2017年10月19日 (木)

秋を通り越して冬

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昨日、東京は4日ぶりに晴れて、お日さま暖かいと思っていたら昨夜からまた雨。
今朝は起きた瞬間あまりに寒くて、すぐさま押し入れの引き出しからニットポンチョを引っぱりだして頭からかぶった。
まだガスファンヒーターを出すどころか、衣替えもしてないから寒くてたまらない。
でもつい先日まで29度の日があったのだ。
なんという急転直下。
今日の予想最高気温は12度。
今朝、都心では最低気温9.9度を観測して31年ぶりの冷え込みだという。
だとするとここはもっと気温が低いだろう。
こうなると気がかりなのは病を患っている人や高齢者、ホームレスや屋外労働者やのら猫のこと。折しも連絡のつかない友達のこと。
一日中雨でも洗濯物が出ない日はないから、晴れた日以外ずっと部屋干しで除湿機をかけている。一日暗い部屋で除湿機の音を聞いているとどうしたって気分は上がりようもないから、いっそもう街にでもでかけていきたい気分だ。
路面に面した暖かい喫茶店で、珈琲を飲みながらガラス越しに雨を見ているならこんな日も難なくすごせるだろう。若いときみたいに。
わたしは厳寒生まれの夏好きだから寒さにも暑さにも弱くはないけど、わたしが冬が苦手になったのは家族が3人になったあの年の冬からだ。それから何度も転職して、一軒家のあまり暖かくない二階の編集室で自分に不向きな校正をしたり、おなじく陽の当たらない一軒家の信じられないほど寒い事務所で営業事務をしたりして苦労した。とくに陽の当たらない一軒家の事務所ときたら屋内で仕事をしてるのに歯がガチガチ鳴って手がしもやけになるほどで、もう二度とあんな思いしたくないと思う。そんなやこんなで冬がすっかり苦手になった。とくに冬になってしまえばいいのだけれど、いまくらいの秋と冬の間がほんとにだめ。
思うに、冬が好きだというひとは、若くてしあわせで身も心もあったかいひとなんだと思う。昔、わたしもそうだったように。
ベランダのばらも、今日は秋を通り越して冬のいろ。

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2017年10月16日 (月)

こころのブロックをはずすには

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このあいだある女性と話してたとき、彼女が「わたしは子供を産んでないことに罪悪感を持っているんです」といったので、風邪であんまり声を出したくなかったにもかかわらず、「人には今生で持って生まれたミッションというのがあって、それは人それぞれみんな違う。子供を産んで育てるのがミッションの人もいれば、子供を持たずにGoing my way な人生を生きるのがミッションの人もいる、ただそれだけのことなんだから、他人に対しても自分に対しても、それに神さまに対しても罪悪感を持つ必要なんか全然ない。そんなものは早々に捨ててしまいなさい。ただ子供はとてもいいものだから、いまからでももし授かることがあったら間違いなくそれは宇宙タイングたから怖れずに臨めばいいし、逆に授からなくてもあなたにはあなたにしかできない素敵な人生があるんだからそれでいいのよ」と熱く力説してしまった。だって、こころに罪悪感なんか抱えてると間違いなく病気の素になるから。

子供を産む・産まないという問題だけにかかわらず、人は誰でも潜在意識の中に様々なブロックを抱えている。何かをして他人様からお金をもらうことに抵抗を感じるお金のブロックや、逆に自分のためにお金を遣うことに罪悪感を感じてしまうブロック。人の愛情を素直にうけとれないブロックや、愛情を素直に表現できないブロック。お金持ちに対するブロックや、貧乏人に対するブロック。容姿に関するブロックや、自分がこれまでしてきたことへの罪悪感によるブロック。人に理解されないことに孤独を感じつつも潜在的には自分の気持ちを明かしたくないブロックや、表現したいのと同時に人に見られたくないという自意識の二律背反のブロック、もう様々なブロック・・・・・・。

でも、くさい言い方かもしれないけれど、その様々なブロックを解かすのはいつだって愛なんだと思う。
このことろ小さな気づきがたくさんあって、たとえばわたしが負けず嫌いで気の強い女の人が苦手なのは妹がいるせいだったんだ、とか、わたしが初対面で女の人より男の人のほうがざっくばらんにリラックスして話せるのは母が6人兄弟の長女で、たくさんのいい叔父たちに囲まれて育ったからだった、とか、まあいろいろあるのだけれど、そのなかで最も大きかったのは、わたしはこれまでずっと自分が子供たちを守ってきたと思っていたけど、実は自分もまた子供たちに守られていたんだ、と気づいたことだった。まるで自分にとっての守り神みたいな存在。それはわたしにとってはちょっとした驚きだった。

昨日もそれをつよく感じることがあって、実は昨日わたしは出かけた先でとんだ失敗をしてしまって、それはいまのわたしにとってはけっこう手痛いミスだったから家に帰ってから人知れず落ち込んでいたら、素早く人の表情を読みとる息子が何かあったのかと聞いてきた。誰かにいうつもりもなかったし、息子にいえば「いったい何をやってるの」と責められそうなことだったから渋々話しだしたのだけれど、息子の反応は信じられないくらい寛容だった。そして、その寛容さに心底救われた。
頭の中で過去に似たようなことをしたときパートナーからどれだけ責められかということを思いだしたりしていたところだったからなおさらだった。
こういう失敗をしてこんなふうにいってもらえることもあるんだ、という驚き。
わたしは実際びっくり眼をしていたと思う。
息子は「そんなこと全然たいしたことじゃない。以上。この話はこれで終わり」といって、さっさと自分の部屋に戻って行った。
それでわたしも、もういいや、という気になった。
それは誰しもやりそうな間違いで、そういう行き違いが起こったとき、誰しもが自分とおなじような対応をするわけじゃない。それはまるで、ラッキーセブンの7777が逆に運悪くたまたま並んじゃったようなものにすぎないんだって。
そうして救われて自分のこころの中にあったブロックがひとつかふたつ取れた気がした。つまりは息子の愛ある言葉によって。
そういうのって、思いがけなくもらった花束みたいだ。

そこでもうひとつ思いだしたのは、「今朝うちの娘がガレージから車をだすとき壁にぶつけちゃってね。それをカミさんがしつこくガミガミガミガミ叱ってるんだ。娘はもう自分のしたことに驚いて反省して、すっかりしゅんとしちゃってるのにさ」という男友達の言葉。
そう、自分のしたことを反省してすっかり落ち込んでる人にそのうえガミガミいったりするのはまったくもって逆効果なのだった。わたしも母親からさんざんされたし、自分の子供にしたこともあるけど、それは人のこころにブロックをつくることにほかならない。そうやって、こころにできたブロックの中には人から植えつけられたものあるし自分でつくってしまったものもあるんだと思うけど、それを解除するのもまた誰かの言葉だったり、自分自身の気づきだったりするんだろう。
最終的には人を許し、自分を許すということ。

昨日はつめたい雨の中でかけて行ってたからものを手に入れたり、かと思ったらとんだ失敗をしたりという変な日だったけど、それを超えるいいことがあったから昨日はやっぱりいい日だ

写真は何かあるごとにひらいてみるリズ・ブルボーの『わたしを愛して』。
職場の上司が病気になったからといって心配するあまり、わたしの本棚から勝手にこの本をあげてしまった娘がAmazonで再度買い直してくれた。
たとえば、この本の『事故』の項を読むと、ふつう事故は偶発的なことだと思われているけどそれは単なる偶然の産物ではなくて、『偶然』というものは、神がわたしたちに語りかけるために使う手段のひとつに他ならない、と書いてあって「なるほど」と考えさせられる。

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東京は46年ぶりの寒さ

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昨日あれだけ降ったのに、今日もまた雨だ。
朝カーテンをあけたら向かいの棟の階段を見覚えのある猫が駆け下りてきて、濡れたくないの、とでもいうように、つま先立ちでタタタっと走って駐車している車の下に潜りこんだ。
思わず「みずたまちゃーん!」と大声をだして呼んだけれど、自分のことだと思ったのかどうだか。
一日、雨で寒くて暗い。
と思ったら、今日東京は最高気温が15℃下回って46年ぶりの寒さだとか。
どうりで寒いわけだ。
たまりかねて足もとにハロゲンヒーターとラプアンカンクリのショールをだした。
まだ10月なのに。

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2017年10月15日 (日)

雨のもみじ市

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お金の遣いかたでいちばん贅沢なのは旅だと思います。
旅って無形の財産だから。
だから何を置いても、少々無理をしてでも直感にまかせて行くときには行く年下の友人の行動力が時々とても羨ましくなってしまう。もちろん、自由の利く仕事だからということもあるだろうし、若さもある。ダブル・インカム・ノー・チルドレンということも大きいかもしれないけれど、それ以上に彼女が自分の人生のハンドリングができてるからなんだろうと思う。
わたしも行きたいところがあって500円玉貯金をしているのだけれど、なかなか溜まらない。途中でほしいものができて貯金箱を開けちゃうから。
でも時間が経ってもどうしても頭から離れないもの、惹かれてやまないものってきっと自分の深いところと関係してて、もうどうしようもないんだと思う。
わたしってほんとにダメだなあ・・・・・・。
またしてもブタの貯金箱を開けてしまった。
去年はわたしの相棒で生活の必需品(の、カメラ)。
今年は・・・・・・
べつにそれがなくても生きていけるけど、あったらやっぱりこの先ずっと末永くつきあっていける相棒。そして娘にだって引き継いでいけるもの。

西武線を使うものにとって京王線って、ぜんぜん縁がない路線なんです。
何度も乗り換えなくちゃならなくて不便だし。
滅多に乗らない。
しかも今日も朝から雨。

でも、どうしても会いたい人、手にとって見たいものがあって京王線に乗って出かけた。
先週みたいなお天気だったらどんなによかったでしょう!
あいにくの雨のもみじ市。
傘をさしてレインブーツで出かける。
でも雨の割にはけっこうな人だった。

目指すブースにその方は立っていらして、彼女にお会いするのは4月の『みどりのクラフト』以来、これで2回め。
はじめてのときは彼女を前にして妙に緊張してあわあわしてしまった。
今日もやっぱり内心あわあわしてたのかもしれない。
買う予定だったものはすでに誰かの手に渡っていて、でもそれよりかわいいサイズのものを手に入れることができた。
わたしのあたらしいたからもの。

たくさんの個性的な出店者たちによる魅力的な作品をゆっくり見て歩きたかったけど、何せ雨がひどくて店先をゆっくり歩いて一巡しただけ。
でもそんななかでもフード系のショップは行列ができていて、雨の中わずかに設けられた屋根の下で立ったままひしめきあって物を食べる人々・・・・・・
ここは天気さえよければ草っぱらにレジャーシートを広げてピクニック気分でごはんが食べられてサイコーなんだけど、立ったまま物を食べるのはわたしとしてはNGなのでドリンクを買うのもあきらめて、唯一『かいじゅう屋』さんの行列に並んだ。
やっとあと数人、というところでパンが売り切れて買えなかったけど。

雨がひどかったから相棒と行ったけど撮った写真は2枚だけ。
いつか、道を訊くためだけに入った西荻窪のお花屋さんがとても感じよく教えてくれたのでいつか花束をつくってもらおうと思っていたのだけれど、そのお花屋さんが出店してた。
看板が素敵だったのでパチリ。

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もみじ市は前に2回ほど行って、わたしはもういいかな、と思っていたのだけれど、今日あの方の来年の夢を聞いてしまったから、また来年も来るかもしれません。
そのときは友達と来たい。
天気のよい秋の河原ですごすスローでピース・オブ・マインドな一日。
そのころ、今日買ったわたしの相棒も1年分の年季が入っていることでしょう。

今日、かいじゅう屋さんで買ったチョコレートチャンクマフィンと大麦チョコクッキーとかぼちゃのクッキー。ご夫婦のあいだで小学生くらいの女の子が黙々と販売を手伝ってて、思わず「お手伝いえらいね」といったら、そのときはじめて硬かった表情が崩れて笑顔になってかわいかった。子どもって健気なもんです。
4月の『みどりのクラフト』で買ったユーリさんの白樺のまるかごに入れて。

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2017年10月14日 (土)

秋のセントセシリア

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うまくいかないな。
体調が悪かった先週は秋晴れの三連休だったのに、今週はつめたい雨がふる土曜日。病み上がりで2週間ぶりにプールに行ったら、同じレーンで泳ぐ誰かさんの様子がおかしくなっていた。あれほど仲良くしていたのに、話しかけるとそっぽを向かれる。
思い当たることがあるとしたら3週間前、Rさんが彼女のバタフライを見ながら「形はきれいにできてるのに何故あまり進まないんだろう」といったことだ。わたしも、ちょっと上手いコーチがアドバイスすればすぐに良くなりそうなのに、という意味で、「前はあれだけいい第二キックが打ててたんだから、また進むようになるよ」というようなことをいった。誰も彼女を揶揄したり、からかったりしたわけじゃない。泳ぎに関するまじめな話。それでそんな話はプールではいつも誰かがしていることだ。まして彼女の泳ぎが遅いせいで迷惑だなんて誰もいってない。でも何かが彼女のプライドを傷つけてしまったらしい。
人ってほんとに難しい。特に女の人は難しい。
いつでもどこでもヒソヒソ内緒話をする女たちを見かける。
直接かかわったこともない相手から目が合うなりあからさまにフン!と嫌な顔して顔をそむけられたことがある。
自分のいやな顔を相手の記憶にインプットして何が面白いんだと思うわたしは、そういうことをする人の気持ちがまったく理解できない。言いたいことがあるならはっきり言えばいいと思う。こちらも不愉快な思いはしたくないから、そういうことをする人には二度と近づかない。大体、相手によって態度が全然ちがう人は嫌いだ。
子供のころはいじめられっ子だったから同級生の女の子から仲間はずれや無視やら様々な意地悪をされたけど、いい歳の大人になってまでまだ小学生の女の子とおなじようなことしてると思うとバカバカしくなる。
でも、これまであのスイミングクラブはそういうことがほとんどなくて、年が違ってもみんなあっけらかんと好きなこと言えるのがいいと思っていたし、それだから15年もつづけてこられた。その最たる人が彼女だと思っていたのに。
世話好きの姉御肌で、気前のいい、さっぱりした男前。
だから今日はなんだかとてもがっかりしてしまった。
がっかりしたついでに毎回今日みたいだとたまんないから、もう辞めちゃおうかなと考えた。どっちみちたいして進歩のないスイミングだ、理論だけなら15年分、もう人に教えられるくらい頭に入ってる、本もあるしDVDもある、この先はひとりで市民プールにでも行くかな、と。だがしかーし、もともとアスリート気質でもないわたしにそんなことがつづけられるはずもないのだった。

いつでもどこでもいちばんめんどうくさいのは人間関係だ。
息子はもういろいろ変え時だっていう。
そうかもしれない。

そしてこんなとき、人間の顔色見てるより、ばらや鉱物眺めてるほうがずっといいと思ってしまうわたしなのです。

写真は寒い雨の朝に咲いたセント・セシリア。
秋のセント・セシリアはピンクがつよく乗った。
ひさしぶりに見る、完璧なかたち。

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