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2005年3月21日 (月)

欲望の翼(阿飛正傅)

Yokubounotsubasa_2

ウォン・カーウァイの映画を初めて観たのはいつだろう?

映画好きの友達が『恋する惑星』を絶賛していたのが頭にあって、劇

場公開されてしばらくした後、三鷹の市民センターで観たのだ。たし

か『恋する惑星』と『欲望の翼』の2本立てだったと思う。

友人の言ったとおり、確かに『恋する惑星』はポップで、フェイ・ウォン

がキュートで可愛い映画だったけれど、私の頭には『欲望の翼』の方

がより強く印象に残った。何より、レスリー・チャンが。

サッカー競技場の売店で働くスー(マギー・チョン)のところへやって

きたヨディ(レスリー・チャン)が、スーに1分だけ自分の腕時計を見

るように言い、1分たった後に言う台詞、「1960年、4月16日の3時

1分前、君は僕といた。君との1分間を忘れない」という、今ではあま

りにも有名な台詞で始まるこの映画だが、かといって私はこの瞬間

からすぐにレスリー・チャンを好きになったわけではなかった。

彼の顔はベビーフェイスでちょっと甘すぎる感じがしたし、その割には

妙に挑発的でセクシュアルで、吐く言葉が気障だったからだ。

思えばこの映画でレスリーが言ういちいち気障な決め台詞の数々、

ナイトクラブを経営するゴージャスで妖艶な養母に育てられているが

実は上流階級の婦人の不実の子だという出生の秘密、ナルシストで

自分以外、愛せないというその傲慢な性格、「脚のない鳥」の喩え

話。全てが陳腐と言えば言えなくもないのだが、レスリー・チャンは見

事なまでにリアルに、1960年代に生きたヨディを、彼を包む空気の

匂いさえ発散させながら演じている。

ヨディがときおり見せる真摯な眼差し、容赦の無い冷酷な凶暴さ、ど

こまでも透明な輝きを放つ虚無感、懸命に働くこととは無縁なノンシ

ャランで刹那的な人生観、そして静かに響く声と、下品にならないセ

クシュアルな雰囲気。気がつけばもうすでに彼の虜である。

魔性とは女に使う言葉だけれど、レスリー・チャンにこそふさわしい。

映画を観終わった後しばらく、映画の中で何度か出てくるフィリピンの

熱帯雨林の幻想的な映像と、姿見の鏡の前でラテン・ミュージックに

あわせて腰を振るランニング姿のレスリー・チャンの姿が頭から離れ

なかった。ただのランニング姿がこれほどまでにセクシーな俳優、そ

してこれほどまでに虚無を演じて似合う俳優を私はレスリー・チャンの

他に知らない。

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2005年3月18日 (金)

花とアリス

Hana

岩井俊二監督の『花とアリス』はとびきりフレッシュな水彩画だ。

出てくる女の子2人はかぎりなく今なのに、見たそばから、思い出そ

うとするそばから、瞳から入って脳裏に刻まれたその映像は、雨上

がりの情景みたいに水分たっぷりに輪郭の色が淡く滲んで、まるで

岩崎ちひろの絵のようにノスタルジーである。

とりたててストーリー展開がすごいわけでもなんでもないのに、その

映像のシーンごとの記憶は、1枚1枚、写真のように、大事な記憶

の箱にしまわれるのだ。それはまるで、あなた自身の記憶のように

私自身の記憶のように。

ちなみにこれから20分間だけ、思い出してみてほしい。

あなたが16歳だった頃、あなたはどんな高校生だったろう?

どんな日常を送っていただろうか。

あなたの年齢が幾つであっても、すぐに出てくる情景があると思う。

ストーリーは、同じ高校に進学した花とアリスが、ある朝、駅で見つ

けた男の子2人をふざけて観察するところから始まる。そのとき密か

に片方の男の子に恋した花は、偶然に乗じて記憶を失くした同じ学

校の落研のセンパイであるその片方の男の子(宮本)に、とんでもな

い嘘をつく。私たちは恋人であると。嘘から始まる奇妙な恋人関係。

でも、どうやっても目の前の花にこれっぱかしも恋心が湧かない宮本

は不審でたまらない。それを見て慌てた花はアリスに嘘の片棒を担

がせるが、あろうことか宮本はアリスに一目惚れして・・・

という、コメディータッチのいたって少女マンガチックなものだ。

そこへ花とアリスのちょっと風変わりな家庭環境、バレエ教室の友人

関係、アリスのチャレンジ、などが織り込まれる。

そしてラスト近く、思わぬどんでん返しが起こるのだ。

それは女の子なら一瞬にして世界がバラ色になるような、そしていさ

さかオバサンの年齢になった私なら宮本クンの器量の大きさを見直

したくなるような心が温かくなるような信じ固いどんでん返しである。

それは、映画のダイナミズムって、こんなちっちゃなことでも充分なん

だ、ということを教えてくれる。

花とアリスが満開の桜の下を歩くところ、雨のなかアリスが黒子みた

いなスゥエット・スーツを着て1人でみょうちくりんな踊りを踊っている

ところ、宮本と3人で海に行くシーン、バレエ教室で写真部の女の子

が文化祭に出品する作品を撮るところ、そしてとびきり美しい、アリス

がオーディションで学校の制服のままバレエを踊るシーン ・・・

どのシーンをとっても、映像のきれいさが鮮やかに印象に残る。

岩井俊二監督自身の手による音楽もリリカルな映像に見事にマッチ

している。この映画は何も考えずに、同世代の人はそのままに、そし

て大人は16歳の頃に戻って見てほしい。

このスローで美しい映像をぼおっと見ることは、ともするとメディテーシ

ョンになるかもしれない。

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追記:ハナ(鈴木杏)とアリス(蒼井優)の会話は、素のままなんじゃ

ないかと思えるほど自然で、すごくリアリティーがあるけど、たしか2

人の会話の部分はほとんど脚本は書いてなかったんじゃなかったっ

けかな。鈴木杏、というと、私は彼女がまだ6歳か7歳の頃に子供の

ファッション雑誌『セサミ』のグラビアで見た印象が強くて、バレエの

チュチュを着た妖精みたいな彼女を見て、なんて可憐で聡明そうな

きれいな子なんだろうと思っていたから、まさかこんなに逞しく育つと

は思ってもみませんでした。女の子はどう育つかわからない。

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2005年3月17日 (木)

まぼろし

Maboroshi

子供の頃から、うたた寝をするのが嫌いだ。

嫌いだといっても、眠さに負けてついうっかりしてしまうのがうたた寝だから、

しかたないのだが。でも、うたた寝をしてしまって独りぽつんと目覚めるときの

あの感じ、それが昼間であっても、あるいは眠りについたのが昼間で、目覚め

たらすっかり日が暮れていた、なんて時にはなおさら、その時間の経過による

気持ちの頼りなさはなんとも言いがたい。

それは私の中にある内なる子供(インナーチャイルド)の感覚にも通じるもので

あって、あまり他人に明かしたくないもののひとつでもある。

一見ごく平凡に幸せな仲睦まじい夫婦に見える50代のジャンとマリーは、夏

がくるといつものようにフランス南西部のランドにある別荘にヴァカンスに出か

ける。

水着の2人は浜で日光浴をし、ジャンは砂浜に寝そべったマリーの背中にオ

イルを塗ってあげる。優しい夫。

「気持ちいいわ」と目を細める妻のマリー。

しばらくして、「泳ぐかい?」と聞くジャンに、マリーは、「もう少し、ここでこうし

てる」とこたえる。夫の横で心地よさ気に目をつぶったマリーは、いつしか眠

りに落ちる。

そしてほんのわずかな午睡から目覚めると、横にいたはずの夫の姿が消え

ているのだ。最初は気になりながらも、ちょっとその辺に行っただけだろうと

思いながら本を読みはじめるマリーだが、夫はそのまま、すっかり日が落ち

てからも帰らない。

以降、映像は、長年連れ添ったかけがえのないパートナーをある日突然、

失った女の苦悩と哀しみ、そして夫が消えた原因が事故なのか失踪なのか

自殺なのかもわからないまま、喪失の事実を受け入れられずに夫の『幻』

と暮らす女の生活を追うことになる。

しかし、これを観終った後の私の感想は世間の評価とはだいぶ異なるもの

のようだ。

『あなたは万物となって私に満ちる』という美しいキャッチ・コピー通り、この

映画は、ある日突然、夫の失踪によって愛するものを失った女がその残酷

な現実を受け入れられないまま夫の「幻」とともに暮らした末に、過酷な現

実さえも受け入れ、昇華して、普遍の愛にたどり着く、というものなのだが

これらは全て女の視点からのみの話である。

まず冒頭から、シャーロット・ランプリング演じる50代の妻のマリーがまだ

女の色香を残してどこか艶やかなのに対し、夫のジャンの方は疲労の色

濃く、深い倦怠のうちにいることに気づく。その緩慢な動作から見ても、

ジャンは精神にも身内にもたっぷりと余分な脂肪をつけた疲れた初老の

男である。とても楽しく生きている人間には見えない。

25年も連れ添った男女であれば、もう恋も愛も超越して、言葉さえもいら

なくなった空気のような存在であることは容易に理解できるが、果たして

それだけなのだろうか?

2人は本当に深く愛し合い、お互いを理解しあっていたのだろうか?

気になるのはマリーが夫のルックス(肥満)にも健康にも無頓着であった

ことだ。彼女は自身のルックスにはかなり気を遣い、肥満にならないよう

に、筋肉が衰えないようにジムに通って鍛えたりもしている。

どんな色のどんなドレスが自分を美しく輝かせるかを熟知しているようだ。

彼女は確かに、男から見て自分がまだ充分に美しく魅力的であることを知っ

ている。そんなマリーに夫が肥満であることが見えないはずはないのだが

彼女はいっこうに気にする風もなく、また作る料理といったら、新しいボーイ

フレンドを初めて家に招いたときですら、簡単なパスタだけである。

マリーにはホスピタリティのようなものはまるで感じられない。

記憶が曖昧でうまく思い出せないのだけれど、村上春樹の小説だったろうか。

妻がとつぜん失踪して、妻の机の引き出しからピストルを見つける。

夫の僕は、いったい妻の何を知っていたのだろうかと混乱に陥る。

つまりはそういうことだ。

私から見ると妻のマリーは、夫の抱える悩み、夫の憂鬱、夫の健康状態に

関係なく、夫という馴れ合った安心できる暖かい巣のなかで勝手に安息し、

勝手に浪費し、勝手に輝いていただけのように見える。

夫のジャンがいなくなった後ではもう神のみぞ知るところだが、ジャンは彼

の母親が言うように、マリーとの生活に飽き飽きしていたのかもしれない。

少なくともマリーの愛はジャンを現世に留めておくには足りなかったのだ。

本当に愛しあっていたのなら、あんなにさりげない、しかしあんなに残酷な

やり方で、白昼、愛する妻を無防備な姿で砂浜に置き去りにしたりするだ

ろうか?

後半マリーが、女友達が彼女の精神状態を心配して紹介してくれたボーイ

フレンドのヴァンサンとベッドを共にするシーンがあるが、SEXの最中マリ

ーはとつぜん声を立てて笑い出す。ぎょっとするヴァンサンに、マリーは

「だってあなた、軽いんですもの」と、このうえなく失礼な言葉を吐くが、ここ

へきてマリーが太った夫を愛していたことに気づかされる。

でもその愛とは、軽い布団より重い布団の方が落ち着く、といったような限

りなく自分勝手な『愛着』に近いものだったのではなかろうか。

人と一緒に暮らすということは、依存しあうことだ。

たとえお互いが自立したダブルインカムの平等な夫婦関係であったとしても

それは同じである。長く連れ添えば連れ添うほど、けしてわかりあうことの

できない溝というものが男と女の間にはある。

夫婦の間にあると思っていた『愛』こそが『幻』だったのではないかと思う私

の考えは、あまりにも皮肉に過ぎるというものだろうか。



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2005年3月16日 (水)

ABOUT A BOY

Aboutaboy

のっけから何だが、私は何を隠そう(ちっとも隠してない)シングル・マ

ザーである。その私に、会うたびに友人が、「ねえ、アバウト・ア・ボー

イって見た?」と聞くので、見てみることにした。

なるほどね。こういう映画か。

ヒュー・グラント扮するウィルは、働かざるして毎日が日曜日のような

優雅で気楽な生活をおくる38歳の独身貴族。彼に特徴的なのは、

朝おきて身支度をするところから、CDショップに行く、美容院に行く、

軽い運動(ビリヤード)、など一日の全ての(無為の)行動を1ユニッ

ト30分として数えた挙句、「こんな僕の1日にいったいいつ働く時間

があるというのだろう?」と言うあたりにある。

ウィルはスタイリッシュな高級マンションに住み、高級車を乗り回し、

お金に不自由してないハンサムな独身男なので、ひと晩限りの女の

子にはまったく不自由していない。ひと晩過ごした翌朝には女の子

の電話番号を書いたメモをゴミ箱に捨てるような最低な男である。

彼は「人間は誰でも孤島なのだ」という、どこだかの作家の言葉をモ

ットーに、無責任こそを快適と思う男。しかも自分のことをゴージャス

でパラダイスな『イビサ島』だと言ってのける。

だがウィルが住む、そこはイギリス。無為な人間では駄目なのだ。

インディペンデントでトレンディなハンサム・ボーイだと思った男の中

身が、実は無職・無趣味のただの暇を持て余す空っぽ野郎だとわか

った途端、女たちは呆れ果てて一気に見下し、ひどい言葉を放って

彼のもとから去る。そんななか、たまたま姉に勧められて渋々つきあ

ったシングル・マザーだけが彼を認めて優しく扱ってくれる。お互いに

勝手な勘違いをしただけなのだけれど、いきおいウィルはシングル・

マザーこそ自分にとって最高の理想の相手だと思い始める。過去に

何らかの傷とトラウマを持ち、男の優しさに飢えていて、適度に自立

していて男に寛大なシングル・マザーこそ、『新たな金脈』だと。

このあたりは、むちゃくちゃ笑える。

そして、一方そんなウィルに目をつけたのが12歳の少年マーカスで

ある。無責任で自己チューな38歳のウィルにくらべてマーカスは12

歳にして悩み深い。若いときはきっとヒッピーだったんだろうと思われ

るラブ・アンド・ピースな母親がマーカスに着せる妙にラブリーな服は

それだけで学校ではイジメの対象になるし、その母親ときたら年中、

情緒不安定で朝から泣いてるかと思えば、ついには自殺未遂までや

らかす始末なのだ。精神的にも経済的にも母親にはパートナーが必

要だと思ったマーカスは、ハンサムで優しく、どうやらお金持ちらしい

ウィルこそ、彼が思う条件を満たした母親の理想の結婚相手と思うの

だけれど・・・

****************************************************

この映画は中年の独身男の本音が聞けるという点でも面白い映画で

す。むちゃくちゃ笑いました。マーカスとあの情緒不安定の母親は私

の年下の友人(ミュージシャン)とその息子にそっくりで、あんまり笑

ってる場合でもなかったのだけれど。

シングル・マザーの立場、その子供の視点で見ればなかなかに深刻

な話ではあるけど、でもこれをマジでシリアスにやられてもたまらな

い。この映画の核は、ウィルはマーカスを通して他人の現実と関わる

ことで、そしてマーカスはウィルという母親以外の人間の生活を通し

て成長することで、お互いに欠けたものを補いあえる、かけがえのな

い存在へとなってゆくところにある。そして映画は、最初のウィルのモ

ットーとは正反対の、「人間は孤島ではない」というところにたどり着く

のです。

思うに、人が人にしてあげられることはわずかだけれど、でも、その

わずかを行動に移せるなら、人は誰かにとってかけがえのない存在

になり得るのだと思う。

冒頭の友人が言うように、東京にもこのウィルのような男性はいっぱ

いいそうである。六本木ヒルズの天空のライブラリあたりで優越感に

浸りながら自由を満喫している独身男達の中にも。

ただ彼らがウィルと違うのは、彼らはウィルほど空っぽじゃないかわ

りに素直でもお人好しでもないだろうってこと。

こんな役をやってもちっともイヤラシクならないヒュー・グラントには、

もともとの育ちの良さと、知性と、鷹揚な人柄を感じる。

しかし、私もかなり頭のイカれた母親だと思ってたけど、マーカスの

母親フィオナを見たら、私の方がよっぽどマシだと思えました。たま

にこんな励まされ方をすることも、シングル・マザーにとっては重要

なのかも。

だって母親って人から滅多に認めてもらえないポジションですから。

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2005年3月15日 (火)

ハウルの動く城

Hauru_3   

数年前に失業して、なかなかフルタイムの仕事が決まらず、家から5

分で行けるという理由だけで近所のテニスコートのフロントで働いて

いたとき、いささかいい歳なのにもかかわらず童顔なのと、会員さん

にシルバーの方が多かったせいで、ひどく若く見られていた。

信じがたいことに私がまだ結婚もしてないと勘違いした彼らは、よく

私に、いい男指南をしてくれたものだ。

曰く、「騎士(ナイト)のような男を選びなさい」

ふむふむ、して、そういうお方はどこにいるの?

(騎士なんて最近、某生命保険のCMでしか見たことないなあ・・・。

でもあれは女騎士か。ブツブツ・・・)

これはまさしく騎士(ナイト)の物語である。

ハウルという名の、とびきり美しい、勇気のある、そして少々だらしな

い、デリケートな(つまりヤワな)騎士の物語。

よほどフテクサレタ、シニカルな女でもない限り、冒頭にハウルが出

てきたとたん、ソフィー同様やられてしまうだろう。

そう、彼はまさにいつの日も女の子が夢見る「いつか王子様が」って

タイプなのだ。そんな美貌の王子様がいきなり現れたと思ったらのっ

けから一緒に空中散歩とくるのだからあーた。舞い上がって落ちる、

とはまさに恋のこと!

この映画についてはいちいちストーリーの説明なんてしたくないけれ

ど、(我、思うに)宮崎映画における共通点として、たいていいつも男

はちょっと命知らずなくらい勇敢で、美しく、聡明で、繊細で、つまり

一言で言って非凡な男である。それにくらべてヒロインの女の子の方

はあまりルックス的にパッとせず、コンプレックスだらけで、シャイで、

優しくはあるが控えめで平凡な女の子が多い。それが変わるのだ、

恋をした途端、いきなり。ソフィーはときに男以上に勇猛果敢な戦士

にもなり、少女でありながら母のような大きな愛で世界を包む!

彼女には愛しい男がどんなに恐ろしい姿に変身しようとも、いつも本

質しか見えない。そしていつも少しダークフォース寄りの、マイナスの

世界(死)に吸い寄せられそうな脆弱なハウルを、圧倒的な愛のパワ

ーで生命力のあるプラスの世界に引き戻すのだ。そして、その女の

プラス(正)の性質、一点において男は女を愛してしまうのである。

これって、もしかしたら宮崎駿雄さんの男と女の理想形だったりして。

今年いっとう最初に映画館で観たのはこの映画でした。

1年の始まりに見るにふさわしい、愛と希望にあふれた作品です。

久々に心躍るとはどんなことか、思い出しました。

いつものことながら、久石譲の音楽も素晴らしい!

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2005年3月14日 (月)

CITY OF GOD

Citi_of_god

「ブラジル音楽が好きだ。いま1番、行ってみたい国はブラジルだ」

と言ったら、「City of God、すごくいいよ!」と妹に言われて見たこ

の映画。新年早々、子供と一緒に見たのだけれど、のっけから、

「どひゃあー! 正月早々こんなものを子供と見ていいのか?!」

という感じであった。

すさまじいバイオレンス!

しかもまるでオモチャのピストルで遊ぶように、無邪気なまでに冷血

非情に銃をぶっ放す、彼らはまさしく本物の子供なのだから・・・

恐るべき子供達である。

60年代後半のブラジル、リオデジャネイロ郊外の「シティ・オブ・ゴッ

ド」(神の街)と呼ばれる公営住宅。リオといっても高級リゾートとは

無縁の貧しいスラム街で繰り広げられる子供ギャングたちの、血で

血を洗う大人顔負けの権力闘争。強盗なんかは日常茶飯事、殺人

さえいとわない彼らは小さい頃からドラッグまみれで、これじゃ大人

になるまでいったい何人生き残れるの?と疑いたくなるけれど、そ

んな彼らの日常にも乾いた明るさでもって、カメラマンを夢見る主人

公の少年ブスカペの初恋と友情など、どこにでもありそうな青春ドラ

マが織り込まれる。

目を覆いたくなるような殺伐とした内容であるにもかかわらず、そう

させないのは圧倒的なスピード感とリズムのあるカメラワークと、ス

ラムを映してなお美しい映像の色彩の美しさ、映画的手法(主体と

客体、時制の処理の仕方)のユニークさ、音楽の使い方の巧みさ

などによるだろう。そして最終的には、子供の目によって大人社会

の欺瞞を暴きながら、どんな悲惨な環境にあっても夢を持ち続ける

ことの素晴らしさ、夢中になれることこそが人生を、未来を変えてゆ

く、ということを教えてくれる。息をもつかさせぬスピード感に最初か

ら最後まで目を見開いたままで2時間、文字通り画面に釘付けで

見た。あっという間に終わってしまった感があって、見終わった後で

子供達とこの映画はもう一度ちゃんと見たいねと話した。

オススメです!

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2005年3月11日 (金)

サルサ!

Salsa

いきなり素人の私が映画のプロットを書くことになって最初に見た映

画が、この「サルサ!」でした。なぜなら書かなきゃならない映画の

プロットの核とも言えるのが、サルサミュージックだったから。

ストーリーは、生粋のパリジャンで将来を嘱望されている天才ピアニ

ストのレミが、ショパン・コンクールで英雄ポロネーズを弾いている最

中いきなり演奏を中断したと思ったらサルサを弾き始めて、会場内

がパニックになるところから始まる。気でも狂ったかと思いきや、な

んとこの白人ピアニストのレミは、15年間もラテンへの情熱を隠し続

けてきたと言うのだ。

「もう我慢できない!!」

ということで、教授や家族の大反対を押し切り、ショパンに決別を告

げて意気揚々、友人のキューバ人が演奏するサルサクラブに行き

俺をバンドのピアニストで雇ってくれと頼むのだけれど、「お前のピア

ノは確かに最高だが、でもサルサ・バンドはお前には無理だ。できな

い」 と言われる。

「なんでだ?!」と、勢いたつレミに、彼は2人の顔を鏡に映して、「な

んでって、お前と俺の顔をくらべてみろよ。みんなが求めてるのはキ

ューバ人のこの色なんだ」と諭すのだった。

でも肌の色くらいのことでどうしても諦めらめきれないレミは、自分の

バニラ色の肌をチョコレート色に塗って、キューバ訛りから身のこなし

まで、キューバ人そっくりになりきるのだけれど・・・・・・。

という、お話。

実は正直言ってたいして期待せずに見たのこの映画。

予想に反してすごく良かった!

レミをやってる男の子が、白い顔のときはいかにもナイーブで王子さ

まみたいなショパン弾きだったのが、顔を黒くしたとたん、情熱的な

ギラギラした瞳に哀愁までたたえた魅力的なラテンの男になる様は

もう素敵としか言いようがない。そして彼が恋に落ちるナタリー。

これがまた、輝くばかりに美しい、これぞサルサのミューズ! といっ

た魅力的な女なのだ。それまで、コンサバティブに毎日変わり映えの

しない喪服のような黒い服に身を包み、魅力的な瞳を眼鏡で隠して

きたナタリーが、サルサミュージックとレミに導かれるまま、羞恥心か

ら解き放たれ、しだいに身も心も開放して、生きる喜びにあふれて躍

る姿は、きっと女性でも魅了されてしまうでしょう。彼女もまた長いあ

いだ身内にラテンへの心を隠してきた女だったのでした。

音楽もシエラ・マエストラを中心としたキューバン・サウンドで、心掻き

立てるサルサの魅力満載の映画となっています。

サルサ好きは必見!!

(私はなんと映画のサントラまで買ってしまいました。)

映画の中で、暗いバーのフロアを、スローなキューバン・サウンドに

あわせて、かつて若かりしときに恋仲を裂かれた恋人同士、いかに

もフランス人、って感じの品の良いお洒落なおばあさんとキューバ人

の恋人が踊るとてもロマンチックなシーンがあるんだけれど、これま

た枯淡の味わいで素敵でした。

ラテンの心は、いくつになっても色っぽい!

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