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2010年2月28日 (日)

芽吹きのとき

10mebuki

人間、ふだん自分が何をどれだけ我慢しているか、また潜在意識の深いところで何を

本当に欲しているのかなんてわからないものだと、昨日気づいた。

こどもの態度があんまりひどいので、誰だって良かれと思って自分のしたことが冷淡

に扱われればがっかりするのは当然のことだろう、というところから、母親の仕事なん

て家族のためにしていることがほとんどなのに、おおよそ報われることなんてないのだ

と話していて、涙が止まらなくなってしまった。そのことに自分でも驚きながら、いった

ん堰を切ってあふれだしたものは止めることができない。号泣という言葉があるけれ

ど、声となって上がってきそうなのを堪えたらそれは喉のところで塊となって苦しく、

本当はそれも我慢なんかしないで出してしまったほうがいいのだろうと思ったけれど

やっぱり堪えた。そんな風に泣くのは1人のときだけと決めているから。

そうしてあふれてくるものを流しながら、この十数年自分に課してきたものの重さ、背

負ってしまった負い目やそこから生まれたコンプレックス、心に刺さったままの言葉の

棘や深い諦観などを思った。

同性の友人には、母が亡くなってぼんやりしていたときでさえ「あなたって、いつも淡

々と飄々としていて憎らしいわね」などと評され、今まで好き勝手にいろいろなことを

言われてきたけれど、私のほんとのところなんて誰にもわかるまい。

私は特別ゴーギャンの絵が好きなわけではないし、その生き方に共感もしないけれど

ただ家族を支える身となって人生も折り返し地点を過ぎた頃、ただただ自分のためだ

けの生き方を模索したかった気持ちはわからないでもない。

声こそ出さなかったけれど、顔が変わるほど泣いたのは久しぶりだった。

自分でもびっくりした。

昨日Sちゃんがメールで、春が近いこの季節は琴線揺さぶられて困るよ、と書いてい

たけれど、そういうことなのか。それとも昨日、眠るときに胸に置いて寝たエメラルドの

タンブルのせいか。これはこどもの頃からのことだけれど、泣くとひどく疲れる。

それでも午後、プールバッグをかついでスイミングクラブに行く。

何かを続けようと思ったら、できるだけイレギュラーな条件を作らずに実行すること。

1週間に1度泳ぐという習慣は私の身体にとってだけでなく心にとってもいい。


今朝は自治会でコンピュータやオーディオなどの大型の廃品回収を無料でしてくれる

というので飛び起きた。新しい月を前にして不用品が片づくのはありがたい。

外は昨日あれほど願ったのに雨だ。

いつもはマラソンなんて見ないけれど、今年はcalligraphyさんがエントリーしていると

うので東京マラソンが見たくてTVをつけると、ニュースは昨日チリで起こった巨大

地震の余波による津波のことばかり。

雨のなか、4階から下の舗道まで不用品を運ぶ。

私が今の息子よりまだ若かった頃に生まれて初めて自分でアルバイトして買ったボー

ズのスピーカー、Sが調達してくれた今となってはもう過去の遺物のような古いデスク

トップ。さよなら、おつかれさま、ありがとう。

終わったら数ヵ月ぶりに玄関前が片づいて、すっきりした。ついでに掃除もして。

気温6度、ときどき雪混じりになる冷たい雨のなかを走るマラソンランナーにとっては

つらい朝となったけれど、雨は浄化だ。涙も。

ベランダに出るとバラたちがいっせいに芽吹いて、来たるべく花の季節を思わせた。

明日から三月。

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