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2011年8月31日 (水)

ローマの休日

Rome

朝早く携帯のメールの着信音が鳴って誰かと思えば妹で、件名は『渡航します』だっ

た。いきなり何かと思えば、前職の有給休暇消化期間中に急きょローマへ一人旅に

行くことにした。いま成田へ向かっている途中、とのことだった。メールは相変わらず

一方的な内容で、飛行機の予定表と保険証のコピーは父に渡してあるとか帰りはい

つだからそれまで父をよろしくとか、最後に「免税店で何か買うものはありますか」とあ

ったから、お土産なんていいから楽しんでらっしゃい、とだけ返事を返した。

日曜日に実家に行くとき電話をしたら「自分はこれから留守にするけど」と言っていた

のだけれど、どうやらその日に旅行代理店に行って急きょ決まったことらしい。それに

しても行くなら行くで月・火と2日あったのだし、日曜はあれだけ電話で話したのだから

その時点で行き先が決まってなくとも「旅行に行くつもり」くらいの前振りをしておけば

いいのになぁ、と思うのだけれど、どうもこのあたり、私とは感覚が全然違うらしい。

前に医者の友人から、親子はかなりの割合で同じDNAを共有しているけれど、きょう

だいとなるとそれはごくわずかで他人とそう変わらないから違って当たり前なんですよ

という(彼なりの)慰めとも気休めともいえることを言われたことがあったけれど、これは

もう彼女はそういう人なんだと割り切ってしまうに限る。

父に電話をすると、どこに行くか父に話したのでさえなんと昨日の夜になってからだと

いうから、それじゃあ私へは行きの電車の中でで当然か、と思った。例によって父は

父で格安チケット航空会社のことや、イタリアなんて治安の悪いところへ1人旅なんて

と心配していたけれど、「イタリアより治安の悪い国なんていくらだってあるんだから

心配したってしょうがないぜ」と言っておいた。(なんたって私が行きたいのはブラジル

だから。)

仕事仲間との朝のメールのやりとりでそのことをチラッと書くと、同僚からは『妹さん、

素晴らしい行動力で、素敵です!!』と返ってきて、なるほど、身内以外はそういう反

応をするのかと思った。たしかに父も私も、彼女にまだそういう元気があるとは思って

なかったからちょっと驚きだった。新しい職場に行けばまたゼロからのやり直しでとう

ぶん長期休暇などもらえないだろうし、父を気遣ってばかりいたところでダイナミズム

に欠けるつまらない人生になってしまだろうし、妹にとってもこれは滅多にないチャンス

だったのかもしれない。であれば、たかが数日のローマ滞在でマジカルな奇跡が起き

るとも人生がリセットされるとも思わないけれど、せいぜいローマの休日を楽しんでも

らいたいな、と思う。

ともあれ、8月最後の今日は朝から雨にならなくてよかった。

毎日、外に出るたびに言ってるけれど、蝉よ、がんばれ!

今日は雨が降る前にと思い立って、昼の買い物のついでに自転車飛ばしてコトリさん

に本を届けに行った。彼女が「台風がくるんだって」と言うから「うん、だから雨が降る

前にと思って」と言ったら、「わくわくするね!」という言葉が返ってきて、思わず顔がほ

ころんでしまった。彼女のそういうところが私は好きなのかもしれない。

雨が降りそうで降らない午後の暗いベランダ。

バラのつぼみが開く前のニュアンスがとても好きだ。

何か起こりそうな予感を微かにはらんでいて ・・・・・・

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2011年8月30日 (火)

塩の花と新月の花

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昔から母が「塩だけは切らすもんじゃない」とよく言っていて、塩を切らすとお金もなく

なるのだそうだ。そういう昔の人の言葉ってあながちただの迷信だけとも思えないか

ら、割と大事にしているかもしれない。それで今朝はその大事な塩がついになくなった

ので、これはもうネットで頼んでいる暇はない!と慌ててそら屋さんに買いに行った。

それから、その足で自転車飛ばしてコトリ花店に向かった。

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先日、コトリさんから素敵なメールをいただいた。

いつも夢など見ないし、見たとしても夢のストーリーなんてちっとも覚えてないという彼

女の夢に、なんと私が現れて、しかも朝になってもはっきり覚えていたから何か私に

すっごく素敵なことが起こったんじゃないかと思ってメールした、ということだった。

そんなことを人から言われたことは久しくなかったし、その日はちょっとブルーだったり

したものだから、まるで小さな花をもらったみたいにパッと気持ちが明るくなった。

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思えば彼女と出会ってからずいぶん豊かな気持ちで暮らせているような気がする。

それはただ単に以前より花のある暮らしを楽しんでいる、ということだけじゃなくて。

切り花はもうほとんど死んだ花だから買わない、という人がいるけれど、私は全然そう

は思わない。昔からどれだけ花に力をもらってきたかわからないし、一輪の花に寄り

かかるようにして帰ってきた夜もある。食卓に小さな花があるのとないのとではまるで

部屋に灯りがついているのとついていないのくらいに違う。それが誰かからもらった花

だったらなおさら。「花屋に花をくれる人はいない」が口癖のコトリさんだけど、この夏

のある日、ほとんど一日花である小ぶりのイングリッシュローズを束ねて持って行って

「すぐ駄目になっちゃうと思うけど」と差し出したら、「今きれいならいい」と言ってとても

喜んでくれて、なんだか目の覚める思いだった。

以来、私も彼女と同じように思っている。

買ってきた花がすぐに駄目になっても、そんなことどうだっていい。

咲いている間その花はじゅうぶんに私にパワーをくれたのだ。

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今日は村上春樹の短編小説『午後の最後の芝生』を思い出すような、晩夏の爽やか

に暑い一日だった。そして、今月も新月の魔法が効いているうちに花を買った。

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今日パッと目についたのはラナンキュラスのようなバラ、ラナンキュラ。

これはコトリさんいわく、ラナンキュラスに恋をしてしまったバラ、だそうです(^-^)

まるでラズベリーアイスのようなコロンとしたバラ。

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それから、今日そら屋さんで買った塩。

ほんとはヒマラヤブレンドソルトを買うまでのあいだ使うような少量パックのがよかった

のだけれど、なかったので1キロ。

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バリ島クサンバの海水が太陽の熱と潮風によって蒸発し、濃縮されて結晶となった最

初の塩を集めたものだということで、完全な自然塩らしい。

袋にFlower of salt と書いてあるように、お皿に出してみると見るからにピュアで美し

い結晶。塩の花というにふさわしい。塩分濃度は控えめとポップに書いてあったけれ

ど、舐めてみるとほのかに甘く、あんまりしょっぱくない。これだけきれいな塩だと、

食べるだけじゃなくて精油を混ぜてバスソルトにしてもいいかもしれない、と思う。

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世の中、なんにでも凝る人がいるけど、たぶん塩マニアっていうのもいるだろうな。

Dr.新谷が『水と塩を変えると病気にならない』という本を書いているくらいだから、

良い塩を使うのはいいことだろうと思う。何よりおいしいし。

我が家はあさって9月からデトックス週間。

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2011年8月29日 (月)

どんぐり

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夏のあいだじゅう鳴き続けて力尽きた蝉の亡骸に蟻がたかっている8月の午後、お昼

のパンを買いに行って舗道に落ちている緑のどんぐりをみつけた。

しゃがんで子どもみたいに拾う。

頭の上ではいまも静かな音楽のように続いている蝉の声、見上げるときれいなブルー

の空に見るからにうまそうなシュークリームみたいな雲がもくもく浮かんでいて、さざ波

のような緑の合間からこぼれる陽は鮮やかだ。

思えば緑が多いということのほかはとりたててこの町が好きなわけではなかったけれ

ど、昨日実家のある中野区に行ったらなんだか行くたびになし崩しに何かがだめにな

っているようで、ここのほうがずっといいと思った。そうしたら息子も私と同じことを思っ

たようで、ちょっと驚いた。良くも悪くも「ここで暮らしてきた」ということか。

父の案内で初めてここを見に来たときのことを思い出す。

お天気の良い明るい午後で、街路樹が途切れたあたりの野火止め用水でアヒルとカ

モが遊ぶ長閑な風景を見て、ここで暮らすのもいいかもしれないと思ったこと ・・・・・・

あのとき前に何もさえぎるものがない明るいマンションの一室でも見つかったら、私た

ちのその後も何か違ったろうか、といま感傷を少しも含まないクリアな気持ちで思う。

すべては夢のあとだ。

そしてここではたぶん、このさき一生つきあってゆくことになるであろう友達に出会っ

た。どう考えても彼女と出会うためだけに私はわずかな期間、辞書の校正室で働い

た。その仕事はあまりにも私には向いてなかったから。

そして、今となってみればそれでじゅうぶんなのかもしれない。

凸凹だけれど、すべては流れに沿ってということなのか。

いつか、今よりもっと居心地のいい場所を手に入れなければ、と思う。

それは意外と近くにあるような気もするし、ずっと遠く、波音がするような場所であるよ

うな気もする。すると私の感覚はまるでわずかな匂いでも嗅ぎ分ける犬みたいに敏感

になって、その方向をたぐり寄せようとする。

今日は新月。

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2011年8月28日 (日)

縁日

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先日、父に電話をしたら「27、28また八幡様のお祭りだから」と言われて、もう子供も

大きいからお祭りという感じでもないし、その神社のお祭り自体年々、昔ながらの風情

がなくなって魅力がなくなってきてしまっているから正直どうでもよかったのだけれど、

ただ父が待っているというその一点のみで出かけた。何を思ったのか今年は一緒に

行くという息子と、じゃあ夕飯はみんなで外で食べようかと話しながら。

ところが暑いなか家にたどり着くと、間の悪いことに父は留守だった。

どうせ我々が来るからと近所へ買い物にでも行ったんだろうと思って待ってみたけれど

いっこうに帰ってこない。まだ外は暑いさなかだし玄関先は蚊に刺されまくるしで待っ

てられないので父が行きそうなスーパーまで行ってみることにした。

そこで驚いたのは、ちょっと歩いたら近所の様子がすっかり変わってしまっていること

だった。子供の頃から見慣れた、記憶のなかの風景とはまるで違う。あったはずの建

物はごっそりなくなって広大な更地になり、いまや大規模が工事が行われているとこ

ろだった。そして行く先々を工事で通行止めにされながらやっとたどり着いたスーパー

にもけっきょく父はおらず、「もう来年は来ないぞー」と悪態をつきながら帰りは3人で

トボトボと別の道を通って帰った。もういったいどこの町を歩いているのかわからない

くらいの変貌ぶりだった。前に、福岡出身の友人がたまに実家に帰省するたびに(町

の変わりようにも自分の実家にも)、もうここは自分の帰ってくる場所じゃないと感じる

と言っていたけれど、それはたかが23区内でも同じだ、と思った。もうここには母もい

ないし子供の頃かかりつけだった優しい医者も年老いて看板を降ろしてしまったみた

いだし、小学校の頃の友達の家もなければ一緒に遊んだ公園もない。

家に戻ると父は帰っていて、それから持って行ったDVDを見た。

ラッセ・ハルストレムは数作見たところでもし自分が映画監督になるのならこんな監督

になりたいと思った映画監督で、『アンフィニッシュ・ライフ』は人の許しの先にあるしあ

わせの在り処について描いたいい映画だったけれど、部屋の電気を消したら途中から

父はグーグーいびきをかいて寝てしまった。

そして気持ちよく眠った後で焼き鳥にビールなど飲み、ちょっとアルコールの入った父

の喋ること喋ること ・・・・・・ もう耳にタコができそうなほど聞いた話で、これはいかに

我々が気を長くしたところで毎度は厳しいよなぁ、と思う。でも、それだけ父にはふだん

話せる相手がいないということか。それから父が支度をするのを待って神社に行き、

いつものようにお賽銭を投げてお参りをした。縁日とはもともと神仏との縁のある日の

ことを言うのだ。今夜の夕飯は最初から自分で払う気で誘ったのだけれど、それを制

して父が払ってしまった。

今日よかったことは、この2年半、妹にとっても父にとってもストレスだった鬼のような

職場から妹がついに脱出をはかり、転職に成功したことを聞いたこと。そのせいか、

父がいつもより元気で明るかったこと。

別れ際、駅の改札の前で父は自分の元気さを誇示するようにちょっとおどけて手を振

ってみせた。いつもたいてい、一緒にいる間じゅう退屈していながら、別れた直後から

ケアすることを考えてしまうのが年老いた親というものなのか。切ないなあ。

私が氏神様に祈ることはいつも同じことだ。ここに書くまでのこともない。

来年の夏は父が元気だったら少し遠出して、浅草の縁日にでも出かけてみるか、と

今から思ったりしている。

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2011年8月26日 (金)

一点として一面に

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        夢の中ではたいてい輪郭がぼやけている。にじんだ

        枠にかこまれて いろいろな影が 現れたり 消えたりす

        る。わたくしの場合、しばしば色つきの夢を少年時から

        みていたが、たいていは白黒である。毎晩みる夢の数は

        五つから十くらいであり、一つ夢みては目ざめる夜と、間

        欠的ではあれ眠ったまま続けざまにみる夜とがある。夢

        ごとに目ざめるときには、闇のふとんのなかで、いまこ

        んな夢をみたな、といちいちのシークェンスを思い浮か

        べようとする。そして、よし、うまく記憶できたぞと思

        って、また眠りに入り、べつの夢をみる ── 明け方、ほ

        んとうに目ざめたときに、記憶できたはずの夢をどうし

        ても思い出せないときと、鮮明に思い出せるときとがあ

        る。どちらにしても、眠ったまま続けざまにみる夢の目ざ

        めより、夢ごとに目ざめる夢の目ざめのほうが、はる

        かに重い。全身、鉛が融けて しみわたったように だる

        い。愉快な夢など、けっしてみないから、みじめの極み

        の気持ちである。

         あの夜の夢もそうであった。そのうえに、わたくしが

        長い歳月のうつつにも夢にもかつて味わったことのない

        「悲しみ」が付け加えられていた。わたくしは夜ごとの

        夢を記憶している限りノートにとるほど奇特な男ではな

        いが、さすがにその夜の夢については、ごく簡単に手帳

        に書き留めておいた。いま、その手帳を繰ってみると、

        こう記されている ── 「わたくしは海にいる。上下左右

        は黒くにじんでいて、海もほの暗い。遠浅らしい。足は

        くるぶしぐらいまでしか水に漬かっていない。のろのろ

        歩いてゆく。冷たい感覚はない。ただ、のろのろ歩く。

        ズボンを膝までまくり上げている。さんたんたる境涯の

        ようである。悲しみが主調低音のように、初めから終わ

        りまで ── 」

          初めから終わりまで、まったくことばのない夢で、登

        場者はわたくしだけで、涙なぞ一滴も出ないが、「深い

        悲しみ」が夢の全空間を蔽っていたのであった。そこで

        わたくしは、次のような詩を書いた。


道を歩いていて

金ぴかの葬儀車に出あうことがある

そのたびに

ほんの少し、こころが揺れる

その揺れかたは

ほんの少しだけれど

じつに確かだ

すぐに忘れてしまうけれど

じつに緻密だ

たくさんの

ビルの窓や商店の旗の輝き

そのあいだに

たちまち車は見えなくなってしまうけれど


ひとはごく簡単に

写真にとられる

「とる」という動詞は

受け身のかたちになることによって

たぶん

写真において

もっとも重い意味を持つ

そのとき

シャッターの音とともに

ほんの少し、こころがあらがうからだ

そのあらがいかたは

ほんの瞬間だけれど

じつにしつっこい

すぐ忘れてしまうけれど

じつに繊細だ

なにが、かは分からないが

「とられ」てしまうのだ

だから

一瞬だが

充実した空虚がのこる


悲しい、とあっさり言えるだろうか

それは

葬儀車を見たり

写真にとられたりする感覚よりも

それらの

じつにグロテスクな感覚よりも

はるかに

時空をいちめんに蔽うものである

ついに

「わたくしは愛してしまった」から

ゆうゆうと翔ぶ鳥のように

一点として

一面に悲しい、といえ!


( 北村太郎詩集『犬の時代』より、『一点として一面に』 改行は原文通り。 )

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郵便局帰りに歩きながら空を見ていて、雨が降りそうだな、と思った。

いまは晴れているけれど、この蒸し暑さは雨が降る前のものだ。

雲の流れかたがだんだん早くなる。

それと同時に私の中に去来するものも猫の目のようにとりとめなく移ろっていって、

とても言葉にはならない。散漫な夏のおわり。

家に帰って撮ったばかりの写真をコンピュータの画面で見ていて、この詩を思い出し

た。行分け散文詩とでもいいたいような前半と詩のあわさったこの詩を読んでいると

ごくわずかなことを言いたいためだけに何百枚もの原稿を費やしたり、わずか一点を

描きたいためだけに全体を描く小説家や絵描きのことを思い出した。

私なら、最後の五行のためだけに、まったく違う詩を書きたい気もするのだけれど。

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2011年8月25日 (木)

真夏の冬幻想

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若くて服に夢中だったときは、2月と8月が何より楽しみだった。

2月は今年のブランド・コンセプトとスタイルが決まって春夏のカタログができあがる頃

そして8月は秋物がいち早く店頭に並び始める頃。そのときをめがけてショップに行っ

たものだ。そして1月と7月はセール。アルバイトのお昼休みさえ使って目当てのショ

ップに勇んで出かけた。服が大好きだったのはもちろんだけど、それを着て行きたい

ところと、一緒に歩きたい人がいたっていうことだ。それってすごく大事なことよね。

今はもう、服を買うこと自体、昔ほど多くはなくなってしまったし、今はなんでもインター

ネットだからわざわざ服を見るためだけに出かけることもほとんどないし、セールに勇

んで行くこともなくなった。たまに何かのついでに見ることがあっても、昔ほど(一晩寝

ても頭から離れないほど)欲しいものに出くわすこともない。なんでもそうだけれど、そ

ういうことって常に意識の端に置いていないと感覚が駄目になってきちゃうのだ。いま

はセールといっても、たまに買い物をするネットショップからお知らせがきて覗く程度。

そして、まだ夏の暑い盛り、たまたま覗いたネットショップでセールをしているのを見つ

けた。夏のセールって今季ものだけかと思いきや、冬のツイード素材の布バッグまで

あって、去年ものの残りものなのかなんと70%OFF。

70%OFFならいいやと、その最後の1枚を買った。

それが連日35度だったときに届いてさぞ暑苦しいかと思ったら、それがそうでもなくて

私の頭のなかにはぱあっと冬の幻想が広がった。そう、若い頃みたいに、このバッグ

に似合うコートを着た自分が手編みのストールを巻いてニットキャップをかぶり、短い

ブーツを履いている姿くらいがぱあっと浮かび、それから枯れ葉を踏む音やオイルの

しみた木の床に響く靴の音、暖かな部屋に入った途端に曇るメガネや珈琲の匂い、

外気で冷されたウールの手触りや本の白い紙の質感などなど、ありとある冬のイメー

ジが次々浮かんで、なんだか楽しくなってきてしまった。そして、自分はもうずいぶん

ずいぶん回復したんだ、と思った。つまり、冬を夢みられるくらいに。

それって私にとってはかなりハッピーなことなのだ。

そして、そのあとは手仕事的な観察が始まった。

こういうバッグって定価で買うとこれくらいするのね、と思ったら自分で縫ったほうがい

い気がしたし、自分で作ることを考えたら考えたでまた楽しくなってくる。自分で作るな

ら大きさもマチの幅も肩ひもの長さも好きに調整できるし、だいいち布を考えるのが楽

しい。ただし私はお裁縫が苦手でうちのミシンは滅多に出てこないから、大概の場合

電源を入れてしばらくのあいだミシンは絶不調なのだ、たいてい作業の終わりくらいに

なってやっと調子が出てくる(まるで週1スイマーの私のようだ)。それで、興が乗った

私はそこでやめることができずに延々袋ものなら袋ものを縫い続けることになるのだ。

(いまこれ読んでる、私から入園入学バッグもらった人、そういうわけです。)

だから去年の冬はひたすらマフラー編んでいた私だけれど、今年の冬はせっせと冬

のバッグ縫ってるかもしれない。RCサクセションの懐かしの『ダーリ・ミシン』でも歌い

ながら、『トイレット』のモーリーみたいにミシンをかける ・・・・・・ といくかどうかはわか

らないけれど。

そして布のバッグ、ということで言うと、最近特に愛用してるかもしれない。

革のバッグも好きだけれど、年々肩こりがひどくなって重い荷物を持ちたくない私とし

ては、バッグ自体が軽くていっぱい物が入る布バッグはとても重宝。

ちなみにこのバッグ、フェルトでできたストールピンにもなりそうなかわいいチャーム

が付いていて、それもつい買ってしまった理由のひとつ。小さなグレーの石も付いて

いて、こういうのは作ろうと思っても私じゃちょっと真似できない。

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そんなわけで、ひとときの真夏の冬幻想。

久しぶりに冬を楽しみにしている私です。

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2011年8月24日 (水)

晩夏

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陽射しは明るい。

風はこころなし涼しい。

空には夏雲もくもく。

蝉は木々のあちこちにしがみついてまだがんばってる。

夏の光はまだ庭のそこここで遊んでる。

夏はあきらかにパワーダウンしたけど

まだ死んだわけじゃない。

まだ夏は終わらない。

現実的になるにはまだ早いよ。

私は夏の陽であたためられたプールの匂いと

あなたの笑顔を思い出してる ・・・・・・

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2011年8月22日 (月)

秋の気配

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明け方、寒さで目覚めると肩がすっかり冷たくなっていた。

薄いタオルケットを肩までひっぱりあげてすっぽりくるまったものの、それでも心もとな

い肌寒さ。金曜の夜くらいから下がり始めた気温は、土曜の朝には一気に9月の終わ

りの陽気とか。相変わらず極端な天気だな、と思う。

窓を開けるといい匂いがして、ベランダを見るとバラがいくつか咲いていた。

いい匂いのもとはイヴリンとフェアビアンカらしい。

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どんよりとした空の下、ひんやりした大気の中で蝉の声は静かに続いていて、文字通

りのBlue Monday。でも、これで夏嫌いの人もやっとホッとしてることだろう。クーラー嫌

いの親と同居している友人もここ数日はやっと涼しく眠れただろうし、同じくクーラーが

駄目だというライターの友人もやっと家で落ち着いて仕事ができるだろう。

私はといえば、暑さ寒さはどうでもいいのだけれど、どうやらお陽さまの存在に左右さ

れやすいタイプらしくて、こんな灰色の日は外を歩いていて子どもの激しい鳴き声が聞

こえてきたくらいで過ぎ去った日の胸の痛くなるような記憶が思いだされて、クリーニ

ングしなければならないことが多すぎて、どうにもだめだ。

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それでも、明日にでも陽が射してくればまた別のことを考えているのだろうけど。

どうせ暑さはまたぶり返すのだろうから、涼しい間にホームセンターに土を買いに行っ

てバラの鉢増しをしなければ。それから夜には夏の間に買った川田絢音の数冊の詩

集を読む。それから ・・・・・・

冬が開けたと思ったら一気に夏、暑いのが終わったと思ったら一気に冬、まるで扇風

機とストーブを交互に出しているようなここ数年の気候だけれど、今年の秋は穏やか

な秋晴れの美しい日が多くあればいいと思う。今年は本の匂いを嗅ぎながら冬を迎え

たい。格別に珈琲がおいしい季節がまたやってくる。

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熱い陽射しに灼かれて咲きながらドライフラワーになっていたバラたちも、涼しい日が続いて

ホッと一息ついたようだ。シルキーな花弁の今朝のバラたち。ラストはマダム・フィガロ。

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2011年8月21日 (日)

土砂降りライブ@UMIGOYA②

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ぱらつく雨のなかビーチを歩いてUMIGOYAにたどり着くと、もうデッキではレインコート

を着た友達の田島仲間さんたちが海を見ながら一杯やってるとこだった。なかには田

島氏のご要望にこたえて(?)レインコートの下に白熱色のビキニを着たおねいさんも

いて、砂浜にはすでに誰かが書いた2011 LIVE at UMIGOYAの文字が。

去年はTAJIMA TAKAO LOVEheart だったそう(うしし)。

友達からいつも聞かされてはいたけれど、なんと皆さん名古屋とか神戸からわざわざ

今日のライブのためだけに来たのだそう。もうそんなのはいつものことだから慣れてる

ってことだったけど、すごいですね。田島さん、愛されてます(^-^)

しばらくデッキの上と下で話していたけれどまた雨が強くなってきたので小屋に入る。

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UMIGOYAさんの中はラフだけれど雰囲気のある作りで、なんたって海の真ん前だから

これまた天気だったら最高に気持ちよかっただろうな!

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このとき開演前3時間くらいで、ここからまたどんどん悪天候になってくるのだけれど、

いっこうにライブが中止になる気配はない。「これで荒天じゃないってことはいったいど

ういう状態を荒天って言うんだろうね? 暴風で屋根が吹っ飛ぶとか波がザブンと小

屋を襲ってくるとか?」と冗談を言いながらすごす。友達が「あの赤いの着たのがたぶ

ん岩神六平さんだよ」というのでその方向を見れば、このイベントを企画したイベンテ

ーターの六平さん自ら機材が濡れないようにシートをかぶせ、着々と準備を進めてる。

その、天候なんかもろともしないような強い意思的な目を間近で見たら、これはもう今

日は何があっても中止になることはないなと思った。六平さんはまるで悪天候の中で

テントを張るベテラン登山家のように見えました。実際、相当なサヴァイバーだろうと

推察する。 そして、そうとわかったらあとはもう服が濡れようが濡れた服が寒かろうが

あとは『そのとき』を待つしかないわけで(たぶんあの声はどう考えてもボズだと思うけ

ど)ジンジャエールを飲みながらスピーカーから流れるスタンダード・ナンバーを聴いて

いるうちに、すっかり飽和状態のまったりした気分になってしまった。ときどき、屋根の

下に付けたビニールシートに大量に溜まった水がざぶりと下に落ちて声が上がる。

友達は早々にサッカー観戦で愛用のサムライブルーのカッパを着て臨戦態勢。

でも、そうだよね。わざわざ関西から来てる人もいるっていうのに、そうそう中止にでき

るわけないよ。それを1番知ってるのがきっと六平さんなんだろうな。

ふと気づくといつの間にかステージに田島さんがいて、ヴォイスチェックが始まる。

その声を聞いてざわめくファンたち。しぃっ! と制止するスタッフ。

そして、ついに開場となって我々はいったん外に出され、整理番号順に呼ばれるのを

待つ。UMIGOYAの前は傘・傘・傘の山。雨ザーザー。

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正直言って、ここで雨のなか番号呼ばれるの待ってるのが1番つらかったかな。

でも、なんとか目指す席について、ついにライブ開演まであと少し! の図。

この頃にはすでに外は真っ暗。中は徐々にヒートアップ。

見よ! シートから流れ続ける雨だれを!

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・・・・・・ と、残念ながらここから先は写真はオフリミットなのだけれど、『フリーライド』

に始まって『好運なツアー』、それからアンコール曲ラストの『夜をぶっとばせ』まで。

途中、休憩20分入れての2ステージ、全編アコースティック・ギターの弾き語り。

なんたって雨はすごいし波の音はザッブンザッブン聴こえるし、今にも触れそうなかぶ

りつきの席には猛者の、もといコアなファンのおねいさま方が熱い視線を向けているし

で田島さん、最初こそ気になることがいろいろあるらしくて少々散漫な感じがしたもの

の、いざ興が乗ってしまえばもうそこは真骨頂、ノリノリで大いにファンを沸かせたので

した。囁くような静のファーストステージから、圧巻の動のセカンドステージまで。

雨の音と、背後に迫りそうな波の音と、声とギター。足に付けた鈴の音。

その場で聴いていても現実感が薄れてゆくような不思議な感覚で、約2時間、夢の中

を浮遊した。田島さん自身もその非日常の感覚を大事にしたかったようで、ファースト

ステージではアップテンポな曲になっていつものようにファンが手拍子を打ち始めると

「今日はもう、そういうのはいいよ。静かにやりたいから」とソフトに制する場面も。

友達も書いてるけれど、『ふたりのギター』を歌っているときに波がザザーザザーとか

ぶるように聴こえたのがすごくよかったな。それと、いつかここにも書いた『カミングス

ーン』のラップの部分を田島さんがやったのも、一瞬笑えたけど返って自然ですごくよ

かった。それから『ボラーレ』、『春のラブバラッド』、『バイク』、そして何曲かやったカ

ヴァー曲(ペトゥラ・クラークの『恋のダウンタウン』、ローリングストーンズの『さよなら、

ルビーチューズデイ』、山下久美子の『赤道小町ドキッ!』)も。東西問わず古い曲も、

田島さんの手にかかると「あれ? これってこんなにいい曲だったっけ?」になるんだ

よね。いつまでも永遠のチャレンジャー、そして反骨のアウトサイダーでいてほしい。

雲のように変幻自在な軽いエネルギーで♪

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そんなわけで、ずぶ濡れで待ってる間こそ大変だったものの、始まってしまえばあっと

いう間の夢の2時間。もし来年もあるのならば、来年こそ奇跡の夏の日再現、というこ

とで、Sちゃん、来年もよろしくお願いします!!!

この日、大変な天候のなかで準備をされたUMIGOYAの皆さん、六平さんと事務所の

スタッフ、田島貴男さん、そして遠くから集まったファンの皆さん、友達のSちゃん、

本当にお疲れ様でした! そして、忘れられない夏の日をありがとう!


      サンキューさよなら    いつか会えたなら

      また乾杯をしなおそう



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2011年8月20日 (土)

土砂降りライブ@UMIGOYA

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去年、どれだけ素敵だったか親友からさんざん聞かされていたオリジナルラブのシー

クレットライブ。なんたって夏の終わりのビーチハウスで限られたコアなファンだけの

ために田島貴男がギター1本で歌うといったら、そりゃもう素敵に決まってる。

その夢のライブに今年は誘ってもらって私も行けることになり、会社に半休をもらって

これが私のこの夏最後のお楽しみだと思って楽しみにしていたのに、前日の天気予

報ではこれがなんと全国的に雨、だ。それもかなりひどい大雨 ・・・・・・

いやいや、私たちは最強の晴れ女だから多分だいじょーぶ、と思っていたものの、昨

日の朝起きたら娘が作ってくれたてるてる坊主も虚しく、空は限りなくあやしいムード。

と思っていたら、案の定すごい勢いで降り出した。家を出る少し前には雷をともなう激

しい横なぐりの雨に。「思いっきり降ってるね!」と友達にメールすると「三浦にはいま

雨雲はない」と強気の返事。ライブは夕方からだから、予報が外れて天気になる可能

性だってある、と予定通り友達と落ち合って逗子に向かう。

家を出るとき激しかった雨は逗子に着く頃には小止みになっていて、俄かに期待が高

まるなか、HPには『荒天の場合中止』とあったから友人が駅からいちおうUMIGOYAさ

んに電話をすると、「雨は降ってるけど、やる予定で準備中です!」と心強い返事が。

バスで一色海岸に向かう。バスの中で偶然『田島仲間』に会って盛り上がる友人。

途中にある神奈川県立近代美術館の前で降りて、美術館の中にあるレストランでま

ずは腹ごしらえをすることに。

一色海岸を望む絶好のロケーションの『オランジュ・ブルー』。

この景色も晴れてたら見え方が全然違ってただろうと思うのだけれど・・・・・・

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今日は誰もいないカフェテラス席。

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食後は散歩しながらUMIGOYAを目指す。

「この路地が好き! 道の向こうは海!」と友人。

微かに白い波が見える。

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お陽さまのないビーチでは海の家もなんだか寂しげ。

それでも「海だ! 海だ! 泳ぎたい!!」と興奮する我が親友なのだ。

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UMIGOYAさんへは表の車通りを通って向かう。

ここを抜けたらもうすぐ! という道で、(今日のために新調したらしい)『白熱』色のT

シャツを着て、意気揚々と歩く友人。

今日はもう疲れたので②に続く ・・・・・・

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2011年8月18日 (木)

もう踊るしかないね!/FCQ『Chasin' The Jazz Gone By』

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しっかし今日も暑かったですね!

クーラーかけた部屋の中にいても汗が肌をつたって流れてくる。信じられない。

外に出ればアスファルトの舗道の照り返しがものすごい。表面温度はゆうに50度くら

いはあったんじゃないでしょうか。8月も第3週となってこの夏最高の猛暑ですって。

これはもう夏嫌い、暑さ嫌いの人はたまらないだろうなあ、と思う。

こうなるといくら夏好き、暑いの平気な私にしたってこれが心地よいわけもなく、大人に

なって初めてできた汗疹は毎日良くなったり悪くなったりを繰り返してるし、部屋の中

は弱冷房とはいえ、肩こり・首こり、それに脚のむくみはひどい、同じ暑いのでももうち

ょっと湿度が低くてカラッと晴れてくれないかなあ、と思うことしきり。

とはいえ、言ったところで始まらない。

いくら夏嫌い、暑さ嫌い、汗かくの嫌いと言ったところで、地球温暖化による海面上昇

で世界のいくつもの美しい島が消えようとしているいま、日本だけがかつての温帯気

候に戻るわけもなく、今後も夏の気温は上昇し続けるだろうから、となったらあとは体

力つけるか自分の免疫力を上げるか、つまり慣れるか、耐えるかしかない。で、私は

ただ耐えるのは嫌なので、もう踊ってしまうことにした。昨日の夕方、仕事が終わると

クーラーを消して窓をぜんぶ開け放ち、家の中の掃除。これをCDを大音量でかけて

踊りながらやる。たちまち部屋の中は温室状態。もう汗だくだく。ほとんどアホ。いつか

竹内直さんと話していて、「ねえ、いつもそういうこと家で言ってて子どもに呆れられな

い?」と言われて、げ! あんなクレイジーな音楽やってる人でもそんなこと言うんです

か? と逆に思ったけれど、こういうのにもうちの子どもたちはもう慣れているのだ。

『うちのハハ、病気しないでアホがいい』とでも思われてるのかもしれないが、でもそう

やって首振って踊ってるうちに首や肩がほぐれてくるような気がするから不思議ぢゃあ

ないか。思うに、踊るインド人だってもう暑くて暑くて踊るしかないから踊ってるんじゃな

いかなあ。カレーと踊りはインド人のパワーの源?

そして、そうやって踊りながらやる掃除はいつもよりこころなし楽しい。家の中の埃を

落し、バスルーム、トイレ、玄関を掃除し、それから扇風機とクーラーのフィルターも洗

って、シュレッダーの中身をゴミ袋にあけ、部屋じゅう掃除機をかけたらまた窓を閉め

てクーラーをかけ、着てたものをぜんぶランドリーボックスに放り込んでバスルームで

シャワーを浴びる ・・・・・・ あー、すっきり!!!

そして昨日のそんな夕方、大音量で聴いていたのがこれ、ファイブ・コーナーズ・クイン

テット(以下FCQ)のチェイシン・ザ・ジャズ・ゴーン・バイ。

まず、これを初めて聴いたときの印象を言うと、「なに、この音」だった。

『JAZZの21世紀型最新モード』ってことだったのに、なんていうか、古いアナログレコ

ードみたいな超レトロなサウンドなのだ。息子なんか「ただのバップじゃん」で終わり。

もちろん、ニコラ・コンテが関わっているアルバムである以上、それは意図的で確信犯

的なものではあるのだけれど、どうも最初はこの音が駄目だった。それで、もう早々に

手放してしまおうと思いつつ、でもこのCDを買ったのは何を隠そうここ数年の超お気

に入りであるマーク・マーフィーがフィーチャーされていて、このアルバムの中に入って

いる『This Could Be The Start Of Something』が絶品だと聞いたからなので、まずは

マーク・マーフィーが歌っている3曲だけでもよく聴いてみようと思ってかけたところ、

9曲めの『Before We Say Goodbye』がめちゃめちゃいいんですね。私はThis Coould

Be・・・より、こっちのほうが断然いい。過ぎ去りし夏の光がキラキラしてるような、ちょ

っと情熱をもてあましてるようなマーク・マーフィーの歌い方が切なくて、もうサビのとこ

ろなんか、このク○暑いときにひんしゅく買いそうでなんですが、思わず「お願いだ! 

まだ行かないでくれ、夏よ!」叫びたくなるくらいです。いや、マジで。

マーク・マーフィーの歌に対する情熱と、曲が持っているイマジネーションを何倍にも

増幅して見せられるそのエモーションとテクニックに感服。知らなかったけど、この人

ってJAZZ黄金期の伝説のジャズシンガーだったんですね。この歌を歌っているのが

いまや御歳74歳の老シンガーとは。そりゃ、人生いろいろあったとしても不思議じゃ

ない。そして、このフィンランドの精鋭たちの集まりであるFCQになぜマーク・マーフィ

ーがフィーチャーされたかというと、このCDのコンセプターでレコードレーベルの設立

者でもあるアンチ・エーリカイネンにとって、マーク・マーフィーは長い間アイドルだった

のそうだ。ちなみにこのマーク・マーフィー、娘がよく行くブックオフでよく流れているの

だそうで、ブックオフで流れているJAZZを聴いて「あ、マーク・マーフィーだ♪」と思う

19歳の女の子も渋いよね smile

アルバムタイトルが『過ぎ去りしJAZZを追いかけて』というとおり、1960年代のハード

バップやレトロなジャズの匂いがするこのアルバム、ちょうど聴いたのがヨーロッパの

株価が暴落してアメリカの先行きが不透明になった、というニュースを見た直後だった

から、なおさらマーク・マーフィーの歌と古き佳き輝けるアメリカが重なって、なんとも切

ない気持ちになってしまった。

・・・・・・ というわけで、この1曲でこのCDは手放せないものになったわけだけど、そう

思ってアルバム全体を聴き直してみたら、これが悪くない。何度も聴いているうちに最

初気になった録音もだんだん気にならなくなってきて(つまりこの世界にすっかり入りこ

んでしまって)気づいたらもうすっかりノリノリ。特に8曲めの『LIGHTHOUSE』がすごく

いい。私はこの8曲めの『LIGHTHOUSE』から9曲めの『Before We Say Goodbye』に

かけての流れが最高に好き。どっちも軽快なボッサなんだけど、特に断末魔の夏が逝

こうとしている切ない季節のいま聴くには、なんとも最高じゃないかと思う。

そんなわけで、ゆく夏を惜しんで晩夏に聴くにはぴったりの、そうきち一押しの1枚! 

間違っても一聴して×の判断を下すのは早計というものだ。いい音楽って噛めば噛む

ほど味が出るものなのよ。さんざん聴いたら楽曲から1人1人のプレイヤーの音に興

味が移行していく。みんないいんだけど私はなんといってもヴィブラフォンかな。まるで

虹のアーチを駆け上がってゆくようなヴィブラフォン。

もちろん、一聴して気に入ったあなたは感度がいい!

国内版にはニコラ・コンテのボーナストラックが2曲入っていて、これが唯一未来的。

 The Five Corners Quintet / CHASIN' THE JAZZ GONE BY

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2011年8月17日 (水)

オレンジゴーヤみっけ!

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世の中は今日までお盆休み、というところが多いみたいですね。

軒並みシャッターが降りた近所の商店街を歩いていたら、見事なグリーンカーテンの

中にオレンジ色のゴーヤ発見!

なんだか作りものみたいにきれいだな、と思ってパチリ。

娘が高校生の頃、学校から白ゴーヤなるものをもらってきたことがあるので、私はて

っきりこれもそういう種類のオレンジゴーヤかと思ったら、これって実はただ単に緑の

ゴーヤが熟してオレンジ色になったっていうだけなんですね。

でも、私にとってゴーヤはやっぱりどう見ても恐竜の赤ちゃんで食べもの(野菜)じゃ

ないってことが先日わかったから、グリーンカーテンを作ってもこんなふうにゴーヤを

収穫せずにオレンジになるまで待って、ただの観葉植物として眺めるのもいいなあ、

なんて思ったのでした。

オレンジゴーヤ、ちょっとポップです♪

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2011年8月16日 (火)

ひまわり迷路

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このあいだ、いつものように夜NHKのニュースを見ていたら、西東京市にある『ひまわ

り迷路』が今年もオープンした、というニュースをやっていて、私はどうもいまだにこの

『西東京市』という言葉になじめないものだから「西東京ってどこ?」と思って調べてみ

たら、なんのことはない、うちから数駅行った先の近くにありました。

それで、そんなに近くなんだったら行ってみよう♪ ということで、会期もそろそろ終わ

りに近づいてきた今朝、ちょこっと行ってきました。

最寄りの駅から歩いて10分くらいのここは、東大の研究用の農場らしい。

入口からも、もうひまわりが見える ・・・・・・

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そして、ここが迷路の入口。

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さっそく入ってゆく娘。

それにしてもでかい、ひまわりの葉っぱ! 

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は、早いです ・・・・・・

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写真を撮ってる間に見失いました。

あとは、ひまわり、ひまわりがあるばかり ・・・・・・

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そして、今日もまだ午前中だというのにめちゃくちゃ暑い!

しかも農場は地面の土からの直接の照り返しと背高のっぽのひまわりのせいでまっ

たく風が通らないから、なおさら暑い!!

あっという間に服の中をダーダー汗が流れました。

ふだんあまり汗をかかない自分じゃないみたい。

立ち止まってミネラルウォーターを飲んでいたら娘にポンと肩を叩かれました。

頭の重さと暑さですっかりうなだれて、お辞儀状態のひまわり。

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この迷路、途中に行き止まりがあったりして、けっこうよくできてます。

もちろん大人はあっという間に出られてしまう距離なんだけど、小さな子どもならじゅう

ぶん迷ってしまう迷路。子どもはむやみやたらにちょこちょこ走り回るし ・・・・・・。

途中、あちこちで大人たちが子どもの名前を呼ぶ声がしてました。

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ふぅ ・・・・・・ それにしても暑い。

汗かっきの娘なんかもう頭からシャワーを浴びたようになってます。

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・・・・・・ と言いつつ懲りない我々、いったん出口にたどり着いたあとも再び来た道を戻

って、しばし違う道を迷って楽しんだのでした。

なぜかここだけ横に並んだひまわりがうなだれずにシャンとしていたところ。

ここでチェキで記念写真など撮り。

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ひまわり迷路を出た後は、畑の脇で絵を描いていた変わった風貌のおじさんの絵を覗

かせてもらって、農場でとれた1袋1キロ入り100円のジャガイモを買って帰りました。

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それにしても暑かった ・・・・・・ !

ひまわりの後ろには夏雲もくもく!

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2011年8月15日 (月)

終戦記念日なのですいとんを作った。

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これと同じような記事は前にも書いたかもしれない。

子どもの頃いつものように母に「今日のごはん何?」と聞くと、「今日は終戦記念日だ

から、すいとん」と言われた。戦後の物のなかった頃は白米なんて滅多に食べられな

いから、こういうのでとりあえず空腹を満たしたのよ、ということだったけれど、出てき

たすいとんは普通においしかった。それはそうだ。いま作るすいとんと昔作ったすいと

んは違う。今みたいに具だくさんじゃなかったろうから。

思えば私の父も母も、戦中戦後をよく生き伸びたと思う。

父は東京で、母は樺太で。

そう、私の母は樺太生まれなのだ。

祖母は宮城のそれなりに大きな家のお嬢さんだったというから、十条製紙に勤める祖

父と結婚などしなかったら樺太に行くことなんてなかったと思う。祖父と祖母、母を1番

上の長女として次の長男から5人の弟といちばん末の妹、それに樺太犬の一家総勢

9人と1匹は、冬ともなると睫毛も凍ってしまうような極寒の地で暮らした。

雪深い間は犬に橇を引かせて出かけたり、学校までの道のりを毎日スキー履いて通

ったなどという思い出は、子ども心にはすごく楽しそうに思えたけれど、いま思うと本当

は楽しいことよりつらいことの方が多かったのかもしれない。母が面白おかしく話すも

のだから、いつのまにか私の頭の中では楽しい思い出になってしまっていた。

太平洋戦争終結前のことか後のことなのか時系列が定かではないが、樺太では母は

こわい思いもしたらしい。いつものように家族で夕飯を食べようという頃、とつぜん銃

を構えた青い目のロシア兵がどやどやと4人ばかり家の中に入ってきて、家族全員を

見まわした後、娘を嫁にくれと言ったらしい。祖母が片言のロシア語で、まだこの子は

子どもなので、どうかそれだけは堪忍してくださいと泣いて頼んでなんとかその場は難

を免れたという。ロシア人の青い目と整った顔は冷ややかだったけれど、兵隊のなか

にはかわいい顔をしたまだあどけない少年兵がいて、小さかった末の弟に自分のポケ

ットから出したおもちゃをくれたという。「あのとき、あのままロシア兵の嫁になってたら

人生まるで違ってたかもね~。かわいいハーフの子どもがいたりして」などとアホなこ

とを言う母なのであった。そうやって、おちゃらける母ではあったけれど、本土に帰る

引揚船の中では末の妹が亡くなった。はしかで、ふつうなら死ぬこともなかったろうに

船のなかには医者もおらず薬もなく、それどころか食糧や水さえ足りてなかった。

幼い妹はリンゴが食べたいと言い、高熱のなかでもらったゆでたジャガイモをリンゴだ

と思って「リンゴ、おいしい」と言いながら亡くなったという。そして海の上では荼毘に

ふすこともできないから、妹の遺体はそのまま海に流された。まだ若い母親だった祖

母と家族にとってはどれだけつらい経験だったろうと思う。私の知る祖母は芯は強い

けれどとても優しい、明るい人だったけれど、末娘を亡くしたことについてはずいぶん

長く引きずり、自分を責めていたそうだ。祖母にとっては5人男が続いた後の待望の

女の子でもあったのだろうから。母にしたってその子がいれば後々何かと話相手がで

きてよかったかもしれない。そのあと、本土にたどり着くまでもずいぶんと大変だった

らしい。「なんたって七つの海を越えてきたんだから」が母の口癖だった。

こうした母の思い出話は、子どもだった頃から大人になるまでのあいだに母から何度

となく聞かされてはいたけれど、もう今となってはどれも断片的で、きちんと文章に書

けるほど私のなかに残っていない。今さらながらに母が生きているあいだにもっと昔

の話をちゃんと聞いておけばよかったと思う。

そして父の話となると、もともと父は「し」と「ひ」が言えなくて活絶が良くないのと母ほ

ど話がうまくないのとでもっと断片的でもっと曖昧で何が何だかわからない。ただ子ど

もの頃から激動の時代を生きてきたことしかわからない。でもそれも、母のことを思え

ば父が生きているあいだに気長に聞いておくべきかもしれない、と思う。

今日NHKで戦没者追悼式を見ていたら、戦後66年経って参列者のほとんどが70を

超えたと言っていた。ご両親がまだご健在の方は、この機に親がどうやって戦中戦後

を生き伸びてきたかについて聞いてみるのもいいと思う。イデオロギーの話もいいけれ

ど、イデオロギーから見た戦争だけが戦争じゃない。

・・・・・・ というわけで、本日の遅いお昼はすいとん。

暑い盛りにこれを作るのも食べるのも暑かったけれど、ともすれば知らず知らずのう

ちに夏バテ、クーラー病などでお腹を壊しがちなこの時期に、温かい根菜をいっぱい

食べるのは身体にいいかも、です(^-^)

温かいすいとんはモチモチしておいしかった。

母がいなくなって食べられなくなったもののひとつに、くるみを擂った中にすいとんを入

れて作ったクルミ餅がある。あれ、また食べたいなあ!

・・・・・・ まぁ、自分で作ればいいんですけどね。

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2011年8月14日 (日)

夏の瞳

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今日も相変わらず暑いけど、夏はだいぶパワーダウンした。

墨いろの麻のチュニックにワイドな麻のパンツをはいてゆるゆる過ごす休日の午後。

ぷらりと近所に買い物に出たら、日なたのコンクリートの上でくつろぐ猫を発見。

声をかけたらササッと物陰に隠れてしまった。

紫陽花の葉っぱの間からじぃっと見つめる、涼しげな夏の瞳。

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2011年8月13日 (土)

夏のおきまり

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ひまわりを見損ねて、しかたがないからお茶でもしようと入った喫茶店で、20代の頃

の友達の思いもよらないアクティブな一面を知った。

南の島をめぐる、夏ごとの鮮やかな記憶。

それまで写真でしか見たことのなかった美しい海を、初めて目の前に見たときのイン

パクト! 夢がかなった瞬間 ・・・・・・。

足もとの透き通った浅瀬に、星のかたちをしたヒトデとブルーの魚が泳いでいるのを

見つけたときの興奮は、いま目の前にいる彼女の口調からもじゅうぶんに伝わった。

きっとそのときの彼女は、無邪気に全身で生きる歓びを感じて、表現していたんだろ

う。ちょっとびっくりした。大人しくて運動オンチそうだった高校時代の彼女のイメージ

からは、人が滅多に行かないような南海の小島まで飛んで行ってシュノーケルをする

姿など、想像もできなかったから。人って、何十年つきあってたってそうやって知らな

いところがあるもんだ。

そして、そんな時間を何度も共有したのだ。

1回だけじゃなくて、何度も、何年にも渡って ・・・・・・

それで、そんな話を私がいま初めて聞くということは、それは長いこと彼女のなかで

封印されていたのだと思う、たぶん・・・・・・。

いったい女はそうやって過去の宝物みたいな思い出をいつまでもきれいなまま大事

に胸にしまっているのに、男はどうしてこともなげに、まるでそんなものにはまるで何

の意味も価値もなかったというように簡単に放り出してしまえるんだろう。これだけは

どうやってもわからない。そして私自身は放り出されるのはもうまっぴらだ。

ローリング・ストーンズの歌に『黒くぬれ!』というのがあるけれど、わざわざ黒く塗り

潰す必要はない。さしずめ私たちに必要なのは、もっと鮮やかな色で記憶を塗り変え

ることだ。過去のインパクトをやすやすと超えるくらいに。

武蔵野茶房では今季初のかき氷を食べた。

どっちにしようか散々迷った末に私が選んだのは黒蜜練乳ミルク。

黒蜜と練乳が半々にかかっていて、白玉が5つついている。

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友達のは京都宇治抹茶を使った宇治金時。

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どちらもすごく大きくて、目の前にこれが運ばれてきたときには「うわあ~、これぜんぶ

食べられるかなあ?」と思ったけれど、ひとくち口に入れたらまるでパウダー・スノーの

ようにふわっと軽い。淡雪のよう。黒蜜と練乳が絶妙のおいしさ。

夜店のザリザリ粗いかき氷と違って頭がキンキンすることもなく、あっという間に完食

していました。先日見た『めがね』の中でサクラさんが作っていたかき氷も、きっとこん

な淡雪みたいなかき氷だったんだろうなあと思う。淡雪みたいなかき氷の底に、丁寧

に煮たそんなに甘くない、あんこになってしまう前のさらっとした小豆が入っていて最

後に水密がかかってる ・・・・・・ あの映画を見ている間じゅう、サクラさんのかき氷が

食べたかったし、あんな(食べた人をしあわせにする)魔法のかかった食べものを作

って私も振る舞いたいと思ったものでした。

武蔵野茶房のいいところはテーブルごとに一輪ざしの花が置かれているのと、トレー

の上のカトラリーの横にも花が一輪添えてあるところ。日本的な和のおもてなしを感

じます。

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さんざんお喋りして武蔵野茶房を出たら、友達が「あんなかき氷、一度食べてみたか

ったんだ~」と言った。そう、かき氷って夏のおきまりだけど意外と食べる機会がなか

ったりするのだ。で、そう言われた私は、こんな小さなことから大きなことまで(?)

これからはなんでも自分のしたいと思ったことをすればいいのよ、と思う。

うん。それがいいと思う。

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2011年8月12日 (金)

ひまわり

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ひまわりといって思い出すのは、月並みかもしれないけれど子どもの頃に見て衝撃的

だった映画『ひまわり』とゴッホのひまわり。

映画は子供心にも深く深く刻まれた。

ロシアの大地をどこまでも埋め尽くす美しいひまわり畑。

そして、その下には戦没したイタリア兵やロシア兵が眠っているのだという。

それまで明るい夏を象徴する陽性の花だとばかり思っていたひまわりが、あれほど哀

しく見えたのはあれが初めてだったと思う。そしてそれはそのまま映画の中のソフィア

ローレンと重なった。戦争の悲劇を描いた映画はたくさんあるけれど、戦争シーンをほ

とんど挟まずにあれほど純粋に戦争の悲しさを描いて印象的な映画はないのではな

かろうか。

というわけで、ひまわりを眺めながらしばし回想 ・・・・・・

  YouTube  →  ヘンリー・マンシーニの『ひまわり』のテーマ

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そして、このひまわりの画像を開いて眺めていたときに「ほら! ひまわりだよ!」と言

って息子に見せたら、息子は「ふん。笑えるね」と言った。

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そう、笑えるの。そこがいいんじゃない! と私。

花を見て笑えるなんて最高じゃないか。

ひまわりって頭でっかち子どもみたいなの。

そう、太陽の子ども。

めらめら燃えてる。

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ひまわりを見ていると、背の高いのも低いのもいて、でもみんながみんないっせいに

自分こそ少しでも陽を浴びようと精いっぱい背伸びをしてるみたいで可笑しい。

そんな彼らの賑やかな声まで聴こえてきそうだ。

そして、ゴッホがひまわりに惹かれて何度も描いた気持ちがわかる。

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彼にとっては変な形をしたひまわりも、花びらがちぎれてしまったひまわりも、虫に食

われたひまわり、そしてうなだれたひまわりも、ぜんぶが生き生きと美しく輝いて見え

たんだろう。

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そんなひまわりの燃えるような後ろ姿。

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そう言ったら娘が「これも好き」と指さした。

君の頭に載せてあげよう、まだ開く前のひまわりのクラウン。

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2011年8月11日 (木)

北村太郎のふたつの詩/『死の死**』『秋のうた』

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 死の死**


まだ夏が始まらないのに

季節が終わったなと実感するのは

夏だけだと思いながら

梅雨の夜を過ごしている

時は直線ではなく

円を描きながら動いていて

それがもはや五十個以上の円になってしまった

どの円も互いに縺れて

とぐろを巻いている

それらはたぶん

死のときにするするっと一直線に伸びるのだろう

それまでは

まるい時間がたってゆく

貯まってゆく

蛇のようではあるが

それがグロテスクというのでもない

むろん高貴でもないが

なんだか悲しく懐かしく

また笑うべきもののようでもある

時が一直線になるとき

一瞬でも

輝くかと思ってみたりする


字を書いてみようと

墨をする

墨はいい匂いだが

ときに唾のように臭い

「もう形而下だ

こうなったら毒だみの茂みだ

みみずの耳は

何を聴く」と

丁寧に書く

闇の雨に

紫陽花のはなびらが

刻々と色を変えてゆくのも

まるい時のへりでだろう

かみなりがはたたけば

梅雨は終わりという

筆を置いて轟音をおもう


(北村太郎詩集『おわりの雪』から、『死の死**』)

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 秋のうた


ねむれないからねむらない

真夏はたちまち過ぎて

鋸歯状の

ムクゲの葉は

日ざかりの光をやけどするほど浴びたものだから

いちまいいちまいひからびて落ちて

湿った土のうえ

がまんできない暑さの長さはたしかにあったのに

蟻とともに

いつもの年のように

去った季節

さよならといえる季節はいつも夏だけだなと思いながら

涼しい夜の闇をみる

ねむれないからねむらずに

まだ秋の初めなのに

ボードレール的な冬をおそれている

健忘症?

タバコをふかして煙のゆくえをみている

季節の移り変わりなんて

暑さや

寒さと関係ないのだと思おうとする

心頭滅却スレバもへちまもなく

気がかりは

日没の

時刻だけなのだと考えながら

ねむれないからねむらずに

ウィスキーの水割りをのんでいる

がまんできない暑さの長さってほんとうにあったのかしら?

さよならといえる季節はたしかに夏だけなのだ

それが証拠に

ただいま、といって現れるのは

いつも秋

ねむれないからねむらずに

コオロギの繊細な澄んだ音と

遠くの救急車のピーポーピーポーとを

同時に聴いていて

ごく静かに降りつのってくる

雨足を見る


(北村太郎詩集『ピアノ線の夢』から『秋のうた』)

***************************************************************

毎年いつも同じことをしているような気がする。

私には季節ごとにきまって思い出す音楽や詩のフレーズや映画や小説のなかのワン

シーンなどがあって、頭に浮かぶのはごく一部なので、その出自がどこにあったか、

全体はどんなだったかあらためて知りたくなって探すことになる。音楽や小説などは

探すまでもなくすぐに何の曲か、なんてタイトルの小説かわかるのだけれど、詩とな

るとそうはいかない。ひとりの詩人のたくさんの詩の中からその小さな断片を探し出

さなきゃならない。それでいつも最初に数冊の詩集が文庫本にまとめられたようなも

のをひっぱりだしてめくってみるのだけれど、それでも見つからないときは本棚から

ひとつひとつ詩集をとりだして端から見ることになる。それでもなかなか見つからない

ときには、もうそれが本当に存在したものなのか自分自身が捏造したものなのかさえ

わからなくなってくる。いや、そんなことはない。たしかにあったはずだ。あれはどの詩

集の中だったか ・・・・・・

そして、そういうのを毎年やっているような気がするのだ。

我ながら馬鹿じゃないかと思う。

それで、もしかすると去年も同じようなことをここに書いていたかと思ってこのブログの

去年の夏の記事も探してみたけれど、なかった。・・・・・・ ということは去年はどうやら

見つけられなかったらしい。だが今日はついに見つけたので、どうせ来年もまた同じこ

とをするのだろうから、自分の覚書のためだけにここに書いておくことにした。

私は毎年、夏のこの時期になるとこのふたつの詩の中のいくつかのフレーズを思い

出す。といって人間の脳とか記憶のしくみってどうなっているのか、どうも自分のいい

ように勝手に記憶するものらしく、いざ引いてみればどちらも今の季節の詩ではない

のだ。ひとつは梅雨。もうひとつは秋の始め。

でも、どのフレーズが今の季節と連動して私の記憶にインプットされたかというのは、

たぶんこのふたつの詩をよんでもらえたらきっとわかっていただけるだろう。

人の記憶って面白い。

今日やっと私はここにこの記事を書くことで、私のなかの曖昧な詩のフレーズを、そ

のままその詩のタイトルに置き変えることができたのだ。そしてそのフレーズがなぜ

そんなに私の心を捉えるのか、なぜ私がこの言葉にこだわるのかというのはたぶん

私だけの感覚であって、きっと人にはわからないものなんだろう。逆に私と同じところ

で同じように引っかかる人がいたとしたら、それは感覚的に私と近い人なのかもしれ

ない。それがいまこれを読んでいるあなただとしたら、私はあなたと握手したいくらい

だ。はじめまして。どうぞよろしく。

私がいま気になるものをもう少しあげると、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』の

中の『午後の最後の芝生』、それからもう少しすると『1973年のピンボール』とビート

ルズの『ラバー・ソウル』だ。村上春樹風にいうと『それは毎年いつものことだ』。

もうそろそろ新しい記憶に上書きされてもいい頃だと思うのだけれど。

それにしても今日の雷は凄かった。

まるで空が引き裂かれるような音がした。

窓の近くにいても危険と思えるくらいの稲妻の閃光で、一瞬家の中が暗くなったと思っ

たらコンピュータが飛んでしまったのだった。

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2011年8月10日 (水)

夏草

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もう夕方ずいぶん遅くなってしまってから「そうだ!そら屋さんのセール今日までだっ

たっけ」と思いだした。先日行ったときにもらったOSORA PAPERに書いてあったのだ。

もう夕飯の買い物は済んでいたし外はまだ暑かったから少々面倒だったけれど、それ

から自転車に乗って出かけた。

途中、そらやさんのすぐ近くにある原っぱの横を通ったら、夕日を浴びて夏草がきれ

いだった。これがエノコログサっていうのは知っているけど、私にとってはやっぱり猫

じゃらしだな。夕日を浴びて輝く大量の猫じゃらし! 猫が見たら狂喜乱舞の光景だろ

うか。それとも、初めてデパートのおもちゃ売り場に連れて行かれた3歳の娘みたいに

目が点になって「もう帰ろう」って感じだろうか。・・・・・ 猫じゃないからわからない。

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そら屋さんでは、死海の塩にラベンダーとベルガモットとマンダリンとクラリセージのエ

ッセンシャルオイルが入ったバスソルトと、合成界面活性剤の入ってない塩歯みがき

とアブドゥール石鹸と、先日ここでも紹介したエコナッツを買った。

アブドゥール石鹸は、このあいだ行ったときに「アレッポの石鹸はないですか?」と聞

いたら店長が一瞬ムッとしたから何かと思ったら、アレッポというのは日本が販売目

的に商標を買い取った名前で、アレッポには洗浄力を上げるためにオリーブオイル

以外の添加物が入っているけれど、シリアで石鹸といったらこのアブドゥールのことで

完全無農薬オリーブオイルのみを使って最も伝統的な工程で作られているのはこちら

のアブドゥールのほうなのだと説明されてしまった。それで買ったその日に使ったら、

デコルテから胸のあたりにできていた汗疹が一晩で治ってしまった。洗浄力があまり

高くないのが肌にはやさしくて良いらしい。

そら屋さんはこのセールの後、明日から4日間夏休みで家族と北海道の山中牧場に

行くそうだ。完全プライベートの遊び、というわけじゃなくて、いつものことながら生産者

めぐりで勉強もかねて小さな子どもを遊ばせに、ということらしい。なんて勉強家で仕

事熱心なんでしょう。

私もあさってから4日間休みだけれど特に予定はない。

たぶん、いつもよりゆっくりごはんを作ったり、こんな暑い季節だというのに肩こり・首

こり・背中の痛みがひどいから、少々熱心にストレッチをしたり半身浴をしたり、音楽

を聴いたり本を読んだり、そして一日の終わりにいい匂いのするバスソルトを入れた

お風呂にゆっくりつかったりして、あっという間に4日間なんて過ぎてしまうと思う。

この時期プールで泳ぎたいのは山々だけど、クラブは夏季休暇だし市民プールは改

装工事中だし、といってよその市の市民プールまでは行かないだろうな。

せいぜい出かけたとして、のんびり珈琲が飲めるカフェでも探して散歩とか?

・・・・・・ それくらいだ。

でも休日の何がいいって、ふだんの日みたいに何をするんでも時間に追い立てられな

くていいところ。息を詰めて何かをするようなことはこの4日間はやめておこうと思う。

風に吹かれる夏草みたいにゆらゆらしていたい。

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2011年8月 9日 (火)

夏の盛り

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立秋を過ぎて空のいろは淡くなったけれど陽射しは夏真っ盛り。

今日は昨日より湿度がなくて爽やかだ。外はいい感じに暑い。

蝉たちも今日を限りとうるさいくらいに一心に鳴く。

風が吹くと夏草の上でキラキラと光が遊び始める。

この、夏の光が好きなんだ。

なんてドリーミーなんだろう!

たぶん夏の盛りもこの1週間がピーク。

いつだって耐えられないほどの暑さの日なんてわずか数日なんだ。

今年の夏の光を君の瞳に、私の瞳に灼きつけよう。

秋に、夏の余熱を残すいちだんと深いミステリアスな眼差しで逢うために。

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2011年8月 8日 (月)

ゴーヤチャンプルーを作った。

11goya

このあいだコメントしてくれたharadaさんのところへ飛んだら、いつもマメなharadaさん

がたぶん家でとれたてのゴーヤでチャンプルーを作っていて、それで今までその見た

目の形状ゆえにどうしても食べる気になれなかった食わず嫌いのゴーヤを食べてみる

気になったというわけなんだ。でも正直言って、スーパーの野菜売り場でゴーヤを持っ

たまましばらく固まってしまった。どこからか「そうきちさん、ほんとにそれを食うんです

かい?」って声が聞こえたもんだから。近くで見ている人がいたら??だったと思う。

でも、とりあえずゴーヤをひとつスーパーのカゴに放り込んで、それにニラと木綿豆腐

と豚バラ肉と豆板醤と甜麵醬も買って帰ってきた。

で、料理するとなったらあとはやるのみ!

以下、レシピはharadaさんの詳細バージョン。

*****************************************************************

 ≪ 材料 ≫ 約3人分

 ゴーヤ   1本

 ニラ     1束

 豚バラ肉  200グラム

 木綿豆腐  1丁

 タマゴ    2個

 豆板醤と甜麵醬  各大さじ1くらい

 ゴマ油   適宜  塩・コショウ 少々

 ≪ 作り方 ≫

木綿豆腐はキッチンペーパーに包んで電子レンジで2分加熱して水切りする。

ゴーヤは半分に切ってワタをとってスライス。塩をふって水にさらしてザルにあげる。

ニラは適当な長さに切り、豚バラ肉もひとくち大に切っておく。タマゴはといておく。

熱したフライパンにゴマ油を入れて②のゴーヤを入れて炒め、塩コショウする。

④にニラを加えて炒め、さらに豚バラ肉を入れて炒める。

肉の色が変わったら、ここで豆板醤と甜麵醬を入れてからめる。

⑥に水切りした豆腐をちぎって入れて炒め、強火にして水分を飛ばしながら最後に

 とき卵を入れて手早くかき混ぜてできあがり!

*****************************************************************

そして、できあがったのが上の写真。

お皿に盛る前にひとくち味見でゴーヤをパクっと口に入れた私、「ニガッ!」

あれえ~、これってゴーヤの食べやすいレシピじゃなかったけ~、と不安になりつつも

大皿にざばっと盛ってテーブルに出す。まず息子が自分の小皿に取り、次いで我が家

で初めて出てきた料理に怪訝な顔をしつつも娘が小皿に取る。「苦くない?」という私

子は「苦いよ。でも僕はフツーに食える。うまい」と食べている。これはちょっと意

外だった。娘も「おいしいよ」と食べてはいるけれど、やっぱり苦いらしい。2人を見な

がら気を取り直して自分も食べてみたものの、やっぱり苦い!

う~ん、これって自分の作り方の問題かなあ?

と思って調べれば、苦味の苦手な人はゴーヤをスライスしてから塩で揉み、しばらく置

いて水にさらすといいとある。でも同時にゴーヤの効能を調べれば、当然のことながら

苦味はぜんぶ取らないほうがいいらしい。作り方にしてもいろいろあって、最初に水切

りした豆腐を油で焼き色が付くくらい芳ばしく炒める、というのがあって、それにはちょ

と心かれた。そうだ! これは豆板醤と甜麵醬を同量入れて作ったけれど、甘味

噌の甜醬を多めにすればいいんだ! なんてアイディアも湧くけれど、はたしてもう

一度トライしてみるべきか。(単なる好奇心から)もう一度作ってみたいような気もする

けれど、好きでもないものをわざわざ作るのも無駄な気がするし ・・・・・・・

いちおうバクバク皿の半分以上食べた息子も、「でもゴーヤを噛んだ瞬間、口の中が

ゴーヤの味だけになっちゃうよね」とか「これってゴーヤが入らなければいつものニラ

玉じゃん。これにわざわざゴーヤを入れる意味あるのかね?」なんて言うところを見る

と、とりたてて食べたいものではないらしい。私は苦味もさることながら、なんともいえ

ない独特の食感がもう駄目だった。

・・・・・・ というわけで、今回はあえなく撃沈。

私の人生にゴーヤはいらない、という結論にあいなったのでした。

そう言ったら娘も右に同じだそうで、いったい今年、グリーンカーテンでゴーヤを量産

した家庭がそれをどうするのか、少々興味の湧くところでございます。

でもゴーヤ好きの方ならこのharadaさんのレシピはきっとおいしくいただけると思う。

ぜひ、お試しください♪

そして、この日のランチの主食は発芽玄米おにぎり。

中身は映画『めがね』のなかで「梅はその日の難逃れ」と何度も言われた梅干し!

無農薬完熟南高梅をヒマラヤ岩塩で漬けた、大きくてとろけるような超高級品ながら、

家族には「すっぱい!」と不評につき、今年の生産はあえなく中止しました。

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2011年8月 7日 (日)

なんにもない、があるところ/めがね

Megane_2   

昨日プールから帰ってきたらツタヤディスカスからDVDが2枚届いていて、息子からは

「しばらくこの人の映画は見たくない」と言われていたのだけれど、この『めがね』から

見ることにした。プールで泳いだ後は単純に身体が疲れていて、頭を使わなきゃなら

ないようなのとか神経にこたえるようなのはできれば見たくないからだ。

さて、この『めがね』。

最初は試されてるのかと思った。今の自分のこころのありようを。

というのも荻上直子監督のこの映画、いつものことながら(というより、いつも以上に)

まったく説明がない、台詞が少ない、間がありすぎる、いっこうにストーリーが展開しな

い、起伏がない。ないない尽くし。もしかして映画館で見てたら寝てたかもしれない。

そして、それはそのまま主人公タエコ(小林聡美)の置かれた状況そのままだ。

少しでもこちらにせかせかしたところがあったらこの間は耐えられない。気持ちの余裕

が無いときには見られない映画かもしれない。いや、そういうときにこそ見るべきなの

か ・・・・・・

Megane_07_4   

ざっとあらすじを書くと、舞台はとある小さな南の島。

そこに住む若い高校教師ハルナとビーチ近くで民宿を営む中年男ユージの頭に、あ

る日、天啓のごとき予感が降りてくる。「来た!!」 そして、申し合わせたかのように

ビーチでいそいそと海小屋の設営を始める2人。そこへやって来たのはメガネをかけ

た初老の女サクラ(もたいまさこ)で、彼女はまっすぐに彼らの前まで歩いて来ると、ま

るで何かの始まりの儀式のように深々と一礼する。そのころやはりプロペラ機のタラッ

プを降りやってきたのは、いかにも都会からやって来たらしい黒ぶちのメガネをかけ

た1人の女、タエコ。南の島に来たという割にはタエコの服装はきちっとし過ぎていて

黒い服は暑苦しく、およそリゾートという感じじゃない。それもそのはず、季節はシーズ

ンオフの春なのだ。地図を頼りに大きなスーツケースを引きずり白いビーチを横切っ

てやっと着いた先は、一見ただの民家のようにも見えるユージがやっている民宿ハマ

ダ。どうやら宿の人間はこの男1人だけらしい。部屋を案内してもらって食堂で一息つ

くタエコの前でユージは何やらご馳走を重箱に詰め始め、当然それがこれから自分に

供されるのだろうと思って見ていると、「今日は大切な人が来たからこれから外で食事

です。あなたも一緒にどうぞ」と言い、それを断ると「じゃあ、冷蔵庫の中の物を勝手に

食べてください」と言って重箱を風呂敷に包んでさっさと出かけて行ってしまう。冷蔵庫

を開けると生の魚が皿の上に一匹ゴロリ。

このあたりからタエコの頭のなかは『は?』の連続になってゆくのだけれど、ユージ、

ハルナ、サクラが同時に『は?』となったのは、タエコが「観光をしたいので、このあた

りの名所を教えてください」と言ったときだ。は? ここで観光?!

彼ら3人が言うには、ここには観光するようなところは何もないという。

そう、つまり、ここでは『たそがれる』くらいしかすることがないのだ。

た、たそがれるって ・・・・・・ な ・・・ なに?! (タエコの頭の中)

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たぶん東京で、いつも自分に何かを課して(あるいは強いて)一生懸命生きているタエ

コのこころはブロックだらけだ。見知らぬ他人へのブロック、習慣へのブロック、食への

ブロック、肩書きへのブロック、言葉へのブロック、素直さへのブロック ・・・・・・

タエコは自分ひとりでいるとき以外はリラックスできない女。

そんなタエコの、自分に都合のいい便利な幻想はここではことごとく裏切られる。

ここは欲しいものがすぐ手に入る便利な東京ではないのだ。

この映画のタイトルになっている『めがね』には大した意味はないということだけれど、

いつも潜在意識のどこかで生真面目に頑張らなきゃならないと思っている、それも心

底そう思っているならまだしも、ほんとはやる気なんか全然ないのに世間の空気読ん

でここは頑張ったほうがいいとか、つい良い人をやってしまいがちな日本人を表す象

徴が、イコールめがねなんじゃないかって気がする。

郷に入れば郷に従え、という言葉があるように、何かをあきらめたり手放したりして初

めて見えてくるものがある。便利なものが詰まった重い荷物を手放したら、不便だけ

れど身軽になって今よりもっと自由を感じられるかもしれない。人がすすめる今まで苦

手だったものを素直に食べてみたら、意外や意外、これがすごくおいしかったりして。

タエコが重いスーツケースを捨ててそんな気持ちの変遷をたどったように、見ている側

のこちらもこの映画に映画的起伏を求めるのをあきらめて気長に見ていたら、無性に

このビーチに行きたくなってきた。だってどこにも行くところがない、何もすることがない

ってことは、逆に言えばここで何をしてもいいってことで、それってふだんの日常から

考えたらまさしくパラダイスではないか!

日常を離れたこんな南の島で、それこそ何もしないでただ海を見ながらたそがれたり

家族や友達と夕暮れに焚き火をしながら時間を忘れてまったりしたり、朝のビーチを

コージ(犬)と一緒に散歩できたら、どんなにいいだろうなぁ ・・・・・・

そして、萩上監督にとってこの人は映画のミューズなんじゃないかと思うサクラ役のも

たいまさこは、ここでも魔法使い的扱いでキーマンである。さらに監督の今までの映画

同様、この映画にもおいしいものを食べるシーンが満載だ。ハマダで毎日ユージさん

が作る朝食とか、サクラがビーチの海小屋で出してくれる氷あずきとか、夜の庭でする

バーベキューとか、ゆで立てのでっかいロブスターにみんなでかぶりつくシーンとか。

そんなのを見ていたら、3月11日の震災後の今では特にだけれど、目の前にきれい

な海があって、心底おいしいごはんがあって、それを一緒においしく食べられる相手が

いるだけでしあわせだー という気持ちになる。 いや、ほんとになりました。

でもやっぱり私はこの映画は映画館では見ないね!

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というわけで、いろいろ書いたけれど荻上監督のいいところはひとつひとつの絵がきれ

いでポップなところ。どこか懐かしい大人のおとぎ話みたい。

そんな中でもこのけったいなメルシー体操は大いに気に入りました。

これ、プールの準備体操でやったら全身ほぐれていいかも!

 YouTube  →  メルシー体操 

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2011年8月 6日 (土)

人が大事

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なんでもそうだけれど、場というのは人がつくっているのだと思う。

たとえば週1回1時間のスイミングスクールが充実するのはコーチの力によるところ

が大きいし、お店は扱っている商品以上にそこで働いている人の気によって雰囲気

が大きく作用される。仕事ができる、商売がうまいということ以上に人づきあい、最近

の言葉でいうコミュニケーション能力が大事なのだと思う。同じ何かを売るにしてもた

だモノを売ることだけに終始してしまう人もいれば、そこに売る人独自の個性を加えて

モノに特別な付加価値をつけることができる人もいる。ただの品出しの仕事にしたって

いかにもつまらなそうに大儀そうにやっている店員もいれば、お客さんに声をかけなが

らキビキビと明るく働き、出したそばから品物が売れてゆくような店員もいる。お客だっ

てそのどちらの場にいたほうが楽しいかといったら後者に決まってる。

近所のスーパーの青果売り場は、人懐こい笑顔の、威勢のいい声のおじさんがいなく

なってすっかり精気がなくなった。こころなし野菜の鮮度も悪くなったように感じる。

そして、今日のピンチヒッターだというスイミング・コーチは年配の、きりっと厳しい顔立

ちをした筋肉質の女性だった。彼女の脇を通ってプールサイドに出るとき瞬時に、おっ

かない顔、と思った。教える側のコーチが生徒にこわいと思われてしまうのは損だ。

そう思った瞬間に泳ぐ側の筋肉は緊張して思うように動かなくなってしまうから。

でもスクールが始まると彼女はそんなに悪くなかった。きちんと泳ぎの要点を伝えてい

たし、生徒を褒めることも忘れなかった。ただ何を話していても顔が笑ってないのと話

し方に神経質で冗談の通じないところがあって、オバサマたちのウケは悪かった。

損な人だな、とあらためて思った。教えるのが上手いコーチはまずこちらをリラックス

させてから、イメージ喚起力のあるユニークな言葉で我々の目からウロコを落とし、

50分ハードに泳がせても疲れさせるどころか充実感を与える。何よりクラスの雰囲

気がいいから泳いでいても楽しいし、ほんとに今日来てよかった、と思わせる。

残念ながら最近はそんなコーチは滅多にいないけど。


場は人がつくる。

そこから私たちは毎日さまざまなものをもらってる。

だから、滅多にいないそんな素敵な人に出会ったら、自分がそう思っていることを相手

に伝えたほうがいいし、自分のやり方でいいから目一杯その人を大事にしたほうがい

いと思うのだ。人は往々にして失ってから(その場にその人がいなくなってから)その

真価に気づくものだけれど、それじゃお互いにもう遅いからね。

それで、私自身は愛情表現はストレートに! がモットーなので、少々誰に呆れられよ

うがなんだろうが、思ったことを言う。後で言わなかったことを後悔しないように。

何よりも人が大事。

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2011年8月 5日 (金)

パンダ目にならないゴーグル

11goggle

たかが週1スイマーにとっても競泳用の水着とゴーグルは必需品にして消耗品だ。

たった週1でも水着はそれなりに劣化する。

水泳を始めた頃は水着もゴーグルもショップに行って試着して買っていたのだけれど

今はそれも面倒なので決まったメーカーの決まったサイズをずっと愛用していて、消

耗品であればできるだけ安く買いたいから、新着が入ったらお知らせがくるようにネッ

トのショッピングモールにアラートをかけている。こんなことができるのもネットの便利

なところだけれど、私の設定の仕方が悪いせいかかなり関係ないものも入ってくる。

男の海パンとか・・・・・・。なので、いつもあまり期待しないでメールを開くのだけれど、

先日入ってきたメールを開けてたまたま見つけたのがこれ!

ナイキのレディース用のゴーグルで、パンダ跡(装着跡)が残りにくいゴーグル。

取扱説明書には、女性の瞳孔間距離を考えて女性専用サイズに徹底的にこだわった

とある。フェイスパッドにも『超やわらか素材』を使用して従来品よりひとまわり大きくし

広い面でフィットさせることによりパンダ跡が消えやすくなった、ということだ。

今までテレビで水泳選手を見ていて、いま泳ぎ終わったばかりなのに全然ゴーグル

の跡がついてないのは、きっと彼らが若くてお肌にコラーゲンがたっぷりだからだと

思っていた。それにくらべて私なんか、プールのあと2時間くらいはばっちりパンダ目

になっている。それは私の肌が老化しているからだと思っていたのだけれど(まぁ、そ

れも大ありとして)、こんなものがあったとは・・・・・・

折しも少し前から壁を蹴って勢いよくスタートした瞬間とか、バッタでザブンと入水した

ときなどにゴーグルがずれて水が入ってくることがあってゴムの劣化を感じていたとこ

ろだったから、さっそく買うことにした。

消耗品といってもゴーグルを買うのはこの10年で3つめだから、水着にくらべたらコス

トパフォーマンスはずっといい。ただ問題はサイズ。私は顔が小さくて目の間が狭いか

ら、自分にぴったり合ったメガネとかゴーグルを見つけるのは難しい。

今日、届いたのと今までのをくらべたら、新しいのはかなりデカイ!

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並べてみると今までのほうがずっとスマートでカッコイイような気もするけれど・・・・・・

まあ、後でベルトを調整してつけてみよう。

そして、先日の世界水泳!

見てた人はみんなそうだと思うけど、ひっさびさにめちゃくちゃ興奮しましたね!

ふだんは全然負けず嫌いじゃなくお先にどうぞってな私ですが、勝負するっていいな

勝つっていいな! と心底思った。選手にとっては銅でも銀でもなく、金じゃなきゃだめ

なんだ! って気持ちもすごーくよくわかった。でも、たとえ負けても全力投球した後の

選手たちはみんな爽やかでいい顔してましたねえ・・・・・ 北島のふっきれた顔!

一緒に見ていた娘が何を思ったか「平泳ぎしたい!」と言ったのもおかしかった。

私は彼らのまるで軟体動物みたいにやわらかな身体を見て、つくづく自分にはストレッ

チが必要だと痛感。あの(なんて言っちゃ悪いけど)私なみに身体が硬かったCさんだ

って3年間バレエのストレッチやったおかげで、今じゃ南青山のレストランの前で「T字

開脚やってみせようか?」と言うまでになったということは、継続は力、です。あきらめ

ないこと。

そして、もうひとつ感じたのはバサロの威力!

いっときはコーチに言われて、蹴伸びした後みんなちゃんとバサロやってから泳いで

いたのに、いつからやらなくなっちゃったかなあ ・・・・・・ やっぱりやらなきゃ駄目だ。

・・・・・・ というわけで、明日は2週間ぶりのプール。

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グリーンカーテン

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市立図書館の前の見事なグリーンカーテン。

今年たくさんの人がトライしているグリーンカーテンだけれど、ひところの灼熱地獄に

やられてほとんど育ってないのも多いようだ。

よく見ると、ところどころ黄色い花が咲いていて、恐竜の赤ちゃんみたいな不味そうな

ゴーヤも生っている。

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私がグリーンカーテンをやるなら朝顔のヘブンリーブルーかフウセンカズラがいいなと

思っていたけど、けっきょくやらなかった。

なんたって私のベランダはバラだらけでもうプランターなんて置けないから。

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今日は午後からやっと夏の陽射しが戻ってホッとした。

いつまでも外にいて夏の暑さに抱かれていたかった。

小学生の頃、プールの時間に唇が紫いろになるまで水の中にいて、休憩時間の笛の

音が鳴ると、熱く灼けたプールサイドで10分間甲羅干しをさせられた。それ自体はあ

んまり好きじゃなかったけれど、冷えた身体に熱いコンクリートがどれだけ温かく気持

ちよかったことか。大人になったいまもあんな風に熱い地面にへばりついて、太陽と大

地のエネルギーを思う存分からだに充電したい。

エネルギー不足でみぞおちが硬くなっている今の私に必要なのは、たぶんグラウンデ

ィング。

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2011年8月 4日 (木)

August

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August。

曇りと雨ばかりがつづく冴えないAugust。

私が初めて買ったmama!milk のアルバムの1曲めに入っているAugust。

でもこれは鬱蒼たる緑に覆われた湿潤なこの国の8月じゃない。

どこか遠い異国の、もっと暑くて乾いた、そこここに廃墟があってデカダンな雰囲気の

する、頭から布をかぶった人たちが行き来するような、砂漠のある国、そう、モロッコ

みたいな国の8月だ。


男は言う。

「なにがそんなに哀しいのですか」

「ぼくと一緒に踊りませんか」

最初、女は無関心な目をしていたが、男に誘われステップを踏むにつれ、目の中で

世界が万華鏡のように回りだすにつれ、内側から徐々に輝きだし、しだいに大胆に

なり、やがて声をたてて笑う ・・・・・・


川田絢音の詩を思い出しちゃったな。

このGala de Caras』はもっと夏が(本物の夏が)貪婪に熟し、ちょっと腐り始めて

アルコール化する頃に聴いたほうがよさそうだ。

CDは両面ディスク仕様で、DVDには林海象監督による映像作品、『Gala de caras』

の演奏風景が収められている。私には林海象なんて名前も懐かしく、昔、結婚する

前に、相手と渋谷で見た『夢みるように眠りたい』という映画を思い出した。もうすっか

り内容は忘れてしまったけれど、虚構と現実が混じりあったような茫洋とした映像の

モノクロ・サイレント映画で、それこそ夢のなかにいるみたいなレトロな映画だった。

あの映画の中でもやっぱりアコーディオンの音楽が流れていたのだったか ・・・


そして、『Gala de caras』が撮られたレトロなカフェ、cafe independent は京都三条

にあるカフェで、なんと東京は銀座にもあるらしい。→ cafe independents

銀座なんて滅多に行かないけど、こんど行ったら探してみようかな。

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2011年8月 3日 (水)

夏の食卓

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チョコレートいろの向日葵が揺れる夏の食卓。

このココアっていう向日葵、すごくきれいだ!

私に絵が描けるなら描きたいくらい ・・・・・・

一日中、席につくたび、じぃっとみとれた。

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2011年8月 2日 (火)

夏の花

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ちょっとした風向きや、ちょっとしたバランスの悪さでわずかな風ではなかなか回りだ

さない風車みたいに、ものごとが進まないことにまどろっこしさを感じていたのだろう

か。それはいったん回り出してしまいさえすればクルクル回ってゆきそうなのだけれ

ど、なかなかそうならない。それが風向きのせいなのか自分のせいなのか考えなが

ら、新月の魔法が有効なうちに花を買いに行った。

もう夕方で、空は今にも降り出しそうで、店の中には灯りがついていた。

いつもはローズウッドが焚かれているのに、今日はベルガモットの強い香りがした。

コトリさんいわく、今日は人がたくさん来てとても忙しい日で、その忙しさについて行け

ず、なんだかバランスが崩れてきたのでとにかく落ち着こうと思っていつもよりたくさん

アロマディフューザーに精油を入れ過ぎてしまったのだとか。私はベルガモット好きだ

から全然OKなのだけれど、私は私で香りに酔ってしまったのか、かなりボケボケして

いた気がする。カウンター近くのバケツにピンクと白のストライプの花がいけてあって、

「これ、かわいいね!」と言ったら、「もう好きすぎて!」と彼女が指さしたところを見た

ら、この花のドライだらけだった。名前を聞いたのにすっかり忘れてしまって後で確か

めたところによると、このピンクのストライプの花はセルリアっていうらしい。風車みた

いな花。横の緑のは頭にかぶれそうな巨大なアナベル。そう言ったらコトリさんが「ア

ナベルアフロ」なんて言うものだから、しばらくそのマンガチックなキャラクターが頭か

ら離れなくなってしまった。アナベルアフロアネベ゙ルアフロアナベルアフロ ・・・・・・・

店のディスプレイは行くたびにちょこちょこ変わっていて、ふと見ると私があげたバイ

オレットと2羽の小鳥のポストカードがかわいらしく飾られていた。

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そして、今日買ったのはココアという名のひまわりとリュウカデンドロン。

夏の花です。

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2011年8月 1日 (月)

8月のバラ

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もう8月か。早いな。

今朝、娘が何気なく、今日は涼しいな、とつぶやいた。

涼しい8月なんて変じゃないか?

このあいだまで蝉がぜんぜん鳴かなかった。

やっと鳴きだしたと思ったら、一匹か二匹くらい。

去年までうるさいくらいに鳴いていた蝉はどこに行っちゃったんだろう。

ベランダに出たら、このあいだ枯れてしまったと思っていたフローレンス・ディラットレ

が咲いていた。いい香り。・・・・・・ ということは、枯れたのはマダム・フィガロかソニア

リキエルか。いずれにしてもあの枝ぶりはフレンチローズ。

そして、だいぶ小さいけれど、香りからいってこの方はイヴリンだ。

小さくてもだいぶピンクがかっていてもはっきりとわかるその香り。

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それから、ずいぶんイエローがかってクレア・オースティンが咲いた。

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