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2005年5月 4日 (水)

トニー滝谷

Tonytakitani_3   

最初にこの映画のタイトル、『トニー滝谷』っていうのを見て、えーと

トニー滝谷って誰だったけかな、と思ってしまったくらい、なぜかこ

の名前には妙にリアリティーがある。こう、なんというか、昭和初期

のレトロでノスタルジーを感じさせる名前。床屋のしましまサインポ

ールみたいな。

そう、これは村上春樹の短編集『レキシントンの幽霊』に入っている

短編小説のひとつでした。村上春樹がハワイで買ったTシャツに、

たまたま、『TONY TAKITANI』とプリントされていたことからインス

パイアされて書いたという、この小説。なるほど、やっぱりこの名前

には何か人の想像力を掻き立てるものがあるんですね。

けれど戦後間もない頃に、人生享楽家のジャズ・ミュージシャンの

父親から、そんな『あいのこ』みたいな名前をつけられたおかげで

少年トニーは世間からも子供達の間からも奇異の目で見られ、つ

まはじきにされて、いつしか閉じこもりがちな性格になってしまう。

トニーの母親は彼を産んで3日目に亡くなり、父親は演奏のため

にほとんど家にいることがない、およそ父親らしくない男。

そんな家庭にも親の愛にも縁薄く育った少年は、誰からも愛される

ことなく、どこにいてもいつも独り、という状況でありながら、「食事

はお手伝いさんが作りに来てくれ、いつも1人で食べた。でも特に

寂しいとは思わなかった」と、回想する。そこには少年でありながら

すでに孤独にも慣れきって、どこか不感症になってしまった老人の

ようなトニーがいる。そんな無口で無表情な少年はそのまま大人に

なり、ただひたすら目の前のものを緻密に描くことが得意だった子

供の頃の特性そのままに美大に入り、その後、メカニカルなものを

専門に描くイラストレーターになる。彼ほど複雑な対象を実物よりリ

アルに描ける者は他にいなかったから、トニーはすぐに引っぱりだ

このイラストレーターになり、高い評価と高収入を得て独立して事務

所を持つ頃には、かなりの資産家になっていた。

ただし、恋人も女友達の1人もおらず、心を割って話せる友人はおろ

か、ただ酒を飲む相手の1人もいないままに。

トニーはこの先、自分が結婚することはないだろう、と思う。

ところがある日突然、彼は恋に落ちるのです。

彼女をひと目見た瞬間から、それはまるで孤独な男のモノクローム

の世界に、ひとひらの鮮やかな花びらが舞い降りたような鮮烈さで

彼の心を激しく打つ。息もできないほどに!

その女は服を着るために生まれてきたような女で、トニー曰く、「彼

女はまるで遠い世界へと旅立つ鳥が特別な風を身にまと うように

とても自然に、とても優美に服をまとっていた」、のです。

ここは小説の中でも映画の中でもとびきり美しい表現で、まさしく恋

に落ちるってこういうことだと思わせる。その言葉はそれまでの無味

乾燥なトニー滝谷のものとも思えない。

そしてトニーは15歳年下の彼女に勇気を出して思い切って結婚を

申し込み、彼女が考えている間、37歳のそれまでずっと孤独に生

き、孤独を苦痛とも思っていなかったのに、生まれて初めて彼女を

得られなかったときのことを考えて苦悶し、「孤独とは牢獄のような

ものだ」、と思うのです。

彼女に断られたら、俺はこのまま死んでしまうかもしれないな、と。

このあたりは本当に切ない。

けれど、めでたく2人は結婚し、トニー滝谷の孤独にも終止符が打

たれ、幸せな新婚生活が始まる。目覚めてから一日の終わりに目

を閉じる瞬間まで、自分が独りではないという幸福感はトニーをい

っぱいに満たすけれど、それは同時に、自分がもう一度孤独になっ

たらどうしようという恐怖をトニーにもたらすことになる。人間の心と

はかくも複雑である。

失うものが何もなかった頃は平然と孤独に暮らせたのに、失いたく

ないものを得た途端に、新たな不安と恐怖が始まる。しかし、やが

てそんな恐怖もただの懸念にすぎないことがわかって、やっと穏や

かに暮らせるようになり、2人の結婚生活に影を落とすものは何ひ

とつ無いかのように思えたのだが・・・。

でも、トニー滝谷には、ひとつだけ気になることがあった。

それは、妻が異常に服を買いすぎることだった。

原作:村上春樹
監督:市川 準
主演:イッセー尾形、宮沢りえ
ナレーション:西島秀俊
音楽:坂本龍一

という豪華な顔ぶれのことを確かJ-waveで聴いたとき、これはぜっ

たい観なきゃ、と思った映画です。何故なら村上春樹は私が同時代

に読んできた数少ない好きな作家だったし、イッセー尾形も宮沢り

えも、私には特別な俳優だからです。そしてこの映画は村上春樹の

原作そのままに、独特な手触りと違和感とを持ったとても静かな映

画でした。子供時代のトニー滝谷を演じた少年も、青年期からを演じ

たイッセー尾形はことごとく感情を排した無機質な表情で、ナレーショ

ンも坂本龍一の音楽もひどく単調、台詞もどこか芝居的で、唯一、映

像だけが瑞々しくエモーショナルで美しい。それが一転、変わるのが

宮沢りえが初めて登場するシーンで、一気に音楽が転調して明るく

なり、景色の見え方が変わる。それは、トニー滝谷が初めて人間らし

い表情を見せる瞬間でもある。

私は宮沢りえのどこかちょっとこの世離れした儚い美しさが大好きな

んだけれど、この役の、とにかく美しい服を見たら、それがたとえいく

らであろうと買わねばならないと思ってしまう(限りなくどこか病気の)

女の役は、実にハマリ役だと思いました。

村上春樹はこういう、外見からは計り知ることのできない、人間が内

に抱える奇妙さを描くのがとても巧い。というか、ほとんどマニアなん

じゃないかと思うくらいに。私的にはイッセー尾形と宮沢りえの美しく

も儚い蜜月の時間がもうちょっと長く、そしてもっと濃密に鮮烈に描か

れていれば、それが失われた後のトニー滝谷の心の暗転も、もっと

胸に迫ったのに、と思う。イッセー尾形の演技は抑制され過ぎていて

やや単調で、トニー滝谷の父親が上海で独房に入れられていたシー

ンと、孤独を牢獄に見立てたシーンの重ね合わせ方なんかもやや説

明的で余計に感じられました。

母親的な観点から見ると、子供の頃、最も人(たとえ血のつながりが

ない相手でも)に愛されて育つべきときに愛情を受けられずに育つと

こんなにも不幸な人間になるのかなあ、ということ。たとえ両親のい

ない子供であっても、他人から何がしかの愛情を受けて育てば、こう

はならなかったでしょう。そんなトニー滝谷のような人間が、一瞬で好

きになれる彼女のような相手とめぐり逢えたのは奇跡だと思うし、そ

の奇跡のためには少々奇妙でも犠牲を払い続けなければならなか

ったのかもしれない。それと、これはいただけないと思ったのは、トニ

ー滝谷が美大生だった頃のシーンをイッセー尾形が長髪のカツラを

かぶって演じているんだけど、これにはそうとう無理がある。シワだら

けのイッセー尾形の顔はどう見たってもう青年には見えないし、成人

大学じゃないんだからさ。

私はこの映画をジャズ・ヴォーカリストの清水翠さんと観たのだけれ

ど、彼女が「こういう映画って後からじわじわこない?」と言ったとおり

ときどき何かの折にふうっと思い出してます。宮沢りえがエレガントな

普段着に麻のエプロンをしてクルマを洗うシーン、ホースの水をイッ

セー尾形にかけて笑うところや、彼女に笑顔を返す幸せそうなイッセ

ー尾形の笑顔なんかを。

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