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2010年12月21日 (火)

『星の王子さま』のキツネ

Le_petit_prince_2

子どもの頃から私は感覚的な人間で、人から見ると私の言うことはとても突拍子もな

いらしくて、それを時たま初対面の人にも言ってしまったりして、友人からはときどき

呆れられたり、たしなめられたりする。

先日の忘年会で、向かい斜め左に座っていた女の子は他のどの女性とも雰囲気が

違っていた。およそ女っていうものは現実的な生きもので、ある程度の歳になるとみ

んなそういう現実感を漂わせているものだと思うけど、彼女にはそういった現実感は

まるで希薄だった。

どこか中性的な人だな、と思ってから、自分が若い頃さんざん中性的だと言われたこ

とを思い出して、ああ、中性的ってこういうことだったんだ ・・・ とあらためて知ったの

だった。それで、何かに似ているなぁ、と思いながら彼女を眺めていて、あ、星の王子

さまだ、と思った。ヘアスタイルとか巻いているストールの印象もあったかもしれない。

そして、そう口に出しながら彼女を見ていると、星の王子さまそのものではなくて『星

の王子さま』に出てくるキツネにそっくりなのだった。単純に、頭にその絵がはっきり

浮かんだのだ。なんでかは自分でもわからない。そう口にするまで『星の王子さま』の

ことなんか、これっぱかしも考えていなかったのだから。

家に帰ってから自分の言ったことを検証しようと思って、今は息子の部屋にある本棚

からそれを取ってもらおうとすると、息子は少し探してから「ないよ」と言った。そんな

わけないと思って自分でも見たけれどやっぱりなかった。私はときどき自分の気に入

った人に自分が大事にしている本を気前よくあげてしまうことがあるのだけれど、どう

やら『星の王子さま』も誰かにあげてしまったらしい。いまとなっちゃ信じられないんだ

けれど。ケースに入ったあんなきれいな本を人にあげてしまうなんて・・・

人というのは無いとなったらよけいに気になるもので、これは早々に調達しなきゃなと

思っていたのを、今日仕事で出たついでに書店で探してきた。あいにく、私が持ってた

のと同じケース入りの単行本はなかったけれど、とりあえずカラーの絵が見られれば

と思って小さいのを買ってきた。翻訳は内藤濯から池澤夏樹に変わっている。

それをさっき開いて見たのだ。

キツネの絵は、私の頭に浮かんだのとほとんど同じだった。

そして、それはやっぱり彼女に似ていた。

そしてさらにキツネが出てくる行を読んでみたのだけれど、これがまったくもって泣ける

話なんだよなあ ・・・! 

この『星の王子さま』は私にとっては本当に特別な特別な本で、子どもの頃から今ま

で幾度となく読み返してきたけれど、ある理由があって長いこと開かないようにしてき

たのだった。そのせいで細部の記憶は薄れていたのだけれど、キツネがこんなにセ

ンチメンタルなヤツだったとは ・・・

件の彼女はジュエリー作家で、見た目の年齢不詳なアンドロジナスな雰囲気とくらべ

ると、その作品はずっと大人っぽい。完成度の高いジュエリーを作る人だ。

アクセサリー、というより、ジュエリー。

「なぜ自分にとってジュエリーだったのかと考えると」と、会話の中で彼女は言った。

「父が船乗りだったんです。それで、長い航海から帰ってくるとき父は必ず私たちにお

土産を買ってきてくれるんですけど、それが母にはジュエリーだった。父は私が小さい

ときに亡くなってしまったんですが、父が亡くなった後も母はときどきそのジュエリーを

取り出しては眺めていて、それが子どもの私から見てもすごくしあわせそうで ・・・」

それで、気がついたらジュエリー・デザイナーを目指していた、と私が言うと、彼女は

「そうなんです」と言った。

それで私は、それってすごく素敵なお話ね。私にはそのお話のほうがジュエリーより

もずっと素敵な宝物に見えるわ、と言ったのだった。

そして、私はジュエリーなんてすごいものは持ってないけど、唯一持っているとしたら

これくらいかな、と言って、そのとき左手の小指にしていたピンキー・リングをはずして

彼女に見せた。それは2000年のミレニアム・イヤーにあることをコミットメントして買

った指輪だった。すると彼女はその指輪を取って見てから、「クリーニングって知って

ますか?」と私に聞いた。私はてっきりプラチナの部分に傷がいっぱい入っているか

らだろうと思ったのだけれどそうではなくて、石の入ったジュエリーは身につけている

うちにいつの間にか肉眼では見えない汚れがついて、本来の輝きが失われてしまう

のだと言う。そして、地金は磨いたら削れて減ってしまうけれど、そうではないクリーニ

ングの仕方があるのだそうだ。彼女は指輪を手に持ったまま、「この指輪を見ていた

ら私のクリーニングしたい気持ちがムクムク湧いてきたので、これクリーニングさせて

もらってもいいですか?」とキラキラした目で言った。その唐突さに私はちょっと面喰い

ながらも「じゃあ、お願いします」と彼女にその指輪を預けてきたのだ。

彼女は「クリーニングして必ず今年中にお返しします」と言った。

忘年会がお開きになって、彼女と一緒に駅まで歩いてホームで別々の方向の電車に

乗ったあと、私は軽くなった左手に気づいて少しぼんやりしてしまった。

折しも今は暮れで、気持ち的には新しい年を前に何もかもクリーニングしたいところだ

ったし、彼女の手によって石が本来の輝きを取り戻すことで、私のすでにすっかり薄れ

てしまったコミットメント(あるいは情熱と言ってもいいけれど)が輝きを取り戻すような

気がした。そして、それはすごいタイミングに思えた。

その日も、初めて会う人に自分が何をやりたかったか何をやりたいか話したりして、私

にしてはなんだかおかしいなと薄々感じてはいたけれど、さっきだ。

全ての意味に気づいてしまったのは。

さっきこの本を開いたとき。

本を開いてキツネのところを少し読んだだけで、私はこの本が自分にとってどれだけ

大事だったのかを思い出したのだった。

先日、引っ越したばかりの友人に会ったら、いまから大地震が起こるとして、ほんとに

命がけで持っていたい大事なものがこの家の中にどれだけあるのかって思ったわ、と

言っていたけれど、まさしくそれ!

私はやっぱり指輪なんかよりお話の方が大事だ、と思ったのだ。

私が、お話???

ある時期から物語に対する希求がまったく無くなってしまったと久しく思っていた私

が? ふぅ、そうか ・・・


それで、いささか遅くなった夕飯の買い物をしに雨の中を歩きながら思ったのは、

私は自分の言葉を取り戻そう

自分の中に眠ってるお話を掘り起こそう

それを1年かけてやろう

だった。

これじゃあ、まるで誰かさんへのアンサーみたいだけれど ・・・


ちなみに今日、『星の王子さま』を買うためにリブロの児童書・絵本のコーナーに行っ

て、酒井駒子の絵本が気に入って2冊買った。それから別の新刊書の棚に谷川俊太

郎の新しい本を見つけて、サイン本だったので思わずそれも買ってしまった。すごく分

厚い重い本で、本4冊を二重にした西武の紙袋に入れてもらって持って歩きながら、

こんな本の重みを感じるのも久しぶりだと思った。最近じゃ、本ももっぱらAmazonでし

か買わなくなっていたから。そして、書いた人の苦労を考えたら、本の重みを感じるく

らい、当然していいことだと思った。

今日買った『星の王子さま』は、指輪がクリーニングされて返ってきたら、あのキツネ

さんにプレゼントすることにしよう。

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