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2011年3月24日 (木)

あとは何をチョイスするかだけ

11bird

昨日、いつものように夜遅くブログの記事を書いているとき携帯が鳴った。

夜の12時近くに電話してくるのなんてどうせ仕事仲間だろうと思って出ると、広島の

友人だった。最近この人とは仕事でも関わっていて、用件は4月の頭に大阪で予定

されているミーティングのこと。私が無事で元気にしていることは知っていたのだろう

けど、震災後に話すのは初めてだったのでとうぜん話題はそのことにもなった。

聞けば彼もつい最近、出張で東京に来ていたのだそうだ。

ホテルの中はまだ揺れて気持ち悪かったし、いま地震が起きたらこうしよう、と頭の中

でシュミレーションしながら浜松町を歩いた、と言っていた。

そしてそのとき、あるコンサルティング会社に行って、そこの代表と今の放射能汚染の

話になり、原爆は核分裂しているウランやプルトニウムを火薬で遠くまで飛散するよう

に作ったものだけれど、その原爆だって爆心地から遠く離れたところまで放射能で汚

染されることはなかった、放射性物質は比重が重いから危険な濃度で東京にまで届く

ことはちょっと考えられないんだけどなあ、と言われたそうだ。それでハタと自分の生

まれた地、広島のことを考えてみたら、そういえばたしかに広島市内は滅茶苦茶にや

られたけれど、自分が生まれ育った呉はそんなことはなかったと思いだしたそうだ。

呉は広島から30キロ圏内じゃけど、市民に異常にがん患者が多いなんてことはない

し、俺の親だって被ばくしたけれど普通に結婚して子供ができとるし、俺だって特に放

射能がどうということなく結婚してふつうに子どもが生まれたし、それに広島は原爆後

30年は草も生えないとか言われとったけれど、俺が子どもの頃にはもう広島は草ど

ころか街ができとったぞ、と友人は言った。

Tちゃんの場合、放射能より煙草の害のほうがあったくらいだもんね、と私は言った。

そして、そう言いながら、彼が子どもの頃、というのを仮に5歳として計算して、原爆以

後18年か、と思った。ふぅ~む、なるほど~。

今までヒロシマ・ナガサキというと、直視できない悲惨さだけに心が奪われてしまって

その周辺でふつうに生きてきた人のことに考えが及ぶことはなかった。でも、実際に

広島県人にそう言われるとそれはとても説得力があったし、たしかにそう言われてみ

ればそうかもしれないと思った。そして友人がいま何を言いたいのかというと、東京

に住んでいる私に「だから東京はだいじょうぶだよ」ということを言いたいのだ。彼は

最後に「何か必要なもので足りないものがあったらなんでも言ってね。それくらいのこ

とはするから」と言った。もちろんそう言われたからといって私がすぐに何か頼んだり

することはないし、曼荼羅のあたりから私はもうこの一連の原発に対する自分のスタ

ンスを決めてしまったからいいのだけれど、そう言ってくれる人がいるだけでもすごく

ありがたいことだと思う。

そして今朝は女友達から「東京に戻ってきました」というメールをもらって、今夜予定し

ていたライブに行けるかどうか電話したら、風邪をひいていたこともあるけれど彼女は

行く前よりなんだか悪い状態になっていた。東京の水から放射性物質が検出されたと

いうニュースのせいらしい。彼女は「親が不安なのに、子どもにだいじょうぶ、だいじょ

うぶなんて言えない」と言った。夫を通して世の中に出回っているものよりずっと信憑

性のある情報や数値を知り得る彼女としては不安になるのもわからないじゃないけど

それじゃあまるで、地震のあった日にアナウンサーから「大地震のあと混乱する都民

に何か落ち着くような、励ましの言葉を言ってください」と言われて、「あんた、自分が

落ち着いてないのにそんなこと言えるわけないだろう」と言った都知事と同じじゃない

かと思ってしまった。

そして私が彼女に最後に言ったのは「あとは何をチョイスするかだけだよ」だった。

数日前に読んだ、村上龍の『危機的状況の中の希望』という文章の中で、村上龍は

いつも原稿を書くために常宿にしている横浜のホテルの一室であの震災に遭い、とっ

さに頑丈なテーブルの下にもぐりこんだとき(つまりまだ何も情報がないとき)に『私は

直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた』と書いていて、私はその感

じはなんとなく理解できる。

先ほど私は『曼荼羅のあたりから原発に対するスタンスを決めた』と書いたけれど、そ

れは三次元的な、唯物論的な考えからするとかなりかっ飛んだもので、一般的な世の

中の人には通用しないものかもしれない。つまり簡単に言うと、目の前で起きている

(あるいは起きているかに見える)現象や、正確な数値やデータなどというものとは関

係なく、自分の内なるものが受け取ったもの、直感したことに従う、ということなのだけ

れど。

自分の置かれた立場や状況、様々な諸事情や制限などによって人の考えや選択肢

はまるで違うし、また何を選ぼうが個人の自由なのだけれど、その選ぶものこそによ

ってチューンする相手が決まり、今後の行き方が大きく分かれていくのだと思う。

あふれる情報のなかから何を選ぶのか。

愛なのか恐れなのか、というところで。

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東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

soukichiさんのところに来ると
「そうそう、それ言いたかったの」
ということがよくあって
安心します。

ついお節介で
聞いた情報を誰かに伝えたい、なんて
ブログにいろいろ書いてきたけど
数時間もするとそれが
無用の信用できない情報だったりして
正に踊らされてる自分に
うんざりしたり
もしかしたらそのせいで
誰かに迷惑をかけているかも、と
不安になります。

自分がきちんと理解して
伝えたいことだけを
ちゃんと書きたいな~と
soukichiさんの記事を読んで
改めて思ったので
コメントさせていただきました。

soukichiさんの更新
楽しみにしてます。
また遊びにきますね!

投稿: あたしベイベー | 2011年3月26日 (土) 15:50

ベイベーさん、
そうなの?
私は、あなたは独身で自由なこともあるけど、私より若いからやっぱりパワーあるしフットワークいいよよなぁ~とか思っていつも見てるけど
それに私自身はいたってまっとうなつもりなんだけど、世間じゃ私みたいな考えはマイノリティーらしいよ。
ま、だとしてもぜーんぜん気にしないんですが。

もともと日本人は『言わぬが花』『黙して語らず』『秘すれば花』『沈黙は金なり』っていうメンタリティーだから、こういうときは黙ってる方が得(あるいは無難)だと思ってる人が多いよね。
たしかに黙ってる方が賢そうに見えるしね。
でも、みんなが同じようにこういう危機的状況に置かれると、たかがブログひとつ見ても、こんな状況からも何かを学んで何がしかの気づきを得る人、それを希望につなげてゆくタイプの人と、ネガティブなことばかりに目が行って悲観的になるタイプの人と、はっきり分かれるような気がします。
それがはっきり見えるところに今いるのかもしれないね。

コメントどうもありがとう!
今度おいしいもの食べに連れてってください。
いつも話に聞くだけなんだもん!

投稿: soukichi | 2011年3月27日 (日) 23:17

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