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2006年3月31日 (金)

花冷え

Hanabie_02

東京は昨日から花冷え。

午後から曇ったと思ったら強い北風が吹き始め、一気に真冬ような

寒さ。外にしばらくいたらすっかり冷えてしまい、いったん家に戻って

コートを着て出たが、そんなことがちっとも大げさでもなんでもなく、

ダウンを着ている人が正解に思えたくらい。

さすがに手袋までは、と思ってしないで出たら、北風に煽られながら

シャッターを切るうちにすっかり手がかじかんでしまった。これじゃま

るで冬に逆戻りじゃないか。犬の散歩をする人もみんな寒そうにポ

ケットに手を突っ込んで。

ごうごうたる音をさせながら北風が吹きすさぶなか、身もだえする

ように桜は大きく枝を揺らし、咲いたばかりの花びらを風に飛ばし

ていた。いつの年も桜は受難。

今日で三月も終わり。明日から四月。

下は花手毬のような山桜。

Hanabie_03

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2006年3月30日 (木)

オオシマザクラ

Ooshimazakura

溜池山王タワーの前に1本だけ植えられていた、この林檎の花のよ

うに爽やかな桜はオオシマザクラ。

先日ラジオを聴いていたら、東京の緑化を推進している人が、確か

六本木ヒルズのまわりのソメイヨシノの中に1本だけオオシマザクラ

を植えてみた、よかったら探してみてください、なんてことを言ってい

た。都市の緑化の景観をデザインしている人が、そんな風に楽しん

でいるのは悪くないと思う。東京はいま、どこもかしこも桜だらけ。

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桜坂

Sakurazaka

数年前、福山雅治が歌った『桜坂』のおかげで有名になった桜坂。

でもあの歌の実在のモデルとなったのは大田区田園調布本町に

ある桜坂。ふだんは閑静な住宅地なのに、桜の時期はすっかり

観光名所となってしまったそう。

こちらは港区にある、六本木通りから東京全日空ホテルの北脇を東

に向かって登る桜坂。東京もけっこう坂の多い街で、ところどころに

こんな風に標識が立っていて名前の由来などが書いてある。

坂道マニアなんてのもいるらしい。『幽霊坂』という名前の坂も数箇所

にあって、そこを通るときはなんとなく気色の悪い思いをしていたが、

なんのことはない、ほとんどの坂に名前を付けたのは江戸っ子で、

江戸っ子は単純だから、坂の近くに寺があるとか墓場があるとか、

緑が鬱蒼としていかにも幽霊が出そうだから、という単純な理由で

付けられていて、実際に幽霊が出るとかではないらしい。

江戸っ子ってなんだか可笑しいですね。

Sakurazaka_01

坂の両脇には素敵なマンションが建っていて、ここはすぐそばに東京

タワーがあるから、自室から東京タワーが見える、なんてこともあるん

じゃないかと思う。私はどうせ東京に住むなら、思いきり東京らしさを

享受できる都心に住むのがいいんじゃないかと思っているけれど、坂

を登り切った辺りでマンションの敷地から自転車で出てきた初老のご

婦人を見たら、仕事をしているならいざ知らず、年をとってこんな坂の

多い、しかも付近を見渡しても近所にスーパーさえない、あっても物

価の高い都心の真ん中で暮らす良さはあるのかなあと思った。

疲れそうじゃないですか?

この日は新入社員の説明会でもあるのか、やたらとリクルート・スー

ツの若い女の子に道を訊かれた。

Sakurazaka_02

最も満開だった辺りの陸橋の上から見下ろした桜。

夜にはここもライトアップされるらしい。

六本木のジャズ・クラブで1杯飲んだ帰りに赤坂方面へ向けてちょっ

とお散歩、なんていう春の宵の夜桜デートにはちょうどよい距離とロ

ケーションじゃないだろうか。

(ちなみに私はもうそんなことはしません。終電早いし。)

Sakurazaka_04_1 

雪も都会の風景を一変させてしまうけれど、桜もまた同じだ。

見慣れた路地が桜のせいでこの時期だけは特別に感じられる。

この時期、東京を訪れた外国人は、桜の印象とともにこの都市の

記憶を胸に刻むのではないだろうか。それだと嬉しい。

Sakurazaka_03_1

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2006年3月29日 (水)

新宿御苑の桜④枝垂れ桜

Shidarezakura_02

新宿御苑内の桜も、まだまだ固いつぼみのものから、咲き始めのも

の、5分咲き、すでに満開のもの、もう終ろうとしているものまでいろ

いろ。この大きな枝垂桜は満開を過ぎて散り始めていました。

風が吹くたびに枝が大きく揺れて、花吹雪 ・・・

ため息のような歓声があがって、それはもう夢みたいな景色。

思わずケツメイシの歌を思い出してしまった。


  さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる

  吹きやまない春の風 あの頃のままで

  ひゅりら ひゅるりら  

                        (ケツメイシ/さくら)

桜のカーテンみたいに足もとまで垂れる桜をバックに、恋人が向ける

カメラに向かって微笑んでみせる女の子。

私も昔、そんな風にして写真を撮ってもらったなあ。

きっとその写真は今でもどこかにあると思うけど。

ちなみに桜をバックに美しく人物を撮るには、桜より1歩前、陽当たり

の良いところに出ることだそうです。昨日、ラジオで言ってました。

お試しあれ。

Shidarezakura_04

枝垂れ桜ってすごい。

木の下にいると、まるで桜の滝を見ているような、桜のシャワーを浴

びているような、樹精、というか、エネルギーのほとばしりを感じる。

闇に光る稲妻のようでもあるし、桜の化身の指から放たれるビーム

のようでもある。

バラが美しい花を咲かせるのにたくさんの肥料を必要とするように、

これだけの花を咲かせるのに桜もたくさんの肥料を必要とするのじ

ゃないか。その寿命を数百年とも言われる桜の樹だけれど、花の勢

いはそのまま樹の勢いでもあって、いつしかこの樹もわずかな花を

咲かせるだけになって、枯れ朽ち果てていくのだろうか。

夜にライトアップされて見たら、もはや幽玄を超えて、私にはちょっと

怖い気がする ・・・

Shidarezakura_03

Shidarezakura_01

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新宿御苑の桜③ヨウコウ

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園内入ってすぐの芝生の上でまだ開き始めたばかりのソメイヨシノ

の向かいに、ひときわ明るいピンクの満開の桜の木。

木の下にはたくさんの人が集まっています。

木に付けられた札を見ると『ヨウコウ』。

見上げる人の頬までバラ色に染まりそうな、まさにこの世の春とで

も言ったらいいような HAPPY COLOR。

Youkou_03

青空に浮かぶ花、花、花!

Youkou

そして、紅白の桜天井。この下で眠りたい ・・・

Kouhakusakura

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新宿御苑の桜②ソメイヨシノ

Somaiyoshino

桜と言ったらやっぱりソメイヨシノ。

桜の代表格です。

そのピンクがかった白の、なんとも言えない色合い。

これでもかと言うほどの房咲き。

これだけ房になって咲いているのに、ひとつひとつの花のくっきり

したその形。なんて、かわいいんだろう!

かえってこのくらいの3分咲きのほうが、ツボミの姿も見られて私

は好きかもしれない。

いつまで見ていても飽きないヨメイヨシノの生き生きした表情を、

一挙に。

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2006年3月28日 (火)

桜を描く人

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池のほとりに立って、熱心に桜を描いていたおじいさん。

しばらく見ていて、「見事ですね」と声をかけたら、少し微笑して、

「あの桜が満開になるのは2、3日あとでしょうか」と訊かれた。

足もとには2年前に描いたという満開の桜の絵。

今年も同じ構図で描こうと思って来たら、まだ3分咲きだったとい

うわけだ。日本庭園の大きな枝垂桜なんて、まだまったく開花し

ていなかった。

「たぶん今週末が見頃でしょう。でも、すごい人でしょうけど」

誰が見ていようが頓着せずに描いていられるようだが、でも大勢

の人に立って後ろから覗かれていたら、今ほどゆっくり描くことも

できまい。近くの木立の下にはバッグと真新しいキャンバスが。

日がな一日こうやって描いているのだろうか。

家には桜の絵がたくさんあるそうだ。

足もとの見事な桜の絵、見えますか?

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新宿御苑の桜

gyoennosakura

朝から晴天で、一気に春の陽気になった昨日、仕事で出かけたつい

でに新宿御苑に行って来ました。

入り口付近にはたくさんの人が集まり、かなりのお花見客で賑わう

のかと思ったけれど、桜もまだ見頃には少し早く、月曜ということも

あって広い園内は比較的静かでのんびりした雰囲気。

芝生に座ってお弁当を広げたり、ロケーションの良いベンチに座って

くつろいだり、私と同じように1人で写真を撮り歩いたり、みんな思い

思いに桜を愉しんでました。

木によってはもう満開のもあるけれど、全体的には4分咲きから5分

咲きといったところ。けれど青空の下、暖かい春の陽射しを受けてき

らきら光る桜を眺めながらの散歩は本当に気持ちが良くて、こんなに

ゆっくり桜を眺めたのは本当に久しぶりだなあと思った昨日。

桜の下では誰もがしあわせそうなのがいい。

街には薄物の春の服を着た女の子もチラホラ。揺れる花柄シフォン

のスカートに、季節はもうすっかり春です。

一度にはアップできない量なので、これから幾つかに分けて御苑で

撮った桜の映像をアップしたいと思います。しばしブログでお花見散

歩。おつきあいいただけましたら ・・・

まず、天上には桜、地上にはスイセン。なんて長閑な春の景色。

sinjyukugyoen

下は、坂を降りる途中、目の前いっぱいに広がった桜。

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まるで一幅の絵のような二人。

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そして水辺の桜、四点。

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2006年3月27日 (月)

Blush Pink

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ブラッシュ・ピンクが愛くるしい君も桜。

して、君の名前は?

・・・・・・ あとで、おじさんに聞いてこよう。

昨日、花曇りの近所の桜並木はいま2分咲き。

都心に行ったらもっと咲いてるだろうか ・・・

2006sakura 

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2006年3月26日 (日)

博士の愛した数式②

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本当は続けてアップするつもりですっかり間が空いてしまったが、映

画を観た帰りに紀伊国屋書店に寄った。

『博士の愛した数式』の原作となった小説を買うためだが、さすがに

もう新刊本のコーナーにはなかったので、探すとその書店では男性

作家と女性作家で棚を分けていた。本を探しやすくするためなのだろ

うが、私は作家名であいうえお順に並んでいる方がいい。女性作家

のコーナーは見るからに装丁からして華やかで、女性作家特有の匂

いがした。内容も現実に即したリアルなものが多くて、その次に多い

のが恋愛小説だった。ひとつひとつ手にとって見たわけじゃないし、

もちろん中には良い本もあるのだと思うが、きわどいタイトルのものも

多くて、変な言い方かもしれないけれど、あまり清潔な感じがしなか

った。私は昔から女流という言葉が大嫌いで、女っぽいのが苦手だ

が(だから男みたいなニックネームをつけられてもそのままにしてきた

のだと思うが)、その理由をあらためて思い出した気がした。

そして、私の探す本はあった。華やかな女流文学の本の中で、映画

の宣伝の帯こそつけられていたが、地味なくらい簡素な装丁もタイト

ルの文字も、私にはひときわ清潔に見えた。最初の頁を開くと、その

印象と同じく簡潔で清潔な文章が目に入った。一瞬で、これは頭の

中がきちんと整理された、頭の良い人の文体だと思った。

少し読み進めれば、あの映画が一部のストーリーの違いを除けば、

きわめて原作に忠実に、つまり原作を限りなくリスペクトして作られた

ものだとわかるが、小説の方は映画よりずっとシビアでリアルである

たとえば、主人公の家政婦の人生は映画では数学の教師となった

息子によってさらっと語られるだけでよくわからないが、小説では母

子家庭でありながら負けず嫌いの母によって精一杯の夢を託されて

育った娘が、高校3年で妊娠し、あっけなく恋人の大学生には捨てら

れ、母の激しい怒りにあって妊娠22週で家から出奔。以来、母と音

信不通となった娘はたった独りで子供を産み、産院からそのまま母

子成育住宅に入所して、保育園の抽選に当たったのを機に、赤ちゃ

んを預け、家政婦として10年、働き続けてきたと書いてある。

これだけでも私にとっては想像するに余りある話だが、かといって映

画同様、小説のほうも余分な感情移入はせずに淡々と事実として書

かれていて重いところはない。なぜならこれはそういう小説ではなく、

あくまで博士と、博士の愛した数式のための小説だからだ。全ては

読み手の洞察力と共感力に委ねられていると言っていい。けれど小

説によってそういう背景を知ると、あまり人に抱擁されることなく育っ

たという息子ルートが、博士にしっかり抱擁されたときに彼女が抱い

た心情がどんなものだったかなど、よりリアルに慮ることができると

思う。博士にしてもしかり。映画の中でも小説でも、家政婦が博士の

書棚を整理していて、クッキーの空き缶の中に大事に保管された博

士の野球カードを見つけるシーンがあり、映画では博士が子供の頃

から野球をやってきた設定になっているが、小説では博士は野球を

やったことがあるどころか、TVで野球中継を見たこともなければラジ

オで聞いたこすらない。もっと言えば彼には野球を一緒にするような

友達すら1人もいなかったのである。彼にとっての野球とは、新聞記

事と野球カード、そこに載った様々な数字から想像する世界でしかな

かった。これを知ると、このシーンはなかなかに切ない。

たいていの天才と呼ばれる人間が、たったひとつのことだけに人生

のあらかた全てを犠牲にしてしまうのと同じように、博士もまた数学

に魅せられたがゆえに、少年が少年として普通に経験するようなこ

とは何ひとつ経験せずに生きてきたのだった。

そういったわけで、小説の方は随所で映画よりもっと厳しい現実が

あり、映画の方が多少ロマンティックに美しく描かれているところは

あるものの、これだけ原作の雰囲気を忠実に再現する映画を作って

もらえたなら、作家も冥利に尽きると思う。映画には映画にしかでき

ないことがあるし、小説には小説にしかできないことがあるのだ。

前回、『全体的にこの映画の清潔で温かい雰囲気と幸福感は全て

はこの博士と家政婦の人柄、子供の子供らしさ、自然環境の素晴

らしさ、そして数字と日本語の美しさにあると思う』と書いたが、それ

はそのまま小説の持ち味であった。まずこの主要登場人物3人が

稀有なのである。

どう稀有かというと、博士は数学という学問だけに全てを捧げてきた

ような浮世離れした人間でありながら、およそ現代人が忘れてしまっ

たような良識と常識、それにか弱きものへの圧倒的な愛情を兼ね備

えた人物である。それに数式の美しさ同様、美しい日本語を話す人

でもある。家政婦の彼女は母子家庭という環境で、幼い頃から家事

全般を自分でやり、高校さえろくに出ていず、男性不振に陥ってもお

かしくないような経験しかしてきていないのに、卑屈になったり俗に

落ちたりするどころか、自分のできることに誇りを持ち、自分の人生

を肯定するだけの力がある。苦労はしていても生活の垢など一切つ

けることなく、彼女の瞳はいつも物事をクリアーに歪みなく映す。

そして彼女が最も優れているのは、たとえ埃にまみれたすすけた石

からも、その輝きを見出す点にある。実際、小説の中の博士は、映画

で寺尾聡演じた博士よりずっと風采の上がらない不清潔な老人であ

る。世間の人は誰も彼に近寄らない。けれど、彼女は博士のなかに

若かりし日の美男子の片鱗と才能の輝きを見出したばかりじゃなく、

大の苦手の数学にさえ、限りないロマンと心躍るような冒険を見出す

のである。つまり博士の夢を共有し得るだけの聡明さを持った女性

だったということだ。家事に万能で、豊かな感受性と共感力を持ち、

母性的で、ホスピタリティがあって、なおかつ子供みたいなところが

あって聡明ときたら、それだけでもう充分じゃないか。

そして、子供。この子供がまたいいのである。赤ちゃんのときから人

に預けられっぱなしで育ってきたというのに、この子にもそんなところ

が全然ない。天真爛漫で、物怖じせずなんでも言えるし、かといって

子供らしいだけじゃなく、言ってはいけないこと、大人の励まし方もよ

く知っている。母親譲りの偏見の無さと学習能力の高さ、まっとうな

頑固さも持ち合わせている。

私がこの『博士の愛した数式』から教えられたのは、私たち親と呼ば

れるものは、つい自分の子供をできるだけ万端に調えられた場に置

きたいと思ってしまうものだが、子供は無いところ、足りないところか

らも学び、自分より弱い者、満足じゃない者と対することで、自分の

優しさや力を発揮するものだということ。外見だけで世間の大人たち

から疎んじられていた博士から、この子供が学んだことははかり知れ

ない。

そして最も素晴らしいのは、私は最初、彼女が博士の言う無矛盾の

数学に惹かれたのは、感情という割り切れないもの(矛盾)を抱いて

るがゆえだろうと思っていたのだが、そうではなく、数学の世界にお

いてもまた、人の心にしか存在しない数もまたあるということを博士

が教えてくれたことだった。それは私の数学に対するイメージを根底

から変えてしまった。これについては説明を加えることなく、ご一読を

お勧めする。このような冴えないアタマで書いたまとまりのない長い

文章を、最後までお読みいただいたことに心から感謝します。

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2006年3月25日 (土)

SAKURA SWEET

shikizakizakura

秋の終わりに咲いているこの桜を見たときは、その花の形からてっき

り十月桜だと思っていたのに、今またたくさん咲いているのを見つけ

て写真を撮っていたら、いつのまにベランダから見ていたおじいさん、

「それは四季咲き桜だよ。夏にも咲くんだ」と言う。

え? 夏に咲く桜? そんなのがあるって初めて知った。

聞けばそのおじいさん、植木職人なのだそうだ。どうりで、ここの庭

だけ珍しい花木でいっぱいなわけだ。

「まだそれは五分咲きだよ。2、3日もしたら木全体が真っ白になる

 から、また見においで」と言われた。

この桜はデリケートで甘い、少女の印象。

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それから、霊園の原っぱにあった巨木は山桜。

これは清楚なジャパニーズ・トラディショナル。

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こんな空を撮れるのもこの時期ならでは。

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私のブログはとうぶん桜だらけかもしれない。

また誰かさんに飽きたって言われちゃうかも知れないけれど。

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2006年3月24日 (金)

春、山吹のきいろ

yamabuki_2

いずれ桜がいっせいに咲き出せば、艶やかな花の陰に隠れて

誰にも振り向かれなくなるであろう山吹の、芽吹いたばかりの

新鮮なきいろ。

君はその色を持て春に向かわん。

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最後はおまけ画像。

枝に鈴なりになって咲いていたこの花は、土佐ミズキというらしい。

tosamizuki

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2006年3月23日 (木)

早咲き桜

yamazakura

ついに来てしまった。今年もまた桜の季節。

私が一年で最も落ち着かない季節。

おととい、王ジャパンがWBC日本一を決めた日の午後。

カーナビの画面でその様子を見ながら、窓の外にちらっと見えた花木

に目をとめた私が、「あ、あの咲き方は桜だ!」と言ったら、

「まだ桜ってことはないだろう」ってあなたは言ったけど、

昨日、確かめたらやっぱり桜だった。

私ってなんて良いおめめをしてるんだろう。

私の住むこの辺りでは、まだソメイヨシノも枝垂れ桜も小さな固い蕾を

してるのに、ひと足早く咲いたこの桜は、たぶん山桜。

このあいだまで、まるで桜と見まごうばかりの梅に出会うたびに悩ん

でいたけれど、桜が咲いてみたらなんのことはない。桜と梅の違いは

花びらの形もさることながら、咲き方が全然違うのだ。枝からぽこっと

蕾が出てきて枝なりに咲くのが梅ならば、さくらんぼの茎と同様、茎

が房状になってその先に花がつくのが桜なのだった。私がクルマの

窓から一瞬で桜とわかったのも、花の房が揺れていたからだと思う。

きりっと着物を着た明治女のように、凛として香り高い梅もきれいだ

けれど、桜ってもっともっとスウィートな花なんだ。和風スウィート。

甘く、心惑わされる季節の到来。

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そして帰りにマンションの植え込みで見つけた寒緋桜。

この緋色もなんともいえない色っぽさ。

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2006年3月22日 (水)

ついに満開!ミモザ

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先日、咲き始めたミモザの写真をアップしてからも、毎日のように見

に行っていたミモザの木。三寒四温が長く続いた後、強風と共に激

しい寒気がやってきたりしてなかなかツボミが開かなかったけれど、

ついに昨日、満開になりました。15日の写真とくらべていただけると

よくわかると思うのだけれど、木全体がぱっと一気に明るくなって、

まるで光を発しているよう! 金色の房をつけた枝を風に悠然と揺

らしている様はなんとも心地良さげで、見ているだけでゆったりした

気持ちになります。こんな木が1本、自分の庭にあったらいいだろう

なあ。この木を目がけて鳥なんかもやってきて。

このミモザの木。ちょっと爆発してる時の自分の髪のようでもあり。

これもまた幸せの木。

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2006年3月21日 (火)

桜の器

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先日、高知県が早々に桜の開花宣言をしてから、ブログでもそろそろ

桜の写真が見られるようになりました。

桜というのは本当に特別な花で、毎年ポップスの世界でも桜をタイト

ルにした歌は必ずヒットするし、日本人なら誰でも桜が嫌いな人はい

ないと思うけれど、私も桜が大好きで、桜が咲く頃になるともうまった

く落ち着かない。毎年きまって桜は咲くけれど、今年の今日、いま一

瞬の桜を好きな人と見られるかどうかというのは、私にとっては毎年

とても重要なことで、それは男の方にはなかなかわかってもらえない

ことかもしれないと思う。

そんな風なので、私は桜が描かれた器も大好きで、あっという間に

咲いたかと思ったら散ってしまう桜を少しでも愉しむために、家では

この時期だけの器を使います。上は清水焼の土ものの銘々皿で、

土ものでも清水だとさすがに薄くて軽い。うっすらピンクがかった光

沢のあるベージュの皿で、これはどんな和菓子とも合わせやすい。

下は女性作家による手描きの桜の湯のみ。写真にはよく映らなかっ

たけれど、ピンクとグレーの窯変がほどよく出た優しい器。

sakura_no_utsuwa_05

これは見たことある人もいるかもしれないなあ。

私は老舗の某有名器ショップにいたので、そこのオリジナルです。

同じデザインで大きい銘々皿や小鉢もあるのだけれど、私にはこれ

くらいの豆皿のほうが使いやすい。

sakura_no_utsuwa_03

これも作家物の桜の箸置き。

sakura_hashioki

そして最後はこの時期だけじゃなくて、私が一年中使っているお茶碗

です。荒木義隆の作品で、渋い地の色とマッチした自然な手描きの

桜の見事さに惚れこんで買ってしまったもの。とても柔らかい土もの

で、使っているうちに縁を小さくチップしてしまったのだけれど、ただ

単に高かったという理由だけじゃなくてとても好きなので、気にせず

使っています。私はこの桜のお茶碗を使うことで、心の贅沢をずい

ぶんもらった気がする。

sakura_no_utsuwa

お茶碗の中にも桜が描かれて。

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2006年3月20日 (月)

STATIC CULTURE@Los Angels

static_culture_01

日曜夜10時、TBSでやっているTV番組『ウルルン滞在記』を見たこ

とのない人には申し訳ないのだけれど、今日の記事をウルルン滞在

記的に言うと、「そうきちが、東高円寺のライブハウスで、shindou

さんの息子に、であったー」という感じ。

春の嵐のような暴風が吹き荒れ、ものすごく寒かった昨日の夜。

そんなわけで『アンラッキーもラッキーさ』のブロガー、shindou さんの

息子さんのバンド『STATIC CULTURE』のライブに行ってきました。

東高円寺の、普通の住宅の地下にあるライブハウス『Los Angels』。

まずその天井の低さにびっくり!

バンドメンバーはツイン・ギターにベースにドラムスの4人編成の、弱

冠20歳のバンド。でも見た目はそれ以上に若くて、今どきの若者と

しては素朴なくらい。若者の(っていうところがすでに年寄りくさいよ

ね)ロックのライブに行くのなんて実に久しぶりで、きっと爆音だろう

から大事なお耳がどうにかなるかもしれないと懸念しつつ行ったのだ

けれど、音が出るやいなや感じたのはなかなかソリッドでタイトな音。

ドライヴ感もあって音量の大きさを感じさせない。私はいつも辛口と言

われてしまうのだけれど、お世辞じゃなく嫌いじゃなかったです。

彼らが純粋にロックが好きな気持ちがまっすぐに伝わってくる演奏で

した。これって実はすごく大事なこと。

音楽って、音楽をしたい、したくてたまらない衝動と、伝えたい気持ち

と情熱、それに聴衆の前で演奏する以上、聴いてもらうという姿勢。

それがあって初めてスタートラインに立てて、テクニック云々のことは

そこから先のことだと思うのです。

それともうひとつ、日本語で歌詞を書いて歌う以上は、何を言ってい

るのかわからないのはマイナス。歌詞の言葉をはっきり伝えるのは

大事です。18~20歳くらいの学生にいつもヴォイトレ指導をしてい

る友人と、そんなことを話しながら帰った昨日。

ちなみに初めてお会いした shindou さんは、ちょい悪オヤジどころ

か、清潔感があって、好青年がそのまま年齢を経た感じのなかなか

ハンサムなお方でした。子供の話になると目尻が下がってニコニコ

顔になってしまう優しいお父さん。そんな父親に心から支援されて

音楽ができる息子は幸せだと思うし、ソングライティングの才能が

あってなおかつ見目麗しい息子と、モデルをやっているかわいい娘、

将来有望なお子さんを2人も持った shindou さんはほんとに幸せね。

帰ってから、いただいた2曲入りのCDを聴いて初めて気づいたけれ

ど、息子さんの声は shindou さんの声に似ていました。

やっぱり親子。いつか親子でステージに立てる日も近い?  

・・・・・・ 期待してます。

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2006年3月19日 (日)

メタモルフォーシス

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朝の祈り

合掌する人の手のような木蓮

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そしていっせいに飛び立つ鳥のような木蓮

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waiwai さんのところで『毛皮のコート』と表現されていた

ふわふわの毛のついた額がまだ残っている木蓮。

でも次の日にはすっかりコートを脱いで春の装い。

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いまの季節、ちょっとうっかりしていると見逃してしまう

春の変遷。

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2006年3月18日 (土)

ぼけの花

boke

子供の頃、新所沢のおばちゃんの家に遊びに行くと、話してばっかり

の大人の横で、お菓子を食べることにも飽きた妹と私は、よく外に遊

びに出かけた。新所沢は当時、新興住宅街で、いたるところに大きな

雑木林が残っていた。いったん入り込んで、しばらく歩いて出てくる

と、どこに出てきたかわからないくらい大きい。あんまり遠くに行きな

さんなよ、と言われて出た私たちは、ときどき迷子になりそうになりな

がら、なんとか家路にたどり着いた。でも、それがちょっとスリルで楽

しかったのだ。ときどき感じの良い大きな公園を見つけたり、林の中

で拾い物をしたりした。春の雑木林の足もとには、小さなぼけの木が

いっぱい頭を出していて、いつか、その小さいのを手で掘って持って

帰ったことがあった。「まあ、ぼけじゃないの」。私が差し出した根っこ

と泥つきの小さなぼけを見て母は喜んだ。子供の私は何がそんなに

嬉しいのかわからなかったけれど、今ぼけを見つけると私も嬉しい。

ぼけの花って、なんて春らしい色の、かわいい花なんだろうと思う。

誰も気づかないような足もとにも、小さなぼけの花が。

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2006年3月17日 (金)

窓の猫

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花の香に誘われて入ったことのない路地裏を曲がったら、視線を感

じて、見上げると窓から猫がこっちを見ていた。

20代の始めの頃、たしか近所の人だったか母の知り合いだったか、

子猫がたくさん生まれたのでもらい手がいないかと言われて、2週間

ほど預かったことがある。チンチラとアメリカンショートヘアーのあいの

こで、シルバーグレイとチャコールグレーのトラ猫。毛足の長いヤツで

すごくかわいかった。最終的にその2匹の猫は、私の親友と、その頃

つきあっていた彼にもらわれていくことになった。彼のほうは私に会え

ないとき、1人でいても寂しくないようにと。(まあ若いときのことなの

でご容赦ください。)

けれど彼らは放浪癖があったのか、結局2匹ともどこかにいなくなっ

てしまった。親友のほうはともかく、彼は無類の猫好きで、とても可愛

がっていたし、何もしなくても猫のほうから寄ってくるような人だから、

なんでいなくなってしまったのかわからない。

彼の猫がいなくなったとき、写真つきのチラシを作ったのは私だが、

探すときは困った。いくら私の代わりだからといって、私と同じ名前を

猫に付けなくてもいいと思う。夕方、猫の名前を呼びながら彼のアパ

ートの近所を探してまわった。前の大きな畑の中や裏の家の庭や。

いま思い出しても切ない。思えばあのとき、すでに何かが失われて

いたのかもしれない。猫は人間より勘がいいから、私より先に何か

を感じていたのかも。

こんな顔をした猫に出くわすと、思わず猫を飼いたい誘惑に駆られ

るが、いいや待て待て、私はできるだけ自由で身軽でいるべきなん

だ。執着なんかより遠く、ね。 そうでしょう?

窓の君は外の景色を眺めながら、いったい何を思ってるんだろう。

cat

この辺って住むには良い環境だけれど、あまり文化も感じられないし

シャビーな町なのかと思っていたら、ちょっと知らない裏通りを入って

みたら、結構なお屋敷がずいぶんあった。ログハウス風だったり、南

仏プロヴァンス風だったり。知らないのは私のほうだった。

私の大好きな大きなオリーブがあった家。

house_02

素敵なテラコッタのポットに植えられているのは薔薇の木。

フェンスに枝が誘引してありました。

house_01

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2006年3月16日 (木)

紅白しだれ梅

shidareume_03

この時期のすごいところって、外に出るとほのかに花の香りがすると

ころだと思う。梅の香りだったり、沈丁花の香りだったり ・・・

このブログを見てくださっている地方の方にときどき驚かれるのだけ

れど、私が住んでいるこの辺りって、私が思っている以上に緑が豊か

で花の多い町みたいだ。近所をちょっと歩いただけでも、いたるとこ

ろで満開の枝垂れ梅を見つけた。紅白のしだれ梅。

shidareume

shidareume_01

そして、足もと見たら、この梅の持ち主によって書かれたものなの

か、水道道路を通る人へのメッセージが。

ささやかな人との繋がりを求めてのことだろうか。

shidareume_02

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2006年3月15日 (水)

やっと咲いたミモザ!

mimoza_01

ここ数日、毎日のように見に行っていた、私の部屋から数分のところ

にあるミモザの木。

家の人が気づいていたら不審者と思ったかもしれないけれど。

三寒四温でなかなか開かなかったミモザの蕾も、今日やっと開きま

した。あたたかい春の陽射しを受けて、輝くばかりのミモザの花! 

風に揺れるミモザってなんて気持ち良さそうなんだろう!

まだ木の全体からすると2分咲きくらい。

満開になったら ・・・、またきっとアップしてしまうだろうなあ。

大好きなミモザ。

mimoza

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2006年3月14日 (火)

国立のお花屋さん

flower_shop_002

昨日は金曜にジャズ・バーに落とした鍵をもらいに行くついでに、友

人が通っているフィットネス・クラブの招待チケットをもらって、2つの

クラスを体験してきました。ミュージック・スクールで講師として音楽を

教えるかたわら自らヴォーカリストでもある友人は、良い声を出すた

めに常に身体を柔軟にして、かつ腹筋と背筋を鍛える必要があって、

それで始めたヨガももう6年。でもヨガは心を安定、沈静化させるのに

は良くても、心をアッパーにするのも何か必要だということで、最近は

ジャイロキネシスやピラテスなどもやっている彼女。女の人がいつも

きれいで元気に働くって実に大変です。

それで誘われた私は実は最近ダンスに興味があって、彼女がいま

行っているクラブはダンスに力を入れていると言うので、ラテンは無

いかと聞いたら無いって言う。ところが見せてもらったメニュー・リスト

を見たら、あるではないか、ラテンのクラス。

友人は「そうきちさんが行くと言わない限り自分では絶対に選ばない

クラス」だと言い、別の友人には「あなたがダンス?信じられない!」

と言われたけれど、そりゃそうだろう。今までの私からは考えられな

いことだし、私だって信じられない。全てはスイミング・クラブに行き始

めたことに起因するんじゃないかと自分では思うけれど。

というわけで行って来ました。ラテンのクラスと、その前に30分、スト

レッチ・ポールのクラス。ストレッチ・ポールは文字通り、柔らかい円

柱を使ってやるストレッチで、肩こり腰痛に効いて身体の歪みを直す

というもので、ポールの上に仰向けに寝ているのが基本なので、これ

は老人でもできる。でも10分ポールの上に寝て軽く身体を動かした

だけでも背骨の歪みが矯正された感じがするので、良いかもしれな

い。問題はダンス。25人くらい集まった片面ガラス張りのダンスフロ

アに、ヘッドマイクをつけてセパレートのコスチュームを着たキュートな

インストラクターが現われたと思ったら、アップビートなダンスミュージ

ックが流れ始め、いきなり始まるウォーミングアップ。

今日初めて参加する人も3年やってる人も関係なく、音楽に合わせて

踊るインストラクターの指示どおりに身体を動かすのだけれど、早い。

早くて全然ついていけない。前列で露出度の高いコスチュームを着

てスムーズに踊っている人たちはどうやら年季の入った人達らしい。

今日初めての人は手はつけなくていいから足だけ止めないように!

と言われるけれど、それどころじゃありません。驚いたことに最初の

ウォーミングアップだけで、ふだんあまり汗をかかない私が汗びっし

ょり。以降、全部入れても6分くらいの休憩を抜かして50分間踊り

続けたのでした。終る頃には着てるものは全て汗、髪からもしずくが

流れるほどで、あんなに汗をかいたのは生まれて初めての経験でし

た。自分があんなに汗をかけるとは思ってもみなかった。

この日、やりながら私にわかったのは、これがメレンゲのステップか、

これがチャ・チャ・チャか、という程度のこと。怒涛の50分間を終えて

後でメニューリストを見たら、このクラスには『初心者でも参加OK』の

マークがついていなかった! かなり無謀だったのかもしれないと思

ったのでした。でも終った後はどうなることかと思ったような疲れもなく

意外とすっきりして帰って来ました。長年、生徒にヴォイトレのための

ストレッチを指導している友人に、自分の姿勢の欠点を指摘してもら

うこともできたし、なかなかよかった。気がつくと外は雪。

今日の写真は、その後に彼女の部屋の近所で撮った3つの個性的

なお花屋さん。国立ってやっぱりお花屋さんが多いのです。

上と下は『みつばち』。

看板に小さなミツバチが飛んでるのがわかりますか?

flower_shop_004

これは野草専門の花屋さん。野草専門ってめずらしい。

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これは彼女が好きだと言う倉庫みたいな花屋さん。

ウェルカム・ボードの上にかわいいフクロウが ・・・

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2006年3月13日 (月)

沈丁花

jincyouge

昨日の東京の最高気温18度。強い南風。

そのまま暖かくなるのかと思ったら、今日はまた冬に逆戻り。

やっと開いた沈丁花も心なしか寒々し気。

沈丁花ってマクロで撮るとミニチュアのブーケみたいだ。

今日、月曜の君に。

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白の沈丁花もきれい。香り立つようです。

(画像追加:3/16)

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2006年3月12日 (日)

博士の愛した数式

hakase_004 

春まだ浅いある日のこと、数学好きの男と数学嫌いの女が『博士の

愛した数式』を見に行った。

と、ここまで書いて(いまやほとんど死んでいるけれど)、私はシネマ

ブログを持っているのだから、そちらに書けばいいとも思うが、今日

はレヴューというほどのものを書くつもりはないので、ここに書こうと

思う。単なるある日の出来事として。(でも今日は長くなりそうな予感

がするので、お時間の無い方はパスしていただきたい。なんだ、い

つものことじゃないかと思ってくださる方だけ、おつきあいください。)

まず、映画が始まってすぐに私は少々面食らった。

数学を愛する博士と、彼の家で働く家政婦の話だというのは知って

いたけれど、それ以外のことは何も知らずに見たのだ。

映画の中では息子の語り口で進められるそのストーリーによると、

彼の母は結婚できない男の人を愛し、息子を産んで1人で育ててい

た。つまりシングルマザーの話だった。この時点で私は「あ、そうい

うことか」と気づいた。同時に私はミスチョイスをしてしまったかも知

れない、と思った。

深津絵理演じるこの母は全くの無学だったため、自分にできること、

自分の良いところを最も活かせる仕事として家政婦を選び、どんな

雇い主ともうまくやり、不平不満も言わず、家事のプロとして仕事に

誇りを持って気持ちよく働いてきた。すでにキャリア10年。

その彼女の新しい派遣先が、このあと彼女が博士と呼ぶことになる

男(寺尾聡)の家である。

すでに9人もの家政婦が依頼人からのクレームで交替させられてい

た。緊張の面持ちで派遣先の家に面接に行った彼女は、そこで依頼

人である博士の義姉(朝丘ルリ子)から、世話をしてもらいたいのは

義弟だが、どなたも長続きしないので私も義弟も困っている、かとい

ってお願いしたいのは特別なことではなく、月曜から金曜までの午前

11時から夜の7時まで、買い物や食事や掃除や洗濯など、当たり前

の身の回りの世話をしてほしいだけ、と言われる。ただし、そこには

ひとつ大きな問題があった。

17年前の交通事故で博士は頭を強く打って記憶障害になり、事故

以前で記憶がストップしてしまっている上に、今の記憶もたった80分

しかもたないというのだ。つまり80分ごとに記憶は塗り替えられ、彼

の頭には残らない。事故に遭う前の記憶と最新の80分の記憶だけ

が彼の頭の中の全てである。

そんなわけなので彼女は毎日、博士の家に行くたびに怪訝そうな顔

で出てくる博士に「新しい家政婦です」と言わなければならない。

すると得心した博士は決まって尋ねるのだ。

「君の靴のサイズはいくつかね?」と。

それだけじゃない。電話番号、誕生日、ありとあらゆる数字に彼は関

心を示す。そう、彼は数学の美しさに魅せられ、数字をこよなく愛する

天才数学者だった。同時にそれは、何を喋ったらいいか混乱したとき

に、言葉の代わりに数字を使って人と交流するために編み出した、博

士独自の方法だったのだ。

最初、博士は記憶障害を持った、話しかけるタイミングさえつかめな

い無口で偏屈な老人だった。けれど、博士が自分の80分の記憶を

補うために、背広のあちこちに安全ピンでとめたメモ書きのなかに、

彼女は『新しい家政婦さん』と書かれ、自分の似顔絵を描いたメモを

見つけて、博士が自分を忘れないためにそれを書いたことを思い、

優しい気持ちになる。

そして、博士の家での仕事になんとか慣れた頃、夕飯のハンバーグ

を捏ねながら話していたことがきっかけで、彼女に10歳の息子がい

ることを初めて知った博士は、いきなり混乱し始める。10歳の息子の

いる母親が、大事な息子を放り出して、もう日の暮れだというのに他

人である自分の夕飯を作っているなんてなんたることだ、子供を独り

ぼっちにしちゃいかん、何かあったらどうするんだ! と言うのだ。

もっとうんと小さい頃から2人でやってきたからだいじょぶなんだとい

う彼女の説明も聞かず、ハンバーグを捏ねてる手を引っ張って今すぐ

帰りなさいと言う。私などはすぐに自分の身に置き換えて、そんなこ

としたら彼女が職を失ってしまうじゃないか、と思って見ていた。

そして彼女が仕事を終えるまで帰らないことを知った博士は、明日か

らは子供をここに連れて来なさいと言う。「僕の記憶が80分しかもた

ないから忘れてしまうだろうと高をくくってるんじゃないだろうね?」と

言って、『新しい家政婦さん』のメモの横に、『と、その息子10歳』と

書き加える博士。そうして次の日やって来た子供を見るなり、なんの

ためらいもなく博士が抱擁するシーンはとても美しく感動的である。

hakase_01   

博士は子供の頭が平らだったことから、彼に「ルート」(√)というあだ

名をつける。かくして3人の生活が始まり、数字をこよなく愛し子供を

慈しむ博士によって、次々とわくわくするような数の秘密、数の魔法

が明かされてゆき、しだいに親子は数字と博士の魅力に魅了されて

ゆくのである。

hakase_02

深津絵理演じるシングル・マザーの10年に自分の10年が重なり、

私は何度か涙があふれそうになったが、その日は1人ではなかっ

たのでなんとか堪えた。たぶん家でもう一度ビデオでも見る機会が

あったら、そのときはもっと無防備に泣いてしまうと思う。

深津絵理はどんな役をやってもひたむきさと純粋さ、明るい透明感

を感じさせる人で、彼女ならたとえ娼婦をやっても汚れた感じがしな

いだろうと思うが、そういう意味では稀有な女優さんだと思う。

義姉の別荘の母屋と離れ、という家を取り囲むまわりの自然が素晴

らしく、四季折々の景色もとても美しかった。そこに、義姉と博士の秘

められた過去のロマンスなども絡み合い、限りない憂愁と倦怠をまと

った朝丘ルリ子演じる義姉が、ストーリーに奥行きを作り出した。

そして何より64歳になったいまでも、時折り少年のように見える寺尾

聡の笑顔が素晴らしくよくて、一方では悲劇でもあるこの話に救いを

もたらした。全体的にこの映画の清潔で温かい雰囲気と幸福感は、

全てはこの博士と家政婦の人柄、子供の子供らしさ、自然環境の素

晴らしさ、そして数字と日本語の美しさにあると思う。

結果的には、ミスチョイスかと思った私の考えは危惧に終わり、最初

に書いた数学好きと初めて観た映画として、私にとっては記念に残る

ものとなった。

観終わった後、彼は「あれは救われるなあ」と言った。

つまり何があっても博士の記憶が持たない以上、悲しみが彼を襲っ

てもまた長続きはしないし、彼に言った言葉を呵責として抱き続けな

くていいのだ。80分経てば彼は忘れるから。そして博士は基本的に

全く汚れたところのない、きわめて愛情深い優しい人なのだから。

けれど救われるという意味においては、この映画のなかでは登場人

物4人全てがお互いに救われる関係なのである。

人は結局のところ独りでは生きられないし、また多くのものに生かさ

れてある、ということなのだろうと思う。

この映画で一足早く、満開の桜を堪能した。

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2006年3月11日 (土)

みどり@国立ハーバーライト

harbor_light_01

昨日の夜はブログにも書いたとおり、国立の『ハーバーライト』に、翠

さんの歌を聴きに行ってきました。昨日は某音楽院でヴォイス・トレー

ニング指導とソングライティングを教えながら、自らシンガーソングラ

イターをやっている女友達と一緒。もともと彼女の家で夕飯時に流れ

ていた翠さんのCDを聴いて好きになったのが始まり。こんな雰囲気

のあるサインが付いたビルを、エレベーターで4階まで上るとドアはこ

んな風。いい感じです。

harbor_light_02

中はカウンターバーをメインに奥がライブスペースで、4人掛けの席が

正味3セットくらいの、落ち着いた雰囲気のこじんまりしたお店。

カウンターの中にはマスターと女の子。最初、カウンターに通されて

座ろうとしていたところに、マイクスタンドのまん前、4人掛けの席で

私に手を振る人あり。

harbor_light_04

誰かと思ったら、いつかゲーテ座の帰りに一緒にご飯を食べたことの

ある、熱烈な翠ちゃんシンパのNさんでした。「よかったらこっちに来

ない? かぶりつきだよ」というので、そちらの席へ。

この日は翠さん、初めて来るお店で、初めてのピアニストがお相手。

実はNY帰りの翠ちゃん、私の予想通り、というか予想をはるかに上

回って、帰国後は疲労困憊でお風呂にも入れないくらいの状態で寝

たきりだった、と言うから、この日もどんな状態か案じていたけれど、

歌ってる姿はいたって元気そのもの。この日のピアノはいつもと違っ

てアルデンテじゃないパスタみたいだったけど(追求しないでね)、

ピアニストがボサノヴァを始めとするブラジル音楽が得意、ということ

で、翠さんのかつてのレパートリーで今はもう歌わなくなってしまった

ジョビンやジョアンの曲が生で聴けたのはこの夜の収穫であった。

憶えてるところで、セルジオ・メンデスの「How many stars」、イヴァン

リンスのアイランド、「Moon River」、ジョビンのコルコバード、イパネ

マの娘、白と黒のポートレイト、「No More Blues」、スタンダード・ナン

バーからは「But Not For Me」、「How Deep Is The Ocean」、そして

ビートルズの「Here,There and Everywhere」。このラインナップを見

ただけでも、翠さんが普通のジャズ・ヴォーカリストじゃないことはわ

かっていただけると思う。特に昨日はどんな場所でいかなる相手とも

手抜きをせず良いライヴをやろうとベストを尽くす翠さんに敬服した。

「芸歴、長いもんで」と翠さんは言うけれど、プロとして3日にあげず

歌う生活を何十年もやり続けるって、並大抵のことじゃありません。

翠ちゃんのプロとしてのキャリアと力量に感心すると共に、余裕すら

感じた昨夜のライブでした。それで、肝心の翠さんの写真は近すぎ

るのと暗いのとでブレまくり。良く撮れてないけど、携帯電話のカメラ

で撮った小さいのをアップ。

harbor_light 

そして9時から始まったライブ・タイムも、2セット終る頃には11時過

ぎ。私の友人は明日ライブのリハがあるからこのへんで、と帰り、普

通ならここで私も終電を考えて帰るところなのですが、昨日はクルマ

で送ってあげると言ってくれる人が2人もいたものだから、気をよくし

て自堕落にラストまでいたのでした。ジンライムたった1杯で酔っ払っ

てしまう安上がりな私。翠ちゃんのクルマで送ってもらい、家にたどり

着いたのはすでに夜中の1時。ところが玄関の前まで来たらなんと

鍵がない! 店にコート掛けがなくて、狭い席で膝の上にコートを置

いていたのだけれど、きっと席を立ったときにポケットから落ちたんだ

と判明。しかたなくドアチャイムを連続で鳴らして、寝ていた息子に大

顰蹙を買った不良母でした。夜中の2時にバスタブで一句。

「ジンライムたった1杯で、ワタシ酔わせてどうするつもり」 

・・・ こうなるとお粗末通り越してただのアホですね。

下は翠ちゃんにもらったNY土産。うれしや♡

NYmiyage

(追記:みどりさん激写のNYいちおし写真)

NYmidori

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2006年3月10日 (金)

春雨

shirotsubaki_3

東京はまた雨。

午後、窓から見たら傘をささないで歩いてる人がいるので、もうやん

だかと思って傘を持たずに外へ出たら、雨のなか自転車に乗ること

になった。でも、ちょっと前みたいにもう冷たい雨ではない。春雨か。

郵便局に行ったら、一輪だけ咲いていた白椿の花。

 春雨や 水もしたたる白椿  (相変わらずお粗末!)

それからココログは昨日からずっとサーバーのメンテナンスで使えな

い状態だったけれど、やっと解除されたようだ。

何度もアクセスしてくださった方、ありがとうございました。

私は今夜はこの雨のなか、めずらしく国立のジャズ・バーなんかに

出演する、清水翠に会いに行ってきます。

この雨で少々面倒でもあり、疲れて眠くもあるのですが。

そのご報告はできたらまた後で。

しかし、やっぱり翠さんて雨女なのかも?!

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2006年3月 9日 (木)

春の宵

harunoyoi

夕方、おっきなオレンジ色の夕陽を追いかけて、たどり着いたのは

花の色でけむるような公園の原っぱ。

白梅と濃淡の紅梅とサンシュユの黄色。

ほのかに甘い香りの漂う春の宵。

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見上げれば、梅の枝の間に今宵の月が。

harunoyoi_04

からだごと、ふわふわしそうな春の宵。

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2006年3月 8日 (水)

IN THE LOBBY / 至福の共有

in_the_lobby 

先週、いつものようにスイミングスクールで50分を泳ぎ終えてジャグ

ジーに入っていると、いつか話したプロ・カメラマンの彼が来た。

その日はとてもお天気が良くて気持ちのいい日で、そんな日はクラ

ブも混んでいて、ジャグジーの中もいっぱいだった。私が少し右に移

ってスペースを空けると、そこに滑り込んできた彼は私に向き直ると

静かに話し始めた。

「先日、教えてもらった坂本龍一のCD、聴きました」

アフター・プールのリラックス・タイム。ジャグジーは大きな窓の前に

あって、光が射し込んでくる。疲れているのとリラックスしているのと

で、私もいつもとは違う。(なんたってノーメークにばっちりゴーグル

の跡付きの顔なのだ。)

「ん? カーザですか? よかったでしょう?」

「とても良かったです。坂本龍一に対する見方が変わりました」

「私もあれで坂本龍一に対する気持ちが変わりましたね。それまで

は坂本龍一の音楽って鋭くて、ともすると無機質な印象を持っていた

から。私には世間が言うような癒し系の音楽なんかには聴こえなくて

どちらかというと精神を研ぎ澄ます音楽、リラックスじゃなくて緊張さ

せる音楽、サイコチックな音楽だったから。雨の日に家で聴いている

と、いてもたってもいられらくなるような ・・・ 」

「でも、カーザは違う。このCD聴いて坂本龍一っていい人だったんだ

 なあって初めて思いました」

「そうよね。とてもリラックスしていて人間的な感じがするしね。それに

パオラのヴォーカルがすごくいいでしょう? また、あれはジョビンの

家で録音した、ということで特別に生まれたリラックス感でもあるのよ

ね。これがまた素晴らしい家なのよ」

「だから、アルバムタイトルがそのまま”CASA”なんですね」

そうです、と言ってそれからしばらく私の知っている坂本龍一の話を

した。9.11以降のこととかアフリカに行って坂本龍一が再生したこ

ととか ・・・ 。そして『CASA』がとても良かったので、それに関連す

るライブアルバムを全部買ったことも話し、そのなかのひとつである

『IN THE LOBBY』について話し始めた。

「最初、PCに向かって作業しながら聴いていて、なんで坂本龍一は

これをCDにしたかなと思ったんだ。こんなラフでプライヴェートな音源

身内だけで楽しめばいいような音源をね。だってパオラもふだんとは

全然違う素の歌い方をしてるし、おまけに途中で彼女の娘がマイクを

奪って調子っぱずれに鼻歌を歌ったりするのまで入ってるの。でも

ね、途中でわかった。聴いてるうちに背筋から脳髄まで一気に至福

で満たされるような瞬間がやってきて、’ああ、これだったんだ、これ

を坂本龍一はそこにいなかった人間とも共有したいと思ったんだ’

ってね。とっても感動した。それは、あのCDを聴いたら誰にでもわか

る、というようなものじゃないかもしれないけれど」

でも普通の人は買うまでもないかも知れない。聴きたければCDに

焼いてあげますよ、と言って私はジャグジーを出た。

****************************************************

それは夏の遅い午後。

夕方とはいえまだ夏の陽が眩いホテルのロビーに、思い思いに集ま

ったツアー・メンバーによって、シークレット・ギグは始まった。

ワイン片手に家族参加型のリラックスした即興演奏。

うわさを聞いて駆けつけた人や、ホテルの泊り客や通りがかりの観

客やらが、床に座って聴いている。なにせロンドンのグレート・イース

タン・ホテルのレセプション前の空間だから、時折りカウンターの電話

が鳴り響いたり、チェックインの客がやって来たり、人の話し声やフロ

アに落としたグラスの割れる音までが混じる。

が、そんな雑音さえいっこうに気にならない。限りなくリラックスしてい

ながら瞑想のように集中度が高く、密度の高い時間。美しい時間。

気づけばいつの間にか自分もその美しい時間の中にいた。

演奏する方も聴く方も、こんなにこにこしていたコンサートがあっただ

ろうか、とライナー・ノーツに坂本龍一は書いている。そして我が人生

最良の時? とも。

極上のお誕生日会のような、ある夏の日の午後のしあわせなひとと

きの記録。

下は以前にも紹介した『CASA』。

CASA坂本龍一がアントニオ・カル

ロスジョビンの曲を、ジョビ

愛用のピアノを使い、ジョ

ンが生前使っていたスタジ

でレコーディングするとい

夢のような企画のトリビュー

ト・アルバム。

これは間違いなく私にとって、パーマネントお気に入りベスト10の

1枚。超愛聴盤です。お勧め。

ちなみに私はカメラマンの彼に買うまでもないかもと言ったのだが、

そんなこともなかったのかも知れない。聴くたびに良くなっているし、

アマゾンでは、カスタマーのお勧めの星☆が5つも付いていた。

聴く耳を持った人がそれだけいるっていうのは、まだまだ世の中も

捨てたもんじゃないよね。

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2006年3月 7日 (火)

日本の伝統工芸はロハス

ROHAS

言葉の意味がよく理解されないまま、マスメディア先行で消費されつ

つある『ロハス』なる言葉。どっかから引っ張ってきた説明によると

ロハスとは、Lifestyles of Health and Sustainability の略で、

LOHASとは米国の社会学者ポール・レイ氏らが1998年、全米15万

人を対象に15年にわたって実施した価値観調査で浮かび上がらせ

「自分や家族の健康、地球環境、社会の未来を考えながら暮

らすことに関心のあるライフスタイル思考」のことで、スローライフ

の1歩先にあると言われている発想。近年の調査から推測すると全

の30%(約6,300万人)がこのLOHASというライフスタイルに分類さ

れる、となっている。米国に限らずヨーロッパ圏でも同じような志向を

っているひとが多く、これらLOHASに属する人々は、自分のライフ

スタイルに相応しいと納得した商品やサービスを選択する傾向が

く、社会公正、自然資源の保全、自己開発、身体・マインド・精神・

球の健康に関心を持っていることなどが挙げる。と、ある。

京都議定書から離脱したアメリカがどこまで本気で環境のことを考え

ているかというのは全く疑問だけれど、国家レベルのことはともかく、

個人レベルでいうなら上の緑の太字のライフスタイルを心がけている

人は日本にも多いと思う。割り箸は使わずどこにも行くにもMY箸持

参で行くとか、スーパーには買い物袋を持って行くとか、なるべくゴミ

を出さない生活をするとか、ゴミはきっちり分別するとか、リサイクル

できるものはリサイクルして使うとか、再生紙を使うとか、土に返る素

材を使ったものを選ぶとか、車に乗らずに自転車にするとか、ウォー

ムビズとかクールビズとか ・・・

あげたらきりがないけれど、結局はごちゃごちゃ言ってるより、自分

でできることから少しずつやり始めたらいいんだと思う。

上の写真の箸は、ここでも何度か紹介している代官山のギャラリー

無垢里で見つけたもので、竹に象牙が貼ってある。その緻密な手仕

事の美しさに惹かれて、またその割にはお値段が安かった(職人さ

んの儲けは全く出ないそう)ので買ったものだが、この竹の箸は、も

う80歳を超える江戸の伝統工芸職人の萩原末次郎さん がひとつ

ひとつ手作りしたもの。HPによると、なんでも100年以上藁葺き屋

根を支えていたすす竹を小刀で削って細工して作っているのだそう

で、この竹にしては濃い茶色の色と艶は、すすで自然に着色された

ものなのだそうだ。壊されて使わなくなった屋根の廃材で作った箸。

箸入れも付いて携帯もしやすくできている。これぞロハスといえない

だろうか。

ちなみに先日、養老猛を案内役にして放送された人間の脳の特集

番組によると、人の脳はナイフやフォークを使って食べたときより、

箸で食べたときの方が数十倍、脳が活性化するという結果が出た。

同様に、電子ゲームをして遊ぶより、日本に昔からある金魚すくい

やケンダマや折り紙などをして遊ぶほうが格段に脳が活発に動くこ

とも証明された。要は頭だけじゃなく指先の微妙な感覚や身体感覚

を使った方が脳も活性化されるし学習効果も高いということ。そうい

う点においても、日本の伝統工芸はロハスと言えそうである。

今の日本で、特に都市部においてスローライフを実現できる人がど

れだけいるかというと、それもごく限られた(恵まれた)人だろうと思

うが、しばし日本の古き佳きものを見直すのもいいかもしれない。

粉引きの小皿は、安江 潔さんの 作品。

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2006年3月 6日 (月)

弾ける春

ume_04

気持ちよく晴れ上がった今朝の東京。

でも午後からはまた雲行きがあやしいというので、天気が崩れる前

に朝の空気が吸いたくて、自転車でひとまわりしてきました。

陽射しはすっかり春の暖かさ、風は気持ちよい冷たさの早春の風。

これからの季節は早起きして早く外に出るのがよさそうです。

今日、午後の気温は一気に18度まで上がって4月中旬の陽気にな

るとか。いたるところで春が弾けてました。今朝の収穫。

上は白梅。下は紅梅だと思うのだけれど、梅と桃の違いがいまひと

つわからない私。見分け方をご存知の方は教えてください。

koubai

koubai_02

そして、サンシュユ。サンシュユの木は見事に満開でした。

sanshuyu

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2006年3月 5日 (日)

ミルトン・ナシメント/ブラジルの声

MiltonNasciment

私がミルトン・ナシメントを知ったのは、清水翠のカバーによる歌を

聴いてからだった。それまでにも小野リサのCDで聴いていたはず

なのに、ライブで清水翠が歌う前に入れる短いMCで、繰り返し彼

の名前を言ったからインプットされたのだった。

それで初めて買ったのが上のCDなのだが、このジャケットで初め

てミルトン・ナシメントの顔を見た私はちょっとびっくりしてしまった。

それまで耳から聴いていた彼の繊細で洗練された音楽から想像し

ていたのとはとはまるで違う、土人みたいな風貌だったからだ。

私が『土人』と言うと差別用語だと言う人がいるからここではっきり

言っておきたいが、私は『土人』を差別用語だとは思っていない。

限りない畏敬の念を持って使っているし、『土人』と発音するとき、

この言葉が発するプリミティブな輝きに置き換えられる別の言葉な

んて、他にあるだろうか? 私は無いと思う。

というわけで前置きはさておき、この『Music for Sunday Lovers』は

1969年から1978年の間にミルトンがEMIに残した8枚のアルバ

ムからセレクトされたベストアルバムで、なんと全23曲も入った大変

お買い得のCDなのである。初めてミルトンを聴く人にとっての入門

編にぴったりというので選んだわけだけれど、実を言うとこのCDが

届いて2回続けて聴いた後、あまりピンとこなくてしばらく放っておい

た。正直言うと買って失敗したかもしれないと思ったくらいだった。

後になって思うのは、ただ単にそのとき私の耳が、初めて聴く声(と

ても特殊で特別な声!)に違和感を感じただけなのだと思う。

それからしばらく経ってあらためて聴き直してびっくりした。ものすごく

良いのだ。背中がぞくぞくするほどよかった。まずCDに入っている全

曲について言えるのは、ミルトンの歌にはどこにも不自然なところが

ない、ということ。

それはまるで、深い森の中や、激しく波打つ海の崖の上で歌ってい

るような声。その美しさはもう人の声という領域を超えていると思う。

私の息子は私が音楽を聴いていると横からいろいろなことを言うが、

息子いわくミルトンの声は『光そのもの』、『森の中で光を追いかけて

いる人の音楽』だそうだ。悪くない表現だと思う。

ミルトン自身は「あなたにとって音楽とは?」という質問に「エコーだ」

と答えたというが、まさに高い山々に木霊する声。人間を超えた森の

精霊のような声。それでいて彼の声はアフリカで見たミネラルたっぷ

りの赤い土のような体温を感じさせるし、変幻する声は虹のようでも

あるし、風、火、高い山の上の清らかな水のようでもある。そしてそれ

は日本人の私にさえ、どこか懐かしさを感じさせる歌なのだ。

つまり自然がいつまで見ていても飽きないように、ミルトン・ナシメント

の声、歌もいくら聴いても全然、飽きることがない。これは驚くべきこ

とだと思う。

私の友人は久しぶりに家に来るたびに私のCDラックがどんどん満杯

になってゆくのに呆れているが、何度聴いても飽きないCDなんて、

そうそう見つかるものじゃないのだ。しかも全23曲、どれひとつとって

も悪い曲がない。(息子いわく『捨て』がない。)限られた期間の代表

曲だけでこれなのだから信じられない。

結局、私の文章ではミルトン・ナシメントがどんな音楽をやっているの

かわからない、という人のためにあと少しだけ書くと、ブラジルといえ

ばサンバとボサノヴァとサッカーの国、とすぐに思ってしまいがちだけ

ど、そうではない。ブラジルの音楽って、国の地形や人種同様に、実

に多彩で懐の深い世界なのだ。そんな中で、サンバやボサノヴァを

ベーシックにしながら、ロックやジャズ、クラシックなどの影響を受け

て、独自の音楽を生み出そうとする一大ムーヴメントが生まれた。

それはMPB(Musica Popular Brasillen ブラジルのポピュラー音楽)

と呼ばれ、カエターノ・ヴェローゾなどと共にその代表だったのがミル

トン・ナシメントなのである。そしてそれは、世界で最も人種の混血化

が進んだ国と言われるブラジルならではのミクスチャー音楽と言える

だろう。だから、他のヴォーカリストのカバーで聴いたボサノヴァを聴

こうと思って彼のCDを聴くと面食らう。そこにはむしろサンバやボサ

ノヴァの陰よりも、もっと強くプリミティブな音楽が息づいているから。

とてもスピリチュアルな音楽と言えると思うけれど、かといって粗野な

わけでも洗練されていないわけでもない。

しかしブラジル音楽を聴けば聴くほど思うのは、ブラジルのヴォーカリ

ストって、なんて良い声をしてるんだろう。ってことだ。ハンサム・ヴォ

イス。その表現力の深さといい憂いに満ちた低音といい一気に脳波

がアルファー波に飛んでしまいそうなファルセットといい、美の極致。

とうぶん私のブラジル音楽へのマジカル・ミステリー・ツアーは続きそ

うです。都会にいながら自然のシャワーを全身に浴びたいという人

には、ぜひ聴いてみてほしいCDです。

milton1これは、よくアルバムに載っている、

ミルトンが自分の故郷であるミナス・

ジェライスをイメージして描いた絵。 

素朴でかわいい。

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2006年3月 4日 (土)

おうちに帰ろう

HOUSE

灯ともし頃、って秋の黄昏にぴったりな言葉だと思うけど、秋じゃな

くても黄昏の街の灯はどこか懐かしくてあたたかい。

子供の頃は父のクルマでいろんなところへ連れて行ってもらった。

たいてい行楽帰りの道って混むことになっていて、バックシートで眠

っても眠ってもいっこうに景色が変わっていかない、なんてこともあっ

た。心細い山の夕暮れ。海岸線の対岸の灯。たとえ山の崖っぷちの

上であろうと、岬の突端であろうと、人の住む家の灯りがあることが

不思議で、どんな暮らしをしているのだろうかと想像せずにはいられ

なかった。やがてフロントグラスに見慣れた都会の街の灯が見えてく

ると、落胆と安堵が綯い交ぜになった感情がやってくる。いつも同じ。

最初の子供を産んでひと月も経たない頃、出産祝いのお祝い返しを

探しに1人でデパートまで出かけた。授乳の時間は決まっているし、

気が気ではなく、頭のなかで「早くおうちに帰ろう」と繰り返していた。

そう繰り返しながら、なんだかしあわせだった。

最近、見ているテレビドラマの中で、竹之内豊はチェ・ジウに手を差し

出しながら、「もう帰ろう」と言った。海風が髪を舞い上げる、寒々しい

冬の海岸のコンクリートの階段の上で。

「おうちに帰ろう」って最強の言葉じゃないか?

家で灯りをつけて待っていてくれる人がいるのはしあわせだ。

でも、もしそういう人が今いないとしたら ・・・

早くみつけないとね。

写真は少々、難ありだそうだが、angel さん の作品。

先日のオマケでもらいました。出窓にでも飾ってと言われたけれど、

うちにはそんなお洒落なものはないので、ここはこのハウスが飾れ

る唯一の個室です。 (angel さん、ごめんよお。)

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2006年3月 3日 (金)

雛祭り

ohinasama

私の娘が初節句を迎えようという頃、母が「李紗にお雛様を買ってあ

げなくちゃね」と言った。「それともあなた、自分の持ってゆく?」

「七段飾りなんてとっても飾れるところないわよ」と、私は言った。

私のお雛様にはいわくがあって、母はそれを『あなたの身代わり』と

呼んでいた。小学校に上がる前まで身体がとても弱かった私は、年

中医者の世話になっていた。しかも、いつも具合が悪くなるのは決ま

って医者が休みの休日だったから、母は熱を出してぐったりした私を

おぶって、休日でも診てくれる医者を探して奔走することもよくあった

らしい。そんな私がなぜか3月には全然具合が悪くならずに済むの

で、母はきっとこのお雛様が私の身代わりをしてくれているのだろうと

思ったという。

それからもうひとつ。母は雛祭りが近づくと、いつも「そろそろお雛様、

出さなきゃねえ」と少々、面倒くさそうに言う。いま主婦になった私で

も面倒だろうと思う。木の雛壇を組むところから始まって、ひとつひと

つ人形を箱から出して、それぞれ決まった持ち物を持たせて飾るの

はけっこう大変な作業である。ときどき人形の位置がわからなくなっ

て紙を見て確認したりして。でも、そんなとき母はいつもこう言った。

「でも1年に1度のことだし、出してあげないとお雛様が血の涙を流し

て悲しがるっていうから・・・」

血の涙。それは子供だった私の胸に強烈に刻まれた。

閉所恐怖症でもあった私には、暗い押入れの天袋の箱の中に1年中

押し込まれている人形が、ただの一度も日の目を見なかったばかり

に血の涙を流して泣く、という話は子供ながらにも妙にリアリティーが

あった。それを聞いてからは、私のほうが母をせかしてお雛様を出し

てもらうようになった。

よく人形は顔が命、と言われるけれど、顔がとても上品だったからこ

れを選んだ、という母のお見立てのお雛様は、本当に上品で高貴な

顔立ちをしていた。それはずっと後になって年の離れた従姉妹のお

雛様を見てはっきりした。真新しい従姉妹のお雛様が、私にはずい

ぶん大味に見えたものだ。そして人形師はできあがったお人形に最

後に魂を入れる、とも聴く。私は基本的には人形というものが全て苦

手だが、端正で美しいお雛様の顔を見ていると、子供の私にはどうし

てもそれが血の通わないただの人形には見えなくて、お雛様の飾ら

れた家のなかに独りでいるときなどは怖かった。

そして、私の母にとって孫である李紗のお雛様は、彼女の幼友達が

習っている木目込み人形の先生が作る人形のお顔がとても優しくて

李紗に似ているから、という理由で友人に託された。でもその友人は

とても忙しいマダムだったから、人形はなかなか出来上がらず、結局

2年越しだか3年越しで手もとに届いたのが、このお雛様。

箱から取り出して顔にかぶさっていた和紙をはずし、台に載せたとき

「ほら、李紗に似ているでしょう」と、母は言った。

李紗はこんなに色の白い子ではないけれど、たしかにふっくらした顔

立ちは似ていた。

今回、アップで撮った写真を見て少し驚いたのは、このお雛様も私に

はただの人形には見えないということだ。どこか息をしているようで。

いまでは母の形見のお雛様になってしまったけれど、願わくは祖母

の代わりに李紗のことを守ってくれますように。

今年も三月三日の雛祭り。

どこの家でも何かしら物語を持ったお雛様が飾られているのだろう。

ohinasama_03

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2006年3月 2日 (木)

薔薇のお雛さま

baranoohinasama

子供のころ読んだ『親指姫』のお話みたいに、花のなかのお雛様。

先日、ヘレン・カミンスキーの帽子と交換に、angel さんに作ってもら

ったお雛様です。私が勝手に『薔薇のお雛様』と名づけました。

お雛様がピンクの薔薇、お内裏様がブルーローズというのもお洒落

でかわいい。花のなかで、ほんのり夢を見ているような ・・・

私の薔薇の木たちも次々に芽を出し始めました。外はまだ冬の寒さ

だけれど、薔薇が咲き始める初夏が今から楽しみです。

メインに作ってもらったのは、真っ白い雪の結晶と女の子の妖精の

壁飾り。それは季節が過ぎてしまったので、また来年の冬に。

baranoohinasama_01

baranoohinasama_02

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2006年3月 1日 (水)

みつばち

mitsubachi

今日から3月なのでテンプレートのデザインを変えました。

このテンプレートの名前は、『みつばちの春』。

私にしてはちょっとかわいすぎるかなあとも思ったけれど、もっと落

ち着いたのも試してみたけれど、落ち着いてるのもなんだか私には

ピンとこないので、春のあいだはこれでいきます。

このテンプレートの絵を見ながら私が思い出したのは、スピッツの

『ハチミツ』。しばらくはブログを開くたびに歌うことになりそうです。

すごくかわいい歌なんだ。どんな歌詞かは最後に載せるとして、

上は新宿にある甘味処の『みつばち』。

昨日、渋谷でミーティングを終えて、天気が良かったら松涛あたりで

も散歩しようと思っていたのだけれど、昨日の寒さはそれどころじゃ

なく、お腹も空いたのでいつか友人に連れて行ってもらったパスタ屋

に行こうと思って裏道を入ったら、あまりよろしくない一角に迷い込ん

でしまい ・・・。あきらめて、また猫のごとく慣れ親しんだこの店に入っ

たというわけでした。みつばちの店頭にはまだ寒い季節だというのに

『氷』の旗が。いまや一年中、氷を食べる人がいるってことか、と少々

びっくり。ここへは初めて母に連れて来てもらったのがいつだったか

思い出せないほどもう大昔。東京でも老舗中の老舗の甘味処です。

店の中はもう古いのできれいではないけれど、落ち着く。店の人も

比較的大きな声で世間話をしていたりして、どこかアットホーム。

私の目線の先にあるのは ・・・ そう、マロンパフェです。

mitsubachi_01

う~ん、甘いものも食べたいけれど、すっかり身体が冷えてしまった

ので、私が頼んだのは『田舎雑煮』。ちょうど、けんちん汁にお餅が

入った感じ。これがすごくおいしいのです。すごく、あったまる。

mitsubachi_02

隣りでは2人のオバサンがクリームあんみつと(小倉アイスの入っ

た)小倉あんみつを「おいしいー♡」と言って食べていました。

みつばちでおいしいのは、なんといってもクリームあんみつ。

ハチミツのように濃厚な黒蜜が、自家製で茹でた豆と寒天と、それ

ほど甘くないこし餡とバニラアイスの上にたっぷりかかってます。

母が国立国際医療センターを退院した日も妹と3人でここに寄った。

それまでずっと厳しい食事制限をしていた母を励ますために、「みつ

ばち寄って帰ろうか?」と言ったのだけれど、あの日食べたクリーム

あんみつも目茶目茶おいしかったなあ。

そうだ。近日中にまた女友達を誘って来よう。

****************************************************

 ハチミツ     (スピッツ:草野正宗)


ひとり空しくビスケットのしけってる日々を経て

出会った君が初めての心さらけだせる


素敵な恋人 ハチミツとかしてゆく

凍える仔犬をあたためて

懐かしい遊びが蘇るのは

灯りの場所まで綱渡りしたから


ガラクタばかりピーコートのポケットにしのばせて

意地っ張りシャイな女の子 僕をにらみつける

おかしな恋人 ハチミツとかしてゆく

蝶々結びをほどくように

めずらしい宝石が拾えないなら

ふたりの欠片でまにあわせてしまえ


素敵な恋人 ハチミツとかしてゆく

灯りの場所まで綱渡りしたから

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弥生三月

yayoi

今年も明けたと思ったら、早いものでもう三月。

東京は昨日は雪が降りそうな冷え込みだったけれど、夜から降り始

めた雨が、今朝もやまずに降り続いている。今日も寒い。

北村太郎の詩集に『冬を追う雨』というのがあるのだけれど、今日の

雨はまさにそんな感じがする。一雨ごとに季節は移り、私たちの国に

は四季折々の行事があって、それに合わせた花を飾る習慣があるの

はとても良いことだと思う。

昨日の夕方、花屋に寄ったら、見る間に混んでしまった。買っていく

のはみんな同じ花。お雛祭りの前の今日は、桃と菜の花をいける。

先週、スイミングスクールに行く途中、いつも通る国道沿いのブリヂ

ストンの工場内のフェンス脇に、毎年恒例で撒かれた菜の花の種が

もう50センチくらいの大きさになってずらっと並んでいた。中に数本、

花を咲かせているのがあって、お陽さまの光を浴びた菜の花の黄色

は、とてもフレッシュできれいだった。菜の花が終ると、今度は向日

葵の種が撒かれる。それが徐々に伸びて、私の背くらいになって、

大きなつぼみをつけたと思ったら、もう夏!

季節って、いつもあっという間なんだ。

yayoi_01

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