこにあったか、

全体はどんなだったかあらためて知りたくなって探すことになる。音楽や小説などは

探すまでもなくすぐに何の曲か、なんてタイトルの小説かわかるのだけれど、詩とな

るとそうはいかない。ひとりの詩人のたくさんの詩の中からその小さな断片を探し出

さなきゃならない。それでいつも最初に数冊の詩集が文庫本にまとめられたようなも

のをひっぱりだしてめくってみるのだけれど、それでも見つからないときは本棚から

ひとつひとつ詩集をとりだして端から見ることになる。それでもなかなか見つからない

ときには、もうそれが本当に存在したものなのか自分自身が捏造したものなのかさえ

わからなくなってくる。いや、そんなことはない。たしかにあったはずだ。あれはどの詩

集の中だったか ・・・・・・

そして、そういうのを毎年やっているような気がするのだ。

我ながら馬鹿じゃないかと思う。

それで、もしかすると去年も同じようなことをここに書いていたかと思ってこのブログの

去年の夏の記事も探してみたけれど、なかった。・・・・・・ ということは去年はどうやら

見つけられなかったらしい。だが今日はついに見つけたので、どうせ来年もまた同じこ

とをするのだろうから、自分の覚書のためだけにここに書いておくことにした。

私は毎年、夏のこの時期になるとこのふたつの詩の中のいくつかのフレーズを思い

出す。といって人間の脳とか記憶のしくみってどうなっているのか、どうも自分のいい

ように勝手に記憶するものらしく、いざ引いてみればどちらも今の季節の詩ではない

のだ。ひとつは梅雨。もうひとつは秋の始め。

でも、どのフレーズが今の季節と連動して私の記憶にインプットされたかというのは、

たぶんこのふたつの詩をよんでもらえたらきっとわかっていただけるだろう。

人の記憶って面白い。

今日やっと私はここにこの記事を書くことで、私のなかの曖昧な詩のフレーズを、そ

のままその詩のタイトルに置き変えることができたのだ。そしてそのフレーズがなぜ

そんなに私の心を捉えるのか、なぜ私がこの言葉にこだわるのかというのはたぶん

私だけの感覚であって、きっと人にはわからないものなんだろう。逆に私と同じところ

で同じように引っかかる人がいたとしたら、それは感覚的に私と近い人なのかもしれ

ない。それがいまこれを読んでいるあなただとしたら、私はあなたと握手したいくらい

だ。はじめまして。どうぞよろしく。

私がいま気になるものをもう少しあげると、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』の

中の『午後の最後の芝生』、それからもう少しすると『1973年のピンボール』とビート

ルズの『ラバー・ソウル』だ。村上春樹風にいうと『それは毎年いつものことだ』。

もうそろそろ新しい記憶に上書きされてもいい頃だと思うのだけれど。

それにしても今日の雷は凄かった。

まるで空が引き裂かれるような音がした。

窓の近くにいても危険と思えるくらいの稲妻の閃光で、一瞬家の中が暗くなったと思っ

たらコンピュータが飛んでしまったのだった。

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日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ。ご無沙汰してます。ご挨拶が遅くなりすみません。
暑すぎて眠れない夜が続いています。私の場合眠れないから
ついPCの前にい続け目を痛めつけています。
きっとそのせいでしょう、先日健康診断を受けたら視力がめっきり
落ちていました。それみたかのように家内のボヤキボルテージが
アップしました。soukichiさんはお変わりないですか?
この暑さでは健常者でも参っちゃいますよね。お気をつけてくださいね。
angel さんって懐かしいですね。確か娘さんが「つぐみさん」とか言うお名前の
方ではなかったでしょうか?私の薄い記憶力に微かに残っています。
また寄せていただきますね!

投稿: うー | 2011年8月13日 (土) 13:40

うーさん、こんにちは!
眠れないときにコンピュータの画面見るのは余計にいけません。
眉間の間にはいわゆる体内時計と言われる松果体があって、コンピューターの強い光を見続けているとここが刺激されてよけいに眠れなくなるから。
体内時計も狂ってしまう。(私は夜更かしなのでもうだいぶ狂ってますが・・・)
寝る前にぬる~いお風呂にゆっくり入って副交感神優位にするとか、すこーしアルコールを飲んで休むとかされたらいかがでしょう?
それと、眼精疲労と視力低下にはブルーベリーアイがいいです。
私、今の在宅勤務になった直後からコンピュータの使い過ぎで目が痛くなってしまって、その頃に試しに飲んでみたらすぐに痛みがなくなって、以来ずっと愛用してますけど、
お陰さまでまわりの友人が老眼になるなか、私はぜんぜんならずにすんでます。
よかったらお試しあれ!

私、暑さ寒さには強いみたいです。
年々、肩こり首こり背中こりには悩まされてますけど、お陰さまでそれ以外はいたって元気です(^-^)

angelさんね、そうですよね。
もうブログ始めた頃からの友達はangelさんとうーさんと、わずかになってしまいました。
始めた頃は今と違ってブログも勢いがあったし賑やかだったし、実に屈託なくやってましたよね。
今でもあの頃の友達がいちばんなごみます。

いつも書くことですが、お店なんかやってると心底お休みできる日ってなかなかないだろうと思います。
どうか疲れをそれ以上溜めないようにして、休めるときにはできるだけ休んで、元気で夏を乗り切ってください。
また秋からは小鳥ちゃんを追いかけるのに最適な日々がやってきますよ。
それまでお元気で!

投稿: soukichi | 2011年8月15日 (月) 16:59

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