2019年2月12日 (火)

春の粒子 ***

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わたしはヒヤシンスのことなんてすっかり頭になかったのです。
去年はもうそれどころじゃなかったから。
でも去年、まだ父が生きていたころ、引っ越しのための片づけをしていた妹から、家にある花瓶をいるものといらないものに分けてくれないかなあ、といわれて出かけて行って、テーブルいっぱいに載った大小さまざまな花瓶を見たら、そのなかにヒヤシンスの水栽培用のポットがふたつあった。それを見ながら妹いわく、これまでヒヤシンスの水栽培をやりたいやりたいと思いながらなかなかポットを買えないでいたら、家にあったんだよねえ、と。
わたしは、へえ、そんなことがしたかったのか、と妹がそんなこと言うのがすごく意外だった。でも、いまはそう思っていてもその時期になったらきっと忘れちゃうんだろうなあ、と思って、自分ち用の球根を買うときについでに買っておこうと思ったのでした。ところが父が秋を迎える前にああいうことになって、バタバタ時が過ぎ、一陽来復のお札をもらって届けるついでに駅前の花屋で球根を買おうと思ったら、もうどこにもないのです。店員の女の子に訊いたら笑顔で、もう終わりました、今年は入りません、という。
そうか、しまった。水栽培は12月からはじめるんだもんなあ。
それでもまだどこかに残ってるかもしれないと、小さな花屋をみつけるたびに見るんだけれどやっぱりない。それからネットで探し回った。
やっとみつけて、高い送料払って白、ピンク、ブルーと3色のヒヤシンスを2個づつ買って、いざ届いたのを見たら、水栽培もできるとはいいつつ水栽培用にはかなり小さい球根でがっかり。でも気を取り直してそれを1球づつ小さな紙袋に入れて球根に真冬を疑似体験させるため冷蔵庫で保管すること2週間。
やっと先月ポットにセットしたのでした。
3球買ったうち、そのままポットに置けたのはひとつだけ。
あとは穴が大きすぎて落ちちゃうので、苦肉の策でワイヤーで台座を作って載せた。そしてさらに家の中でいちばん暗くて寒い玄関に置いておくこと18日間。
だいぶ根っこが伸びてきたので今朝、日の当たるところに出した。
緑の芽が、鳥のくちばしみたいにつやっつや!
ちょっと暖かな日に当たっていただけですぐに葉がひらいてきて、生きてるんだなあ、と思う。何せはじめたのが遅いからちゃんと咲いてくれるかどうかわからないけど、こうやって机の上に緑があるだけでもいい。
ちなみにこのあいだ妹に「ヒヤシンスの根っこ、出てきたね!」とメールしたら、「それがヒヤシンスはいっこうに根が出ず、根元にカビが・・・。どうやら失敗したみたい」というので、ガーン!
あたしゃ、あなたが思い出させてくれなかったらきっと今年はやらなかったよ、と思って、「せっかくだからうちの芽が出たの、ひとつあげるよ、さこうゆうこさんのポットごと」と言ってみるも、「せっかく根が出てきたのをいただかなくてもけっこうですよ。うちに来て花が咲かなかったり、元気がなくなったりすると困るので」と返事が返ってきて、うはー、どこまでネガティブなんだあ、しかも「けっこう」ゆわなくても、と思った次第。姉としては「やった! さんきゅ!」と言われたほうがずっとハッピーだったんですけど。こういう、小さなことから大きなことまで、姉妹のあいだにある感情の溝って一生埋まらんものなのかな、と思ったりして。妹のヒヤシンスも3球のうちひとつくらいはちゃんと根が出て咲いてくれないかなあ、と願うばかり。
2月、もうじき半ばのいま、気温は底で真冬なんだけど、陽射しの中にはすでに小さな春の粒子が含まれていて、まさに早春だなって思うのです。

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2019年2月10日 (日)

ククルクク・パロマ

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Posada del Solのランチタイムのラストオーダーは2時半で、いつもわたしが行くのがたいてい2時過ぎだからかな。お客が来なければもうそろそろ閉めようかという時間だからか、店に入ると音楽がかかってないことが多い。昨日も無音で、食事をはじめてしばらくしたらシェフが思い出したようにオーディオのスイッチを入れて、一瞬にぎやかな音楽が流れたと思ったら、何を思ったのかいったん止めて、でも次に流れてきたのもやっぱり大勢の男女が広場で踊っているようなにぎやかな音楽だった。それを聞いてたら聞き覚えのあるメロディーで、思わず「ククルクク・パロマだ!」といったら、シェフがキッチンの窓からこちらを覗いて、「知ってる?」と訊くから、「カエターノ・ヴェローゾが歌ってるので知ってる」と答えた。それがあまりにカエタノの歌うククルクク・パロマと違って明るくにぎやかなのに可笑しくなった。息子がここで『べサメ・ムーチョ』のフュージョン・アレンジみたいな変なのを聞いて、それが頭から離れなくなったと言っていたけど、これか。でも、ククルクル・パロマはもともとメキシコの民族舞踏曲だというから、昨日聞いたのが本家本元らしい。それは明るくにぎやかなサンバが意外にもシリアスで悲しい歌詞を明るく歌ってるのと似た感じかもしれない。
それで今朝の遅い朝ごはんの時間はこれが聴きたくなってかけた。
カエターノ・ヴェローゾの、『シネマ・カエターノ』。
息子はわたしが持ってるカエタノのCDの中でもこれが1番好きだという。
だからこのCDも死ぬほど聴いた。
そして13曲めの『ククルクク・パロマ』になって、「泣ける・・・」といったらそのとたん、ほんとに涙があふれてきて泣いてしまったのには自分でもびっくりした。(涙を拭き拭きホットサンドを食べた。)
悲恋の果てに死んで一羽の鳩になってしまった哀れな男の物語。
カエタノが「ククルクク」と歌うと、それはほんとに死んだ男の鳩の鳴き声みたいで、悲しく、切ない。わたしはこれをウォン・カーウァイの映画『ブエノスアイレス』の中で初めて聴いた。
ウォン・カーウァイの映画っていうのも、まるで自分の個人的な体験みたいにいつまでも自分の中のほの暗い場所に残っていて、ときどきまたそこに行ってみたいような、もう2度と行きたくないような複雑な気持ちにさせられるのがすごいけど、このアルバムはタイトルが示す通り、カエターノ・ヴェローゾの作った曲、またいつもライブで歌っているレパートリーの曲の中から、とくにシネマ、映画に通ずるものや映画に縁の深い曲にスポットを当てて選曲されている。日本人のセレクトによるオリジナル・アルバムで、ミルトン・ナシメントのベスト・アルバムもそうだけれどこれもほんとうにセンスが良くて、日本人の感覚ってやっぱりすごくいいんだと思うし、それに日本人はブラジル音楽がほんとうに好きなんだと思う。何より歌詞カードと訳詞のついたライナーが入っているのも曲を理解するうえでありがたい。
このアルバムにおけるカエタノは、闘うレジスタンスであり、両性具有の天使(あるいは悪魔)みたいでもあるし、真冬の夜空に浮かぶ鋭いナイフのような三日月みたいでもあるし、包容力を持った美しい女神のようでも、また頼りない思春期の少年のようでもあって、光のあたる角度によって色を変えるプリズムのように、すべての要素を持っている。そしてそれはいまではほかの誰にも感じられなくなったデモーニッシュな魅力でもある。
わたしが知る限り、ブラジルで最も美しい声をしていて、なおかつ最も歌がうまいのはカエターノ・ヴェローゾだと思う。
アルバム16曲中、11曲までがカエタノのオリジナルで、12曲めからアンリ・サルヴァドール、トマス・メンデス、シモン・ディアス、アストル・ピアソラとカバー曲がつづき、ラスト『イタプアン』でカエタノの曲に戻ってくるだのけれど、この最後のイタプアンがまた春を思わせる長閑で素敵な曲なのだ。高校生のとき古典の時間に杜甫の『絶句』を読んで、老後は漢詩の研究をしようと決めたわたし。そのなかにあった『今春みすみすまた過ぐ』という言葉はいまくらいの時期になるとかならず頭にのぼってくるほど、春はわたしが一年で最もむなしさを感じる季節で、暖かいんだか寒いんだかわからない、晴れてるんだか曇ってるんだかわからないどっちつかずのところも最も苦手な季節ではあるのだけれど、この歌にはそんな春のもっともきれいなところが集約されているように思う。
カエタノの歌声はまるで春のお花畑の上をふわふわと飛ぶ蝶のよう。
『そしてふたりは結婚してしあわせに暮らしました。でもそのしあわせは長くはつづきませんでした』みたいな、淡く儚い空気も含んで。
カエタノの歌うどの曲も限りなく映像的で、聴いているうちに様々な映像が浮かんでくるけど、それこそがこの『シネマ・カエターノ』のもくろむところ。
突き放した男前の訳詞がめちゃめちゃかっこよく、深くてロマンティックで、やっぱり国安真奈さんです。わたしはこのひとに惚れてしまいそう。

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2019年2月 9日 (土)

エンフリコラーダス!

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目が覚めたときもう9時半で、起きてカーテンをあけると思いのほか雪は積もっていなかった。家々の屋根がうっすら白くなっているくらいで。それで今日のプールはどうするかな、と思った。昨日の天気予報でさんざん大雪だというから、すっかり万事休すって気持ちになっていたんだ。寝たのも遅かったし。
それで遅い朝ごはんを作って食べ終えたらもう11時過ぎで、先週も先々週も食べてそれほど間もない時間にプールに行ったら、アップを泳ぎはじめたとたんにお腹が痛くなったことを思い出して、今日はもうやめた、と思った。それから娘が仕事に行ったあと、北側の壁のカビ取りとバスルームの掃除をはじめた。
この住宅の建物にはあきらかな構造上の欠陥があって、冬のあいだはどの部屋の窓も結露がひどく、とくにバスルームと洗濯機置き場のある北側の壁は冷えすぎるため何度カビ取りをしても真っ黒になってしまう。そのたびにシャワーキャップにゴーグルにマスクにゴム手袋、というすごい格好でカビ取りをするのだけれど、ほんとに冬のあいだ何度するかわからない。ほんとうにいやになる。いまはもう引っ越してしまった下のおばさんは「カビ取りの有機溶剤は身体に悪いから、わたしは壁が黒くなっても放っておく」と言っていたけど、有機溶剤とカビのびっしり生えた壁とどちらが身体に悪いのやら。わたしはとくべつな2月を黒い壁とともにすごしたくないから、やっぱりきれいにするしかない。
黒い壁とバスルームの掃除を平行でやって、やり終わったら、すっかり全身ハイター臭くなった。目もちょっと痛い。そのときもう1時過ぎ。それでそこから自分に巻きを入れて髪をゆすぎ、身支度をしてバタバタと家を出た。こんな日はやっぱりポサダ・デル・ソルだ。
店の前まで行くと、中から出てきた店主とでくわした。
自分はもう帰るところだって。
中に入ると今日も客はわたしひとりで、何かも聞かずに日替わりを頼んだ。
最初に出てきたのはサルサドレッシングのかかったサラダとじゃがいものスープ。
ビーフのスープにしてもこの皮付きのじゃがいものスープにしても、火であぶったような芳ばしさがあるのはどうやって作ってるんだろうなあ、と思う。
そしてサラダを食べ終えるころ出てきた今日の一皿。

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「これは何ですか?」と訊くと、シェフすぐに答えてくれるんだけどいつも1回で聞き取れない。訊き返すと、最初よりもゆっくり「エンフリコラーダス」、と。次いでわたしがおなじように言うと、 シェフ「もう一度」という。それで大きな声で「エンフリコラーダス!」と言うと、まるで「OK!」とでもいうように奥に引っ込んでいった。
笑える。いっそわたしにスペイン語を教えてくれないだろうか。
で、食べはじめたエンフリコラーダス。
ドライミートみたいなのがのったトルティーヤにソースがかかって、メキシカンライスが添えられているのだけれど、例によっておいしいおいしいと食べてるうちにトルティーヤに何がはさまっていたかも覚えてない、という有様なのです。
でもいいんだ、おいしいんだから。
それでいつものように食後のメキシカンコーヒーを飲むころにはすっかり身も心も温まってました。息子は平日に仕事場近くで食べるランチを節約しても週末ここに来たい、ってくらいめずらしくここが気に入ってる。わたしはここに来るたび、どうにかしてここが流行るようにできないかなって考える。そして月曜からまたがんばって働こう、と思う。つまりそういう味です、Posada del Sol。
この連休は大雪だっていうから昨日おでんの材料をたくさん買ったのに、雪が降るどころか雨もやんで、わたしは来たときとおなじように白い息を吐きながら駅前に向かった。1年中ドンスカドンスカ陽気にサンバを流してるお茶屋の前を通って。
この町、なんにもないつまんない町だとずっと思っていたけど、意外とおもしろい、変な町なのかもしれない。
夜、ベランダから見下ろしたら、雪がまたうっすら積もりはじめていました。

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2019年2月 4日 (月)

春が舞い降りた日

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立春の今日は一気に気温が上がって、日中の最高気温なんと19度!
朝ベランダに出たときはほんとに暖かくて、まるで春が舞い降りたようだと思ったのも束の間、午後には風がでてきて、夕方出かけるころには北風が吹き荒れ、すっかり寒くなっていた。これだからいまの陽気は油断ならない。
毎年立春の日は明治神宮にお参りに行くことになっているのだけれど、父が亡くなってまだ半年経ってないということで今年はやめて、家からそう遠くない梅照寺へ。ちょうど自分の誕生日に目のオペを受ける友達がいて、お守りをもらいに行った。
ここは眼病治癒、目の神さまとして有名なお寺。

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ここには前にもおなじ目的で来たことがある。
あのときは父が一緒だった。
いまよりもうちょっと春が進んだころで、お寺の境内には梅が咲きはじめていた。
人間も動物も植物も冬を越すのが大変なのだと思うけど、冬のあいだ寒さに縮こまってあまり身体を動かすことなく暮らしていた父は驚くほど歩けなくなっていて、ここまで歩いて来るのも一苦労だった。そして日中は陽射しが暖かかったからまだよかったものの、帰るころにはやっぱり風が強くなってすっかり寒くなり、おまけに帰りにジェラートを食べたりしたのがよくなかったのか、駅に着くなり父はおなかの調子が悪いと言い出して、しばらく駅のトイレの前で待たされることになったのだった。自分が寒いのと早く帰りたいのと父が心配なのとで複雑な気持ちで夕暮れの駅のホームに立っていたことを、ここまで来るあいだに思い出した。人間、何気なく歩いてても自然とこういう記憶が再生されてしまうんだから、やっぱり次々クリーニングしなきゃならないんだと思う。
今日は超近眼の娘と来た。

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ここのお寺はお参りのときに真言を唱えなきゃいけないらしくて、お賽銭箱の横の柱に真言を書いた紙が張り付けてあるのだけれど、いつも一発で覚えられなくて困る。でも友達のオペの成功と眼病平癒と、娘の近眼がよくなるように祈った。
そしていつもお参りはあっという間に終わってしまって、ほんのわずかの間ぼうっと立ってあたりを見回していたら、そのわずかな間にも近所の人たち(子供から大人まで)が次々とやってきてはお参りをしていくあたり、ここは地元のひとたちに愛されているお寺みたいです。
来た道とは違う、この鳥居を出て中野方面に向かう商店街がいろんなお店があってなかなか楽しいのだけれど、今日は時間がないので回れ右して帰った。
今度こそオペが無事に終わったら、またお礼参りに来よう。
そしてあのジェラート屋にも行って記憶をあたらしく上書きするんだ。
夜は娘の3日遅れのバースデー・パーティ。

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青文字の花

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朝、青文字がひらいてきました。
くちゃくちゃにたたまれた和紙をひろげたような、どこか苺の花にも似た花。
立春の今日、朝から暖かな陽射し。

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