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2011年5月 4日 (水)

われに五月を

11otamajyakushi_01

五月の詩・序詞


 きらめく季節に

 たれがあの帆を歌ったか

 つかのまの僕に

 過ぎてゆく時よ


夏休みよさようなら

僕の少年よ さようなら

ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし

雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ

僕は知る 風のひかりのなかで

僕はもう花ばなを歌わないだろう

僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう

春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを

そうして僕が知らない僕の新しい血について

僕は林で考えるだろう

木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ

さようなら


 きらめく季節に

 たれがあの帆を歌ったか

 つかのまの僕に

 過ぎてゆく時よ


二十才 僕は五月に誕生した

僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる

いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で

はにかみながら鳥達たちへ

手をあげてみる

二十才 僕は五月に誕生した


(寺山修司詩集『われに五月を』から『五月の詩・序詞』)

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今日5月4日は寺山修司の命日らしい。享年47。

このあいだ電車の窓から輝くばかりの新緑を眺めているときに、ふいにこの詩の一節

が頭に浮かんだ。

それで昨日、コトリさんの口から寺山修司の名前が出たから「好きなの?」と聞いたら

即座に「ううん」という答えが返ってきた。若い頃、ちょっと好きだったような気がしたの

だそうだ。私が「中也のほうが好き」と言ったら、「朔太郎が好き」と返ってきた。

私は昔から詩と芝居って対極のものじゃないかと思っていて、私はたぶん芝居が駄目

なんだと思う。「好き」という答えが返ってきたら寺山修司の詩の朗読CDをあげようか

と思ったけれどそれでやめた。じゃあなぜそんなものを私が持っているかというと、私

はただ単に三上博史が朗読する声を聞きたかったのだと思う。

写真はコトリ花店の庭にある池の中のおたまじゃくし。

このあいだ見たときはまだうっすら透明の帯状の中のタマゴだったのに、昨日覗きこ

んだら爆発的に孵っていてびっくり! おたまじゃくしなんて久しぶりに見たけど、池の

中じゅうおたまじゃくしだらけ。ときどき子どもが紙コップですくっていくのだとか。

私も緑のちっちゃなアマガエルだったらすくったかもしれないけれど、茶色いカエルだ

というのでやめておいた。

新緑の季節は瞬く間で、すぐにもカエルの好きな雨の季節が来るんだろう。

11otamajyakushi

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