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2011年4月25日 (月)

きみの人生

11leo_02

きみの人生って何だったんだい

二十年以上も校正の仕事をやってきて

横倒しの字やあて字をなおして

ずいぶん忍耐づよかったみたいだが


世の中にはいやな仕事が二つあって

おれはその両方をやったんだとかいってたな

一つは翻訳もうひとつは校正だって

自己憐憫のかげで詩なんか書いてたくせに


ときに肉体労働者を羨んだり甘ったれてるな

感覚に流される弱点もあるしどうやら

きみの少年時代の何かがきみをおかしくしたらしい

直情径行はみとめるけれどさ


十歳ぐらいまでの自然とのたわむれ

トンボやエビやヘビやヒル

ドクダミやムギやトマトやタンポポ

それだけならまだよかったのだが


女の子たちと遊ぶのが(内気なくせに)

好きだったしとくにお医者さんごっこがね

きみはこどものときから sissy だったが

自然と具体的な性がきみを決めちゃったのだ


そんな男の子がおとなになって

虚無だとか光年だとかことばだとかに興味を持ち

海軍へ行って気象学の本をひろげている間は

まだよかったんだ選り好みのきく友や


選り好みのきかない戦いの日々の現象を

口をあけて眺めていて済んだのだから

食うために勤めてからのきみはおかしくなった

疲れたよとこぼしながらよく癇癪もちのきみが


二十五年もサラリーマンをやってきたものだ

ひょっとしたら脳黴毒かも知れない

狐みたいなおあいそと適応性があるかと思うと

冷酷むざんに人を青ざめさせるんだからでも


勤め人でなかったらよりよかったろうか

ブラウンとかチャンドラー

クリスチーとかグリーン、アンブラー

推理小説を翻訳して家にとじこもっていた青年の


きみはあんまり人相がよくなかったぜ

そこで生まれついての感覚でコミュニズムだ

そうだろう でも感覚的共産主義って

あまり類がなかったから見ていておかしかった


こいつはどんなにでもラジカルになるんだまるで

性の欲望がはてしなく広がり深まるように

絶対にありえないコミューンを夢みる

それできみは目をむいてコッペパンをかじってた


でもあのまま続けてたほうが利口だったかな

いくらきみが世渡りがうまくても

朝から晩まで忍耐するという代償では

失うもののほうが多いにきまっている


けっきょくきみの人生って何だったの

とどのつまり女の子や自然とたわむれるみたいに

ことばとじゃれあってこんどは「死」だ

でなけりゃ「悪」とくる穏やかじゃないね


でも感覚主義の行きつくさきは

せいぜいそんなところさそれともまさか

神さまを信じ始めたのじゃあるまいね

ちょっと怪しいぞ


羞かしがりやのくせに何をするか分からない

図々しいのと無神経がきらいなくせに

妙に寛大でなんでもかんでも諦めている

かと思うとコスモスに涙ぐんで


いまはクモに凝ってるんだったな

去年は空のクモを熱愛してしこたま本を買込んだが

こんどは気味のわるいあの八本足か

でもこないだのきみのクモの話はおもしろかった


台風が近くて強い雨が降ったりやんだりした

軒先にジョロウグモが網をはりかけていた

たて糸はやっとできたが足場糸は未完成だった

その網の中心で彼は水しぶきに耐え


この世でもっともヒロイックな姿勢をとった

それをきみはじっくり観察したんだったな

(鈍感やろうのくせに)するどい黒目でもって

クモは大粒の滴の乱打を震えながら


受けとめたすなわち八本の足を

前とうしろに四本づつできるだけ伸ばし

いっぽんのマッチ棒になってしまった

いちばん被害を受けにくいそれが姿勢だった


垂直にたたく雨に対して垂直に・・・・・・

この話は十分に感動的だったよもっとも

それで急にファーブルの「昆虫記」の

クモの項を読み始めて熱中したには笑っちゃったが


きみは幻とうつつを区別できるのかい

きみの人生って何だったの、けっきょく

心もとないがせめてきみの好きなクモの網みたいに

粘っこく美しい余生を送らんことを


(北村太郎詩集『終わりの雪』1977年思潮社刊から『きみの人生』)

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ときどき、こんなふうに自問したくなることってあるよな。

きみの人生っていったい何だったの? なんて。

特に誕生日だったり、あんな震災の後だったりすると。

詩人・北村太郎は惚れぬいた美少女と若くして結婚して、すぐに子どもができてしまっ

たから生活のために働かざるを得なかった。親の資産で働かずに日がな絵ばかり描

いていたセザンヌみたいなわけにはいかなかった。そのかわいい恋女房と一人息子

をいっぺんに夏の海で失くしていっときは心底生きる活力を失うも、人にすすめられる

まましたお見合いで知り合った健康的な娘とふたたび平凡だけれど平穏な家庭を築

き、この詩にあるような新聞社の校閲部における25年間にわたる忍耐強いサラリー

マン生活を送ったのだった。そして50を過ぎたころ道ならぬ恋に堕ちて詩人としての

人生が一気に凝縮した。ついでに病気も。いけない恋はいつだってこころにもからだ

にも悪いからね。理性と諦観に満ちたあんなに静かな詩の蔭で、吉行淳之介も真っ青

な愛憎劇が繰り広げられていたとは・・・

複雑にしてままならない人間関係の確執と進行性の血液のガンがもらたす苦しみた

るやいかばかりだったろうと想像するにあまりあるけれど、と言って、その苦しくも凝縮

し燃焼し尽くした十数年と何もない平平凡凡たる人生どちらを取る、と言われたら、や

っぱり前者を取るんだろう、人間ってそういうものだ。喜びも苦しみも生きている味・・・

写真は靴屋の看板猫のレオ。

彼はときどき自動ドアから出てきては悠然と舗道を渡り、どこかの路地へ消えてゆく。

今日は駐車場にいた。

もともと昔から人懐こい猫なんだけど、もうだいぶお年寄りらしくてちょっとのことでは

びくともしない。でも今日は「おわーん」とも「なおーん」ともつかない年寄りらしからぬ

可愛い声で、どこかに向かってしきりに鳴いていた。誰かを待っていたんだろうか。

おともらちかな?

それとも恋猫か?

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