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2006年11月30日 (木)

JAZZことはじめ

Alone_1 

私が初めてジャズのレコードを買ったのは、19のときだったかハタチ

のときだったかもう忘れてしまったが、初めて買ったのがこのビル・エ

ヴァンスの『アローン』だった。

当時、高田馬場駅前の通りの角にあったレコード屋『ムトウ』で、『美

の極致』、『究極のリリシズム!』なんて帯のかかったビル・エヴァン

スの数あるレコードの中から何故これを選んだのかも、今となっては

定かではないけれど、たぶんレコードを買う前からジャズ喫茶などで

よく聴いていたビル・エヴァンスを、トリオではなく純粋に単体のピアノ

の音だけで聴いてみたかったからだと思う。

私は何をするにしてもいつもコアなところから入ってしまうようなところ

があって、このアルバムも初めて買うジャズのレコードとしては重い

内容だった。文字通り、孤独の中で自己と対峙し、心の奥深く降りて

ゆくような ・・・

このアルバムを買って以降、ビル・エヴァンスのアルバムはどんどん

増えていったけれど、私がいまの暮らしの形になる最初の引越しの

時に、レコードというレコードは全て手放してしまった。いま思うと、叔

父が私にくれたとっておきのアルバム(ジャケットはポートレイト・イン

・ジャズのあのお馴染みのエヴァンスの写真で、中身は1961年に

ビレッジ・ヴァンガードで、ポール・モチアン、スコット・ラファロの黄金

のトリオで行われた奇跡的な演奏を2枚組みにしたもの)だけはとっ

ておけばよかったと思う。あのアルバムは長いこと私の精神安定剤

だったばかりか、私にとっては思い出のアルバムだった。この先、

誰かに話すこともなければ書くこともない、特別な思い出の。

そんなわけでいま私の手元にあるのはCDだけなのだが、先日たま

たまAmazon で安く出品されているのを見つけて、この『アローン』

を再び買った。そしてこのCDを聴いた瞬間、なんともいえない懐か

しさに捉われてしまった。これを聴いていた当時、友人がやっていた

ロックバンドの写真を私が撮っていたこともあって、自分が撮ったそ

のモノクロの映像と共に、まるで封印された過去の時間が煙になっ

て立ち昇ったかのような。坂の途中にあった喫茶店でお茶を飲んで

いたときに窓に映った、背中にギターを背負って早稲田のスタジオに

向かうSの後ろ姿や、慌てて店を出てそれを追いかけたこと、そのと

きの夕暮れの光の感じや空気感など全て。それらは全て私の『LOS

T』を象徴するものだ。

私はこのアルバムの中でもことさら『A Time For Love』が好きだけ

れど、昔さんざん聴いたその曲を、20年以上も後になって清水翠の

歌で聴くことになろうとは。彼女はビル・エヴァンスの『A Time For

Love』は聴いたことがないと言うけれど、今回あらためてこのCDを

聴いたら、清水翠の曲の解釈(感情の盛り上げ方など)がエヴァンス

に近いことに気づかされた。

友人の医者によれば、DNAとはオンとオフのスイッチがずらっと並ん

だコントロール・タワーのようなもので、その切り替えのチョイスを間違

えずに選ぶことが人生をより良く生きることだそうだが、人生において

しばしば間違った選択をしてしまうと思っている私の選択も、あながち

間違いとばかりは言えないのかもしれない。

今夜、これから久しぶりに清水翠のライブに出かける。今日になって

駄目もとでメールで本人にこの曲のリクエストをしたら、信じられない

ことにOKの返事がきた。今夜はビル・エヴァンスを彷彿とさせるよう

なリリシズムあふれるピアノを弾く西村和彦氏とのデュオなのだ。

西村和彦のピアノでこの曲が聴けるなんて!

神さま! 至福の至り。

Alone_001

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2006年11月28日 (火)

冷めない関係

Nezumi_cyan

日曜の午後から降りだした雨が昨日1日続いて、今日も雨。

気温はまだそれほど低くはないのだろうけど、家の中でじっとしてい

るとやっぱり寒く感じます。パソコンの前にいて、温かい飲みものが

欠かせない季節。

週末に、先々週、友人の結婚式のために香港に行って来た会社の

女性からお土産が送られて来ました。香港のお茶と共に、その中に

入っていたこのネズミちゃん。これは日本のソニープラザで買ったも

のらしい。東京 → 大阪と離れた環境で、まだ一度も会ったことは

ないけれど、いつも電話やメールで仲良くやりとりしている彼女。

ソニープラザで見つけて、「あまりにかわいいので使っていただきたく

て同封しました」と、カードにありました。

このネズミちゃんを見た瞬間、これは(小学生のときに学校でネズミ

を捕まえて、こっそり学童保育のロッカーで飼って以来)ネズミ好き

の息子が好きそうだなあと思って見せたら、案の定あげることになっ

てしまった。ふだんは超生意気で斜にかまえてカッコつけてる息子

の、思いのほか嬉しそうなにこにこ顔を見ながら、18歳といっても

やっぱりまだまだ子供なんだなあと思った次第。

このネズミちゃん、温かい飲みものが入ったカップの上に載せてお

くと、飲みものが冷めないというしろものです。

 かわいいネズミの hot keeper くん。

 あたしの恋にもこんなのが欲しい。

Nezumi_cyan_01

これは昔、私が息子にプレゼントした、ビスケットに載った陶器のネ

ズミ。小さいけれど作家もの。

Nezumi

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2006年11月27日 (月)

冬の粉粧楼とマチルダ

Funsyourou_01

冬のバラの開花は、気温が下るごとに秋バラよりさらにスローにスロ

ーになってゆきます。咲けないまま終ってしまうつぼみもある。

でも冬の冷たい大気の中で咲くバラは、白い息を吐きながら走って来

る、女の子の薔薇色に上気した頬みたいに、ふだんにも増して繊細

になり、優しくなるように感じられるのです。

Fuyuno_matilda

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2006年11月26日 (日)

父と紅葉を見に行く

Kouyou_2

昨日土曜日は、少し前から父に誘われていた紅葉を見に行った。

私の父が連れて行きたいのは本当は孫なのだけれど、もう孫も18

歳と14歳ともなると、そうそう一緒にはついて行かない。いつも父と

子供との間で板ばさみになってしまう私。いいかげん父も学習してく

れないかなあと思うのだけれど、これがなかなかわかってもらえない

のだな。いきおい、じゃあやめるかとフテクサレル父に、私も土曜日

は朝寝坊してスイミングに行きたいところを、妹と3人で行こうよと提

案。妹も何やら用事があると言っていたのをやめて行くことになる。

そして当日の朝、さて、どこに行くの? と訊いたら「小河内ダム」だ

と言う。小河内ダムなんて懐かしいなあ。うんと小さい頃に父と行っ

たことがある。母がポンコツ乳母車と呼んでいたグリーンのクーペに

乗って。これがほんとにオンボロなクルマで、急な坂道の途中で必ず

エンストしてしまうのだ。母と2人でクルマを降りてよく押したっけな。

途中、御岳山 を通りかかり、寄って行くか? と言うので行くことに。

滝本駅から出ているこんな急勾配を上ってゆくロープウェイに乗って。

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途中、降りてくるロープーウェイと擦れ違い、所要時間6分。

御岳山駅が見えてきた。

Kouyou_11

御岳山駅の頂上から見た景色。

紅葉はまだまだだけれど、すっきりとして気持ちのいい眺めです。

Kouyou_01

さあ、そしてせっかくここまで来たのだから御岳神社にお参りに行こ

う、なあにすぐ近くだから、と言う父とともに大きな焼き団子など食べ

つつ歩き始めた我々。最初に見えてきた鳥居。

Kouyou_06

が、しかし、この先が実に長くて大変なのであった。

ちょっと間違ったら下まで転げ落ちてしまいそうな急勾配の坂道を、

なんたって御歳75歳の父が登るのだから。危ないったらありゃしな

い。おまけに父ときたらガンコでちっとも人の言うことは聞かないし。

これは登ったらいいけど帰りはどうなるの~と言う妹と不安になりな

がら更に上へ。途中、こんな茶屋が。茶屋ではなくてカフェですって。

Kouyou_10

大根にほおずき。

こういうのを見て妙に懐かしいと思うのは日本人のDNAか。

Kouyou_12

さらに行くと、かやぶき屋根の旅荘や商店街が見えてきて、その

お土産物屋で売られていた藁草履。

Kouyou_13

こんな風情のあるお風呂屋さんまで。

Kouyou_20

そして、ますます急になって足もとが悪くなる坂を登って、ラストに長

い石段を上がり、はあ ・・・、ついにやっと。着きました!

(いったい、どこがすぐ近くなんだ!)

御岳山頂上にある、武蔵御嶽神社。なかなか立派な神社です。

Kouyou_05_1

詳しいことは、観光ガイドのHP にまかせるとして。まずはお参り。

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武蔵御嶽神社からの眺望。

Kouyou_15

そして、上りより更に大変なのが下り坂。

父が転んでは大変と気を遣いつつ、すっかり冷え切った身体を温める

べく、さっきの商店街で『新蕎麦あります』の札がかかった、なかなか

雰囲気の良いお蕎麦屋さんに入る。店内では蕎麦打ちの実演をやっ

ていて、出てきたお蕎麦は予想を裏切る美味!これは山かけ蕎麦。

Kouyou_18

さっきケーブルカーを降りた地点まで戻る頃には3時を回っていて、

気温もすっかり下り、疲れた父がガンコに乗らないというのをしかた

なく置いて、妹と2人で御岳山駅からリフトでさらに上の展望食堂を

往復すること数分。この日はこれで帰ることとなったのでした。

Kouyou_17

『親孝行したいときには親は無し』とはいうものの、年老いた親につき

あうのも大変。私は今日日曜は仕事で、すっかり疲れ果てました。

最後は長くなったついでにおまけ画像。道端に咲いていた野アザミ。

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2006年11月25日 (土)

今夜のみかづき

Mikaduki

私の息子が今よりもっともっと小さい男の子だった頃に、

「おかあさんて、おつきさまに似てる」

と、言われたことがある。

「お月様? なんで? どこが?」

と、訊いたら、

「白く、ぼおっと発光してるみたいなところが」

と言われた。

しかも満月ではなく、みかづきなんだそうだ。

『三日月は片想い』なんて歌の歌詞もあるくらいだし、三日月って

なんか寒そうな、ちょっと不幸そうなイメージじゃないか?

なんて、そのときは思ったけれど、

そういえば子供のとき、自分の母から、

「おまえは笑うとみかづきみたいな目になるね」

なんて言われたことがあったっけ。

夜空を見上げて、そんなあれこれを思い出してる、夜。

今夜はしんしんと冷えてます。

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2006年11月24日 (金)

可憐な十月桜

Jyugatsuzakura

今年もまた会えたね。

まるで枯れ木に花を咲かせたような

こんな季節になって咲く

ちょっと風変わりな君に。

Jyugatsuzakura_01

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2006年11月23日 (木)

11月のベンチ

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本格的に寒くなるにはまだちょっと時間があるし

とはいえ人は少ないし

11月のベンチで

君と何を語ろう

ポットの熱い珈琲でも飲みながら

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2006年11月22日 (水)

女に / 谷川俊太郎

Tanikawa_shuntarou

谷川俊太郎はきわめて平易な言葉で詩を書く。

だからといってその詩が単純で簡単かというともちろんそうではなく、

むしろそこに含まれているものにはこわいくらいのリアルさがあって

同時に謎は解けない謎のまま美しく存在し続ける。

残酷な朝日に隅々まで無機質に照らし出される部屋のように、自身

をどこまでも曝してしまう酷薄さ、曝してしまえる強さを持ちながら、

なお弱々しい少年のように夢見ることに飽きない。

世の中の人のどれだけが谷川俊太郎の凄さをわかっているかどうか

知らないが、私にはただ凄いとしか言いようがない。

昨日の朝、たまたまラジオから流れてきた高村光太郎の詩をここに

アップして、夜はこの詩集で終ろうと思ったけれど、うまく書けないの

でやめた。結局どんな(つまらない)文章であっても、それらはひとつ

ながりの思考の果てに出てくるもので、直前までまったく違うことを考

えていて書けるものではないんだなあと思った。

この『女に』は、谷川俊太郎のわずか数行の短い詩と、彼の3人目の

妻である佐野洋子のエッチングとのコラボレーションからなる詩集で

これもまた純愛詩集であると言ってよいと思う。ここには職業詩人と

いう稀有のポジションを確立した谷川俊太郎が、晩年になって奇跡

的にたどり着いた純愛の姿が単純きわまりない、けれど仮借ない言

葉で美化されることなくリアルに描かれている。高村光太郎の詩集と

最も違うのは、詩のなかの2人が現実に生身の人間として生きて、

今後もけして美しいとは言えない老いを曝しながら、死へ向かって生

き続けることだ。私の友人は谷川俊太郎の言葉はあまりにリアルす

ぎて好きになれないと言った。私もときに谷川俊太郎の言葉に吐き

気さえ覚えながら、でもその動向を追わずにはいられない。詩人の人

生とはなんと酷薄なものだろう。生きた足跡がそのまま言葉となって

残される。前妻との安寧の日々も、父の葬式の陰で繰り広げられて

いた女との修羅場も、離婚した妻に寝床の中で言われた捨て台詞も

みんな ・・・

そんなことも全て包括した上でこの詩集を読むと、いかに2人の出会

いが運命だったかがわかる。私たちはふだん『運命』なんて言葉は

大げさすぎて使うことはないけれど、この世に起こることに何ひとつ偶

然は無いということを考えるなら、あなたがいま惰性で一緒に過ごし

ていると思っている相手とだって、きっと運命だったのかもしれない。

今日11月22日はいい夫婦の日だというから、あなたのより良き余

生に、幸あれ!

最後にこの中から好きな詩を。

もし愛し合った2人が同時に死んで、一緒に焼かれることがあったら

火葬場の煙突から立ち上る煙はこんな風かな、と思う。

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 後世


 きりのないふたつの旋律のようにからみあって

 私たちは虚空とたわむれる

 気まぐれにつけた日記 並んで眠った寝台 

 訪れた廃墟と荒野 はき古した揃いの靴

 地上に残した僅かなものを懐かしみながら

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2006年11月21日 (火)

朝の光り

Asanohikari

あなたはだんだんきれいになる


おんなが付属品をだんだん棄てると

どうしてこんなにきれいになるのか

年であらわれたあなたのからだは

無辺際を飛ぶ天の金属。

見えも外聞もてんで歯のたたない

中身ばかりの清冽な生きものが

生きて動いてさつさつと意欲する。

おんながおんなを取りもどすのは

こうした世紀の修業によるものか。

あなたが黙って立っていると

まことに神が造りしものだ。

時時内心おどろくほど

あなたはだんだんきれいになる


(高村光太郎著 『智惠子抄』より)

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2日続いた雨が上がって、今朝は気持ちよく晴れた。

朝の清冽な空気のなかで、ラジオから突然この詩が流れてきたとき

感嘆符『!』が頭に落ちてきたみたいだった。

時を経て胸を打つ、光り輝く愛の言葉。

初冬の朝陽の中で今日咲くバラと。

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2006年11月20日 (月)

寒いね。

Room_shoes

昨日、東京は初冬の冷たい雨で、なんだか急に一気に冷えてきたか

ら、娘の足もとにハロゲンヒーターを持って行ったら、いつもは裸足で

いる子が、去年義理の母が送って来て一度も履いたことのなかった

ルーム・シューズを履いていた。

早く履いたらいいのにね(^-^)

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2006年11月19日 (日)

別れのかたち

Funenowakare

日付が変わって30分過ぎた。

さっきエントリしたテキストを書き終わった後に、まだしつこく例の

文章を探していて、やっと見つけた。

エッセイのタイトルは『別れの作法』でも手法でもなく、『別れのか

たち』、であった。私は今まで記憶力だけは良いと思ってきたの

に、ついにそれさえ駄目になってきたか。もちろん、少々とりすま

した感じのする前者よりはこちらのほうが詩人らしくていい。

せっかくやっと見つけたのだから、私が気に入っている文章の終

わりの数行をまた引用しておこうと思う。


わたくしは情緒的な別れは嫌いだが、船の別れはなかなかいい

ものだと思う。埠頭の人と船の人との間隔が徐々に広がっていけ

ばこそ、テープが生きてくる。送る人、送られる人の感情の自然

な高まりが、テープの伸びる速度にちょうど見合っている。そして、

あ、と思う間にテープは切れ、水面に落ちて、どんな激しい感情も

長続きしないことをいやおうなしに教えてくれる。こんな人間的な

別れのかたちは、ほかにはちょっと思いつかない。


書きそびれたが、一応書いておくなら、前のテキストで引用した文

章は『港の人』という出版元から出ている『樹上の猫 / 北村太郎』

で、こちらは思潮社から出ている『すてきな人生 / 北村太郎』であ

る。ちなみに写真は探しに探してフリー素材からいただいた。

これで私もすっきりして眠れる。

それでは、おやすみなさい。

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2006年11月18日 (土)

冬の楽しみ

Neko_sweater

朝からふと思いついて、北村太郎の随筆にたしか『別れの作法』とい

うタイトルのものがあったと探しているのだがいっこうに見つからな

い。食事のときにも片手に書棚から引っ張り出した本を眺めながら

食べていた。そんな風に今すぐ調べたいものがあると本を読みなが

らだったり、音楽を聴きながら食事をしていて、ときどきその音楽に

乗って一緒に歌ったり踊りったりしてしまう私は、もちろんいつもでは

ないけれど、家庭での食事のときの行儀はあまり良いとは言えな

い。子供の頃は箸の上げ下ろしから母に口うるさく言われた。なので

そんなとき私は自分自身に、「歌いながら食べるんじゃありません」と

か「踊りながら食べるじゃありません」と口に出して言う。変な母親だ

が子供はいつものことでもう慣れっこになっている。私は食事は楽し

くするもの、と思っているので母ほどうるさくは言ってこなかったが、

うちの子供の食事の作法は悪くない。話はそれたが、結局、『別れの

作法』は見つからず、人間の記憶なんて実にいい加減なものだから、

きっとエッセイの中で別れについて書いた一文をそのままタイトルと

勘違いしただけなのかもしれないし、実際にこのタイトルだったかさえ

定かではないと思ったが、その内容について少し触れると、それは

船の別れについて書いたものだった。

子供の頃に洋画の中に出てくるシーンで、私も子供ながらに憧れた

が、船が出航すると、船に乗った人と埠頭にいる人とが持ったテープ

が徐々に引っ張られていって、そしてついにプツッと切れてしまうあ

の別れのシーンだ。想いがある人間同士の間でのことなら、どんな

関係であれ、嫌が上にも胸を引きちぎられる様なシーン ・・・・・・。

ここでまた話が脇にそれてしまうが、昨日、タモリがやっているミュー

ジック・ステーションと言う番組を見ていたら、子供みたいな若い女の

子のバンドが出てきて、携帯電話を川に流してしまって嘆きながらも

「こんなもので繋がっていたなんて」と歌う歌詞が耳に入ってきて、若

い子がそういうことに気づくのはいいと思った。「こんなもので繋がっ

ていた」のではなくて、実際には「こんなもので繋がっている気がして

いた」だけなのである。昔、電話でプロポーズしたり別れを切り出した

りというのにびっくりしていたが、今は電話の肉声でどころかメール1

本でそういうことをやる。信じられない。そういう輩に『別れの作法』だ

の手法だの言ってももう通用しないに違いない。やれやれ。私も仕事

で使うことでもなければ携帯なんか川に捨てたいくらいだ。「どうやっ

て君を捕まえたらいいんだ」と聞かれたら、「あなたの野生の本能で

探し当てて捕まえて」と言いたいね。女友達のMならさしずめ「そうち

ゃん、キザ。」と言うだろうが、ちっともキザなもんか。

さて話は大幅にそれたが、目当てのエッセイが見つからなかった代

わりに本をぱらぱらやっていて、『冬の楽しみ』という文章を見つけた

ので少し引用したい。この文章は、「冬。だいすきである」という書き

出しで始まる。


衣 - セーターくらい好ましい衣類はない。わたくしは身に着けるも

のは量質ともに構わぬほうで、だから衣装持ちならぬ、衣装なしとい

うのか衣装持たずというのか知らないが、安くて実用的な衣類を最小

限度所有しているにすぎない。ところがセーターだけは手編み、機械

編み合わせて十着ある(これぱっかり、衣装持ちからいわせれば憐

れむべき少数だろうけれど、いまのわたくしにとっては大変なぜいた

くなのだ)。むろんセーターは秋口から春さきまで着るものだが、”最

盛期”は冬。寒さの程度に合わせて、とっかえひっかえ着るのを、わ

たくしは冬のささやかな楽しみとしている。セーターのどこがすきなの

か、ときかれれば、その手ざわり、匂い、と答えよう。誤解を恐れずに

いえば、エロチックな味わいがすきなのである。


私もセーターが好きだ。特に肌触りが良くて猫のようなセーターが好

きだ。気に入ったものばかり着てしまうから、セーターには毛玉が付

き、洗う頻度も多ければくたくたにもなってくる。去年、もう寒い頃に

恋人と植物園にバラを見に行って、道を歩いているときに「おい」と言

うから何かと思ったら、セーターの袖のつなぎ目を指さして「穴あいて

るぜ」と言う。そんなセーターをデートのときに来て行く私もどうかして

いるが、それくらいそのセーターが好きだったというわけなのだ。

15で出逢って、私は今に至るまでずっとこの詩人を愛してきたが、

それは他ならぬ、限りなく自分と似た感覚を共有できたことにあり、

それは長い人生のなかでもそうそう滅多にあることではないと思う。

だから、何がしかの感覚を共有しあった相手なら、たとえ別れのとき

でも礼を尽くすのが本当じゃないかと私は思うのだが、こんな時代で

はそれさえもう甘いと言われようか。

写真は私が猫セーターと呼んでいるカシミヤのセーターで、私はこれ

と同じものをキャメル、チャコールグレーと色違いで持っているが、い

ずれくたくただ。冬の間は外出のとき以外はデニムの上にこのセータ

ーをとっかえひっかえ着ている。着たきり雀やカラスよりはちょっとマ

シくらいなものである。

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2006年11月17日 (金)

色っぽさについての考察

Antique_2

このバラはもう1週間以上も前に切って一輪挿しに挿したバラだが、

月曜日にもういい加減いいだろうと思って捨てようとして、まだ花び

らが散る気配もないので捨てがたくなって、また水を替えて挿して

おいた。それからまた1週間近く。

キッチンに立つと視点の先にいつもあるので、つまり私はこの花の

切りたてから今に至るまでをずっと見てきたわけだけれど、そうや

って毎日同じ花を見ていると、だんだん花の心がこちらに以心伝心

してくるように思えるから不思議だ。切りたてのときに較べてこの花

が美しくなくなったかというとそうではない。むしろ日に日に色っぽさ

を増しているように思えるのだ。それに気づいてしまったから、私は

この花が捨てられなくなってしまったのではないか。

切りたてはもっとバラらしい容姿をしていた。花弁は巻いていて、色

はもっと濃いピンクだった。それが日に日にゆるくほどかれて、まっ

すぐなような、それでいて放心したような瞳も露わに、徐々に淡く淡

く退色していって、その様を色っぽいと思って眺めている私がいる。

このあたり、人の色っぽさの秘密にも通じるものがあるように思われ

る。若い頃の色っぽさというのは、どこまでも生体そのものの持つエ

ネルギーの健康的な放射であって、とてもフィジカルなもので、そこに

はそれほど風情というものは感じられない。けれど年を経るごとに哀

しみも喜びも濃くなり深くなり、そして更に淡くなりして複雑さを増して

ゆく人の心ほど色っぽいものがあろうか。年をとったあなたは実にた

くさんの味を知っているのだ。

そして色っぽさを構成するファクターは多い方がよい。単細胞だったり

無機質だったり合理的だったりロジカルだったりインセンシティブだっ

たりするのは色っぽくない。つまりお酒も煙草もやらないという男より

はやる男の方が色っぽいし、女の前では絶対に涙なんか見せないと

いう男よりは泣く男の方が色っぽい。アフターファイブの過ごし方がい

つも決まっている女よりはいくつも楽しみ方を知っている女の方が色

っぽいし、いろいろな顔を持っている女の方が色っぽい。

バラも同じで、日々、季節ごと、時間ごとに違う顔をしている。

そんな思いでバラを眺めている私は男のような女のような複雑な気

持ちだ。つまりバラを見ている私の視点は限りなく男なのだが、そう

やって、たった一輪の花を蕾のときから散るそのときまで見ていられ

る男がどこにいようか、と思う私は女である。しかして人の心とは複

雑な ・・・。バラに魅せられてしまった人というのは、他の花には無い

この花だけが持つ特別な何か気づいてしまった人ではないだろうか。

そして少なからずそこから何かをもらっている。そんな気がする。

今朝も何気なくこのバラを見たら、「もう、いいでしょ?」と言った気が

するので、明日にはもうさよならしようと思う。ありがとうを言って。

Antique_01jpg

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寒い!

Souvenir_de_la_malmaison

今日は朝から寒い。

空がどんより曇って陽射しが無いせいか、午後になっても気温がぜ

んぜん上がらない。こんな日は、スーヴニール・ド・ラ・マルメゾンも

クール・ビューティーといった風情。

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2006年11月16日 (木)

バラの種を撒いた

Mishou

今日は良く晴れたけれど陽射しは以前より弱くなり、大気はひと晩で

冷たさを増した。日に日に冬が近づいてくる。

寒いのは好きじゃないけれど、頭がどんどんクリアーになってゆくよう

な、この冬の大気の爽やかさは嫌いじゃない。

今日はバラの種を撒いた。

原種にオールドローズにイングリッシュローズといろいろ。冷蔵庫にし

ばらく入れておいたものから、収穫したてのものまで。水に浸して沈

んだものが充実した種で、それを撒くのが良いのだけれど、もともと

2、3個しかない種類のは浮いたものも撒いてしまった。かがんで小

さな種を撒いていると子供の頃を思い出す。毎年、夏が来る前、朝顔

の種を撒いた。いつ芽が出てくるかとわくわくして待った。かわいい双

葉が出てきて、やがて本葉になる。伸びてきた蔓を支柱に絡ませる。

ミルキィキャンディーのようなストライプの長いつぼみがついて、つい

に花が咲くまで、夏の日のお楽しみ。

朝顔の種のようにすぐに出てくればよいのだけれど、バラの種はそう

はいかない。今から撒いても早くて2月か3月、品種によっては更に

数ヶ月出てこないものもあるらしい。それにルイさん によると、実生

に初めてトライした1回目の年は全滅だったというから、あまり期待

しない方がいいかもしれない。種を撒いて土をかけて、たっぷり水を

やった後に、土が乾かないように腐葉土で覆った。あとすることは、

発芽まで土が乾かないようにたまに水をやるだけ。

種からできた花のことを実生と言って、実生のバラは普通に芽接ぎ

や切り接ぎでできた花より姿、形も大きさも劣るけれど、実生のバラ

には素朴な美しさがある。もしこの中のひとつでも私の生まれた2月

に発芽して、花が咲くところまでいったなら、そのときには自分の名

前をつけようかな。私は待つのは苦手だから、水遣りだけ忘れない

ようにして、基本的には忘れてしまおうと思うのだ。忘れた頃に腐葉

土をほっこり持ち上げて、かよわくも逞しい双葉が頭をもたげたら、

それこそギフトじゃない? と思う。

Mishou_01

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2006年11月15日 (水)

今年も、ひとつだけ

Gramis_04_2

去年、弱った木に、たったひとつだけついたバラのつぼみ。

去年よりはずっと元気になったバラの木に、今年もまたひとつだけ

花が咲きました。朝陽を浴びて純白に輝くグラミス・キャッスル。

花の大きさこそミニチュア・ローズくらいしかないけれど、あたりを満

たすような強いミルラの香り。大好きなバラの香りです。

そして今日、見つけた白の山茶花。

バラにも劣らぬ、繊細な美しさ。

心が震えるような冬の白。

Shironosazanka

Shiro_sazanka_01

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2006年11月14日 (火)

思いつかなくて

061114sky

今日は朝から気持ちよく晴れたので、部屋中の窓を開け放して、しば

らく怠けていた掃除を徹底的にやった。それから香を焚いて全ての場

を浄化した。これでまた良い気が入ってくるだろう。

今日はとても暖かくて、でも予報によれば明日からまた寒くなるとい

うから、仕事の合間に今日も1鉢だけバラの植え替えをした。

スタンダード仕立てのコンスタンス・スプライ。

最近、教えてもらった、目からウロコのやり方で。

鉢から木を引っこ抜いたら、根でいっぱいになった下の部分を、まる

で『大根を切るように』切り取る、というやり方なのだけれど、この木

は私の背丈よりも高くて引っこ抜くのに苦労した。私にとってこれは

特別なバラで、ブログで話題のバラ愛好家御用達の高価な培養土

を買うことも考えたけれど、バラにお金をかけ始めたらキリがないし、

お給料日前の耐乏生活を思ってやめにした。代わりに久しぶりに自

分で土の配合をやった。名づけて『そうきちスペシャル』。貧乏は愛

で補うってことで。12号のテラコッタに植えつけて、株元にはビオラを

植栽した。私のベランダから花がまったく無くなった真冬の間も、この

ビオラがささやかな彩りを添えてくれるに違いない。

買い物に行こうとして、子供が小さいときにさんざん世話になった小

児科の前を通りかかったら、まるで紙で作った作り物のような大きく

て可愛い山茶花が咲いていた。

こんな一日のことを書いて今タイトルを付けようと思ったら、いつに

なく何も思いつかなくて。

Sazanka_4_1

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追記:昨日、バラの株元に植えたのはこんな感じです。

    テラコッタの鉢から、あふれんばかりのビオラ!

Biora_01_2

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2006年11月13日 (月)

木枯らし1号吹いて

Chige_nabe

なんだか急に寒くなってきた日曜の夕方、いつもは「何食べたい?」

と聞いてもぶっきらぼうに「なんでもいい」と言う息子が、「今日はチゲ

鍋が食べたい♡」と言うので、日曜はこの冬初の鍋となった。

今年は毎日、暖かい暖かいと言っていたと思ったのに、ついに夕飯

に鍋が登場するようになろうとは。

それで、端にちらりと見えているのは『レンコンのはさみ揚げ』です。

最近、私はレンコンにハマっていて、『なぜかレンコン♪』という演歌

の歌詞が書けそうなほどなのだけれど、レンコンはきんぴらにしても

鶏の唐揚げをしたときに、ただ薄切りにしたのを素揚げするだけでも

おいしい。そして食べ始めるや否や「むむ、これってお酒に合うメニュ

ーなんとちゃうのん、なんだか無茶苦茶お酒が飲みたくなってきた」

と、ご飯を食べていたにもかかわらず、キッチンの流しの下に隠して

おいた(?)ブランデーをオンザロック(氷もなぜかいい氷♪)にして

持ってくる始末。・・・ いつも最初のひと口は大変おいしい。

こう書くと実は私は酒飲みなんじゃないのと思う方もいるだろうけど、

いえいえ、ほんとに飲めないのです。私がなぜブランデー好きかと言

うと、たぶん最初に口にしたときの印象と、あまりに少しだったので後

で具合が悪くならなかった記憶のせいだと思うのだけれど、飲む、と

いうよりチビチビやっている限りは悪酔いすることもないのです。

とはいえ、食事が終る頃にはすっかり赤い顔になっていて、気持ちよ

く、というよりものすごく眠くなってきたので、「夕飯にお酒を飲むと後

片づけが億劫になる」という女友達の言葉を思い出して、睡魔にやら

れてしまう前に、しゃかりきに後片づけをしたのでした。残ったお酒を

キッチンで立ったまま飲みながら。

(これじゃキッチンドリンカーだね、まったく。)

・・・ というわけで、以下ご飯のおかずにも、お酒のおつまみにも合

う、レンコンのはさみ揚げレシピ*

Renkon_01

1.レンコンは洗ってピーラーで皮を剥いて薄切りにして酢水に入れ

    てアクを取る。

2.ボールに入れた鶏ひき肉(120g~150g)に、みじん切りにした

    ネギ(2分の1本)、卵黄(1個分)、酒(小さじ1)、味噌(大匙1)、

    塩・コショウ少々、片栗粉(大匙2)を入れて、よく混ぜ合わせる。

  レンコンの枚数にあわせて等分しておく。

3.レンコンの水気を切って、片面に薄く分量外の小麦粉をつけ、2で

  混ぜ合わせておいた種をはさむ。

4、小麦粉(大匙4)、片栗粉(大匙4)、冷水(120cc)をサッと混ぜ

  合わせた衣(薄めの天ぷら衣でもOK)にくぐらせて170度の油で

  色よく揚げる。揚がったら油を切って、半分に切って器に盛る。

  醤油で練りカラシを溶いた辛子醤油でいただく。

いたって簡単、でもおいしい。息子も「ああ、おいしかったー」と言いな

がら、若い熊のように食卓を去って行ったのでした。お試しあれ!

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大苗の植え付け

Oonae_03

11日に途中経過をアップした大苗の植え付けが以上のように終了。

左が10号鉢、右が12号鉢。12号鉢は見てのとおりデカイ! 

この違いっていったい何? 土だって17リットルも入ってしまうのだ。

しかも、これでも苗には大きすぎるとは言えなかった。

接木をしてあるコブの下まで土を入れるには、かなり上まで土を入れ

ないと根が隠れない。いやはや ・・・

植え替えに大苗の植え付けと、重労働の作業は来月末まで続く。

下は、買ったときにツボミが1個ついていたのが咲いて以来、この秋

初めて咲いたオクタビア・ヒル。きわめてスローな成長力。

枝の先に大きなツボミが4つもついて、こんな大きな花が房咲きにな

ったら、どんなことになるんでしょう ・・・

Octavia

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2006年11月12日 (日)

秋のローズカフェ

Rose_cafe_02_3

11月だというのに半袖でもいいくらい陽射しが暑かった日の朝、思

い立ってローズカフェに出かけた。今回も早朝とはいかなかったけれ

ど、開店少し前に着いて、いつものようにガーデンを見せてもらう。

春ほどではなかったし、すでに秋のピークも過ぎた感はあるにしろ、

いつもながら気持ちの良いガーデン。秋の陽に輝くバラたち ・・・

Rose_cafe_08_2

プロスペリティーのアーチ。

Rose_cafe_11_2_1

超房咲きのバラ。

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いつ見ても無邪気なアンジェラ。このバラを見るたびに私はジョビン

の『ANGELA』が頭に流れてしまう。

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なんというブルースカイ!

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ひと通りお庭を見せてもらった後で、この日はめずらしくレストラン

が空いていたので、ローズカフェで初めてランチをすることにした。

これはココット・セット。

そしてオープンエアの気持ちよいテラスで食事を始めたら、おかしな

ことってあるもので、目の前を見たことのある女性が通り過ぎた。

Rose_cafe_2

彼女は相変わらずスポーティーで、私が知っている頃から見ても老け

たようなところもなく、むしろすっきりしてきれいになった感じだった。

私には頭の中で気にかけている女性が何人かいて、彼女もその1人

だった。でも彼女と会わなくなってもう何年も過ぎていたから、すぐに

名前が出てこずに私は携帯の中に入っている名前を探さなきゃなら

なかった。彼女とは友達という関係でさえない。私がテニスコートで

働いていた頃そのクラブの会員だった人で、辞めた後にトーナメント

のドロー表を見に行ったときに彼女と偶然出くわした。彼女は私の顔

を見るなり「よかった!」と言った。「あなたが辞めた後、どうしてももう

一度会いたいと思ってフロントであなたの住所を訊いたけど、教えて

もらえなかったの。もう2度と会えないかと思った!」

ふだん特別、人に興味を持つことも執着を抱くことも滅多にない私は

やけに大げさだな、と思いながら、乞われるままにメールアドレスを

交換した。その後、テニスコートが見えるレストランでお茶をしたり、

私の家に来て、靭帯を切ってテニスどころか仕事さえできなくなった

彼女の悩みを聞いたりした。私は自分のところに来る人にはかなり

手厚くしているつもりなのだけれど、私からすると一方的で理不尽な

ことが理由で彼女とは疎遠になった。以来4年? 

食事の後にショップの中を見ながら彼女の姿を探したら、彼女は『予

約席』という札のある席に女友達と一緒に座っていた。

彼女も私に気がつくと表情が止まり、声をかけてきた。

「お久しぶりね」で始まる会話を少しした後、彼女が身を乗り出して、

「そうだ」と言った。「私、離婚したのよ」。・・・ はあ。そういうことか。

それはいつのこと? と聞いたら7月だって言う。「まだついこの間

じゃないの」と私は言った。「わかった。今日はお連れのお友達も

いらっしゃるから、後でメールします」と言って、彼女の新しいアドレ

スを携帯に入れて、バラの肥料を買って店を出た。

私はときどき思うのだけれど、人の縁ってなんなのだろうと思う。

縁あって知り合って大事にしていても終ってしまうときは終ってしま

うし、この日みたいに滅多に行かないカフェで偶然にも一度切れた

ように見える縁とまた繋がってしまうときもある。私の好むと好まざ

るとにかかわらず ・・・

彼女とはもう一度くらい会って話すことになるかもしれないなと思い

ながら、ローズカフェを後にした。

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2006年11月11日 (土)

11月の朝

2006oonae

今日は久しぶりの雨の朝。

でも、まだそれほど寒くない。

昨日の夜、京成バラ園 からオーダーしていたバラの苗が届いた。

朝の5時という早朝のメールで、でも届くのは今日だと思っていたの

に、なんという速さ。バラ農園で働く人たちは早朝から日の暮れまで

外で働いて、この時期は夜遅くまで発送に追われているのだろう。

土がまったく付いていない裸苗の状態で届いたので、さっそく昨日の

うちに用意しておいたローズポットに植え付けを始めたら、1本植え終

わった段階で、もう1本は10号鉢でも入らないことが判明。

フロリバンダなのに10号鉢でも入らないとは!

実は昨日、早朝に来た発送メールを受けてすぐにドイトにローズポット

と土を買いに行ったのだけれど、あいにくいつも買っているグリーンの

10号鉢が切れていた。困り果てて売り場から友人に電話したところ

たまたま友人のところに10号鉢がちょうど2つ余っているというので

それを譲ってもらってラッキー! と思っていたのに ・・・・・・

とりあえず鉢に入らなかった苗は水に漬けて今日のところは終了。

明日またドイトに鉢と土を買いに行かねば。

今日はこれから、またもや2週間ぶりになってしまったスイミング。

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追記:

午前中はスイミングに行くので焦って上の記事をアップしたのだけれ

ど、もう少し付け足して書くと、今回買ったのは下のバラです。

これは、数々の賞を受賞しているという『アンドレ・ル・ノートル』。

Andore_01_1 Andre 



京成バラ園のHPの説明によると、『やわらかい杏色の大輪花を次々

に咲かせる芳香の素晴らしいグランディフローラタイプ』とある。

四季咲きのフロリバンダ・ローズでありながら、強い芳香を持つアン

ティーク・タッチのバラ。そして、もうひとつもアンティーク・タッチのフ

ロリバンダで、今期の新作、『ハニー・キャラメル』。

Honey_caramel_2   

同じく説明には、『こくのあるキャラメル色とディープカップの花形が

大変個性的かつ魅力的な品種。カップ゚咲きの中は、小さな花弁が

ぎっしりつまっています』と書かれている。2本ともほとんどこの見た

目に惹かれて買ってしまったのだけれど、実はどちらも高生種でか

なり丈が伸びるバラだから、あまり鉢植え向きとは言えない。だから

昨日ドイトで10号鉢が在庫切れと言われたときには、その上の12

号鉢を買おうかとも思ったのだけれど、12号鉢って赤ちゃんの沐浴

ができるんじゃないかと思うほど大きいのです。直径30cmの鉢が

10号鉢なら、12号鉢は直径38cmもある。そんなのをいくつも置い

たら私の狭いベランダはすぐにいっぱいになってしまうではないか。

せめて、いきなり8センチも大きくなるんじゃなくて中間の33とか35

cmのがあればいいのに。実際、育ててみたらどんどん大きくなって

しまって私のベランダでは持て余す、というようなことにもなりかねな

いかなあ、などと思いつつも買ってしまったのこの2本のバラ。

私は基本的にはイングリッシュローズとオールドローズ、それにミニ

チュアローズがあればいいのだけれど、それだけだとどうしてもベラ

ンダに花が全く無い時期ができてしまうので、フロリバンダを買うこと

になる。フロリバンダの良いところは、とにかく強健で病虫害に強く、

手間いらず。四季咲き性に富み、多花性で繰り返し花を咲かせ続け

ること。コンパクトな樹形になることもベランダ栽培ではありがたいと

ころだ。最近ではオールドローズの要素を持った芳香性のフロリバン

ダも増えてきたので、ますますその需要は高いと思う。

多花と言えば今年買った四季咲き性のオールドローズ『アルシュディ

ック・ジョセフ』も、買って以来ずっと花を咲かせ続けていて、その体

力には驚かされている。そういうバラに必要不可欠なのは水遣りを

欠かさないことと、花が終った後の肥料を切らさないこと。2本のフロ

リバンダローズが写真のような花を咲かせるには数年かかるだろう

けれど、今からとても楽しみです。

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2006年11月10日 (金)

切なさの心象風景

Pink_na_yugure_2

イヴァン・リンスのファルセット・ヴォイスが似合いそうな

サウダーヂな夕暮れ ・・・・・・ 

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ヒメジョオン

Himejyoon

春に咲くのはハルジョオン(ハルジオン)。

秋に咲くのはヒメジョオン。

ハルジョオンがピンクなら、ヒメジョオンは白。

どちらの花から連想されるのも、無邪気、純真、子供心、

懐かしさ ・・・

儚げでいてたくましい、秋の野の花。

Himejyoon_02

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2006年11月 9日 (木)

今日の空の下

Without_me

気持ちよく晴れ渡った空に、平和な秋の光があふれて

いま、ラジオからスティーヴィー・ワンダーの

『Ribbon In The Sky』が流れ始め

私は言葉にできない思いに捉われる

こんなことを書いたところで

いま同じようにスティーヴィーの歌を聴いてないあなたに

何がわかるはずもないのかもしれないけれど ・・・


もう、あなたは私を思い出すことはないのだろうか

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立冬過ぎて

Archiduc_joseph_05

今日もベランダに出るとあっついくらいだ。

今年の冬はどうしちゃったんだろう。

『冬』なんて言葉はとうぶん棚上げ。

秋バラはとてもゆっくり開いて、長く咲き続ける。

春と違ってそこがいいとこ。

Archiduc_joseph_06

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2006年11月 8日 (水)

大人のクールポップ/JiLL-Decoy association

Jill_decoy_association_1 

さっき玄関のチャイムが『ピンポン!』と鳴って出て行ったら宅配便で

Amazon から新譜が届いた。 

 JiLL-Decoy association  『アイロニー』

それで今日はニュー・エントリはしないつもりだったのに、また書くこ

とになってしまったというわけ。

これは駿河から帰って来た翌日に、ぼおっと海の画像を見ながらダ

ダリ・カフェについて書いているときにちょうどラジオから流れてきて、

そのときの気分にあまりにジャストフィットしていたので思わずテキス

トにも反映してしまったという曲。それで、思わずAmazon からまだ未

発売のこのシングルCDを予約オーダーしてしまったのだ。私は基本

的にはシングルCDは買わない主義なのだけれど、調べたらジルデ

コはこれがまだ2枚目のシングルだった。音楽との出会いはいつも

そんな風に唐突にやってくる。直感がぴたりと当たることもあれば、

CDを買って聴いてみたら駄目なこともあるけれど、ジルデコは悪く

なかった。このところJ-POPは重いヴォーカルばかりでうんざりして

いたところなのだけれど、ジルデコのヴォーカルは独特の浮遊感の

ある、軽くて疾走感のあるヴォーカル。ジャジーでクールなサウンドと

ともに、聴いているだけで気持ちいい。Driving Music にはぴったり。

目の前に海の景色が広がった。

ミステリアスな最初のフレーズから始まって、たたみかけるような4分

の3拍子で展開されるスリリングな大人のサウンド。耳から聴いてい

るときにはちょっと軽いかなと思った詩の世界も活字で追ってみると、

なかなかどうして。意味深で悪くないです。恋に落ちていくときの女

性の危うい心情がうまく出てる。はたして恋は自分から仕掛けるのと

仕掛けられるのと、どっちがスリリングか。

おまけにこのアイロニーという曲、『スーパーエッシャー展』のイメー

ジソングにもなっている。だまし絵で有名なエッシャーの絵にはまさ

にぴったりな選曲。誰の仕事か知らないけれど、うまいマーケティン

グだな!と思った。マーケティング戦略かくあるべし、といった感じ。

ドリカム以来の男2人、女1人のユニット。全く個性の違う男2人に囲

まれるのって、女の子にとっては悪くないシチュエーションだよね。

クルマにJiLL-Decoy association のっけて海に行きたい。

 アイロニー: 【irony】反語。皮肉。

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 アイロニー 


こうして幾度も 迷い込んで 来た通りにはもう戻れないのに


分かり辛い愛 ハマるのは怖い でもすっと 触られて さらわれる

やっと泣いた君 やっと抱いて

すると ニヤリ またすり抜けてく


足らない 愛が無い そうじゃない事はもう承知

ぎゅっと そうグッと 夢のようなハグ待ってる


君が奇跡仕掛けて 届くからアイロニー

もう意地悪しないで 帰せないなら

君が明日に奇跡仕掛けて 届くからアイロニー

ねぇ本当は私がいないと嫌なくせに


染まりやすい私 泣かされても また別の色に 染まって笑う

試されてるなら 楽しげです 変化球のパレード 嫌いじゃないんです


乗らない 言わない 要は内緒だって言うんでしょ

ぎゅっと そうグッと 夢のような言葉待ってる


君が奇跡仕掛けて 叶うからアイロニー

もう冷たくしないで 帰れないなら

君が明日に奇跡仕掛けて 叶うからアイロニー

ねぇ本当は君の愛を分かってるのよ  


足らない 愛が無い そうじゃない事はもう承知

ぎゅっと そうグッと 夢のようなハグ待ってる


君が仕掛けた奇跡 映し出すアイロニー

もう意地悪しないで 帰せないなら

「行くよ」なんて嘘つき 私こそアイロニー

ねぇ本当は君の愛を分かってるのよ


こうして幾度も 迷い込んで 来た通りにはもう戻れないのに


( words: chihiro music: Jin Nakamura )

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2006年11月 7日 (火)

今日、立冬

Rittou_001

今日の朝、天気予報を見ていたら、「今日は風が強くて冬の嵐みた

いな一日になりそうです」と言ったので、冬の嵐? 冬? まだ秋だ

ろうと思ったら、今日は立冬なのだった。

冬というにはあまりに暖かい今年の立冬だけれど、今夜以降は一

気に冷え始めるらしい。季節は確実にめぐる。

山茶花を撮ってブログにアップしたのだって、ついこの間のことのよ

うに思えるのに。もう、一年。

前に女友達から「あなたを花に喩えるなら冬の花だね」と言われた

ことがあるけれど、それは私が2月生まれだからなのか何なのか。

また山茶花の季節。

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ジョアン・ジルベルト/最後の奇跡

2006joao_2

5日、日曜はジョアン・ジルベルトのコンサートだった。

前々日になってチケットの開演時間を見てちょっとびっくり。

4時開場の5時開演となっているじゃないか。5時? ほんとに5時に

始まるの? いや、ぜったい始まらないね。

おととしも行った女友達によると、その日は40分遅れで開演した上

にアンコールを延々やって、なんと4時間近くにもなる演奏時間で終

電の時間が気になる程だったというから、主催者側も3度目で学習

したんじゃないか、ということで話は決着した。そして国際フォーラム

の中に入ると、このようなエクスキューズの札が ・・・

20061105joao_2 

ここには、ジョアン・ジルベルトが演奏前にコンセントレーションを高

めてそのピークで演奏をスタートするため、しばしば開演時間が遅

れることや、演奏中にオーディエンスの温かい拍手に感激してしば

らくフリーズ(瞑想)状態になってしまうことなんかが書いてあるのだ

けれど、そんなことを事前に言われなくたって大概のファンはもう勝

手知ったるという感じで、どうせまだとうぶん始まらないさと高をくくっ

て開演時間の5時を過ぎてもフロアでのんびりシャンパンを飲んだ

り珈琲を飲んだりしてくつろいでいる。そして案の定、席に着いてか

らも「開演時間はもう過ぎておりますが、アーティストが到着しており

ません。もう少々お待ちください」「アーティストはただいまホテルを

出ました」と数度に渡るアナウンス。そのたび場内に起こるクスクス

笑い。たぶん日本のオーディエンスに最も寛大に温かく迎えられて

いるのがジョアンなんじゃないだろうか。そしてついに、「ただいまア

ーティストが国際フォーラムに着きました。ラウンジのお客様も急い

で席にお着きください」とあって、ほどなくジョアンがステージに。

前回と同じようにギター1本持ったスーツ姿のジョアンが、でも初め

て見たときよりはずっとリラックスした様子で「コンバンワ」と言いな

がら入って来た。そして席に着いたと思う間もなく始まる弾き語り。

一気に1曲歌い終ると、最前列の人に手振りで「ハア、ハア、ハア」

と言いながら、「急いで来たのでまだ息が切れています」というよう

なことを言っている。ほんとにとてもリラックスした様子。今日は手

ぬぐいを3枚も持って来たという私の女友達は、ジョアンの姿が見

えたと思ったらもう泣く、泣く・・・・・・。いったい君は泣きに来たの

かという感じだけれど、私も9曲目の『フェリシダーヂ』でついに来

ました。涙・・・・・。この曲の歌詞をちゃんと知っているわけではな

いのだけれど、私にとっては聴くたびに『旅』を感じさせる曲。毎回

泣けます。そして前回同様、途中一度も休むことなく、水さえ口に

含むことなく一気に全22曲を歌い終えたのでした。もちろん、ジョ

アンがステージから消えても鳴り止まない拍手。アンコールはジョ

アンの十八番ともいえる『シェガ・ヂ・サウダーヂ』『イパネマの娘』

『コルコバード』と続き、更に2度目のアンコールでは今回初めて

演奏する、とてもとてもかわいい曲『Pica-Pau』を披露して、トータ

ル33曲を歌い終え、ついに幕となったのでした。

私の左隣りにいた、ふだんは泣くことなんかなさそうなナイスミドル

も、目頭を押さえながら連れの女性に「いやあ、泣けたあー」と言

っている。

全体の印象としては、やっぱり3年前の初来日のときとは違ってい

た。初来日の時はオーディエンスの期待が異常に高まるなか、会

場自体の空気が特別なテンションの中にあったのだけれど、今回

は3度目ということもあって、初めてのときよりお互いに気心も知れ

た感じで、信頼感のなか始まって終った、という感じ。みーんなで、

小さいけれどあったかい暖炉の前で手をかざしてあったまった、と

いう感じの、とても良いライブでした。

前回はチケットを取るだけで大変で、遠くの席からジョアンがちっち

ゃく見えるだけだったけれど、今回は1階席の前から13列目のしか

もど真ん中。ちょうどジョアンの目線の先に私がいるという感じで、

ギターをつまびくジョアンの指どころか口もとまではっきりと見えた。

そして、私にはステージに置かれた椅子に座ってたった一人でギタ

ーを弾いて楽しそうに歌うジョアンのまるまった背中に、白い羽が生

えているのが見えました。もはやジョアンは天使だ!

沈黙をも凌駕するもの、沈黙よりいいもの、と評されるジョアンの声

とギターが消えた後の空間で、余韻に浸りつつも一抹の寂しさを抱

いて、私たちは席を立ったのでした。

会場を出ると、本日の演奏リストの前に群がる人々が。

初来日のときはジョアンの手書きだった曲目リストも今回は活字に

なっていて残念。『ジョアン・ジルベルトの奇跡、ふたたび』はなるか。

20061105joao_01

8日、9日の当日券のお問い合わせはここへ → ディスクガレーシ

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2006年11月 6日 (月)

出色の色っぽさ

Saitho_kazuyoshi_2

さて、私の女友達のために『ジョン・レノン・スーパーライヴ』に関連し

て、もういっちょ行ってみよう。

私はこのライヴに来るまで、斉藤和義なる人のことは知らなかった。

というか、私が知らないと思っていただけで、実は子供が小さいとき

に見ていた朝の子供番組『ポンキッキーズ』で、エンディングで流れ

ていた『歩いて帰ろう』を歌っていたのが彼だというから、顔を知らな

かっただけで、すでに声は聴いていたのだけれど。でも子供番組の

その曲のイメージとこの写真、実際の彼とはあまりにイメージが違う

から、知らないと思ってもしかたがないと思う。

さて、当日の斉藤和義だが、出てくるなり、とにかくかっこよかった。

たぶん、あの日最も女の子の嬌声を浴びたアーティストだと思う。

なんていうか、色っぽい。色っぽさというのは言葉ではなかなか表現

できないものだけれど、最近ではちょっといなかった、斜に構えたちょ

っとアンニュイでタフなタイプかな。ただギターを持って立つだけでか

っこいいというのもロックスターとしては重要な要素で、いつも清水翠

が言う、いくらお勉強してもどうにもならないことのひとつなんじゃない

かと思うから良いことだ。

この日は全てのアーティストがジョンの曲をカヴァーすることになって

いて、彼が選んだ曲は『Free As A Biird』と『I Am The Walrus』の2

曲。選曲も悪くない。特に『I Am The Walrus』の方は彼は自分なりに

この曲の歌詞を日本語にしてみたというからどんなものかと思ったら

これがまたかっこいいんだ。日本語がすごくうまくメロに載っていて、

日本語でちゃんとロックしていた。もうちょっとこの人の音をちゃんと

聴いてみたいと思わせた。少なくともファースト・インプレッションでそ

う思わせたらOKと思う。この人、特にお顔がハンサムというわけで

も、ヴォーカリストとして声が良いというわけでもないのに、この醸し

出される独特の雰囲気はどこからくるんだろう? 

平りんさんには「そうきちさん、ハマりそうじゃないですか?」と訊か

れたけれど、若いときじゃあるまいし、もうそんなことで私はハマっ

たりはしない。でも最近、こういうところに全然いなかったから、まわ

りにロック少年がうようよいた10代から20代の頃を思い出して、な

んだか懐かしかったです。

気になった人は要チェック!→ スピードスター・レコーズ公式サイト

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LOVE

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愛とはリアルなもの。リアルなものこそ愛。

愛とは感じること。感じることは愛。

愛とは愛されたいと思い続けること。


愛とは触れること。触れることは愛。

愛とは手をさしのべること。手をさしのべることこそ愛。

愛とは愛されたいと願い続けること


愛はあなた

あなたと私

愛とはあなたと私が愛しあえると知ること

愛とは自由。自由は愛。

愛とは生きること。

愛を生き切ること。

愛とは

愛されたいと求め続けること。


( words by JOHN LENNON )

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土曜日の『ジョン・レノン・スーパーライヴ』には、私が大好きな宮沢

りえも出てきて、何をするのかと思ったら、『LOVE』と『IMAGINE』の

詩を日本語で朗読した。詩の朗読はあまり好きではない私だけれ

ど、彼女の朗読は自然で悪くなかった。

さんざん聴き慣れた『LOVE』の歌詞がこんな風だったかと、あらた

めて思い出した。

まさに、求めよ! さらば与えられん。の世界。

ちなみにこの日、目に入ってきたジョンの言葉で印象的だったのは

「僕と一緒に歳をとってくれ!」だ。

月並なようでいて、意外と新鮮でパワフルじゃないですか?

これから彼女にプロポーズしようという人、ぜひ使ってください(^-^)

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LOVE の力

Onochord

ある日 どこかの街で

1人の男と1人の女がめぐりあう

きっかけはただそれだけ

世界中を巻き込むムーヴメントの

最初の小さな小さな種


女は男が何者か知らない

父に捨てられ、母にも去られ

叔母に育てられた男は

何よりも本当の愛を求めていた

西で得られなかった答が東にあると察知したのは

男の直感によるものか

彼の目に最初に飛び込んできたのは『Yes』という言葉

全てが肯定される瞬間

全てが許され、受け入れられる瞬間

彼の目は大きく開かれた

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土曜日はオフ会で知り合った平りんさんから、他に行ける人が調整

できなかったということで、当日の朝、急きょご連絡いただいて、私

はまたもやスイミングを休んで行って来ました。

Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライヴ2006

その詳細とこのライヴについての趣旨は平りんさんのブログにトラ

ックバックさせていただくことにして、その日、私が最も印象的だった

のは、Cocco(コッコ)の言葉だった。

このライヴ自体は2000年にスタートしていて、今年で6年目を迎え

る。そしてCocco が出演依頼をされたのはこれで2度目なのだけれ

ど、これまで彼女はチャリティー・コンサートと名のつくものはどこか

みんなインチキ臭いと思っていた。生まれてしまった子供のために

学校を与えるのは何故なのか、生まれる前の対策としてコンドーム

を与えることの方が先じゃないのか、理解できないことをいい加減に

やることはできないから前回は出演を断った。そして今回、再び出演

依頼が来たとき、彼女は自分の目で確かめることにする。

このコンサートによって本当に学校は建てられたのか、嘘じゃないの

か。そして結局は彼女1人じゃなく、彼女の意に賛同したスタッフと共

に実際に現地に赴き、そこで、彼女はこのコンサートの収益によって

建てられた美しい学校と、そこで生き生きと学ぶ美しい子供たちを見

る。戦争で親やきょうだいを亡くした貧しい子供たちは、自分たちに学

校を与えてくれた国から来た、見ず知らずの異国の人Cocco に、歓

迎の気持ちをこめて自分たちにできる精一杯の贈り物をする。トイレ

ット・ペーパーで作った花束や、その辺に生えている草で作ったアク

セサリー。それから、ずっと大事にしていたと思われる宝物みたいな

ものまで。そして2度目に会ったとき、彼女はひとりの子から手作り

のカードをもらった。そこに大きく書いてあったのは、『I LOVE YOU !』

の言葉。まだたった2回しか会ったことのない自分にストレートにそん

な言葉を言える子供に強さを感じると共に、彼女は深く感動する。

そして、このコンサートの趣旨を初めて理解したから出演することに

したのだと言って、少女みたいな声で『Norwegian Wood』を歌った。

ある男(ひと)が、男は簡単に『I LOVE YOU』なんて言ってはいけな

いものなんだ、と言った。愛には責任がともなう。それを言うことは相

手の未来もぜんぶ含めて、責任持って相手を引き受けることを意味

するから、その意味も考えずに軽々しく使っちゃいけない言葉なんだ

と。確かに、それは至極まっとうな立派な考えだと思うし、軽々しく愛

してるなんて言う男はろくでもないと思うけれど、昨日やって来て数

日後にはいなくなってしまう目の前の素敵な人に、いま気持ちを伝え

たいと思って子供が書いた言葉の切実さと較べたら、それだってきわ

めて左脳的な後付けの論理にしか思えない。だって愛は保険証書じ

ゃないんだ。理屈でもない。たとえば今朝、ラジオからイヴァン・リンス

の歌が流れてきて、私の心は愛でいっぱいに満たされた。もうこれは

彼を愛しているとしか言いようがないなと思った。もし、この先そんな

機会に恵まれることがあるなら、私は彼をハグするだろう。

なおさら好きな人といて、感極まってもうそれ以外の言葉を思いつか

ずに後先考えずにそう言ったとして、それの何が悪かろう? いつの

世だって、男と女はそうやって始まってきたんじゃないのか。愛が肉

体から始まろうと心から始まろうと、そんなことさえ大した問題じゃな

く。男も女も子供も、もっと自分の感情に素直にストレートになってい

いと思う。そうやって放たれた愛の言葉は、受け取った側には形は

なくとも最上のギフトなのではないか。少なくとも私は言いたいときに

言う。もちろん滅多なことじゃ言わないけれど、言われた人は忘れな

いで、憶えておいてください。私は嘘はつかない。

この日、このライヴに来場した人全員に、オノ・コードなる小さなライト

が配られた。それが上の写真。『アイ・ラヴ・ユー』と言葉で、声に出し

て言う代わりに、ライトを1回、2回、3回と点滅させてメッセージを送

ろうというもの。オノ・ヨーコのコミュニケーション・アートの作品だそう

だ。実際に場内でもやってみた。思わずいっせいに歓声が上がって

しまうほど、単純にきれいだった。オノ・ヨーコのアートだけを見るなら

それは意外にシンプルで、わかりやすいものが多かったように思う。

かつてそのエキセントリックなルックスと発言、超音波のような奇声を

発したり、奇行とも思える前衛的なアプローチから、日本人でさえな

かなか受け入れられなかったオノ・ヨーコだけれど、そんな彼女もも

う73歳になり、すっかり愛にあふれたおばあちゃんになった。人生

のなかで、心底愛された経験を持つ人だけが放つ、愛のバイブレー

ション。

お陰で、少々お疲れモードで咽喉をやられかけていた私もすっかり治

りました。誘ってくださった平りんさん、どうもありがとう!

Super_live_1

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2006年11月 3日 (金)

ジョアンのチケットが届いた!

Joao_04

今年最大のイベントにして、私にとってはたぶん今年最後のお楽

しみになるであろう、ジョアン・ジルベルトの来日公演のチケットが

届いた! しかもかなり良い席だ。嬉しい。

コンサートのタイトルにも『ジョアン・ジルベルト~最後の奇跡~』と

あるが、彼の75歳という年齢を考えると、そして日本の裏側ブラジ

ルから20数時間かけて飛んで来ることを考えると、どう考えてもこ

れが最後になるんじゃないかと思われる。2003年の奇跡の初来

日から、今年で3度目。一昨年はチケットを友人にお譲りしてしまっ

たから、私はこれで2回目だ。初来日のコンサートで体験したこと

は、たぶん一生忘れない。今年はどんな夢を見せてくれるだろう。

想像すると、ちょっとこわいくらい ・・・・・・

これが終ると私はすっかり冬モード・お仕事モード(働け、そうきち!)

かな。今年のカレンダーもあと2枚残す限り。

イヴァン・リンスはまだ61だから、まだまだ日本に来る機会はあるだ

ろう。彼がこの次またブルーノート東京に歌いに来る時までに、ポル

トガル語でなんとか一緒に歌えるくらいになっておきたいものだ。

英語が第一外国語なんていったい誰が決めたの? 

英語で話しかけてくる外人がいたら、いつかきっとポルトガル語でまく

したててやるわ。もちろん発音はカリオカ風でね。

それを次の目標にがんばるのもいいかもしれない。

チケットを頼んでくれた翠ちゃんと小泉清人さんに感謝。

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旅のお土産

Zenzai_01

駿河に行ったときに、朝市で、まだ柔らかくほのかに温かいつきた

てのおいしそうなお餅を買った。

いかにも土地の人が作ったという感じの素朴なお餅。

帰った次の日の夜にさっそく田舎雑煮を作って半分食べて、残り

の半分を冷蔵庫に入れておいたらうっすらカビが生えてきたから、

昨日、小豆を煮てぜんざいにしてみた。

家で煮る小豆は甘さ控えめで格別の味。

私と一緒に買った、たいち君 ももう食べたかな?

Zenzai

私は粉引きの器が好きでいくつか持っているけれど、真っ白でいか

にも端正なものから、これが粉引き?と思うようなものまでいろいろ

ある。これはどちらかというと後者の方に入る器。

表面にはグレーからベージュ、アイボリーにピンク、内側には深緑

に至るまでの激しい窯変があって、ダイナミックに鉄点が飛び散っ

ている。どこか野生的だけれど温かい器。

変わった形をしているけれど、片手で持つと、飾りのようなボッチに

ちょうど指があたって持ちやすいようにできている。器のまるみもち

ょうど手のひらに添う優しい形。

これからの寒い季節には、両の手のひらで器を包むようにして持つ

と、手のひらからあたたまってくるこんな土物の器がいい。

Kodhiki

Kohiki_01

Kohiki_02

Kohiki_03

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2006年11月 2日 (木)

声は心を映す鏡

Iivan_lins_1

人間の声って不思議だ。

声だけで様々なことを教えてくれる。

このイヴァン・リンスのライブCDの封を切って、初めてそのオープニン

グの第一声を聴いたとき、あれ?と思った。いつものイヴァンの声じゃ

ないのだ。いつものあの明るい、人をしあわせにする優しい声じゃなく

て、人がブルーなときに発する元気のない暗い声。ライブでこの第一

声はないだろうと思った。

いつか、インターネットの中をイヴァン・リンスのことを検索していた時

に見つけた文章の中にも、「この頃のイヴァンは、人生の不調さがぜ

んぶ声に出てしまっていて」なんていう一文があったけれど、ファンと

いうのは自分の好きなアーティストの声を実によく聴いているものだ

と思う。

最初の声の印象は歌い進むにつれて徐々に良くなっていくものの、

声を張り上げるところではいつもよりダミ声がひどくなっていて荒れた

感じの声だし、どこか捨て鉢なところさえ感じられる。歌いながら思わ

ず感嘆ではないため息を漏らしているところもある。

イヴァン・リンスのすごいところは同じ曲がかなりだぶってはいるもの

の、どのCDを買ってもほとんど駄作がないところで、今までイヴァン

のCDを買って手放したことはないけれど、このCDに限っては最初に

数回立て続けに聴いた後でアマゾン・マーケットプレイスに出してしま

おうかと思ったほどだった。けれど中に今まで聴いたことのない良い

曲が数曲入っていたので、手放さずに持っていたのだ。

それで、私が最初に書いた不思議さというのはここからが本題なの

だけれど、それはこのCDはそういうCDだったにもかかわらず、この

ところ私はこれが気に入ってよく聴いているということにある。それは

何なのか。自分なりに考えて、このCDは演奏が最高だということは

もちろんなのだけれど、ここには隠しようもなく実に人間的なイヴァン・

リンスがいて、オープニングの駄目な一声から始まって、オーディエ

ンスの温かい反応とバックミュージシャンのいつもながら最高のサポ

ートに支えられて、徐々にイヴァンが自分を立て直して心を開放して

ゆくその心の変遷が、手に取るようにわかるからじゃないかと思う。

そしてちょうどライブの半分、6曲目くらいからいつものイヴァン・ワー

ルドが展開され始めると、それはいつも以上に切なく胸に響く。

そして彼にぴったり寄り添ってランデブー飛行していた私は、気がつ

けばまたいつの間にかすっかり酔わされているという有様なのだ。

私は彼の虜です。

いつだったか、ライブがハネた後に清水翠と話していて、彼女が「ミス

トーンがミスに聴こえちゃう音楽ってどうよ?」ということを言ってい

た。私の友人の音声学の専門家は「音楽とはわかりやすい気の流

れ」と言うけれど、音楽の世界はとても感覚的な繊細な世界で、ヴォ

イトレを積んだ完璧な声で、完璧なバックバンドを従えて、最高に上

手く歌ったら感動できるかと言ったら全然そうじゃない。目もほとんど

見えなければ耳も聴こえない、ペダリングにも濁りが生じる、つまりテ

クニック的に見れば問題がないとはいえない老ピアニストの頭からあ

ふれるように放たれた豊饒なモーツァルトしかり、難病で思うように手

が動かなくなったギタリストの奇跡の音楽しかり。心の繊細な揺れを

つぶさに露わにしたイヴァン・リンスの歌にしたって ・・・・・・。

だから音楽は面白い。これだから音楽はやめられない。

音楽について書くことは、リアルタイムに音を共有できないということ

において、音を言葉で表現するということ自体において、ある種不毛

なのだけれど、でも書かずにはいられない。たとえ私の個人的な記

録に過ぎなくても。

Ivan_lins_006_1

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