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2005年10月26日 (水)

今日という日

reiennoneko

今日は、私が最も敬愛する詩人、北村太郎が亡くなった日です。

 1992年10月26日 午後2時55分 腎不全のため

 虎ノ門病院でにて死去。 享年69歳。

北村太郎は日頃から70までは生きたくないと言っていたから、

それは妥当な死だったのかもしれない。けれど、モーレツな恋

愛詩を20編くらい書いて詩集を出したいという望みは、ついに

果たされることはなかった。彼は非常に理知的でありながら、

とても感覚的で色っぽい詩を書いた。

15歳で北村太郎に出会ってから以後、彼の詩集が出るのを、

毎年まるで遠くに住む恋人からの手紙のように待っていた。

ふいに気まぐれに本屋に立ち寄ると、新しい詩集が出ていたり

して、何故かわかるのだ。私はそれを呼ばれている、と思って

いた。私には本当に好きなものと繋る能力があるのだ。多分。

ところが、北村太郎が亡くなった日に自分が何をしていたかが

わからない。私はそれを知らなかった。

私がその死を知ったのは、友人が送ってくれた新聞の訃報の

記事の切り抜きを見てから、なんとひと月も後のことだった。

その頃の私は2人目の子供が生まれて子育てで忙しく、ひどく

疲れてもいて、新聞など読む暇もなかったのだ。

そのとき私を襲った驚きと落胆たるやなかった。激しく自分の

生活ぶりを後悔した。自分の鋭敏な感覚が失われたことにも。

そして、それはひとつの教訓を生んだ。

 『生きているうちにどうしても会いたいと思う人とは、

  何が何でも会っておくこと。』

だが残念ながら北村太郎亡きいま、私にとりたてて会いたい

人はいない。

北村太郎は自分では犬派でも猫派でもないと書いているが、

現実には猫を可愛がっていた。詩のなかにもずいぶん猫が

出てくるし、彼の筆で書いた猫の絵はなかなか味がある。

今日という日を忘れないために。合掌。

(写真は昨日、霊園を自転車で走っていたら寄ってきた猫。)

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コメント

今日はsoukichiさんにとって忘れられない日だったんですね。
1992年であれば昨年が13回忌に当たるんですかね。
今年かな?13年経ってもこのように忘れられないほど大切な
存在だったんですね。去るもの日々に疎し でややもすると
自分から離れていった人は日常の雑用に追われて忘れがちです。

この猫ちゃん、私が以前アップした猫ちゃんと似ています!

投稿: うー | 2005年10月26日 (水) 21:05

うーさん、こんばんは!
コメントどうもありがとう。身体の調子はどうですか?
風邪ひかないようにしてくださいね。
東京もだいぶ寒くなりました。今日、今年初めて鍋しちゃいました! 私も少々お疲れ気味です。こういう時は早寝あるのみ、ですね(^-^)
そう、北村太郎は大切な人です。この世にいなくなった今でも。
私は彼の詩のミューズが私に降臨しないかと思ってる。
去るものは日々に疎し、というのは真実です。
日々ひしひしと感じております。

投稿: soukichi | 2005年10月26日 (水) 21:22

昨夜はそうきちさんへのコメントを、一旦書いて読み返し、思い直して消してから休みました。あなたも言ってたじゃない?夜は眠るための時間だってね(^^)
ところで前に話した私のバラ好きの友達は、恋愛中は霊感の強い子だった。大学時代、恋人の動きはすべて言い当てることが出来たそうよ。二人はいずれは結ばれて幸せな家庭を作るものと、本人も周囲も思ってたのに、・・・どっこい人の世の常!やがて二人は遠くで別々の家庭を持つに至ったんです。なんでぇ?と私が訊いたら彼女は、何故だか分からないけど、急に霊感が利かなくなってしまったのって答えた。最近になって物好きな男友達が、彼にも訊いた。どうして彼女と結婚しなかったんだ?って。すると彼は、云ったそうです。僕もいずれ彼女と結婚するだろうと思ってた。でも言い出すきかっけが無かっただけなんだ。それホンマかいなと、私は思わないでもないけれど、バラ好きの友は、やっぱり私が本当にホレたのは、結局彼だけなんだ!と力を込めて、一層深くバラをいとおしんでる様子です。私はそんな彼女も、彼女の素直な性質のひとり娘も、よく働く親切な旦那さんも、大好きなのよ。
これ、消したコメントの替わりなんだけど、あまり関連性無かったわね(^_^;)
あ、ついでにもう一つ、わたしもwaiwaiさんのブログでそうきちさんのコメント読んでて、アレ、この人男性じゃないのかな?ひょっとして?と興味持ったの。お近付きのキッカケは、ツマラン野次馬根性よ。そうしたら思いっきりつきぬけた青空にひまわりのブログに引き込まれ、読ませてもらうにつれて、ただ元気者なだけの主婦じゃないあなたに魅せられてしまった(^^)アハハ、ホント素敵なご縁??

投稿: リサ・ママ | 2005年10月27日 (木) 16:42

リサ・ママさま、
いつもありがとうね。あなたの優しさにはいつも癒されてます。
でもそんなに気を遣わなくてもいいのよ。私はもう駄目となったら寝てしまうし、でも結局、昼間集中して仕事ができなければ、夜中、起きてやってるわけなので。
それから、今日のこのコメントも、ぜんぜん関係無くないね。
実は私も2000年にうん十年ぶりで恋に堕ちたときには、朝、空を見た瞬間に、今日、彼が(テニスコートに)来るか来ないかがはっきりとわかりました。また、見事に当たるんだな、それが。私には霊感というのは無いけれど、いわゆる直感人間です。結婚して、そしてこの歳になって身をもって実感したのは、人生とはままならないものだということ。でも、また変なことを言うと思うかもしれないけれど、左脳レベルでは確かにそうなんだけど、右脳レベルではかなり違う。ままならないことを、もしかしたら思うままにできてしまえるのが右脳です。
面白いでしょ? 私の頭の中はいつもこんなです。それから、よく書いたものだけ読んで男だと思われることはありました。期待して私のところにやってきてがっかりする不謹慎な女が(笑)。それは文学的に見ると良くないことみたいだけど、知ったこっちゃありません。
いつも人・モノによらず出会いのきっかけは些細なツマランことで、でもそれが人生を変えることになったりする。私の北村太郎との出会いも、読売新聞に載った、それほどとりたててどうということのない日常を描いた詩を、気になって切り抜いたところから始まったのです。
でも、だから、生きてるって面白いね!

投稿: soukichi | 2005年10月27日 (木) 17:25

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