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2008年4月30日 (水)

渡辺文男トリオ@サムタイム

Fumio_watanabe_2

昨日はドラマーの渡辺文男のライブだった。

5年ぶりのCD発売記念ライブ。

でも実を言うと私はお名前こそ聞いたことあれど、渡辺文男氏のこと

を全く知らずに行ったのだ。なぜなら昨日のライブは、私が買った荒

巻バンドのCDをいたく気に入った息子のたっての希望によるもので

つまり我々のお目当てはピアノの吉田桂一さんだったから。

さて、チラシで渋がってるオジサンがフミオさんです。御歳70歳。

お兄さんがサックスプレイヤーのあの渡辺貞夫、お姉さんがヴォーカ

リストのチコ本田、そしてチコ本田女史の息子でありフミオさんの甥で

あるのが本田珠也さんなのだ。そんなこと日本JAZZファンなら周知

の事実なのだろうけど、なんたって日本JAZZは初心者なうえにそう

いったことにあまり興味がなくて疎い私は何も知らなかったのでし

た。そんなことはともあれ、昨日は始まる前から店内の雰囲気がすご

くよかった。いままで行ったサムタイムの中で1番よかったんじゃない

だろうか。それはきっと昨日の出演メンバーのお人柄と人徳によるも

のなのだと思う。我々が少々遅れて慌てて到着すると、ラッキーなこ

とにライブはまだ始まっていなかった。ベースの佐々木悌二さんが休

日の混んだ吉祥寺で駐車場を探すのに手間取ったせいらしかったけ

れど、その頃にはもう出演者前のテーブル席はフミオさんの往年のフ

ァンやご友人とおぼしき方々が陣取り、アットホームな雰囲気を醸し

出していた。そして、いきがかり上、今夜の司会担当になったという

吉田さんがジョーク混じりに遅れたお詫びやCD発売の挨拶や曲目

の紹介などして演奏が始まると、それはますますよいものになった。

終始にこやかに、実に楽しげに演奏するフミオさんはすごくハッピー。

もぉ、タイコ叩きながら歌う、スキャットする、それに応じるオーディエ

ンスも、仲間のお2人もとてもあったかい。途中、ドラムセットの真ん

前にいた銀髪の老婦人から「フミオちゃんheart01」なんて声がかかったり

するのも微笑ましかった。ファーストステージでCDに収められた9曲

のうち5曲。個人的には2曲目の『オール・オブ・アス』が最高によか

った。次いで『ラウンド・ミッドナイト』。

そして肝心の桂一さんは思っていた以上に明るい人だった。MCも上

手い! ちょうど桂一さんの真後ろに座っていたのだけれど、ゴキゲ

ンなフミオさんに向かって彼が歯を見せて笑う横顔を見ているとフミ

オさんに対するリスペクトと愛情を感じたし、ほんとに優しくていい人

なんだなぁと思いました。フミオさん、幸せな方です。今まで音楽人

生を続ける中ではそりゃあ色々あったでしょうけれど、男の人もこん

な風に年をとれたらほんとに幸せだろうなと思いました。素晴らしい。

そして肝心の桂一さんは、ピアノは鍵盤に体重をかけない弾き方で

軽いタッチながら、クリアでしっかりした音。桂一さんの音は何より生

き生きとジャンプしているみたいなのがいいんだよなぁ。

セカンド・ステージで残り4曲+数曲。ピアノの前に着いてしまってか

ら、「あ、譜面忘れた。取りに行っている間にここでまたフミオさんか

ら一言」なんて桂一さんからマイクを渡されたフミオさんは、「私はワ

タナベ・フメ(譜面)オです」なんてボケをかます一幕もあり。そして始

まったらフミオさんがやたらとこっちに笑顔を向けてくるなぁと思って

いたら、どうやら昨夜サムタイムにいた中で最も若いうちの息子にア

イコンタクトしたり舌を出したりして茶目っ気を見せていたのでした。

そんなわけで、演奏の間じゅうずっと笑顔でいたライブ。残念ながら

我々には選曲が渋すぎて新譜を買うまでには至らなかったけれど、

ほんとは新譜を買ったら桂一さんにサインをしてもらうつもりだった息

子。とうぶん追いかけることになるんでしょうね。

「フミオさん、すごく楽しそうにプレーしててよかったね。いい歳の取り

かたしてるよね」と言ったら息子も、「うん。孫にしてもらいたいような

人だった」なんて言っていた。もう体力の衰えがどうとかドラミングの

パワーがどうとかいうんじゃない燻し銀の世界。桂一さんのピアノは

文句なくサイコーだったし、とても幸せな夜でした♪

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 ☆渡辺文男トリオ/ニュー・アルバム 『ALL OF US

     渡辺文男(ds)、吉田桂一(p)、佐々木悌二(b,cello)

     鈴木良雄(b)

 ☆ライブ・スケジュールは吉田桂一さんのホームページから↓

  Jazz Pianist 吉田桂一 Official HP

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2008年4月29日 (火)

今年のいちばん!

08louis_xiv

今年いちばん最初に咲いたバラはルイ14世でした。

黒バラと呼ばれる深い赤。濃厚な香りのオールドローズ。

薔薇っていいね。』のブロガー、バラ愛好家のルイさんがそのハンド

ルネームにしたバラ。ルイさんといえば、まるで薔薇時計に合わせて

生活しているような方だけれど、今年1月にお手製のゴミ箱(実はま

だペイントしてない!)を持って来てくださったとき、帰り際に『それで

は次はバラの咲く5月頃に』と言われたきは5月なんてまだずっと先

のことのだと思っていたのに、もう5月だ。早い!

というわけで今日、ルイさんから頼まれていた『のだめカンタービレ』

のセレクトCDを作りました。

のだめカンタービレ selection ♪

Nodame_cd

収録したのは、以下4曲。

セレクトCDといっても私は曲の第2楽章だけ、なんていうセレクトは

嫌なので、全曲入っています。

1.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第8番ハ短調 Op13.『悲愴』

  バックハウス(カーネギー・ホール・リサイタル集より。)

  これはドラマが始まってすぐのシーンで、酔っ払って自分の部屋

  のドアの前で潰れて寝ていたのをのだめに拾われて、翌朝半覚

  醒のなかで千秋がうっとり聴き惚れた曲。ゴミ溜めのような部屋

  ですごい寝癖のままピアノを弾くのだめと、美しい第2楽章のコン

  トラストが凄かった!

2.ベートーヴェン 交響曲第7番

    カルロス・クライバー指揮 ウィーンフィル・ハーモニー

  ピアノ科だった千秋が初めて指揮した、そしてラストに指揮した涙

  々のベト7。ガーシュインの曲とともに、ドラマのテーマソング。

3.モーツァルト ピアノ・ソナタ ニ長調K.576

    ミエチスラフ・ホルショフスキー

  この曲は今年のお正月にやったスペシャル・ドラマの中で、のだ

  めが初リサイタルで弾いた曲のひとつ。溌剌と弾けるようなピアノ

  の音とともに、のだめの指から真珠の珠が飛び散ってましたね。

  あれは実際には誰が弾いていたんでしょう?

  ちょっと気になるところ。

4.そしてボーナス・トラックは(笑)、同じくホルショフスキーによる

  モーァルトの幻想曲。TVで紹介されていたこの曲の最初のフ

   レーズを聴いた瞬間、私はこのピアニストの音に捉えられてしま

     ったのでした。以来クラシックにハマること数年。そのきっかけと

     なった珠玉の1曲。

いつも録り終わった後はちゃんと再生できるかどうか確認するのだけ

れど、そうして聴いていたら、息子が「これ聴いてクラシックが退屈だ

なんていう人はバカだね」と言うので、「そうだね。実にもったいないこ

とだよね」と言いました。大抵の人が退屈な音楽の授業で嫌いになっ

てしまうのだろうけど、何によらず最初の出会いは大切。でも最初の

印象が駄目でも、後になってそれを覆すような出会いと経験に恵ま

れた人は幸せだと思う。ベートーヴェンの悲愴の第1楽章がそうとう

気に入ったらしい息子はギターでコピーするのだとか。「ショパンはや

ってる人いっぱいいるから、僕はこれにする」なんて言っていたけど、

どうなりますことやら。

そんなわけで我が家は今日はクラシックDAY。

夜は息子とJAZZライブ。

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2008年4月27日 (日)

もうちょっとなのに・・・

08tsubomi_01

午後遅くになってやっと少し晴れてきました。

バラのつぼみが色づいて、いまにも開きそうなのに、このところの天

候不順と日照不足でなかなか開きません。

いったん咲き始めたら毎日写真に撮りきれないほど、ブログにアップ

しきれないほどになるのはわかっているのだけれど、開く前のこの時

間がなんとももどかしい。鳥の雛が卵の殻を割る時と同様、花が開花

するのに必要なエネルギーも相当なものらしいから、なんでも始まり

の時って特別だなと思います。上は紫のカーディナル・ド・リシュリュ

ー。下はいつも1番先に咲くドュセス・ド・ブラバン。

ともにオールドローズ。

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1輪、開きかけのがありました。今年の1番はこれか?

黒バラといわれる濃い真紅のバラ、ルイ14世。

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私の大好きなルイーズ・オディエ。中輪とあって蕾は小さめ。

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開くと純白のグラミス・キャッスルも、蕾のときは淡いピンク。

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まだまだ大きくなる、巨大輪のイヴリン。

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蕾のときからイヴリンによく似たジェーン・オースティン。

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特徴的な蕾のコンスタンス・スプライ。

これもまだまだ大きくなります。

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そして毎年真っ先にたくさんの蕾を付けるけれど、きれいに咲く方が

稀な粉粧楼。特にウドンコが付くと開花が抑制されてしまうようで、

今年もどうなるかなあ ・・・

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東京は明日も午後から晴れて連休は行楽日和になるとの予報だか

ら、1日も早い本格的なバラのシーズン開幕となるのを期待しよう!

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2008年4月26日 (土)

校外学習

Kougaigakusyu

先日、学校から帰るなり娘が「遠足だって。楽しそうだよ」とにこにこ

しながら渡してくれた校外学習(遠足じゃないって!)のお知らせの

プリントにはこんな風にあった。

『その昔、東京が運河の町であったことについて隅田川を北上する

ことで理解させ、浅草を中心とする下町を散策し、江戸東京博物館

等で東京の歴史と文化について学習します』

「ほんとだ。隅田川の水上バスに浅草散歩か。楽しそうだね」

そう言って日程を見て、目が点になった。

朝8時半に羽田空港集合~~??!!

なんで浅草に行くのに羽田空港に、しかも8時半に集合なの?!

お弁当はいるのかと訊いたら、いらないと言う。それにはホッとしたも

のの、さぁそれからが大変。うちの娘は朝に大変弱いのだ。おまけに

支度が遅い。家を出るのはいつもギリギリ。つまり遅刻の常習犯だ。

「なんとかなるんじゃん」が口癖のやけにノー天気な娘とは対照的に

心配性のうえに時間にとても厳格な息子は、いつもたいてい定刻より

とんでもなく早い時間に家を出て行く。早く着いて待つ分には苦にな

らないんだそーだ。同じきょうだいなのにどうしてこうも違うんでしょう。

足して2で割れたらちょうどいいのに、と思う。

それに私が子供の頃は、学校でどこかに行くときには必ずいったん

学校に集合して点呼をして集団で出かけ、帰りはまた学校に戻って

点呼をして解散、だったものだけど、今は現地集合、現地解散だ。

行った先での自由時間も格段に多い。教師が引率している間はとも

かく、それ以外の時間に起こったことは自己責任。なのでこういうイ

ベント時には校外学習くらいのことでも事前に親の参加同意書を提

出しなければならない。それは今や小・中学校にまで浸透しつつあっ

て、学校もすっかり変わったもんです。

こんなとき困るのは(私は中野区で育った子供なのだけれど)、23区

の子供と都下の子供では電車の利用頻度が違うせいか、都下の子

供が電車の乗り換えにとってもうといこと。いつかなど、娘は校外学

習で新宿御苑に行って2時半には現地解散して帰って来るはずなの

に、夕方暗くなっても帰って来ないから心配していたら、なんと電車を

間違えて迷いに迷った末に今になったと言うではないか。まっすぐ電

車1本で帰って来られるというのに、なにゆえ? 

携帯だって持ってたのに!

理解に苦しむうえ、物騒な世の中なのに女の子が、と思ったらアタマ

にきて、そのときは i-mode の使い方を徹底的に教えました。

そんな子供が乗ったこともない電車に乗って羽田まで行くわけだから

親もハラハラ。行きと帰りの乗り換え案内をプリントして持たせる、乗

り換え切符売り場の説明をする・・・と、大変なのでした。

そして当日の昨日は、お天気こそそんなに良くはなかったけれど、雨

も降らず、道中も帰りにホームを間違えて多少迷った程度でgawk楽しく

行って来られたようでした。やれやれ。

上は「浅草のおみやげ!」と渡された浅草名物(?)あげまんじゅう。

なんでも500円のところを学割で300円にしてくれたそーな。

よかったねぇ・・・・・・

トースターで焼くこと3分。油っこいかと思ったらそうでもなかった。

なかなかおいしかったです。

Kougaigakusyu_01

ちなみに、なんで浅草行くのに早朝、羽田空港で集合だったかという

と、修学旅行のときの予行演習だったそうです。なるほど。

これから子供を学校にあげるお母さんのためのポストでしたーhappy01

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2008年4月23日 (水)

符号

Nakazawa_shinichi_3

久しぶりの表参道。

スパイラルビルの入り口で待ち合わせた彼女は、臨月のお腹をいた

わる様にして立っていた。横のCDショップで一瞬だけ『J.A.M』(爆裂

ジャズと呼ばれるSOIL&“PIMP”SESSIONSから派生したピアノ・トリ

オ)の試聴をさせてもらってから外に出ると、彼女は何かに感心した

ような顔で「表参道ってところは女性の気がすごく強いところですね」

と、おっとりした口調で言った。面白いな、と私は思った。

「感じるの?」と訊くと「はい。感じます」と言う。

「そりゃ、すごい」、にっこりして私はカフェ・レジュのドアを開いた。

彼女に会うのはこれで3度目だ。

しかも前は2度とも彼女の会社のセミナールームで、お互いにビジネ

ス・スーツを着ていて、そのときは彼女はごく普通の感じのいいキャリ

ア・ガールに見えた。けれど席に着いてあらためて彼女と向き合うと

その印象は前とはまるで違うものだった。さっきの彼女の言葉を確認

するようにして訊いてみると、子供時代の彼女は完璧なインディゴ・チ

ルドレンだった。ふつう、人には見えないものが見え、聴こえないもの

が聴こえるという、まさに『シックスセンス』の世界。

大人が話しているのを聞いていると、実際に話しているのと同時に

腹で思っている本心の声が聞こえて、子供ながらにその違いに戸惑

ったという。いちど父親が話しているときにうっかりその本心の声の

ほうに応じてしまって、父親からは「お前はおかしい」と言ってひどく

気味悪がられた。以来、自分にだけ見えたり聞こえたりしているもの

のことについては誰にも言わないようにしていたけれど、毎夜のよう

に自分の部屋に会いにくる霊がいて、さすがにそれが続いたときは

怖くなって母親にだけ打ち明けた。でも母親にも「気持ちの悪いこと

を言うんじゃない」と言われただけで、結局はわかってもらえなかった

のだそうだ。そんなわけで、子供時代の彼女はずいぶん苦労したらし

い。そういう体験を本人の口から聞くのは初めてじゃなかったから、

私はそれほど驚きはしなかったけれど、世の中にはほんとにそんな

人がいるんだな、と思った。

「今でもその能力はあるの?」と私は訊いた。

「いえ。使わないようにしているうちに、だんだん無くなりました」

「でも全部なくなったわけじゃない」

「そうですね」

大人になった彼女はアメリカ式の脳力開発と成功法則の会社に勤め

ながら、スピリチュアル系の能力や資格を身につけた。そして数ヶ月

前までは私が受けた印象どおり、バリバリのキャリア・ガールとして

働いていたのだ。それが変わったのが去年の秋だった。去年の秋頃

私は仕事のパートナーに「最近アタマが重い重いと思ってたら、今月

から地球の波動が変わったらしいね」「ああ、それ僕も聞いたよ」「誰

から?」「天理教の上の人から」「???」なんて会話をしていたのだ

けれど、ちょうどその頃だ。彼女はその変化を頭じゃなくてダイレクト

に身体に受けてしまったのだという。それで、それまで夫から散々言

われても変えることのなかった仕事中心のハードなライフスタイルを

変えざるを得なくなった。つまり切迫流産の危機を機に会社を辞職し

たのだ。そうなってやっと、自分が精神的にももうギリギリのところで

仕事をしていたことに気づいたのだという。そして彼女は旧い友人か

ら見ても、見た目からして変わってしまった。前よりもっと自然で、穏

やかに。

私はその日私が抱いていたもうひとつの疑問を投げた。

「なぜ、仕事でたった2回会っただけの私に連絡をくれたんだろう?」

特に意味はなかったんです、と彼女は言った。「会社を辞めるときに

机を整理していたら名刺が出てきて、それで結婚通知の葉書を出し

た。そして、このあいだメールアドレス変更のメールをいただいた」

でもそのあと彼女といろいろ話すうちにその理由ははっきりした。私

たちは共に同じ問いを自分に(というか天に、だろうか)、繰り返して

きたのだった。それゆえの成功法則で能力開発で、出会いだったの

だろうと思う。後からきた彼女のメールの中にも『縁とタイミングを感

じる出会いだった』とあったように、その日の会話だけでもたくさんの

符号があった。「英雄色を好むと言いますか」と彼女は言った。彼女

のボスは女好きで、新しい彼女ができて前の恋人をひどい捨て方で

捨てた後、原因不明の左半身麻痺になってしまったのだそうだ。今

まで私は、詫び寂び、もののあわれや儚さをベースに、必要以上に

欲しがることを美徳としない日本人のメンタリティーには、エゴを最大

限に拡大することで自己の目標を達成しようとするアメリカ式成功法

則は全然合わないと思ってきたけれど、そういうものを散々学んでき

た人の口から『霊障』なんて言葉が出てきたときには、面白いを超え

て、なんというか感慨深かった。単純に、他人にひどいことをすれば

自分に返ってくるのだ。それが波動の法則だ。ここでも何度か書い

ているけれど、男どもよ、女心を侮るなかれ!!

様々なことを話してあっという間に数時間が過ぎ、もう夕方、混み始

めた銀座線に乗ってバッグの中にあった本(『幸福の無数の断片』)

を無造作に開くと、なんと開いたページは『仏教の思想 下』だった。

これがとても面白かった。中沢新一の梅原猛論。昔、好んで使った

『デモーニッシュ』という言葉をここで久しぶりに見つけた。中沢新一

は昔から好きだ。何かを考えながら本を読みたい人にはぴったりだ

と思う。私はわずか数ページのこの文章で、梅原猛という人にとても

興味を持った。ここにあった気に入った一文。

”結局のところ、この本で、梅原猛が問いただしたかったのは、日本

人が世界的であることの条件は何か、ということであったのだ、と私

は思う。世界的であるとは、思想が生まれ、はぐくまれた、地方性や

民族性の底に深く根をおろしながら、世界にむかって伸びあがり、

世界に何か新しい「よきこと」を贈与できることを言う。”

ちなみに、この本の裏の紹介文にはこんな風にある。

『幸福とは何か? それは、いっさいの痕跡を残さないまま、地上か

ら永遠に消え去ってしまうかもしれない人生の可能態。いつもキラキ

ラ飛び散って形にならない、幸福の瞬間を記録し、その断片たちを

出会わせる、知と愛の宝石箱』。

実は今日のこの記事には書きたいことがいろいろ複合的に存在し

ていて、こんなちっちゃい文章には書き切れないのだ。でも出してし

まう。ある日の個人的な記録として。

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2008年4月22日 (火)

以心伝心だ!!

Carlos_08spring_2

さっき学校から帰って来た娘が私の机の上に何か置いた。

見ると厚手のパッケージにはカルロスさんの名前と変な顔した猫マ

ークが。カルちゃん、なんだろ。もしかして例の(と言ってもみんなに

はわからないんだけど)CDができたとか???! 

・・・・・・ と思ってさっそく開けたら、出てきたのはこれでした。

2008年春用にセレクトされたCD。

むむ。まいった。以心伝心だ。実は私もちょっと前からずっと春用セレ

クトCDが作りたい気持ちだったんだ。でもって、ここ数日は何を聴い

てもセレクトモードだったのですた。

おまけに昨日の夜中あたり、カルちゃんがピリオド打ったブログの『サ

ユリちゃんからの手紙』なんか見て、「ほんとにアホだね」なんて言っ

てたのがバレたのか? 

同じ年生まれの我々。曲のラインナップを一見すると近田春夫とハル

ヲフォンなんかもあって、な、懐かしい・・・。それにしても近田春夫が

セレクトされてるってどうよ? いくら春夫だからってね。

CDにはこんなおてまみも付いていた。

カルロスさんと私の仲なら(?)公開しても問題なかろうってことで・・・

Carlos_letter_2

いくらCDを買っても買っても新しい音が聴きたい私。

ほんとにありがたいこって。これだからブロ友はやめられません。

今夜はこれからマティーニ、じゃなくて、アップルタイザーでも飲みつ

つ、このCDを聴きながら夕飯を作ることにしよう!

Thanks! Carlos!

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真昼の光の中で

08lavender

今日は久しぶりによく晴れて、ベランダでしばらくかがんでいると背中

がぽかぽか暖かかった。

去年、バラのコンパニオン・プランツとして様々なハーブをバラの根元

に植えたけれど、根がついて今年も出てきたのはラベンダーとローズ

マリーとダブルのカモミールだけ。それ以外はハーブ自体に虫が大

量に湧いたりして、けっきょく処分してしまった。私見だが、狭いベラ

ンダの鉢で育てるバラのコンパニオン・プランツとして最もふさわしい

のはラベンダーとローズマリーのように思う。ラベンダーの紫の花は

バラによく似合うし、ちょっとした風に揺れてラベンダーやローズマリ

ーが放つ香りも目が覚めるようだ。

今日もバラには木酢液を散布した。

お陽さまの殺菌力に勝るものって他になくて、こんな天気のいい日が

数日続けば私のバラに付いたウドンコも一気に良くなるだろうと思う

のだけれど、明日には天気はまた崩れ始めるらしい。

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2008年4月21日 (月)

ハナミズキ

08hanamizuki

風に舞い上がる風車

どこまでも空たかく

私の心も飛んでゆけ!

08hanamizuki_01_2

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2008年4月20日 (日)

バラとすごす休日

08tsubomi

昨日プールから帰って2度目の遅い食事をしていたら、携帯にメール

が来た。信じられないことに先月末、私のところから歩いてすぐのとこ

ろにたまたま引っ越してきた医師をやっている友達(正確には友達の

友達)からで、明日の日曜、地元でカメラマンや広告クリエイターの人

とお茶することになっているので、もしお時間があれば合流しません

か?というのだった。それ自体は今までなかった新しいパターンでは

あるけれど、休日に地元でお茶、広告クリエイターにカメラマン、それ

に外科医の集まりなんて全然興味ないしピンとこなかったので、今回

は謹んでパスさせていただいた。そんな人間が休日の午後に郊外の

どこかで集まってする会話。お互いなんの仕事をしてるとかの簡単な

自己紹介に始まって、どういう繋がりの友人なのか聞かれたりして、

それから? ・・・ 考えただけでも退屈。

気を遣って退屈するくらいなら家で音楽を聴いたりバラの手入れをし

たりしているほうがよっぽどいいなと思ってしまった。実際、これだけ

のバラの葉っぱに付いたウドンコを木酢液できれいに洗い流すには

かなりの時間と労力が要るんだもの。

それにこれはバラ好きの人にしかわかってもらえないだろうけど、一

心にバラの手入れをしている時間はバラとの対話であって、メディテ

ーションのようなものなのだ。面倒な作業ではあるけれど、これ無し

にバラはきれいに咲かせられない。

なかなかそれに勝る魅力的な誘いってないもんです。

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2008年4月18日 (金)

かわいい小鳥ちゃん

Bird

夜のあいだじゅう降り続いた雨が朝になってもやまずに、外はまたひ

どい雨だ。近所にちょっと買い物に行っただけでびしょ濡れになって

しまった。

そんな雨のなか、野暮用があって近くまで来たからと言って、Mがチ

ビさんを連れてやってきた。こんな雨の日でも済まさなきゃならない

野暮用ってどんなん? と訊いたら、「来たかったのよ」と言う。

なるほど。

自問自答して独りで納得してしまう自己完結型の日常をずっとやっ

てると、ときに無性に誰かと話したくなるんだよなぁ。かといって、心

から話したいと思える人間はそうそういないのだ。

Mが子どもの学校のPTAに強行に誘われてオペラを聴きに行った

ものの、自分の音楽の聴き方との違いに驚いた、なんていう話から

「だいたい芸術なんていうものは音楽でも美術でも我儘で贅沢な遊

びなんだよ。それを高尚という高い棚に上げて、一般教養とか良い

趣味なんかにしちゃうのがそもそもの間違いだね。ただ贅沢な遊び

を心底楽しめばいいだけ」なんて話をする。

Mと話していると、何を言ってもおおかたのところはわかってくれる

だろうという気の許しから、つい端折った(エッセンスだけの)乱暴な

物言いになってしまうことが多いけれど、時に東京っ子の直截な物

言いは地方の人には受け入れてもらえないそうだ。

私は1を聞いて10を知るってタイプが好きな人間で、だから1から

10まで話すのも聞くのもかなりかなわないのだけれど、かといって

誰にでもそんな話し方をするわけじゃない。私は立川談志もビート

たけしも勘三郎も好きだけど、まぁ、できるだけ勘三郎あたりでいこ

うと思う。人と喧嘩したくないから。

そういうわけで、たまに多くを語らずとも誤解せずに理解してくれる

友達と話すのはとっても楽だ。でも私のまわりがこういう人間ばかり

になったらきっと、私は人に理解してもらうために細心したり、話し方

を考えたりすることもなくなってしまうかもしれないから、これでいいの

かもしれない、とも思う。大抵の場合は人に理解してもらうために苦

労し細心しているのだ。かなり気長に、へとへとになって。

Mが私の、蕾はたくさんあれど、まだひとつも花のないベランダを見

て行った。

上の小鳥の飾りは先日、野川に行った帰りに変わった花屋でみつけ

たものだ。実はこれとバージョン違いのを前に見ていて、最近はなる

たけ無駄なものは買わないようにしているので2回スルーしたけど、

3回目で捕まった。鳥グッズには弱い私。思えば前に見たのは嘴が

銀色で、翼は銀のフレームにオーガンジーが貼ってあって、本物の

鳥の羽が尾っぽに付いていて、これよりデリケートでポエティックな作

りだったなあ、と思う。きっと、またみつけたら買ってしまうだろうな。

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2008年4月17日 (木)

野川の桜ふたたび②

08ukon_01

そして先日カットソー1枚でも暖かかった日、三度訪れた野川。

でも哀しいかな、もう枝垂桜はほとんど散ってしまっていて、代わりに

変わったレモンイエローの桜、ウコンの桜が迎えてくれました。

青空をバックに淡い黄色がなんとも爽やか。

08ukon_02

枝垂桜は終ってしまったけれどこの日はほんとに暖かで、野川の水

面にきらきら光が反射して、まだわずかに残っている桜が風が吹く

たび花吹雪となって、とてもきれいだった。

08nogawa_sakura_2

私はどこに行っても人からよく声をかけられるのだけれど、この日も

声をかけられた。散歩の足を休めて、見事な八重桜を見上げていた

老夫婦。近所に住んでいるのだという。おじいさんのほうはすっかり

疲れて座り込んでいたけれど、おばあさんのほうは元気。またしばら

く休んだら、手に手をとって歩き始めるんでしょう。

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花吹雪が舞う穏やかな美しい春の日に、寄り添って歩く老夫婦。

私はなんだかすっかり今年の桜はもうこれで見納めでもいいなと思

ってしまいました。

ひとまず今年のこのカテゴリはこれで終わりにします。

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2008年4月16日 (水)

野川の桜ふたたび①

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去年、ピークはもう過ぎていたけれど、充分きれいだった野川の枝垂

桜。あの景色をもう一度、と思ったけれど、今年はついにかなわなか

った。3月末に友人と一緒に行ったときにはまだ早すぎて、つい先日

ひとりで行ったときにはもう遅すぎて。ほんとに桜は難しい。

けれど野川はいつ行っても長閑なところ。中央線、武蔵小金井から

徒歩15分とは思えない。今日はその景色を前後に分けて。

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ちょっと花曇りだったこの日、野川にぶつかるなり目に入ってきたの

は、リンゴの花のような大島桜。

08ooshimazakura

でも目指す枝垂桜はまだこんなです。

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一分咲きから二分咲きといったところ。

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それでもほのかに桜の香を放って可憐に揺れる枝垂桜。

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08n_shidarezakura_04

野川の桜を見るのが1年ぶりなら、去年ここに一緒に来た友人に会う

のもなんと1年ぶり。去年と同じように先を歩く友人の後姿を見ながら

まるで déjà-vu を見る思い。時の経つ早さに驚くのです。

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川の両岸に沿って咲く桜。日当たりの良い場所はもうだいぶ咲き始

めていて、近くに寄って見るとまだまだなのだけれど、離れたところ

からだと、ぼおっと霞んだピンクの花霞のよう。

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ひときわ咲いていた桜の下で。

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そして、このあと1年ぶりの友人とランチをして互いの近況を話し、今

年こそ野川の公園の先にあるカラーを見に行こうと約束して別れた

のでした。

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2008年4月15日 (火)

四月のベランダ

08spring_garden_02

私の今のベランダです。

バラはすっかり伸び放題。また今年もジャングル化してきましたcoldsweats01

毎年のことだけれど、暖かくなってからの植物の成長の早さにはほ

んとに驚かされます。クレマチスなんか、朝見たときと夕方では数セ

ンチも違っている。うっかりすると、長かったときの自分の髪みたい

にあっという間に絡まっていて、ほぐすのが大変。

バラを剪定したばかりの頃はこれにあとフレンチを2鉢増やそうなん

て思っていたのに、今となってはただの幻想となり果て、足の踏み場

もなくなったベランダに出るたび服のあちこちをバラの棘に引っ掛け

られて、ため息をつくのです。

窓の外の、遠くの桜もすっかり葉桜になりました。

代わって手前のミニチュア・ローズが色とりどりの花を咲かせるのも

もうすぐ。

08spring_garden_03

ベランダではアマリリスが2度目の花を咲かせています。

花後に茎を根元から切ったらまたいつの間にか新たな茎がにょきにょ

き生えてきて、最初と変わらぬ大きな花を咲かせました。

花はやっぱり室内より陽の光の下で見るのが美しい。

08spring_garden

母にあげたバラを実家から引き上げてきたときに、鉢に自生していた

スミレがまた今年もこんなところから顔を出しました。

08spring_garden_01

このところの雨でちょっとウドンコがついてしまったけれど、粉粧楼の

つぼみ。

今年、私のベランダで1番に咲くのは粉粧楼かドシェス・ド・ブラバン

かルイ14世かルイーズ・オディエか? はたして。

08spring_garden_04

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2008年4月13日 (日)

知ってるつもりの猫の気持ち

Hanta

さて、ここにご紹介するのがすっかり遅くなってしまったけれど、ブロ

ガー仲間で、いまや友人でもあるハンタさんこと、もんま・さなえさん

の本がついに出ました!

『知ってるつもりのネコの気持ち』 もんま さなえ PHP研究所

そう、この人こそ執念なんてものからは程遠く、『好きというパワー』

で生きている人もいないと思う。帯に書いてある通り、ネコ歴48年。

こう書くとまるでこれまで彼女がネコだったみたいだけれど、そうじゃ

なくて、その人生のほとんどをネコと暮らしてきたという人なのだ。

世の中にネコ好きは多かれど、ネコもイヌも飼ってない私から見ると

???と思う人も多い。つまりペットマニアだったり、ペットフリークだ

ったり、過度のペット依存症だったり。ペットが可愛いのはわかるけど

私は暑い時にペットにブランド服着せて連れまわしたり、幼児言葉で

ベタベタ接したり、ペットが死んだら私も死ぬ、なんてのはもう駄目な

んです。勘弁してくれよ、と思う。

この本を読んでくださったらきっとわかってもらえると思うけれど、ハン

タさんの最も良いところはネコの人格(ニャン格?)を最大限に尊重し

た上で、ネコと共生しているところ。ベタベタ甘やかしたりせずに躾け

はちゃんとするけれど、かといって無闇に怒ったりもしなければ無理

強いもしない。日々、繰り広げられるネコとの攻防を、かなり気長に

楽しんでいる。(としか、私には見えない。)子ネコから大人のネコそ

れぞれの、持って生まれた固有の性格と生い立ちからなるものを汲

んで、それぞれに合ったつきあい方をしている。この本の中でハンタ

さんはこんな風に言っている。

ネコと暮らすということは、互いを尊敬しあい互いの心を尊重す

ること。ネコは何もできない、何もわからない、私がしてあげなく

ちゃ・・・。これほどネコを馬鹿にした育て方はない。愛情をかけ

ることは相手を信頼すること。ネコと暮らすための基本である。

ネコは自分の思い通りに扱うのではなく、私たち飼い主の大き

心の中で泳がせるつもりで飼えばよい。「何をしてもあなたが

大好き」。これが子どもを育てる時、ネコと暮らすときの基本姿

勢だ。親(飼い主)の気持ちは必ず子ども(ネコ)に反映される。

ネコはどんな時でも飼い主の心を理解し、それに応えてくれる。

これができたらネコのみならず人ともうまくやっていけるだろう。

ネコであれ人であれ、ちゃんとつきあえば、それは学びになる。他者

から学べることはいっぱいある。そして相手を理解すればするほど、

相手も自分を理解し、愛情をかければかけるほど、それは自分に返

ってくる。私がハンタさんのこの本から感じるのは、ネコに向けられた

深い洞察と優しい視点だ。それは私が知る彼女の性格そのままなの

であって、読んでいる間じゅう、私はまるで彼女の優しさに見守られ

ているような安らぎを感じた。

ネコを飼っている、またいつかネコを飼おうと思っている全ての人、そ

れからいま小さな子どもの育児に疲れているような人に読んでもらい

たい本です。きっとホッとして、ちょっとゆっくりいこうと思うでしょう。

ちなみに挿絵と4コマ漫画は、ハンタさんの息子で漫画家の門馬剛

さんによるもの。これがまた笑える! 

ページ左端に描かれたぱらぱらマンガもかわいい。

ああ! 私もますますネコが飼いたくなったにゃあ!cat

****************************************************

ネコ好きさんは、

★ハンタさんの手作りネコまんまのレシピなども載っている

  ブログ『ネコに学ぶ21世紀を生き抜く法』  

★猫セラピストとしてカウンセリングやセミナーも行っている

  HP『ネコの悩み事相談所・ハッピーキャッツ

も、合わせてご覧ください♪

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2008年4月10日 (木)

『好き』というパワー

Power_stone

私はもともとアクセサリーをそれほどつけるほうじゃない。

アクセサリーによらず、着飾るという行為自体にどこか照れがあって

駄目なのだ。男でも女でも、できるだけ無造作にナチュラルにしてい

てカッコよかったら、そんなにカッコイイことはないなと思う。

パワーストーンが好きなので左手にはいつもジャラジャラとパワーブ

レスをつけているけれど、これだって常に自分の波動を上げるために

つけているだけで、お洒落なアクセサリーとしてじゃない。

でも、それではアクセサリーに全然興味がないかというとそうでもなく

て、見るのは好きだ。リアルショップでもサイトでも。いつか南青山の

スパイラルで見た、自然素材でできた繊細なフラワーのハンドメイド

のロングネックレスがいつまでも頭から離れなかったりする。紙やコ

ットンや麻紐なんかでできていた。あれを20代のときに着てたみた

いな(母曰く)麻袋みたいなシンプルなワンピースとかチュニックに合

わせたら素敵だろうなあ・・・。

同様に、個性的なアクセサリーをごくごく無造作に素敵につけている

カッコイイ女性を見るのも好き。いわゆるゴージャスなジュエリー、

なんていうのじゃなくて、もっと人の手を感じさせるアートな。

去年、たまたま見ていたアクセサリーショップのサイトで、素敵なデザ

イナーをみつけた。彼女のいいところは商業的じゃないところ。本業

はアパレルの(帽子とかバッグの)デザイナーだそうだからプロのデ

ザイナーなのだけれど、作るアクセサリーからはあくまで彼女が好き

で作っているというこだわりを感じる。そして私が何より最も良いと思

うのは、彼女が石が好きで、一期一会を果たした石を使って、そこか

ら感じたインスピレーションをデザインにしているところ。インクルージ

ョンやクラックといった天然石特有のナチュラルな持ち味をそのまま

活かして作る彼女のアクセサリーは、洗練されているけれど、洗練さ

れ過ぎずにワイルドなところもあって、繊細さと大胆さが絶妙にバラン

スしている。そのバランス感覚がいいと思う。手に取るとわかる、とて

も丁寧な手仕事。天然石という性質上まったく同じものは作れないた

め、全て彼女がひとりで作ったハンドメイドの、ほとんどが一点もの。

なのにとても良心的な価格が付けられていて、私でも手が届く。そこ

が魅力。たぶん彼女が作るのと似たようなものをファッション雑誌の

グラビアかブティックで見たら、最低でも倍の値段が付いているだろ

うと思う。

そんなわけで、そのサイトでも彼女が作るアクセサリーが1番人気で

いつも新作をアップするたび、わずか数分で瞬く間に売れてしまう。

まるで争奪戦のよう。私が欲しいものを買えることはなかった。

それが去年の春頃、息子の卒業式と娘の入学式に着て行くスーツを

今年こそは新調しようと思いながらついにできずにいたとき、たまた

まアップしたばかりの上のネックレスを見た。ブルーオパールとレイン

ボー・ムーンストーンのネックレス。迷っていたらなくなっちゃうので、

そのときばかりは迷うことなく買った。スーツは無理でも、せめて新し

いアクセサリーをつけて式に出ようと。そして夏に買ったのがこれ。

マルチアクアマリンとクリスタルのネックレス。

Power_stone_01

私がアクセサリーでそんなに1人のデザイナーを好きになったのは初

めてだったけれど、残念なことに彼女はそれからほどなくしてそのシ

ョップから引退してしまった。そして彼女がいなくなってはっきりした

のは、私はそのショップが好きだったのではなくて彼女が作るものが

好きだったんだ、ということだった。

そんなことを思っていた先週、ある残念なことがきっかけで、彼女のこ

とをネットで探した。グーグルでズラッと出てきたアドレスを次から次

へと開いて見たけれど、彼女らしき情報は全然ない。7ページまで見

てもう諦めようと思ったとき、ついに見つけた! 

直感でそのアドレスに飛ぶと、どこにも彼女の名前はなかったけれど

一瞬で彼女だとわかった。彼女は新たに自分のアクセサリーショップ

を立ち上げていたのだ。そこには彼女の世界が慎ましやかに広がり

ひと目で彼女の仕事だとわかるアクセサリーが繊細な光を放ってい

た。そのときの嬉しかったこと!

そうそう、私はこれが好きだったんだ・・・。

そして嬉しいことに私がそのサイトをみつけたのは実にグッド・タイミ

ングで、トップページには数日後の日曜の朝9時から新作をアップす

ることが知らされていた。期間中の1週間は毎朝9時に新作がアップ

される。それから5日。毎朝9時前にはコンピューターの前に座って

毎日新作をチェックするのが今の私の楽しみになっている。

いつもそうなのだけれど、ちょっと気になるくらいのもののなかにいて

いざ本当に好きなものが見つかってしまうと、それ以外のものは一気

にかすんでしまう。それはまるで、それまでファインダーの中でぼや

けていた世界が、ピントが一点に合った瞬間、クリアーになって輝き

出すのに似ている。それは好きな人に出会ったときとも、好きな音楽

に出会ったときとも同じだ。『好き』というパワーのすごさ。

いま私には特に会いたい人はいない。いますぐ行きたいところもな

い。それがいいことかどうかはわからないけれど、ただただ聴きたい

音楽だけが次々にあって、それが私の毎日を牽引している。そういう

点においては、いま私は誰にも邪魔されず、翻弄されることもなく実

にすっきりさっぱり気持ちよく暮らしているのだけれど、誰かを好きに

なった途端、一瞬にして世界の見え方が変わるあの感じ、日常を満

たす根拠のない確信や、どこからともなく湧いてくるパワーなんかに

もう一度出会うのもいいかもしれないなぁと思う。

火曜にあの記事を書いてから、自分のなかの『執念』についていろ

いろ考えてみたけれど、私の根性をどう叩き直したところで持って生

まれた資質やこれまで培ってきた性格なんかがどうなるわけもなく、

私は『執念』よりはやっぱり『好き』というパワーや情熱で自分を引っ

張っていこうと思うのだ。

Power_stone_03

(ちなみに、いつもだったらここまで書いたら相手を宣伝したい気持ち

もあってすぐにサイト・アドレスをリンクするのに今回しないのは、あん

まり人に教えたくないからなの。それくらい好きってことなのです。)

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2008年4月 8日 (火)

雨の考察

Aoki_uminari_4   

ひどい雨だ。

昨夜はまるで蛇口からベランダに水を出しっぱなしにしているような

バシャバシャという水の音で、なかなか寝付けなかった。それが全

部バラの鉢に注がれているんじゃないかと思って。お陰で今朝は目

覚ましが鳴っても時間に起きれなかった。それに風。

今日は風が唸りをあげている。

これがもう6年も干ばつが続いているオーストラリアだったらみんな喜

んで思わず外に出て雨のなか踊りだすだろう。自然はなんてうまくい

かないんだ。うまくいかなくしたのは誰でもない、人間なんだけど。

このあいだすごく風の強かった日に、安否確認もあってボスに電話し

た。だいたい八丈島が東京都だというのがおかしいと思うけど、同じ

東京で、そよと風が吹くと八丈では大荒れに荒れる、というのを前に

聞いていたから。それと、休日に子供と遅いお昼を食べてたら突然

浮かんだ小説のアイディアを、面白おかしく子供に話したらけっこう

ウケたので、「こんなんいかがでしょう」と言うためだ。

半分ジョークで電話したのに、ボスがあんなに乗ってくるとは思わな

かった。もう人にあげちゃったネタなのでここに書くわけにはいかな

いが、60過ぎの男と10代の女の子の言葉のギャップをめぐるコミカ

ル(にして深遠な?)なラブストーリー。ボスは「俺には無い視点だし

小説のタイトルが気に入った。ちょっとカタイけど」と言った。(最後の

一言がよけいだけど、まかせて。そういうのは得意なの。)

電話を切った後、テーマについてしげしげと考えたら、けっこう難しい

テーマだけど、ちゃんと書けたらかなり悪くないんじゃないかと思っ

た。ただし、ちゃんと書けたら。これに必要なのはたぶんセンス。

ボスが30代から独り立ちしてやっていた小さな編集プロダクションを

たたんで、これからは好きなものを書く、と言って東京を捨てて島に

渡って早7年。私はときどき、嵐のたびに倒壊の危機にさらされる海

辺のあばら家と、そこで古色蒼然たる原稿用紙に埋もれて老いさら

ばえてゆくボスのことを考えると、くらくらと眩暈がしてくる。そんな自

分の幻想さえ、ひどく文学的に過ぎると思いながら。

もう6、7作は書いたそうだ。文学賞の応募要項に合わせて、枚数は

1作につき400字詰めの原稿用紙に250から700枚くらい。今回

の電話でも、インターネット上に最終選考を発表しているらしいから

見てくれないかと言われて受話器を持ったまま検索して見たのだけ

れど、私なんかは2次で残った作品の数の多さ(とすれば応募総数

は推して知るべし)と、タイトルとペンネームを見ただけで、げんなり

してしまった。およそ読む気もおこらない。

残念ながら(というか予想通り)、ボスのペンネームとタイトルは無か

った。どう考えてもこれは若手新人作家の登竜門と思はれる。と言う

と、もちろんそんなことボスは承知の助で、出版業界の仕組みも熟知

していて、メゲる風もない。じゃあ、次、という感じ。信じられぬ。

朝から晩まで、いったい1日何時間書くのか。長年、文机の前に正座

し続けた職業病で、数年前に椎間板ヘルニアになって歩けなくなり、

手術。その後、首も同じ状態になって手術した。かなり難しい大手術

だったらしく、脳に近い部分だけに、そのときばかりは死をも覚悟した

という。今もその後遺症で苦しんでいるのに、よくその状態で書き続

けられると思う。その書くことへの意欲と、執念にも似た持久力、精

神力と体力には頭が下る。

このあいだ、『造顔マッサージ』でカリスマになった田中宥久子の『美

の法則』という本を手に取ったら、帯に『美は執念』とあって、『思いさ

えあれば、今どんなに醜くても、何歳でも、必ず美しくなれる』とあり、

最強の腰巻だな、これだけ書かれたら女性は買わずにいられないだ

ろうな、なんて思った。執念という言葉はおどろおどろしくて私はあま

り好きじゃないけれど、美に限らず音楽でも文学でもスポーツでも、

何かになろうと思ったら、何かを成し遂げようと思ったら、この執念と

いうのが必要不可欠なんだろう。才能だけでやれることには限りがあ

るから。そして私に最も欠けているのが、その執念というヤツなの

だ。きっと。どうもそのあたりが私には希薄すぎて・・・・

たとえば、長い年月をかけて岩をも侵食してゆく雨粒の如し。

けれど雨は執念ではないところが美しい。

上の詩集は、いつかブログにも書いたけれど、私が怒りにまかせて

夜中に4階の子供部屋の窓から外に放り投げたボスのサイン本。

詩集というのは紙質からフォントから装丁に至るまで凝っていてお金

がかかっている。これは中の紙がワトソン紙みたいな質感で、袋綴

じになっているのを1枚1枚読みながらペーパーナイフで切ってゆく

という凝りよう。装丁となった素敵な海の絵は、ボスの友人だという

舞台美術家の朝倉摂さんによるもので、この色がなかなか印刷では

出ずにずいぶん苦労したらしい。ボスは詩人としては一流で、この詩

集には私の好きな詩もいくつかあるから、ブログをやめる前に一度こ

こに載せるのもいいかもしれない。

しかし、私のぶん投げた詩集が、誰かに拾われて今もどこかの本棚

にあるかと思うと、不思議。拾った人に会ってみたい気もする。

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2008年4月 6日 (日)

祝77!

Mankai_01_2

今日、父77で喜寿のお祝い。

家族で中華の円卓を囲んだ。

父は妹に言われたのか、きちんとした格好をして帽子をかぶり、爽や

かな顔をしていた。おぼつかない足取り。でも母が亡くなってから7年

転んで骨を折ったり、クルマで軽い事故をおこしたりはしたものの、

これといった大病もせずにやってこられたのはありがたいことだ。

「チチ、誕生日おめでとう! 77なんてめでたい。 ラッキーセブンだ」

私がそう言うと父はにこにこしていた。

「77なんてすごいことだよ」と言うと、当然のことのように

「そうよ」と言ってのけた。

父の友人や仕事仲間の大半は、もういなくなってしまったのだ。

子供の頃は顔立ちから歩く後ろ姿まで父にそっくりだと言われた。

物心ついたときにはすでに頭が薄かった父。父の日に学校で波平さ

んのように似顔絵を描いたら「お父さんはこんなに髪が少なくないよ」

と笑いながら抗議された。私の癖毛で猫ッ毛は父譲り。男だったら私

も今頃、髪の薄さを気にしてるんだろうか。

妹は人生初の転職に苦戦しているせいか、ひどく疲れた顔をしてい

た。彼女はまるで反射板のようだ。彼女に余計な助言は無用。

出がけに釘をさす私に息子は「今日はぼくは地蔵のように優しい心で

いようと思いますよ」なんてフザケたことを言っていたけれど、ともあ

れ、今日は父もみんなに囲まれて嬉しそうにしていたし、食卓に気ま

ずい空気が流れるようなこともなく、無事に終ってよかった。

あとは祈るしかない。

枯れ木に花を咲かせる花咲かじいさんのごとく、父が賑やかな余生

を送れんことを。

上はまだ満開のソメイヨシノ。

そして、これからは山桜の季節だ。

素朴で清楚な山桜。

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2008年4月 5日 (土)

望月彩子銅版画展

Etching_2 

このブログにもリンクさせていただいている『After 65』のブロガー、

ayabunbun さんこと、望月彩子さんの銅版画展に行ってきました。

ayabunbun さんというと、ブログで拝見する凛とした文章からもご自

分の人生に自信とプライドをお持ちの方だということが感じられて、

子供の頃からアウトサイダーを自認するへなちょこな私にはちょっと

立派すぎてお会いするのも気後れしちゃうと思っていたのだけれど、

実際にお会いしてみるとこれがなんと、私だとわかるなりハイタッチし

て喜んでくれるような、とても明るくて気さくな方でした。

aya さんは、男女平等の建築事務所でインテリアコーディネーターと

して長らくしのぎを削ってご活躍された後、大学の教職について定年

まで働き、辞職されたのを期に新天地を求めて美大の生涯教室でエ

ッチングを学び始めて8年。まとまった作品ができあがったのと、ひと

つの区切りとして今回の個展を思い立たれたのだそう。

会場となった自由が丘のもみのき画廊には、初めて作った作品から

最近の作品までが整然とならんでいました。その最初の1枚が、初

めて作ったとは思えない絵心のある作品でびっくり。聞けばずっと絵

を描いてきたわけではないけれど、子供の頃の美術の成績は5だっ

たそうです。なるほど。

日常のなかで見た何気ない景色や、そのなかの植物や生きもの、バ

カラのグラスやレース、鳥の羽やバラといった好きなもの、亡くなった

愛犬や、旅先で見た風景など、身近なところに題材をとって自分の世

界観をつくりだしているところが素敵でした。

エッチングというと、私は個人的にはとてもポエティックなところが好

きで、今まで欲しいと思った作品はエッチングが多かったように思う。

私でも買えそうな小さな作品。けれどその技法については今まで何

も知らなかったのだけれど、今回ayaさんの個展を見て、実に様々な

技法があることを知りました。私がやってみたいのは直接銅版を彫る

やり方だけど、作品の仕上がりを見て気になったのは、ソーラープレ

ートという技法。これは、その名の通り太陽光線を利用する方法で、

有害な薬品を使わないだけ、人にも環境にも優しい技法だそうです。

初めてお会いしたにもかかわらず話が尽きずにあっという間の数時

間、とても楽しい時間をすごさせていただきました。

望月彩子銅版画展は明日までとなってしまったけれど、東京は明日

も晴れるみたいなので、ラストの目黒川のお花見も兼ねて、自由が

丘・代官山散歩もお目当てに、お出かけになってはいかがでしょう?

以下、もみのき画廊のマップです。(ちゃんと見えるかな?)

Etching_01_2 

***************************************************

追記:そういえばaya さんに会ったとき、このあいだの北村太郎の詩

がとても良かったので思わずAmazonで探してしまったと言っていて、

すごく嬉しかった。そして私が「なかったでしょう?」と聞くと「あった」

というので驚きだった。詩の専門書店『ぽえむ・ぱろうる』がなくなって

とてもショックだった私は、いったいこれからどこで買えばいいんだと

思っていたのだけれど、灯台下暗し。年中Amazonでは買い物してる

のに。実際さっき検索してみたらけっこうあって、マーケットプレイスで

高値が付いてるものまであってまたまた驚き。今年出たばかりの私

の知らない本もみつけて、さっそくカートに入れた。多謝。

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2008年4月 3日 (木)

彼女の桜

08sakura_3

2週間前の土曜日に下を通ったときにはまだ空き部屋だったその部

屋には、やっと新しい住人が入ったようだ。

つまり今年の桜に間に合ったってわけだ。

たぶん、あの部屋が1年で最も良く見えるこの時期に。

窓を開けると花風。

新しい住人は何思う?

08sakura_2

08sakura_05

M、見てるかな?

君んちの桜だ。

この木、市の保護樹木だったって知ってた?

私は今日、知ったよ。

すでに下からは緑の葉が見えて、この木が新緑に覆われる日も

近いね。

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2008年4月 1日 (火)

29

Mankai

たぶん傲慢

自分の欲望の青い影を鏡に覗いて

自分の妄想やイメージの広がりを見て

自分の行動や考え方に照らして


人性は善であるわけがないよというのは

― それでも、そうつぶやいてみる


フロイト以来

悪が薄まったのはありがたいみたいだが

べつに彼が現れなくとも

人間は文明の発達に比例して

放射性物質のように絶えず善を失いつつあるのではないか

世間一般、いやに若返ったかに見える現代だが

精神の顔は見るも無残や皺だらけ


成熟こそ ― すべて、は

猥褻の世界だけで達成されている

といえなくもない


この世でいちばん無垢でかわいいのは

機嫌のいい太った赤んぼうである

その澄んだ目

夜明けのヒヨドリみたいな訳のわからぬ喃語

赤んぼうを見ていると

イノセント

ということばを思いだすが、それから徐々に確かな悪、

長じて love


make love とくると

かなりえげつないニホンゴでしか訳せないほどに

love の意味は広くて深い でも、ここは

愛も詩も、いまは音(おん)しかない変な土地

そういえば

悪、善も


開いた窓から

とつぜん一陣の風

サクラの花びらが大量に舞いこんでくる

隣りは大きな墓地で

ソメイヨシノが石の群れを取り囲んでいて


もう四月か

部屋じゅう花びらだらけ

ベッドにもたれてしばし呆然

手鏡をとって

髭面を

なんとなく見ている


(北村太郎詩集『悪の花』より『29』)

****************************************************

私がここに音楽のことを書くのは、音楽が死ぬほど好き、ということに

くわえて、あなたにもっといい音楽を聴いてもらいたいからだ。そして

私がここに北村太郎の詩を書くのは、それが日常的に自然に立ち上

ってくるから、というだけじゃなくて、こんな詩人がいたことを誰かに知

ってもらいたいからだ。音楽のことを書いても詩のことを書いてもほと

んどコメントなんかこないし、3年近くやってやっとアクセスが15万を

超えたくらいのブログでは、そんなことほとんど意味がないかもしれ

ないけれど。でも、お願いだから「私には詩はわからない」なんてツマ

ラナイことを言わないでほしい。この詩の前半がもしわからなくても、

後半11行があなたの心に何かを与えるならそれだって充分なのだ。

詩は雷の、稲妻の、一瞬の閃きのようなもの。濁った池の中で、一瞬

翻った魚の尾っぽのようなもの。努力なんかとは関係ないところで、

それを掴んで言葉にしたのが詩。という私の定義が正しいか正しくな

いかは知らないが、雨の日曜、井の頭公園でMの話を聴きながらこ

の詩を思い出したので書いた。

これは先月アップした『28』の続きの詩。

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