2018年10月17日 (水)

朝陽が射してきた

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朝陽が射してきた。
今日こそ気持ちよく晴れるかな。
茎と葉の裏がホワイトシルバーでうつくしいのは、サルビア・ディスコロール。
シックな黒い花は咲かないけどにょきにょき伸びた。

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2018年10月16日 (火)

曇天つづき

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やっと朝から晴れた。
冴えない天気はもううんざり!
ミニチュアローズほどの花を咲かせた秋のセント・セシリア。
小さくても香りは濃厚。

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2018年10月14日 (日)

オリーブの木

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朝は雨が降ってて今日もずっと曇っていたけど、午後遅く、ようやく晴れ間が見えてきた。いつも思うけど光の射しかたひとつで世界はまるっきりちがって見える。それはきっと人のこころもおなじなんだろう。
陽射しを浴びてきらきら光るオリーブの葉っぱ。
昨日、高松からやってきた。
高松っていうと、高松出身の親友が「高松はニッポンの地中海だ!」って言った言葉をいつも思いだす。
届くまで知らなかったけど、箱をあけたら憧れの創樹さんのオリーブだった。
幹がどっしり太くて、きれいな樹形をしているのは、剪定のお手本のようなもの。
今年の春だったか思わず、というか、うっかり、というか、ドイトでみつけて買ってきてしまったエル・グレコも、いつかこんな形にできるだろうか。
オリーブは違う品種で2本以上ないと実がならないという。
調べたらこのネバディロ・ブランコと相性のいいのはシプレッシーノだって。
ギリシャ産の希少品種だという、エル・グレコはまだ未知数の木。
でもいつか、わたしのオリーブに実がなることを夢見ている。

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2018年10月13日 (土)

リハビリプール

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スイミングクラブを出たら秋の匂いがした。
湿った土の上に落ちた、落ち葉の匂い。
大気がしんと冷えていて、いつも泳いだ後は薄着でちょうどいいくらいなのに、自転車で走ってたらTシャツから出た腕がすぐにつめたくなってきた。何より半袖Tシャツを着てるのは自分くらいで、町ゆく人たちがすっかり着こんでいるのを見て逆にちょっと驚いた。
ちょっとヤワすぎやしないか?
今日もリハビリのつもりでプールに行ったけど、先週よりはまだマシになった。
身体がやっと、泳ぐってこういう感じだったか、と思いだしたような感じ。
で、こうなればきっとあとはだいじょうぶ。
とにかくこれからは正しい姿勢を身につけて、身体の軸をいつも意識し、肩甲骨と股関節の可動域を上げてゆくこと。それしかない。
今日は更衣室で下のクラスで泳ぐ書道の先生に声をかけた。
このクラブでわたしがいちばんお世話になったコーチが来年の3月についに退職してしまうっていうから、有志でコーチを囲んでお食事会でもしないかって。
わたしがそんなこといいだすのは滅多にないことだけど、そのコーチにはほんとうにお世話になったから、ある日、気づいたらかいなくなっちゃってた、みたいなのは嫌だなと思って。最後にちゃんとお礼を言いたいと思った。
そのコーチのおかげで、入ったときクロール25すら完泳できなかったわたしがなんとか(3泳法のテストをパスして)ここまでつづけてこられた。わたしがそう言ったら、彼女なんて、ぜんぜん水に浮けないところからはじめたんだから、っていう。「水に浮けないってどういうこと?」って訊いたら、そのまんま「沈むんだよ」って(笑)
きっと全身ガチガチに緊張してたんだろうなあ。
人ひとりの力、人ひとりが醸しだすムードみたいなものってほんとにとても大きくて、いなくなった瞬間にその場の空気は変わってしまう。
これまでにもたくさんコーチは辞めていったけど、来年の3月以降、プールはどんな感じになるんだろうなあ・・・・・・
それでそれは、スイミングクラブに限った話じゃない。
職場だってそうだ。
いまはいろんなものが終わっていくとき。(らしい。)
終わりは始まりでもあるけど、いまはきっとその端境期。
今日も水道道路を走ったら、このあいだも見たけど台風で倒れた木がさらにたくさん伐採されてて、切り倒された太い桜の木があちこちにゴロゴロ転がっててかなしかった。
空は曇天。
深まる秋。

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2018年10月 7日 (日)

秋のうつくしい日に

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秋のうつくしい日に上野の美術館に行った。
上野も父に縁の深いところだ。
父は絵を見るのが好きだった。
うちの子供たちが小さかった頃には彼らを連れて行ってもくれたし、80過ぎてごくごくゆっくりとしか歩けないようになってからも時々ひとりで行っていた。
父があの歩けない足で、たいした所持金も持たずひとりで上野や浅草をうろうろ歩きまわっている姿を思うと、いったいどんな思いで、と思わずにはいられないけど、でも父からしたら誰かと一緒に行くより、ひとり気ままに歩くほうが誰に気を遣うことなく、よっぽど気が楽だったのかもしれない。
そして子供の頃の父は絵がうまかった。
小学生のとき遠足で出かけた横浜で描いた船の絵は、区の公民館だかどこだかにずっと飾られていたそうだ。父から聞いたところによればかなりの趣味人だったという祖父に、もうちょっと先見の明でもあれば、父の人生はまったくちがうものになっていたかもしれない。少なくとも父は不動産屋なんかになるよりは、小学校の算数の先生になるほうがよっぽど似合っていたと思う。でももしそういう人生だったなら、いまこれを書いているわたしももちろん存在しないわけで、そう思えばわたしの結婚同様、すべてはプログラム通り、それでよかった、ってことなんだろうか。

映画館に行くにしても上野まで絵を見に行くにしても、父はあらかじめ何をやっているか調べて行くような人じゃないから、わざわざ美術館の前まで行っても何も見たいものがないと、辺りを散歩だけして帰って来るようなときもあった。そうしていつだったか、「美術館の中には入らなかったんだけど、ちょうど美術館の入り口の前あたりで、男女5人くらいでアコーディオンを弾いて歌ったり踊ったりしている人たちがいてね、しばらくそれをひとりで立ったまま見てたんだけど、けっこう面白かったよ」というようなことがあって、絵を見たり音楽を聴いたりして、面白い、楽しい、というのも、長い人生のなかでは大切な要素だと思う。平凡でささやかな人生を送る人にとって日常はあまりにも単調すぎるし、それは年老いたらなおさらだと思うから。まだわずかでも好奇心があって、絵を見に行きたい、映画に行きたい、植物園に行きたいといろいろ思って実際に動けるうちが人生花だと思う。

娘と東京都美術館に行くのは『ポンピドゥー・センター傑作展』以来。
つまりもう2年ぶり。
自分でもびっくりしたけど、月日の経つのはほんとうに早い。
今回のレオナール・フジタは、とくべつ好きな画家というわけではなかった。
その絵と人となりについてはNHKの日曜美術館で見て知った程度だったし、そのとき何かすごく心を動かされたというわけでもない。ただ、フランス人にも愛されたという、ベビーパウダーを混ぜてつくったといわれる乳白色の裸婦の絵が見たかったのと、猫を抱いた自画像が好きだった、ということくらいだろうか。
超高齢社会のここ日本では、平日週末祝祭日関係なく常に美術館は混んでいるといってよいけど、会期が終わりに近づいているせいか、この日もとっても混んでいた。あの音声ガイダンスというやつ、利用してる人にとっては便利なものかもしれないけれど、説明が終わるまで絵の前から頑として動こうとしないのは、ほかの人にとっては迷惑でしかない。そうじゃなくたって数分おきに監視員が絵の前で立ち止まるなと言いつづけているなかにあってはなおさらのこと。まったくもって感興がそがれる。日本の絵を見る環境ときたら。
折しも親子そろって間抜けなわたしたちは、上野に着くなり眼鏡を忘れてきたことに気づき、もう今日は絵の横に付いてるテキストは読まずに、好きな絵だけすっ飛ばして見よう、ということになっていた。で、それで正解だったみたいだ。あの人だかりじゃ、順番にじっくり見てたら何時間かかるかわからない。
まず最初に東京美術学校(いまの芸大)時代に描いた1枚の絵が目に留まった。
着物を着た女が描かれた、ちょっと日本画風の油絵。
ふつうにとてもうまい、画力のある絵だった。
その後に飾られた、すでに乳白色の下地を使った細い顔、細長い身体をした女たちの絵はちっともいいと思わなかった。みんな泣いてるみたいな貧相な顔をして、全面のっぺりした地味な色遣いで平面的、ちょっとそれはマンガチックでもあって、ヨーロッパの女を描いたようには見えなかった。(でもちょっとモディリアーニの描く女っぽくもある。)そういう絵がしばらくつづいたせいで、フジタは女の顔に興味がないのかと思ってしまったくらいだ。乳白色の絵でよかったのはこれまでにも見たことのある有名な絵、猫と裸婦を描いた『タピスリーの裸婦』とか、『私の夢』とか『夢』とか。でもそれにしたって人物より猫のほうがよっぽど生き生きとリアルに存在感たっぷりに描けていて、全体として見たとき、フジタはもしかして人より動物のほうが好きだったんじゃないかと思ったりした。でもそれが覆されたのが南米ブラジルからメキシコを旅したときに描かれたという一群の絵で、そこには意志のある鋭い眼差しをした有色の人たちが顔の皺までくっきりと、その精神性まで透けて見えそうなほど力強く、リアルに描かれていて、それまでの絵とはまったく別の迫力があった。絵によってこの画力の差はいったいなんなのだろうと思ったけれど、たぶんそういうことではなくて、フジタという人は描きたいモチーフによっていくらでも好きに画風を変えて描くことができるほど画力があったということなんだろう。同様に、昔から憧れていたという沖縄で描いた女の絵、それから日本人を描いた絵も顔の表情から細部にいたるまでしっかり描けていてとてもよかった。でも人気のあるのはもっぱら乳白色の絵のほうで、 南米の絵の前はガラガラなの。おもしろいよね、こういうの。
そしてもうラスト近くだったろうか。
やっぱりよかったのは今回ポスターにもなっている『カフェにて』と、タッチが似てるからほぼ同時期に描かれたのかと思う、『フルール河岸 ノートルダム大聖堂』が、いかにもパリっぽいアンニュイな色遣いでとてもよかった。このあたりになると老成の境地か。
それと、最後の妻となった君代と日本で暮らした頃に描かれた、四谷左衛門町の日本家屋で和服でくつろぐ自画像がとてもいい絵で、ちゃぶ台の上に散らばった枝豆の殻まで細かく描かれたその絵の中のフジタはどう見たって生粋の日本人であり、そこには日本人としての藤田のアイデンティティーがつまびらかにされていて、最初に書いたようにわたしはレオナール・フジタについてそう詳しいわけではないのだけれど、ポスターのキャッチにもなっている『私は世界に日本人として生きたいと願う』といった藤田が、なぜ洗礼名のレオナール・フジタとしてフランスの土にならねばならなかったかをつよく思わせられた。
大規模な回顧展というだけあって作品点数も多く、駆け足の鑑賞だったけれど2時間はかかったろうか。会場があれだけ混んでいればミュージアムショップもまたしかりで、レジの前にできた長蛇の列を見てふたりともすっかり意欲をなくして、ほとんど何も見ずに出てきた。とくにほしいものもなさそうだったし。

母が亡くなったときは自分の生活がまだいろいろ大変だったこともあってかなり引きずった。親友には「3年くらいかかるよ」といわれて、実際そのくらいかかったように思う。
父の場合は母より20年も長く生きたから、母とくらべたらずいぶん一緒にいる時間を持てたし、また年齢からいったら『天寿まっとう』といって十分な歳だと思う。だから母のときとはちがうけれど、でもこんな秋のうつくしい日、かつて一緒に歩いた上野公園を歩いているとやっぱりいろいろ思いだされて、いっつも父のことを考えているわけじゃないのだけれど、日常のあちこちでふいにわたしは時々、かなしい。

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