« モーツァルトを聴く人/谷川俊太郎 | トップページ | 母の恋文 / 谷川俊太郎 »

2007年1月11日 (木)

ふたつのロンド

Inokashira_05

六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた

古風な折りたたみ式の燭台のついた母のピアノが最初だった

浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた

ケッヘル四八五番ロンド二長調

子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律

ぼくの幸せの原型


だが幼いぼくは知らなかった

その束の間が永遠に近づけば近づくほど

かえって不死からは遠ざかるということを


音楽がもたらす幸せにはいつもある寂しさがひそんでいる

帰ることのできぬ過去と

行き着くことのできぬ未来によって作り出された現在の幻が

まるでブラック・ホールのように

人の欲望や悔恨そして愛する苦しみまでも吸い込んでしまう

それは確かにひとつの慰めだが

誰もそこにとどまることはできない


半世紀以上昔のあの夏の夜

父がもう母に不実だったことを幼いぼくは知らなかった

    *

五分前に言ったことを忘れて同じことを何度でも繰り返す

それがすべての始まりだった


何十個も鍋を焦がしながらまだ台所をうろうろし

到来もののクッキーの缶を抱えて納戸の隅に鼠のように隠れ

呑んべだった母は盗み酒の果てにオーデコロンまで飲んだ

時折り思い出したように薄汚れたガウン姿でピアノの前に座り

猥褻なアルペジオの夕立を降らせた

あれもまた音楽だったのか


その後口もきけずに物も食べられず管につながれて

病院のベッドに横たわるだけになった母を父は毎日欠かさず見舞った

「帰ろうとすると悲しそうな顔をするんだ」

CTスキャンでは脳は萎縮して三歳児に等しいということだった

四年七ヶ月病院にいて母は死んだ


病室の母を撮ったビデオを久しぶりに見ると

繰り返されるズームの度に母の寝顔は明るくなりまた暗くなり

ぼくにはどんな表情も見分けることが出来ない

うしろでモーツァルトのロンドイ短調ケッヘル五一一番が鳴っている

まるで人間ではない誰かが気まぐれに弾いているかのようだ


うつろいやすい人間の感情を超えて

それが何かを告げようとしているのは確かだが

その何かはいつまでも隠されたままだろう

ぼくらの死のむこうに


(谷川俊太郎/詩集『モーツァルトを聴く人』より『ふたつのロンド』)

|

« モーツァルトを聴く人/谷川俊太郎 | トップページ | 母の恋文 / 谷川俊太郎 »

日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« モーツァルトを聴く人/谷川俊太郎 | トップページ | 母の恋文 / 谷川俊太郎 »