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2007年8月29日 (水)

a night of dog days

Umessyu

暑いですねえ、と50ccのオートバイに乗って青年が遊びに来た

夕方から急に蒸して、仕事をする気にもならなかったので

ウィスキーを少し飲み、ベッドに引っくり返っていたところだ

めしは、ときくと、いいです、じゃ水でもお飲み

冷蔵庫からフリーザー・ポットを出し、コップに一杯注いでやる

コップはたちまち薄い霧に包まれ、それだけが涼しげ


にんげん、年とると、なぜボケるんでしょうかね、と青年がきく

なぜかな、ぼくのおやじも、死ぬ二、三年前から大分ボケた

とっても可哀そうだけど、しょうがないんだな、家族にとっちゃ

大問題、世間にとっても今や核持込み以上の難問だよ

それから詩人某君、某某君などのじいさん、ばあさんの話

どうすりゃボケなくなるんでしょう、さあね、分かんねえな


頭を使えとか、本を読めとかいうが、それで本当にシャンとす

るか

あんまし信用できねえな、そうですね、肉体だけいやに丈夫で

頭がパーって、おれもあんなになるのかと思うと、ゾーっとしま

すが

神さまにでも祈るんだねえ、こないだ新聞に、エリート高校生の

テレビ座談会があって、ある生徒が「役に立たない老人なぞ、

政府が法律で殺すべきです」

てなことを発言したと出ていたけど


そのTV、見た? いいえ、へーえ、すげえなあ、ほんと?

ほんとらしいよ、このアホガキめ、てめえが死ね、と思ったけど

その生徒、うちに垂れ流しのわがまま老人がいて、それで家じ

ゅう苦労してるんで、正直に感想を述べたのかもしれねえな

しばし沈黙、扇風機、低くうなり、部屋の隅にかたまった

新聞がはたはた鳴り、青年は水をごくりと飲み下す


まったく年をとるのってむずかしいな、おいおい、おれもそろそろ

じじいだぜ、いやだな、やめてよ、あした、いっしょに泳ぎに行きま

しょう、スイミングか、もう十年も泳がないけど

だいじょぶ、自転車とおんなしです。第一、そのおなか引っ込めな

きゃ、とつぜん鳴りひびく金管楽器の大音響

なんです、あのワーグナー? うん、下の二十歳くらいの


坊や、クラシック好きらしい、へーえ、変わったやろうがいるんだな

青年は近ごろ少し飽きてきたけれど

ニュー・ミュージックのファン、どっちが変わってるか分からないが

ああいうのが年とるとボケるの、といったので、こちら

思わず吹きだしちゃった、やがて、彼、帰り、闇の中で、

いつか、ぼく、

春のあさけ、夏のまひる、秋の夕べ、冬の夜も、と唄っている


(北村太郎/詩集『犬の時代』より『a night of dog days』)

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夏の終わり。

夏といえば北村太郎だ。

こんなことをここで書いたところで、独り言を言うのと同じで、どこか

らも相づちさえ返ってこないことはわかっているけれど、でも言う。

昔、なんだか妙に気になって本屋に入ると、かならず北村太郎の詩

集が出ているということが何度かあって、私は「呼ばれている」と思っ

た。まるで遠くにいる恋人から久しぶりに手紙が届いたみたいに嬉し

かった。だから、私がここに北村太郎ことを書くのは、私がまだ彼の

ことを忘れてないということを言うためだ。誰に、って北村太郎に。

頭のおかしなヤツだと思われるかも知れないけれど、グレン・グール

ドの嬉々としたピアノを聴いても、北村太郎のこんなリアルな詩を読

んでいても、また生きているジスモンチのピアノを聴いていたって、私

には信じられないのだ。人が死んで、跡形もなく何も無くなってしまう

とは。たぶん、コラソンみたいなものは残っていて、目に見えないだけ

で、思いのほか近くにいるような気がする。からだ、なんて重いもの

に縛られていないぶん、それはどこにでも瞬時にいける。たぶん私の

近くにも。だから、伝え続ける。

夏は異形たちが住む季節。

秋はもっと現実的にやってくる。

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追記:昨日、『ソウル』と書いたところを『コラソン』に変えた。

コラソンとはポルトガル語で、心。

ソウルより、スピリットより、いまの私にはしっくりくる。

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コメント

なぬっ!?
私は北村太郎といえば、読んだ詩集が「冬の当直」だったせいか北村太郎といえば冬です。(単純)

むぅ~・・・人それぞれなんだなぁ~と改めて実感。
「犬の時代」を探して読んでみたいと思いました。

投稿: roro | 2007年8月30日 (木) 20:20

roroちゃん、
驚いた・・・
ここに北村太郎を知ってる人がいたなんて。
しかも『冬の当直』を読んでいたなんて。
嬉しい。
それだけで昨日ここにこれを書いた意味があったね。
私がここでroro ちゃんに出会ったのは運命だ!(^-^)
ぜひお会いしてみたくなりましたよ。まじで。

北村太郎のイメージは確かに冬でもありますね。
そのペンネームからしても。
厳密には夏と冬の両方。
でも、私が初めて読んだ、新聞に載っていた北村太郎の詩は、『梅雨まで』という初夏の詩でした。
それで、たぶん詩集はぜんぶ持ってると思うけど、たくさん読んでいくうちに、私の中では夏の詩のほうが生き生きと印象的になったんだと思います。
北村太郎は夏の海で家族を亡くしてる。
そして一見とても理性的な人に見えるけれど、情熱ゆえに人生を棒に振った。人生を棒に振ったかわりにたくさんの詩集をものにしました。もちろん私はその生き方を肯定してます。
『犬の時代』というより、新選現代詩文庫の『新選北村太郎詩集』を読んだらいいと思うな。
文庫本で安いし、8つの詩集から選ばれた詩が載ってるから。
ざっと俯瞰できます。

さて、読み終わってroroちゃんにとって北村太郎は夏の人か冬の人か。
楽しみだね。

投稿: soukichi | 2007年8月31日 (金) 00:07

コラソン・・・コマソンかと思ったら違ったね!しつれい〜(^^:)
ま、死ぬ前にいろんなところへ自分のウイルスをバラまいておこう!
ね?そうきち〜。

投稿: カルロス | 2007年8月31日 (金) 02:27

こんにちは。
センチメンタルジャーニーという題名だったか、私は北村太郎の自叙伝にまず出会いました。
純粋がゆえに近くに寄れば寄るほどナイフのように人を傷つける、北村太郎がそんな人に思えて、今まで詩なぞ全く興味がなかったにもかかわらず、探し回ってようやく手に入れたのが「冬の当直」だったのです。
この詩集しか読んでいないので、私の中では「北村太郎=(何故か)北海道の冬の荒れた海」のイメージが定着してしまっていました。
そうきちさんはこの方の詩集を全部持っているとは!すごい!
もう絶対「新選北村太郎詩集」を読んで見ねば。

くふふ。。世の中に偶然はひとつもない、全て必然だと言うじゃないですか~
私が引き寄せられるようにここのブログにたどり着いたのも必然なのでしょうね。


投稿: roro | 2007年8月31日 (金) 18:41

カルちゃん、
君がばら撒くのはもっと違うものなんじゃないのか~?
あやしいぞ。
私はウイルスなんか撒かないさ。
そこはかとなく気配みたいなものを残したいだけ。

東京もすっかり涼しくなっちゃって、『a night of dog days』
も終ったね。
東京の夏はそんなに簡単に終らないとは思うけど。
8月も今日で終わり。
私は今日も1本書こうと思ったけど、なんだか面倒になっちゃった。

投稿: soukichi | 2007年9月 1日 (土) 00:00

roro ちゃん、
『センチメンタル・ジャーニー』が最初に読んだ本か。
そういう人もいるんだねえ。
ああいう本は詩を読んだ人が詩人そのものに興味を持って読むものかと思ってた。逆もありなんだね。
北村太郎は穏やかで理性的な感覚主義者で、詩の語り口も同様だけれど、だからといって平凡で普通の人かと言ったら違う、実はデモーニッシュな部分を持った人です。で、詩がとても色っぽい。理性的な人の色っぽさ。そこに惹かれる。
ああ書いておきながら最近本屋に行ってないのでわからないのだけれど、新選現代詩文庫、手に入るといいね。廃盤になっていないといいけど。いまでも北村太郎が好きなのかどうかわからないけれど、
うちに来ればいっぱいあるので、ど~ぞ。
ともあれ、ここで北村太郎について語り合える人がいたことは驚きでした。詩人のボスが、私なんかをして文学の話ができるのはお前だけだというのがわからなかったけど、なんかちょっとボスの気持ちがわかった気がするな。

そうね。
全ては必然だねー

投稿: soukichi | 2007年9月 1日 (土) 00:36

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