2017年2月23日 (木)

鳥は何を?

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最近は早起きするためにできるだけ早く寝るようにしているのだけれど、昨夜はいろいろあって寝たのは2時だった。
朝、目覚ましのアラームが鳴って30分も過ぎてからやっとのことで起き、カーテンをあけてふと見たら、お隣のベランダのフェンスにヒヨドリ。
そおっと足音を偲ばせて近寄ってカメラを構えたけど、いつもなら人の気配ですぐに飛び立ってしまうのに、このヒヨ、何やら前方をじぃっと見つめたまま物思いにでも耽っているかのようにぼおっとしている。
部屋にカメラを置きに行って、それからいつものようにアマテラスオオミカミをして終わってもいなくならない。
今朝は飛蚊症もいちだんとひどくて、頭も重かったからそれからソルフェジオチューナー528を鳴らして身体の調整を試み、ベランダの死にそうなバラにも聞かせ、ヒヨドリにも聞かせてみたら、周波数を察知したのか、それまでじっと前を見ていたヒヨドリがしきりに首を傾げはじめた。
すると前方から仲間が飛来してきて、ヒヨドリは嘴を大きくあけて鋭く2回鳴いた。
いったいその小さな身体のどこにそんな大きな声が隠れていたの、ってくらいに。
わたしが七田眞の右脳開発に興味を持ったのは、右脳がひらかれると猫や犬や鳥や植物の言っていることがわかって、会話できるようになるということだった。
そんなことが日常的にできたらいいだろうな。
そんなことができたらわたしは人と会話するより彼らと話すことを選ぶんじゃないだろうか。ときどき、もうとうぶん誰とも会いたくないし、誰とも口をきかずに黙っていたい、と思うときがある。
いつだって口は災いの元だから。

日の暮れに疲れ果ててコンピュータの前から離れて、宇宙人みたいな歯科医から最近また『1日20分以上ゆっくり歩くこと』というあらたなミッションをもらった娘と散歩に出かけた。ちょっと先にある中央公園までゆっくり歩きはじめたら、ふいにまた風が強くなってきて、またしても春の嵐の様相。
春独特の青い夜空に裸木の細い枝が繊細に揺れてうつくしく、夜の林の中を轟々たる風の音を聞きながら髪をなぶられるままに「ああ、タンゴが聴きたい」と思った。
いつも書いているけど春はタンゴ。
あの鮮烈にして優雅な破壊力。
家に帰ってフェデリコ・ヴァジェホスのソロ・アルバムを聴いた。
ブエノスアイレス午前零時、ミロンガ・アズール、アディオス・ノニーノ、天使のミロンガ・・・・・・
馬鹿みたいに指で机を叩きながら頭を振って。

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2017年2月21日 (火)

3月のライオン来たる。

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昨夜はおっそろしい風だった。
去年の春はめずらしく強風が吹かなかったと思ったら、今年は2月のうちにもう3月のライオンがやって来たのかな。
それにしても激しい風の音って、どうしてあんなにも人の神経を逆撫でするんだろう。恐怖映画では問題の夜はいつも暴風雨。
外ではその風に負けじと猫たちが「ニャアアアアーーーオ、アアアアーオ、ウワァーアアアーオ!!!」と叫びまくっていてうるさいくらいだった。やっぱり風の日は猫も血が騒ぐのかな?
春が穏やかで平和なのってよく晴れた日の日だまりくらいで、春はいつもどこか不穏で不安定で、ちょっとグロテスク。
わたしにとって春ってそういう季節。
う、う、う、生まれる~~! ・・・・・・ みたいな。
何が生まれるかはわからない。

本日、母の祥月命日。
あの日は西高東低のよく晴れた朝で、空が虚しくなるほど青くてきれいだった。
きっと死ぬまで今日の空を忘れないだろうと思ったけれど、きっと死ぬまで忘れないんだろう。
あれから17年。
父も年をとったし、わたしも妹も年をとった。
去年の前半は他人の家族や自分の家族、友人のことなんかでずっと死について考えていたけど、今年は終いについて考えている。
生きている間は生と死のコントラストははっきりしているけれど、だんだん年をとるごとにそれも曖昧になっていって、いつか自然に消え入るように向こうにいけたらいいね。願わくはディック・ブルーナさんみたいに。

仕事を終えたら今日はお墓参りに行くつもりだったけど午後になってあきらめた。
今日も風がとても強くて。

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2017年2月19日 (日)

最後のくるみパフェ

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飲食店が提供する、あるひとつのメニューができあがるまでにも、いろんなストーリーがあるんだなあ、と思う。
それはそうか。
人が作ってるんだものね。
たとえばクルミドコーヒーさんの『くるみパフェ』は、『長野県東御市で出会った「胡桃の木」のどっしりとしたたたずまいが忘れられず、そんな景色が思い浮かぶような、まるごとくるみづくしのパフェが作りたい!』と思って作ったそうです。
その絶品くるみパフェが諸事情により、これまでのかたちで作れるのは今年限りになりそう、というのを知って、なくなっちゃう前にもういちど食べたい! と娘とクルミドコーヒーに行ってきました。
待つこと必至なので家を出る前に電話してウェイティングリストに名前を載せてもらって。

そのおかげでスムースに店に入ることができて席に着いてみると・・・・・・
みなさん思いは一緒。
ほとんどの方がくるみパフェを食べていて可笑しかった。
この寒いときにパフェ! 
と思うかもしれないけれど、これがほんとにおいしいんです。
くるみがたっぷり入った自家製くるみアイスに、くるみのはちみつ漬け、くるみのタフィ、くるみのリキュールを使ったプリンに生クリームにナッツとドライフルーツともう、くるみ好きにはたまらないくるみ尽くしのパフェ!
黙々と無言で夢中で食べて、わたしより遅く食べ終わった娘が「これ、もうひとつ食べたい」といいました。たしか前もおんなじこといった!
さすがにわたしはこれひとつでじゅうぶんだけど、その気持ちはわかります。
歩いてこられる距離だったら間違いなくあと1回は食べに来てしまいそうです。
来年からはまたかたちを変えて趣向を変えて作られるかもしれないけれど、これを食べられるのは今年が最後。
しっかり味わいました。
今年もおいしかった!!!

くるみパフェは期間限定で、今月26日(日曜)まで。
そしてニュースは、3月20日、国分寺北口に姉妹店の『胡桃堂喫茶店』がオープンするそうです。
会計のときスタッフに、「クルミドコーヒーとおなじコンセプトですか?」と訊いたら、名前の通り、もうすこし和風寄りの感じで、店内に古本屋やワークショップスペースなどもあり、『自分の足もとを見る』というようなこともコンセプトに盛り込んだお店になる予定です、と丁寧に教えてくれました。
国分寺のほうが乗り換えがひとつなくて近いし、珈琲と手のかかった自然な味の軽食とデザート、それに本にモノづくりスペース、となったら願ったりかなったりなので、こちらもオープンが楽しみに待ちたいです。
徐々にひとりの自由な時間を増やしたいわたしにとって、わりとよく行く国分寺にあたらしい喫茶店ができるって最高!

さて、いつもは動物のことが多い会計票がわりの木製おもちゃ。
今日はマトリョーシカ(ヒゲあるけど)みたいな人形でした。

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2017年2月17日 (金)

春一番 ***

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ベランダでは一年中ラフィアの帽子をかぶってる。
これ以上紫外線にやられてシミ・ソバカスを増やしたくないから。
でも今日は春一番が吹いて外はすごい強風だから、頭がボーボーになるのが嫌でマチュアーハの帽子をかぶって、「ほら! もう夏だよ!」なんて息子にいっている。
まだ2月なのに。
でも昔っから2月も半ばを過ぎると綿の入った通称『相撲コート』の下はいきおい半袖のアロハだったりして、わたしが2月から夏だ夏だと騒ぐのはいまにはじまったことじゃないか、と思う。それに実際、最近の異常気象ときたら、ついこのあいだまでストーブつけて寒い寒いといってたと思ったらもうクーラーつけて暑い暑いか、と思うほど季節の廻りかたも気温の寒暖差も激しいから、冬が終わった途端もう夏だというのもあながち極端ではないのかも。

外にでると大気はむわん、と暖かい。
最高気温21度の今日ばかりは2月で薄着でもちっとも寒くない。
お昼の買いものに行ったついでに和菓子屋に寄って、桜餅と道明寺と花見饅頭のどれにしようか散々迷って店のおばさんに笑われた。
家に帰ると即座に目がチカチカして鼻の奥がムズムズして思わず、くしゃみ!
さっそく花粉をお見舞いされた。

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2017年2月15日 (水)

父のがん検診とミリキタニの猫

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去年、妹から父のがん検診の結果また肝臓に1センチ大のがんがみつかった、とメールがきたときには「またか」と思った。
延々繰り返されるデジャヴ。
母のときからずっと・・・・・・。
85歳と高齢であるため、もう外科的治療はこれが最後と決めてラジオ波を受けてから、わずか半年後の再発だった。
けっきょく、根本的な何かが変わらない限り、いまの西洋医学的治療では完治に至ることはほぼないし、また病院と縁が切れることもないのだと思う。
80になっても90になってもがんが見つかればすぐにオペか、それに準じる外科的治療を勧めるのがいまの大学病院で、それはわたしが読んだ本の中では『かつてはなかったことだ』とされていた。
病院が好きな人なんておおよそいないと思うけど、父も例外ではなく、がんの再発を知っても「もう、いいんじゃないの」「病院には行かない」といっていた。
その時点で妹の考えもわたしの考えもほぼ決まっていたと思う。
3ヶ月おきにCTをやるだって80を超えた人には過剰医療なんじゃないかという思いがあって、次の検査は血液検査だけにしてもらった。その血液検査の結果をもって今後どうするかを決めてください、と医師からはいわれていた。

それを決めるのが今日だった。
昨日までのあいだに妹とはなんどかやりとりして、アバウトなところは決めていた。
そのなかで、いくらボケているとはいえ父の前で生き死にに関わるような会話を医師としたくない、というわたしの言葉をうけて、わたしより先に血液検査のために父と病院に行っていた妹は、受付にその旨書いたメモを渡しておいてくれたという。
ちょっと前までは廊下の待合スペースに人があふれかえっていて毎回最低でも40分以上は待たされたこの病院も、いまは予約システムが入って順調に機能しているようで前ほど待たされることもなくなった。
診察室の電光掲示板に父の受付番号が表示されて3人で狭い診察室に入ると、わたしが初めて見る先生は気さくな感じに挨拶してから検査結果を説明してくれた。
わたしたちが用意していた考えは、検査結果が良くなかった場合どうするかということだったけれど、結果はがん数値も上がってないし、肝機能も悪くはない、というものだった。
それを聴いて妹もわたしも、とりあえずホッと息をついた。
「おとうさん、だいじょうぶだってよ」と、妹が父に向っていうと父の顔もほころんだ。
だから今日の場合はとくべつ必要でもなかったのだけれど、そこで看護師さんが気を利かせて父の腕をとり「血圧を量りにいきましょう」と診察室の外に連れ出してくれた。
そのおかげで短時間だったけれど医師とこころおきなく話すことができた。
我々の考えとしては病状に急激な変化でもない限り、基本的にはもうここでがんの外科的治療を受ける気はないこと。次の検査以降、定期検診についても家の近所の病院に移行させていただきたいこと、などなど。
これまでの担当医は1センチ大のがんがみつかるとすぐ外科的治療をいくつか挙げて、「これかこれか選択肢は2つしかない」という言い方だったけれど、今回の医師は「たしかに」と、わたしの言葉をうけて、「がんはいじればいじるほどこじれる傾向があります。何かされるとがんも負けてはいないから、必死になって細胞がだんだん変質していくんです。だから『がんがあっても何もしない』というのも間違った考えではない、選択肢として『あり』だと思いますよ」といった。
いったいこれまで母のときから何人の医師と話してきたかわからないけど、そんなことをいわれたのは初めてで、ちょっとびっくりした。
大学病院もだいぶ変わってきつつあるんだな、と思った。
でもすぐに医師は「もちろん」といった。
おとうさんの体力が回復されて、またオペをやってみようと気が変わられたときにはすぐにいってください。いつでもやりますから。

とりあえず経過観察で次回はCTとMRIを3ヶ月後に、ということで診察室をでた。
妹もわたしも今日の結果にホッとはしたけれど、ここまでくるまでにも妹にはいろいろな葛藤があった。父の今後のことを勤め先のクリニックの先生にお願いしたところ快諾してくれたものの「本当にそれでいいの?」と訊かれたらしい。
介護ベッドを借りて部屋のどこに置くかとか、ちゃんと考えていますか?
いずれ父は寝たきりになり、働きながら父を自宅で介護することになること。
生活がこれまでと一変すること。
最後は自宅で看取ることになることの覚悟がありますか? と ・・・・・。

すぐには答えられない重たい問題。
わたしとちがって妹は父とずっと一緒に暮らしているし、仕事柄介護福祉士の資格も取っているからわたしよりずっと知識も持っているし、それなりの想定も覚悟もしていると思う。
そして、すべてはそうなってしまってから考えるんじゃなくて、いまからしっかり、リアルに考えておかなきゃならない問題なのだろうとは思う。

でも。と、わたしはいった。
どれだけ想定したところで実際に起こることやそのとき自分が感じることは想像を越えたこと、それこそ想定外のことばかりなんだろうし、それに父は意外とぽっくり逝っちゃうかもしれないよ、と。
まあ、なんてひどい娘だろう! と、世間の人は思うかもしれないけれど85じゃなくたって様々な原因でぽっくり逝ってしまう人はたくさんいる。85ならいつ逝ってもおかしくない。
医師も肝臓がんを気にするより、これからは心筋梗塞や脳卒中、インフルエンザや風邪による肺炎に気をつけてください、といっていた。
妹も「そうなんだよね」といった。
いまから準備しておいたほうがいいこともいっぱいあるだろうけど、でもそのために妹は地域包括センターと繋がったりデイサービスや訪問介護を利用するようにしてきたのだから、あとは今の時点でできる最低限の準備をすればいいのではないか。
けっきょくのところ、人が一気にブレイクスルーするのなんて、いつもその当事者になったときだけなのだから。
そして楽観性をこそ処世術とする姉のわたしは父が苦しむことなくぽっくり逝くことを毎日祈ることにする。もちろん、それ以上に生きているいま、父が最大限にそれを楽しめたらいいのだけれど!!!

病院の会計を済ませるとまだお昼までには少し時間があって、例によって父は「お腹すかない」というんだろうと思って「ここで分かれようか」といったら、妹が父に「牡蠣フライ食べて帰ろうか?」といった。牡蠣は父の大好物なのだ。
それで近くのビルの飲食店で3人で牡蠣フライ定食を食べた。
そのあと、そこから普通の人の足だとそれほど遠くない場所で『ミリキタニの猫展』をやっていたので行ってみるかと訊いたら、父も行ってみてもいい、という。
今日はひさしぶりに外に出てきたし、今日はいい天気で暖かいし。
それになんたってミリキタニも80だったし父だって子供のころは絵が好きですごく上手かったんだし。

でも、それがとんでもなく大変だった!
西新宿から新宿駅南口まで出て全労済ホールに行くまでが。
やっとのことでたどり着くころには父は疲れて不愛想になり、全労済ホールの地B1ギャラリー『スペース・ゼロ』に降りる階段(階段しか使えなかった!)の前で尻込みして、「ここで待ってるからあんたたちだけ見てくればいい」という。
ギャラリーには椅子とテーブルが置かれているのが見えたからなんとかなだめてそこまで歩かせ、椅子に座らせる。
テーブルの上には何やら分厚いアルバムのようなものがあったから「それを見てたら?」というと、父は「興味が無い」と。

興味が無い。

でもいったいぜんたい、いまの父に興味があることってあるのかな?
ふつうの人は目に見えるもの、視界が変わったら自然と頭の中も変わるものだけど、それは健常者に限ったことなのか、父は視界がどんなに変わっても、誰が聞いていようといなかろうと、いつもとおんなじことを呟きつづけるだけ。
こういう父を連れて、わたしと妹はかねてより父の念願だった京都旅行を実現させようと計画中なのだけれど、はたしてそれって連れて行く側の単なる自己満足に過ぎないんじゃないかな。息子にそういったら、たとえ自己満足だったとしても行ったほうがいいし、それは自己満足には終わらない、といった。やさしい息子でよかったと思うけれど、想像するだけでため息が出てしまうのはたしか。

ミリキタニの猫展は、正確には『ジミー・ミリキタニ絵画展&写真展』というタイトルどおり、冬は極寒のニューヨークで路上生活をしていた80歳のミリキタニの写真と、彼が描いた絵で構成されていた。
映画『ミリキタニの猫』を渋谷で友達と見たのはもう10年前のことになるだろうか。
そのとき一緒に映画を見た友達はそのあと一気に人生の、というか運命の車輪が回転してしまって、わずか数ヶ月後に洋服のセレクトショップをはじめることになるのだけど、ほんとうに時が経つのはなんて早いんだろう。
あらためて静止した写真で見るとミリキタニの存在感は圧倒的で凄味があり、かつ、大都会ニューヨークの摩天楼の中に独りぽつねんと佇む姿はどこまでも孤独で儚げでもあり、どんな逆境にあっても打ち負かされることのなかったこの老人の信念の強さと反骨精神と描くことへの情熱に深く打たれた。
そんなファンキーでプライド高き超強がりのミリキタニの写真の中にたった1枚だけ、ふたつの大きな瞳を涙でうるませてじっと佇む写真があって(ただ単に寒くてそうなったのかもしれないけれど)、その目が家に帰りついても頭からずっと離れなかった。
何かで読んだけど、人は過酷な状況に置かれていればいるほど免疫力が高くなるそうだ。自分が具合が悪くても頼れる人があって金銭的にも何不自由なく、冬暖かくて夏涼しい、便利な生活をしている人間ほど心身ともに弱くなるのだとか。
でも、わたしはそれ以上に、自分で自分自身の健康を気遣うこともできなくなったとき、そして自分で自分のたのしみをつくる(クリエイトする)ことすらできなくなったとき人はボケるんじゃないかと思う。もっとも、西洋医学のエリート医師たちは「そんなの全然関係ないね!」というだろうけど。

このミリキタニの写真展&絵画展は、新宿全労済ビルのB1ギャラリー『スペース・ゼロ』で18日まで。

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