2020年1月18日 (土)

雪の朝の登校風景

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窓の外は雪・・・・・・。
気温がそれほど低くないから積もることはなさそうだけど、がんがん降ってる。
娘に「今日はプールはやめたほうがいいかもね」といわれて、今日はプールを休んでしまった。
前はこれくらいの雪だったらふつうに行ってたのに、年かなあ・・・・・・
一昨年の大雪の翌日に、顔から派手に転んで左半身を強打した後遺症は2年経ってようやく回復してきた感じだし、あれ以来、アスファルトのガリガリした道を避けて歩くようになってしまったくらいのできごとではあった。
わたしはあれで、『転ぶ』ってことが人の身体にどれだけのダメージをもたらすか、全身のあちこちがいろんなかたちでズレてしまうのを思い知ったのだった。
50代のわたしでこれだから、70代、80代の方々はほんとうに気をつけてほしいと思う。誰かと暮らしているならまだしも、1人暮らしで転んだりしたらどうにもならなくなる。どうしてもその日じゃなきゃならないことをぬかして、買い物や散歩は晴れた日の明るいうちにするとして、雨の日や雪の日や強風の日や、とにかく極端な天候のときは静かに家にいることをおすすめしたい。

そして今日みたいな雪の日に聴くのにぴったりなのがこの1枚だ。
元旦にも載せたビル・エヴァンスの、『From Left to Right』。
奏者の向かって左にスタインウェイがあり、右にエレクトリックピアノがある。
ビル・エヴァンスはピアノに向かった身体をちょっとねじるかたちで、くわえ煙草で左手でキーボードを弾いている。CDをアンプに入れて音が流れ出した瞬間、いつもビル・エヴァンスを聴きなれた人なら「あれ?」と思うかもしれない。
ここで聴けるのは『究極のリリシズム』といわれるような張り詰めた音ではない。
もっとリラックスした温かい音だ。
そう、ビル・エヴァンスがびっくりするくらいリラックスしてるんだ。
まるで演奏しながら、他人のことをいっさい忘れて自らの追想にどっぷり浸っているような・・・。
紡がれるのは一編の短編映画のような世界だ。
ノスタルジー。
しあわせな愛の記憶。
あの女のうつくしい横顔。
子供時代のきらきらした思い出。
9番めの曲のせいかな、ちょっとトリュフォーの映画っぽくもある。
絶妙にマッチしたオーケストレーションのせいでフランス映画のような実に優雅なサウンドで、頭の中に去来する映像はたぶん過ぎ去って今は何ひとつ残ってないただの記憶なのに、そのすべてがあたたかく、しあわせなんだ。
そのしあわせな感じが、いつものビル・エヴァンスとは違うところかな。
さっき書いた9番めの曲は『Children's Play Song』ってタイトルで、冒頭にこどもの声が入ってて、タイトルを知らずに聴いても冬の朝のこどもの登校風景が頭に浮かんでくるようなんです。まだ降りはじめの雪がちらちら舞ってはこどもの着たウールのコートに、きれいな頬に、ランドセルに、落ちては消え、瞬くように光っては消えて、こどもたちははしゃぎだす。雪だ! 雪だよ! って・・・。

暮れも押し迫った、そうじゃなくても忙しいときにわたしは鵠沼海岸近くの映画館でビル・エヴァンスの映画のラスト上映があるのを知って行きたくてたまらず、けっきょくは行けなかったんだけど映画の内容は知らなくても大体予想がつく、というもので、、、。だからなおさらビル・エヴァンスにもこんなにもリラックスした、あたたかくしあわせな音を紡ぎ出せる心境のときがあったんだ、というのはとても感慨深かったです。くわえて1曲めの『What Are You Doing the Rest of Your Life?』と3曲めの『Why Did I Choose You?』ってタイトルはいまのわたしにはね。

この音はきっと冬の花屋にもあうと思うよ。
間違いなく。 

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2020年1月17日 (金)

おでんを煮る

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夕飯の買い物に行こうと外に出たとたん、あまりの寒さにお鍋かおでんのことしか頭に思い浮かばなくなる日がある。そんな日はちかくのスーパーに行っても白菜が売り切れてたり、おでんの材料がことごとくなくなってたりする。
今年はまだそこまで寒い日がないので作らずにいたら、娘から「おでん作って」とリクエストがあった。
これはうちではきわめてめずらしい。
わたしは子供のころ夕飯がおでんだとうれしかったけど、うちのひとたちはあまりおでんが好きじゃないので。
とくに息子は昔コンビニでアルバイトして以来、おでんが嫌いになってしまったらしい。その気持ちはよくわかる。まだ寒くもならないうちからコンビニからおでんの匂いがしてくると自分も心底げんなりするから。レジの横に蓋もしないでおでんが煮えてるのを見ると不衛生だと思うし、おでんなんて家で作ってもたかがしれてるだろうと思うけど、ひとり暮らしだったりするとそうもいかないのかな。
おでん、というと結婚したばかりのころ、当時すでにおじいさんだった職場の知り合いがお祝いに来てくれて、そのとき用意したのがおでんだった。いまにして思うともうちょっと気の利いたものを作れなかったかと思うけれど、冬で、お酒を呑む人だったのと駅前においしい練り物屋さんがあって、そこの具材で作るとおいしいからだった。おでんなんてもともと料理ともいえない、出汁と具材のよさで味が決まるものだから、具材は大事。阿佐ヶ谷には CONTXT-Sに行く曲がり角においしい蒲鉾屋さんがあって、いちどあそこの材料でおでんを作ってみたいと思うけど、なかなかその機会にめぐまれない。今日は昼から大根だけ下茹でしておいて、午後遅く娘と国分寺のデパ地下のスーパーに材料を買いに行った。帰ってくるころはもう真っ暗で、あの超人的に元気だった件のおじいさんももう90を越えたこと、90越えて去年は大変な手術をしたことを妹から聞いたことなんかをあれこれ思い出してたら、なんだかさみしい気持ちになってしまった。
冬の夜はさみしい。
とくに寒い夜はなおさらだ。
明日は予報では雪だっていうけど、こんな日に息子は何を食べていることやら。
そんなことを思いながらおでんを煮てたら突如 iPhone が鳴って、「チリビーンズや」って息子からメールがきた。キッチンのガスコンロにのった片手鍋の写真付き。それを見たらなんだか一気に気持ちが明るくなった。親なんて子供が元気なのがいちばんほっとするもんです。「ちなみにうちは今夜はおでんでーす!」と送ったら息子からは一言、「おでんやだわ」ですと ww ww
できあがったおでんはテーブルのカセットコンロに移して温めながら食べる。
ふだんはたしなむ程度もお酒を呑まない我々だけど、こんなときはきまって燗酒が飲みたくなるわたしです。

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2020年1月 8日 (水)

知樹さんから年賀状とどいた。

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年賀状をださなくなってもう20年あまりになるから、わたしに年賀状をくれる人もそんなにはもういないのだけれど、今日、知樹さんから年賀状が届いた。ちょっとシュールなネズミのハガキ。
知樹さんからは個展の案内のほかにこんなふうに、ときどき旅先からだったり、暑中見舞いや年賀状が送られてきて、1枚1枚手描きのポストカードを見るとやっぱりうれしいし、知樹さんはいまの世の中ではちょっとめずらしいくらい人間関係を大切にしてる人だな、と思う。
わたしもささっと絵が描けたらすぐに返信するのだけれど、頭に描きたい絵はあってもぜーんぜん思うようにならないのだから、いつも思うだけで終わってしまう。つくづく、思うように絵が描けるって特別な才能だなって思う。
わたしは知樹さんの、有機的にはみだしてゆく色の面の中に精妙に描かれた繊細な線が絶妙にマッチした、一見さらっと描いた風で筆を置く完璧なタイミング(宇宙タイミング)がわかるような絵が大好きなのだけれど、今年もその進化系の絵が見られることを望む。
現在失業中で絵を買うどころか先行きすら危ういわたしだけれど、また知樹さんの絵が買えるようにがんばろう!
というか、心底そう思えるような絵に今年もであえることを期待しています!!!

 

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2020年1月 5日 (日)

今年の初詣

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わたしの初詣は毎年2月4日の立春の日の明治神宮参拝、と決めているのだけれど、今年は中野新橋にある八津御嶽神社へ新春マルコニクス瞑想会に参加しに。
予報では今日は一気に気温が下がって寒くなる予定だったけれど、朝起きるといいお天気で陽射しがぽかぽか暖かく、お日さまに感謝する。夜に降った雨のせいで大気は隅々まで清められ、神田川沿いを歩くのも格別に気持ちよかった。

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マルコニクスなのになぜ神社で? と最初思ったけれど、そこは神社がすっぽりビルの中に入ってしまったようなハイテックな空間でありながら、それでいて無機質ではない、浄まった中に有機的なエネルギーがびんびん感じられる空間だった。場のクリアリングからはじまり、マルコニクスエネルギーの召喚、アンカリング、、、、、
2時間半の長い瞑想。

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ふだん瞑想を習慣としてないわたしにできるかと思ったけれど、とくに問題はなかった。むしろ自分よりずっと瞑想に慣れていそうなまわりの方たちの落ち着きのなさのほうが気になったくらいだ。
途中、浄化が進んだためか、咳が止まらなくなってトイレに駆け込んだ人あり。
わたしも長い瞑想が終わるころには頭が痛くなった。
この会には息子も参加していたけれど完全に今日は別行動だった。
親子だからって人それぞれ人から侵食されたくない自分の時間、領域があるから。
帰りはお茶もせずに電車に乗ってまっすぐ帰った。
駅のホームから息子にメールすると、息子は久々だったからか今日は集中力が足りなかった、と。でも、(平岡はるよさんの)夜明け前が一番暗い、って言葉はよかったよ! と返事がきた。
さあーてね、世の中にはこういう話をすると頭から疑ってかかる(あるいは拒絶する)人も多いんだろうけど、それを承知で書くと今日あの場にはメタトロンも来て見守っていたそうだ。そのメッセージを一言で要約すると、『変化を怖れずに受けいれること』。これまであったモノやコトやヒトに固執することなく、執着を捨てて変化を受け入れ、変化しつづけること。常に感謝の気持ちを持って。
わたしは特別何かが見えたりわかったりするほうじゃないから、瞑想してるあいだにメッセージをもらったりインスピレーションが湧いたりはしなかったけれど、今日あの場にいられただけでよかったと思う。
そして今年は間違いなくこういう流れで進んでいくだろう。
なぜなら、そう『選択』したからだ。
もう後には戻れない。
そう思うと、魂がちょっとドキドキする。

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2020年1月 3日 (金)

そば粉のガレット

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家を出て行ってから滅多に一緒に食事をすることがなくなった息子は、ゆえにたまに来るとお客様待遇である。
最初は2日に帰る、といってたのに、昨日の夕方みんなで映画を観たあと夕飯を食べたら、面倒くさくなったんだろう、「今日はもう帰らない」というから(どうせ自分の部屋に帰ってもろくな食生活してないんだろうし)、「明日のお昼食べてから帰ったら?」といえば、コイツがまた「それはわからない」とかいうんだよね。
それで、(娘の作る)「ガレットなら食べたい」とかいうもんだから、娘は朝からそば粉を求めてスーパーをはしごしたみたいだ。
朝からよく歩いた、といって帰ってきた。

そんなわけで、今日の遅いお昼は『そば粉のガレット』。
そば粉以外は年末からの余り物(水菜とマッシュルームとシュレッドチーズ)でできている。(ところがすばらしい!)
昨日の夕飯はひと口ヒレカツだったから、今日はこんな野菜だけのガレットでちょうどいい。
それを食べて、銀行に行く用事と夕飯の買い物がてら、帰る息子を駅まで送った。
今日もお正月らしい、穏やかないいお天気で、夕方の空のひかりが妙にきれいで実存的で、であると同時に多次元的で、まだまだいろんな意味で心もとない息子を駅の改札で見送ったらちょっとさみしい気持ちにもなったけど、宮崎駿さんのいうとおり、人間なんて誰かがいなくてちょっとさびしい、と思えるくらいでちょうどいいのかもしれない。いまの日本のじり貧の状況、暴力的で不吉な世の中、来るべくカタストロフの予感、、、個々が抱える問題に思い及ぶとキリがないけど、同時にそのすぐ横にはひかりも存在しているのだから。

それにしても昨日観た映画にはびっくりしたな。
息子の本棚に10年以上も眠っていたという、『ペイフォワード』。
はじまってすぐに娘が「シンクロだ!」といった。
ちょうど毎年恒例の石井ゆかりの筋トレ年報を読んだばかりだったから。
(水瓶座で『ペイフォワード』を観たことある人は時間があったら石井ゆかりさんの『2020年の空模様』を読んでみてください。うわあ、今年はそういう年なのか!って思うから。)
映画の中でのシンクロはほかにもあって、暮れに『コーヒーがナチスのホロコーストに一役買った』という動画を見て無類の珈琲好きとしては心底気持ちが落ちたのが、この映画ではコーヒーが人助けに使われていて、暮れのマイナスがふわっとプラスに転じた。それだけでもいま見る必要があったのだろう。たぶん、、、導かれて。この世の全ては毒にも薬にもなる。
できることなら後者として今生を終わりたい。

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