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2007年9月30日 (日)

雨の日曜日

Rainyday_02

クリックに合わせて息子が『枯葉』のバッキング・ギターを練習する音

が聴こえてくる。

秋だなぁ ・・・

9月最後の日曜日は1日雨で終りそうだ。

明日から10月。

すっかり忘れていたけれど、次の週末は横浜JAZZプロムナードだ。

1年ってなんて早いんだろう。

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2007年9月29日 (土)

お騒がせしました。

Kordana

このところ突発性難聴だのMRI検査だのとお騒がせしておりましたが

今朝10時に耳鼻科の看護婦さんから電話がありまして、「MRIの検

査結果が先ほど届いて、先生によれば異常なかったようですが、詳

しいことはまたご来院されて先生に直接伺ってください」と電話があ

りました。MRIを受ける前は失敗した茶碗蒸しみたいに脳みそにスが

いっていたらどうしよう? などと思っていた私ですが、これでやっと

安心しました。聴力も左右問題なく回復しているようです。眩暈も、

「良薬口に苦し」なんてもんじゃない死ぬほどマズイ漢方薬のお陰で

だいぶ良くなってきました。

良い音楽を聴いていれば人は病気にならない、というのが私の持論

なので、今後もますますそれを実践しつつ、+『太陽とヒトの関係』に

のっとった生活を心がけたいなぁ、と思っています。『太陽とヒトの関

係』については自分のおさらいもかねて、もう少し自分の中でまとめ

てからまた書きたいと思います。(もうその話は聞き飽きたぜ、という

人もいるかもしれないけれど。)

いろいろご心配いただいて申し訳ありませんでした。

ありがとうございます。

目覚めて、今日が静かな雨の土曜日でよかったと思いました。

医者にはMRIの結果がなんでもないとわかるまではスイミングはやめ

ておきなさい、と言われていましたが、今日は第5週目でプールは無

いし、この週末はストレッチでもしてのんびり過ごそうと思います。

しかし、昨日が30度以上の真夏日で、今日は20度で11月上旬の

気温! 体調を崩しやすいときです。

皆さまもどうかお身体お大事になさってください。

ご報告まで。

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ククルクク・パロマ/(土曜の朝に)

Picasso_hato

夜になっても

もう鳴くことはなかったという

食べもせず

飲むことすらしなかったという

その涙が落ちるとき

空が身を震わせたのがわかった

死んでしまってなお

その時の悲しみを忘れられない

名を呼び続けたことを忘れられない

歌っていたおまえ

呻いていたおまえ

心を焼き尽くす炎のせいで

死んでいった

まるで哀しいハトのように

朝早く

歌っていたっけ

誰もいないこの家で

どの扉も いっぱいに開いた家で

そのハトは

おまえの魂だったのだ

不幸な女が戻ってくるのを待っていた

ククルククー ハトよ

ククルククー

何があっても もう泣くな

ハトよ

おまえが恋について知りうることは

なんだろうか


(『CUCURRUCUCU PALOMA』Tomas Mendez / 対訳:国安真奈)

**************************************************

人間のチャクラには、背骨の根元(尾骨)を第1チャクラとして、身体

の中心を通って頭のてっぺんまで縦に7つのチャクラが並んでいて、

それは氣の通り道であり、それは渦を巻いたラッパのような形である

という。チャクラとはサンスクリット語で『車輪』。目に見えない光の輪

を意味する。生まれたばかりの赤ちゃんのときは誰でもチャクラが開

いた状態であるのに、それは年をとるごとに経験したことや感情のブ

ロックなどによって次第に閉じてしまう。私の曖昧で少ない知識で考

えると、チャクラはできるだけ開いている方が身体の循環がうまくい

き、宇宙との氣(エネルギー)の交換がスムーズにできて、心身とも

に健康でいられるんじゃないかと思う。

いつもラジオを聴いていて、どうしても聴きたくない曲が流れるとすぐ

CDに切り替えてしまうのだけれど、今日もそうやって切り替えたらデ

ッキの中にカエターノ・ヴェローソの『シネマ・カエターノ』が入ったまま

になっていて、それが流れ始めた。最初は「カエタノってなんてロック

なんだろう」とか言いながら聴いていて、息子も「カエターノ・ヴェロー

ソにガチガチのプログレやってもらいたい。すごく似合うと思う」なん

て言っていたのだけれど、そのうち私はすっかりハマってしまい、13

曲目の『ククルクク・パロマ』が流れ始めた途端、なんの前触れもな

く涙があふれてきてしまった。しかも、とめどなく・・・

いい大人になってからは滅多に人前で涙を見せることなんかないけ

れど、ごくたまにこんな風に涙の不意打ちにあい、目の前にいる人に

「なぜ泣くんですか?」と訊かれたりすることがある。けれど涙に理由

なんかないのだ。理由なんてそんな左脳レベルのことじゃなく、涙は

もっと心の奥深いところ、根源的なところから思考よりも早く、何かに

打たれたようにやってくる。堰を切る、という言葉があるけれど、まさ

しく堰を切るように・・・。それは無意識のうちにブロックしていた感情

が放出されるときでもあるのかもしれない。

私の友人が、あるスピリチュアルなワークショップに参加したとき、途

中で理由もなく涙が止らなくなってしまったという。その涙はふだん流

す涙とは全然違って粘度がある不透明な涙で、それは目の中でまる

で海上で高波が盛り上がるようにみるみる盛り上がってきたかと思う

と、外に向かって飛び散るように出てきた。それはなんと20分ものあ

いだ続いて、彼女が着ていたTシャツの胸からヨガパンツの腿の上ま

で降り注ぎ、ワークショップが終る頃には絞れるくらいびしょびしょに

なってしまったという。その後、自分では何故かわからないけれど、

第4チャクラが開いたと言われたそうだ。第4チャクラはハートのチャ

クラと言われる。愛のチャクラ。

世の中にはこういうことを全く信じない人もいるけれど、私は信じる。

彼女はふだんは外資系のトレーディング会社にいて、朝のわずか数

時間に100もの企業の株のトレーディングの見極めをしている頭脳

明晰な人なのだ。涙を流すことがイコール心の開放になるとは言え

ないかもしれないが、心の浄化にはいいと思う。

そして、この『シネマ・カエターノ』だけれど、これは中原仁による究極

のセレクトといっていいんじゃないかと思うくらい、カエタノの本質が感

じられる素晴らしい曲ばかり入ったCDだ。今日も聴きながら思ったけ

れど、カエタノって世界で最も美しい声を持ったヴォーカリストなんじゃ

ないかと思う。少なくとも私にとってはそうだ。私は何度、彼の歌に泣

かされたかわからない。カエタノについても書きたいと思ってタイトル

だけ書いてもう1年も前に下書きフォルダに保存したけれど、好きな

ものほどなかなか書けない。

『ククルクク・パロマ』は悲恋の果てにハトになって死んでしまった男

の歌だ。上の絵は、ピカソの『平和の顔』。

Cinema_caetano



『シネマ・カエターノ』

マーキュリーレコード

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2007年9月28日 (金)

MRI検査に行ってきた。

Mri

私の友人の医者によると、病院は患者のカルテを5年間は保管しな

くてはならないのだそうだ。逆に言うと、5年を過ぎたらもう管理しなく

ていいということ。私みたいに滅多に医者にかかることのない人間は

たいていの場合再診でもカルテが無い。

水曜の午後になって、ようやく前回突発性難聴になったときに診ても

らった耳鼻科に行くことができた。10数年ぶりに訪ねた耳鼻科は当

時より建物が古くなっただけで以前と変わらぬ良い印象だった。老先

生の「今日はどうしました?」というもの柔らかな問診に始まって、ス

タッフの女性を「ふくちゃん」「ユミちゃん」と名前で呼ぶアットホームな

感じ。診察室から患者と医師の笑い声が聞こえるクリニックなんてい

うのも珍しいんじゃないだろうか。そこで問診、耳の診察の後、防音

ルームで聴力検査をふたつ。それから目の周りに電極を付けられて

目の動きをみる検査と、身体の揺れ具合を見る検査をして、頭のレン

トゲンを撮り、30年ぶりくらいに自分の頭蓋骨を見た。血圧は100の

60で、ふだん血圧さえはかったことのない私にはそれがどうなのか

わからなかったけれど、ちょっと低いらしい。全ての検査の結果、聴

力には問題はなく、内耳の状態も正常。ただ眩暈は確かにあって、

それは耳鼻科的な問題ではなさそうなので、一応大事をとってMRI

を受けたほうがいいと言われる。MRI?と思っていると、「だいじょう

ぶ。MRIをとるからってレントゲンで見る限り脳腫瘍があるわけじゃな

いし、すぐに死ぬってわけじゃないから」なんて、先生は変な励ましみ

たいなことを言って私の膝をポンと叩いたりして。私はそんなこと全然

気にしてないのに。「でも、もし小脳梗塞なんて言われたらどうしまし

ょう?」と言ったら、「脳梗塞は僕やったけど、もっとスピードが速いか

ら。5日も経ってそんなに悠長にしてられないよ」、だそうだ。すぐに看

護婦さんがMRIの予約の電話をしてくれて、先生が丁寧に行き方を

教えてくれる。窓口で紹介状と西新宿にあるメディカル・スキャニング

センターの地図と処方箋をもらって。出た薬は3種類。3時に耳鼻科

に入って、出てきたのはもう5時過ぎだ。MRIか。まいったな、と思い

ながら、相変わらずくらくらしながら駅から自宅に向かって歩いている

途中に、友人の医者から携帯に電話が鳴る。訊かれるままに耳鼻科

でやった検査と診察結果、出された薬を言うと、私の眩暈が脳神経

的なものじゃないことを理路整然と説明してくれる。「そんなの、抗ヒ

スタミン剤を3日も飲んで寝てりゃ良くなるよ、あーた。MRIをとるほど

のこともないと思うけどね」と言うのだ。でも看護婦さんがせっかくとっ

てくれた予約をすっぽかすわけにもいかない。自分の今の脳の画像

だけじゃなくて血管の状態もわかるというので、この際見ておくことに

するかと決めてライブに出かけたのだった。

翌朝は早く起きて娘のお弁当を作り、「今日もくらくらするぜ。それじ

ゃ、行ってきます」と言って家を出る。10時20分にメディカルスキャ

ニングセンター到着。医師の問診を受けてからロッカーに連れて行

かれ、貴金属類を全てはずして服の上からブルーの検査服をかぶ

る。それからMR検査室に行って、細いベッドに寝ると、「大きな音の

する検査ですからヘッドフォンをしてもらいます」と言われてヘッドフ

ォンをされる。するとヘルメットみたいなのが降りてきて、「もし気分が

悪くなったら押してください」とブザーを左手に握らされ、「検査時間は

約20分です」と言われて狭いコクピットのようなドームの中に入って

ゆく。問題はそこからだ!!

いきなり工事現場の道路に寝かされているような物凄い音が鳴り響

く。かと思うと頭をドリルでくりぬくような音! 高かったり低かったり

様々な種類の音だ。歯医者で歯を削るときなんてもんじゃない。ヘッ

ドフォンからはやたらに明るいミュージカル音楽が流れていたけれど

物凄い音に掻き消されて何も聴こえない。ときどき身体に圧もかか

る。軽い閉所恐怖症の私は最初の数分で心拍数が上がり、息が苦

しくなって汗が出てきてきた。思わずパニックになってブザーを押しそ

うになるのを我慢して、深呼吸を繰り返した。こんなのを20分? 

これって拷問以外の何物でもないじゃないか。こんなのを老人やらガ

ン患者が受けてるなんて信じられない。20分じゃなくてこれが40分

も続いたら気が狂うかも・・・

でもそう思いつつも人間のすごいところは何にでも慣れるところで、

しばらくしたら少し慣れてきた。人間の脳はどんなことがあっても簡

単に発狂しないように、何重にもプロテクトされているのだと前に本

で読んだことがある。数年前に肺がんの母の検査に付き添って、終

日慈恵医大の中の検査室から検査室へ歩き回ったことがあるけれ

ど、あのとき母はどんなに辛かっただろう、なんてことを考えながら

深呼吸を繰り返していたら、「20分になりました。終了します」という

女性の声がして、ドームから出された。ロッカーで検査服を脱いで待

合室で待っていたら名前が呼ばれ、会計をして終わり。撮ったフィル

ムはそのまま宅急便で耳鼻科に送られるのだそうだ。帰りは来たと

きより更にダメージを受けてふらふらになり、早々に帰宅した。

やっぱり病院なんて行くものじゃないよなあと実感した昨日。

でも明日あたりまた耳鼻科に結果を聞きに行かねばならぬ。

いつも思っていることだけど、健康が一番です。

皆さまもどうかご自愛のほど。

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2007年9月25日 (火)

息子不在の誕生日

19_01

先日、いつものように息子と並んでPCの前に座っていると、息子が

「ねえ、ちょっと」と言う。

前を見たまま「何?」と言うと、

「こないだのCDいらないからさ、これ買ってよ。誕生日に」と言う。

息子のPCの画面を見れば、チェッカーフラッグ柄のギターのストラッ

プだ。値段を見れば安い。

Liveline_2

「なんだ。こんな安いのでいいの。自分で買えばいいじゃん」

と言うと、「今月エフェクター買っちゃって、全然お金ないんだよね。

レッスン行くときの電車賃くらいしかもう残ってない」と言う。

「しょうがないなあ。誕生日だから買ってあげるけど、だったらゴミ捨

ててきて。でもこのあいだのCDはタワーレコードで予約しちゃったか

らもうキャンセルできないよ。来るのは11月だけど」と言うと息子は、

「買ってくれなくてもゴミくらい捨ててくるけどさ」と言いながら、「あり

がと」と言って、そそくさと燃えないゴミを捨てに行った。

ちなみに『このあいだのCD』というのは、この秋リマスター盤でリリ

ースされるレッド・ツェッペリンの2枚組のベストと『狂熱のライブ』の

ことだ。高かったのになあ・・・(支払いは代引きだけど。)

ギター少年というのがみんなこういうものなのか私はよく知らないの

だけれど、いったい彼はエフェクター・マニアにでもなるつもりなのか。

やたらに詳しい、やたらに欲しがる。高いからそうそうは買えないだろ

うけど、そのうち部屋中エフェクターだらけになるんじゃないかな。エフ

ェクターで積み木ができたりして。ミルトンのライブに行った時も、「ス

テージの上のギタリストの前にズラッとエフェクターが並んでた!」な

んて言ってたもんな。そんな小手先のことより肝心のテクニックの方

をなんとかせい、と思うけれど、息子にとってはソレはソレ、コレはコレ

ってことらしい。春先あたり、毎日同じ曲の同じフレーズばかりジャカ

ジャカやってて、「君のギタープレイにはおよそドライブ感ってものが

無いね」なんて思わず言ってしまった私だけれど、息子にギターを教

えてくれている秋山さんは、「さっきは歌ってたね。あんなに弾けると

は思わなかったよ」とか、「だいぶリズムのキープが上手くなった」と

か言ってくれるらしい。そんな風にしてなんとか褒めてくれる秋山さん

は、エライというか優しいというか、良い先生なのです。

今日はそんな息子の19歳の誕生日だ。

いつもなら花を買ってバースデイ・ケーキを買ってご馳走を作ってお祝

いしているところだけど、前もって「僕、その日はいないから」と言わ

れた。なんでも年上の彼女が誕生日をやってくれるのだそうな。「じゃ

あ、家ではやらなくてもいいよね?」とニカニカしながら訊いたら「いや

やる」と言うから、すかさず「やる、じゃなくて、やってください、でしょ」

と訂正した私なのでした。

そんなわけで、今日は初めて息子不在の誕生日です。

「これ買ってよ」なんてガキくさい言い方も、言われてるうちが花なの

か? と思う今日この頃。

下は本日午後6時頃の中秋の名月。

Meigetsu

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2007年9月24日 (月)

ひと雨ごとの涼

07evelyn16

朝、目覚めたときにはまだ雨が降っていた。

今日はずいぶん涼しい。

午後になって少々眩暈もするので運動不足解消のため歩いて買い

物にゆく。昨日、足の裏にある耳の反射区をよく揉んだせいか、耳の

聞こえ方はだいぶ良くなったような気がするけれど、なんだか風邪で

3日も寝込んだ後のような、すっかり病み上がりの気分はなにゆえ?

今度は脳みそのほうを心配する始末で・・・

いっとき芸能人の脳梗塞が話題になって、一般人がこぞってMRIを受

けに行ったのがニュースになっていたけど、私の脳みそもMRIで見た

らスカスカにスがいっていたりして。

今日はイヴリンとライラックローズが咲いた。

ライラックローズはきれいだけれど私にはちょっとパーフェクトすぎる。

もっと淡くふわふわと儚げであってほしい。

株が充実してたくさんの花をつけたらそうなるだろうか?

今月もあと6日。

07lilac_rose_18

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2007年9月23日 (日)

どうやら突発性難聴になっちゃったようです。

07mademoiselle_franziska_kruger_02

子供の頃、海水浴に行って海で泳いでいて、高波にもみくちゃにされ

て耳に海水が入ってなかなか取れなくなったとき、熱い石に耳をつけ

ると取れるよ、と言われた。言われたとおりに砂浜で熱く灼かれた平

たい石ころを拾って耳にあてると、耳の中の圧力が変わって、耳の

奥から体温で温められた海水がじわっと出てくる。そのときの一気に

音が聞こえる爽快感と、目の端にあった夏空の輝くような青さを思い

出しながら、いつもより少し体温が高いように感じられる手のひらを

左の耳にあててみる。圧力をかけて離すと、一瞬、耳の聞こえがよく

なったような気がするけれど、それも一瞬で、すぐに頭の半分に綿を

詰めたようなくぐもった感じになってしまう。どうやら昨日の深夜から、

突発性難聴になってしまったようだ。

昨日、プールから帰ってきたときに鈍い頭痛があって、アスピリンを

飲もうかどうしようか迷ったのだった。お風呂からあがった後はちょっ

と良くなった気もしたのだけれど、スイミングの後だというのに首と肩

の凝りがひどくて、これはなんでかなと思っていた。早く寝ればいい

のに深夜までPCに向かっていて、時折り唸りをあげる隣りの壊れか

けのデスクトップのハードディスクがうぉぉ~んと凄い音で鳴り始めた

と思ったらもうおかしかった。まるで自分の部屋にUFOでも降りてきた

かのような轟音は、自分の耳のせいだったんだ。PCの電源を切った

後も耳鳴りがしていて、布団に入ってからも耳の中ではふつう聞こえ

るはずもない何かのパルス信号のような音が心臓の音より早く鳴り

続けていて、軽いパニックになりそうな自分をなだめて眠ったのだっ

た。「だいじょうぶ。朝になったらきっと治ってるから。」

結局、朝になっても治らなかったのだけれど、前になったときよりは

まだマシのようだ。人の経験とはすごいものだと思う。病気でさえ前

に経験したということで少しは落ち着いていられる。そう、突発性難

聴には12年前になったことがある。

その日は久しぶりに高校時代の友人に会うことになっていて、まだ小

さかった子供を見ていてもらうために母が家に来ることになっていた。

そのときもなんだかひどく疲れていて、あんまり気乗りがしなかったも

のの、久しぶりに会うことを思えばドタキャンするわけにもいかなかっ

た。友人と会って食事をしているときにも、なんだかやけに音の聞こ

え方が変で、バスルームにいるみたいだと思ったのだけれど、きっと

地下で、女性客が騒がしいからだろうくらいに思っていた。ついにお

かしいと思ったのは帰りのバスの中で、いつもはバスに乗ってクルマ

酔いすることなんてないのに、思いきり気分が悪くなった。ふらふらに

なって家に帰る頃にはひどい耳鳴りと眩暈、頭の中ではぐわんぐわ

ん音がしていた。もう気が狂いそうな感じで、母にもうちょっといてくれ

と頼んで自転車で市内中を走り回って耳鼻咽喉科を探したけれど、

その時間にやっている医者はいなくて、次の日、実家近くの耳鼻咽

喉科に行ったのだった。病名は突発性難聴。原因は過度のストレス

と過労と睡眠不足。左耳の鼓膜が凹んでいて、圧をかけて治してもら

った。聴力検査では上と下の周波数の聴力がかなり落ちていて、気

をつけないと慢性的に聞こえなくなる可能性もあるという。その頃は

音楽だけを心のよりどころにしていたから、「私の耳は音楽を聴く大

事な耳なのに聴こえなくなったらどうしよう」と心底危機感を感じて恐

怖だった。子供の頃、小さな顔に大きな耳が付いていることから母に

よく『でんぱたんちき』(電波探知機)と呼ばれたものだが、なんでも

私の耳は構造上、鼓膜が凹みやすい形をしているのだそうだ。

以来、ヘッドフォンはしない。

あいにく今日は3連休で医者に行くこともできず、今朝ネットで調べて

いたら、「突発性難聴になる人は発症前に疲労感を感じていることが

多い」とあって、おととい、なんだか妙に気力が無くておかしいと感じ

たのは、こういうことの前兆だったのか、と実感。これは今年、自分の

生活スタイルの改善の必要性を感じつつ、結局今に至るまでできな

かったことへの警鐘かと思う。治すには安静がいちばんらしい。

今朝、美容院にキャンセルの電話を入れた。この分だと26日のライ

ブにも行けないかもしれない。PCの前にいるのも良くなさそうだから、

これを書き終わったら、コメント欄を閉じてPCの電源を切ろうと思う。

ブログも数日休むかもしれないけれど、どうかご心配なく。

季節の変わり目、身体は心が感じている以上に疲れているのかも知

れません。皆さまもどうかご自愛のほど。

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2007年9月22日 (土)

真夏日の再来

07jayne_austin10

真夏日の再来のような毎日で、うっかりバラに水をやり忘れると、出

たばかりの新芽がちりちりになってしまう。

ベランダのバラはぼちぼち蕾が上がり始めた。

でも秋バラというにはまだ早すぎるし、溜めがないぶん夏バラの延長

のような花だ。花は小さいし香りも淡い。今年はこのまま咲き続ける

のだろうか。上はジェーン・オースティン。小ぶりながら素敵なアプリ

コット。下はシャリファ・アスマ。

暑いので、蕾だと思っているとすぐに金色のしべを見せて満開にな

ってしまう。

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Dear Prudenceの幻想

Beatles Beatles_01

Dear Prudence,won't you come out to play

Dear Prudence,greet the brand new day

The sun is up,the sky is blue

It's beautiful and so are you

Dear Prudence won't you come out to play ?


Dear Prudence open up your eyes

Dear Prudence see the sunny skies

The wind is low the birds will sing

That you are part of everything

Dear Prudence won't you open up your eyes ?


Look around round

Look around round round

Look around


Dear Prudence let me see you smile

Dear Prudence like a little child

The clouds will be a daisy chain

So let me see you somile again

Dear Prudence won't you let me see you smile ?


(Lennon/McCartney)

***************************************************

Dear Prudence のイントロが流れ始めるのと同時に、フィルムが回り

始める。カメラが左から右に追っているのはレンガ造りの塀。どこか

の高校の塀らしい。終礼の鐘が鳴って、正門から子供たちが出てく

る。口々に何か言って手を振り、別れていく子供たち。そのなかに自

転車の2人乗りをして走ってくる男の子と女の子がいる。タータンチェ

ックミニスカートをはいた女の子は片手で男の子の腰につかまって、

レイヤードの長い髪をなびかせている・・・

昔からこんな始まりで映画が撮りたいなと思ってた。

Dear Prudence を聴くたびに頭に浮かぶ幻想・・・

このところ真夏日が復活して、私はまたタンクトップにデニムに下駄

にラフィアの帽子、というスタイルでプールに行く。世間じゃ、いったい

いつまで暑いのと文句を言ってるだろうけど私は平気だ。日に焼けた

むき出しの腕にあたる太陽が気持ちいい。

    陽は高く 空は青い

    とても美しい日だ

    雲はまるで雛菊の首飾り

私はいつまでもこんなスタイルでいたいけど、いつまでできるだろう。

つまりこの「いつまで」は年齢的なことだ。スイミングクラブに行けば

私より上の世代だって似たようなものだから、まだOKかもしれない

けれど。もし日本で駄目な歳になったら、1年中こんなスタイルでいら

れるもっと暖かい国に行こうか。それともそれも飽きるのかな。

今年は初夏からラフィアの帽子が大活躍した。

お陰ですっかり帽子がサマになるようになった。

ただし、サマになっているのは帽子をかぶっているときだけ。

脱ぐとウェイビーヘアがぺしゃんこになるのはどうにかならないもの

かしらね。

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2007年9月21日 (金)

心のエネルギーレベル

07antique07

時々、わけもなく急に何もかもがつまらなく思えてしまうことがある。

たとえばこんな風にブログを書くことも、お洒落をしてどこかに出かけ

て行くことも、誰かに会うことも、料理をすることも。世の中にあふれ

ている会話という会話がくだらなく思え、全てのメディアがつまらなく

なり、いつもはすぐにできるメールの返信ができなくなり、約束してい

た友人と会うこともどこか億劫で、楽しみにしていたミュージシャンの

ライブに行くのさえ気が乗らなくなってくる。

さっき、わけもなく、と書いたけれど、もちろん心の深いところではきっ

と理由や原因や引き金になるものがあって、私のように常に現実的

な問題を幾つも抱えて生きていれば特にめずらしいことでもないのか

もしれないけれど、きっとこんなときは心のエネルギーレベルがすっ

かり落ちてしまっているんだと思う。一時的に。丹田に気が充実して

なくて、腰くだけな感じ。おまけに今日は漠然と自分にエネルギーが

無いと感じていたのが、夕方ポストを見たら入っていた役所からの現

実的な幾つかの書類で、更にそれは決定的になってしまった。

でも、こんなときは無理に自分を鼓舞したりするより、いつもよりゆっ

くりお風呂に入ったり、早く寝たりしたほうがいいんだと思う。

綱渡り生活の極意は、けして下を見ないこと。夜更けにシリアスなこ

とを考えたり、お給料日前の貧乏なときに将来の展望を考えたりしな

いことだ。そういえば、前に電車の中で読むために買った光野桃の

『ソウルコレクション』という本があった。たぶんこの本を買ったときも

私は少し元気がなくて、サブタイトルに惹かれて買ったのだと思う。

これは自分にとってのスペシャルな物との出会いが、心にエネルギ

ー(活力)を与えてくれることを書いた本だ。スペシャルというのはもち

ろん、高価ということを意味するのではない。ちょっと長くなるけれど

前書きも素敵なので引用してみようと思う。

『ある日、ひとつの物に巡り合う。これが好きだと思い、連れて帰りた

いと願う。喜びに満ちた瞬間だ。物から発された何かが、自分の深い

ところに真っ直ぐに届く。何か、とはなんだろうか。なぜ、好きだと感じ

欲しいと思うのだろう。そのことを深く考えなければならない。

世の中にはたくさんの物が溢れているけれど、必要な物はそう多くな

い。それは実用という意味ではなく、魂(ソウル)が欲しているものか

どうか、ということだ。魅力的な人は、いいオーラを湛えている。物も

同じだ。値段でもブランドでもない。本当に正しい物には、やはりいい

「気」が流れている。その「気」に敏感になること。そのためには直感

力を磨いておく必要がある。<中略>自分を見つめるのは苦痛を伴

う。そんな時間なんてない、とあなたは言うかもしれない。整理がつ

かないし、不安がいっぱいで、一歩を踏み出すのが怖い。この先どう

なってしまうのか、自信もないし、方法も見つからない・・・。そんなと

き、物の力を借りてみる。物との関わりから始めてみる。直感に従っ

て、心の声に耳を澄まして物を見つめる。選ぶ。愛でる。すると思わ

ぬ発見がある。<中略>物は人の手に触れられたとき、ただの物か

ら想いを宿す手鏡に変わる。直感が呼び寄せた物、心が喜ぶ物に、

数少なく囲まれている人の姿は美しい。<中略>庭木を刈り込むよ

うに、ツンツン飛び出た不必要な葉や育ち過ぎてしまった枝を整えて

暮らしを自分らしい形にする時がきている。そういう日々のなかで、

魂の自由が育ってゆく。』

映画なんかを見ていてもよく思うけれど、人の暮らしというのは思い

のほか単調なものだと思う。特に女性は日々の主婦業の明け暮れ

で、あるいは仕事の明け暮れで、心にエネルギーが足りなくなったら

この本を手に取ってみるといいかもしれない。ちょっと心の贅沢が味

わえて、共感すること間違いなしだから。そして値段の多寡によらな

い自分だけのスペシャルに出会いたくなるだろう。私は近々、娘を連

れて銀座の月光荘画材店に行くことに決めた。前から一度行ってみ

たかったのだけれど、あそこの虹色のスケッチブックが見たくて。

それから、それを見た娘の輝く顔が見たくて。

私がモチベートできないのは伸び放題のこの重い髪にも原因がある

のだ。今朝ついに発作的に自分で少しハサミを入れてしまった。

こうなるといよいよで、今日はついに美容院に予約を入れた。

上の写真はアンティーク・コルダナ。人は緑に触れると、緑からもエネ

ルギーをもらえるのだそうだ。大いに触れてください。

Mitsuno_momo_2 光野 桃(みつの・もも)

ソウルコレクション

心にエネルギーを補給する

40の物語

集英社文庫

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2007年9月18日 (火)

ムコ多糖症で苦しむ子供たちのためのバトン

Muco_smile_2 

ハンタさんのところで下記の記事を読み、微力ながら私にも何かでき

ればとバトンを受け取りました。ご理解いただけたなら、ぜひバトンを

受け取ってくださいね! よろしく!

****************************************************

《ムコ多糖症》って病気を知ってますか?

この病気は人間の中でも小さい子達に
見られる病気です。

しかし、この《ムコ多糖症》と
言う病気はあまり世間で
知られていない(日本では300人位発病) 

つまり社会的認知度が低い為に
今厚生省やその他製薬会社が様々な理由を付けて
もっとも安全な 投薬治療をする為の
薬の許可をだしてくれません。

《ムコ多糖症》は日々病状が悪くなる病気で、
発症すると殆どの人が10~15歳で亡くなります。

8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で
湘南乃風の若旦那が 語ってから私達に
出来ることを考えました。

それで思いついたのがこのバトンという方法です。

5~6歳の子が厚生省にスーツ姿で出向いて
自分達が生きる為に 必死に頭をさげてたりしています。

この子達を救う為に私達ができる事は、
この病気を多くの社会人に 知ってもらって
早く薬が許可されるよう努力する事だと思います。

みなさん協力お願いします。

『ムコ多糖症』とは?

小児難病「ムコ多糖症」は、遺伝子の異常により身体の中の代謝
物質「ムコ多糖」を分解する酵素がないために、「ムコ多糖」が身
体中に溜まっていくことで、様々な障害を引き起こす病気です。

このため、この病気は日々、症状が進行していき、溜まっていく「ムコ多糖」は様々な臓器に障害を起こし、結果的に徐々に衰弱していき、
知能障害・運動能力・聴力の喪失と呼吸困難などを伴い、重症の場
合は成人前に死亡します。
ほとんどの患者の寿命は通常10歳から15歳までぐらいです。

今のところ有効な治療法が無いので、
骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つです。

ムコネット http://www.muconet.jp/   

★この本文を日記に貼り付けていただけましたら嬉しいです。
  どうぞよろしくお願い致します。

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2007年9月16日 (日)

夏の終わりと『RUBBER SOUL』、センチメンタルなビートルズ

Rubber_soul

もう夏はとうにバイバイと手を振って行ってしまったのに、またもや夏

日だ。もしこれで本当にまた夏が帰って来てくれたというのなら、私

は快く「おかえり」と言ってドアを開けてあげるところなんだけれど。

「冷たい麦茶でもいかが?」

でも、どんなに暑くてもこれがフェイクだと知っているから言わない。

昨日、ブロガー友達のブログを開いたらビートルズのアルバムがピッ

クアップされていて、ちょうど私もその日ビートルズのある曲を思い出

したところだったから、いま持っている数少ないビートルズのCDの中

から『RUBBER SOUL』を選んでかけた。そして最初の曲『DRIVE MY

CAR』が流れ出すと、私の頭の中で封印されていたものが一気に解

かれ始めた。それで昨日は、私はすっかりセンチメンタルな気分にな

ってしまった。それについては、村上春樹はこんな風に言っている。

『ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。

バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古い

ジーン・ピットニーのレコード・・・、もはやどこにも行き場所のないささ

やかなものたちの羅列だ。二日か三日ばかり、その何かは僕たちの

心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。・・・暗闇。僕たちの心に

は幾つもの井戸が掘られている。そしてその井戸の上を鳥がよぎる』

うまい言い方だなと思う。

『その秋の夕暮れ時に僕の心を捉えたのは実にピンボールだった。』

そして、昨日の夕暮れ時に私の心を捉えたのは、ラバー・ソウルだっ

たのだ。昔から、これは夏の終わりになるときまって聴きたくなるレコ

ードだった。考えたら私が最も好きな、あるいは最も繰り返し聴いて

いるビートルズのアルバムは、このラバー・ソウルかもしれない。この

アルバムは村上春樹の小説『1973年のピンボール』と密接な関わ

りがあり、また自身の1981年頃の思い出とも密接に関わっている。

一晩中、『MICHELLE』を歌いながら私が頼んだ複葉機のプラモデル

を作ったというS.そのイメージは当時の彼の笑顔とも重なって、困っ

たことに今でも私を苦しめる。

なぜ夏の終わりにラバー・ソウルが聴きたくなるかというと、この小説

が1973年の9月に始まるからだ。このストーリーはまだ夏の名残を

残す9月に始まり、秋も深まる11月の朝に終る。読んだことのない

人は別サイトでストーリーを参照されたしと思うが、物語は主人公の

僕と、主人公の大学時代の友人で『鼠』と呼ばれる男の話がパラレ

ルで進行する。キーワードは死んだ恋人、ジェイズ・バー、井戸、双子

の女の子、ピンボール・マシーン、夕暮れのゴルフ・コース、霊園、古

いスタン・ゲッツとラバー・ソウル。そんなところだ。物語全体を通奏低

音のように流れているのは喪失感。

村上春樹という作家については好き嫌いがはっきり分かれるところだ

ろうと思うが、私自身は多少の年齢の差こそあれ、同時代を生きる作

家としてデビュー作からずっと読んできた。私が村上春樹に惹かれる

のは、その情景描写、とりわけ夏という季節の描き方の素晴らしさで

それはきわめて映像的であり、また音楽の使い方の上手さもあって

そこにともなう心理描写とともにひとたび感情移入して読んでしまった

なら、それは自身の思い出と見紛うばかりに脳みそにインプットされ

る。そして昨日のように、まるで自分の記憶同様に何かの折にふっと

蘇ってくるのだ。そのあたりが多くの人をして何度も同じ小説を読ま

せてしまう村上春樹マジックだろうと思う。そして音楽の力に至って

は、今さら言うに及ばないだろう。音楽は自分がそれを聞いていた時

代の空気をともなって、一瞬にして人をここではないどこかへ連れ去

ってしまうものだから。

『1973年のピンボール』はこんな風に終る。

「またどこかで会おう」と僕は言った。

「またどこかで」と一人が言った。

「またどこかでね」ともう一人が言った。

それはまるでこだまのように僕の心でしばらくのあいだ響いていた。

バスのドアがパタンと閉まり、双子が窓から手を振った。何もかもが

繰り返される・・・。僕は一人同じ道を戻り、秋の光が溢れる部屋の

中で双子の残していった「ラバー・ソウル」を聴き、コーヒーを入れた。

そして一日、窓の外を通り過ぎていく十一月の日曜日を眺めた。何も

かもが透き通ってしまいそうなほどの、十一月の静かな日曜だった。

Murakami_haruki_001

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2007年9月15日 (土)

みかづき

Mokaduki

日の暮れる少し前、ベランダに出て西の空を見たら、きれいなみかづ

きが出ていた。生まれてから3番目の月。

正確には14% of Full、Waxing Crescent と言うらしい。

だんだん大きくなる三日月。

先日、9月になったとたんに一気に頭が現実的になったと書いたけれ

ど、いま私の頭はこの三日月みたいにクリアーでシャープです。

仕事、頑張ろう。

(写真をポップアップすると、もっと大きくきれいに三日月が見られます。)

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2007年9月14日 (金)

理想的なうどんどんぶりが欲しい!

Donburi_03

昨日、讃岐うどんのことを書いて、器のことにまで言及しようと思いつ

つ長くなったのでやめてしまったけれど、私は昔からうどん用の理想

的などんぶりを探している。うどんを入れるどんぶりなんて、どこにで

もありそうな気がするけれど、ところが実際探すとなかなかこれぞっ

ていうのが無いのである。妙に大きかったり小さかったり、深すぎた

り浅すぎたり、形がいいかと思えばその辺の蕎麦屋のみたいな安っ

ぽい量産物だったり。うどんに限っては信楽みたいに土々してなくて

つるっとしてるほうがいい気がするし、かといって青磁じゃ気取りすぎ

だし、志野焼きみたいに釉薬がぼってりついてるのは中身が入った

とき重いし・・・、という具合。

私は器ショップで働いていたこともあって、その店では暮れになると

新年を迎える準備として、お正月用の漆器のほかに飯椀やどんぶり

など、それこそ作家物から窯物、オリジナルの量産物までたくさん入

ってくるのだけれど、そのときでさえ、これ!というのには出会わなか

った。それでもそのとき質感が好きで買った麺鉢は、表が焼き締めで

中が粉引きの作家物。これは口が広くて浅い形でいくらも入らず、に

ゅうめんなんかには合うけれど、うどんには適さない。

ちなみに私の理想に最も近いのが、昨日うどんを入れたどんぶり。

Donburi_2

大きさといいフォルムといい深さといい、手描きのほおづきの自由な

タッチの絵付けといい、うどんを盛ったときの雰囲気といい、ほんとに

ちょうどいい。これは、たまたまふらっと入った器屋(しかも8割が洋

食器の店)でみつけたもので、3個あったなかのひとつ。最低ふたつ

は欲しいと思ったけれど、完璧なのはこれだけで、あとは形がいび

つだったり絵が大味だったりして買う気になれなかったのでした。

Donburi_01

ゆえに惜しいかな、ひとつしかない。子供は2人とも冬でも冷たい蕎

麦を食べたがり、私ほどうどんが好きじゃないので、これはマイどん

ぶりです。

Donburi_02

昔、わずか数ヶ月の間だったけれど、辞書を編纂している言語学者

のもとで働いたことがあって、彼はマグカップでなんでも飲むのを嫌

って、下で働く私たちも、日本茶用の湯飲みと珈琲・紅茶用のマグカ

ップの両方を置いていた。およそ利便性のみで味気が無い、というこ

となのだろうけれど、そりゃやっぱりラーメンはラーメンどんぶりで、う

どんはうどんどんぶりで食べたほうが美味しいに決まってるもの!

さて、あなたはどんなどんぶりを使ってらっしゃるでしょうか。

良いのがあったら教えてください。

いや、いっそハシバミさんあたりにリクエストするのがいいかな。

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2007年9月13日 (木)

小さな破壊衝動

Udon_02

このあいだ、胸の中にしまっていた怒りの感情を夢で発散させたこと

によって日常を浄化された話を書いたけれど、ラジオを聞いていたら

人間は誰しも破壊衝動を本能として持っているのだそうだ。よくお菓

子の箱なんかに入っているクッション材のプチプチを片っ端から指で

潰すのも、書き損じの紙を音を立ててクシャクシャっと丸めるのも、

使い終わった後の割り箸をボキっとふたつに折ったりするのも、みん

な小さな破壊衝動なのだそうだ。そうやって小さな破壊をちょこちょこ

繰り返すことで人はストレスが解消されて、大きな破壊には至らなく

て済むという。

本能ということで言えば小さな子どもほど本能に忠実なものはないと

思うけれど、昔、友人のところでは長雨で子どもを外で遊ばせてあげ

られずに子どもにストレスが溜まるようなとき、新聞の折込チラシのよ

うないらない紙をいっぱい預けて好きにさせると言っていた。すると子

どもは半日でも紙をビリビリに破いて遊び、それがいいストレス解消

になるのだそうだ。

今からもう20年以上も前、東京生まれで田舎のない私は、夏休みで

帰省する友人と一緒に、彼女の実家のある高松に行った。もう今とな

ってはどうやって行ったのかさえ憶えてないが、新幹線で岡山あたり

まで行って、さらにローカル線でどこかまで行き、連絡船で瀬戸内海

を渡って高松にやっと着いたのがもう夜で、駅まで迎えに来ていた彼

女の母のクルマに乗ってさらに30分。乗り継ぎが悪くて大幅にタイ

ムロスしたこともあって、なんだかんだで8時間くらいかかったように

思う。着いたらもうくたくただった。それでも友人の家は不動産と土木

建設の会社を営んでいて、建てたばかりの会社兼自宅の自社ビル

は、まるでホテルにでも泊まっているみたいに快適だったし、友人の

母は男並に仕事をしていて放任主義だったから、私たちが朝寝坊し

ても何も言わず、たいそう居心地がよかった。香川と言えば言わずと

知れた讃岐うどんの国だけれど、どこに行ってもうどん屋だらけなの

も東京っ子の私には物珍しかった。それにその味ときたら! 

高松に着いて初めて友人と入ったうどん屋で食べた釜揚げうどんの、

なんとおいしかったこと! ただ茹でてどんぶりに入れただけの熱々

のうどんが、なんでこんなにおいしいのかと思った。しかも安い。

彼女の母は仕事の合間にクルマで時々私たちをどこかに連れて行っ

てくれたけれど、うどんが格別おいしいと言われるところにも連れて

行ってくれた。これも場所の名前すら憶えていないけれど、高松市内

と瀬戸内海が一望できる山の上にあって、確かお寺もあったと思う。

そこで3人でうどんを食べた。それはごく庶民的な質素な食堂みたい

なところで、メニューはザルうどんと釜揚げうどんだけ。店の人にどち

らか言って受け取ってセルフで運び、テーブルに置いてあるトッピン

グを好みで自分でかけて食べる、というもの。特になんの変哲もない

うどんなんだけれど、これがまたおいしいんだな。

食べた後、見晴台みたいなところから高松を一望した。空は晴れて

青空だったけれど、瀬戸内海は思っていたほどきれいじゃなかった。

と、そのとき見晴らし台の柵のところに、何やら札が貼ってあるのに

気づいた。白いなんでもないお皿が5枚ヒモでくくってあって300円と

か500円とか。何に使うのかと思ったら、その皿を何事か言いなが

ら1枚1枚山の斜面に向かって放り投げて割るのだそうだ。つまりこ

れもストレス発散、小さな破壊衝動を充足させる行為と言えようか。

当時の私たちは若くて、労働の本当の意味さえ知らず、恋は選ぶも

のだったからそれほどのストレスを抱えることもなく、皿を投げて割る

こともなかった。その頃はのほほんとしたお嬢だった友人も、いまや

1日たりとて経営のことが頭を離れないという女社長だし、お互い歳

をとった今では、皿の5枚くらい割ってすっきりしたいこともひとつや

ふたつはあろうかと思う。

今日は夕方、私がうっかり疲れてうたた寝をしているときに父が来て

孫の好物の肉やら果物やらを持って来たらしい。冷蔵庫を開けたらお

肉が3パックも入っていたので、今夜は『肉きざみうどん』にした。

Udon_01_2 

濃いめにとった鰹だしに、酒・醤油・塩を入れて味を調え、油抜きした

油揚げと肉の細切りを入れ、煮えたところに斜め切りしたネギをぱっ

と入れ、茹で上がって器に入れた熱々のうどんの上にかける。

Udon

できあがったのは東京人とも思えぬ関西風のうどん。つゆは薄めの

色ながら、だしが効いてしっかりした味。麺類の味はだしの出来に尽

きる。今日は生麺を使ったこともあって、我ながらたいそうおいしゅう

できました☆

そのうえ先日、京都の奥座敷は貴船にオフ会に行った凛さんから、

お土産でいただいた祇園『原了郭』(はらりょうかく)の薬味なんぞを

かけたものだから、ちょっと高級なおうどん屋さんに入ったような気

分でありました。

Yakumi

凛さま、おいしかったよん。どうもありがとう♪

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2007年9月11日 (火)

雨のベランダで

07evelyn15

静かな雨の朝で始まった今週、今日も途中から雨が降り始めた。

今日は気温も上がらず、半袖では肌寒いようだった。

ひと雨ごとに、の言葉通り、日に日に秋らしくなるこの時期。

この雨は今週いっぱい続きそうだけれど、秋をいちばん最初に好

きになるのは、金木犀の香りを感じたときだ。気持ちよく晴れた秋

の日、気づいたら、一瞬にしてあたり一面にひろがるその香り!

ベランダに出て久しぶりに咲いた薔薇を見ながら、町中が金木犀

の香りで満たされるその瞬間を、今から思っている。

早く雨がやめばいい。

Perle_des_jardins03

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2007年9月10日 (月)

秋に聴くボサノヴァ

Planos_3   

誰に見られるともない草原で、人知れず風に揺れている儚げな花、

山の上の清らかで透明な水。

私がパトリシア・ロバートの歌を聴いて感じるのはそんな印象だ。

彼女の歌い方はとても自然で、どこにも負荷がかかっていないような

その声には、うまく歌おうとか自分を前に出そうとかいう我はいっさい

感じられず、過度の感情表現もない。一抹の哀愁を帯びてただ飄々

と淡々と風に散ってゆく花びらのようなその歌声は、日に日に大気が

涼感を増し、音の響き方がクリアーになってゆく秋にこそふさわしいよ

うな気がする。

実はこの『プラーノ』というアルバムとは去年の夏に出会い、アップし

そびれたままになっていた。あれから1年。月日の経つのはなんて早

いんだろう。1年中季節を問わずブラジル音楽を聴いている私だけれ

ど、このアルバムはなぜか秋にしかほとんど聴かない。あまりにも透

明でストイックな世界観と、大人の雰囲気を持つその音を思い出して

CDを手に取るのが、いつもこの季節だということなのだけれど。

このアルバムジャケットを飾る美しい男女は、ヘナート・モタ&パトリ

シア・ロバート夫妻。『プラーノス』はこの夫婦からなるデュオの3作目

のアルバムになる。2人はミルトン・ナシメントが育ったミナス・ジェラ

イスの出身で、ライナー・ノーツによればリオ・デ・ジャネイロ生まれの

リオっ子と、ミナスで生まれたミネイロの間には大きな違いがあると

いう。前者カリオカたちが街っ子らしい快活さと饒舌さと独特のリオ訛

りで喋るのに対して、ミネイロは発音・発声の美しさを持ち、その話し

方や物腰はとても優雅で穏やかなのだそうだ。そこには強い美的感

覚、美意識があり、街とは違う時間の存在があるという。それは彼ら

の音楽を聴いただけでも充分に理解できるけれど、2人が自己分析

したことによると、そのミネイロ気質は冬には摂氏10度を下回る気

候と、四方を山で囲まれた雄大な自然によって作られたものだという

ことだ。私はいままで友人の家庭を見るにつけ、一家に2人物書き

はいらないし、ミュージシャンもいらないと思ってきたけれど、お互い

の出会いを『ギフト・オブ・ライフ』と表現するこの2人には当てはまり

そうもない。限りなく理想的なカップルだ言えそうだ。ギターを弾きな

がら歌うヘナートと、ガンザ(筒状のマラカスみたいなの)やパンディ

ロ(タンバリンのようなもの)を操りながら歌うパトリシアの歌声は、

絡み合いながら飛ぶ2匹の美しい蝶のようだ。冬の前奏曲のような

短いこの季節を、軽やかに舞ってほしい。

****************************************************

秋に聴くボサノヴァといえば、今月24日、滋賀県大津市にある石山

寺で行われる秋月祭にて、清水翠ちゃんは Duo sonorosso のおふ

たりとライブをやるそうである。私は行けないのがとても残念だけれ

ど、お近くの方はぜひお出かけください。地上には灯篭の灯り、天上

には月、なんて幽玄なロケーションでお月見をしながら聴くボサノヴァ

もまた、この時期だけの風流! 

詳しくは彼女のホームページにてご確認のほど →  清水翠HP

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2007年9月 9日 (日)

重陽(ちょうよう)

Cyouyou

今日は予定がひとつキャンセルになったので、思い立って母のお墓

参りに行った。昨日、母の誕生日。生きていれば74歳。

私はいわゆる仏花というのがあまり好きじゃないので、お墓参りであ

ってもいつもはその季節の好きな花を買って行くのだけれど、今日は

重陽とあって菊の入った仏花らしい花を買って行った。

>重陽とは、陰陽五行説における最も縁起の良い陽の数、九がふた

つ重なる、という意味。昔から中国では奇数が陽数字、偶数は陰数

字とされ偶数より奇数が良いとされたが、そのいちばん大きな陽の

数である九がふたつ重なることから、九月九日を特別にお目出度い

日として「重陽」の節句と呼んで祝った。日本でも平安時代には宮中

の年中行事として菊の宴が催されたが、現在残っているのは、三月

三日、五月五日、七月七日の節句だけである。<

ということである。そして、この重陽というのは風水学的には大事な

金運アップの日でもあって、この日は黄色のピンポンマム(ぽんぽん

咲きの小菊)をいけると良いというので、せっかくなので仏花の中に

混ぜてもらった。こんな花です ↓

Kiku_2

8月が終ると今年ももうカレンダーを4枚残すばかりで、この時期、世

帯主の私としてはいつになく一気に現実的な気分になってしまう。

もうすでに今年を無事に、そして来年を安心して気持ちよく迎えるた

めにはいま何をすべきか、なんてことを考え始めていて、良いと言わ

れることはなんでもやってみよう!というスタンスです。

風水を何かのおまじない、なんて思っている方、侮るなかれ!

風水はれっきとした科学です。

ちなみに今月は重陽から始まり、満月である27日まで金運アップの

日は続くそうなので、家の中に何かひとつ、風水を取り入れてみるの

もいいかも。

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2007年9月 7日 (金)

嵐の後

Arashi

ここでこんなことを書いたのが本人にバレると後でクレームがくるか

なあと思いつつ書いてしまうと、いつか友人の家に行ってトイレに入

ったら、トイレの壁がぼっこり凹んでいた。この家って鉄筋コンクリー

トのはずなのに、これだけ凹むにはそうとう力を加えないとこんなに

は凹まないだろうと思って、出てから「トイレの壁がぼっこり凹んでた

けど、あれどうしたの?」と訊くと、友人はバツが悪そうに、「堪忍袋

の緒が切れて、怒りにまかせてやっちまった」と言う。「マジで? 足

で蹴ったわけ?」と訊くと、「拳固で」とパンチする真似をする。

「バカだね。あれだけ壁が凹んでるってことは、手はどうなっちゃった

の? 血まみれかい?」と訊くと、「ところが驚いたことに、このマンシ

ョンって思った以上に安普請だったのよ」、自分でもあんなに簡単に

穴が開いちゃうとは思わなかったからびっくりしちゃった、なんて言っ

ている。私のまわりにいる女たちは激しい。

いつかも別の女友達から「どうして、そうきちさんは自分を傷つけて

る人間をそんなに気遣うの。相手の都合なんか考えることなんてな

いから、夜中だろうがなんだろうが相手のところに押しかけて行って

言いたいこと言えばいいんだ!」と責められた。そういう彼女は恋

人が部屋から出て行った後、目の前にあった等身大の鏡を怒りに

まかせて粉々に割ってしまった、という。私など、現場を想像するだ

けでおそろしい。トイレの凹みくらいなら後で自戒の種になっていい

かも知れないが、いったいそんなことをして、一瞬気持ちがすっきり

したところで、その後その割れた鏡を始末するのも自分なら、よけ

いに惨めになったりしないのかと思うけれど、彼女曰く、なるけれど

そういうときは後先のことを考えずに感情にまかせてやってしまうん

だ、と言う。ある種すごい。私はおよそしない。

私はいつも子供に「人間が猿と違うのは理性があるからだ」と言って

きたし、「物を壊すのは心を壊すのと同じこと」と結婚した相手に言い

続けてきた。言葉であれ力であれ、暴力の後にははっきりとした傷が

残る。それが嫌で自分を抑制する私はかなり抑制のきいた人間だと

は思うけれど、私にだってやり場の無い怒りというのはどうしてもあっ

て、それは文字通りやり場無く自分の中に溜まり、時として自分自身

をスポイルする毒になる。

台風が東京を直撃した昨日の夜は凄かった。

物凄い雨と風と、始終何かが飛ばされたり壊れたりする音で朝まで

なかなか寝つかれなかった。そのせいか、おかしな夢をいっぱい見

た。目覚めてからも憶えていたのはふたつだけ。

ひとつは、はっきり誰とわかる相手を大声でなじっている夢だった。

おまけに怒りにまかせて手もあげていた。夢の中でもしっかり自分

が力をこめるのがわかって、夢の中でも自分がそんなことをするの

が信じられなかった。でも人を殴り慣れていない人間というのは平

手にしても拳にしても相手に当たらずに掠めるばかりで、それさえ

もひどく口惜しくもどかしかった。

夢は現実の補足行為。

目が覚めて、どこかから「もういいでしょう」という声が聞こえた。

「もう気が済んだでしょう。次の場所に行きなさい」「Next!」

そしてもうひとつの夢は、2段ベッドのような高いところに5歳くらい

の私の息子が座っていて、その横にさらに小さい3歳くらいの全身

誇りまみれの汚い(でも可愛い)男の子が座っていて、その子を抱

き上げようとしたら息子が、「その子を抱っこすると汚くなるよ」と言

う。汚くなってもいいよ、と言って抱っこすると、小さな子どもの温か

さがふわっと伝わり、私の耳にやわらかな頬があたって、私は愛し

さでいっぱいになった。それは最近、誰かの音楽を聴いて感じた優

しい気持ちにも似てる。

台風はもう過ぎ去ったのか。

雨は上がったけれど、相変わらず暴風が吹き荒れている。

台風は浄化で禊。この汚れきった日本を浄化するためにやってきた

んだ。夢もまた癒しで浄化。確かに私はもう次の場所に行けるように

なったんだと思う。11日は新月だ。

私も次の場所に行こう。

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2007年9月 6日 (木)

9月の薔薇

Etoile_de_lyon_07

外は嵐でも9月の薔薇は咲く。

今日、最強だと思ったのは、蝉と大工さん。

雨がちょっとやむたびに蝉は今を限りと鳴き続け、家の外壁のリフォ

ームをしている大工さんたちは、どんなに雨が激しくなっても仕事をや

めなかった。足場が滑って危なかろうと思うのに。

黄色い薔薇の花言葉は嫉妬。私には薄い感情だ。

現実に恋に堕ちることも嫉妬の感情を抱くことも滅多にないけれど、

音楽が好きなばかりに、音楽を聴いているうちにいつの間にかそれ

をやっている人を好きになってしまうことがたまにある。おとといそれ

に気づいて、恋かもしれない、と思った。

でも、たとえそう思ったとして、それが現実に会える相手であっても、

会って確かめたりはしないほうがいいんだと思う。

たぶん、錯覚だから。

それでも、そんなことを思いつつ久しぶりにタロット・カードなど出して

このひと月のことを占ってみたら、5番目のカード、恋愛運を示す位置

に『Lovers』のカードが出てしまった。潜在意識とは如何なるものか。

いま、私のベランダには上のエトワール・ド・リヨンと下のルイ14世し

か咲いてない。次の薔薇のピークまで、あとひと月と少し。

先ほどから風がだいぶ強くなってきた。

この台風のダメージが最少限に終ることを祈る。

Louis14_01

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台風9号とマーラーの5番

Mahler5_3

おとといあたりから台風の影響で変な天気が続いている。

曇っていたかと思ったら急に晴れ、かと思えばまた急に暗くなって大

粒の雨。そのまま空が明るくなって天気雨になり、おまけに晴れたら

いきなり暑い。こうなると地面から湯気が立ち上るようで、外は湿度

120%の蒸し風呂状態。最悪。

ダイニングルームのフローリングの床がこれだけベタベタするという

ことは、そうとう湿度が高いのだろうと思われる。

さらに今日は台風9号が近づいて、朝からめっきり荒れ模様。

朝、暗くなったなと思ったら、凄い音を立てて横殴りの矢のような雨

が降ってきた。久しぶりの物凄い雨。でも、ここまで激しく降られると

返って気持ちいい。台風だ! なんだか心が騒ぐじゃないか。

それで朝、マーラーの5番を聴いた。

こんな嵐の天気にはぴったりな曲。でも実はこの叔父からもらった写

真のCDは、もともと廉価の輸入盤のため盤質が悪かったのか、それ

とも私が聴きすぎたためか、最後のクライマックスあたりで音がひず

んでしまうようになってしまった。あまりに残念なのでもう捨てようと思

って横によけておきながら、捨てられずにいたCDなのだ。代わりに、

もう1枚持っているニューヨーク・フィルの方をかけて聴き始めたのだけ

れど・・・

耳の記憶というのは確かなもので、何かが違う。圧倒的に。最初のト

ランペットの音からして違いすぎるじゃないか。それで途中で音がお

かしくなるのを承知しつつこのCDをかけたら、凄い。これがニューヨ

ーク・フィルとウィーン・フィルの違いなのか、それとも若かりし時の解

釈と晩年の解釈の違いなのか。最初のトランペットの暗く枯れた、で

も鋭く深い味わいに始まり、優美さ、スケール、音の厚み、コントラス

ト、うねる波のように次々に打ち寄せる、めくるめく超美メロの連続。

なんてドラマティックなんだろう!

久々に聴いてまた背中からぞくぞくしてしまった。

聴けばきっと誰でも知っている、限りなく美しいアダージェットが有名

なこの曲も私の定番で、『夏の終わりとマーラーの5番』とでも言いた

いくらい、いつも夏の終わりにはかならずきまって聴きたくなる1枚。

暗いトランペットの音で始まり、重く引きずるような葬送行進曲は、夏

が逝くのにふさわしい。そして夏の嵐のように激しい第2楽章。爽や

かな夏の朝のように始まる第3楽章。それはいつしかウィーン風の舞

踏会、真夏の夜の夢になり、しだいに円は激しく回りながら弾け飛び

集束。そして、ゆるゆると静々と衣ずれのように始まる、この上なく官

能的で耽美的な第4楽章アダージェット。もう、ここまでくると陶酔の

極地。これほどまでの安らぎがいったいどこにあろうかと思う。永遠

にこのフレーズの中に閉じ込められてしまいたくなる。けれど何にで

も終わりはやってきて、最終章は思いのほか晴朗な牧歌的な歌で始

まり、なだらかな山々の丘陵を思わせる展開、幾度となく第4楽章の

主題を繰り返しながら賑やかに盛り上がって、やがて終幕。割れるよ

うな拍手と歓声とブラボーの嵐!

驚いたことに全曲通して聴いて、どこにも難は無いのだった。

あれほど何度も歪みの位置を確認していたのに何故だろう?

ちなみに、このCDにはジャケットの写真が1枚はさんであるだけで、

音源についての記載は何もない。でも、Amazon の中を見ていたら、

多分これだろうと思われる。

聴いてみたいと思った方はご参照されたし。↓

コメント欄を見てゆくと、そこには『美しい。本当に美しい。音楽で、人

間がこれほどまでに叙情的になり、感動に浸れるなんて、生まれて

きて本当に良かった・・・』なんてコメントがあって、これは全然大げさ

じゃなく、それを知ってしまった人にとっては音楽は一生手放せない

ものになる。世の中には聴かず嫌いの人が多いと思うクラシックだけ

れど、それじゃあまりにもったいない。

Mahler: Symphony No. 5 [from US] [Import]

Mahler501 

外は相変わらず断続的に激しい雨が降り続いている。

さっき、ほんのちょっとの小止みの間に買い物に行ったら、帰りに思

いきり降られてしまった。それでも頭の中ではまだマーラーが鳴って

いて、激しいっていいなと思う。

私もドラマティックがしたいなあ!

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2007年9月 3日 (月)

落としブタ、です。ブヒ!

Otoshibuta_01

天気予報では最高気温が30度まで上がって、6日ぶりに夏日が戻

ってくると言われた今日、日中わずかに晴れ間はあったものの、予報

は見事にハズレて今日も涼しかった。

こう一気に秋めいてくると夏の間は食べたくなかった煮物なんかも食

べたくなってくるわけで、久々に作ってみました。里芋とイカの煮物。

私はこれでもベテラン主婦なので、新メニュー以外はレシピを見るこ

となんてこともなく、全ては目分量、感覚だけの料理ですが、たまに

作り慣れた料理も他人のレシピ通りに作ってみるのも新鮮なので、

以下、ネットでみつけたレシピです。

****************************************************

◆材料:里芋 1袋(500グラムくらい) 

     イカ  1~2ハイ

     だし汁 1カップ  醤油 大さじ1 砂糖 大さじ2分の1

     酒、みりん、共にカップ3分の1

1、里芋を洗って皮を厚めに剥き、大きいものは適当に切る。

(私は持ち手の付いたボールにザルを重ねて洗った里芋を入れ、

そこに熱湯をかけてしばらく置いておきます。こうすると剥きやすい)

2、イカは中のワタと軟骨を引き抜いてよく洗い胴体は輪切りにする。

  足は吸盤をこそげ落として適当な長さに切る。

3、里芋を鍋に入れて、ひたひたくらいにだし汁を入れ、点火して沸騰

  したら酒とみりんを入れ、また煮立ったらイカを入れてアクを取り、

  更に煮立ったら砂糖を入れて、落とし蓋をして弱火で10分。

(でもって、ここで私はいつも落とし蓋なんてしないのだけれど、たし

 かいつか若い女の子が家に遊びに来たときにお土産で持って来て

 くれたオモシロ落とし蓋があったよなぁ、と探してやってみたのが上

 の写真なのだ。)

4、里芋に竹串を刺して、すっと通ったら、ここで醤油を入れ、鍋を軽く

  揺すって全体に味が均等になるようにする。焦げ付かないように

  注意しながら、さらに煮ること数分。火を止めて味を馴染ませる。

****************************************************

はい。とってもおいしく出来上がりました。里芋とイカの煮物。

力技、瞬間芸の中華の炒め物なんかに較べると煮物は得意中の得

意なんである。ご飯は先日ハンタさんに教えてもらった、炊きあがっ

たご飯に大葉の千切り、たたき梅、ゴマ、(たくあん無いので省略)、

茗荷の千切りをたっぷり混ぜた茗荷ご飯。厚揚げのホイル焼き、お

豆腐となめこのお味噌汁で、さっぱり秋ご飯です。

Nimono_2

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2007年9月 2日 (日)

スイカをたべた。

Suica

「スイカってまだ売ってる?」

と娘から訊かれたのがおととい。

「まだ売ってると思うよ」と言ったら、「スイカが食べたい」と言うので、

今日のお昼に買って来た。なんでも学校の畑のスイカは終ってしま

ったのだそうだ。

今年の猛烈に暑かった夏休み、娘は実習やら畑の水遣りなどで10

日も学校に行くことがあった。それで実習で何をやっていたかという

と、ほとんどが草刈りに穴掘り。穴掘りというのは、収穫が終って枯

れたきゅうりの苗を引っこ抜いて、その後を掘り起こして耕してそこに

施肥をする作業。それを炎天下の畑で延々やらされるのだから、キツ

かったと思う。汗と泥にまみれての作業で日焼けもさることながら、

蚊に刺されまくってボコボコの手足になって帰って来た。それでもた

まに作業の後に畑で作ったスイカを食べられたりして、それがとって

も甘くておいしかったらしい。

今朝は窓を閉めてタオルケットだけで寝ていたら肌寒いくらいの陽

気だった。昼間になっても曇天のまま気温は上がらず、とてもスイカ

を食べるって感じじゃなかったけれど、それでも山形産のスイカは甘

かった。アルバイトと実習で明け暮れた娘の夏休みも今日で終わり。

明日からまた学校が始まる。

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2007年9月 1日 (土)

残夢

Semi_cyan_02

9月になった。

猛烈な暑さだった今年の夏が、一気に終息するかのように涼しいここ

数日。東京の残暑はこんなものではあるまいと思いながら、すでに秋

の風情。こう一気に気温が下ると身体がついていかない、なんてこと

も起きてくる季節の変わり目、皆さまにはご自愛いただきたいが、そ

んなこともあってか、今日目覚めたら11時半だった。11時半!

いつもなら食事をし終わったくらいの時間だ。いつもスイミングクラブ

に行く日はたっぷり7時間眠って、泳ぐ2時間前までには食事を済ま

せておくのが決まりなのに。慌てて起きて、やかんにお湯を沸かす。

ホット・サンドを作る。ラジオから『マイ・フェイバリット・シングス』が流

れてくる。う~ん、秋にぴったりの音だ。でも清水翠が歌うマイ・フェイ

バリット・シングスのほうが100倍いい。ああ、あなたにも彼女のマイ

フェイバリット・シングスを聴かせてあげたいな。

プールバッグを肩にかけて部屋を出たら、階段のところに蝉の屍骸が

転がっていた。かつてはこういうのを見ると憐れに思ったものだが、

今はそうも思わない。地中にいた時間に較べて地上で陽を浴びてい

た時間がいかに短かかろうが、蝉は精一杯がんばった。いまは力尽

きてすっきりしていることだろう。全ての死はこうあるべし。

またもや1週空きになってしまったクラブに行くと、月替わりでコーチ

が変わっていて、今月は子供みたいに若い男のコーチだ。ひたすら

クロールばかり泳がされる。ここ数ヶ月痛みのある右肩が上がって

ないと指摘される。やっぱり泳ぎにも出ちゃってたか。ヤバイな。これ

が40肩とも50肩とも言われるやつの兆候なのか? と思いつつ、

医者も病院も大嫌いなので行かない。

帰って来て食べながらも珈琲のことばかり考えながら食事をする。

ものの味も音の聴こえ方も、季節と季節の大気に連動していると思う

けれど、珈琲がしみじみおいしいと感じたらもう秋なのだ。ジャズが聴

きたくなってビル・エヴァンスを聴いた。ジャズもいろいろあれど、音を

聴いた瞬間に、まるで長年通っている古い馴染みのカフェのいつもの

席に着いたときのようにほっと落ち着くのはビル・エヴァンスだけだ。

いろいろ聴くけれど、結局ここに帰って来てしまう。そういう音。どうし

てこんなに落ち着くのかわからない。タイム・カプセルのようなビル・

エヴァンス・マジック。それから清水翠のマイ・フェイバリット・シングス

を2回聴いて、彼女の生きかたの流れを変えたという、マイルス・デ

イヴィスの『Kind of Blue』を聴いた。

「マイルスにとっては"Kind of Blue"は駄作なんだってさ」

と息子が言う。

「なんで?」

「ラフマニノフに影響されて作ったアルバムだからだってさ。それはつ

まりビル・エヴァンスに影響されたってことと同じで、ビル・エヴァンス

無しにはできなかったアルバムだから、口惜しかったんじゃないか」

「ほぉ・・・」

昨日、息子は5時半からのレッスンだったのに、妙に帰りが遅いなと

思っていたら、先生のA氏に飲みに誘われて居酒屋に行ったらしい。

息子も私同様アルコールが駄目なので、「アイス・ウーロン茶でいい

です」と言ったところ、「まあ、そう言わずに飲みな」と言われてレモン

ハイを半分だけ飲んだと言っていた。それを聞きながら、いいセンセ

イだな、と思っているハハなのです。

6時半でもう真っ暗。静寂のなかに深々と聞こえる虫の声。

秋だ。

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