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2006年9月 8日 (金)

夏の果て

Hakuro

立秋はとっくに過ぎてまもなく白露である

わたくしは昼間わかい母親が

赤ん坊を十四階の踊り場から投げ自分も後から空中に飛び

地上に激突して「ドサッ」と音がしたというニュースや

ポルトガルの左翼陣営が複雑に分裂して幹部がののしりあっている

という外電を

繰り返し細かく読んで

肉眼が眼鏡にくっついてしまったかのように疲れた

家人は安らかに眠っている

わたくしは闇の台所へウイスキーの水割りを作りにゆく

蛍光灯をつけると不意に

大きな虫が舞ってわたくしの睫にふれた

不器用で大ざっぱな飛び方でそれはゴキブリだった

ひどい夏の終わりじゃないか

わたくしはかっとなって包丁をにぎり

油地獄の人ごろしのようにそいつを追った

しかし彼は翅を収めるが早いか食器戸棚の裏へ消えた

あまりすばやいのでわたくしはぼんやりしてしまう

わたくしはからだじゅう花粉だらけになる蜜蜂や蜘蛛や利口な

蜘蛛が好きで

虫は虫でも何というひでえ虫だとゴキブリを呪った

暗い廊下を

水割りをこぼさないように気をつけて四畳半の部屋へ戻る

細かい水滴が霧のように蔽って涼しげなコップを

しばらくランプの灯に透かして見ている

雨戸をしめきって何とむし暑い九月の夜だ

あしたの予定をあれこれ考えていると無関係な一行がわたくしの

舌にのぼる

「ゴキブリの死はいつでも惨死」


(北村太郎 / 詩集『眠りの祈り』から『夏の果て』)

****************************************************

いまこれを読んでいる方は、ずいぶんと酷い詩を引用するとお思いの

ことだろう。

私もいまこれを打ちながら、『白露』という美しい言葉を遣ったもっと別

の詩があったはずなのにと思ったが、どうにも記憶の彼方で思い出

せない。けれどここには詩人、北村太郎の日常の生活感が見事に

リアリティーをもって描かれているし、私はまるで彼がまだ生きて目

の前にいるような錯覚さえ覚える。北村太郎特有の言葉のリズム。

詩人が生きているのはまごうかたなき現実の中だが、彼が見ている

のはその向こうにあるもののようだ。

家人とあるから、まだこの頃は家族(妻子)と暮らしていた頃だろう。

いや、まてよ、北村太郎はこの詩が収められた詩集『眠りの祈り』を

出した年の11月に、恋愛事件もあって25年間まじめに勤めた朝日

新聞社を辞めたんだった。さらに2年後、彼は家から出奔する。

家にいたその2年間はさぞかし針のむしろだったろうな。

命日でもないのに、いつも夏の終わりになるときまって北村太郎のこ

とを思い出す。現実にはまったく関わったことの無い人なのに、これ

も縁というのだろうか。

昨日の夕方、ラジオから流れるニュースを聞いていたら、「明日も日

中の気温は高くなり、夏が優勢の一日になりそうです」と言ってい

た。夏が優勢、か。

いまはヒマワリとワレモコウ、蝉と鈴虫が共存する季節だ。

いずれ気がつけばいつのまにか秋一色になっていよう。

今日、8日は白露。

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コメント

白露、夏の暑さも収まり朝露が降りる頃
だったかな
夏の思い出をシミジミと思う頃なのかもね
古くからの中国の影響とは言っても日本に入ってきてすっかり染み付いてしまった季節感
節目に何かを思うのもたまにはいいわね
明日は重陽の節句・菊の節句でもありますね
季節は確実に動いています

投稿: tama | 2006年9月 8日 (金) 10:04

扇風機使わなくなると同時に、ストーブ使い始めるのが、南国高知の暮らし方。季節が極端なんですよ。
今日、猫小屋で猫達にお昼ご飯遣ってると差し込む陽射しが強烈過ぎて、顔中に噴き出す汗でメガネは曇るわ目に沁みるわ、遣り甲斐アルアル!!
これは確かに秋じゃない、晩夏だわ‥って感じた次第。
詩の理解力は、ぐんぐん落ちてるので何も云えないけど、「ゴキブリの死はいつでも惨死」は、ほんまでっせ~。なぜって、そんくらい気合入れて打っ叩かなきゃ殺っつけられないもんね。
あの闘争は悲惨。なので、うちはホイホイ置いて、ひたすらお入り下さるのを待ってますよぅ(^_^.)
いやはや!わが家の9月は詩的情緒に遠くて…(笑)

投稿: リサ・ママ | 2006年9月 8日 (金) 16:50

また、そうきちさんの自作かと思ったよ。
ふふふ、夜中包丁を手にゴキブリ追いかけるそうきちさん・・・鬼気迫るものがあるねェ(爆)

投稿: lehto | 2006年9月 8日 (金) 16:52

tama さん、
昨日の朝は、白露ならぬ霧が出てましたね。
今日は菊の節句というにはあまりにも蒸し暑いような。
tama さんは夏の間も元気にアクティブにしてらしたけれど、夏の疲れが出てきてはいませんか?
お互い、気をつけませう。

投稿: soukichi | 2006年9月 9日 (土) 17:58

リサ・ママさま、
人の暮らしなんてそんなもんさ。
この詩だって描いているのはすさまじい現実でしょう。
詩的情緒とは人の外ばかりにあるものじゃなくて、人のなかにあるものだから。
現実の只中にあって、それを詩にできるのが詩人だから。
きれいなものを描いたのばかりが詩じゃない。
むしろ酷薄たるもののなかに詩がある。
と、私は思う。

投稿: soukichi | 2006年9月 9日 (土) 18:05

letho さま、
なんちゅー想像!
でもそれであなたが笑えたならいいわ。
許してしんぜよう。
私はいつも書いてる通り、ここには自作は載せない。
いくらなんでもそれほど恥知らずじゃない。

投稿: soukichi | 2006年9月 9日 (土) 18:07

出奔 なんとも甘美な響きでござりまする(笑)

投稿: hashibamig | 2006年9月10日 (日) 16:00

hashibami さま、
出奔が甘美とは。
でも、はたして出奔の果てあるものは甘美と言えようか。
(言えるまい。)
恋ってのは実に厄介なもので・・・

ところで、本日いよいよ hashibami さんのブログから楽焼の作り方をプリントアウトしたワタシです。
頭の端にどうにも例の件がチラついて気が散る日々でござる。
超前向きに検討しております。

投稿: soukichi | 2006年9月10日 (日) 19:20

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