« 夏の瞳 | トップページ | ひまわり迷路 »

2011年8月15日 (月)

終戦記念日なのですいとんを作った。

11suiton_01

これと同じような記事は前にも書いたかもしれない。

子どもの頃いつものように母に「今日のごはん何?」と聞くと、「今日は終戦記念日だ

から、すいとん」と言われた。戦後の物のなかった頃は白米なんて滅多に食べられな

いから、こういうのでとりあえず空腹を満たしたのよ、ということだったけれど、出てき

たすいとんは普通においしかった。それはそうだ。いま作るすいとんと昔作ったすいと

んは違う。今みたいに具だくさんじゃなかったろうから。

思えば私の父も母も、戦中戦後をよく生き伸びたと思う。

父は東京で、母は樺太で。

そう、私の母は樺太生まれなのだ。

祖母は宮城のそれなりに大きな家のお嬢さんだったというから、十条製紙に勤める祖

父と結婚などしなかったら樺太に行くことなんてなかったと思う。祖父と祖母、母を1番

上の長女として次の長男から5人の弟といちばん末の妹、それに樺太犬の一家総勢

9人と1匹は、冬ともなると睫毛も凍ってしまうような極寒の地で暮らした。

雪深い間は犬に橇を引かせて出かけたり、学校までの道のりを毎日スキー履いて通

ったなどという思い出は、子ども心にはすごく楽しそうに思えたけれど、いま思うと本当

は楽しいことよりつらいことの方が多かったのかもしれない。母が面白おかしく話すも

のだから、いつのまにか私の頭の中では楽しい思い出になってしまっていた。

太平洋戦争終結前のことか後のことなのか時系列が定かではないが、樺太では母は

こわい思いもしたらしい。いつものように家族で夕飯を食べようという頃、とつぜん銃

を構えた青い目のロシア兵がどやどやと4人ばかり家の中に入ってきて、家族全員を

見まわした後、娘を嫁にくれと言ったらしい。祖母が片言のロシア語で、まだこの子は

子どもなので、どうかそれだけは堪忍してくださいと泣いて頼んでなんとかその場は難

を免れたという。ロシア人の青い目と整った顔は冷ややかだったけれど、兵隊のなか

にはかわいい顔をしたまだあどけない少年兵がいて、小さかった末の弟に自分のポケ

ットから出したおもちゃをくれたという。「あのとき、あのままロシア兵の嫁になってたら

人生まるで違ってたかもね~。かわいいハーフの子どもがいたりして」などとアホなこ

とを言う母なのであった。そうやって、おちゃらける母ではあったけれど、本土に帰る

引揚船の中では末の妹が亡くなった。はしかで、ふつうなら死ぬこともなかったろうに

船のなかには医者もおらず薬もなく、それどころか食糧や水さえ足りてなかった。

幼い妹はリンゴが食べたいと言い、高熱のなかでもらったゆでたジャガイモをリンゴだ

と思って「リンゴ、おいしい」と言いながら亡くなったという。そして海の上では荼毘に

ふすこともできないから、妹の遺体はそのまま海に流された。まだ若い母親だった祖

母と家族にとってはどれだけつらい経験だったろうと思う。私の知る祖母は芯は強い

けれどとても優しい、明るい人だったけれど、末娘を亡くしたことについてはずいぶん

長く引きずり、自分を責めていたそうだ。祖母にとっては5人男が続いた後の待望の

女の子でもあったのだろうから。母にしたってその子がいれば後々何かと話相手がで

きてよかったかもしれない。そのあと、本土にたどり着くまでもずいぶんと大変だった

らしい。「なんたって七つの海を越えてきたんだから」が母の口癖だった。

こうした母の思い出話は、子どもだった頃から大人になるまでのあいだに母から何度

となく聞かされてはいたけれど、もう今となってはどれも断片的で、きちんと文章に書

けるほど私のなかに残っていない。今さらながらに母が生きているあいだにもっと昔

の話をちゃんと聞いておけばよかったと思う。

そして父の話となると、もともと父は「し」と「ひ」が言えなくて活絶が良くないのと母ほ

ど話がうまくないのとでもっと断片的でもっと曖昧で何が何だかわからない。ただ子ど

もの頃から激動の時代を生きてきたことしかわからない。でもそれも、母のことを思え

ば父が生きているあいだに気長に聞いておくべきかもしれない、と思う。

今日NHKで戦没者追悼式を見ていたら、戦後66年経って参列者のほとんどが70を

超えたと言っていた。ご両親がまだご健在の方は、この機に親がどうやって戦中戦後

を生き伸びてきたかについて聞いてみるのもいいと思う。イデオロギーの話もいいけれ

ど、イデオロギーから見た戦争だけが戦争じゃない。

・・・・・・ というわけで、本日の遅いお昼はすいとん。

暑い盛りにこれを作るのも食べるのも暑かったけれど、ともすれば知らず知らずのう

ちに夏バテ、クーラー病などでお腹を壊しがちなこの時期に、温かい根菜をいっぱい

食べるのは身体にいいかも、です(^-^)

温かいすいとんはモチモチしておいしかった。

母がいなくなって食べられなくなったもののひとつに、くるみを擂った中にすいとんを入

れて作ったクルミ餅がある。あれ、また食べたいなあ!

・・・・・・ まぁ、自分で作ればいいんですけどね。

|

« 夏の瞳 | トップページ | ひまわり迷路 »

おうちごはんがいいよね!」カテゴリの記事

コメント

母の作るすいとんが不味くて、すいとんは苦手になってしまった。
でもこのそうきちさんのすいとんは、美味しそうですね。
父の話だと戦時中 東京から疎開してきたとき食べるものが無くて、玄米には何時もサツマイモが入っていて、時々食べる白米がもの凄く美味かった。
だから前に私がよく玄米食べていたとき「どう、食べる」と訊くと「そんなもの食えるか」と言われたことがありました(笑)。
戦争が終わって父が両国の小学校時代の同窓会に行ってみたら1/3は亡くなったか行方不明になったらしいです。
戦争に対する思いは人によって違うと思いますが、殆どの人が良くないと思っているはずです。
今、大変な時代になってしまいましたが、とりあえず笑顔で、終戦記念日なので、明日に希望をもって何か楽しいことをしようと思いました。

投稿: jose | 2011年8月16日 (火) 00:07

joseさん、
いつもコメントありがとう!
うん。ふつうにおいしいですよ(^-^)
うちでは冬に鍋をした後にもすいとんを入れて雑炊がわりに食べたりします。
わざわざ作らないかもしれないけれど作り方を書いておくと、小麦粉60グラムに片栗粉25グラム、塩少々、水40ccを約1人分として、粉と塩を混ぜたボールにぬるま湯40ccを少しづつ入れて最初は菜箸でかき回し、固まってきたら手でよくこねて丸めてラップをして冷蔵庫で1時間寝かし、あとはたっぷり沸かした湯のなかに寝かせておいたタネをちぎって入れて茹でます。浮き上がってきたら茹であがり。
それを別に作っておいた汁のなかに入れて煮たらできあがりです。
何もないときでも簡単に作れておいしいし、冬はあったまっていいです。
よかったらお試しください。

昔の人はどんなに身体にいいと言っても玄米は食べませんね。
やっぱりそれだけ嫌な思い出があるんでしょうね。
私の父も食べないです。
「おとうさんの友達はもうみんな死んでしまった」が私の父の口癖ですが、ああ、そうか、年をとって亡くなった人だけじゃなくて、すでにもうその時点からずいぶん減ってしまったんだ、とjoseさんのコメント見てあらためて思いました。
私の同級生でもすでに亡くなった人が出てきているけれど、あの時代の人はそんなもんじゃないですもんね。やっぱり、さびしいんだろうなあ・・・・・・

うん、私もそう思います。
いまのこの時代、どこからどう見ても希望にあふれてはいないし、特に戦争のことを強く思いだすこの季節はネガティブなことを言う人が多いけれど、こんな時代だからって、生きてかなきゃならない。
そして、生きていく限りはできるだけ健康なほうがいい。
そのほうが人にも迷惑かけないですしね。
で、そのためにはまず心が健康じゃないとだめなんです。
たかがブログでも日常的に発言している人にはそこのところをもうちょっと考えてほしい、と思ってしまう。プラスのパワーよりネガティブな伝染力のほうが強いんだから。

今は限りなくPC漬けで身体感覚を失った時代ですけど、なんとか身体性を取り戻さなきゃと思います。joseさんは身体を使ってものを作り出す人だから、その点はきっと私なんかよりもいいでしょうね。
また素敵な曲ができたら聴かせてください♪

投稿: soukichi | 2011年8月16日 (火) 23:44

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 夏の瞳 | トップページ | ひまわり迷路 »