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2005年9月30日 (金)

神代植物公園の『おまけ』

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芝生の原っぱの真ん中に、まるで砦のような、巨大なパンパス

グラスを発見!! とにかくデカイ!

ほ~んと遠くからでも迫力ありました。

青空にふさふさ揺れる様は、なんとも大らかで伸びやか。

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神代植物公園の花と植物③

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最後はバラです。

バラ園はまだ旬を迎えてなくて、現在の開花は全体の1割にも満たな

いくらいですが、それでもこれだけの花がすでに咲いています。

毎年恒例の バラ・フェスタ が始まると、通常の開園時間を延長して

バラ園をライトアップをしたり、シンメトリーになった庭園の真ん中の

噴水から水を出したり、コンサートがあったりと、趣向を凝らした催し

物があるみたいなので、行ける方はゆっくりお散歩がてら出かけて

みてはいかがでしょうか。実は先ほど私もさっそくお誘いをかけたの

ですが、ふだん歩くの大嫌いな方なので断られるかなあと思ったら、

OKでした。嬉しい。このバラは有名な、『プリンセス・ドゥ・モナコ』

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一重咲きで可憐なオールド・ローズ、つる性の『デンティ・ベス』

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これはブルー系のバラ、つる性『ブルー・バユー』

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柔らかなピンクの質感、その名も『ピンクシフォン』

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白バラの、『サラトガ』

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その名のとおり、雪のような『銀世界』

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『ホワイトマジック』

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淡い月明かりのような、『ムーンスプライト』

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この整ったピンクのバラの名前は忘れてしまいました。

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『フロリック』

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変わった名前の『アビゲイル』

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大らかな咲き方の和製バラ、『花霞』。好きなので2点。

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最後に、この燃えるようなバラは、その名も『聖火』

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少しはバラ園に行った気分になれたでしょうか。

秋バラは春バラにくらべると花の大きさは小さく、形も春のほうが

良いと言われてますけど、秋バラの良いところは気温が低いので

花もちが良いことと、発色の良さ、それと、空気が冷たい分、香り

立ちが鮮やかに感じられることのように思います。

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神代植物公園の花と植物②

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次は睡蓮です。

ちなみにうちのミニ・ビオトープの睡蓮はまだ咲く気配もありません。

次々、葉っぱだけは出てくるんだけど、ほとんど剥けども剥けどもの

たまねぎ状態。いったいいつ咲くのかなあ・・・

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ほんとにこうして見ると、睡蓮って真昼の夢のように咲く花です。

なんて鮮やかな夢でしょう。

そして、こちらは温室の中の睡蓮とオオオニバス。

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神代植物公園の花と植物①

jinndaiji       

昨日は午前中テニスコートを見に行った後、午後は調布市にある、

神代植物公園に行って来ました。

ここは都がやっているとても大きな植物公園で、いつ訪れても四季の

植物が楽しめる公園です。一日いても、たぶん飽きない。

植物好きの school-t さんなんかを連れて来たら、きっとすごく喜ん

でもらえるんじゃないかなあ。ここはバラ園が有名で、10月3日から

始まるバラ・フェスタに合わせて、日本全国からたくさんの人が訪れ

るそうです。私もそれに合わせて行きたかったけれど、それはまた別

に行くとして、昨日撮ってきた花と植物の写真を数回に分けて公開し

ていこうと思います。

(花の名前までメモしてこなかったので、その点はご容赦ください。)

まず、昔は夏の代表花だったダリヤ。

私、ダリヤって久しぶりに見たけれど、こんなに種類がある(写真は

ごく一部)ものだとは思いませんでした。大島弓子の少女マンガに

『ダリヤの帯』という、すごく好きな作品があるのですが、ダリヤの帯

って私の母も持っていたような。私もこんな帯が欲しくなりました。

太陽に輝くばかりのダリヤ達です。

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2005年9月29日 (木)

9月のテニスコート

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今日は住宅の受水槽の清掃のため朝9時から夕方5時まで断水、と

いう、いささか現実的な理由のために、私は朝から出かけてました。

最初に行ったのは近所のテニスコート。

ここもついに明日で終わりです。

前にも書いたけれど、私は5年ほど前にここで約1年半くらい働いて

いたことがあって、思い出のいっぱい詰まったコートです。

とてもいいコートでした。春には満開の桜、夏には夾竹桃と向日葵、

秋は紅葉、冬は抜けるような青空が綺麗だった。

この町に引っ越してきた頃は、ここにテニスコートとクラブハウスがあ

ることで、まるでリゾート地にいるような気分でした。

今朝、この写真のアーチを抜けてコートに降りてゆくと、少なくなった

メンバー達が名残を惜しんで朝からプレーしてました。私に気づくと、

ゲーム中にもかかわらず近寄ってきて話しかけてくれる。昔やってた

ように子供みたいに手を振ったり、握手をしたり。

「明日、最後だから見に来ました」と言うと、「ほんとに残念だねえ」

と、I氏。

「23億か、24億ってところなんだけど、あんた買いなさいよ」

「そんなもんですか?」

「おお、そんなもんときたか」

「誰か買わないかしら。世の中にはいっぱいお金持ちがいるのに」

「買わないよ」

そんな会話をしてまた別の方とラウンジでちょっとの間、話しました。

私がいた頃に84歳の、天使みたいな笑顔で笑うおじいちゃまがいた

のだけれど、彼には障害者の娘さんと頭のボケた奥様がいたから、

ずっと心配でした。それでそのおじいちゃまのことを尋ねたところ、お

二人の面倒を見なきゃならないはずの彼も、ついにボケてしまったと

か。ますますその身が案じられて帰って来ました。

老人クラブや銭湯なんかに通う代わりに、若々しいテニスウェアに身

を包み、ここに来れば会える仲間達と束の間テニスをして、お茶を飲

んだり、一杯やったり、持ち寄ったお弁当を食べたりして過ごすことを

愉しみにしていた、実に健康的な彼ら。それももうバラバラ、いったい

どこにゆくんだろう。明るい陽が燦燦と降り注ぐコートと、ここまで育つ

のにどれだけかかったかわからないくらい大きな木をみんなとっぱら

って、その後、いったいここに何を建てようというのか。

世の中、くだらないことに巨額のお金を投じるお金持ちが存在する

一方、大事なものを守るためにお金を投じる人はいない。

実に残念だし、とっても寂しい限りです。

私の中から大事な思い出の場所がまたひとつ消えようとしています。

clubhouse

あなたは憶えてるかな。

あのひどく鮮やかで幸せだった、2000年の夏のことを。

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September

september

このあいだ8月が終わって9月になったばかりだと思ってたのに、

もう9月が終わろうとしてる。

9月。セプテンバー。どっちで呼んでも、夏の名残を残したこの切な

い月が私は好きだ。そう思うのは私ばかりではないから、この月を

テーマにした名曲もいっぱいある。9月と聞いて、あなたが思い出す

のはなんだろう。 Do you remember? September! で始まる

アースの曲? それともユーミン? 

いま私のバックに流れているのは、そのまま AIKO の『September』

です。私は彼女がデビューしたときから、その素直で伸びやかな声

が好きだけれど、私の友人は「私が男だったら、ああいうオンナは

絶対やだね」と言う。「なんで?」と訊くと「一途で純粋過ぎて、重い」

ですと。はは。アンタは男か、って感じだけど、一途で純粋な人に限

ってそんな天邪鬼なことを言うんだ。

彼女はルックスこそ超ベビーフェイスだけど、その声や歌い方には

諦観も淡い色気もあって、見た目よりずっと大人だと思うよ。

それより、9月の海だ。翠ちゃん、9月が終わっちゃう。あとは10月

しかないなあ。せっかく海まで行っても、海風が冷たくてわずかな時

間しかいられないんだ。そして今年もあっという間に終わってしまう。

さて本日、これから私は 『ルスニ・シマス』。

コメントをくださった方へのお返事は夜にでも。

 

         September September

                 雲は晴れない あたしの真上 

        風はやまない あたしの胸

        まだ好きで どうしよう  

                                                 ( AIKO/September ) 

      

  

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2005年9月28日 (水)

雑貨ブーム世代

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私は自分で働いたお金で服を買えるようになった頃がちょうどDC

(デザイナーズ)ブランド時代で、その直後に来た雑貨ブームにも

思い切り乗り、雑貨ショップの草分け的存在だった南青山の土器

典美さんの『DEE'S』にも、サンタフェ・ブームに火を付けた『ZONA』

にも、今でもある息の長い『ファーマーズ・テーブル』にも、よく行き

ました。服でも雑貨でも何でも、可愛いと思ったらすぐに買ってたよ

うな、まあ、実にアホアホな時代。

その後、結婚して専業主婦を経験した後、働かざるを得ない状況

になって雑貨ショップを2つほど経験し、365日雑貨に囲まれて仕

事するうちにはすっかり業界裏事情にも精通し、雑貨熱も落ち着き

ました。商品というものは何でもそうだと思うけど、倉庫にある時と

店頭にある時とでは、全く違う顔をしているものなのだ。店頭にある

時はいわゆる『よそゆき』の顔。それでこそ欲しいと思う価値がある

のであって、倉庫に埃かぶってゴロゴロ転がってるのを見たりしちゃ

うと、かなり興ざめなものです。お客さんの目で見るのと仕事として

見るのも違う。それで最近はもう滅多に雑貨ショップを覗くこともなけ

れば、たまに友人が見たいと言うので覗いても、もう大概のものは見

てきてしまっているので新味もない。買うこともなかったのだけれど。

でも今でもたまにすごくつまんないものが欲しくなる時があるのよね。

それはお金の多寡には関係なくて、ごくごくチープなものだったりする

んですが。

最近、欲しかったのは木でできたカエルのおもちゃで、男の子と女の

子のカップルのカエルが、こう、向き合って台の上に乗ってて、裏の

ボタンを押すとピコピコ動くヤツ。なんだか妙に可愛くて(なんで、いい

歳して私はこんなものが欲しいんだと思いつつ)心惹かれながらも、

いや、それよりも夕飯の食材、食材、と振り切って帰って来ました。

最近はそんな風で無駄遣いをすることもなかったのだけれど・・・

でも昨日、久々にやっちまいました。

ごく最近、家のすぐ近くに開店した雑貨ショップ。前を通りかかって、

きっと可愛いだけで質の悪いファブリックと、甘々のウッドクラフト

中心のアメリカン・カントリーなんだろうなあと思って覗いたら、まあ

当たらずとも遠からじ、という感じでしたが、この辺りにできたのに

してはけっこう趣味が良い。籐のバスケットとホーローのキャニスタ

ー類、アンティークの器、渋めの金具が付いたハンドメイドのフック

等。でもやっぱり特に買うものは無さそうだなと思ってカウンターの

前を通り過ぎたとき・・・、見つけてしまった。

床に置いてあったブリキのひよこ。(か、可愛い・・・)

私、何を隠そう大の鳥好きで、鳥モノに滅法弱いのです。(古い借家

に住んでいたときには、天井からブリキの鳩を何羽も吊ってました。)

で、座り込んで眺めること数分。

私:「これって、ひよこセットって書いてありますけどペアですか?」

店員:「はい。そうです。かわいいですよね、そのひよこ♪」

私:「ください」

それで買ったのが上の写真です。

ああ、やれやれ。どうしてお金も無いのに私はこういうつまらないもの

を買うんだろうか。ハンドメイドの達人の angelseed さん あたりだった

ら自分で作っちゃうかなあ。いっそ鳥図鑑でも眺めながら、オリジナ

ルのブリキの鳥オブジェでも大量に作って、雑貨ショップに納品に行

きますか。ブリキと金切り鋏とハンダゴテって結構、私に似合うかも

しれない。(と、マジで想像してみる私。)

鳥好きの うーさん だったらわかってくれるかなあ。

でも、可愛くないですか? この鳥 ・・・・・・

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2005年9月27日 (火)

秋の朝に

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今朝、東京はかなり冷え込みました。

今日、予想される最高気温は23度。10月初旬の陽気だそうです。

昨日の夜、近所のスーパーに買い忘れたものを買いに行くとき、

この秋初めて上着をはおって行きました。

今夜は布団を一枚出さなければ。

つい先日まで、作っても作っても足りなかった冷蔵庫の麦茶の減り

方が遅くなってきました。自然に即した人の身体の摂理。

気温が低くなってくると、温かい飲み物がおいしくなります。

私は朝晩、かなり濃い珈琲を、かなり大きなマグカップで飲むほか

はひたすら水を飲んでますが、このところハーブティーを飲むように

なりました。これは、ローズヒップとハイビスカスとジャスミンとクラン

ベリーがミックスされたもの。ほのかに酸味と甘みがあって美味し

い。ビタミンCがたっぷり入ってリラックス効果もあるので、女性には

特にお勧めです。この赤い色も好き。

これから暑い季節に向かう初夏と違って寒い季節に向かう秋は、心

の準備が必要な気がする。心と身体の装備を調えたら冬はむしろ、

アクティブに過ごしたいと思う私です。

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2005年9月26日 (月)

マザーズ・クラス

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今日は久しぶりに会う友人とランチをしてきました。

彼女とは初めての子供ができたときに、病院の母親学級で知り合い

ました。当時は見るからに優等生のお嬢さんで、まるでお人形のよう

に可愛かった彼女。当初は私なんかとは合わないんだろうなあ、と

思っていたのだけれど、たまたま席が隣り合ったら、歳が同じだった

のと、初産の予定日がとても近かったのと、住んでいるところがたっ

た2駅しか違わないという偶然が重なって仲良くなった友達。

結局、私より後だったはずの彼女が先に産み、それより遅れること

3日して私が産み・・・、だから私たちには3日違いで生まれた子供

がいます。以来、体重が倍になった、首がすわってきた、離乳食を

始めたいけど何から始めよう? ハイハイが始まった、オムツがなか

なか取れない、などなど、その時々のお互いの子供の成長過程に

起こる様々なことをつぶさに見てきました。彼女のうちが女の子、

うちが男の子、という違いはあっても、たいていそのとき抱えている

問題や悩みは同じで、お互いとても厳しい母親に育てられたという

共通項もあったから、子供を叱るときの妙にコンサバティブな言い

方までそっくりで、よく電話で話して爆笑しました。

子供が小学校低学年くらいまでは子供同士、一緒に遊ぶこともあ

ったけれど、年を追うごとにいつしかそれもなくなり、彼女がずっと

安定した主婦であるのに対して、私の人生はジェットコースターの

ようだったから、私たちが会う機会もなくなっていました。

今日、何年ぶりかで会った彼女は相変わらず綺麗だったけど、4日

前に17歳になった娘にはこの数年そうとうに苦労させられたようで、

親の私のほうが大人にならされた感じ、と言っていました。

種から植物を育てるように、教育の成果が出るのはとても先のこと

で、その癖、気がつけば子供はとおに先を行ってしまっている気が

する・・・。先日、近所の女友達が別れ際に「母親のする仕事って、

どれひとつ取っても愛情無しにはできないことよね」と言った言葉が

思い出されます。

あれから17年が過ぎたけど、私たちのマザーズ・クラスはまだまだ

続いているようです。

(*写真は帰りに彼女にもらったお土産。彼女の大好物だという

 ダックワーズとマドレーヌ。)

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そして青空

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You are my smillin' sky ・・・

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2005年9月25日 (日)

HAPPY BIRTHDAY!!

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今日は息子の17歳の誕生日でした。

17歳。Seventeen。なんて素敵な響き。

もしかしたら二十歳なんかよりずっといいかもしれない。

でも自分が17歳だったときのことを思い出そうとしても、子供の頃の

記憶がひどく鮮明なのに対して、うまく思い出せないんだな。

記憶力だけはいい私なのに。

きっと、たいした17歳じゃなかったんだろうと思う。

黒の喪服みたいなセーラー服を着て、校舎の中では修道女みたい

に過ごした高校生活。その頃の関連ワードを思いつくまま羅列する

なら、私に(このニックネームを付け)唯一、影響を与えたビートルズ

マニアのカリスマ的女の子、ビートルズの音楽(特にホワイトアルバ

ムとアビー・ロード)、北村太郎、中原中也、梶井基次郎、萩原朔太

郎、ヘルマン・ヘッセの『知と愛』、ドスエフスキーの『悪霊』、サリン

ジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、コレットの『青い麦』、相も変わら

ず大島弓子、萩尾望都、倉田江美、ルキノ・ヴィスコンティとジャン・

ジャック・ルノワール、クイーン、チープ・トリック、ロッド・スチュアート、

ウィングス、ジョン・レノン、デヴィッド・ボウイ、朝、ホームに電車が

着いてドアが開くと、いつも私の前に立って「おはよう」を言ってくれた

見知らぬ男子学生、城北高校のひとつ年上の男の子、東京医科歯

科大の大学生、こんなところだろうか・・・

いま息子の机の上には、私がハイ・ティーンの頃に揃えたヘッセの

愛蔵版の中の1冊、『デミアン』が載ってる。私がデミアンを読んだの

は、当時、圧倒的な導き手を求めていたからだけど、答えは『求める

ものは全て自分の中にある』という、きわめて仏教的な教えだった。

これは君に何をもたらすのか。

ともあれ、悩み多き17歳の君に祝福を!

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2005年9月24日 (土)

雨の日のプール

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雨の日のプールは出席率が悪い。

雨だとどうしてもクラブまで行くのが億劫になるし、ほとんど毎日の

ように来ている人が多いから、一日くらいサボってしまおう、という

気持ちはよくわかる。でも私のような週1スイマーは1週休んだだけ

で、次の週もっとキツクなるから行くしかない。人数が少ないと、すぐ

泳ぐ順番が回ってきてしまって休めないからすごく疲れる。特に私の

ようなスタミナの無いタイプはもう駄目。

で、今日も非効率的なバタフライを何本も泳いで、へろへろになって

帰って来ました。

スイミングをやっていて最近、思うのは、

      私の苦手なこと = 自分を認めること

なんだなあ、ということ。私は常日頃から息子に、「他人の評価は気

にするな。まず自分で自分を認めなさい。」と言っている。でもこれっ

て、もしかすると大人でもなかなかできないことかもしれないのよね。

自分について言えば、はなから自分を駄目だと思うんじゃなくて、

スポーツクラブに無縁だった私がいまや4年もスイミングを続けてる

なんて凄い! とか、当初クロールさえ泳げるようになれればいいと

思っていたのに、ついに4種目めまできたじゃないか、とか、いろい

ろ考えようはあるってものだ。バタフライにしたって、以前できなかっ

た呼吸のタイミングがつかめてきたし、フォームだって前よりはサマ

になってきてるんだし・・・、とかね。

悩める人にはいくらでも言ってあげられるのに、自分のことはそうは

いかない。こういう女性って社会でも家庭でもプライベートでも多いん

じゃないかなあ。他人から褒めてもらう、認めてもらう機会じたいが

少なかったりするから。

出席簿の名前の横に数字が書いてあって、それは何回このクラスに

出席したかを表しているんだけど、同じクラスの人が全員3桁なのに

対して、私の横に書かれた数字がまだたったの25というのを見た私

は、何はともあれ、もう少し、自分を認めようと思ったのでした。

それにしてもつくづく思うのは、何かを教える立場の人が、教えてる

相手を褒めるのってすごく大事!

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レクイエム

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お彼岸で、昨日は母のお墓参りに行ってきました。

途中までしか聴けなかったけど、家を出るまでのあいだずっと、

モーツァルトのレクイエムを聴いていた。年に数回、レクイエムを

大音量で聴く。近所から苦情がきたらやめねばならないと思うが、

いまのところこない。秋の高い空の下で、厳寒の抜けるように青い

空の下で聴くレクイエムはとても荘厳で、いま生きていることが

ライブに感じられていいのだ。

私のモーツァルト狂の叔父は、自分が死んだらこれをかけてくれと

常日頃から言っていて、彼のまだ幼い子供が、預けていたベビー

ホテルで突然死で亡くなったときも、葬式の間中ずっとモーツァルト

をかけていた。

私は逆に息子に、こんなものかけられたら焼かれる寸前に棺おけ

の蓋壊して生き返ってしまいそうだからやめてくれと言っている。

私もこのレクイエムが大好きだけれど、あまりに激しく、あまりに

官能的な音楽なので、これではドキドキしてしまって、とても安らか

に天国になど行けそうもない。

それから私は、今から覚えておいてね、と前おき付きで「お母さん

はお墓には入るのは嫌だからお墓には入りません」とか「菊なん

て辛気臭いのは嫌いだからやめてね。バラにしてちょうだい」とか

言っている。実に我儘だが、実際に死ぬ頃にはそんなこと、もうどう

でもよくなってるかもしれない。それならその方が面倒くさくなくてい

いとも思うが、もしそれを通そうとするなら、奇異なことを敢行せね

ばならない子供に迷惑がかからないように、遺書を書いておかね

ばならないだろう。私がその頃、自分の葬式に音楽を欲するかどう

かはまだわからないけれど、ひとつ選んでおくとしたら、私はフォーレ

のレクイエムを選ぶ。『ディエス・イレ』(怒りの日)のドラマティックな

表現が除かれ、かわりに『イン・パラディスム』(楽園まで)が加えら

れた、穏やかで美しい調和に満ちたこのレクイエムなら、心やすらか

に、安心して天に召されて逝けそうです。

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霊園から見上げた昨日の空。

森を整地して作ったこの霊園は、国道のすぐ近くにありながら周囲を

森に囲まれた静かな場所。行くたびに敷地が拡大し、施設が充実し

ていくところを見ると、死者の世界は大賑わいらしい。

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帰りの、わずかになった舗装されてない道でみつけた雑草。

子供のとき、冬の原っぱで、すっかり茶色くなったこのイガイガした

実を投げ合ってお互いのセーターに付けて遊んだものだけど、

なんていうんだっけな・・・

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2005年9月23日 (金)

昨日、見つけたもの

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今にも泣き出しそうな空の下、外に出て行くと大気は煙の匂い。

これは秋の匂い。

気温が急に下がって、曇り空のせいか、ものの見え方も一変した

ように感じます。なんだか一気にさびしい気分です。

自転車に乗って走ると肌寒いくらい。

そうして、最初に見つけたのは白萩。紅の萩はもう終わってしまった

のに、白萩は少し遅れて今が盛りらしい。『白秋』は秋の異名。

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なんとなく薄暗い景色の中で、ぱっと目をひいた芙蓉のピンク。

これはいつかの妖しい芙蓉と違って陽性の雰囲気。きっと、こちらが

本来の芙蓉なのでしょう。ただし、やっぱり虫には弱い。

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直立型のむくげの木とはまったく違うブッシュ型の木に付いた札には

『むくげ』の字が。淡いピンクのむくげなんて初めて見ました。

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木に咲いているところを見ると、子供のときにティシューで作った

花にどこか似ています。輪ゴムの付いたそのくしゅくしゅっとした

紙の花を指に付けて、運動会で踊りましたっけ。

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夏の残りもの。母が好きだった風船かずら。

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この蔓に生った、複雑にして美しい色の実は何でしょうか?

ブルー、白、グリーン、紫 ・・・・・・

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2005年9月22日 (木)

旧友に会う

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先日、喫茶店で始まる人間関係のことを書いたばかりだけれど、

昨夜その最たる友人ともいうべきTに会った。

彼とも20年来のつきあい。

広島で会計事務所を経営している友人Tとは、ここ数年、彼が仕事

や勉強会で東京に来ることが多くなって、年に数回、空いた時間を

みつけて会っている。

古い友人というのは、年を追うごとに優しい存在になってゆくようだ。

恋愛感情はまったく無いからお互い気を遣うこともないし、話せば時

間はあっという間に昔に戻る。血のつながらない身内のようなもの。

当時、地元の喫茶店『中野』を中心にして、そこで働くJと、Tの友人

のKなんかと頻繁に顔を合わせていた頃は、まだみんなとても若く

て、あり余る時間を持て余しながら漠然とした夢と不安を抱えて、

他愛ない暇つぶしに興じていたけれど、いまやお互い抱えきれない

ほどの荷物を抱えてヘヴィな身。音楽に喩えるなら Beatles の

『Carry That Weight』ってところ。結婚、出産、親の死、友の自殺や

家族の病気や離婚、会社の経営や家計のマネッジ、いつも頭を悩ま

す数字のこと・・・。20数年の間に人生の陰影は格段に深くなった。

昔はカー吉で年中クルマの改造ばかりやってて、話すことはクルマ

のことと女の子のことばかりだったよね? 35までに真っ赤なフェラ

ーリに乗るのが夢で、世界を又にかける会計士になるんじゃなかった

っけ? 君の失恋につきあって国立までクルマ飛ばしたのを昨日の

ことみたいに憶えてるのに、時はなんて早く行き過ぎたんだろう。

いまや眼精疲労に視力低下、慢性肩こりに腰痛ね、それに喘息? 

おまけに無呼吸症候群に肺気腫か。やれやれ。

おっと、「やれやれ」は君の昔からの口癖だっけ・・・

それでもT、最近またギターを始めたらしい。

昔、手が小さくてコードがうまく押さえられずに断念したギター。とう

に手放してしまったギターだけど、最近、奥さんが見るに見かねて

新しいギターを買って来てくれたんだって。いい嫁じゃないか。

ハードロック(?)でもなんでもいいから頑張りなさい。

教則本の先生の『かつて若いときにギターを断念した人のための

救済合宿』に行きたいとは笑っちゃったけど、私が行きたいのは

『スイミング合宿』だよ。まあ似たようなもんか。お互い頑張ろう! 

また会う日まで。元気でね。

*********************************

ちなみにTと会うときに必ず行くのが、中野坂上にあるメキシコ料理

店の『ジェロニモ』。かつて浪人時代に麻雀の後、深夜によく行った

らしい。当時はお金もなかったからステーキなんて食べられなかった

けど、ハンバーグ・ライスをオーダーしてライスおかわりしてお腹いっ

ぱいにしてたらしい。いわばTにとっての懐かしの青春の味。

ここに来るとふだんあまり肉の塊を食べない私もつきあって食べる。

『ジェロニモ』はステーキを食べてもハンバーグを食べても、シーザー

サラダ、チリコンカルネ、タコス、まあ何を食べてもおいしいけれど、

特製チョリソーが絶品。食事の後に底が透けて見えるくらい薄い珈琲

がホーローのマグに入って出てくるんだけど、ふだんならそんなもの

飲めないが何故かここでは飲める。キャンプ場にいるみたいな気分。

行ける方はぜひ行ってみてください。

丸の内線『中野坂上』下車、徒歩5分、山手通り沿いに面したログ

ハウスが目印。別に店のまわしものじゃないけれど・・・

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秋の始まりは白

秋の終わりは赤

いきなり肌寒くなった今朝 心をあたためる

赤い薔薇を一輪

あなたに

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2005年9月21日 (水)

死について

tarou   

死について

ひと晩じゅうかんがえると

むねがくるしくなり無の

おそろしさがみえる

織部の

茶碗をくだけ

その適度のおもさと

あたたかさをわすれよ

一切の

ものをこぼて

石に


死に意味をもとめるならば

自然はおそらくもっとも愚なり

ましていわんや

拙劣なる人工をや

甘美に

時はすぎゆく

ねこが跳躍をそのまま止めるならば


価値のなんと透明なことよ

傲慢に

その位置を与えよ

それがこの世を滅ぼすならば

うべなうべし

林を賑わす

木枯らしをうべなうように


ひとりひとりについて

一生の

苦しみの量は

一定である

それこそ神のみわざだ


しかるに

おそろしさは無間なり

地中の

芽の

一瞬たりと

同じからずと知れ


匂い

あまりに風にちかい

音だけが

水のように確かだとは


死よ

水のごとく

やさしく

すごくあれすごくあれ


(写真・詩ともに1993年『現代詩手帳』より拝借/北村太郎『死について』)

*********************************

朝から長い詩を全文引用してしまいました。

昨夜は私の映画鑑賞史上最低最悪の映画に当たってしまって、まだ

途中だったにもかかわらずビデオを止めて返却に行った後、皆さまの

充実のコメントに答えようとすると、ココログがビジーなのかシステム

障害なのかなかなか開かず、ものすごく時間がかかってしまいまし

た。それですっかり夜遅くなってしまい、遅くなったついでと言っては

なんだけど、うーさん のコメントが頭に残り、死について考えている

ときにこの詩を見つけ、今日アップする予定で昨日書いたテキストの

かわりに、長いけれどこの詩をアップすることにしました。

私が自分のブログに詩をとりあげるのは、単に私が好きだからという

それだけの理由で充分ではあるのだけれど、詩の言葉を特別な言

葉、気障な言葉、ロマンティックな言葉、浮世離れした言葉、難解な

言葉、等々と思って敬遠している多くの人々に少しでも触れてもらい

たいから、という気持ちもどこかにあるようです。

詩は(私が思うに)右脳を刺激する言葉で、詩の持つ呼吸さえつかん

でしまえば、とても自然に心に入ってきて、下手な小説を読むより

わずかな言葉で、多くのイメージと、示唆に満ちたもの想いをもたら

してくれるものだと思います。

それでは皆さま、今日も良い一日を!

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2005年9月20日 (火)

蜘蛛の糸

kumonosu_01

きみは幻とうつつを区別できるのかい

君の人生って何だったの、けっきょく

心もとないがせめてきみの好きなクモの網みたいに

粘っこく美しい余生を送らんことを


(北村太郎/詩集『おわりの雪』より『きみの人生』終わりの4行)

****************************************************

東京は曇りの火曜のあさ、ベランダでサマースノーという薔薇の

枝に張った、蜘蛛の巣を見つけました。

小さな蜘蛛が作ったとは思えない緻密なその形。

それはまるで小さな住人の天空の楼閣。

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2005年9月19日 (月)

京都 VS 東京

kyoto

昨夜は結局、月の美しさに誘われて、夜な夜な出かけて行った私。

ちょうど投稿を完了させようとしていたときに電話が鳴ったのです。

鬱蒼たる木々の下を抜けて、月が見える水道道路脇のベンチで

すごすこと1時間あまり。昨日は寒くもなく暑くもなく、お月見には

ちょうどよい頃合い。そこで帰り際に友人にもらった本がこれ。

『京都のこころA to Z』。表紙を開くと小さな文字で、”常連さんも

一見さんも、はじめて出会う『京都案内』。AからZまで、京都の

見どころとお土産を紹介します。”とある。内容はまさしくその

とおり。私が子供の頃から好きな和三盆の干菓子や、喫茶店

『ソワレ』、南禅寺などが素敵な写真で載っている。私は一時、

(名前を出せば誰でも知ってる)京都老舗の器屋のショップで

働いていたことがあるので、その頃はいつでも京都の雰囲気だ

けには触れていました。季節ごとに京都四条の本店から送られ

てくるPOPや小物、季節の室礼。(花を活けに来るのは江戸前

べらんめえの花屋でしたけど。)

前にもブログに書いたけれど(私が他をあまり知らないというの

もあるけれど)、JR東海のCMのように『そうだ。京都いこう』と

思い立ってすぐに行けたらいいなと思うのは、1年中、海に行き

たいことを除いては京都しかないと思う。特別、贅沢は言わない

けれど、いつかそんな優雅な身分になりたいものです。

そして、この本をぱらぱらやっていて思い当たって自分の本棚

から取り出したのがこれ。

tokyo

かつては『盆栽ヲタク』で鳴らした沼田元気氏による東京案内。

サブタイトル(というには、いささか長いが)も気が利いていて、


 もう若くはないが/老人になるには少し間がある/まだ一寸

 欲望も残っており/幸いそれをコントロールする力もある/

 人生で一番長く、そして楽しい/中年という時間の/伯父さん

 的生き方入門書


とある。また小サブに『だれにも迷惑かけずに わがままに生

きるには』とあって、これなんかいい歳になった大人なら誰しも

望むところなんじゃないの、と思う。

こちらは、『京都AtoZ』がすごぉくスタイリッシュなのにくらべると

ずっとキッチュ(これもいまや死語か?)で敷居が低い。その癖

こだわりにおいては一級で、昭和を感じさせるレトロな写真満載

のところは、フクロウさん あたりはすごく気に入ってくれるかも。

京都と東京の違いを荒っぽいけれど一言で言うなら、この敷居

の高さじゃないかと思う。京都が排他的で一見さんにクールなの

にくらべて、東京は至極自然体で屈託がない。ぞんざいな物言い

に愛がある。(と、東京人の私は思うのだが。)

私が子供の頃など、玄関で、「ちょいと、ごめんください」と大きな

声がしたと思ったら、もう家族が食卓を囲む居間(なんちゅう、

いいものでもございませんが)まで上がりこんでいた、なんてこと

はしょっちゅうでした。喫茶店で独りでリラックスして本を読んでい

たら、「ここ、座っていいですか?」と訊かれて、(他にも席いっぱ

い空いてるのになあ)と思いながら「どうぞ」と言うと、相手がゆっ

くり自分のことを話し始めたりして、ひとしきり話した後、お互い

に名前を聞くでもなく電話番号を教えるわけでもなく、じゃあ、と

言って別れてゆく。そんなことが男でも女でもありました。

きわめて東京的、の一例。まさしく袖振り合うも他生の縁、だけど、

それで終わる縁もあれば、10代に始まって今でも続く縁もある。

確かに私が若い頃には、喫茶店で始まる人間関係っていうのが

あって、それは私の少数精鋭(笑うなかれ)の友人の一部を占め

ている。ここに書いても誰もわからないと思うけど、様変わりした

けど実家近くに今もある『中野』、当時としては超ハイテックだった

桜台駅前の『QuarterFake』、新宿のJAZZ喫茶『DUG』、小説家

志望で骨董マニアでケーキ職人でもあったオーナーがやっていた

阿佐ヶ谷の『BananaFish』、原宿のウッディーな喫茶店『ドンキー』、

きりがない・・・・・・

と、2冊の本にかまけて今日は朝から長々と書いてしまいました。

実に休日の朝。これを書き終わったらPCの電源落として、身体動

かすことをしよう。

スタイルのある本屋とおいしいパン屋、それにいい花屋と喫茶店

があるのが大まかに言って私にとっての文化のある町なのだけ

れど、残念ながら私がいま住んでいるここはそうではないのだ。

あー、京都、行きたい。

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2005年9月18日 (日)

秋の夜のジョアン・ジルベルト

moonlight

中秋の名月の今夜、皆さまも今頃、それぞれの空の下で夜空を見

上げているでしょうか。

いま、私のところからは月はちょうどバルコニーの斜め上あたり。

さっき撮った写真がこれですけれど、やっぱり私のカメラでは無理

みたいです。やっぱり月はデジタル一眼レフにズームか望遠付け

ないと。でもこんな写真からでも、今夜の月の光の強さがわかって

もらえると思う。まさに moonbeams!

そしてこんな静かな夜に聴いているのは、ジョアン・ジルベルトです。

「これよりいいものがあるとしたら沈黙しかない。そして沈黙をも

 凌駕するのは、ジョアンの音楽だけ」と、カエターノ・ヴェローソが

言った、ジョアンのボサノヴァ。

ボサノヴァをあまり知らない人は、ボサノヴァをお洒落なカフェでかか

っている軽いBGMくらいにしか思っていないかもしれないけれど、

その歌詞はときにシリアスでもあり、なかなか内省的で深遠です。

かといって暗いのとは違う。限りなく洒脱で、人生の優しさと可笑しみ

と慰めに満ちた音楽。ときに瞑想的。

お酒でも飲めればここで一杯いくところですが、それができない私は

今から珈琲でもいれて・・・  

まだまだ今夜も宵の口だし・・・

joao_001

Joao Gilberto/声とギター

文字通りジョアンがマイクスタンドの前でギター1本で歌っているCD

in_tokyo

奇跡の来日と言われた2003年の東京でのコンサートを

納めた、素晴らしいCDです。

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梨の季節

nashi_003

東京はここ数日ですっかり風が変わりました。

本当に秋が来たことを感じます。

おととい、鳥取にいる義理の母から(厳密にはもうそうは言わない

んだろうけど)鳥取県赤碕名産の二十世紀梨が送られてきました。

毎年、この時期になると送られて来る、季節の便りのようなもの。

母とは先日、珈琲豆を送った際に話したばかりです。

いまでも私をちゃん付けで呼ぶ母。

渋谷の Afternoon Tea で初めて会ったときには、男の子みたいな

ショート・カットの髪をした私を見て、いきなり

「あなた本当にうちの息子でいいの?」

と、訊かれて焦った。

(思わず”ちょっと待って!”とテーブルの下で彼の足を踏んだ私。)

家を出るときには実の母に、

「あなた、自分を実際以上に良く見せようなんて思わないことよ」

と言われ、”誰がそんなこと。やだなあ、もう。大人って。ただ親に会う

ってだけなのに・・・” と、思いながら家を後にしたのを覚えてます。

まだまだ『結婚』というものに実感がなかったあの頃。

母親っていうのは実に可笑しい。

でもいまや自分がそういう可笑しい(うざったい)親になってるかと

思うと、かなり笑えない。

とりあえず息子くん、ちゃんと目を開けてものを見てよ!

(盛ったお皿は、いつか人を招いたら使おうと思って、なかなか使えないでいる

 織部の大皿。)

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2005年9月17日 (土)

お帰りなさい

yuzora_015

私の町に夜の帳が降りてくる

ひとときのマジック・アワーを過ぎて

腕を広げた透明な妖精たちが

低空飛行で降りてくる時間

あなたも今頃、家路につく頃かな・・・

お帰りなさい

そして今夜はゆっくり

おやすみなさい

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夜の散歩に行かないか?

yorunosanpo

先日、家族の夕飯をすませてから、親友と夜の散歩にでかけた。

彼女に会うのは何ヶ月ぶりだろう。

実は私たちは目と鼻の先に住んでいるのだけれど、私は日中、

仕事があるし、彼女はまだまだ手のかかる可愛い怪獣がいる

ので、なかなか滅多に会うことができない。

たまに電話をするとめちゃくちゃ長くなることがわかっているので、

お互い気にしつつ、あまり電話もしない。彼女の旦那さまは理解の

ある方だけど、かといって小さな子供がいれば、そうそう夜に出か

けるわけにもいかないから、ついついご無沙汰になるのです。

(大人になると、どうして本当に会いたい人とはなかなか会えなく

 なってしまうんだろう? )

でも、どちらがどうというわけじゃなく、私たちは引き合う陰陽の

関係にあるらしく、自然に会えるときもある。

この日は、近所の喫茶店に閉店までいて、まだ話し足りなかった

ので近所の中央公園に行くことにした。

夜の闇っていうのはとても落ち着くし、人の心を開かせる。

人が焚き火を囲んで集うのも、暗い店内でキャンドルの灯りで話す

のも、そうしたインティメートな雰囲気を求めるからなんでしょう。

数ヶ月ぶりに会った私たちは、時間を忘れて話した。ゆっくりと。

夜が更けてゆくごとに、時折り冷気が層のようになって身体に押し

寄せてくるのを感じながら。夜中に独りでこんなところにはいられ

ないけれど、2人ならこわくない。

「さあ、もう帰ろうか」、と言って立ち上がったら、公園の時計はもう

12時半を指していた。今月は中秋の名月があるから、今度は満月

の夜にお団子でも持って来るか、と話しながら帰ったのでした。

秋の夜長、ひとり部屋で音楽を聴いたり本を読むのもいいけれど、

たまにはこんな風に誰かと過ごすのもいいなと思う。

さてマリコ、今日から3連休だし、今週末あたり、また夜の散歩に

行かないか?

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2005年9月16日 (金)

胸の振子

yanagi_01

柳につばめは あなたにわたし

胸の振子が鳴る鳴る

朝から今日も

何も言わずに 二人きりで

空を眺めりゃ なにか燃えて

柳につばめは あなたにわたし

胸の振子が鳴る鳴る

朝から今日も



煙草のけむりも もつれるおもい

胸の振子がつぶやく

やさしきその名

君の明るい 笑顔浮かべ

暗いこの世の つらさ忘れ

煙草のけむりも もつれるおもい

胸の振子がつぶやく

やさしきその名



(『胸の振子』 詞:サトウハチロー 曲:服部良一)

***************************************************

おととい school-t さんとのコメントのやりとりで『振子』と書いたら、

この曲のことを思い出しました。

Ann Sally は個人的にはその発声法とか歌い方とか、あまり好きな

ジャズ・ヴォーカリストではないけれど、この曲がラジオから流れて

きたときはいっぺんで心をつかまれました。

私にとっては、母が若い頃に台所で歌っていた記憶のある、懐かし

い曲だったんです。詞も曲も、古き佳き日本の香りがする名曲。

まさにノスタルジーそのものです。

このCDを買ったときすでにBOSEは使えなくなっていたから、

昨日初めてちゃんと聴いたのですが、やっぱりすごくよかった。

このCDはこの1曲だけでいいや、と思いました。

私の母は台所でこの歌を歌いながら、何を想っていたのやら。

ann_sally

Ann Sally / Brand-New Orleans

彼女もアメリカのハリケーンの被害を心から哀しむ一人でしょう。

今年、ニューオリンズでレコーディングしたCDをリリースしたばかりだもの。

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2005年9月15日 (木)

赤とんぼ

akatombo_02

東京は9月の半ばになっても連日30度以上の夏日が続いている

けれど、生き物の世界はちゃんと秋。

cosmos_2

昨日、コスモス畑の上をたくさん飛んでいた、赤とんぼ。

akatombo_01

強い風に煽られながら、必死に枝につかまってバランスしている

のは、

akatombo_03

なんだかまるで、いまの自分を見ているような気分・・・

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2005年9月14日 (水)

名前で呼ぶ

morninglight

When the world will see the light

At the beginning of the day

You will hear me call your name

Cause I love you more than light

And it will always be this way

As long as I believe in life

(Eric Clapton"Reptile"より"Believe In Life")

***********************************************

そのとき私は少し落ち込んでいたのかも知れないけれど、久しぶり

に子供と街へ出たついでに気まぐれに寄ったヴァージン・レコードで

突然エリック・クラプトンのこの曲が流れ始めた途端、なんとも言え

ない幸せな気持ちになった。

自分の人生が自分の責任である以上、それがどんなことになろうと

自業自得というものかもしれないけれど、さんざん人生の辛酸を

舐め、まだ幼い愛息を事故で亡くすような、人生最悪の時を乗り越

えてこんな心境に至ったとしたら、それは素晴らしいことじゃないか。

歌詞について思ったことを言うと、人を呼ぶとき、人から呼ばれると

き、その呼び方・呼ばれ方はけっこう大事だと思う。

私には20年来の親友の男友達がいるが、今やほとんどセミ家族とも

いうべき彼を、私は長年、他人行儀に名字にさん付けで呼んでいた。

彼にしたって今さら私を名前やニックネームで呼んだりするのは、こっ

ぱずかしいと言っていたのだけれど。それがいつしか名前で呼び合う

ようになって、私たちの関係は前より親密になった。依然、友達であ

ることに全く変わりはないし、この先も(たぶん死ぬまで)それは変わ

らないだろうと思うけど。

私には変な癖があって、何かしながら頭の中で人の名前を呼ぶこと

がある。主に女友達の名を呼ぶことが多いけれど、基本的には男も

女も関係なく呼ぶ。ただ単にそうすることで落ち着くとか、心が愛情で

いっぱいになるからとか、そんなことなのだけれど、少しは何かを飛

ばしてるのかもしれない。たまに呼んだ相手からタイミング良く電話

がかかってきたりして、”あ、通じた”、と思ったりする。

クラプトンの幸せは今も続行中で、彼の新しい曲の内容は、”まったく

60過ぎて子育てするのは疲れるぜ”という愚痴ソングらしいけど、

愚痴を言いながら、”あー、なんて俺は幸せなんだ”ということらしい。

やれやれ・・・

朝、目が覚めて近くに名前を呼ぶ相手がいるのは幸せだ。

愛する人に名前を呼ばれながら目覚めるのも。

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2005年9月13日 (火)

Sweet Heart

sweet_heart

あなたはいとも簡単に私をしあわせにしてしまう。

たった一言で。

その笑顔で。

sweet_heart_01

*写真は撮るたびに違う表情を見せてくれるミニチュア・ローズのアンティーク・

 コルダナ。

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2005年9月12日 (月)

日々、新しく咲く

mukuge

毎日たくさんの花をつける槿(むくげ)の花。

清楚だけれど夏のあいだじゅう咲き続け、9月に入っても

咲き続けるタフな花。

ハイビスカスの仲間だそうだけれど、そう言われれば似てる。

この花のように日々、新しく咲きたい。

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2005年9月11日 (日)

海辺の宿

melon_03

夏に泊まったその宿では、日本旅館なのにジャズが流れていた。

それは都会ならとりたててめずらしいことでもなんでもないが、そこ

が海辺の田舎町であることを考えるとちょっと異端な感じがして、

宿の主人の息子らしき若い青年がいたから、きっと彼の趣味なの

だろうと私たちは話した。しかもそのジャズというのが、さんざん聴

き慣れた『My Foolish Heart』で始まるビル・エヴァンスだったから、

私はまるで第二の自分の部屋にいるような、くつろいだ気持ちに

なった。

翌日の朝、食堂に行くと、宿の主人は火を焚いていて、そこはとても

良い香りがした。「なんの香りだろう」と連れに尋ねると、「炭を焚く

香りだろう。墨を磨ったときの香りと同じだから」と言った。そのとき

目が合った主人と、それからしばらく炭の話しをした。その屈託の

無い直截な物言いは、まるで江戸っ子みたいだった。

その晩、お湯に浸かっていると、何やら客が酔っ払って怒鳴って

いるような大声がしたが、実はそれは宿の主人が従業員を叱る

声だった。なんでも主人が考える『おもてなし』の心を、従業員は

ちっとも理解していないと言うのだ。憤った彼は、もう今月いっぱい

で宿を閉めると言う。その宿はロビーを入ると中庭に面して小さな

くつろぎスペースが設けてあって、外では夜だというのにまだ蝉が

鳴き、開け放った窓からは涼しい夜風が入り、窓の下では池で

優雅に錦鯉が泳いでいた。そこの椅子に座って主人はコークハイ

を飲みながら、湯上りの我々は三ツ矢サイダーを飲みながら、しば

らく話しをした。その宿は、主人の話では映画関係者や物書きの

常宿となっているらしい。そんないろいろなエピソードと共に、音楽

の趣味が息子のものではなく、実は主人の趣味なのだと知った。

翌朝起きると、相変わらずロビーでは朝からビル・エヴァンスが流

れていたが、まるで昨夜の延長みたいで、「朝からジャズってのも

なかろう。これじゃ朝からフォービートになっちゃうよ。朝はもっと

テンションが上がる曲じゃないとさ」などと話していたら、宿の主人、

お客さんに朝はクラシックを流せと言われたが、どんなのがいいん

でしょうかね? と、訊いてくる。それじゃあ、後から何か見繕って

送りましょう、と軽く答えた。

人から何気なく言われた一言でも、こちらはしっかり覚えているの

に、相手がすっかり忘れてしまっていてがっかりすることがある。

そんなことになるといけないから、忘れないうちに送ることにした。

私が送ったのは、格別真新しくはないけれど、私にとっては定番中

の定番、グレン・グールドの弾くバッハの『ゴルトベルグ変奏曲』と、

同じくグールドの弾くブラームスの『間奏曲集』、それにこのブログ

でも紹介した坂本龍一の『CASA』、それからキース・ジャレットの

『The Melody At Night,With You』の4枚である。夏にお世話に

なったことのお礼を書いた、短い手紙をつけて送った。そうしたら

なんと今日、宿の主人から写真のメロンが送られて来たのだ。

なんでも友人が丹精こめて作っている、こだわりのメロンらしい。

中には手紙も入っていて、”ご覧いただいたとおりの不行き届き

ばかり目に付く無興な宿ではございますが、どうしたらお客様に

ごゆっくりとくつろいでいただけるか、それのみを愚直に模索して

いる毎日です。ご出立の折にお客様から、「ゆっくり休めました。

ありがとう」と言われる一言に励まされ、還暦を過ぎ「老害」の声も

チラホラ聞こえますが、為にする雑音とあえて聞き流すことにしま

した。企業とは違い、家業ですので、4代目にしっかりと私のこの

想いだけは伝えたいと愚考する昨今です」と書かれてあり、私が

送った音楽を聴きながら心やすらぐひとときをすごしていること、

これを機に前から気になっていた音質を向上すべく、新たにオー

ディオ・コンポを買ったなどが記されていた。そして追伸にとても

素敵なことが書かれてあったので、長くなったついでに抜粋したい。

”ボサノヴァを聴く、この【刻】だけは、緑茶党の私でさえも珈琲に

しております。ロビーが音楽だけはモダンです。(中略) 喧騒の

去った秋の海は本当に良いものです。特に秋の中秋の名月前後

の夜の海は、とても幻想的です。月まで波打ち際から直線の金色

の橋がかかります。この地に生まれてよかったと思う一刻です。”

この最後の追伸を読んで、私はすっかりまたあの海に行きたくな

ってしまった。あの中庭に面した特等席では、今日も涼しい風が

吹き、サルスベリの花が揺れていることだろう。そして庭から5分

も坂を下れば、盛夏とは違う、静かな海が広がっているのだ・・・

さっそくお礼を言うために宿に電話をすると、最初、女将が出て

主人はCDが着いてたいそう喜んでいたとお礼を言われた。それ

から例の主人と、メロンと音楽と江戸落語の話しをした。

いままでどこかに泊まって、こんな経験をしたことは一度もない。

人の縁というのは実に不思議なものだと思う。そこを離れるときに

直感したように、また私はあそこに行くだろう。そこには自分の

第二の部屋のように、私の聴き慣れた音楽がかかっているのだ。

なんて素敵なんだろう。

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2005年9月10日 (土)

SEPTEMBER VOICES

midori

昨日の夜は久しぶりにジャズ・ライブに行って来ました。

1965年にジャズ・ヴォーカリスト達によって自然発生的に生まれ

たという『じゃずろう会』によるこのコンサートは、去年までは様々

な年代のヴォーカリストを総勢40名以上も集めての『ジャパン・

ジャズヴォーカリスト・ジャンボリー』という形で10年行われてきま

したが、その10年を節目に、今年は『セプテンバー・ヴォイセズ』

という新たな名称に変わって、中堅メンバーを中心に約半分ほど

のメンバーで開催されました。

出演者が半分になったとはいえ、総勢19人+1グループの歌を

一気に聴く機会なんて滅多にありません。人の声って10人集まれ

ば10人全部違う。歌い方も曲のアレンジの仕方も英語の発音も。

自分の好みの傾向がはっきりわかるとともに、実に面白いライブ

でした。我らが清水翠ちゃんが今年、歌ったのは、『Moon Dance』

と『What a Little Moonlight Can Do』の2曲。なんといっても忙しい

ライブで、1人が歌い終わって幕に消えたと思ったら、すぐに次の

イントロが始まっちゃうようなライブだから、翠さんのように独特な

世界観を持つヴォーカリストは自分の色を出すのが大変なんだ

けれど、今年は繊細でフラジャイルなだけじゃなく、ビートに乗って

メリハリの効いたスウィンギーなところを聴かせてくれました。一皮

むけた感のある翠ちゃん。カッコよかった!

圧巻だったのは清水秀子さんという熟年のヴォーカリストで、彼女

は白髪混じりのルックスこそ枯れた感じの方だったけど、歌い出し

たらすごい! 一気に顔が輝きだして、その華のある風情といい、

熟成されたワインのような声といい、圧倒的な歌唱力といい、まるで

ダーク・ローズのような方でした。彼女を見ていたら、ただ若くて可愛

いだけの女がなんと味気なく見えたこと。女性もこんな風に歳をとれ

るんだと思ったら、なんだか希望が湧いてきました。素晴らしい!

去年まではどちらかというと、ゴージャスな(ヒカリモノノ)衣装を着た

色っぽいジャズ・ヴォーカリストが夜の雰囲気で出てくると、白髪頭の

往年のジャズ・ファンの男達が喜ぶ・・・的なコテコテのスタンダード

が多かったのにくらべて、今年は翠さんの持ち歌でもある、

『Vera Cruz』、『No More Blues』、『So Many Stars』、『Bluesette』

みたいな選曲をされている方が多くてびっくりしました。

でも、もちろん言うまでもなく、それらの曲に関しては清水翠が歌った

ほうがいいのは保証します。

写真は、席から私のコンパクト・デジカメではとうてい無理だったので

(おまけにフラッシュも遠慮してたかなかったし)ちゃんと撮れなかっ

たのですが、雰囲気だけ、ということで、シンプルでレトロなロング

ワンピースを着て歌う、清水翠。

秋の夜長、しばらく音楽から遠ざかっているという方も、久しぶりに

ライブに出かけてみてはいかがでしょうか。

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2005年9月 9日 (金)

芙蓉の花

fuyou

不意に姿を消した黒ネコの行く末を考えていた。

ふようの鮮やかなくれないの花が、夏の終わりの真昼の日に、

芸者の耳のように透きとおっていたが、夕影とともに、ふようの

花は柔らかに、しかも固く閉じてしまう。おそらくあしたの朝は

露にまみれて地面にあるであろう。

***************************************************

これは今朝、別の言葉を探していて見つけた文章。

(北村太郎/小沢書店刊『詩を読む喜び』/『夢十昼』一部抜粋)

誰知るとも知らず、木陰でひっそりと、夢のように咲いていた

芙蓉の花。

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2005年9月 8日 (木)

ネクタリン

nectarine_01

母はネクタリンの木を1本、持っていて、実が生ったりすると

大変だった。

「あなた、ネクタリンの実がなったわよ!」

その頃は今ほど植物を育てることに興味の無かった私は、

「ふぅーん、ほんとだ」、てな感じだったけど。

私の桃好きはどうやら彼女からきたらしい。

今日、8日はその母の誕生日。

生きていれば73歳になる。

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2005年9月 7日 (水)

台風一過の夕空

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夕方、友達にメールを書いていたら、その友達から電話がきました。

「空、見て! いま、すごくきれいだよ!」

ちょっと前にベランダで空の写真を撮ってた私。でもそのとき見たら、

さっきとも全然ちがう。慌てて外へ飛び出しました。

yuzora_009

見ている間にも刻々と変わる空・・・

yuzora_011

台風一過の空って、なんでこんなに綺麗なんだろう!

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そして最後に、三日月と星が。

いまは昼間の蒸し暑さとはうって変わった涼しい風が吹いています。

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台風14号北上中

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taifu14

今朝、ベランダから見た空です。

刻々と変わる空模様。空が明るくなったと思ったら少し前、

激しい雨粒が窓を叩き始めました。それも一瞬のこと。

一晩中、狂ったように鳴っていたウィンドチャイム。

ベランダでは幾つか鉢が割れていました。

ここは建物の4階なので、もともと風の音が凄いのですが、

今日はちょっと恐ろしいくらいに轟いています。

台風14号は日本海に抜け北上中というけれど・・・

人間も自然の一部なら、やはり影響されざるを得ません。

こんな日は外に出るのはもちろん危険だけれど、家にいる

のも落ち着かない。どうしたものか。

被害に遭われたたくさんの方々に、心からお見舞い申し上げます。

また、これからお出かけの方、これから暴風雨域に入る地域の

皆様方は、充分気をつけてください。

早く台風が過ぎ去り、沈静化しますように。

*追記:いままた暴風雨になりました。すごい・・・

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2005年9月 6日 (火)

涙の源泉(A Time For Love)

raindrops_01

涙はどこからくるのだろう?
その日(今年の1月)、横浜の山手ゲーテ座の、ステージ・マイクから
右手の席に着いた私は、その日2曲目となる『A Time For love 』 の
ピアノのイントロが流れ始め、清水翠が歌い始めると、なんの前兆も
無く、予期しなかったことに、涙がはらはらとこぼれ始めた。
曲自体はビル・エヴァンスの演奏で昔から馴染みの深いものだった
けれど、それをヴォーカルで聴いたことは清水翠以外なく、歌詞を
知っているわけでもなかったから、言葉に反応したのでもなかった。
単純に音楽に、清水翠の歌に感応してしまったらしかった。
まだライブは始まったばかりだったし、1個席を空けて座っているとは
いえ、横にはその日、私が連れて来たプロデューサーのJさんも座っ
ていたから、私はなんとか涙をとめようとしたけれど、意に反して
それは激しく私の心の琴線を揺らし、もうどうすることもできなかった。
そして涙の理由を自分に問うてみたけれど、何か特定のことを思い
だして泣いていたのでもなかった。自分でも予期しない涙というの
は、もし目の前に誰かがいれば(もちろん目の前で泣けるような心
を許した相手がいればのことだけれど)、相手も当惑するだろうけ
れど、それ以上に自分がいちばん当惑する。でもいったん涙がはら
はらこぼれ始めてしまったら、泣く理由などいくらでもあったのだ。
当惑する私の耳に『恋のための時間』は響き、去年の夏にそれまで
数年越しの恋を苦労して手放したことや、本当はここに一緒に来た
かったことや、相手の名前など思って、あとはなんだかわけがわから
ず、ぐちゃぐちゃになってしまった。その1曲の間だけ。
その日のライブは2部構成になっていて、間の休憩のときに、その
Jさんは「素晴らしい!」、を連発した。
「なぜ君があんなに強く押したのかわかりましたよ」と彼は言い、
その日のチケットは3000円だったのだけれど、「この内容なら
5000円でも安いくらいです」と言った。
私は自分の好きなものを気に入ってもらえた喜びですっかりハッピー
な気分になり、私たちは幸福な気分で思い思いの鼻歌を歌いながら
元町を歩いた。彼はチェット・ベイカー、私はビル・エヴァンスを。
泣くという行為は自浄作用でもあって、ひどく泣いたりした後は頭痛
がしたりするものだけれど、基本的には子供と一緒で眠くなるか
お腹が空く。お腹が空いた私たちは混んだイタリアン・レストランで
パスタとピザを食べた。
夜遅く家に帰った私は、お礼とともに、ある曲のときに涙がとまらなく
なったことをメールすると、Jさんからはこんな返事が来た。
「あのヴォーカルで涙を流せる人って、実は本当の意味の贅沢を
知っている人ではないでしょうか。ボクもどこからか、こみあげてくる
ものがあって、ある瞬間、目頭熱くしてしまったんですよ」、と。
でも短い間にたくさんのやりとりをしたなかで私の記憶に最も強く
残っているJさんからの言葉は、
「愛しあったふたりに一番、切なく残っている風景は、”ふたりで笑い
あったこと”、だとボク思うのです」という言葉だった。
蓋し、その通り。
人が思いもよらぬ涙を流すとき、それは心の深い深いところから
きているのだと思う。
ちなみに『A Time For love 』の歌詞の意は、「”夏の空のための
時間”から始まり、春より秋より一番なのは、愛のための時間、
という愛の歌」と、清水翠のCDのなかにありました。
朝からこの歌詞が欲しいと思って作詞者の名前(P.F.Webster)やら
何やらで検索したのだけれど見つからなかった。翠さんにも直接頼
んでみたものの、彼女はライブ前でレスは無理だと思うから、誰か、
もしお持ちの方がいたら、私にメールしてくださると大変ありがたく、
嬉しく思います。よろしく。
いつかこのタイトルで何か書きたいと思っていたのですが、本日、
書きすぎ、長くなってごめんなさい。
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追記:
マイリストの中に清水翠さんのHPがあり、その中のスケジュール
を見ていただけるとわかるのですが、11月11日に、私が今日
書いた記事と同じ、横浜のゲーテ座でライブがあります。
このホールは山手の外人墓地の近くにある岩崎博物館の中に
ある、100席ほどのこじんまりした、とても素敵なホールです。
いつもここでやるときは清水翠さんはとても力入れてばりばりの
コンセプト・ライブを企画するのですが、いつも席がいっぱいに
ならないのが、私は残念でたまらないのです。
陽気でスィンギーなコテコテのジャズが好きな人には不向きかも
しれないけれど、ふだんあまりジャズを聴いたことがない、あるい
はPOPでリリカルなジャズを聴きたい人には良いと思います。
当日はピアノが西村和彦さんで、ふだんはシャイで控えめすぎる
翠さんが、以前に『世界に出しても恥ずかしくないDUO』、と豪語
した組み合わせです。
まだまだ先のことなので、もしよろしかったら今からチェックして
予定を入れておいてくださると、本当に嬉しく思います。
当日、山手ゲーテ座でお会いできることを願って。
 

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2005年9月 5日 (月)

水脈

suimyaku

逆らえぬ感情には従うがいい

それが束の間のものであろうとも

手をとらずにいられぬときには手をとり

目の前のひとの目の中に覗くがいい

哀しみと呼ぶことで一層深まるひとつの謎

生れ落ちてからこのかたの日々のしこり

そのひとしか憶えていない黄昏の一刻の

闇に溶けこむ暗がりにうつるあなた自身を

一人がひとりでしかありえぬとしても

私たちの間にはふるえる網が張りめぐらされていて

魂はとらわれてもがく哀れな蝶

だからときとしてみつめあうしかないのだが

どんな行動も封じられているその瞬間に

かえって私たちは自由ではないのか

慰めの言葉ひとつ浮かんでこないからこそ

心はもっと深い水脈へと流れこみ

いつか見知らぬ野に開く花の色に染まって

大気のぬくもりと溶けあうだろう



(全文引用:谷川俊太郎『水脈』/詩集『手紙』より)

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あの日 あなたは淡い紫のシャツを着てた

フロントグラスを 秋の最初の雨が濡らし

降り立った山間の道の 谷底の下では

静かに水の音がしていた

taifu

また台風が来ています。

東京も今日は朝から雨です。

台風が来る毎に、雨が降る毎に、夏がフェイドアウトしてゆく。

ここ数日の、急激な日の暮れの早さ。

音楽のない部屋の下を、車が雨の音をさせて、通り過ぎて

いきます。

今日はこの時期、私にとっては思い出深い、谷川俊太郎の

詩の一篇を。

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2005年9月 4日 (日)

我が愛機BOSEウエストボロー

bose

『NO MUSIC NO LIFE』の私。

音楽なしの生活なんて考えられない。

ところが数ヶ月前から我が家の家宝にして愛用のCDアンプが調子

悪くなってしまったのだ。CDによって読んだり読まなかったり。

騙し騙し使っていたのだけれど、ついに何も読まなくなっちゃった。

友人はこれ読んだら「まだ修理に出してなかったの?」と言いそう

だけど、これ修理に出しちゃうとラジオも聴けなくなるのです。

いち早く iPOD を買った友人は、いつも良い音で音楽を聴きたい

とは思わないというと言うけれど、私は耳があまり強くないので

ヘッドフォンで音楽を聴くのは好きじゃないし、私は食に贅沢を

するわけでもなければ昔のように服をたくさん買うわけでもなく、

世の女性達のようにブランド志向でもないので、唯一の贅沢とも

いえる音楽だけは、いつでも良い音で聴きたいのです。

音楽は一瞬にして空間を変え、意識を変える。

日々、好きな音楽を聴けないストレスは目に見えない埃のように

溜まるので、ついに意を決して修理に出しました。

前回は保証期間外にもかかわらず、無償でやってくれて感激した

BOSEの修理センター。今回はどうかなあ。

いずれにしても、「お早う、お帰り!」

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2005年9月 3日 (土)

移ろいゆく時のなかで

as_time_goes_by

君は何を想う?

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2005年9月 2日 (金)

始まったばかりのコスモスの中で

cosmos

その瞳 風のように

いま 愛に満たされ

この鼓動 伝わって

いま 銀河を渡れ

(ORIGINAL LOVE/心 ANGEL HEART)

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眠りから目覚めた子供の瞳のように、澄んだ花色。

新しい季節の始まり。


cosmos_01

cosmos_04

cosmos_03

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2005年9月 1日 (木)

Just The Way You Are

morning_01

「僕を喜ばせようと思って自分を変えたりしなくていいからね。僕は

 いまのままの君が好きなんだから」という、ビリー・ジョエルの

『Just The Way You Are』(素顔のままで)。

古いところでは『My Funny Valentine』の歌詞にもこんなのがある。

「あなたってちっとも写真写りは良くないけど、でも私にとってあな

 たはお気に入りのアートなの。私のために髪型を変えようなんて

 思わなくていいのよ。今のままでいてね。」

どちらも愛情に満ちた優しい言葉。

でも、オギャーとこの世に生まれて以来、色が白いとか黒いとか、

目がぱっちりしてるとかしてないとか、痩せてるとか太ってるとか、

胸が大きいとか小さいとか、美醜に関して実に様々なことを言われ

てきた女としては「私にはコンプレックスという言葉は存在しない」

と豪語するユーミンみたいな女でもないかぎり、いつもありのまま

の自分を受け入れて好きでいることは難しいと思う。

特に子供の頃に母の躾がとても厳しかったり、結婚に失敗していた

り、男社会の中で少なからず傷いた経験のあるような女なら尚更。

私はいつも自分を変えたい願望に駆られて生きてきたような気が

する。それはもちろん、ポジティブな向上心ではあるのだけれど・・・。

年上の女友達と話していて「できる努力はする。白鳥の水面下の

バタ脚? いや白鳥は言いすぎだからアヒルくらいか」なんて笑った

ことがある。女なんてルックスだけに限ったことじゃなく、自分を

「まだまだイケてる!」、と思えるくらいでやっと元気にやっていける

のじゃないだろうか。

だから幸運にも、大切な人から最初にあげたみたいな優しい言葉を

もらったなら、素直に受けとめて大事にしたいと思うのです。

日々の努力は別として。

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