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2007年9月16日 (日)

夏の終わりと『RUBBER SOUL』、センチメンタルなビートルズ

Rubber_soul

もう夏はとうにバイバイと手を振って行ってしまったのに、またもや夏

日だ。もしこれで本当にまた夏が帰って来てくれたというのなら、私

は快く「おかえり」と言ってドアを開けてあげるところなんだけれど。

「冷たい麦茶でもいかが?」

でも、どんなに暑くてもこれがフェイクだと知っているから言わない。

昨日、ブロガー友達のブログを開いたらビートルズのアルバムがピッ

クアップされていて、ちょうど私もその日ビートルズのある曲を思い出

したところだったから、いま持っている数少ないビートルズのCDの中

から『RUBBER SOUL』を選んでかけた。そして最初の曲『DRIVE MY

CAR』が流れ出すと、私の頭の中で封印されていたものが一気に解

かれ始めた。それで昨日は、私はすっかりセンチメンタルな気分にな

ってしまった。それについては、村上春樹はこんな風に言っている。

『ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。

バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古い

ジーン・ピットニーのレコード・・・、もはやどこにも行き場所のないささ

やかなものたちの羅列だ。二日か三日ばかり、その何かは僕たちの

心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。・・・暗闇。僕たちの心に

は幾つもの井戸が掘られている。そしてその井戸の上を鳥がよぎる』

うまい言い方だなと思う。

『その秋の夕暮れ時に僕の心を捉えたのは実にピンボールだった。』

そして、昨日の夕暮れ時に私の心を捉えたのは、ラバー・ソウルだっ

たのだ。昔から、これは夏の終わりになるときまって聴きたくなるレコ

ードだった。考えたら私が最も好きな、あるいは最も繰り返し聴いて

いるビートルズのアルバムは、このラバー・ソウルかもしれない。この

アルバムは村上春樹の小説『1973年のピンボール』と密接な関わ

りがあり、また自身の1981年頃の思い出とも密接に関わっている。

一晩中、『MICHELLE』を歌いながら私が頼んだ複葉機のプラモデル

を作ったというS.そのイメージは当時の彼の笑顔とも重なって、困っ

たことに今でも私を苦しめる。

なぜ夏の終わりにラバー・ソウルが聴きたくなるかというと、この小説

が1973年の9月に始まるからだ。このストーリーはまだ夏の名残を

残す9月に始まり、秋も深まる11月の朝に終る。読んだことのない

人は別サイトでストーリーを参照されたしと思うが、物語は主人公の

僕と、主人公の大学時代の友人で『鼠』と呼ばれる男の話がパラレ

ルで進行する。キーワードは死んだ恋人、ジェイズ・バー、井戸、双子

の女の子、ピンボール・マシーン、夕暮れのゴルフ・コース、霊園、古

いスタン・ゲッツとラバー・ソウル。そんなところだ。物語全体を通奏低

音のように流れているのは喪失感。

村上春樹という作家については好き嫌いがはっきり分かれるところだ

ろうと思うが、私自身は多少の年齢の差こそあれ、同時代を生きる作

家としてデビュー作からずっと読んできた。私が村上春樹に惹かれる

のは、その情景描写、とりわけ夏という季節の描き方の素晴らしさで

それはきわめて映像的であり、また音楽の使い方の上手さもあって

そこにともなう心理描写とともにひとたび感情移入して読んでしまった

なら、それは自身の思い出と見紛うばかりに脳みそにインプットされ

る。そして昨日のように、まるで自分の記憶同様に何かの折にふっと

蘇ってくるのだ。そのあたりが多くの人をして何度も同じ小説を読ま

せてしまう村上春樹マジックだろうと思う。そして音楽の力に至って

は、今さら言うに及ばないだろう。音楽は自分がそれを聞いていた時

代の空気をともなって、一瞬にして人をここではないどこかへ連れ去

ってしまうものだから。

『1973年のピンボール』はこんな風に終る。

「またどこかで会おう」と僕は言った。

「またどこかで」と一人が言った。

「またどこかでね」ともう一人が言った。

それはまるでこだまのように僕の心でしばらくのあいだ響いていた。

バスのドアがパタンと閉まり、双子が窓から手を振った。何もかもが

繰り返される・・・。僕は一人同じ道を戻り、秋の光が溢れる部屋の

中で双子の残していった「ラバー・ソウル」を聴き、コーヒーを入れた。

そして一日、窓の外を通り過ぎていく十一月の日曜日を眺めた。何も

かもが透き通ってしまいそうなほどの、十一月の静かな日曜だった。

Murakami_haruki_001

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コメント

なんだかすごく懐かしいね〜。
そうだった、この小説の最後にラバーソールが出てくるんだよね。
はじめてこれを読んだのは大学に入った年だから1980年かな?
はじめはどうもピンとこなかったけど、年を経て、何回も読むと読む度におもしろくなっていった小説。(^^)
ぼくは春樹くんの本はたぶん全部読んでるよ。知覚とか嗅覚とか、感覚がなんとなく共感できるところがあるんです。
ちなみにこの「1973年のピンボール」に出てくる双子の姉妹はいつぞや僕のブログで書いた、ツインズ・バーの美人双子姉妹とイメージがピッタリなんです。ま、偶然だろうけどね。

投稿: カルロス | 2007年9月17日 (月) 23:17

カルロスさま、
カルちゃんのお陰で、昨日はすっかりサウダーヂな気分になっちゃったよ。責任とってケロ。
そうそう、村上春樹の小説って、彼の文体に馴染むまでにはちょっと違和感を感じるというか、ノルまでには時間がかかるよね。
デビュー作の『風の歌を聴け』なんかはまさにそんな感じ。
私はあれが映画化されたのも見たけど、イマイチだった印象があります。なんだかやたらに地面を掘ってる人の記憶しかない。
私はここに「ずっと」と書いたけれど、実はいっとき私はこの手の小説が全く読めなかったときがあって、長編で最後に読んだのは、なんと『ノルウェイの森』が最後です。
それまではエッセイ、対談集、画集、写真集、翻訳本、研究本に至るまで、ほとんど全部読んでるんだけど。
ノルウェイ以降は短編集ばっかりです。
いつか村上春樹全集が出たでしょう?
あれを買おうと思いつつ、買いそびれた。
あれって今でも手に入るんでしょうか?

いつかのカルちゃんのツインズ・バーのイラストは最高だったね!

投稿: soukichi | 2007年9月17日 (月) 23:49

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