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2011年8月28日 (日)

縁日

11ennichi

先日、父に電話をしたら「27、28また八幡様のお祭りだから」と言われて、もう子供も

大きいからお祭りという感じでもないし、その神社のお祭り自体年々、昔ながらの風情

がなくなって魅力がなくなってきてしまっているから正直どうでもよかったのだけれど、

ただ父が待っているというその一点のみで出かけた。何を思ったのか今年は一緒に

行くという息子と、じゃあ夕飯はみんなで外で食べようかと話しながら。

ところが暑いなか家にたどり着くと、間の悪いことに父は留守だった。

どうせ我々が来るからと近所へ買い物にでも行ったんだろうと思って待ってみたけれど

いっこうに帰ってこない。まだ外は暑いさなかだし玄関先は蚊に刺されまくるしで待っ

てられないので父が行きそうなスーパーまで行ってみることにした。

そこで驚いたのは、ちょっと歩いたら近所の様子がすっかり変わってしまっていること

だった。子供の頃から見慣れた、記憶のなかの風景とはまるで違う。あったはずの建

物はごっそりなくなって広大な更地になり、いまや大規模が工事が行われているとこ

ろだった。そして行く先々を工事で通行止めにされながらやっとたどり着いたスーパー

にもけっきょく父はおらず、「もう来年は来ないぞー」と悪態をつきながら帰りは3人で

トボトボと別の道を通って帰った。もういったいどこの町を歩いているのかわからない

くらいの変貌ぶりだった。前に、福岡出身の友人がたまに実家に帰省するたびに(町

の変わりようにも自分の実家にも)、もうここは自分の帰ってくる場所じゃないと感じる

と言っていたけれど、それはたかが23区内でも同じだ、と思った。もうここには母もい

ないし子供の頃かかりつけだった優しい医者も年老いて看板を降ろしてしまったみた

いだし、小学校の頃の友達の家もなければ一緒に遊んだ公園もない。

家に戻ると父は帰っていて、それから持って行ったDVDを見た。

ラッセ・ハルストレムは数作見たところでもし自分が映画監督になるのならこんな監督

になりたいと思った映画監督で、『アンフィニッシュ・ライフ』は人の許しの先にあるしあ

わせの在り処について描いたいい映画だったけれど、部屋の電気を消したら途中から

父はグーグーいびきをかいて寝てしまった。

そして気持ちよく眠った後で焼き鳥にビールなど飲み、ちょっとアルコールの入った父

の喋ること喋ること ・・・・・・ もう耳にタコができそうなほど聞いた話で、これはいかに

我々が気を長くしたところで毎度は厳しいよなぁ、と思う。でも、それだけ父にはふだん

話せる相手がいないということか。それから父が支度をするのを待って神社に行き、

いつものようにお賽銭を投げてお参りをした。縁日とはもともと神仏との縁のある日の

ことを言うのだ。今夜の夕飯は最初から自分で払う気で誘ったのだけれど、それを制

して父が払ってしまった。

今日よかったことは、この2年半、妹にとっても父にとってもストレスだった鬼のような

職場から妹がついに脱出をはかり、転職に成功したことを聞いたこと。そのせいか、

父がいつもより元気で明るかったこと。

別れ際、駅の改札の前で父は自分の元気さを誇示するようにちょっとおどけて手を振

ってみせた。いつもたいてい、一緒にいる間じゅう退屈していながら、別れた直後から

ケアすることを考えてしまうのが年老いた親というものなのか。切ないなあ。

私が氏神様に祈ることはいつも同じことだ。ここに書くまでのこともない。

来年の夏は父が元気だったら少し遠出して、浅草の縁日にでも出かけてみるか、と

今から思ったりしている。

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