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2011年3月31日 (木)

3月が終わる

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3月が終わる。

大地震と大津波が一気に数万人の命を奪ったもの凄い月が終わる。

あの地震で地球の1日の長さはわずかに短くなったらしいのに、11日以降なんだか

すごく長かった。ゆうにひと月ぶんくらいの消耗度。

まだまだ何も終わらないのに。

それでも日に日に日は長くなり、着々と花は咲く。

がれきをのけて昼夜を徹して線路を、道路を直し続ける人々。

静かな渋谷のスクランブル交差点。

人は変われるのか変われないのか。

明日から4月。

終わりの始まり。

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2011年3月30日 (水)

我が家の防災対策

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私が思い立って防災袋を作ったのは、かれこれ7、8年くらい前のことじゃないかと思

う。やたらに地震の多かった年で、職場でもけっこう大きく揺れることがあったし、今と

同様、夜更かししてコンピュータの前にいると突然ゆらゆら揺れ出したりして、こわか

った。

何が1番こわかったって、なんたって今と違って寝ているとき以外に私が家にいるのは

朝と晩のごくわずかな時間だけでそれ以外は通勤に1時間強かかる仕事場にいたし

子どもはそれぞれ学校に行っていて、そんなときに大地震でもきたら、それこそ家族

バラバラになってしまうと思ったのだ。それが1番こわかった。

それで、防災袋なんて作っても役に立つかどうかわからないけれど、いちおう気持ち

の安心のために作っておこうと思ったのだった。おりしも、ちょうどそのとき世の中は

防災ブーム。防災用品にも乗り出した無印で安くて軽そうなナップザックをみつけて。

そんなわけで、うちにはピンク、グレー、カーキのこんなナップザックが3つ押し入れの

すぐ取り出せるところにしまってある。

とは言っても中身はまだ制作途上で、中身のメンテナンスをしたのはどうやらずいぶ

ん前らしく、先日の地震のときに久しぶりに取り出したら、保存用乾パンとサクマドロッ

プの賞味期限が切れていました(^-^;

ちなみにいま中に入っているのは、乾パン、ドロップ、500mlのミネラルウォーター、

ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、レジャーシート、マスク、バンドエイド、軍手、

ビニール袋、サランラップ、雑巾1枚です。肝心なものがまだまだぜんぜん足りない

けれど、これだけでもけっこう重い。

ちなみに去年、自治会の役員をおおせつかったので消化器の使い方くらい知らないと

マズイだろうと参加した防災センター見学の際にもらってきた『非常持ち出し品リスト』

を参考までに書いておきます。

缶入り乾パン 2個、 飲料水2本、懐中電灯1個、太めのローソク2本、

ライター2個、携帯ラジオ1台、万能ハサミ(缶切り、ナイフがセットされたもの)

軍手、ロープ、救急セット(三角布、包帯、バンドエイド、消毒液、毛抜き、目薬

マスク、薬、脱脂綿)、レジャーシート1枚、非常用ブランケット、簡易トイレ2枚

タオル4枚、ポリ袋10枚、トイレットペーパー1個、ウェットティッシュ2個、小銭

ガムテープ、油性マジック、メモと筆記具

それに、現金、預金通帳、健康保険証、パスポート、各種証書、印鑑、メガネ

どの必需品、貴重品類。あとは家族構成(女性や赤ちゃん、お年寄りなど)に応じて

それぞれ必要なものを入れる、というのが防災センターが推奨しているところみたい

です。実際、非常時にこれだけのものを完璧に持ち出せる人がどれだけいるんだろ

う(たぶん、いない)と思うけれど、それは適宜自分のできる範囲で、ってところなので

しょう。

ちなみに今日、近所の文房具屋さんに行ったらそこの店主の母君が関東大震災の経

験者だそうで、「地震がきたらまずは窓や玄関のドアを開ける、ガスを止める、それか

らテーブルや机の下に潜るだよ!」と言っていた。口は悪いが人は悪くない、という典

型的な東京人で、「携帯はいつも首からかけておくこったね。それから笛。人は恐怖に

かられると声がまったく出なくなるから、ホイッスルは必需品」だそうで、それで思い出

したのがこれ、ヘルピー

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まぁ、私はいったいどれだけ近くにいられない子どものことが心配だったんだって思う

し、子どもには大いにバカにされたけど、緊急時用の笛。この小さい笛の中に氏名、

住所、電話番号、血液型などを書いておけるようになっているから、今年新入学の小

さなお子さんや電車通学の子、夜遅くまで塾通いをしている子どものカバンなんかに

付けといてあげるといいかもしれない。とりあえず、うちの子はこういうものを常時持ち

歩くようなタイプじゃないので、防災袋に付けておこうと思います。

そして最近ゲットしたのはこれです。

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セルフパワーラジオ モバイル充電器つき

実は今回地震に遭って、家には子どもがキャンプに持って行ったときの古くて非力な

懐中電灯しかないということが判明。もちろん、アナログラジオなんてありません。

それでたまたま何かを探しているときにみつけたのがこれで、実はそのときすでにこ

のラジオは完売。駄目もとで一応お問い合わせメールをしてみたものの、返ってきた

のは生産が終了した商品との回答でした。それがなんと数日後になって製造元に数

台残っていたのを入荷できたとのメールがきて、機を逃さず買いました。アンジェさん

さすがに良いお仕事してます。買っただけで満足してるといざというとき使えないので

実際に携帯の充電をやってみようと思ってるところ。でもってこれは小さいから非常時

じゃなくてどこかに行くときにもいいかなと。

防災袋もヘルピーも非常用ラジオも用意しておいても滅多に使うことはないだろうし、

またこれを使う状況を想像するととんでもない事態だと思うけれども、さっき言った多

少の安心感にはつながるのかな、と思う。なんたってこれでも私は一家の長なので。

そして今日、ポストを見るとフェアリーブルーさんからの手紙が入っていた。

フェアリーブルーさんが被災地でメール便の届くところに『震災お守りセット』を送って

いるのは知っていたのだけれど、被災の状況が軽かった東京には来ないものと思っ

ていたのに。

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中には食用紫ソルトとヨウ素のいっぱい入ったジャイアントケルプが少々、それに3

で不快な感情を手放してクリアーになれる『福本リリースメソッド』の方法が書かれた

紙が入っています。フェアリーブルーさんではいったいどれだけの人にこれを送ったの

か、定かではないけれどボランティアさんを募ってこの作業をされたみたいです。こうい

うことってなかなかできることじゃありませんよね。いま放射能に不安をお持ちの方は

いただくといいかもしれません。私自身は、

 ◆ 今の放射線は本当に危険レベルか、ズバリ解説しよう(日経ビジネス)

 ◆ NHK「かぶん」ブログ

あたりをよく読んで、それから2日に1度くらい

 ◆ 文部科学省

で発表される放射能水準調査結果をチェックして、自分なりの判断をしています。

これを日々チェックしている限りでは東京の放射能は減少傾向にあることがわかる。

少なくとも現時点で東京からどこかへ避難するレベルでは全然ないことがわかると思

います。私の友人の医者に言わせれば、こんなものより煙草の害の方がずっと大きい

そうです。もし文部科学省の調査結果まで信じられないとなったらもう日本には住めま

せんから。ただ、今はできるだけ雨には当たらないこと、今までの感じだと雨が降った

後にヨウ素のレベルが高くなるから、降雨後の水道水には気をつけること。

私はそんなところかな。

まだまだ時間はかかりそうだけれど冷静に、祈りをもって物事が無事に終息すること

を見守りたいです。

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2011年3月29日 (火)

Bluebird ~青い鳥

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私にいまのこの変なニックネームをつけたのは女子高時代のビートルズ狂の同級生

だっていうのは前に書いたと思う。以来この歳になるまでそのニックネームで呼ばれ

ようとは思ってなかったけれど、たしかに言えるのは彼女がいなかったら私はこれほ

どまでに音楽好きになっていただろうか、ってことだ。もしかしたらなってなかったかも

しれない。そしてそのぶんもっと言葉に集中できて、いまとは別の人生があったかも。

当時ものすごいビートルズ狂だったその親友が好きだったのはジョージ。私はポール

マッカートニーだ。だからビートルズ解散後のポールのアルバムはBack to The Egg

あたりまでは欠かさず買ってたんじゃないかな。解散後すぐのソロアルバムとかRam

なんかは解散にまつわる愛憎劇なんかもあってひどい酷評ぶりだったけど、個人的

には私はRamが好きで死ぬほど聴いたから、いまでもときどきふっとメロディーが浮

かんできて口ずさんだり、口笛で吹いたりしてしまうくらいだ。

そして先週の土曜日、会社の同僚が送ってくれた荷物を開けると青いガラスの小鳥

のキャンドルホルダーが出てきて、思わず口ずさんでしまったのがこの曲。

   Paul McCartney - Bluebird (Live)

   * クリックすると音が出るので気をつけてね!

アルバム『Band On The Run』に入ってる小曲で、ボサノヴァ風のかわいらしい曲。

これも大好きな曲だった。今でもキッチンでときどき歌う。

いまこのライヴ映像を見ると、ポールも若くてバックコーラスには愛妻リンダの姿もあっ

てすごくしあわせそうで、いやがうえにも時代の変遷を感じてちょっと胸キュン。

そして、いつも細やかな心遣いをしてくれるHさんのこと、小鳥のキャンドルホルダーに

はオーガニックキャンドルとマッチも添えられていて。

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マッチなんて久しぶりに見たけど、このマッチがまたレトロでかっこいい。

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昔は喫茶店に入るとどんなに小さな喫茶店でもオリジナルのマッチを用意してあって

灰皿を頼むと一緒に持って来てくれたり、レジの横なんかに置いてあった。私は煙草

は喫わないけどこのマッチを集めるのが好きで、 新宿のDUGでも原宿のドンキーでも

地元の中野でもいつももらってたような気がする。昔の喫茶店は暑いときには冷たい

おしぼり、寒いときには温かいおしぼりが出てきて至れり尽くせりだったけど、今じゃ

コスト削減で何もかも無しのとこばかりだ。物質的に見て昔の方が豊かだったとはぜ

んぜん思わないけど、マインド的に見たら昔のほうがずーっと豊かだった気がする。

昨日、新しいクライアントとの打ち合わせの後、渋谷マークシティの中のカフェでお茶

をしながら、「こんな風に忙しい仕事の合間にお茶をするのがありがたいなんて、年を

とった証拠だね。昔はお茶をするのがありがたいなんて思わなかった」と友人が言っ

た。そう、私がここにこんなことを書くのも年をとった証拠ね。

これからは心の時代と言われて久しいけれど、今をそのまま昔に戻すことはできなく

ても、エネルギーの転換期にあって震災を機にみんなが不便を共有しようとしている

なか、ふるきよきものをもう一度見直すのもいいんじゃないかと思う。これからは生産

性だけを追求してしゃかりきになるんじゃなくて、何が足りなくてもしあわせを感じてい

られるような。日本の自殺者が減るような、そんなことを。

せっかくもらった素敵なキャンドルホルダーだけど、このところずっと計画停電が中止

になっていて使えない。いっそ節電ライフってことで、自主計画停電にでもしますか。

キャンドルともして、古い音楽でもかけてね。

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東京では南青山にある雑貨マディ

関西では大阪と神戸にあるんだって。

今さらながら気づいたけど、ここのタグってマティスのブルー・ヌードに似てますね。

そして美しい、鳥のタグ。

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2011年3月28日 (月)

人生は前にしか進まない

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朝ネットを開くなり被災地の悲惨なニュースが立て続けに目に入って息が詰まった。 

それから今日は震災後2週間ぶりに仕事で地下鉄に乗った。

駅のホームはどこも節電で暗く、ホームにいる人の顔もどこか寒々しく、エレベーター

は止められていて、地下から外までの長い階段をいくつも上るのに息が切れ、節電

生活、アナログライフに慣れるには、こりゃ体力が必要だ、もっと筋肉つけなければ

と思う。渋谷の駅前交差点の大画面はもちろんまっ黒で何も映っていないし、いつも

は大音量で流れている音楽もない。喫茶店に入っても照明、BGMともに控えめだ。

私が乗る私鉄は行きは電車の中の電気も暖房もついてなかったけれど、帰りは各駅

しか走ってなかったから帰宅にずいぶんと時間がかかった。スーパーに入れば相変

わらず空っぽの棚が目立つし、照明ばかりか暖房もしてないので寒い。これじゃ、ここ

で働く人も大変だ。今年はなんだかさみしい春だなぁ、と思いながら帰った。

帰宅して夕飯を食べた後、震災前に借りたまま、まだ観ていなかった映画を観た。

アキ・カウリスマキの『過去のない男』。

映画は列車の中で煙草を喫う、さえない中年男の姿から始まる。暗い夜の車窓。

ヘルシンキの駅に降り立った男は、所在なく公園のベンチで朝を待っているうち眠って

しまい、日本で言うとタチの悪いチーマーみたいな若い男3人組に襲われていきなり

バットで頭を殴られ、ボコボコにされてしまう。瀕死の重傷を負い、血まみれで運ばれ

た病院でいったんは心肺停止するものの、奇跡的に意識を取り戻した男はそのまま

病院を抜け出し、次に助けてくれた一家のコンテナの中で目覚めたときには、すっかり

記憶を失っていた。財布も身分証もなく、自分の名前すらわからない状態。

けれど好運にも彼を助けてくれたコンテナ生活者の一家は男を追いだすことなく受け

入れてくれ、何もわからないままに着の身着のまま男の新しい生活が始まってゆく。

そしてある日、コンテナの主人の男が『ディナー』と称する金曜日の救世軍の焚きだし

に誘われるまま行って、そこで救世軍で働く1人の女性と出会う。


さて、この映画。

見た目だけで言えば美しいヒロインも、カッコイイ男の1人も出てこない。

それどころか出てくるのは、日本人から見たら妙に固い表情の、こわい顔をしたつっ

けんどんで無愛想な人ばかり。

主人公は記憶を失った中年男と、それまで全く男に縁のなかった中年女だ。

そして場面の大半を占めるのは、ホームレスが住む、住居というにはあまりにも寒々

しくみすぼらしいボロっちいコンテナと、ゴミ溜めのような貧民エリア。いわゆる社会の

底辺の底辺の人たちの暮らしを描いた映画。カメラはどこまでもリアリスティックで写

実的。女性の皺まで美化することなくしっかり映してしまう。それでいて映像がどこか

ポエティックで美しいのはなぜなんだろう?

ふつうに考えたら、暴漢に襲われて半死半生の状態で金品・所持品はおろか記憶ま

でいっさい失くし、助けてくれたのは貧民のコンテナ生活者、なんて言ったらそれこそ

不幸の極み、絶望的な状況だろうと思うのに、主人公の男ははとりたてて我が身の

不幸を嘆くこともなく淡々と今日を生きてゆく。コンテナ一家に世話になりながらも、

かといって彼らにへつらうことなく必要のないことは必要ないとはっきり言い、お金が

なくてもないなりに楽しみ(彼の場合は煙草と音楽)を捨てず、それを身近な人にも分

け合い、できるかぎり身辺を整え、どこの誰かもわからない身でありながら、人を恋す

ることもあきらめない。つまり、過去を失っても明日がどうなるかわからなくても、今日

生きることをあきらめない。

そして一見ぶっきらぼうで冷たく見えた人たちも、関わってみれば実はとても優しい。

その優しさは日本人が思うよりずっとあっさりしていてクールに見えるほどかもしれな

いけれど。

そして、この実に淡々とした映画に花を添えているのが食人鬼ハンニバルと名付けら

れたかわいい犬。弱者を不当に扱う権力はどこの国も共通なれど、人の情と、良い人

を見分ける犬の嗅覚もまた万国共通。

アキ・カウリスマキが彼らに向ける眼差しはリアリスティックでありながらとても優しく、

どんな人間にも尊厳があり、どんな過酷な状況にも生きる術があることを教えてくれ

る。まさに震災後のいま観るにふさわしい映画ではないかと思う。

もちろん、これは映画だ。きわめて映画的な映画と言える。現実じゃない。

でも、映画中の台詞のひとつでありキャッチコピーともなっている『人生は前にしか進

まない』は、しごくシンプルにして真理だと思う。

暗いテーマなのに少しも暗く感じないのは、全編通して散りばめられているユーモアと

音楽センス! とにかく音楽がいいです。ミスマッチ感も含めてキッチュでレトロ。

救世軍バンドでヴォーカルを務める救世軍の女上司の歌なんか、キューバのオマー

ラみたいに哀愁があって味がある。ラストに流れる『ステイ』という曲の字幕スーパー

を眺めていたら、『音楽だけがこの世を楽園にする』という歌詞があって、ここにカウリ

スマキのマインドを見たのでした。

以下、書きとめた歌詞。

***************************************************************

ステイ  (マルコ・ハーヴィスト&ポウタハウカ)


行かないで どこか遠くへ

時は過ぎ去るけれど まだやり直せる

心配しないで 

僕らはだいじょうぶ

物語を終わらせれば

すべてはうまくゆく

聞こえるかい

あの鐘の音

行く手に輝くのは 希望の光だけ

僕のそばにいて

お願いだ

君がいれば うまくいく


逃げないで どこか遠くへ

逃げるのは たやすいこと

多くの人が さまよってる

君が消した愛を ハイウェイに見て

音楽だけがこの世を 楽園にする

仮面のような メロディと歌詞

僕のそばにいて

お願いだ

君がいれば うまくいく

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2011年3月27日 (日)

本日のブランチ・ミュージック♪

Rapture_2

友人の家では震災後、節電生活が始まってから子どもたちが早寝早起きになったそ

うだ。私も11日以前と以後では世界が一変してしまったのだから、もうこれまでの古

い思考パターン、古いライフスタイルは捨てて一新しよう、それにはまずは早寝早起

きから、なーんて思うのだけれど、これがなかなかできない。

今日も目覚ましのアラームが鳴ってから約2時間後にやっと起き、珈琲をいれるため

にお湯を沸かし、オーブントースターにマフィンを入れ、カレーポテト(ジャガイモを細切

りにしてニンニクを入れたオリーブオイルで炒め、カレー粉・ブラックペパー・ヒマラヤソ

ルト・ガラムマサラなどの香味料で味付けしたもの)を作っている間に聴きたくなったの

が、これ、竹内直さんのアルバムRapture

この3曲めに入っているタイトル曲のRapture。

ふつうジャズっていうとどうしても暗いジャズ喫茶かあるいはジャズ・バー、時間帯でい

うと夕暮れから夜、って感じなんだろうけど、これは朝に聴いてもぴったりだ。

細胞のひとつひとつが目覚めてゆくような、エナジー・チャージされてゆくような感じが

すごく気持ちいい。晴れた朝、真っ青な空と海の間に浮かんだピカピカの船が大海原

に船出して行くようなイメージ ・・・・・

直さんのアルバムについては他にもいろいろ書きたいのがあるのだけれど、いざ書こ

うと思うと直さんの場合、好きすぎてなかなか書けないんですよね。

いったい私はどれだけ直さんの音が好きなんでしょうか~~!(うーさん風。)

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2011年3月26日 (土)

震災後初のプール

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今週末は計画停電が中止になって、震災後、初のプール。

これからとうぶんの間はクラブのホームページを確認してから行かなければならない。

この時期、来ない人も多いのかなあと思っていたら、スイミングクラブの更衣室はいつ

も以上に賑やかだった。

あっちこちで久しぶりに顔をあわせた者どうしが震災のときの状況を話し合ったり、互

いの無事を喜んでいる。それはおとといの夜、ライブハウスで見たのと同じ光景。

昨日やっとガソリンが買えたから今日来られたという人、あのくらいの揺れで家の窓ガ

ラスのサッシがぴったり閉まらなくなってしまったの、という人。みんないろいろあった

らしい。プールサイドで準備体操をしていたらKコーチがそばにきて、「例の松ぼっくり

こーんなにでかいのを手に入れたよ」と手ぶりしながら言う。松ぼっくりというのは私が

欲しかったシダー・ローズのことで、わざわざ宮崎から送ってもらったものだという。

そんなに貴重なものをもらってもいいの? と聞いたら、3つ送ってもらったからひとつ

あげるよって。嬉しいな。

震災当日のスイミング・クラブはまさに騒然とした状況だったらしい。

プールでは水が外まであふれて川のようになってしまい、プールの中にいた子どもた

ちは急きょ女の子のコーチに先導されて水着のまま非常階段から外に出て、芝生の

広場で寒いなか待機していたという。怖がる子どもたちを落ち着かせるためにコーチ

が「歌をうたおう!」と言い、歌っているうち別の男の子のコーチが毛布を持って駆け

つけて、そこを通りすがったオバサマはとっさに自分のバスタオルをかけてあげた、

なんて言っていた。プールはすぐに水が半分抜かれ、更衣室では更衣室で、泳ぎ終

わったオバサマ方が、裸では逃げられない、と揺れる部屋のなか必死で着替えをして

いたらしい。そう話してくれたオバサマの1人は、思い出すとまだ怖いから帰る、と言っ

て、泳ぎ終わるとさっさと着替えをすませて帰って行った。

私は今日で3週間ぶりのプールだったし、震災にまつわるストレスですっかり身体が

固まってしまった感じだったから最初からちゃんと泳げるとは思ってなかったけれど、

思いのほかいい感じに力が抜けて疲れずにすんだ。特に最後にダウンで泳いだクロ

ールはプルの入水角度がよくて、久しぶりに感覚をつかめた感じ。

泳ぎ終わって、あー、すっきりしたー! と思っていたら、隣りにいた同じクラスの人が

声に出してそう言った。それを皮切りにみんなが、やっぱりプールはいいよねえー! 

と口々に。帰りは帰りで賑やかな更衣室。

今日はふだん仕事帰りに夜のクラスで泳いでいる人たちが計画停電の関係でこのク

ラスに振り分けられたせいで、やたらに人数が多かった。まるで水族館みたい。

そのなかに色の白い、目の澄んだかわいい女の子がいてジャグジーでちょっと話した

のだけれど、やっぱり若くてかわいい女の子はいいな!

元気で明るいオバサンもいいな!

今日もプールで泳げてよかった。

いつかこのプールの水にも放射能が微量に含まれています、なんてことになったら、

みんな泳ぎに来なくなるのだろうか?

私はたぶん、いつもどおり泳いでると思うよ。

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これは帰りにみつけた梅。

毎年いつも、遠くから見ると満開の桜かと見紛うほどなのだけれど、梅です。

さて、あなたは梅と桜と桃の花の明確な違いが言えますか?

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ふふ、私はこれをここにアップする前に調べました。

枝から花枝がついて房状に花がついているのが桜。花枝が無く、枝に直接花がくっつ

いているのが梅と桃。そして、花びらでいうと、花びらが楕円で先が割れているのが

桜。楕円で先が尖っているのが桃。丸い花びらをしているのが梅、だそうです(^-^)

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2011年3月25日 (金)

イヴァン・リンスの『上を向いて歩こう!』

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昨日、ライブ帰りの電車の中で友人に教えてもらった。

YouTubeにイヴァン・リンスが震災に遭った日本のために『上を向いて歩こう!』を歌

った動画がアップされてるらしいよ、って。

帰宅してからさっそく検索すると ・・・・・・ ありました confident

日本を愛してやまない、そして日本人が愛してやまないイヴァン・リンスが、日本語で

『上を向いて歩こう!』を歌ってます。

check it out!

 Ivan Lins presents    上を向いて歩こう!

*****************************************************************

そして、これは昨日、友人にもらった小鳥のイラスト本。

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娘さんが最近ボランティアで入り浸っている原宿のギャラリーで本の交換会をしても

ったものだそうで、色鉛筆で描いたラフスケッチなのだけれど、これがかわいいの。

11the_bird_book01

いま問題になっている原発のことも、人への影響や水や食料のことばかりだけれど、

鳥や小動物や虫や魚や植物や、大きくいうと地球の生態系への影響なんかも気にな

っていたりしますよね。原発のある周辺ではどこまで汚染が進み、どれだけ被害が出

ているのか。なかなか本当のことはわからないので。

願わくは最小限にとどまってほしいけれども。

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そして川越成田山のお供物。

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子どもの頃、なぜか父方の親族と会うというとたいてい誰かのお葬式か法要か何か

で、よくお寺に集まった。田舎のお寺ではあるけれど由緒正しいお寺らしく、お寺の

作りもお坊さんの着ている袈裟もとても立派で、お経の声も素晴らしかった。子ども

ながらに朗々たるお経を聴きながら、ゆっくり立ち上る線香の煙の先に天女の羽衣

を重ね合わせてうっとりしたこともあったけれど、基本子どもなので、たいていは妹と

お坊さんの禿げ頭と木魚を見くらべては笑いをこらえるのが大変だった。

でも、そんなこと露とも知らないお坊様は、お経が終わると私たちのほうを向いて「小

さいのによく長いお経を静かに聴いていられたねえ」と言って、お供えしてあったピン

クや白の立派なお供物(干菓子)をご褒美にくださるのです。母には変わってると言わ

れたけれど私はそれが大好きで、いつもひとりで食べていた。それをいつか友人に話

したら、あたしゃお供物は嫌いなんだよ、と言って、機会あるごとにくれるようになった

のでした。母は、これを食べると一年、無病息災でいられるのだと言っていた。

私は未だにそれを信じていたりします。

なので、今年も子どもと分けて食べました。

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2011年3月24日 (木)

そしてLIVEはずっと続いてゆく

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女友達との煮え切らない電話のあと、私はますます家の中から出て行きたい衝動に

駆られて別の友人にメール。それに計画停電が中止になった今夜は出かけるには

絶好のチャンスなのだ。自分が遊びに行くのにまた余震がくるかもしれない真っ暗な

部屋に子どもだけ残していけないもんね。

こんな時期、とつぜん今夜のライヴに誘って行けるヤツなんてそうそういないと思いな

がら駄目もとでメールしたのではあるけれど、ありがたいことにいましたね♪(^-^)

それでさっそくライブハウスに電話すると、今夜も通常営業してます! と明るい声。

なんでもかんでも自粛のきょうび、ふつうにやってるなんて嬉しいじゃないですか。

こんな時期にやってるサムタイムもエライけど、いつもどおり演奏しているミュージシ

ャンたちもエライ。そういえば、沈没していく豪華客船の中でゲストの不安が少しでも

やわらぐように最期まで演奏し続けたのは何の映画の中でしたっけ?

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・・・ というわけで去年の9月以来、なんともう半年ぶりのサムタイム、竹内直4。

いつもより気持ち少ないけれど、良い席はほぼ満席という快挙。

なんだか店に入っただけで、ふわぁ~っとしちゃいましたね。

そして去年の夏以来8ヵ月ぶりに会う友人Sの顔をピアノの後ろのカウンターにみつけ

る。タイミングってのは面白いもんだね。会えないときにはぜんぜん会えないのに、会

えるとなったらポン!と会える。

・・・ なんてことを話しながら始まった最初の曲は、HOME。

これを1番最初に演られるといつも威勢よく「お帰り!」と言われた気になって、ほんと

にここに帰ってきたんだ~、という感じでじーんとします。続いて今回の地震で亡くなら

れた被災者を鎮魂するようなアントニオ・カルロス・ジョビンの『ルイーザ』、変わってア

ップテンポの『I've Never Been in Love Before』と、HPのブッキングには今日も3ステ

ージと書いてあったけれど実際は前半6曲、後半6曲の2ステージ。

今日の収穫はいつもはフルートで演る『So Many Stars』をサックスで聴けたことかな。

いつも以上に沁みましたね~~

直さんの音を聴いて自分がどれだけ乾いて疲れていたかを実感した。

それから『RAPTURE』のイントロの井上陽介さんのベースもすごくよかった。

陽介さんはいつもじっつに楽しそうで、ここでは120%ホットな演奏を聴かせてくれま

す。そしてホットと言えばピアノの片倉真由子さん。前回聴いたときとはくらべものに

ならないほどバンドになじんで、すごくパワフルな演奏。一瞬の迷いもなく音を敷き詰

めてゆくようなスピード感あるタッチは聴いててすごく気持ちよかった。どうやらこの真

由子さん、音に没頭すると歌い出すようなんですが、それがけっこう大きな声で、グレ

ン・グールドみたいでちょっとユニーク。いつもながらに熱い江藤さんのドラムは少々

エネルギー不足でふわふわしていた太陽神経叢にエネルギー・チャージしてくれたよ

うで、帰るころには身体がしゃんとしたのでした。

そしてこんな時期なので、アンコールは避難所生活を送る被災者の方々が早く家に

帰れることを願って『Georgia On My Mind』。

直さんがこの曲を演奏するのを初めて聴いたけど、これもよかったなあ。

会場は万感の拍手、拍手。

ステージの始めと終わりに直さんが何度も言っていたけれど、震災後ここでこうしてま

た以前どおり演奏できること、無事で集まった方々の顔が見らること、そしてオーディ

エンスの我々は、またここで直さんの素晴らしい演奏が聴けたことに感謝の気持ちで

いっぱいになったのでした。

いやあ~、やっぱり音楽っていいですね!

冬によく東北ツアーをしていた直さんなので、この震災で連絡が取れない方とかいる

のじゃないかと心配だったのだけれど、それはないものの避難所で暮らしていたり、

再開のめどがたたないライブハウスのオーナーもいらっしゃるとか。そしてやっぱり

この時期仕事はずいぶんキャンセルになっていて、直さんは「お陰でゆっくり休めて

ますけど」と言っていたけれど、いやはや厳しいなあ、と思いました。

もともと経営してゆくのが大変なライブハウスと、生活していくのが難しいJAZZミュー

ジシャン。人が入らなくなれば店は潰れてしまうし、演奏する場がなくなってしまったら

ミュージシャンは演奏したくても演奏できない、聴き手は聴きたくても聴けなくなってし

まう。やっぱり好きな場所にはできるだけ通わなきゃならないし、好きなミュージシャン

は自分たちで守ってゆかないとと思います。

ともあれ、久しぶりに地震以外のものに気持ちよく揺られてすっきり!

すっかりパワーをもらって元気になって帰ってきました。

家のなかで不安がってる人はライブハウスに行ったらいいと思う。

そこには、いま一瞬を燃焼しているミュージシャンと、そういう熱い音があるから。

そして、これからもLIVEは続く!

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あとは何をチョイスするかだけ

11bird

昨日、いつものように夜遅くブログの記事を書いているとき携帯が鳴った。

夜の12時近くに電話してくるのなんてどうせ仕事仲間だろうと思って出ると、広島の

友人だった。最近この人とは仕事でも関わっていて、用件は4月の頭に大阪で予定

されているミーティングのこと。私が無事で元気にしていることは知っていたのだろう

けど、震災後に話すのは初めてだったのでとうぜん話題はそのことにもなった。

聞けば彼もつい最近、出張で東京に来ていたのだそうだ。

ホテルの中はまだ揺れて気持ち悪かったし、いま地震が起きたらこうしよう、と頭の中

でシュミレーションしながら浜松町を歩いた、と言っていた。

そしてそのとき、あるコンサルティング会社に行って、そこの代表と今の放射能汚染の

話になり、原爆は核分裂しているウランやプルトニウムを火薬で遠くまで飛散するよう

に作ったものだけれど、その原爆だって爆心地から遠く離れたところまで放射能で汚

染されることはなかった、放射性物質は比重が重いから危険な濃度で東京にまで届く

ことはちょっと考えられないんだけどなあ、と言われたそうだ。それでハタと自分の生

まれた地、広島のことを考えてみたら、そういえばたしかに広島市内は滅茶苦茶にや

られたけれど、自分が生まれ育った呉はそんなことはなかったと思いだしたそうだ。

呉は広島から30キロ圏内じゃけど、市民に異常にがん患者が多いなんてことはない

し、俺の親だって被ばくしたけれど普通に結婚して子供ができとるし、俺だって特に放

射能がどうということなく結婚してふつうに子どもが生まれたし、それに広島は原爆後

30年は草も生えないとか言われとったけれど、俺が子どもの頃にはもう広島は草ど

ころか街ができとったぞ、と友人は言った。

Tちゃんの場合、放射能より煙草の害のほうがあったくらいだもんね、と私は言った。

そして、そう言いながら、彼が子どもの頃、というのを仮に5歳として計算して、原爆以

後18年か、と思った。ふぅ~む、なるほど~。

今までヒロシマ・ナガサキというと、直視できない悲惨さだけに心が奪われてしまって

その周辺でふつうに生きてきた人のことに考えが及ぶことはなかった。でも、実際に

広島県人にそう言われるとそれはとても説得力があったし、たしかにそう言われてみ

ればそうかもしれないと思った。そして友人がいま何を言いたいのかというと、東京

に住んでいる私に「だから東京はだいじょうぶだよ」ということを言いたいのだ。彼は

最後に「何か必要なもので足りないものがあったらなんでも言ってね。それくらいのこ

とはするから」と言った。もちろんそう言われたからといって私がすぐに何か頼んだり

することはないし、曼荼羅のあたりから私はもうこの一連の原発に対する自分のスタ

ンスを決めてしまったからいいのだけれど、そう言ってくれる人がいるだけでもすごく

ありがたいことだと思う。

そして今朝は女友達から「東京に戻ってきました」というメールをもらって、今夜予定し

ていたライブに行けるかどうか電話したら、風邪をひいていたこともあるけれど彼女は

行く前よりなんだか悪い状態になっていた。東京の水から放射性物質が検出されたと

いうニュースのせいらしい。彼女は「親が不安なのに、子どもにだいじょうぶ、だいじょ

うぶなんて言えない」と言った。夫を通して世の中に出回っているものよりずっと信憑

性のある情報や数値を知り得る彼女としては不安になるのもわからないじゃないけど

それじゃあまるで、地震のあった日にアナウンサーから「大地震のあと混乱する都民

に何か落ち着くような、励ましの言葉を言ってください」と言われて、「あんた、自分が

落ち着いてないのにそんなこと言えるわけないだろう」と言った都知事と同じじゃない

かと思ってしまった。

そして私が彼女に最後に言ったのは「あとは何をチョイスするかだけだよ」だった。

数日前に読んだ、村上龍の『危機的状況の中の希望』という文章の中で、村上龍は

いつも原稿を書くために常宿にしている横浜のホテルの一室であの震災に遭い、とっ

さに頑丈なテーブルの下にもぐりこんだとき(つまりまだ何も情報がないとき)に『私は

直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた』と書いていて、私はその感

じはなんとなく理解できる。

先ほど私は『曼荼羅のあたりから原発に対するスタンスを決めた』と書いたけれど、そ

れは三次元的な、唯物論的な考えからするとかなりかっ飛んだもので、一般的な世の

中の人には通用しないものかもしれない。つまり簡単に言うと、目の前で起きている

(あるいは起きているかに見える)現象や、正確な数値やデータなどというものとは関

係なく、自分の内なるものが受け取ったもの、直感したことに従う、ということなのだけ

れど。

自分の置かれた立場や状況、様々な諸事情や制限などによって人の考えや選択肢

はまるで違うし、また何を選ぼうが個人の自由なのだけれど、その選ぶものこそによ

ってチューンする相手が決まり、今後の行き方が大きく分かれていくのだと思う。

あふれる情報のなかから何を選ぶのか。

愛なのか恐れなのか、というところで。

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2011年3月23日 (水)

春は落ち着かない

2011spring_02

毎年、桜が咲く前のこの時期は落ち着かないのだけれど、今年はそれより何より震災

以来揺れ続ける大地、無謀にも開始1時間前を切る頃にアナウンスされ、ほぼ毎日の

ように行われる計画停電、日々良くなったり悪くなったりを繰り返しつつ、でも確実に

拡大しているように見える、いや実際には見えない・感じない脅威で我々を脅かし続

けている放射能汚染のせいで、この春はまったくもって落ち着かない。

それにテレビで過酷な避難生活を強いられている被災者の方々を見るたびに思うの

は、被災して今は心身ともに非常事態のなかにあるというにもかかわらず、被災者が

とてもきちんとしていること。その、あまりのきちんとぶりにも驚かされる。

そして最近ではケアワーカーなどによって、「立派な被災者になろうとしなくてもいいん

ですよ」なんてことが言われ始めている。どんなときにも人に迷惑かけないように我慢

して、きちんとしていようとしてしまう日本人のメンタリティー。

一方で、同じ震災に遭った被災者といっても三重苦・四重苦のなかにいる東北の被

災者たちにくらべたら遥かに軽く済んだ我々東京人は、私たちは彼らよりずっといい

のだから今の状況くらい我慢しなきゃならない、落ちてなんかいられない、自分にでき

ることで貢献しなくては、というところにいて、また主に震災に関係なかった地方の人

からそういう目や言葉の矛先を向けられているのも知っている。

でも、そういう東京人にしたって、関東大震災経験者以外は今回の地震は誰にとって

も初めて経験する大地震だったのだ。まさしく晴天の霹靂だ。そして実際、震災以来

ずっと揺れ続け、スーパーに行っても買う物がなく、毎日のように停電しているのだ。

そのうえ放射能だ。

それでいま私たちが疲れ始めているとしても、それってふつうのことじゃないか?

日本は第一に銃社会じゃない、とってもいい国だと思うけど、ときどきとっても窮屈だ。

私は天の岩戸ならぬ原発が納まることを祈ってサンバでも踊りたいくらいだ。不謹慎

かもしれないけれど。

昨日の計画停電は3時20分から7時までだった。暗くなり始めた最初の頃はろうそく

の灯りで仕事の資料本を読んでいたけれど、そのうち暗くなりすぎて目が疲れてきた

のであきらめて温かくないホットカーペットの上に横になった。すぐに寒くなってきて起

きた。もちろん、氷点下で暖房のない避難所にいる東北の被災者や、ずっと停電して

いる上に大きな余震が続いている茨木の被災者のことを思った。停電して暗い間もよ

く揺れて気持ち悪かったけれど、計画停電が終わる直前に2度立て続けに大きな揺

れがきた。娘はいつものように慌ててテーブルの下に隠れ、私は食器棚を押さえた。

地震対策をしたくても家具転倒防止グッズがことごとく売り切れているのだ。家の中も

外も真っ暗なうえに寒いうえに揺れるじゃ、こりゃ嫌でも落ちるよなあ~と思った。

今回の地震で初めて『地震酔い』という言葉を知ったけれど、私自身はようやくそれか

ら解放されたと思ったら、このところの大きな揺れでまたその感覚が戻ってきてしまっ

たような気がする。

昨日の福島県産や北関東産の野菜、原乳からの放射性物質の検出に続いて今日は

東京23区と都下の5つの市の水道水から放射性ヨウ素を検出。

それを聞いたらなんだかますます窮屈になってきたので娘と外に出た。

春を探しに行こう! と言って。

昨日今日とっても寒く、陽射しのない灰色の空からはときどき微かに雨まで降ってき

て、あたりはまるっきりの冬景色だった。

でも、もちろん春はそこここにきていた。

まだ固いけれど、枝の先が薄紅色に色づいた桜の木。

2011spring

この桜が満開になって、春が怒涛のように押し寄せてくる頃、この国は今より明るくな

っているかなあ?

早く娘が安心してパジャマで寝られる日がくるといい。

2011spring_01 

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2011年3月21日 (月)

沈黙よりいいもの。

11candle_night

このあいだ初めて夜間に計画停電が行われた夜、私と娘は曼荼羅塗り絵をしていた

けれど、息子は自分の部屋で暗闇のなかでギターを弾いていた。

それを聴きながら娘が「音があるとなごむねぇ・・・」とつぶやいた。

たしかに電気が消えた途端、あたりはいつも以上に静かで、人のセンサーはますます

研ぎ澄まされてしまい、ちょっとの揺れでも敏感に察知してしまう。震災の後ずっと暗

闇のなかで余震を感じている人たちはどれほど恐怖だったろうか。

そんなとき、わずかでも温かいろうそくの灯りと耳触りでない程度の静かな音楽があ

れば、どれだけ人はこころ休まるだろうと思う。

・・・ そんなわけで、先日は息子が真価を発揮したというわけだ。素晴らしい。

テレビでもラジオでも地震以来、企業が自粛してAC公共広告機構のCMばかりだっ

たのが、最後に『AC』という音がなくなっただけでも少しはマシになった。私と息子が

ピンポイントでしかラジオを聴かないのはその番組ではうるさいJ-POPがほとんど

流れないからだけれど、そういう意味では震災直後のスムースJAZZばかり流れる

ラジオはいつもよりかえって聴きやすいくらいだった。最近またよく流れ出した若い

J-POPのミュージシャンの『元気出そうよ!頑張ろうよ!』ソングには心底うんざり

してしまう。いったいいつから日本語の歌はこんなに押しつけがましく優等生的になっ

たんだろう。伝えたい気持ちも、理解してほしい、わかりあいたい気持ちもつながりた

い気持ちも、過剰に表現しすぎればただの我でしかないのに。

私の好きな詩人の北村太郎が親友の鮎川信夫について、こんな風に書いている。

前後の文脈もあるけれど、ごく一部だけれど抜粋してみる。

 第二に、無類の優しさ。喫茶店でコーヒーを前にしての話にもそろそろ退屈

 して、お互い、どこかへ遊びに行きたいなと思っているとする。こんなとき、

 たとえば彼は「ボーリング場へ行こうよ」といういい方は絶対にしない。

 「ボーリングでもするかい?」という。

 わたくしには、この二つのいい方の差は無限のように思われるのである。

 相手の心に負担をかけたくないというだけではない、もっと深い優しさみたい

 なものが、このいい方に表われているのだ。

 彼の一番きらいなのは無神経、ずうずうしい人間ではないかと思う。

 (思潮社刊/新撰 北村太郎詩集/エッセイ『鮎川信夫』より)

そして、これを読んで私が思い当たるのがジョアン・ジルベルトの歌だ。

『声とギター』

Joao_gilberto_01_4

  JOAO VOZ E VIOLAO

文字通り、ジョアン・ジルベルトによる声(歌)とギターだけのソロ・アルバム。

ジョアンの歌には押しつけがましさも我欲も微塵も感じない。

ジョアンの場合、歌唱力があると言われる名シンガーみたいに声を張り上げて朗々と

感動的に歌いあげるわけでもなく、ギターを弾きながら、ただ囁きかけるように慈しむ

ように自分の歌い慣れた大事な歌を淡々と楽しげに歌うだけだ。

それがまるでバスタブで適温のお湯にとっぷりつかっているときのように心身をやわら

げ、じわじわとからだの芯まで温めてくれるのだ。

ジョアンの歌をしてカエターノ・ヴェローゾは「これよりいいものと言ったら、沈黙しかな

い、そして沈黙をも凌駕するのは、ジョアンだけだ」と言っている。

それは、私が初めてジョアン・ジルベルトを生で聴いたときも同じだった。

彼が歌う姿をライヴで一目見ようと、そして一音たりとも聴き逃すまいと、聴衆が固唾

を呑んで少々緊張しながら待っているなか、ジョアンは飄々とした風情でやってきて、

歌っているのと同じ、囁くような声で日本語で一言、「こんばんわ」と言った。

その瞬間、そのシャイで優しい雰囲気に一気に場がなごんでしまった。

ステージには椅子とマイクスタンドがあるだけで凝った照明もない、ただジョアンから

の要請は、空調も非常灯も切ってほしいということだけ。

まさに暗闇のなかにあるのはジョアンを照らす一条のスポットライトだけだった。

聞いていた気難しい感じも全然なかった。

ただ聴いている聴衆が温かいお湯につかっているようだとしてもジョアン自身は、どん

なにリラックスして見えても張りつめた絃のように非常に繊細な人で、自分にとことん

厳しい完璧主義者だということだ。聴衆は、そのたった1人の人間から聴こえてくると

は思えない変幻自在の名人芸に酔わされて夢と現のあいだをさまよってしまうけれど

ジョアンの歌とギターはどこまでも揺るぎない。その揺るぎなさがまた安心感につなが

るのだと思う。たとえ歌詞の意味を知らなくてもポルトガル語がわからなくても、連れて

行かれる場所はたぶん一緒だ。沈黙よりいいもの。

もし私が心身ともにすっかり傷ついて暗闇に放り出されたとしたら、聴きたいのはジョ

アンの声とギターかもしれない。

ジョアン初来日のライヴの間中、私の友人は涙がとまらなかったと言い、そんな経験

は生まれて初めてだったという。たぶん、長年の間に培われた心の固いブロックが溶

けたからだと思う。

もしいま、あなたが震災以来の心労で疲れ果ててしまっているとしたら、このライヴア

ルバムもお勧めだ。ゆっくりお風呂で温かいお湯に浸かるように、音に身をゆだねて

からだの力を抜いてみてほしい。そう、電気を消して、ろうそくに火をともして。

Joao_gilberto_02_2 

 JOAO GILBERTO in Tokyo

この三連休はほとんど何もしなかった。

しようと思えばすることはいくらでもあったのに。

やっぱり震災後、ストレスと疲れが溜まって免疫力が弱まっていたのか、プールにも

入らないのに鎖骨のあたりと背中にアトピーが出てしまってなかなか治らないし、この

ところは花粉で目と鼻がやられてしまってすっきりしない。

この三連休のあいだは計画停電は中止になっていたから何も考えずにそのぶんゆっ

くりできたけれど、また明日からは始まるんだろう。そう、それで昨日と今日は、どうせ

計画停電がこの先もずっと続くのならそれも楽しもうとキャンドルをいろいろ見ていた。

その『楽しみ』というのも、こういう厳しい状況になるとことごとく自粛しなければならな

い風潮になってしまうのが日本だけれど、無理にそんなことをするからよけいまいって

しまうのじゃないかと思う。贅沢しない程度に楽しみは楽しみで楽しんで、今日、自分

がするべきこと(仕事)をする活力にして、経済活動を止めないこと。

それもいま、自分にできることのひとつじゃないかと思う。

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2011年3月19日 (土)

スイセンとクリスマスローズ

11suisen

部屋のなかでいい匂いをさせているスイセン。

これはきっとOさんの庭で咲いたものだ。

昨日とどいた大きな荷物のいちばん上に載っていた。

東京では手に入らない懐中電灯の代わりに、会社の経理をやっているOさんの旦那

様が地元神戸の電気屋さんをいくつも回ってやっと手に入れたという、懐中電灯にも

なるセンサーライトというのを送ってくださった。それにしてはやけに大きい紙袋だと思

ったら、中にはティッシュペーパーやら切り餅やら竹の子ご飯の素やらいろいろ ・・・

ひとつひとつ出しているうちに、昔こんなふうにいろいろ送ってくれた義理の母のことを

思い出してしみじみしてしまう。母となった人のすることはみんな似ている、と思う。

たぶん、私のすることも彼女たちとそんなに変わりないだろうと思う。

けれど素朴な花束には小さなカードがついていて、そこに書いてある言葉には私には

とても使えない言葉が書いてあって、ハッとする。Oさんはすごく純粋な、育ちの良い

方なんだろうなと思ってしまう。

11card_2 

この花はやっぱりOさんの家の庭に咲いたものだった。

今年初めて咲いたクリスマスローズだそうだ。

11chiristmas_rose

おとといは別便でOさんと会社の同僚のHさんから佃煮の詰め合わせとお菓子が届い

た。生まれて初めて大きな地震にあって、何かと不自由な思いをしているだろうから、

という職場の方々の心遣い。ほんとにありがたいし、自分は仕事仲間に恵まれたと思

って感謝でいっぱいになる。でも一方で、毎日1000人単位で増えて行く震災による

死者や、「1週間ぶりで温かいものを口にしました。本当にありがたいです。全国の皆

さんに感謝です」と言いながら泣いている被災者の男の人を見たりすると、自分なん

て震災にあったといっても『遭った』という表現が憚られるほど、今のところは家のなか

の物がちょっと壊れたのと物不足なのとたまに停電になるくらいのことで、人に何かし

てもらうレベルではないんじゃないかと思ってしまう。でも、そう思うのも私がだいぶ落

ち着いてきたからか。

今日のプールはスイミングクラブから事前に葉書がきて中止になった。

地震の最中にプールにいた人たちはきっとすごく恐い思いをしただろうけど、その後

プールは安全点検と確認をした後、15日から営業していたという。今回の臨時休館

は計画停電によるもの。でも、それも昨日の夕方になって中止になった。

夕方、一日じゅう家にいたので娘と買い物に出て、帰りの道すがら暗闇で誰もいない

のをいいことにクロールのプルをしながら歩いた。娘は他人のふりをして離れて歩いて

いたけれど、腕を振り回すのは肩こりにとてもいいのよ。

夜空の雲のなかをクロールで泳ぎたいという私の幻想 ・・・

ポストを見ると同僚からカードが届いていた。

11bird01_2 

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2011年3月18日 (金)

あたらしい芽

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震災から1週間。

いま起きていることにも世界の変容にも関係なく、今年もバラの芽が出てきた。

毎年のことだけれど、この時期、まさしく吹き出てくる、というにふさわしい勢い。

これも。

11shinme_02

これも。

11shinme_04

これも。

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これも、これも、これも・・・

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それから、思い切ってゲンコツ剪定したこれも!

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春の陽を浴びてキラキラ輝くあたらしい芽。

11shinme_3

これらはみんな、私にとってはそのまま希望の光のようだ。

このベランダがバラでいっぱいになる頃、全ては今よりずっと良くなっていることを

願って・・・

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2011年3月17日 (木)

ふつうの日常

110317

まだときどきちょっと大きな揺れがきて、娘があわててテーブルの下に駆け込んでTV

をつけたり、娘がパジャマに着替えずに服のまま寝ていたり、いったんはしまったはず

の防災袋がいつの間にか3つプリンタの脇に出ていたり、パンがないので朝食がごは

んだったり、中途半端な時間に始まる計画停電のせいで日中なかなか仕事にならなか

ったり、電車が間引き運転をしていて不便だったり、この近所でもマスクをした人がや

たらと目立ったり・・・、というくらいのふつうじゃないことはあるけれど、そんなこと以外

は、ほとんどふつうの日常。

朝のニュースのテロップを見る限りでは今日はやらないと思っていた計画停電のアナ

ウンスが実行前わずか1時間になって聞こえてきて、あわてて買い物に出ると窓辺で

退屈そうにしている猫に出会う。・・・ と思ったら足もとには別の猫。

この子は日なたで長いシッポをゆらゆらさせてかわいかった。

グレーのからだにブルーの首輪とは素敵な配色。

110317_01

遊歩道では街路樹のこぶしの花が咲き始めた。

110317_03

110317_02

こうしている間にも危機的状況は続いているのに、ここはあまりにも静かで不思議なく

らいだ。相変わらずスーパーの棚は空が目立つけれど、まだ買うものはある。まだこ

れくらいだったら何がなくたってなんとかなる。それはありがたいことだ。

計画停電について、東京23区も同じ痛みを分かつべき、という人もいるけれど、私は

そうは思わない。都市には都市が担った果たすべき機能と役割と時間軸があるから。

今日は寒かったけれど空がすごくきれいだった。

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2011年3月16日 (水)

計画停電

110316sky_2 

計画停電が始まって2日め。

午後になって市の聞きとりずらいアナウンスが入ったと思ったら、今日は6時から10

時くらいまでの間の3時間程度、という。ついに夜間に来たか~と思う。

それまでの間にするべきことを慌ただしくすませて時間前には全ての電源を切った。

それでもまだその時間には周囲の街灯や周辺の住宅には灯りが点いていて、駅前の

高層マンションなどは見事にほとんどの窓に灯りが点いていた。

そんな風なのでもしかしたら今日も直前になって中止になるかも、なんて話していたら

時間から20分過ぎた頃にいっせいに灯りが消えた。計画停電などやらないとタカをく

くっていたのか、灯りが消えた瞬間、向かいの棟から短い悲鳴が聞こえて、慌てて懐

中電灯を点けて室内を照らす様子がうかがえた。

それにしても想像した以上に真っ暗だ。

子どもの頃、キャンプでしか経験したことのないような暗闇。

ベランダに出て外を見渡すと星だけがきれいで、闇にひっそりと沈んだここは見捨てら

れた町のようだ。

ひとたび事故を起こせばあれだけ怖ろしい原発に日々の生活のほとんどをゆだねて

いた我々。電気がなければ音楽を聴くことも映画を見ることもできないのだ。

こんな暗闇の中ではすることもないので、わずかなキャンドルの灯りで曼荼羅塗り絵

をすることにした。最初やらないと言っていた娘も、けっきょくやることがなくてテーブ

ルに塗りかけの曼荼羅を持ってきた。

小さなティーライト・キャンドルではあんまり明るくならなかったけれど、こんなのでも買

うことができてよかった。地震のあった夕方、近所のスーパーには大挙して人が押し

寄せ、売り場にはもう懐中電灯も電池もローソクも何もなかった。このティーライト・キ

ャンドルだって日曜にホームセンターに行って最後に残った数箱の中からぎりぎり手

に入れたものだ。それ以外のものはホームセンターの棚も空っぽで、欲しいものは何

ひとつ買えなかった。

11keikaku_teiden_2

キャンドルの灯りに照らし出された曼荼羅はいっそうあやしい雰囲気で、先日、息子の

リクエストで観た映画『薔薇の名前』の修道士にでもなったような気分。

映画のなか、暗黒時代とも呼ばれた中世ヨーロッパの修道院で厳格に禁じられてい

たのは『笑い』。なぜなら笑いは人の心から恐怖心を追い払い、神(宗教)の必要がな

くなってしまうからだ。・・・ とすると、今の日本に足りないのも笑いではないかと思う。

さいわい、というかなんというか、私たち家族は地震のあった当日でさえ、余震で揺れ

続ける部屋のなかで散乱した物を片づけながら、夕方テレビで放映された、ほとんど

ギャグとしか思えない石原都知事の会見を聞いて馬鹿笑いしていたくらいだからいた

って健全なのだけれど、この東京にいて早くも精神的にまいってしまった人たちが多く

いるようだ。今日テレビをつけたらCMというCMがAC公共広告機構のものになってい

て、アニメのはまだ明るくていいとしても、それ以外は1回か2回見る分にはいいもの

の、あれを延々ずっとやられたらかえって気が滅入ってしまうのではないかと思った。

実際、げんなりしてすぐに消した。

余震や計画停電や放射能のこともあって、あんまり1人で出歩いてくれるなと言われ

ているお年寄りたちが退屈しないためにも、一日じゅう江戸落語でも流してくれるチャ

ンネルができないものかと友人に言ったら、さすが大阪、もう関西ではそういうチャン

ネルがあるそうです。

そして何かと情報統制のしすぎが非難される日本だけれど、もっとダイレクト(露骨)

に悲惨な情報ばかりを流している海外では、当の日本人より外国人のほうが今の日

本の状況にナーヴァスになっていて、ヒステリー気味らしい。そういう親族をなだめる

のに苦労する毎日だと国際結婚をした友人が言っていた。彼女は明日から数日、東

京を離れるそうだ。自分たちのため、というより親族を安心させるために。

心配は愛情ゆえと言っても、過度な心配は心配されている側が心配している者のた

めに何かをしなくてはならなくなる、という本末転倒なことにもなりかねない。

闇にうごめいている、かのように思えるサタンだって、笑いで退散してしまうのだ。

いまのこの時期、笑いは不謹慎だ、などと思わずに、笑いましょう、微笑みましょう、

今日の自分の活力のために、誰かに優しさを伝えるために。

できあがった2枚めの曼荼羅は『海、DNA、破綻のない世界』です。

塗っているうちにこういう言葉が勝手に浮かんでくるので、ふぅ~ん、なるほど、と思っ

て塗っています。私はこれを左手にチベタン・ゴールドをして、ヒマラヤ紫ソルトを食

べながら塗りました。そして布団に入ってから思ったことは、今年は限りなく陰陽のバ

ランスのとれた年のはずだから、いまが極端に危うい方向に傾いていたとしても、必ず

や逆の揺り戻しがくるに違いない、ということ。

そんな確信にも似た思いで眠りに落ちました。

11mandara_02

そして、以下は長くなったついでに、15日にClose Your Eyes さんからきたメールマガ

ジンの転載です。

11日を境にして世界は大きく変わった。

そして世界はより本質的な、意識的な時代に突入したように感じています。

もちろん、あなたがどう感じているかは自由ですけれども。

*****************************************************************

★光の瞑想で愛のエネルギーを送ろう★

心が張り裂けそうな想いで、ニュースを見ていました。
でも、遠く離れた京都から、今すぐ出来ることといえば
愛の光のエネルギーを送り続けることだけです。

「心配すること」は、こうなったらどうしようという
恐れのイメージを定着させてしまいます。
今無意識にも、不可抗力的に恐怖の気持ちが
日本列島を覆っていることと思います。

でも、そんな中でも 私達に出来ることはないかと
立ち上がり、募金、献血、物資救援と様々な義援活動が
慈愛の連鎖のように起こっているのです。

とはいっても、今の状況で、愛と喜びの意識をイメージして行う
この瞑想はとても難しいかもしれません。
しかし、地震直後の被災地でも赤ちゃんが誕生しています。
生命は永遠なのです。

物質的な救援はもちろんですが、精神世界を学ぶ私達だからこそ
出来ることがあります。
どうか、目に見えないエネルギーを愛の光に変えて 
慈愛を込めてエネルギーを送りましょう。

==光の祈り 愛のエネルギー瞑想法==

今まで一番楽しかったこと 愛に包まれた幸せな経験を思い出して下さい。
今の状況を思うと難しいかも知れませんが、どうかイメージして下さい。
そして その時にあなたのハートチャクラから生まれる愛の光で全身を
繭のようにくるんで下さい。
ちょうどオーラに包まれて光り輝いているように
イメージして下さい。

十分に愛の光が充満したと思ったら あなたのハートチャクラから
今、心にダメージを受けていらっしゃる人達の 
ハートチャクラに向かって
愛のエネルギーを放射してください。

送るというイメージが難しかったら、ハートから送ると同時に
「ふ~っと」息を吹きかける動作を加えてもいいです。
その吹きかける息もダイアモンドのようにキラキラ光り輝く
エネルギーにしてみてください。

被災された方一人ずつのハートチャクラをイメージされてもいいです。
また、擬人化して町全体に対してのハートチャクラでもいいです。 
これ以上、放射能が広がらないように 光のベールで町を
ガードするのもいいかもしれません。

そのイメージの際に 決して恐れの気持ちを入れないようにして下さい。
恐れが浮かびそうになったら、勇気と強さ、愛という
キーワードに変えて下さい。
生まれたての赤ちゃんを抱きしめるような 愛の気持ちで送って下さい。

意識は世界を変えます。愛の意識は全ての人の心を救うことができます。
みんなの愛のエネルギーという意識が、大きなダメージを受けた
被災者の方々の心に届きますよう祈りを込めて・・・

意識のパワーは多ければ多いほど大きな威力があります。
一人でも多くの方の瞑想への参加を呼びかけたいと思います。

ソフィーママ

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2011年3月15日 (火)

曼荼羅は祈り

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地震から3日、ほぼ一日中つけっぱなしだったテレビを切ったら静かになった。

夕飯の後で、さて何をしようと思って曼荼羅塗り絵を思い出した。

先月の誕生日にハンタさんからもらった曼荼羅塗り絵。

なかなか時間がなくてできなかった曼荼羅塗り絵。

つい先日まで、この時間は編みものをしていた。

編みものは私にとってはある種のセラピーで、誰か、大事な人のことを思い出しなが

ら毛糸を編んでいる時間は心休まるいい時間だった。

それに何より、贈った相手から編んでいるとき以上に心温まる「ありがとう」の言葉を

もらったし。でもまだ余震が続いていて、原発事故ももう祈るしかないレベルになった

いま、曼荼羅を塗ろう。

曼荼羅は祈りだ。

本来の砂絵曼荼羅はチベットでは何年も瞑想の修業を積んでマスターした高僧にし

か許されない儀式で、微細な色砂を使って7日間にわたって祈りをこめて作られた美

しい曼荼羅は、できあがった後は一人の層に寄って切られて壊され、川に流される。

祈りは曼荼羅が完璧にできあがったときに成就したとみなされ、それがいかに美しい

ものであってもそこに執着は許されない。

命あるものにはいつか死が訪れ、形あるものは壊れる。どんなに美しいものにも滅び

のときはくる。全ては流動的。全てのものはひとときたりともとどまることを知らない。

高僧たちの手のなかから落されて形作られ、壊されて川に流されてゆく砂の一粒一

粒は、まるで私たちを形成しているビットのようだ。

ハンタさんからもらった曼荼羅塗り絵は、できあがると教会のステンドグラスみたいに

なる。彼女は病気をしたあとやっと1年経って長時間何かに没頭できるまでに回復し、

さて何をしたものかね~と考えて、以前買って放っておいた曼荼羅塗り絵をやってみ

たら、何ヶ月もハマってしまったのだそうだ。砂絵と違ってカラーペンで塗るだけといっ

ても、細かいのでかなり長時間集中力がいる作業。私は最初、この本の中で1番気に

入った合掌している美しい観音様を塗り始めて、途中まではすごくうまくいっていたの

だけれど失敗してしまった。ちょっと気持ちが急いたり、別なことを考えたりして集中力

を欠くとすぐに破綻してしまうようだ。水の本質を持つ、ものすごく美しい観音様が強力

な愛のパワーを発散していて今にぴったりだったのに、残念。

そして、できあがっ た最初の1枚はこれ。

11mandara_01_4

私のDELLのスキャンではぜんぜん本当の色が出ていないのだけれど、黄色い花の

バックになっているのは本当は濃いオレンジで、この図を見た途端に濃いオレンジが

頭に浮かんだのでそこから塗り始めた。実は私はオレンジとか黄色という色があまり

好きではなくて、わざわざ嫌いな色から塗り始めたのにも意味がある。つまりこれも、

『嫌いなものにも存在する意味がある』『嫌いなものも調和すると美しい世界になる』と

いうセラピーであったような気がする。

実物はラメ入りのジェルペンで塗ったのでキラキラしていてもっときれいだ。

『吉祥 ~ 豊穣』と名付けた。

今の三次元レベルの意識(常識)を超えて、福島がまた健康で豊かな土地になります

ように!


さて、先日記事を書いたときに『カタストロフ』と検索して、素晴らしい文章を見つけた。

本物の文章。まさに私がそのとき息子に話していたこととも共通していて、しかもこの

サイト、『デザイン曼荼羅』というのだ。なんというシンクロニシティ!

とても素晴らしい文章なので、ぜひ読んでみてください。力をもらえます。

 デザイン曼荼羅 → カタストロフ

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2011年3月13日 (日)

そのとき

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地震が始まったそのとき、私は家から数十メートル離れたところにいた。

その日は前日に終わったプレゼンのことで頭がいっぱいだったせいですっかりお昼を

食べそびれ、仕事の人間とメールやら携帯でバタバタとやりとりをした後、それじゃあ

サンドイッチかなんか買ってくるね、と家を出たところだった。朝から頭痛がひどくて、

食事をしたらアスピリンを飲むつもりだった。慌ててマフラーをしないで出たら外はとて

も寒く、そんな寒いなか元自治会長の80過ぎのKさんが公園の樹木の枯れ枝の伐採

をしていて、温かいお茶でも買って差し入れしようかと思ったときだった。

ぐらぐらっと地面が揺れた。

え?! と思う間もなく立っていられないほどの揺れ。

思わず公園の緑のフェンスにつかまったら、Kさんがこちらに振り向いて「地震だ!」

と叫んだ。目の前の住宅はもちろん、住宅より遥かに高い給水塔が今まで見たことも

ないほどゆらゆら横に揺さぶられていて、これがもうふつうの地震ではないことを知ら

せていた。それを見た瞬間に部屋の中がめちゃくちゃになったことは想像できたけれ

ど、そのとき私がとっさに思ったことは「神さま、お願い!・・・ 今はやめて!」だった。

ひどい頭痛のせいで思考能力は低下しているし、何より私も子どももお腹がペコペコ

だったから。この状態で避難できるとはとうてい思えなかったのだった。

さいわいそのままカタストロフに突入することはなかったから、ともあれ私はそのまま

食料の調達に行った。そのときすでに携帯は使えなくなっていて、途中、集会所の前

で今の自治会長と副会長に会ってちょっと話したり、今ちょっと前まで工事をしていた

男の人たちと言葉をかわしたりした。揺れた途端にすぐにエンジンを切ったからよか

ったけれど、そうじゃなかったらクレーン車ごとひっくり返ってるところだった、と彼らは

一様に肝を冷やした様子だった。早々に後片付けをして帰ろうとしている若い工事人

などは、もう今日が最期かも知れないから今夜は寿司とかご馳走を食べといたほう

がいいかもしれないぜ、なんて言い合っていた。

他にも用はあったけれど取り急ぎパンだけ買って、4階の自分の部屋に上がろうと階

段を上っているとき途中でコンクリートがボロっと落ちているのをみつけて、こりゃます

ます食器棚が倒れてるのは必至だなと思って絶望的な気持ちになったけれど、それ

よりまず子どもたちだった。玄関のドアを開けて「だいじょうぶだったぁ?」と大声で聞

くと「僕たちはだいじょうぶだけど部屋はめちゃくちゃ!」と息子の返事が返ってきた。

部屋に入ると予想した最悪の事態 = 食器棚の転倒は免れていたけれど、仕事部屋

の本棚にあった本と陶器、それからCDラックのCDとパワーストーンなんかが床に撒き

散らされて足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになっていた。

そのなかで息子はスリッパを履いたまま部屋に散乱したものの中からふだん私が大

切にしている陶器を救出したり、すでに割れてしまったものをビニール袋に入れたりし

ていた。娘はまだ半分テーブルの下に身を隠したまま、テレビの前にペタンと座ってい

た。家の中はめちゃくちゃだったけれど家族3人無事だったことに心底安心した。

私はとにかく食べよう! と言った。さっさと食べてしまわないとまた地震がくるかもし

れないし、電気や水道が止まってしまうかもしれないし、だいいち腹が減っては戦は

できぬ、だ。

キッチンにお湯を沸かしに行くとキッチンは思いのほか何も壊れていなかった。

いつものように珈琲をいれてNHKのニュース速報を見ながら食べたサンドイッチはな

んの味もしなかったし、ひとつ食べるのがやっとだった。食べている間にも何度も強い

揺れがきて、そのたびに息子と2人で食器棚を押さえながらの食事だった。

その間に携帯にはドコモから着信エラーの通信が何度も入ったけれど、そのうちの何

人かとはスカイプとメールで交信した。驚いたのはいち早く仕事の協力会社の専務か

らメールがきたことで、他社の人で自分を気にしてくれている人がいたんだというのは

嬉しかった。それから部屋の片づけ、買い物 ・・・

NHKのアナウンサーの「これから徐々に日が暮れて暗くなります」の言葉はある種恐

怖だった。固定電話がやっと通じて都内にいる父の安否が確認できたのはもう夜の

7時だった。父が思いのほか元気だったのにもホッとした。

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それからいったいどれだけの揺れを感じたのか・・・

金曜から今日まで、長い長い3日間が過ぎた。

昨日の朝になって妹とは電話で話をすることができた。

金曜の夜は南青山の会社から中野区の自宅まで、3時間歩いて帰ったそうだ。

難民支援をしているライターのYちゃんからは、病気の難民を収容している病院で一泊

させてもらって昨日帰って来たと今日、電話があった。彼女が住んでいるのは古い木

造の一軒家だからさぞかし被害があっただろうと心配していたら、お皿一枚割れてい

なかったそうだ。私の息子は(いつか自分がもらう予定の)私のCDがかなり損傷して

しまったのがショックみたいで、同様に私が大事にしていた陶器やパワーストーンが

壊れてしまったのにショックを受けていると思っているようだけれど、それについては

私は意外と淡々としている。もちろん、がっかりはしたけれど、もともと所有することの

意味を考えてきて、ますますそれがはっきりしてきた感じ。いつになくずっとつけっぱ

なしにしていたテレビのニュースで繰り返し放映されていた、津波で生き残った人の

「家も、何もかも流されてなくなってしまったけれど、今はただ生きてさえいればいいっ

て」という言葉が頭でリフレインしている。

そして、物よりも何よりも、11日以前と以後でこの世界の何かが決定的に変わってし

まったことのほうに深い、力が抜けるようなショックを受けている。

いったいこの国は、日本は、どうなってしまうのか・・・

東京大震災は? 致命的な原発事故は? 来るべく物不足と食糧危機は?

いまだ時折り揺れる部屋の中、一日中垂れ流しの情報のなかで、次から次へと起こ

る想像を絶する事態に身体がぎゅうっと固まって私なんかもうこの時点で深い疲れを

感じるけれど、疲れなんて言ってるどころじゃない、こうしている間もまだ生死のギリギ

リのところにいる人のことを思うと言葉を失くす。

いわき市にいるangelseed さんは助かっただろうか、いまどうしているだろうか・・・

ほんとに心配です。

( ・・・と書いて、いまアップする前に彼女のブログを見たらアップデートされてました!

 よかった!!)

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2011年3月 8日 (火)

身体メンテナンス

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右肩が痛くなったのはもうかれこれ2、3年前からだった。

スイミングのおばさま方からは四十肩だの五十肩だの言われて、痛くても動かしてい

ればそのうち治る、と言われた。誰もがすでに経験済み、といった感じで、病院なんか

行っても湿布薬をくれるくらいでどうにもならないし、カイロだの整体だの鍼灸だのに行

ったところで、そのときは良くなっても完治するわけじゃないから、とも言われた。

さいわい、おばさま方の中にいた、包丁やドアノブが握れないほどの痛さで服を着る

のも困難なほど・・・ というほど重症ではなかったし、なんと言ったってプールでバタフ

ライを泳いでいるのだから医者に行ってレントゲンを撮っても意味ないだろう、と思っ

て医者にも行かなかった。コーチには週1回を2回から3回くらいにすると今より楽に

なると言われたけれどなかなかそれもできず、週1回プールで泳ぐことを続けながら

あとはできるだけMBTで歩いたり、官足法のマットを踏んだり、ウィートヒートで身体

を温めたりしながら、おばさま方が言うようにいつか自然に治る日を待った。

でも、いろいろな要因があるのだろうが、肩の痛みは良くなるどころかだんだんひどく

なり、それにも増して最近は慢性的な肩こりに首こりに背中こりで、ひどいときには頭

痛までするようになってきた。そしてさらに気になっているのは、起きたときに首だけ

じゃなくて、左の鎖骨の上が痛いこと。これっていったいなんなんだろう・・・

いつか友人に、朝起きたときどこも痛くなくて、気持ちよく爽やかに目覚めていた頃に

身体をなんとか戻したい、と言ったら、「そんなの私には物心ついた頃から無い」と言

われてぶっ飛んだ。聞けば、もう小学生の頃から普通に走っただけで身体が痛くなる

ような子どもだったのだそうだ。彼女は知り合った20代の頃から年中、鍼灸に行って

いるような人で、よくまぁ、その若さでそんなところにそれだけお金をかけられるもんだ

と思っていたから、それを聞いて心底驚いて、ある種納得してしまった。ただ、私の思

考回路だと、身体がそうなるということは必ず原因あってのことだと思うので、そこを

なんとかできないのかと、どうしてもそっちのほうに行ってしまう。ただの対症療法の

ため、気休めのためにそれだけのお金をかけるなんてことは私にはできないから。

基本的には自分の身体は自分で治すもの、と思っているから。

そんなロジックから先日、「私は今まで鍼灸とか整体とかカイロとかにはほとんど全く

行ったことがないので、どういうところがいいのかわからない」と会社の人に言ったら

逆に心底驚かれてしまった。やっぱり若い頃からそういうところのお世話になっていた

のだそうだ。「だって、自分にお金をかけられるとかかけられないじゃなくて、もう、そう

いうところに行かないと身体が動かないんですから!!」と彼女は言った。

びっくり ・・・。

ってことは、今までの私はラッキーだったってことかな?

親に感謝すべき、とか。

子どもの頃は弱くて母親から虚弱だ虚弱だと言われ続けた私なのに?


そんな私が今日いつも行っているスポーツクラブ内のカイロプラクティクに行ったのは

先週の土曜日いつものようにプールに行って、階段の踊り場の壁に貼ってある『身体

メンテナンス』というポスターが目に入ったから。今まではクラブ内にカイロがあること

さえ知らなかった。きっと痛いところがあるから目についたのだと思う。

ポスターにはキャンペーン中の5日間は会員に限り料金半額、とあったので、試しに

行ってみることにした。25分だからそれで治るわけないのはわかっていたけれど、

10日は大事なプレゼンがあるからそれまでに少しでもこのガチガチを治しておきた

かったのと、何よりこの凝りが病的(たとえば肺がんとか)なものではないということを

プロの目で確認したかった。

で、結果はというと、施術者の言葉によれば「背骨にこれだけ反りもあるし」「週1回泳

いでるせいか、痛いという割には肩の張りもそんなにひどくはないし」「病的なんかで

は全然ないですね」とのことだった。(ふぅ。)ただ意外なところ、腰と左脚がそうとう張

っているとかで、実際押されるとかなり痛かった。

そして、やっぱりこういうところに来るのは初めてだと言ったら施術者の若い男の人に

はとてもびっくりされてしまった。彼は、僕なんかどれだけ行ったかわかりません、と言

うので後でプロフィールを確認したら、高校、大学と野球の選手で、きっとスポーツ障

害を抱えていたんだろうと思う。そして、プールで泳いだ土曜日の夜は身体のあちこち

が痛くて眠れないことがあって、これくらいでこんなに痛いんだからマイケル・ジャクソ

ンはどれだけ痛かったんだろうと思った、と言ったら笑われた。

彼がたぶん若いせいと私が初めてだと言ったせいで施術は多少遠慮がちだったよう

な気もするけれど、なるほど、こういうことをするのね、というのがわかったし、とりあえ

ず今の自分の状態が手に負えない状態ではないことがわかったから、今日はそれで

充分だった。とにかく施術者の手はすごく温かった。私がそう言ったら彼は「(手から)

気を出してますから」と言った。なるほど・・・

そして施術が終わった後、彼は「週1回、とは言いませんが、できたら月に1回くらい

は経過を診させていただけるといいかと思います」と遠慮がちに言った。

私は「クラブの中にこういうところがあるとは知らなくて、灯台もと暗しでした、また来ま

す」と言った。

この施術者の男の人も元はスポーツトレーナーであって、私がコーチからはカイロや

整体に行くよりも週3回泳いだ方がいいと言われたことを言うと、「それは正解です」

と言った。すごく正直な人だと思った。私も『自分の身体は自分で治す』という基本方

針は変わらないけれど、こういうところがあって、来ようと思えば来られる、というのを

知っているのはいいと思う。今日も少し年上の会社の同僚と電話で話したけれど、若

い頃とは違うところにお金がかかるようになったということだ。つまり自分自身を維持

(ケア)するために。

昨日みたいに雪こそ降っていないものの、今日も西高東低の典型的な冬型の気圧で

真冬並みの寒さだった。それなのにカイロが終わった後のジムの更衣室であやこさん

に会った。彼女は今日もすごく寒いね、マフラーしないで来たら寒くて思わず襟もと押

さえながら来ちゃった、と言いながら「今日は泳ごうと思って」と言ってさっさと水着に

着替えて更衣室を出て行ってしまった。すごいことです。76歳にもなってこの寒い中

泳ぎに来られるなんて!

私もあやこさんの歳になったとき、彼女みたいでいられるかなあ?

寒い寒い帰り道、自転車道でみつけたのも河津桜だった。

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2011年3月 7日 (月)

桜に降る雪

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明け方、雨の音でふと目覚めた。

たまには雨の朝もいい、花粉が落ちる・・・・・・ と思いながらすぐにまた眠りに落ちて

次にちゃんと起きてカーテンをあけて驚いた。

大粒のぼたん雪がすごい勢いでゴンゴン降っている。

雪?! ・・・・・・ 信じられない!

おととい昨日と暖かい日が続いていたのに。

だから春先の天候は油断ならないんだ!

私のマフラーの出番もまだあろうってものだ!

それで私がマフラーをぐるぐる巻きにして白い息を吐きながら外に出た頃には、だい

ぶ雪は小降りになっていたけれど、郵便局に行ったついでにちょっと足をのばして行

った中央公園はいちめん白くなっていた。

その白い世界にひときわ鮮やかなピンク。

河津桜だった。

こんなところに河津桜があったとは・・・・・・。

シャーベット状の雪を枝にのせ、けなげに咲く凍えるような桜は今にも雪とともに溶け

てゆきそうなほど儚く淡い。

右手だけ手袋をはずして、なかなかピントの合わない桜をしばらく撮っていたらすっか

り右手が氷になってしまった。

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雪のせいで公園には人がいないかわりに鳥たちのいい遊び場になっていた。

強風が吹こうが雪が降ろうが鳥たちはいつも元気でいい。

人間みたいにすぐに文句も言わないし。

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2011年3月 6日 (日)

京都から生チョコレートが届いた。

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こちらに有無を言わせず強制的に押しつけられた自治会の役員ではあるけれど、こ

れを機に私も少し身近な人の役に立つことを心がけてみるかと思った去年。

今年も年明け早々から新年会のお手伝いに行って、そこで最後にやったくじ引きで、

たいしていいお米ではないけれど1番良い景品のお米2キロが当たって、こいつぁー

春から縁起がいい! なんて思ったものだった。

それからセザンヌのカレンダーと図録が当たって、さらに今回、もう5年くらい愛用して

いるブルーベリーアイのわかさ生活さんから生チョコレートが届いた。

それは先月、わかさ生活のメールマガジン『ほっこり京都生活』のプレゼントに応募

して当選したから。いつもはそういうのもろくすっぽ読まないでスルーしてしまうのだけ

れど、今回はアンケートのテーマが『京都の桜』にまつわることだったのと、景品が大

好きな生チョコレートだったので、思わず応募してしまったのだった。

まさか本当に当たるとは・・・

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今朝クール宅急便で朝1に届いたのは、京都生ショコラのミックス生チョコレート。

京都らしい和モダンなパッケージに大いに期待をふくらませつつ箱を開けると、まるで

パステルみたいな質感の生チョコレートが格子状に16個。

それも担当者の便せん2枚の丁寧な手書きのお手紙付きで。

こういうところ、いつも感心してしまうのだけれど、わかさ生活さんてよっぽど社員教育

が行き届いているのか人事採用のときから見る目があるのか。扱っているサプリメン

トも安価で良質で、とても良心的なお仕事をされているので、そのあたりは同じサプリ

メントを製造している会社の人間としては見習うところが多い会社です。

そして、チョコレートにもオーナー中西さんの『生チョコレートのおいしい召し上がり方』

という手紙が付いていました。冷蔵庫から出してすぐでも食べられるし、5分置くとや

わらかい食感の生チョコが楽しめるということ。

それでは、さっそく濃い珈琲をいれて。

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う~ん、とろけるチョコの口どけと、なんともいえない複雑にして贅沢な大人の味。

しあわせだぁ~ heart01

私は子どもの頃から母によく「この子は贅沢で貧乏人の子のようじゃない」なんて言わ

れていたのだけれど(それはもともと母の資質によるものだと思うのだけれど)、うちの

子どももまったくもって贅沢です。

いつもうるさい息子も「これはおいしい!」なんて目をハートにしていました。

極上の珈琲と極上のチョコレートの最高の組み合わせ!

・・・ 大変おいしゅうございました。

そして、この京都生ショコラさん。

平安神宮のそばに町屋を改装した素敵なオーガニック・ティー・ハウスを開店してらっ

しゃるようです。京都に行ったらぜひ行ってみたい。

そして春の平安神宮といったら枝垂れ桜でしょう。

わかさ生活の平井さんからのお手紙の中には、ライトアップされた桜のもとで行われ

る『平安神宮 紅しだれコンサート2011』の案内も入っていました。

実は私、4月の頭に大阪出張になったので、その際にできれば東大寺で10日間だけ

一般公開される日本画家、小泉淳作さんの襖絵がぜひ見たかったんですけれども

残念ながらひと足早くて見ることはできなさそうです。

仕事で行くので、ま、遊びではないから仕方ないんですけど。

4月、桜の季節に京都を訪れる、というラッキーな方はぜひ下のリンクもチェックして

みてくださいね♪

  京都生ショコラ  →   Organic Tea House 

  平安神宮(4/1~4/15観桜茶会) →  紅しだれコンサート 2011

  小泉淳作さんの桜と蓮のふすま絵 →  東大寺本坊 襖絵 一般公開

 

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2011年3月 5日 (土)

カフェ・サウダーヂ

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父の傘寿のお祝いをどこでやろうか相談するのに父のいる実家ではできないから、

妹と駅前の喫茶店で待ち合わせた。

昔、地元で常連だった喫茶店『郷』。

メールでここを待ち合わせ場所に指定してしまった後、そういえば今でもあるのだろう

かと考えた。もうずいぶん長いこと行ってない。

駅に着いて、足もとにあったはずの矢印マークのついた看板を目で探しながら商店街

を歩くと、あった! 昔と同じ場所に小さな木の看板。

その矢印通り左に曲がって少し行くと、古民家風の店が見えてきた。

昔と全然変っていない。

そのことにホッとしたのと懐かしさに駆られながら引き戸を開けて中に入ると、驚いた

ことに店の中も何ひとつ変わっていない、あの頃のままの光がそこにあった。

時間がまだ早いせいか、店内には私がいつも座る席に老人が1人いるだけで、あとは

私だけだった。窓際の席は隙間風が通って寒いかもしれないと思いながら、店内が見

渡せるそこに座った。

昔は 囲炉裏の上に自在鈎が下がったテーブルが私たちのいつもの席だった。

いったい、ここでどれだけSと待ち合わせて会っただろう。懐かしいな。

私たちがお喋りに興じて長居していると、サービスでこぶ茶を持って来てくれるような

心遣いのある店主だった。

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そんなことを考えていたら戸が開く音がして、てっきり妹かと思えばまた1人老人が入

ってきた。私の実家はここから十数分のところだというのに、めずらしく妹がなかなか

来ないなと思ったら、私のほうが時間を取り違えていたのだった。こんなことも滅多に

ないことだけれど、どうやら私は1時間も早く来てしまったらしい。しかたがないので妹

にはそう電話して、とりあえず自分のオーダーをした。どこか見覚えのある店員が水と

ともに持ってきたメニューを見ると、メニューも昔とほとんど変わっていない。ここで昔

恐る恐る頼んだ納豆サンド(ホットサンド)は今ではうちの定番になってしまった。

これも昔よくここで食べていた野菜サンドとブレンドを注文した。

私の座った席の横に置いてある人形ケースの中にはかわいい干支の置物がたくさん

飾られていて、こんなのも懐かしい。母の箪笥の上にあった人形ケースを思い出す。

何を隠そう、私の妹は張り子の犬に似ているのだ。見るたびにそう思う。

窓際の席はやっぱり寒くなってきて、私は自分で編んだマフラーを巻いて昼ごはんの

サンドイッチを食べた。サンドイッチも昔とまったく同じ味がした。

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私が先に食事をしているとほどなくして妹はやってきて、私のマフラーを見るなり「それ

も編んだの?」と言った。今日は父のことを話すこともそうだったけれど、妹にマフラー

を渡すためもあったのだった。妹はリボンのかかった包みを開けると、「うわあ~、こ

んなの買ったら大変だね」と言った。彼女が私がプレゼントしたものをすぐに開けて身

につけるのを初めて見たような気がする。

けっきょく、妹とは久しぶりに長く話しこんで、ずいぶんと長居してしまった。

からだがすっかり冷えてしまったので温かい飲み物を追加オーダーすると、持って来

てくれたのは昔ながらの店主だった。顔を見るなり私が「懐かしい・・・」と言うと彼女も

にっこりして、「私もすぐにわかりました。少しもお変わりじゃないですね」と言った。

いえいえ、そんなことありません、すっかり歳とりました、と言ったのだけれど、少々歳

はとっても人の面影とか印象というのはそんなには変わらないものだな、と思った。

いったい何時間店にいたものか、外はだいぶ日暮れてきて、妹が「そろそろ帰ります

か」と言った。夕方ともなるとまだまだ寒く、2人して色違いのマフラーをぐるぐる巻きに

して帰った。

骨董とかアンティークとか、そういう物の持つ味とか雰囲気には私も惹かれるけれど、

やっぱり私は物自体よりもそれがある風景、場、そして人なんだよなぁ、と思う。

『郷』は私にとっての数少ない、カフェ・サウダーヂかもしれない。

いつか、また忘れないうちにここに来よう。

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2011年3月 4日 (金)

ヒツジのスラブヤーンのぽこぽこマフラー

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スラブヤーンって、こんな糸です。

スラブ、とは節(ふし)のこと。

そして、スラブヤーンとは糸のところどころに大きな節をつけた糸のことを言います。

いつか、スラブヤーンを買おうとある毛糸サイトを見ていたら、☆2つのユーザー・レ

ヴューの欄にこんなコメントが書いてありました。

 この糸は初心者向けとしては正直あまり編みやすい糸ではありません。

 極太になったり極細になったり、極端なその繰り返し。

 いったい、スラブヤーンとはこういうものなのですか?

で、その質問に私が答えるとしたら、「ハイ、そうです」。

太いところに針を合わせて編めば緩くなりすぎて穴があくし、細いところに合わせて

編めばキツクなりすぎて編み地の面白さ、やわらかさが出ない。

じゃあ、どうしたらいいかというと、糸のラベルに書いてあるゲージを目安に、少々目

が揃わなくても気にせずに、編み地のぽこぽこ感を楽しみながらできるだけゆったり

した気分でザックザク編むこと。

それで、そんな風にして編んでいるとこの糸は、いつも編み目をキレイに揃えて編む

ことに汲々としてつい手が(編み目が)キツクなってしまう人、その部分にとらわれ過

ぎて疲れてしまう人なんかには、ある種の解放、というかセラピーになる。

・・・・・ なるんじゃないかなあ? と思って私自身は編んでました。

たしかに慣れるまでは編み目はぜんぜん揃わないし思ったようにポコポコが出なかっ

たりして曲者なのだけれど、なんたって15号針でザクザク編めるうえにとても肌触り

がよくていい糸なものだから、私はすっかりハマってしまって、けっきょくこのスラブヤ

ーンで二目ゴム編みのマフラーを4枚も編んでしまいました。

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こうなるともうセラピーなんだか中毒なんだか、って感じですけど、さすがに1枚につき

6個の毛糸を使うマフラーを4枚も編んだら最後のほうはかなり疲れてげんなりしてき

て、もう充分だ、と思いました。どうも私の場合は何によらず、この『充分』というのが

カギみたいです、なんだかわからないけど(^-^;

左からグレー、アイヴォリー、モカブラウン。

問題は最初に買ったグレーの糸で、初めてマフラー・キットというのを買ったら、10号

棒針指定のところを15号にしてゲージ通りで編んだにもかかわらず毛糸が1個足りな

くなってしまったこと。なんたって糸長がない糸だからフリンジだけでほぼ1個使ってし

まう。それで追加購入するのに少し買ってもいっぱい買っても送料が変わらないため、

いっぱい買ってしまったというわけ。

オーダーしてから届くまでけっこう時間がかかったからなかなか完成しなかったのが、

先週の日曜日にやっと完成しました。

ラストに編んだのはバニラアイスクリームみたいなアイヴォリー。

これは娘の。

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ヒツジの原毛に染色などの加工をいっさい施さずに原毛そのままの風合いを生かした

スポンジッシュな糸だから、とてもやわらかくてふわふわ。

ベビーアルパカのようなしっとりしたなぬめり感はないけれど、ヒツジらしいもこもこした

感じが雰囲気があって、チクチク感はなく、すごくあったかです。

特にこのアイヴォリーはやわらかかった。

同じ糸、同じ編み方でも、色によってこんなに感じが違う。

グレー。

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モカブラウン。

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アイヴォリー。

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いっとき春みたいにすごく暖かい日が続いて、もうこんなもこもこのマフラーをあげても

誰もしてくれないかなあと思っていたのだけれど、最近また真冬に逆戻りだから、まだ

しばらくは愛用してもらえそうです。

それにしても今日の寒かったこと!!

半端じゃない寒さでした。

身に堪える寒さ。

このヒツジのマフラーがなんと暖かかったことか。

こんな毎日の気温の寒暖差が激しい日々がもうしばらくは続きそうですが、

皆さまどうかご自愛のほど。

体調など崩されないようにしてくださいね。

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2011年3月 3日 (木)

「塩の男はこう語った」

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ことばは忘れさられることでよみがえるという

あなたと出会うまえの

青く澄んだ夜明けの空いっぱいにちりばめられた

まだ僕のくちびるがめざめさせていないその名を

いま僕は口にしようとして

ぼんやりと

灰色の海の沖あいに目を遊ばせながら

僕は何人の僕に話しかけるだろう

あなたの口にのぼらない海

あなたの口にのぼらない僕

死者たちの記憶のように

あなたの沈黙が僕をまたいでいくとき

語られないことばはいつも美しく

海のふしぎな遠さになって僕に襲いかかる

人生はすてきだが怖ろしい

残された時間の悲しみは

この夜明け

波の歓喜をわかちあう

残されたことばなのだろうか

砂浜の足跡を追うように

こらえきれずに何人もの僕が

おしだまり僕をみつめているあなたの名を呼ぶだろう

あなたのからだのかたちした

風が吹いてきて僕のまなざしをゆらす頃

ぼんやりと

僕はひとりぼっちで灰色の海を眺めながら

僕と出会うまえの

あなたのくちびるのやわらかさを想いえがいてみるだろう

はげしい光にあふれかえった黄昏のように

だんだん夜はみじかくなる

夜明けは弓なりになって

海をジュージュー燃えあがらせ

まもなくものうさの波のうねりに溺れていくだろう

ことばは忘れさられることでよみがえるものか

夜が明けてくるにつれ

すこしずつあなたは僕に語りはじめるだろう

しらずくちびるにしみだすあまい密のように

あなたの口もとからことばが洩れてくる

あなたがことばを口にしている

僕にとってはそれはときあかしようのない

みずみずしい永遠の謎である


( 「塩の男はこう語った」より『W』 松本邦吉 思潮社 )

*****************************************************************

おとといの深夜、いつものようにヒマラヤ岩塩のお風呂につかりながらぼんやりして

いて、ふいに、そういえば、『塩の男はこう言った』っていう詩集があったっけな、と思

いだした。あれってどんな詩だったっけ?

といって、その詩集を買ったのだったか、『ぽえむ ぱろうる』で手にとって眺めただけ

だったのかも思いだせない。気になって、もう夜も遅いというのにお風呂を出てから電

気をつけて本棚を探すと、はたしてその詩集はあった。

でも、銀で押されたタイトルをよく見ると、「塩の男はこう言った」ではなく、「塩の男は

こう語った」だった。これにはちょっと驚いた。長らく「こう言った」で記憶していたから。

なんだ、と思った。日頃、自分の記憶力は良いほうだと思っていたのに、あんまりアテ

にならねぇな。

目(視覚)の記憶と一緒で、言葉も、自分が解釈したように記憶するところがある。

でも、自分だったらたぶん「塩の男はこう言った」とつけるだろう。

そのほうが語呂がいいし、すっきりしてる。

それでも黄ばんだページをパラパラとめくって詩の行を追ってみると、ああ、たしかに

記憶がある、この間、変則的な言葉のリズム ・・・・・ 

性愛描写が多いのは、この詩集もラヴソングだったか。

おとといの晩はそこでやめて寝て、先ほどあらためて読み返してみた。

タイトルの「塩の男はこう語った」という単独の詩はなく、詩にはaからzまでのアルファ

ベットが振られているだけ。つまりこの詩集の全てが塩の男が語ったことなのだろう。

そのなかでこのが好きだった。

奇しくもこの詩自体が私にとって、忘れさられることで蘇った言葉、だったから。

奥付を見ると1986年とあるからもう25年も前か。結婚する前年だ。

そして、あなたのご推察通り『塩の男』は詩人自身。

して、塩の男とは?

そういえば、『塩の味』という大岡玲の小説もあったよなあ。

あれには『官能料理小説集』なんて言葉が紹介文にあったっけ。

さて、『塩』と言ってあなたが連想するものはなんでしょう?

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2011年3月 2日 (水)

ヒマラヤソルトを買って『国境のない医師団』に寄付をしよう!

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おとといの夜、ちょこっと追記したクロージョーアイズさんの『ニュージーランド地震救

援金チャリティ品』のローズ・シリシャス・シストのブレスは、あっという間に完売しちゃ

いましたね。石好きには絶大な人気と信頼のあるクロアイさんだから、私がここに書

くまでもなく売れてしまうことはわかっていたのだけれど、あのお知らせを見たときは

「すごい!」と思って、何かせずにはいられませんでした。

それに、あのブレスもとてもよかった。

ローズ・シリシャス・シストは比較的最近出てきた石だそうで、グリーンとかピンク系の

石はたいてい第4チャクラであるハートに作用する石が多いのだけれど、ハートの中

でもあの石は胸の真ん中の反対側、つまり肩甲骨の間に作用する石らしく、肩甲骨と

言ったら上半身の免疫の要なので、私はそこに興味をひかれました。

私のローズ・シリシャス・シストは今朝届いて、娘が持っていきました。

『石の意味』を読んだら今の自分に必要だと思ったみたいです。

私自身はもうできるだけ自分には石は買わないと思っているので、いま必要な人のと

ころに行ってよかったです(^-^)

そして。

このお知らせが届いたのと同じ日に、もうひとつ別のメールが届いてました。

私がよくヒマラヤソルトを買っているフェアリーブルーさんのオーナー、福本いずみさ

んの誕生月が今月ということで、birth にちなんで何か命に関わることがしたいと考

えて、このイベントを思いついたのだそうです。それは、今月3月に売れた塩関係の

商品の売り上げの5%を、もともと寄付先のひとつであった『国境なき医師団に寄

付しよう! というもの。

というわけで、いまフェアリーブルーさんのヒマラヤ岩塩のコーナーに行くと、通常

価格にプラス100円の寄付つきカートが設けられています。もちろん、寄付は強制

ではないので通常価格のカートもあってどちらか選べるようになっていますが、でき

ましたらあなたのお気持ちをくださいheart というところですね。

それで、上の写真で左がヒマラヤ紫ソルト(ブラックソルトとも言う)、右がヒマラヤピ

ンクソルトの塊です。紫ソルトのほうは独特の硫黄臭があって、これをお風呂に入れ

ると上等の天然温泉になります。からだがものすごく温まって冷え症の解消になる。

浄化にもなる。食べると温泉卵みたいな味がしておいしいです。

ピンクのほうは紫ソルトほどの癖がなく使いやすい。

そして、その両方のいいとこどりをしてできたのが、このヒマラヤ岩塩ブレンドソルト

です。

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もうここでも何回も紹介しているけれど、これ、めっちゃウマウマです♪

最初の頃はもったいないのでゲランドのお徳用袋の塩を安く仕入れてきてそれと併用

していたのだけれど、今はこれだけ。

これなしにはもう我が家のごはんはありえない! ってほどの愛用品です。

初めて使った日から、「あれ、私の料理の腕あがった?」と思うこと間違いなしです。

料理に使うほか、花を生ける水にちょっと入れると花が長持ちします。

また岩塩の塊を部屋のあちこちに置いておくと部屋の浄化になります。

ヒマラヤ岩塩コーナーに行くと、食用のほか浴用、それから岩塩を使ったいろいろな

商品、それにヒマラヤソルト以外の塩も売っています。

良い塩は身体にいい! 何より美味しい! 封を開けなきゃ買いだめもできる!

しかも、いつも以上に良いエネルギーがもらえる!

・・・ というわけでヒマラヤソルト、ぜひお試しください。

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2011年3月 1日 (火)

春は黄色から*

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昨日の夜、コトリさんが届けてくれた『春を迎える花』。

「今回はミモザにしました」と言って渡されました。

ミモザ! ・・・・・ 大好きな花。

コトリさんはいつか素敵な庭のある家を持って、そこでお花屋さんをやるのが夢なの

だそうだ。そして、そこに植える木や花のことを考えたりもしているようだけれど、私が

もし自分の庭を持つとして、昔から絶対に欲しいと思っているのはミモザです。

ミモザ館で暮らしたい!(^-^)

母がまだ生きていた頃のこと、ちょうど今くらいの季節に実家に行った帰り際「あなた

ミモザいる?」と聞くから即座に「ほしい!」と言ったら、勝手知ったる人の家の塀の

上からはみ出るように咲いていたミモザを「どうせ隣りの家まではみ出てて切られち

ゃうんだから、いいのよ」と言って、たーくさん切ってきてくれたのを思い出します。

帰りの電車は腕いっぱいのミモザを抱えて。

あれは、しあわせだったなぁ~

ミモザの花はひよこみたいで、黄色い金平糖みたいでかわいいけれど、金色にふわ

ふわしているのは切りたてのフレッシュなときだけで、あっという間に黒っぽくなって固

まってきてしまう。デリケートな花です。

私は服であれ何であれ、黄色という色を身につけることは全くなくて、色としては特別

好きな色ではないけれど、花だけは別。特に今の時期の、まだお陽さまのパワーが

足りない春の始めの頃には、周囲を一気に明るくしてくれて、元気になれる色だから

好きです。いつも春は黄色からやってくる、と思います。

このブーケは白と黄色の花の中に一点、濃い紫が効いていて。

今回、コトリさんが届けてくれたのは、ミモザ、ラナンキュラス、クリスマスローズ・フェ

チダス、ブレッシング・ブライド(セルリア)、ダリア、スイートピー、オリーブ、それにお

まけで白い桃の花とスノー・フレークを少し。

でも実は、コトリさんが持ってくる花は生けるのがちょっと難しい。

様々な様子をしたお花がいろいろ入っているので。

そして、こちらは小さなテーブル・フラワー。

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こんな小さなブーケにもコトリさんらしい雰囲気がある。

それで、食卓にちっちゃな花があるのとないのとでは大違い!

ほんとにセンスがよくて好みのお花屋さんが見つけられた私はラッキーです。

そしてラッキーといえば今日1番に届いたニュース。

今日は朝の9時に都立の合格発表があるというので気にしていたら、友達からさっそ

く合格を告げるメールが ・・・

人の子とはいえ生まれたときから知ってる子だし、優秀な子だから特に心配はしてい

なかったものの、なんたって受けたのが都立校の中でも毎年1番倍率が高い高校だ

ったのから、もしやという気持ちもあって。知らせを受けて心底ホッとしました。

実はもう1人気になっている子がいるんだけど・・・

彼らは去年の3月に引っ越して以来なんの音沙汰も無いからもう知る由もない。

それもなんだかなぁ、と思うけれど、そんなこといつまで気にしてたってしょうがないか

ら、さっさと頭からデリートしてしまおう。

春は始まりの季節、目覚めの季節、刷新の季節、新旧交代の季節 ・・・

こころもからだもアップデートしてミモザみたいに軽やかに春を始めたい。

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