2009年7月10日 (金)

本漬け

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このあいだ近所のおにぎり屋さんに行ったらショーケースの上に見るからに手作りの

『おばあちゃんが漬けた梅干し』というのが置いてあって、仲良くしている店のおばさん

に「今年は私も初めて梅干し作りに挑戦してるの」と言ったら、そのおばさんも毎年漬

けていて、もう12年にもなろのだとか。さすがベテランだけあっていろいろ教えてくれ

たのだけれど、「もう赤く色づいてきた?」と訊かれて「まだシソ入れてない」と答えたら

「あら、だってもう梅酢あがってきてるんでしょ?だったら早く入れたほうがいいわよ」

とおっしゃる。あれえー、私が参考にしているHPには、7月中旬まで塩漬けのまま置

いておくって書いてあったんだけどなあ・・・

と、そんなことを思っていたら久しぶりにcalligraphyさんと会う機会があって、彼女も

と同様、今年初めて梅干し作りにチャレンジしていて、一緒に『梅干し同好会』なる

ものを発足しようぜ、なんて言われているのだけど、そのcalligraphyさんまで「あたし

もうシソ入れたよ」と言うではないか。さらにさらに昨日は電話でMちゃんに「九州の

実家でもうとっくに本漬けしたと思うよ」と言われ。

こうまで言われたら私もなんだかやらないわけにはいかないし、にわかにキッチンの

下にしまいこんだ梅にカビが生えているんじゃないかと気になってきた。

・・・ というわけで、私も今日、梅干しの本漬けをしました。

さっそく流しの下から梅干しの保存瓶を取り出してみると ・・・ よかった。カビ生えて

ませんでした。まず白梅酢をボールにあけて、中の梅を取り出します。

このとき割箸でそっと取り出したのだけれど、梅はぷにゅ、と柔らかくて、うっかりする

と傷をつけてしまうので注意、注意 ・・・

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蓋を開けると完熟梅のフルーティーな香りと梅酢の甘酸っぱい匂い。

梅は重石でいい感じに押され、まだ色はついてないけれどすでに梅干しの風情です。

本当はここで梅酢で揉んだ赤シソを入れるのだけれど、梅と一緒にすでに揉んである

シソを買ってあるので、それを梅酢で軽く洗って入れるだけ。簡単です。数ある野菜の

中でも最もと言っていいくらい大量に農薬を使っているらしいシソ。いつもはそれを気

にしながらスーパーで買っているのだけれど、これは有機栽培だから安心。

保存瓶に、シソ、梅、シソの順番に入れて、最後に赤く染まった梅酢をかぶるくらい入

れて、また軽めの重石をしたら完了です。

なんともいえないシソの香りがあたりに充満し、ボトルが赤い液体になったら、まだ黄

色い梅が一気に梅干しらしくなりました。

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2009年7月 7日 (火)

七夕の夜

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毎年この時期になると出てくる『伝承おりがみ』の本。

息子が小さかったときに買った本なのだけれど、これが良い本なのです。

簡単なものから難しいものまで、あれってどうやって折るんだったっけかな? なんて

スタンダードなところから、ほぉ、これってこうやって折るんだ、なんてところまでが、薄

いペーパーバッグの3冊の本(現在は4冊らしい)にわかりやすく載っていて、セットに

なってケースに入ってます。

笹を調達したら必要なのは七夕飾り。

最近では滅多に買うことのなくなった折り紙など買ってきて、子供2人に頼みます。

最初は面倒だからやらないと言ってた上の息子も、下の子がテーブルについてせっせ

と折りだすと「しかたないから僕もやるか」とか言いつつ折りだします。バカ話をしつつ

バカ笑いをしつつ、なんだかんだ言って楽しそう。

ハハの私は子供のこんなところが見られるうちが花だよなぁ~、などと思いながら、も

っぱら風船だとか吹き流しだとか提灯とか鎖とか、簡単で見栄えのいいものを作り、

下の子は難しいのばかり選んで折り、息子は「ま、夏だから蝉だね」とか言いつつ、こ

んなのを折る。

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右はお財布だそうな。(100万、さらに倍! ですか。)

飾りを作り終わったら今度は短冊を作り、それぞれ願いを書いてヒモを付けて笹に飾

ったら、できあがり!

今日は雨が上がったのはよかったけれど、そのとたんに急に蒸し暑く、それ以上に風

がものすごく強くて、昨日あんなに瑞々しかった笹も陽射しにさらされ強風に煽られ続

けてすっかりドライ状態。日が暮れる頃には惨憺たる姿に ・・・

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それでも朝の予報では夕方から予想されていた雷雨になることもなく、夜には満月も

出てきて、天上では悲恋の恋人たちの何年ぶりかの逢瀬もぶじ成就したようです。

めでたし、めでたし。

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2009年7月 6日 (月)

7月のバラ

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7月、雨の月曜。

私のベランダではバラの2番花がポツポツ咲き始めた。

今朝はクイーン・オブ・スウェーデンがふたつ。

春の1番花にくらべると、ひとまわりかそれよりもっと小さいくらいの花。

今日はひどく寝不足。

それというのも昨日、遅い夕食の後にたまたま合わせたチャンネルでやってたテニス

の試合がウィンブルドン男子シングルス決勝だったから、さあ大変!

うっかり見始めてしまったらもうこれが終わらない終わらない ・・・

ウィンブルドン5回の覇者であるフォアハンド・ウィナーのロジャー・フェデラーと、高い

打点から鋭い角度と200キロのスピードで予測不可能なサーブを打つビッグ・サーバ

ー、アンディ・ロディックによるフルセットマッチ。両者一歩も譲らない激闘を繰り広げ、

なんとファイナルセットだけで大会記録となる77ゲーム、トータルタイム4時間18分!

まいりましたね。終わったのはもう午前3時前です。途中まで一緒に見ていた息子も

「後でどっちが勝ったか教えてね」と言って先に寝てしまう始末。でも最後まで見ずし

ていったいどうして寝られましょう???

私は終始、挑戦者であるロディックを応援していて、最後まで事によったら勝ち目はあ

ると思いながら見ていたのだけれど、まるでこちらのそんな思いに応えるかのように、

どんなシーンでも諦めずにボールにくらいついていくロディック!

結局、壮絶な試合を制して最後に勝ったのは王者フェデラーだったけど、本当にどちら

が勝ってもおかしくない、素晴らしい試合でした。頂点まで上り詰める人というのはど

んな世界でも一流で、人格も素晴らしいのだと思うけれど、試合後の2人のコメントも

よかった。ロディックにはぜひ再びウィンブルドンに戻って、この次こそ勝ってほしいと

願いつつ、長い観戦を終えたのでした。

それにしてもVIPシートに並ぶ歴代優勝者の顔ぶれと貫録もすごかったけど、放送席

にいた、すっかり白髪老紳士と化したマッケンローにもびっくりしたし、時の変遷を感じ

ましたねぇ・・・

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・・・というわけで、私は今日はいささか眠い月曜日だけれど、明日は七夕にして満月

の最強の願い叶えデーということで、先ほど雨の中ちょこっと出て行って、近所で立派

な笹を調達してきました。

大きなバラ鉢に挿した笹は、ただいま涼しげに揺れております・・・

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2009年7月 3日 (金)

邂逅

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朝から建物の階下ではひどい音がしていて、どうやら1階の空き家工事が始まったら

しかった。あまりにものすごい音があたりに響き渡っているので何事かと階段の踊り

場に出て見下ろせば、いかにも粗野な感じの丸太のような男が3人、大きなトラックの

荷台に上から家財道具を放り込んでいるのだった。これじゃあ、ひどい音がするわけ

だ。外の物音にイラつきながらギターの練習をしていた息子に、「このぶんだととうぶ

ん終わりそうにないよ」と言う。

1階の部屋のドアの横に『空き家工事を始めるにつき、何かと御迷惑をおかけします

が工事は細心の注意を払って行いますのでご了承ください』という貼り紙をみつけた

のは数日前だ。そこには80過ぎの花好きのおばあちゃんが住んでいたが、年々夏ご

とに弱って痩せ細り、いつしか医者通いが始まり、そのうち私よりひと世代上くらいの

娘が夜泊まり込みで世話をしにやってくるようになり、昼間はデイケアの車が迎えに

来ているのをよく見かけたが、そのうち姿を全然見なくなった。身体の衰えばかりじゃ

なく痴呆もだいぶ進んできたと聞いていたから、たぶん病院に入院したのか施設にで

も入ったのだろうと思っていたけど、今年になって今度は息子さんがやってきて、庭で

おばあちゃんの植木鉢をかたずけていたので、いよいよかと思っていた。おばあちゃ

んはお亡くなりになってしまったのか、それとももうここに帰ってくる見込みがなくなっ

たので家族が部屋を引き払ったのか、定かではない。ただ、それほどつきあいはなか

ったにせよ、確かにそこにいたはずの1人の人間の痕跡が、こんなにも乱暴に跡形も

なく壊され消されていくのを見るのはしのびなかった。

今年はひとつの時代の終焉とも思えるスターの訃報が相次いでいるけれど、またひと

つ大きな光を失って、いやがうえにも死について考えた6月。いよいよ季節は夏で、夏

はファントムの季節だ。ファントム。幻影、まぼろし、亡霊。飛んで火に入る夏の虫だ。

そんなことを思っていたら午後、長いこと音信不通だった人から突然電話がきて、思い

がけなく会うことになった。「報告したいこともあって」と彼は言った。もう3年近く顔も見

ていなかったから、いったいどんな(ひどい)ことになっているかと想像したら心は激しく

動揺し、「報告」という言葉は私を緊張させたけれど、電車に乗っている短い間にホ・

オポノポノをしたら落ち着いた。

夕方の駅前はそれなりに混雑していて、黄昏に目を凝らすようにして立っていたら、彼

は黒い影(ファントム)のように現れた。

それでも私が想像していたよりはずっとマシだった。

相変わらず痩せこけて疲れた顔はしていたけれど、自転車通勤のためよく陽に焼けた

顔は不健康ではなく、仙人のように長かった髪はさっぱりと短く切られて、数年前に見

た時とくらべてもそれほど老けこんではいなかった。

音信不通だったあいだ、彼はしばしば私が何も考えていないときに夢に出てきたが、

そのたびに私は夢の中で心底安心するのだった。いったい私という人間はどれだけ心

配症なのか。嫌になるが、私はそこで初めて夢の中でいつも彼に最初に言う言葉を現

実に言ったのだった。そして長らく(もう十数年来に亘ることと、ここ数年のことと)心に

引っかかっていたことを手放す機会を与えられた。

私が神様に愛されていると最も感じるのはこんなときだ。

天に発した問いの答えはかならず返ってくる。ノックし続ければ扉はいつか開かれる。

苦しみはやがて安寧にたどりつく ・・・

それに子供の頃から今に至るまで私は様々な間違いを犯してきたけれど、一度だって

見放されたことはなかった。これだけで充分ではないだろうか。

それから馴染みの店で2時間ばかり話した。

彼とそんなに話したのはもういつ以来だか思い出せないほどだった。電話をしてきた

理由はけして良いことばかりではなかったけれど、自分が何がしかの役に立てたのは

よかった。人からバカと言われようがおひとよしと言われようが、私は窮地に立たされ

たその人を無碍に突き放すことはできない。それに長年抱えてきた心の重荷をおろす

ことができたのは、私には何にも代え難いことだった。

彼は今月いっぱいでついに東京から引き揚げるようだ。

東京で生まれてずっと東京で暮らしてきた私と違って、そのときどき抱える問題と希望

によって住む所を転々と変えてきた彼にとっては、これもまた何かの終わり、ひとつの

転機なのかもしれない。寒い北で生まれ育った人だから南で暮らすのはいいと思う。

すっかり暗くなった駅前で握手して別れた。

そして今になって、初めて会った帰りも握手して別れたことを思い出した。

私が降りる駅が近づき、「今日はありがとう」と言って右手を差し出したら、彼は一瞬は

にかんで、右手をジーパンの後ろポケットでゴシゴシっと拭いてから私の手を握ったの

だった。その様子を見ながら、オルガン弾きのJは「あいつは遊んでて悪いヤツだから

気をつけろ」と言っていたけど、そうでもないのかもなあ、なんて思った。ある夏の日。

それが始まり。

そして終わり。

限りなくぼおっとしながら自分の駅に着いて電車を降りると、バタバタっと大粒の雨が

一気に落ちてきた。なんてタイミングなんだと思いながらも、それが厭じゃなかった。

雨もまた浄化。

個人的な記録として。

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2009年6月30日 (火)

日記という形式/富士日記

Fuji_nikki

ふいに思い出して本棚から『富士日記』をとりだした。

作家、武田泰淳とその妻、百合子による日記。

この日記は二人が富士山麓に山小屋、今でいうところのセカンド・ハウスを持ったこと

に端を発して書かれるようになった。最初に書こうと言いだしたのは泰淳の方だが、泰

淳が書いたのはわずか数日分で、13年という長きにわたって日常の記録を細々と書

きとめ続けたのは百合子のほうだ。

いま、武田泰淳と聞いてすぐにぴんとくる人はたぶん私よりだいぶ世代が上の人か、

よっぽど文学好きの人くらいじゃないかと思う。こうしてこれを書いている私だって、武

田泰淳の代表作はなんだったっけかな、と考えて、すぐに思い出せない。百合子にい

たっては近年ブームになったこともあったようだけれど、それだって一部のファンの間

のことではなかったろうか。

これは、そういう二人(+娘の花)の山での暮らしが淡々と綴られた日記。

日記だから文体に凝ったところもなく、書かれているのは日付、その日の天気、食べ

たもの、買い物メモ、日常の出来事、夫や娘とのやりとり、雑感などというごく普通の

ことばかり。それが13年にも渡るとなれば、文庫本にしてそれなりの厚さで上・中・下

と3巻にもなる。いわゆる歴史に名を残す作家と妻の記録、というシチュエイションと

そこにある興味をぬかせば、きわめて地味で単調な作品だ。残念ながら私はまだ全

部を読破してはいない。子供の頃から母に西洋かぶれと呼ばれた私はそれほどたく

さんの日本文学に親しんできたわけではないから、自分では買わなかった本かもし

れない。この3冊の文庫本はライターのYが引っ越しをするのに荷物を処分している

ときにもらった。私は彼女の書棚から2冊の単行本を選んだが、それとは別にYがく

れたのだ。Yの物書き仲間からしてもこれを読みそうなのは私くらいしかいなかったの

かもしれない。Yはいつものくぐもった声で、「ただの日記だけど面白いよ」と言った。

マイナー好きのYらしい選択で、それまでYが大事にしていた本には違いなく、私は嬉

しかった。

13年もの記録ともなれば、そこにはとうぜん作りものじゃない時代背景や個人の様々

な変遷があり、3冊読み終える頃にはモノクロームの長編ドキュメンタリーを見た後の

ように心には映像が刻まれ、様々な思いが立ち上ってくることだろう。百合子の文章

はもちろん、それに足る趣と力を持っている。興味のある方はぜひ読んでください。

Fuji_nikki_002_2

そして、昔から書簡形式と並んで日記形式というのは個人の書きものの形としても作

家の作品の形としても好まれてきた。書簡形式も日記形式も人が文章を書くうえでリ

ラックスして心を開きやすいという点で書きやすい形と言えると思うけれど、書簡、手

紙が特定の個人に宛てたものであれ不特定多数の人に宛てたものであれ、あらかじ

め人に読まれる(読ませる)ことを前提として書かれているのと違って、日記はただの

記録であってもよい(つまりテクニックがなくても書ける)ことを考えれば、日記形式が

より易しい形であることは間違いないと思う。ブログがこれだけ世の中に普及したのも

日記、という誰にとっても日常的で親しみやすい、手軽な形だったからだろう。


思えばいま思い出したけれど、2006年に始めたこのブログも今日で4周年になって

しまった。最近はいつやめてもおかしくない、いつやめてもいいと思いながらやってい

るこのブログだけれど、時の早さを感じずにはいられない。いつも書いているように、

コンピュータにそれほど詳しくない私はこの中に入っている膨大なテキストのことを考

えると、やめるにしてもいったいどうしたものかと思い、それ以上に1年にたった1度だ

けコメントを書いてくださる貴重な方の存在や、どこかで見守ってくれているかもしれな

い誰か、ここから派生した人間関係のことを思うと、そうそう簡単にハイ・終わり。とも

いかないけれど、いずれ結論を出さなきゃならないだろう。

先日、仕事の打ち合わせに行った先で、相手から「ブログなんか実にくだらない」と言

われた。仕事でなければとうてい知りあうこともなかったであろう名のあるその方は、

「ブログなんてただの日記でしょ!」と言った。「どうしてそんなもの読まなきゃならない

のよ。こっちはそんなに暇じゃないのよ!」

彼女がどうしてそんなに語気荒くして言うのかわからなかったけれど、単純に言って彼

女はコンピューター、インターネット、メール、ブログ、携帯といったものが苦手で大嫌

いなのだった。私は心の中で、ええ、わかります。そういう方もいらっしゃるでしょうね、

と言った。もちろん彼女は私がブログをやっていることなど知らない。「大体において」

と彼女は続けた。「彼らは恥というものを知らないの? なんでもかんでも平気で書い

て恥知らずにもほどがある。まったく病気ね。ブログをやる人間なんてどこかおかしい

心が歪んだ人間なのよ。そういうクズみたいな人間がいるからこの日本が駄目になる

のよ!」 それから最近、太宰を読み直したが太宰は文章がすごく上手い(当然だ)、

だいいち言葉を選んでる、ブログなんて、読むに堪えないチャラチャラしたくだらない

日常をダラダラ書いてるだけでしょう、と言った。

私は物事には全て良い側面と悪い側面があると思っているが彼女はそうではないらし

い、それにブロガーの中にはちゃんと書き手の意識を持って書いている人間もたくさん

いると思うが、彼女はそのことを知らないし知る気もないのだ、と思いながら黙って聞

いていた。おいしいトマトを食べたこともなくて大嫌いだと言っている人間に「トマトには

リコピンが豊富に含まれていて・・・」などと話したところでナンセンスだから。

とはいえ、そこには心あるブロガーなら誰でも一度は(というか何度も)陥る、考えざる

を得ない問題も含まれていて、さて、どうしたもんかな、と思いながら帰ってきた。

でも恥知らず、ということなら、昔から私は書くということにおいては恥知らずだと言っ

てきたし、物書きなんて多かれ少なかれみんな恥知らずじゃないですか? 

太宰なんて恥知らずの代表格みたいな文学じゃないか。

と、太宰好きの私は思うけれど。

ともあれ4年。さすがに今年はそれを記念するような気持ちにはなれないけれど、私の

中でこれほど続いたことはそんなにはない。読む人もない手書きの日記なら、こうはい

かなかったろうと思う。『富士日記』ということで思い出すと、かつて私も何度か日記を

つけようとしたことがあった。百合子のように几帳面ではなく、日付はいつも飛び飛び

で、すぐに続かなくなってしまったけれど。そのノートは再び目にする時の自分の心の

揺れを思って廃棄してしまい、いまは無いけれど、気まぐれにワープロでタイプしたの

がひとつふたつコンピューターの中に残っている。今それを読み返すと自分で言うの

もなんだけれど、詩的で、経済的にも精神的にも逼迫したなか子育てに追われて疲れ

ていたのに、自分がこんなにもちゃんと文章を書こうとしていたんだと思って、なんだか

心がしんとしてしまう。もうすっかりキーボードを打って文章を書くこと、その便利さ早さ

に慣れてしまった私だけれど、ここらでそんなことにもいったんキリをつけて、ふたたび

愛用のぺんてるペンを握って手書きで何か書き始めるのもいいかもしれない。

・・・ と、今年はなんだか神妙な4周年になりましたが、これまでおつきあいくださった

方々には心からありがとうを言わせていただき、ここから生まれ、この先も続いていく

であろう友人たちのことはブログの有り無しに関係なくこれからも大事にしてゆきたい

と思います。どうもありがとう!

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